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彼女に参っている、と僕は思う。それも半端なことじゃあない。かなり深くだ。もちろん中学生のような恋愛はとっくに卒業しているから、寝ても覚めても、という訳ではない。ただ同じ稽古場にいて、彼女の姿を目で追っている。目をつぶり、彼女の声を聞き入っている。それだけで僕は幸せとなる。女優と演出家という関係は、信頼がないとやっていられない。そりゃあそうだ。そんなに舞台は甘くない。半年以上もの時間を、一円の得にもならないようなものにつぎ込むのだから、おたがいに信頼し合い、一丸となって立ち向かっていかなければ意味もない。だから、そのつながりは、男女の恋愛の比ではない。お互い高みに向かわせる何か、だ。そしてその大義名分を僕は持っている。狡猾な僕はそれをうまく利用する。僕は彼女への愛の言葉を他の役者に喋らせ、そして彼女に言って欲しい台詞を喋らせる。それは何よりも幸せだ。他の役者、特に女子部の連中は、僕が彼女に肩入れするのを差別だと言う。僕もそう思う。差別だ。それは当然の行為だ。この現場は僕が作り上げている。僕が、僕の作品の為に作り上げた現場だ。僕の好きなタイプの女性に肩入れして何が悪い?飲み会の席で、いつも隣にいる彼女について、若いスタッフが「あの二人は出来ているんですか?」と尋ねたらしい。それは違う。そして別に僕はそんなことは求めていない。言ってしまえば、彼女は僕のペットなのだ。気位が高く、わがままで、一歩でも扱いを間違えるとプイとそっぽを向く、そんなペット。
2007/11/25
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またか...と彼は思う。また奴のアレがはじまった。しばらくご無沙汰だったから、もぅいい加減に収まったと思っていた。前回のあの時だって、アレのせいで団体が一つ潰れた。「いい加減にして下さいよ。僕はあなたのソレの為に活動しているんじゃあないんですからね!」ファミリーレストランでシラフで2時間ものお説教。あまりにも机を叩くものだから、隣の席はおろか、向こうに座っていたカップルまで何事かと首を伸ばしてみていたっけ。こぼれた水をペーパーで拭きながら、仕方ないじゃあないか...と首をうなだれていたのはどこのどいつだ。大体コレで何回目だと思っているんだ?4...5回目か?おぃ、ちょっと待てよ。じゃあ奴はそんなに何度もそんなコトをやってきたんじゃあないか。ちょっとおかしくないか?40歳ものジジイだぜ。そりゃあ昔はアパレル業界にいたとか、海外在住していたとか、真っ赤なスポーツカーを飛ばしていたとかなんだとか言ってるものの、今じゃあ立派な小デブのオヤジだ。奴が何を持ってる?才能は認めよう。奴は確かに面白いものを書く。うまいんだかヘタなんだかよく判らないが、よくまぁこんなことを思いつくもんだ、と感心はする。それは認めよう。でもそれ以外は?お金もない、社会的地位もない。おまけにこぶ付きだ。二人の子供たちは別れた奥さんの元で育てているらしいが、養育費だってマトモに払っていないそうだ。親として失格。男として失格。なのに、なんだ、この現状は?なんで奴はモテるんだ?いや、モテている訳じゃあない。大抵奴の方から相手の娘にイカレちまっているんだから、決してモテている訳じゃあないな。つまり奴はうまく相手を掴んじまってる。どうして?どうやって?だっておかしいだろう。奴の何処にそんな魅力がある?4人も5人も、倍近く歳の離れた娘たちをコロリと落としちまう魅力が。男には判らない魅力だなんて信じないぞ。モテる奴は他にも沢山いる。そいつらは大抵同性から観ても、こいつはモテるだろうなぁ...と判るもの。容姿だけに留まらず、性格、所作、どんなポイントだって判るものさ。しかし、奴にはそれがない。まぁ皆無だとは言わない。面影は確かにある。しかしそれはもぅ10年前の話だ。かすかな面影、に過ぎない。...まぁいい。これ以上彼の解剖は。意味がない。意味があってたまるか、そんなもん。問題は、だ。奴のアレをどうするか。放っておくのか?取り締まるのか?...どうするべきなのか。
2007/11/23
