グルメ 0
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前回のボヤキにたくさんのコメントいただきありがとうございました。結局、ケアマネには夕方入ってもらいたい旨は言えていません。しかし昨日…朝、ほとんど一人で入ってくれているヘルパーさん(ケアマネとは別事業所)が、「年末年始、いいの?全部私が入るよ?」と言ってくれて即、お願いしましたーー他のお宅もいつも通りだから気にしないで、と。。。私が変に気をまわしたせいで、この人のお仕事を無くしてしまうところだった直接話せたことで安心してお願いできたのでホッとしてます。しかし、さすがNさん!母も私も1番信頼しているヘルパーさんですケアマネに、Nさんに入ってもらう事になったと連絡すると、「そうですか。わかりましたー」といつも通りのさわやかな返事、だけど「じゃあ夕方のヘルパーはいいんですか?」とは聞かれなかった。ちょっと期待したけど(^^;)そう言ったところでヘルパー要員がいないんだから仕方ないよね。いつもなら、そういうちょっとした一言を言ってくれる人のはずなんですけどね。私の、たすけてオーラwに気付いてくれてるはずなんですけどね。これは、事業所での力関係の問題なんだなあ。ケアマネも板挟みなんだなあ。でも結局は利用者よりヘルパーが大事っつーことでしょ~?やめられたら困るもんねえ。それもわかるけどね。ちょっとショックですよ。でも、イヤイヤ来られてもコッチもイヤですよ。ほんとに働きたい人、ほんとは休みたい人、いろんな人がいてて…こりゃそれをいちいち気にしてたら保ちまへん(^^;)。今度こういう場合はビシっとケアマネに言うぞそれによって新しい事業所との契約が増えても私はぜんぜんかまわない。この先、普段だって時間数増やしてもらう可能性大だもん。利用者がちゃんと要望を伝えてビシッ!とビジネスライクにいくのがベストだよね。なんだか自己完結しちゃいましたねーーーご清聴ありがとうございました m(_ _)m
2011.12.21
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今、テレビで嵐の櫻井君が松本城の前でしゃべっとるー!映画『神様のカルテ』は松本が舞台なんですね。まる☆さんが制した(笑)城が、デデーンと映ってます(^^)。ももたろうさんは翔君とはニアミスしなかったのかしら?!自分は行ったことが無いのにテンションあがる、松本市(笑)。『神様のカルテ』、ちょっと観たくなった。義妹と、「いくら翔君でも、あの髪型はなぁ~………。」と言ってたのに。(笑)ところで、昨日のニュースで下呂温泉が豪雨で大変なことになってるのを見た。ちょうど1週間前の水曜日に宿泊してた。JR下呂駅の線路下の道路、帰りに通ったんだけど完全に冠水した映像にびっくり。。。まわりのおみやげ屋さん、大丈夫だったろうかーーー。
2011.08.24
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今朝は、いまの気持ちを書けてスッキリしました。浮き沈みの激しいブログで、ほんとすみません本当は、6月の特定疾患の継続手続きのときに、担当保健師さんに最近イライラしてしまうので通院している、ということを話したら(レスパイトの間隔をもっと短くする体制作りのため)今日の10時にケアマネさんとともに次なるレスパイト先病院の候補を調べて訪問してくれたのでそのことを書きたかったのですが、すっかり自分のことばかり書いて終わってしまいました。調べてくださった病院は、どこも『ベッドに空きが出た場合のみ受け入れ可。入院の2日前に連絡します。』『予約は不可です。』といったものでした。ケアマネさんも、「これじゃあ予定もたてられませんよね」と申し訳なさそうでしたが、いえいえ、すぐに動いてくださって感謝でいっぱいです。結局、いつものクリニックが2ヶ月後でもいいですよと言ってくださったので、お願いすることにしました。母も、安心してくれたようです。皆さんに支えられ、いろいろ試しながらがんばります!!で、さっき、ヘルパーさんの時間に買い物に行ってゲットしましたランチパックの白熊バージョンと薄皮シリーズのマンゴーはみつけられず。かわりに発見したコレ買った(^^)。ランチパックは知らない間にいろいろ出てるねえ。
2011.08.22
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6月あたりから、精神的に疲れを感じることが多くてメンタルクリニックでお薬を処方してもらっています。具体的にどういう状態になったかというとイライラしてモノに当たるすぐにカッとなる。コールにイラッとする。…結果、乱暴な介助になる。昼間は大丈夫なんだけど、夕方から夜にかけての家族のお風呂や、夕食の準備から片付けまでの時間帯のトイレ介助とその後に続くナイトケアがつらい。「こりゃイカン…」と思い、イライラに効くという『セントジョーンズワート』というサプリを1ヶ月試したけどまったく効果無し。まず、いまの体制を考え直してみた。ヘルパーさんは月~土の16時半~17時半の1時間。顔と手の清拭とトイレ介助、パジャマへの着替えをお願いしている。19時~20時に変更してもらおうかとも考えたけれど家族のお風呂時間とバッティングするのはとても困る。。。この時間だとケアの値段も上がる。だいたい、毎日イライラしている訳でもないので、専門家に相談してお薬に頼ってみる事にした。メイラックスとソラナックスという2種類の薬を処方してもらって約2ヶ月半飲んでいるけど、どーなんだろ?というカンジ。特に楽しい気分になるわけでもない。あたりまえか~(^^;)..私的には、もうアカンとは思ってないけど「お母さんがもう我慢の限界と思ったら言ってな…」と母に頼んだ。イライラした娘に介護され続けるのは心底つらいだろうからどこの『病院』か『施設』か…と真剣に考えた。こんな介護しかできんくて、へたれな娘でゴメン。私は父の子だ(>
2011.08.22