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supasupaに行く途中、渋滞する八木山の道路にて苛ついていると シュッシューッ・シューッ・・・と何やら不気味な音 車窓から首を延ばしてみると、70代ぐらいの女性がベランダにいる蟲を殺虫剤で虐殺している 確かにそこはあなたの敷地内なんだから、ソレを主張するのはいいけれど、外なんだからさぁ。 確かに縄張りは自然界にもあり、その基本は弱肉強食なのだから、その女性が蟲を殺していけない、という論理にはならない。 しかし人間が他の生命体と違う部分は「過食」であり「過生産」であること。過ぎたるは...と思いますが。 まぁ僕の様にむやみな殺生は一切しない生活も難しいとは思いますが。 ちなみに蟲を平気で殺す人。きっと蟲をじっと観たことがないと思われますね。 今日も朝からじっとアブラゼミに顔を15cmくらいまで近づけてしげしげと眺めていましたが(本人は少々困惑気味でした)、見事なフォルムです。艶のある青銅色も素晴らしい。 そしてその美しさは生きているから放たれるものであると感じます。標本はあくまでも物体。僕が愛好して止まないのは生物ですから。 余談ですが、僕が子供の頃「ムシムシ大行進」という蟲紹介番組がありました。そこで得た知識が、現在の僕と蟲とのスタンスですね。愛情とは、即ち相手を知ること。 今20歳くらいの方々には、きっとそれがないでしょうが、「ムシキング」のおかげできっと今の子供たちは蟲と共存できる、そう思っております。 【本日の余談】 ナウシカが満身創痍の王蟲の子供に「ごめんね...」という台詞は、人間の傲慢が出ていてキライです。
2007/08/28
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眠れば頭痛は収まるだろうに、せっかく部屋にいるのだからと、こんな時間までせっせと「天国と地獄」の台本のチェックをしていたら、網戸にナニかがぶつかる音がする。恐る恐るベランダを覗いてみると、アブラゼミが一匹。ベランダに腰をかけてこちらをジっと観ている。「・・・・・・。」頭痛の僕と、夏の終わりのアブラゼミの会話は終始無言。こんなところで油を売ってないで、さっさとどっかナンパでもしにいけばいいのに......と思ってその姿を見ると、その羽根は破れ、心なし顔色も少し悪い。「-あぁ来るべきもんがきちまったんだな。」僕はそんなことしか思ってやれない。こればかりはどぅにもしようがない。僕に出来ることといったら、その命果てる時まで、そばにいてやることしか出来ない。そう言えば、いつの間に秋虫の音が、夜の庭を支配している。何杯目かの珈琲をすすり重いまぶたをこすりアブラゼミのグチでも聞いてやる。自分の価値なんて、そんなもんじゃあないかねぇ。
2007/08/27
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長らくの放置の末、何の前触れもなく玲に電子郵便を送る。あれからもう半年は経っているだろうか。「久しぶり。最近様子どお?」白仮面に悪戯っぽい笑みが浮かぶ。すると間もなくして返信が。「あたしは元気です。相変わらずなの?」その変わらないモノは何なのか。それは聞きたくもない。それ以上の詮索は、またケンカの元になる。僕は言葉を慎重に選ぶことが必要だった。相変わらずのカノジョの口調。間。それは半年も前とゼンゼン変わらない。
2007/06/09
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一日中、彼女に電話をする。出ない。どこかへ行ったのか。何かあったのか。僕の耳元で悪魔たちが悪い噂話をはじめる。おかげで空も曇り、雷鳴まで聞こえる始末。発掘調査で痛めた背筋をさすりながら、僕は本屋をうろつく。そして時折電話をする。なんて哀れな姿なんだ。本日何回目かの電話の果てに、僕はもぅ息が切れる。いなくなってしまえばいいのに。本心からそんな事を想う。愛すれば愛した分だけその痛みは大きい。身体にガタがきている。それでも僕はまだ生きているのか。こんなことに何の意味があるのか。
2007/06/06
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七月のある夏の暑い日のこと。水道水に手を浸していて涼んでいた僕は、キシンクの隙間から数匹の小さな蟻が現れ、おやつにと大切に取っておいた僕の桃を食べるのを目撃した。その日から蟻は甘い匂いになった。そしてその匂い故に、彼らはもっと大きな蟲の餌食となった。大きな蟲は、甘い匂いこそしなかったものの、小さな猫の餌食となった。猫は僕に飼われていたが、僕の餌食にはならなかった。でも、どこかの車の餌食になってしまった。僕はパパとママに飼われていた訳ではなかったが、僕は高校を卒業するまで、目に見えない鎖と目に見えないプライドに締め付けられていた。それは僕の就職と共に切れるものだと思われたが、実際には僕が結婚した後まで形を変えて続いた。なにも僕は、すべての頂点に立ちたかった訳ではない。しかし還暦旅行でパパとママが乗った電車が転覆し、瓦礫の中の二人の遺体を見た時、僕はなんぴとも侵すことのできないピラミッドの頂上に立ったような感覚に襲われた。それはあまりいい気持ちではなかった。まるで不用意に積み重ねられたレンガの壁の上でダンスをするほどの危うさを秘めており、僕はその日のうちから超人的なバランス感覚を強いられた。そしてそれは一〇年間続いた。永遠に続けられるようなことでも、所詮はこの世界のこと。哀れな王様は、何の前触れもなく、心臓の病気でぽっくり逝ってしまった。つまりこの僕の三十数年に及ぶ人生は、蟻のようでも大きな蟲のようでも、また猫のようでもあった訳だ。僕は、パパとママの息子でありながら、彼らのようにはなれなかった。それはなんて素敵なことなのだろう。なんてことはない。それだけのことだ
2007/05/30
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その人が存在する歓び。その人に触れられない哀しみ。鳴らない電話を山に捨てる。でもそこからは解放されない。浮遊した魂を、ポケットにねじ込んで、僕は誰でもない誰かと逢う。たあいもない会話。たあいもない日常。たあいもない音楽。たあいもない映像。それらにまみれていはいるものの、決して暖かくはならない。試しにすべてを停止してみる。三日ともたない。「こぎんのいない世界はなんて無意味で価値がないんだ。すべてはもう色褪せた。今、この瞬間、わたしは無を感じる。もはやわたしはこぎんを痛みと悲しみでしか思い出すことができない。早くわたしの存在を消してしまうがいい。山の精よ、沼の主よ、もののけたちよ。この世界から逃れるためならば、わたしの魂は喜んでお前達のもとへ召されるだろう。さぁ、早く。」迷鳥物語の一部だ。僕は何度も子のセリフを口にする。
2007/03/15
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別離した女性と車の中で無言になって。居心地が悪い訳ではないけど無理に笑顔を作って。ギクシャクした空気。僕はカーステレオのスウイッチを切ってしまったことを後悔する。こうしてまた僕はひとりぼっちになっていく。何度も何度も。女性たちは皆優しく、そしていつも微笑んでいるのに、僕の手は届かない。いつになったらこの苦しみから介抱されるのか。それともその日はやってこないのか。たあいのない会話で気を紛らわせても、僕の仮面はずり堕ちて、この手を離したくないと懇願する。それでも僕はひとりぼっちだ。何度も何度も繰り返す。それでも僕は死ぬことを許されない。「ここが地獄と思っちゃあ困るね」壁に張りついた蜘蛛がにやりと笑って呟いた。思い出せば、その笑顔の数だけ僕は滅入る。早く何もかもなくなってほしい。まったく、なんて夜なんだ。
2007/03/14
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オムニバス映画「そして日常は崩壊する」のネタを考えつつも数日が過ぎる。 物語の詳細はさておき【日常はバグに侵食されてその様相を非日常へと変貌させる。でもそれはあらかじめ仕組まれたものに過ぎない。気付くのが早いか遅いか、それだけの違いないのだ】というのがテーマ。 僕の場合は、非日常が日常化しているので、朝定時に起きて、定時に仕事をして、定時に帰宅して・・・という(僕的に)非日常生活は耐えられない。こまったものである。 ところで僕が編集で使っているiMovieというソフトには度々バグが出て編集者を悩ませる。編集作業は00:00:06というように、非常に細かな時間単位で行われるわけだが、何を思ったのか、突然00:00:00というフレームが発生したりする。00:00:00。つまり時間にして0秒。そこにバグ・・・というよりも亡霊のようなフレームが現れるのである。亡霊は、亡霊と言われるだけあって、存在はしているようだけれども、手に取ることはできない。もちろん消す事も出来ない。そして時折思いついたかのようにイタズラ(フリーズ等)を行う。こんなバグはいらない。 恋愛をバグにたとえたのはエウレカセブン(マンガ版)。SF映画でもロボットの反乱理由などに使われる。まぁ実際人間の感情も電気的なシグナルでしかないのでみな同じようなものか。 全然関係ないが、トップモデルはみなお腹の中に回虫を飼っている。現代人は死滅した回虫をバグとしてとらえるのならば、彼女たちの美しさは畸形ではあるものの、本来の美であるとも言えよう。(余談)
2007/02/03