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半年程前にもおためしで借りた低圧持続吸引器。旅行の前の日に訪問看護師さんが置いてったのを試してみてたけど。ん~~…。やっぱりね。ぜんぜん、容器に溜まるほど吸えないし。母、イヤそーな顔。(笑)第一、むせずにいられてるもん。まだいらないんじゃね?…ってことではずした。確かに、寝てて口角からタラーとなってることが増えたし横向けから仰向けに体位交換した時は息を吐くのと同時にぶーぶー噴き出すのを収まるまではタオルでおさえなきゃだけど。車いすのときはたまに拭けばいけてるし。だいたいさ、母も私も『まだいい』って言ってんのに。一回、業者さんからレンタルして試し済みだからどんなもんかも分かってますって言ったのに。というのも。すごくおおげさに対応する看護師さんがひとりいて、母の『表情が違ったので気になって』とあとから電話して来たり、(そのとき言ってほすぃ。)勝手に業者にあれこれ手配したり、(呼吸器の回路の結露が気になったらしい。私にしたら、今さら。訪問の時に話して解決したはずなのに業者さんからうちに電話がきた。『大丈夫なんで…』と説明してむこうも『そうなんですか?』的な。)今回の吸引器も、その人のよかれと思っての結果なんだけどもっと落ち着いてほしいよ。だいたい、母と私の意見は無視かよっ。えっ?その看護師さんに限ってだけどもう、私からしたらオオカミ少年化してる~。ちょっとのことであら大変、まあ大変、て言われるのもへこむぜ。でわ、今日はゴマ太のアップでさようなら。
2011.06.15
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家電って、壊れないと買い替えれませんよね。洗濯機、前からへんな音がしていたのですが…無視して使ってました。したら、こんだフタを閉めても注水が始まらない。普通、たたいてみますよね。バン!バン!バス!水、でた(^^)v2ヶ月程だましだまし使ってましたがいよいよ、ダメになりました。近所の友が引っ越すときにくれて、全自動におおはしゃぎしたっけ…。我が家に来てからも6年間、毎日ごくろうさまでした 家電は続くといいますよね~。つぎは冷蔵庫か?掃除機か?冷蔵庫は結婚したときに買ったやつ、18年もの。絶好調。だけど電気代すごいんだろうなー。掃除機はホースが破れて1回買い替えた。『もー安けりゃいい!』と店でいっちばん安いの。お金さえあればHenryが欲しかった。。。マジックで目を書いてみたのも遠い思い出。壊れません。よく働きます。でも、サイクロンええなあ~。壊れへんなかあ~。(笑)
2011.06.06
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どうしたら、『いつも、常に』 優しい気持ちで居れるか?考えてみた。考えて、考えてつきつめていったらやっぱり優しさは強さだと思った。ほんとうに強い人は、いつもニコニコしてるそれが自分としてあたりまえだと思っている人。一見、強く出れなくて、遠慮がちで気の弱い人と思われるかもしれないけど ひとを許す ひとのきもちを推し量ることができる、優しい人だ。びくともしない強い心が欲しい。自分のすべてが大事すぎてグラグラしてるこの心はここに置いて行こう。
2011.05.25
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とにかく節電と募金ですね。阪神淡路の震災をうわまわる人数の方が亡くなっているなんて思っていませんでした。。。
2011.03.14
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前回はたくさんのコメントありがとうございました。心配してくださる気持ちが心にしみました入れ歯ができあがってきまして、装着したらとたんに母に笑顔が戻りました。母に「よかったな~」と言いながら泣いてしまい、母も号泣。。。それにしても、いちばんつらい時に母のつらさを受け入れてあげられなくて自分のふがいなさを痛感したできごとでした。
2011.03.10
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きのうは6ヶ月ぶりの刀根山病院受診でした。血液ガスの検査と聴診。ガスの結果は良く、ひと安心。診察の帰り際、『ALSにおける気管切開人工呼吸療法選択に関する日米比較研究』のためのアンケートを頼まれた。「日米間、各地域間、さらには病院間にさえも気管切開による人工呼吸療法(TIV)の選択におおきな違いがある」らしくその背景となる要因をきちんと把握する必要性があるのでアンケートにご協力を、ということらしいです。「シリアスな内容もあるから、無理にはいいからね」と先生。私は、母の今の気持ちを確認するのに、ちょうど良い機会だと思った。診察室で先生と父と私で「今の気持ちとして、付けたいと思ってる?」と聞くと『ノー』の合図だった 全員、『そっかーーーー』という表情。。。帰って見てみたら、アンケート用紙の内容はかなり濃い。「付けない理由」として経済的なこと、宗教的なこと、コミュニケーション能力を失う事が怖いから、家族の負担が大きくなるから、そのときが運命だから。。。など、たくさんの項目がある。読んでいると洗脳されそう もちろん「付ける理由」もたくさん項目があるんですが。私はお母さんの決めた事には絶対従うと決めてる。だから考えを変えてほしいな~。母のベッドまわりです。窓から冷気がおりてくるのでまるりんさん推奨のプチプチを壁側からぐるりと装着しています。良いカンジだそうです
2011.02.08
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斜め向かいの家のばあさんは会えばいつもあいさつがわりに「お母さん、どう?」と聞いてくる。正直、「どう?」ってきかれてもどうこたえればいいんだか困る。母の病気が難病という事は知ってるのに。それを聞いてなんなのと思う。いつも「まあ、ぼちぼちです。ありがとうございます。」なんて作り笑いで答えていたけど、昨日のゴミ出しの時に、『ああ。今日は会ってしまった』と思いつつ「おはようございま~す」とすれ違おうとしたら「おはようございます。お母さん、どう?」ときた。イラ。プチ。「はあ、まあ。。」とだけ、顔も見ず答えて足早に帰った。たぶん顔も笑えてなかったと思う。けど、もういいや。あの人はいい人ぶってるだけだから。ここの夫婦とは極力関わりたくない。8年程前に車の停め方でうちとトラブルがあって以来じいさんなんてこっちがあいさつしても無視だもん 母が在宅療養することになった時訪問入浴の車を停める場所や、なにかしら人の出入りが増える事でとなり近所にご迷惑をかけることをおわびしてお願いしてまわった。その時もばあさんはソトヅラがいいから、「そう、、、、。たいへんやけど頑張りや!」と言ってたけどじいさんに夏のある日「もっと寄せて停めーや」と車の窓から言われ、助手席のばあさんは「みんな言うてはるよ。もっと寄せたら良いのにって」と。確かに、狭い道だから迷惑かけてるのは間違いない。それまで看護師さんによってまちまちだったけど訪問の車には、ちょっとはなれた測道に停めてもらうように徹底してもらった。じいさんの言う事は、まあ、もっともだし、いいかっこしようとはしてないから許せる。ショックをうけたのは、ばあさんの「みんな言ってる」というセリフ。そういや8年前のトラブルの時も言ってた。。。「みんな言うてはるよー?よけんでも入れれるやろって」当時は引っ越して間もなかったから「えーどうしよう」ってまじへこんだ。引っ越したいと思った。でも、うちが悪いの??ってわりきれなかったけど。また出た「みんな言うてはる」に『みんな』ってだれやねんとつっこみたかった。幼稚で卑怯なことばだ。小学生か!たしかに、古くから住んでる家同士が仲がいいのは知ってるけどばあさんの家以外の人たちとはおすそわけのやりとりとか普通に仲良くしてるし、もう気にしない。。。そんなことを言っておきながら「お母さん、どう?」なんてしらじらしい。いい人ぶりたいなら使うセリフを間違ってますよ、と言いたい。
2011.01.14
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谷村新司です。母がファンクラブ会員なので、バースデーカードが送られてきました。ベッドで横向きのときに見える位置に貼っています。大阪城ホールくらいなら行けるかも。。。コンサート連れてってあげたい。
2010.12.21
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母が口から食べなくなってこのまま唾液の吸引が必要になるのかと思いきや、よだれがたれてしまうのは車いすに座っているときだけなので幸い以前と変わらない状態が続いています。体位交換は昼間は2時間おき、夜間はエアマットにおまかせ。夜間は1時30分と4時30分に目覚ましかけて様子を見に起きていたのですが、入れ歯をはずすことにしてから「マスクのしたきつめにしといて。3じにきてくれたらいい。」と。今、めっちゃラクです。。。介護を始めた時は、3度の食事の準備(きざみ食とおかゆ)や食事介助と夜間の体位交換6回という今おもうとよくやってたなという介護してた。いろいろなことをあきらめて選択した結果こうなりました。みんなの大変さを思って母が決めてくれたことだから、ありがたく思います ほんとうは今でも口から味わいたいと思ってるだろうし唾液が飲み込めるんだからまだいけるものもあるはずと思いつつ「むせる。」というので無理には口に入れないけど。。。母の強さというか、親の愛かなと思うのであまり無理強いせずありがたく思いつつ、その分私がいつも笑顔で母に接することが一番と思ってがんばってます。受け身介護だった母が、周りをおもって自分から提案してくれるようになったのは母自身もやっと精神的にゆとりが持てるようになってきたからと思います。体の状態は変わる。けど、それに対してみんながなんとかしていってくれるはずだから大丈夫という安心感を母が持ち始めてくれたように思います。私の時間と体力に余裕が出来たので、おでかけも増えました。先週はまたまた介護タクシーで妹宅へ母は初めての訪問。1歳8ヶ月の甥っ子が母の足にトミカを走らせて(笑)母も楽しそうでした。帰って「たのしかった~。ありがとう」と「~」つきで打ってあったのが嬉しかった(笑)。近所の散歩も日課になりつつあり、訪問のない曜日の午後は40分程ウロウロしています。これからまだまだ介護形態は変わって行くだろうし、家族の生活様式も変わるだろうな。進行に伴ってたいへんな介護に突入する時期がきっとまた来るけれど今、母とのんびり過ごせるこの時間を有効に使いたいと思います。ただし独りよがりにならないよう、よく考えて///!
2010.12.06
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5年生の次女の運動会は26日 2年前まで、5年生は6年生とともに組立体操だったのに去年から、なぜだかふつうのダンスになっちゃってすっごく残念 本人は喜んでる 曰く「組体、いやや~。」そして、嵐の『モンスター』で踊るらしい。先生の趣味やな...。私も昔々、ヒデキのYMCAを踊った思い出がある。先生の趣味やったんやろうな...。そういえば嵐のコンサート、6人ともチケットゲットならず でした。。。国立の映像をTVで観た義妹は「キー!」と言わんばかりだった。転売目的で何名義分もファンクラブに入ってチケットとってるひとがおるのだ(怒)!本当に行きたい人が正規の値段で行けなくなってるなんてーー ジャニーズ事務所さん、がんばって取り締まってほしいなあ。
2010.09.14
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今年中学生になった長女はブラスバンド部に入った 私も中学のときブラスバンド部に入っていたから、娘が「部活ブラバンにする」と言った時嬉しかった。4月の保護者説明会で2,3年生が演奏してくれた、ルパン三世のテーマを聴いてジーーン かあっっけーーーーああーー私も入部したい・・・。市内のコンクールで5年連続優勝しているだけあって、さすがでした。そして先生の厳しさも、さすが。2,3年生を見れば分かります、しつけが行き届いていらっしゃいます。ここは宝塚音楽学校か。でも、娘が持って帰ってきていた手作りの部活紹介パンフには『恋の悩みも相談できちゃう先生でーす』風に書かれていた(男性)。とにかく、チームワーク&連帯責任を重んじているようです。朝練あり、土曜日も練習あり、塾や習い事はクラブの時間に重ならないよう、等保護者にもきっちり説明がありまひた。それらを了承のうえで入部してね!、、、という説明会でした。あれから2ヶ月、パーカッションでがんばっています。正直、第一希望でパーカッションてのが意外で・・・。自分の時は楽器が足りなくてパーカッションにしばらくいた思い出があります。ティンパニーを運ぶのが大変だった思い出しかなくて 2年の時に希望してクラリネットにパートがえしてもらったので「ほほーパーカッションか・・・。」と思いましたが、大人になってみればパーカッションのかっこよさはスゴくわかります。中学生でそのよさがわかっている娘を、『なかなかやるな』と思ったんですがよくよく聞いたら「パートリーダーの先輩がおもしろかったから」という理由だった しかも、3人の枠に4人希望してきて、一人は泣く泣く他の楽器に移ったと!私らの時からは考えられない。どんなに魅力的な先輩なのか、見てみたい・・・。毎日楽しく通っているのでまずは一安心、8月の公演が楽しみです その前に期末テストが火曜日からあるのにテスト前で部活が休みなので完全に気がゆるんどる~。ずっとWiiしまくり。気持ちはわかるが、あと1日しかないのに大丈夫か?