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平均的に並べる必然があるのか?彼は思う。どうせ身体は一つしかないのに。頭も一つしかないのに。両の手でもったところで、所詮「利き」がある。右と左だって感覚は違う。どう考えてもモノゴトは並べる必然がない。・・・というか、並べることも出来ない。仕事や家庭。集団と個。あっちとこっち。一つでも並べて組み合わせて、それらを一つ一つ検討することが出来るのならば、その組合わせは無限となり、未来は開けていくのに。それでも彼が掴むのはたった一つ。見えている左目に従う。だからやせ細った未来しか、彼は持っていない。
2007/01/19
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2006/12/25
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12/12-14に撮影するショートムービー「COLD PARK」の絵コンテ作業が終わり、あとは小道具を揃えるだけに。今回の作品は、実相寺監督の訃報を聞き「ジッソーくん(宇宙家族カールビンソン)ばりに撮るぞ、と豪語してしまったので、急遽プリズム(プリズ魔ではない)を探す羽目となった。文系の僕であるから、プリズムって三角錐のでしかできないと思っていた。あと、どんなガラスでもプリズムができると思っていたから簡単に考えていたのだが、結構磨いたりとか大変みたい。まぁ手あかがつけばつく程、作品は良くなるであろうから、こうご期待。その後12/16-17には日本ビジネススクール仙台校の生徒さんのPVの撮影。何度か会ったものの、歌詞を貰ったりしたものの、まだイメージつかみ取れておらず。こちらはコンテ切らずに薦めていくべきか。仙台ローズ共同作品似なるかも知れない「ROSEWARS」は果たしてできるのか?謎。ちなみに写真は2007年3月にプロモを撮る約束をしたDOLLのみなさん。
2006/12/05
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ふぁーぎーだかふぁーびーだか知りませんが、辛そうですな。
2006/10/06
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無気力な鹿踊りですなぁ。
2006/10/04
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いつも書き込みしている楽天仲間の恵市殿のブログの写真で、心洗われる写真を見つけてしまったので、ここにお知らせ致します。10/1写真いっぱいコスモスまつりの中の一枚ですが・・・。花の精でしょうか?心躍ります。
2006/10/03
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納品するDVDのジャケツが足りなくなり、急遽製作することになる。とはいえ、プリンターのインクランプは一週間前から点滅を続けている。この分では印刷途中にインクが切れる事は必須。印刷途中に買い出しに行くのもなんだから・・・と雨の中、車を飛ばす事にする。到着したのは24時間営業の文具店。ずいぶんと便利になったものである。まずはお目当てのモノを買い、それから何かめぼしいモノは無いかと、店内を一周する。さして出物は無いが、ホストらしいオトコがボールペンのコーナーで書き味を確かめている。ピグマを薦めてやりたい気分に襲われる。それから99円ショップに向かい、これまた何か無いかと、店内を一周する。ここにもさして出物は無い。僕の前にレジを済ませたヤンキー娘が、「酷い雨だ。雨、死ねっ!」と天に毒づいている。彼女たちは、僕の視線に気づくと、少し恥ずかしそうな顔をして、自転車で去って行った。
2006/09/29
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CMあと8本製作。企画書5本。撮影4本。今月・・・というより、少なくとも来週の水曜までに終わらせなければならないこと。ついでに脚本2本。
2006/05/10
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ぢっと手を見る・・・両腕ともやけどをおっている模様。皮膜に包まれているようでいまいち感覚が鈍い。おまけに全身筋肉痛でふらふらとしか歩けない。屋台の仕事はかなりこなしているものの、今回の仕事は、なかなかハードであった気がする。焼きそば、そば飯、焼きそば、そば飯。二日間で50キロは焼いただろう。仕事中に、脇を通り過ぎていくカメラマンが颯爽としているように見える。有名ミュージシャンの歌声が聞こえる。焼きそばを延々と焼き続け、全身ラードまみれとなり、五時間の仮眠はテント内で山の夜を毛布一枚で過ごし、寒さに凍え、バタバタバタバタ。結局ステージはスガシカオとUAのみ。とはいえ、歌声はきれいだと思っているものの、特に興味がある訳でもないので、得したとは思えず。あとは銀杏BOYZの誰かが隣の屋台で買い物をしていったらしいが、イチョウボーイズだか、ギンナンボーイズだか判らない僕にはどうでもいい。結局、今回判ったことは、間違ってもこのイベントにはお客としてはいかないだろうなぁ、ということだろうか?ttp://gip-news.jp/arabaki/artist_time.html上野耕路とthe ResidentsとB-52'sとRuinsが好きな僕としては。