2010.06.27
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前回のブログにコメント頂き、ありがとうございました。ずっとウジウジ思っていたことを思い切って書いてよかったです。感謝 読み返してみて、恥ずかしくなったりしております。(いまさら )母に前向きに生きる気がないと批判しつつ、結局は、『私がこんなに大変な介護をしているのにーー!』にいきつくわけで・・・皆さんの励ましコメントに泣きました。そして生きる楽しみ見つけてくれないと、いま公言している通り呼吸器付けずに死んでしまうんじゃないかという焦り。『生きる楽しみ』の前に、介護の負担に遠慮せず呼吸器を選択してくれるように私や介護体制に余裕を感じて安心してもらうことが大事と思う。母に対してうんぬん考えてる場合じゃないね。
2010.06.20
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今、訪問看護師さんが帰り、母DVDを鑑賞中。実は、母の伝の心はかなり前からネットに繋がっています。伝の心をゲットするまでは、ネットで同病の人たちの日々のブログなどを読めば母のなんらかの励みになるに違いない!と意気込んでいた、私。だって私がそうだったから。皆のブログに救われたから でも、はじめにALS協会の会員のかたのホームページを「他の人たちはこんな風に過ごしてはるんやな~」なんて、一緒に見ていたら、母がある人の手記で泣き出した。それが4月の終わり頃。以来、楽しい話題のブログはたまに、「見てみる?」と聞くと見るけど、自分からインターネットで外の世界と繋がりたい、知りたいという気持ちは伝わってこない。母は、ALSのことも、過去の人との繋がりのことも、考えるとつらいからずっと考えないようにしてる。友達のお見舞いはずっと拒否し続けている。入院中は居場所がわかっているのでお友達も来たりしていたが後で父が「○○サン、お見舞いおしかけちゃってごめんね、って言うてたで。」と言うのを聞いて、お母さんつらかったんだなあと思った。私が病院にいない時に来られたんだけど、きっと母の表情から気持ちがわかったんだと思う。来てくれて嬉しいと思う余裕など母にはなく、もちろんお友達は励ましにきてくれたのだけどもあまりの母の状態に励ますことばもなく返り討ち。いまも「○○さんとか・・会いたかったら連絡するで・・?」と聞いても、答えはノー 過去のつながりを断ち、かといってこれからのことを自分で見据えようともしない。きっとこれは娘だから思ってしまうことだと思う。自分の親は立派な人であってほしい、たとえどんな時でも前向きであって欲しい。そしてもっと物事をしきってほしい。前のお母さんのように。母には言えないけど、そんな悶々とした気持ちがわき上がって来る時がある。そしてそれは自分が疲れているときだ 介護しがいのある人になってよ!って思う、私は何様だ。母のすべてを受け入れる覚悟で在宅療養をはじめたはずなのに 母にモヤモヤ自分にモヤモヤ・・・。日々のルーティンワークに慣れてきたせいで、遠くのことを見すぎているのかな。でも、こうしてここに書き込むことで私は冷静になれるし、気持ちがラクになる。こういうの、お母さんにも必要なんじゃ・・・?・・ってまた!
2010.06.18
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胃ろうの交換の為、今日から二泊三日で母入院です。去年の12月24日に胃ろう造設し、はじめての交換。久しぶりの大学病院。告知の時から担当してくれている優しい看護師さんのおかげで不安なく入院手続きや母の体のことをあれこれお願いすることができた。ナースコールが押せるか、が一番心配だったけどおおきなスイッチに替えてもらってなんとか押せた。前回の入院から一番の変化は言葉でのコミュニケーションがとれなくなったことだった。「このあいだはお話できてましたもんね・・」と言われ、そうだっけなあ、と思い返す。お母さん、いつ頃から話せなくなったっけ。『つめ』がわかってあげられなくてショックだったのは覚えてるんやけど。母の体の変化にショックを受けつつも・・けっこうすぐに受け入れている自分に気づいた。これからも進行は進むだろうけど、お母さんはずっとお母さん。お母さん自身もそんな自分を受け入れ続けて欲しいなあ。言い方は悪いけどお母さんが思ってるほど私はお母さんの体の変化を嘆き悲しんでないのかもしれない。いつまでも悲しんでいたって仕方ない。もう、そういう病気なんやから、そうきたら次の手段を考えるまでだ。きつい娘だねーーー(汗)大丈夫、大丈夫。なんとかなる!胃ろうバージョンアップして元気に帰ろう!
2010.06.09
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川口有美子さんの『逝かない身体』読みました。たぶん他の人とはズレた感想だと思うけど、読んで良かった。「父」が介護に関われないのは我が家だけではない、「うちの父」だけじゃない、という安心感 とでもいうのかなー。ホッ、と肩の荷がおりたような感覚になった。やっぱり自分の父親の人間性を否定しつづけるのはしんどいね 私もじつの母の介護だから川口さんの気持ちがよくわかるところも多かった。まずは母の気持ちを究極まで読み取れるようがんばりたい
2010.02.22
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なんだか、あっというまの1ヶ月だった。この1ヶ月でわかったことは私が思うより母の意志は固く、母は『母』だということ。母が病のせいで自分の身の回りのことができなくなるにつれて、私には、母が自分の子どものように感じられるような、「そばにいたい。私が守らな。」という感情がわいてきて『親の言うことききなさい』的な押しつけを母にしていたように思う。自分も同居親の介護で苦労してきた母のことやからすんなり来てくれるとは思わなかったけど、これほどまでとは思ってなかった。実際には母にがっちり守られているのです そして、なぜこのタイミングかはわからないけど在宅を口にした父。母は父のこれからの行動で、父の本気を見極めようとしている。「とりあえず帰って来たら?」という言葉ではとてもね・・・「お母さんをつれて帰ろう。だから、みんなにも協力して欲しい。」と言ってくれたらどんなに嬉しいだろう。とにかく、父が『介護の大変さをちゃんと覚悟したうえでないと帰らない』というのが母の気持ち。それだけは母からの依頼を受けて父に伝えた。それからのことは「お父さんが考えて、動いて欲しい 」と。せつないです。きっと期待もしていないだろうのに、父のことを試しているような・・・。意味のないようなことだけど、母にはハッキリさせておきたい大事なことなんだろうな。父に誠意があるなら母に必ず伝わるだろうし、ないならそれでも仕方がないと、母は覚悟しています。コメントくださったみなさん、ありがとうございます。ことの全体をみて意見書いてくださって、とてもありがたかったです。少し距離をおいて見るのも大事と思いました。私が出過ぎることで父が母のことに関わりにくく感じているのかもしれません 『いつでも駆けつけるよ!!オーラ』は出しつつ・・・母の愚痴を聞きつつ・・(これ大事ですね。あくまでも「愚痴」として聞く・・。)父の動向を見守ることにします。
2010.01.31
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父は母にも自分が仕事を辞めて介護すると言ってるらしい。母としては、「できることなら帰りたい。でも、お父さんが前のようでは耐えられへんな。また、仕事辞めてワシがみると言ってるけど、大変さを覚悟しているようには見えへんなぁ・・・ 」と泣いていた 私は、「私はお父さんは無理やと思ってる。 ・・・次も病院か、うちに来るか、二択やで。」と伝えた。だって、母を本当に連れて帰りたいのなら、まず誰かに相談するやろー?でも次のアクションがない。・・・てことは本気じゃないんやろ?ただの考えてるポーズ。これは母も同意見。母の部屋にする予定の部屋の引っ越しや住宅改修費用、ポータブルトイレ購入のお金やレンタル品などすぐにいるであろう物にかかるお金の事を父にお願いした時にもまだ「それはもちろんいいねんけど、お父さんが会社辞めて・・」って言ってた。ハイハイ・・・ そして、ややこしいことに母が「そこまで言うんやったらお父さんにやってもらう」と言い出した。父が、自分は看る気もないのに最後までええかっこして「ワシが看るってゆうたのに、無理って言われて・・」的にこのまま気楽にいるのが許せないらしい。でもそのあと、「でもなあ。お母さんが決めたらええって言われたけど・・・なあ・・。 こっちにふられてもなぁ お父さんは結局なんにも決められへん人や」諦めの母 それなら、無理なら無理で母にひと言「悪いけど、やっぱりワシには無理やわ、スマン」と言うたらいいのに。・・・と母に言うとうなづいていた。私は「お母さん、それで納得してくれる? もし、ほんまにお父さんとの生活をはじめても、 悪いけど、私ささえていく自信ないわ。 たぶんまたお母さんからお父さんのこと聞かされたら お父さんにキレて・・・ってなるやろ。 それがすごいストレスやねん。しんどいねん。」とぶっちゃけた。できない事を母も私も他の家族もいまさら責めるつもりはない。人に言われたから、とか、あの子らが決めた事やからなあ、とかいつも父は逃げ口上を探して生きている気がする。でも・・・話の途中でハッとした。母に決めるよう言ってるのは私も同じだ。母が自分から一緒に住みたいなんて絶対いわない気がしてきた。『母の希望もあって・・・』なんて、そんな免罪符のようなもの必要なのかな。でも、胃ろうも母の本音としては嫌だったんだと思う・・・。リハの先生に冗談っぽくつっこまれて笑い泣きしてたけど本当にほんとうは嫌だったんじゃないかな。自然にいきたいという母の意志に反していたんじゃないかな・・。あ~グルグルグルグル 「生きる気力」が母から感じられないのが一番つらいから、なにかしたい。『同居』もその手段と思ってるんだけど・・・。考えがあちこちにいってしまってます。
2010.01.28
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母の言葉が聞き取りづらくなってさみしいのは、雑談がへっちゃったこと。たわいもない話がなかなかできなくなった。母が何か言いかけると、つい、『何かしてもらいことがあるんだ』という前提で聞こうとしてしまう だから、突然話が始まっても「ニューヨーク」なんて単語にはいきあたらず、「う、う?うごく?動きたい?」なんてことに このとき母は、自分と話すのは「ニューヨークと話すくらい時差がある」という事を言いたかったのです でも、そこまで苦労して伝えるようなことでもないと思ってしまうのか、雑談の時は途中であきらめてしまうことが多々あり。「お母さん、あきらめたらあかーん」とむりやり話の最後のオチまで聞き出すことも多々あり。でも、また雑談のつもりで「うんうん、何?」と軽いノリで聞いているとほんとにどこかが痛くて緊急のことだったりして そういう時は母がどんどん泣き顔になってしまうので「わー!ごめんごめん 」てなことになります。聞き手がどちらモードでいたほうが、聞き返された時にお母さんのガッカリ感は少ないでしょうか・・・