2006/05/01
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御主人様SADY が某バンドで出るので、只今から鑑賞に行く。メタル鑑賞はモーターヘッド以来か。日記に今からの行動を書き連ねるというのも、おかしい。明日は早朝よりイベント会場へ。翌19時まで会場を出れない状態になるらしい。これもすごい。焼きそばを1700食ほど焼くらしいのだが、気が狂いそうである。いや既に狂っているのかも知れない。バップさんにつっこまれた昨日の日記「何故に今」は、「意図がない」という意図がまたはじまったのが如実に現れている。この意図まきまきに巻かれると、制作者は愚か観ている人間もけむに巻かれる。そしてけむのごとくうやむやとなり、巻かれゾンになる。結果こそすべてだという者からすれば、やるせない。経過こそすべてだというアマチュアリズムたっぷりな者も、結局手に残れない無情さに、「ひょっとすると自分は結果を求めていたのかもしれない」と自分の裏を知ってしまう、そんなやるせなさ。しばらくはそんなけむに包まれたい。やはり疲れている。
2006/04/28
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以前に製作した映像。http://homepage.mac.com/rasendoh/iMovieTheater2.html
2006/04/27
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キーボードはこうやって使っているのだが、上のキーボードと下のキーボードで入力間違えて、書類が一部消えた・・・。こんな日常もう嫌なので、今から気分転換にヨドバシに行って「仕事用の」プリンター買いに行く。仕事はまた一つ増える。
2006/04/27
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晴天。外からは小鳥たちのさえずり。なんとなく哀しいので仕事風景の公開。iMacG3 1台 ・・・企画書製作iMacG4 1台 ・・・DVD製作iMac intel 1台・・・画像編集および情報収集これが通常業務ですね。当然全部同時進行です。ちなみにマウスはこうなります。これにこの前はビデオカメラ 5台ビデオデッキ1台で編集を同時作業でやっていました。あとプリントも。これって普通の生活なのでしょうか?連休中は、東北最大の野外音楽イベントで焼きそばやいてます。
2006/04/27
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噂の貴族映画「薔薇の館」の第一シーズンがついに完成。三本同時撮影(うち一本はバップさんに変更)という形だったものの、なかなかクオリティの高い作品に仕上がった。年内は「熊野幻想」シリーズのDVD化、そして脚本があがっているものだけでも3本予定されており、いよいよ本格的に現場復帰なりそう。ちなみに6月の「Sad2Say」8月の「SCARERIE DOGS」10月の「坂のある町」と、共に「愛」がテーマ。これは「私は悲しみを増殖させる術しか知らない」からずっと変わらない。
2006/04/25
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一つの仕事が終わり、クライアントからの振り込みによって、しばし裕福な生活を楽しんでみる。…とはいえ、この臆病な犬にとっての裕福は、いつも窓越しに眺めていた「ローテローゼ」のくるみパンを10個ほどばかり買い込み、河原で食べる。伸ばし伸ばしにしていた彼女たちの約束を消化するのが関の山。相変わらずガソリンは二千円単位でしか入れないし、街中に買物に行く時ですら駐車場の時間を気にしている。われながら貧乏暮らしがイタについてきたなぁ…と思えば、10年選手の上着のポケットに穴が空く。それを直したところで、あちこちガタは来ているだろうから、指を突っ込んではその感触を楽しむしかない。まだ4月にもなっていないというのに、次の仕事で年内予定している仕事は終了する。