2010.01.19
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すみません。新年早々、しかも1週間ぶりの更新で愚痴です。年末に年内最大の決断をした私ですが・・・いまその情熱がどこかへいってしまいふぬけております。体力なさ過ぎ。足腰が痛い。なぜか太ももがしびれてつらい。精神的にもなにやらやる気がどこかへ・・・。もし母が家にいて自分がこんな状態だったらと思うとぞっとします。母だけじゃない。子どもらと旦那の世話はどうするんだよっ。一転してマイナス思考のうずうずにはまってます・・・。さいわい、昨日より体調は回復しつつあります。それにしても自信喪失です。自分の体調ひとつでこんなにも皆に迷惑かけるなら大きい口をたたくな!って思いました。とにかく母との同居は私の気もちだけで、なんとかなるやろーー!?と押し切ろうとしていた訳ですから・・・。皆さんにも応援のコメントいただいたのに恥ずかしい・・・。母の胃ろうは順調であさって、大学病院から刀根山にいったん戻ります。同居の話は母が「病院が一番やで」と言ったところで止まっています・・・。このままいけば、次は刀根山のMSWさんと相談していた病院に3ヶ月、ということになるでしょう。子育てと介護は無理なん?どうなん?誰ひとりも私を責める人はいないのに勝手に「こうしたい!」「やっぱり無理かも・・」って、アホです。しかも、周りをおもいっきりまきこんで、です。みんな、いろいろごめんな。でもきっと、お母さんの顔見たらまた気持ちが・・・。自分がどうしたいのか分からんようになってきたわ。なにができてなにがでけへんのかも。まだまだアカンなー。まだまだやわーーー。
2010.01.04
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ここのところ、『母を我が家で在宅介護したい』思いがムクムクとわき上がってきている。12月に入ってから病気の進行がすすんでいるのがわかる 病院でもよく泣いている母の顔を見ているからそのまま帰るのがつらい。せめて家なら何メートルかの距離にいられるのになあ・・というのが単純だけど素直な自分の気持ち。もちろん進行は止められる訳ではないしその事に対するフォローもできないかもしれないし 充分な介護はできないかもしれないし うちにいる事で母が余計に心労をかかえてしまうだろうし・・・。でもこのままじゃ なんかイヤなんです。ずっと悶々と頭の中で考えていた。そんな私の脳内プラン。もしベッドをおくとしたらどの部屋にするか。2階への階段は私だけじゃ無理やし、やっぱ1階か。お風呂はとりあえずデイサービスで週2は確保。トイレはポータブルで。ドアは改修してもらう。コールもとりつける。もちろん、ヘルパーさんに入ってもらう。クリスマスの夜、パパに相談した。「うん、いいで。いつー? で、ベッドどこに置くよ?」ホッ・・よかった 基本的に、ひと付き合いが苦手な夫。私がやきもきするくらい、自分の実家にもそっけない夫。こういう話するの正直、不安やったけどあっさり快諾してくれた。あとは 私がどれだけできるのかだー。ははは・・・プレッシャー (笑)。昨日、母に「なぁ、お母さん。うちに来て?」と言ってみた。ちょっと軽めのノリで。でも具体的に、私のプランを説明した。 ちょうど父も来ていたので「あいてる部屋にうちのタンス置かせて」と言うと「それはかまへんけど・・。そんなん○○ちゃん(夫)にも 迷惑かけるし・・。お父さんが仕事やめてお母さんみても いいと思ってんねん。ただお母さんの食事が心配やねん。」・・・。あいかわらずトンチンカンなこと言ってるなあ。「私が心配してんのはそんなことちゃうわ。 もう、お父さんには全部無理ってはっきりしてるやん。」この期に及んで、まだいいカッコしようとする父にムカついた が、もう 無視、無視母のための経済的な事だけキチンとしてくれればいい。母は涙ぐんで、1分くらいじっと考えていたけど答えは『NO』だった。 「病院が一番やで。慣れたらええねんから。」と。でも、そんなん、説得力ないわ~お母さん *1・・・私が自分の気持ちに素直になったらこうなってしまうんやから・・・。ここはひとつ、私のわがままってことでダメかな?もちろん、ヘルパーさんもデイサービスもレスパイトも使わせてもらうよ。入院してるよりお金も使わせてしまうと思うけど・・・。・・・*2*1~*2は 私の心の声 はじめから あんまり押してもね。帰り際にもう一回「同居の事、考えといてなー。」と言ったら、少し笑って右手をゆらゆらとふってくれた。まず一歩か・・・。
2009.12.27
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お~そ~い~パソコンのことではありません。パソコンもめっちゃおそいけど胃ろうの手術日、大学病院からまだ連絡ありません 12月19日に豊橋のいとこの結婚式があって母もつれて行く予定なのに 外来のN先生は結婚式に間に合うように「11月下旬に手術できたら行けるからー・・」と段取りして下さっていたのだけどどうも予定通りに順番がまわってこないらしいです 豊橋にはおばあちゃん(母の母)もいるから母は行って会いたいと思ってるはず。おばあちゃんはかなりぼけてきてて会っても誰か分からないかもしれないけど。やきもきやきもきです。いっそここまできたら、帰ってからにしてもらうか。2週間延ばしたからって呼吸の状態が急に悪くなるとは思えないし~。・・などと勝手にいろいろ考えたり・・・でもまあ、結婚式は無理だったとしても・・・。おばあちゃんには会いに連れて行くよ!
2009.11.29
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今日は母の誕生日63さいになりました。日曜日に甥っ子達が渡したお手紙(絵入り)と、今日娘達からあずかったお手紙(マンガ入り)をベッド柵に貼りました。母、しばし号泣~日曜日には弟と甥っ子(3年生)と妹夫婦と甥っ子(8ヶ月)がケーキもってきてくれたと嬉しそうに言っていた弟の下の子(年少さん)は新型インフルエンザでダウンしてた我が家は15日はパパの誕生日パーティちなみに16日は義妹の誕生日そして17日は母、と誕生日続きだ父は昨日の夕方、洗濯物をとりに病院に顔をだしたらしい。どんなやり取りだったかは詳しく聞かなかったが。持ってきてくれたCDがカラオケバージョンのやつで、母は「もー、またや~」と言ってたけど私は父がCD持って、『来た』ということがうれしかった。自らなのか、母に頼まれていたからなのかは分からないけど。ちょうどそのころ私は母の外出用の服をとりに実家へ寄っていた。見たら明日の朝のパンないやん・・・。パン屋に行ってあんぱんとチーズパン買って、おいてきた。一応、置き手紙に『お母さんの上着とズボン一枚ずつ持って行く ○○より』と書いておいた。はじめは文章の最後に『ね』を着けたけど・・・なんとなくしゃくだったので書き直した・・・14日のブログにたくさんのコメントありがとうございました。お返事書きながら気持ちが整理できましたなにもかもまだまだこれから、もっとたいへんなことももっと深刻な場面もあると思うけど、ぶつかりながらでも父とは離れることはないんだろうといまは思っています。私が思っている以上に父は母を、母は父を必要としているんでしょう。コメントにも頂いたように、夫婦にはそれぞれその夫婦にしかないつながりがあるんでしょう。私にはお互いもうイヤ!っていうふうにしか見えなかったんですけどいつも愚痴ばっかですみません。これからもよろしくお願いします
2009.11.17
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母が火曜日に入院してから会いに行けてないけどおととい、昨日、今日とメールが届いた子ども達の体調はどう?とか、修学旅行は行けそう?とか熱のことを心配したら、金曜日の返信には『お父さんがDVDデッキを持ってきてくれたので谷村(しんじ)を 聴いてリラックスしています。』とあった。きのうは『車椅子用のクッション欲しい。尻われた。』そして今日は『クッションいつでもいいよ。大丈夫だから。 われた所くつろいだから。』ときた。父によると、夕食もよく食べれているようだし、まずは一安心かな介護のことを病院におまかせできてほっとして考えてしまうことは、病気の進行のことだ。でももしかしたらいままでの在宅の環境で母が諦めていたことも病院での療養生活の中でならやってみようと思ってくれるかも・・・。私の勝手な考えやけど気切のことも、家族に迷惑かけるからしたくないというのが一番の理由なら病院で診てもらえるのなら生きようと思ってくれるかも・・なんて、ほんまに私のエゴやけど。まだまだ小さい孫達の成長を見てやってほしいなと思う。これからは、できるだけいろんなところに連れて行きたい。家からは無理だったけど病室から少し散歩に行ったりスーパーで買い物したり、そんな些細なこと。このへんなら、知ってる人にも会わへんしねむしろ今病院にいるからこそできることを見つけようと思う
2009.11.01
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ゆうべは、(実家へ)泊まりの日だった。ここのところ、父に対する母の気持ちは『お母さんは家にいた方がいい』という父の言葉で落ちついてきているように思う。父の態度はきっとなんにも変わってないだろうからそれを受けとめる側の母の気持ちが変わったんだと思う。父の言葉を信じて、多少(じゃないけど)のことは気にしないと言う。何かひとつ乗り越えたのか?このごろ笑顔の多い母。そして、いいときも悪いときも母の心境にブンブン振り回されてしまう私は、ゆうべ実家へ行く途中コンビニで酎ハイを仕入れて行った。ちょっと酎ハイでも飲みながら少し父と話したくなったのだいまの我が家は少しかも・・・。ことばが伴ってないけど父の本当の気持ちが分かったから。父がイライラを隠せないのはしょうがないと思おうかとにかく、今の状態は母のガマン・・というか寛容な考え方で保ってる。すごく危ういです。そこは気を掛けていないとね。
2009.10.02
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金曜日に母が「トイレ連れて行ってもらったとき、 お父さんが(車椅子から) 『さあ、立って』って肩に手をポンと 置くねん。なんか笑けてきて、 『おとうさん~む~り~(笑)』ってゆうたわ(笑)」という話をした。もう、あきれて笑けたらしい。父は母がまだひとりで安全に車椅子から便座へ座れると思っているのか~・・・?それにきっとまた、ベストのポジションに車椅子を停めてくれなかったんだろう。以前、母が「お父さん、これじゃ・・」と言いかけたら舌打ちして、ぷいっとむこうの部屋へ行ってしまうということがあったときいたが・・・。先日、ついにバランスを崩して便座の横に転倒した、と。その時は父はそばいにいて、一緒に転倒し母の上にこけてきたらしい幸い、弟がいるときで良かった父一人ではおこせなかったかも。っていうか弟がいたから、ちゃんとそばにいたのかも父ひとりだけだったら、またほったらかしだったんじゃないのはっきり言って私はぜんぜん父を信用してない。例えば母のトイレ介助は車椅子の停車位置がまず大事。トイレドアのノブを持って立つから、ちょうど母の手がノブに届いて、なおかつ立ち上がる為にちょうど良い距離でないと足が踏ん張れず立ち上がれない。立ち上がりに限らず、この『ちょうど良い距離』、『ちょうど良い強さ』などなど、よりよい介護の為にはピンポイントの『ココ!!』というところがある。母の身体の状態が変わればそれに合わせて介助方法も変わって行くけど、それを覚えるのはそんなに大変なことではない(と思う。)。それを父だけが未だ覚えられない。覚える気がない。いまだに『オレ流』で貫き通す介護だ。結局は力づくだ。母の握力は落ちてきてるし足の力も弱くなってきてるのをちゃんとわかってんのかな。母曰く、「毎日いろんなパターンでくる」から、「いっつもダメな訳じゃない。たまにうまくいく。 そのときは今のいいって言うけど、それを覚えてくれる気がないねん。 今日はどの手でくるんか、だんだん楽しみになってきた(笑)」はあ~。お母さんが大丈夫ならいいけど。今日の母はポジティブ思考だ。とにかく、父が母に言ったNGワードは私に逐一報告するように言ってある。母も、父に口止めされた!と言いつつも言ってくるから(^^)、私が知らないことはないとは思っている。母が言うように右から左に聞き流して良いのか、判断に困ることもしばしば。そして報告を『母の愚痴』として終わらせていいのか?私としてはただのひと言も許せないんだけど母は、「お父さんは、あからさまにいやいや介護して、 私が施設に入るように私や皆が判断するように しむけてるんやと思ってた。 けど、こないだ家におったほうがいいって言ってたからな・・。 お父さんがいろいろ私に言うのはほんまに悪気が無いん かもしれん。天然なんやろ。」 はあ~。 お母さんがそういう風に思うならそりゃそれが一番いいけど・・・。天然やからって、悪気が無いからって思っててもやっぱこっちは傷つくでしょー!っていうか、母も気分によってずいぶん父に好意的だー・・・。こうして日記付けてると後から読み返してよく分かる。今は好意的に思ってても、同じセリフにズーンと傷ついて落ち込む時期がまたくるものだ。そうは言っても母が笑顔だとストレスもふっとぶ~何度も言うけど私は父を信用してない。お母さん、お父さんのこと買いかぶり過ぎじゃないかなあでも、そうとでも思わなくちゃ理解できない父の言動。言うこととやってることがめちゃくちゃだ。ほんとうに母と家で暮らしたいなら、もっとほかにお母さんにかけるべき言葉があるでしょう。私たちの見てないところで母に思いやりを持った接し方をして欲しい。母を大事に思うなら、夫としての誇りを持て!と言いたい。母を守るのは自分だと皆に宣言してみろ!!男だろーーっ!