後は必死で営業をかけていかないと、食うものも食えなくなっちまう。それでも僕は、焦ることなく一日一日を消費している。「怖いものが何もない」数日前そんな話をした。自らの死ですら怖れるに足りない、とも。何がキッカケでそんな話になったのか判らない。そして僕自身何がキッカケでそうなったのかも判らない。ただそんな風になってしまった、としか言えない。何故だろう…と頭をひねってみても、答えは姿を現さない。夏にあらわれる少女の物語は、もう何十本にも及んだ。それを今さら紐解く気にもなれなかった。すべてはもう終わったことなのだ。僕と少女との物語は、飛行機から眺めた海の映像で幕を閉じた。今それを呼び起こすことは、はたして意味があることなのか…と問うてみる。いや、意味を言えばキリがない。すべてはじめから意味のナイ物語だ。僕は彼を見て、昔の僕の姿を思い出した。だからあの夏の非を呼び起こそうとしている。ただそれだけのことだ。仕事用のパソコンが壊れた。仕事にならない…のは当然だ。勿論それ以外の仕事だってある。でも今しばらくは手を停めてみる。一週間くらいの休暇になるだろうか。とりあえずベッドの側に落ちている小説を十冊ばかり読んでみる。僕は僕の思いつきに感心する。車を少しばかり走らせてみる。これもいい。たまった映画を観るのもいいだろう。端役の台詞が気に入るかも知れない。そしてしばらく放置していた日記をとりあえずまた書き出してみようかと、思いつく。そして、僕はあちこち日記の手直しをして、写真を整理して、そして書き出しを考える。パソコンの修理はかなりかかるだろう。裁判はうまく行くだろうか?仕事のあてはあるのだろうか。いろんなことが頭の中を駆け巡る。それでも幸福な日々は続く。
2006/03/18
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目覚めて、胸の上においた手が固まっていることに苦笑して、ベッド脇においた、醒めた珈琲を口にしてまた苦笑して。もう一度寝直そうと思いながらも、手はパソコンに延び、ニ台のパソコンにスウイッチを入れる。イヤな夢だった。パソコンが無気味な音を立てて停止する。これも夢ならいいのに。机の上に放っておいた札束を眺めて、これで新しいのでも買うか、なんて考えてみる。勿論そういう訳には行かない。これはもう行き先が決まっているお金だ。僕が好きにできるものなんて、ありやしない。今日は午後から某バンドのボーカルと会う。色々な話をしてこようかと思う。雨はまだ続いている。
2006/03/17
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後編。Mさんからのメールより。こんなこと考えています。 メディアという媒体に影響されながら日々過ごしている。あの雑誌がこれがいいと書けばそれに影響される。 《返信:仙台はかなりこの体質強いですね。理由は歴然としてます。仙台市という田舎都会に田舎者が集まってきているから。田舎者は都会信仰が強く、また地元の人間もそんな彼らに対して見栄っ張りな部分を持っているから。救われがたいです。ホント。僕はこの波のせいで店が潰れました。かれらが欲しているのは「いいもの」ではなく「メディアに載っている」もの。またかれらの言い方をすれば「メディアに載っているからいいもの」ということでしょうか。》本当は影響されない人間に、だなんて理想論でしょうか。 《返信:影響されることは悪いとは思いません。ただ「すごいから」とか「いいから」影響されています、というのでは健常者であり、単なる消費者に過ぎません。もしMさんが何かを求め、何かを作ろうとするのならば、そこから一歩踏み出す必然があると思います。つまり、その影響に対して「何故」影響されたのか?を突き詰めていくことです。先に回答を述べますと、「自分にはないもの」が「影響される」根幹であると思います。ではその「自分にはないもの」を手に入れる事ができるのか?が、モノを作る人間としての勝負になると思います。》しかし、本は知識を与えてくれる。何もない状態で自分は成り立たない。だから厳選していかなければいけない。 《返信:厳選…はしなくてもいいです。死ぬ程読む事は必要です。ちなみに僕は本屋に行くと、棚の端から端まで見ます。本が好きだから、という理由も在りますが、基本的に自分の感性をあてにしていないのかも知れません。》なにか文章に不快な点がありましたらごめんなさい。思いついたらばーっと書いてしまう癖があるのです。とても論点不明で何が言いたいのかわからないような文章で長々と失礼いたしました。やっぱり自分に自信がありません。《返信:あなたが「自分に自信がない」と自分を判断するのはいいですが、それを言われると「アート系」の方々はカタナシですな。あなたはすごく感性が豊かである。モノの見方を高く評価します。》…という感じですが、彼女のこの文章を「アートくん」(親愛の情を込めてこう言う事にしました)に捧げたいですね。それとも「アートは頭じゃあない!感性だ!」と反論するのでしょうか?感性だけだで充分勝負できるのでしたら、もうあなたはとっくにアーティスト(親愛の情を込めて敢えて言ってみます)になっています。更に「感性だけ」より、「感性+信念」があった方が当然すばらしいものができると思います。単純な計算ですが。