2009.09.27
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今日からシルバーウィークですね。我が家は、名神高速道路の測道脇にあるんですが・・・、朝からうるさいよおー!クルマの走行する音は全然気にならないんです。ヘリがうるさーい んです!渋滞情報を収集しているんだろうね。朝の早よからバリバリバリバリ何機もやってきますよお。昨夜はパトカーも頻繁に走ってました。みなさん安全運転で連休楽しんで下さいね
2009.09.19
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今の母の在宅介護体制6:00~9:00 (着替え・トイレ・朝食) 毎日 父 9:00~16:00 (洗濯物干し・掃除・昼食・お風呂・ 夕食のしたく・トイレなど) 月、金 私 火、木 義妹 水、土 デイサービス 日 父 水曜日の夕食は父が会社帰りに買ってきたり、 レトルトのおかずや冷凍のグラタンなどなど用意。 日曜日の夕食は弟一家(義妹)が用意して一緒に 食べてくれている。16:00~22:00 (夕食・トイレなど) 毎日 父 21:00頃からBiPAP。4時間くらい寝ながらつける。22:00~6:00 (寝返り介助) 月・水・金 父 日・火・木 私 土 弟 こんな感じでやってる。つくづく、きょうだいが近くに住んでて良かったと思うわ妹も泊まりに入ると言ってくれたけど、授乳&寝返り介助?!気持ちだけ頂いときます、サンキュー! 今は、少しでも母と一緒の時間を大切にしたいと思う。もし、父と私だけの介護なら疲れきってそんなふうには思えないんだろうなあ・・・。義妹がすごく助けてくれるし、弟も妹もみんなが精一杯協力してくれてる。私は自分でも不思議なくらい元気ですそのぶん誰かがしんどいはずやと思ってますが・・。みんなダイジョブ?
2009.09.10
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今日は夏休み明け一発目の仕事だった。完全に体がなまっとったな~。みんなのスピードについていくので必死けど、やっぱ店は楽しいわ。若い子達の元気を分けてもらった。ってか、吸いとった。 ふふ・・・仕事もやけど、学校の行事や、母の状態の変化への対応とかで忙しくなりそうな これから。それぞれに気持ちも切り替えられるから忙しいのは 苦じゃない。もち、一番は子どもとパパのことそして 父と母のこと仕事や役員仕事は二の次ですが、できる範囲で あれこれしながらやっていこうと思う《通達》みんなも無理のない範囲で 母の介護にあたるように。しんどうなったら 私まで 言うように。よろしくねっ 姉より
2009.09.05
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ちょっと重い話。いま母は気管切開と人工呼吸器は希望しないと言っている。私も今は、そう思うのであればそれでいいと思っている。その時になって「やっぱり着ける」ってなればもちろんこっちにしたら「待ってました!!」ってことになるんだけど。今の母は、残された時間をどう生きるかよりもどうすれば早く死ねるかということばかり考えている。「どうやったら早よ逝けるんやろうなあ」と言われると、なにをしててもやりきれない気持ちになるましてや・・・楽天ブログの仲間を見ていると(もちろんブログには書けない想いも多いと思いますが・・・)『同じ病気でも生きる意味を見つけ出してる人たちもいるのに』的な母に対しての苛立ちのような感情を持ってしまう。先週、刀根山のM先生にも母は「もう早く逝きたいです」というようなことを訴えていた。先生が言った、「○○さんの人生は○○さんのものやけどね、家族さんのものでもあるんやからね。 言い方悪いかもしれないけど、人間死ぬまでは生きないとイカンのやから・・・ね。」この言葉で私はダメだった。それまで母のためと自分では思ってしていたあれこれが全く母の気持ちには届かずにいることに我慢ができなかった。そこに先生がふれてくれて、涙が出た。「そんなに生きてるのが嫌?」「私たち家族がこんなに頑張ってるのに、なんで!?」「迷惑かけて悪いって思ってるのは分かってるから、それならなおさら精一杯楽しみさがそうよ!」って思っちゃう・・・私の完全なエゴです。押しつけです。結局自分がかわいいんですかわいさあまって憎さ百倍ってやつです。なんでだろう~なんでだろう~~(古!)もう、なんでそうなるの!(古ッ・・)ときどき見せてくれる笑顔は母の精一杯かもしれない。でも、もうそれだけでいいや~と思おうそう思わないと母がかわいそうだもんね。自然に母が『もっと生きてみたい』と思ってくれればいい。
2009.08.25
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