2006/03/02
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以下のメール文章、ナイスです。そして、あまりにも勿体無いので、御本人の了解を得て、このメールを転載します。これをもって、御本人への返信と致します。だってあまりにも勿体無い。御本人・Mさん(M嬢とは別人です、念のため)みたいな方がいて、すごく救われている感ありありです。ローマ移住計画はもう10年以上前からありましたが、こーゆー方々がいると、とどまりたくなる。もっといろんな話をしたくなる。一緒に何か作りたくなってくる。昨日、Kさんと話をした時に「モノを作る事はあとでもいい」と話しをしました。信念がしっかりしていれば、自然とモノはできてくる。技術なんて所詮小手先のことなのだ、と。まぁネット猿は小手先器用ですが。前置きが長くなりますた。歳をとるとコレが多くてどうもいけない。いけないいないと自戒していても、止められないのが余計にいけない。「努力の賜物-日本人考の感想から-」私のマイミクのフランス人のマリンバ奏者○○さんの日記を見て、ちょっと前渡邊さんと話していたこととリンクするような感じがしたのでもしお時間があったら見てください。 (注:マイミク以外観れませんでした…) これに対して私自身のコメントは 何かをずっと続けるという経験が、生きるということ以外に経験したことがないので、芸術家の方は本当に苦労なさっているのだなぁと思いました。そして“遊び”とは違う努力の賜物であることを痛感させられました。芸術家という生き方・スタイル「ステキよ」だなんて簡単にいえるけれど、苦労が耐えないのですね。 と、渡邊さんの努力の賜物という言葉をお借りしました。 遊び感覚とは違う、プロの世界というもの。 ちょっと前の日記で、遊び感覚と本物(本格的に努力してきた方のほう)に関して書いていましたよね?それは遊び人が増えると本物が廃れるということになるのでしょうか。なんだか自分の論点がずれているようにも感じるのです。ごめんなさい。 《返信:ある意味当たりである意味はずれです。理由は下記にて》ヴィレッジヴァンガードというお店をご存知でしょうか。ロフトやフォーラスに入っている色んなカルチャーを扱っている本屋兼おもちゃ屋みたいなところです。あのお店は好きです。色んなカルチャーに手軽に出会えるから。そしてあのお店が好きな人もたくさんいると思います。音楽や漫画、本のジャンルが、この本や音楽を聴いているとかっこいいみたいなものが厳選されています。また、トイカメラも多数おいてあります。そのため、どんな人でもカルチャー人になった気分になれるのです。でも、私は最初、このお店のおかげで偽カルチャー人が増える、と思いました。《返信:この感性、素敵です》しかし、そのお店で出会うことによって本格的に始めるきっかけになることもしばしばあると思うので悪いとは思いません。また、自分の考えで行くと、見事に自分も偽カルチャー人だな、と思います。 ※カルチャー人というよりサブカルチャー人という表現のほうがよいのでしょうか。 《返信:この感性、ホントに素敵です》もしかしたらそのカルチャーの先駆者は、そのカルチャーを広めることも目的の一つだったかもしれません。新しいものを作ることはそれが広まらなくては欲求が満たされない。なので偽カルチャー人を増やすことはある意味作品という商品に価値を与え、正解なのではないかと。そのカルチャーを吸収した人の中からまたそれに対して興味を示しさらに広めることに尽力するかもしれない。先駆者はそれを期待の中に含めて新しいものを作るのかもしれません。 そうすると偽カルチャー人という言い方は不適切だったかもしれません。言い過ぎというか、考えすぎというか。 《返信:語弊を恐れずに言えば、カスはどこまで行ってもカスでしかありません。偽者は所詮偽者です。残念な事ながら。(僕がカスかどうかは、僕が判断する事ではないので、委ねます。)ちなみに僕は、この世の中の文化がオタク層によって形成されている事実を知っています。音楽・漫画・絵画・洋服だってなんだって、ある種それに固執したパラノイアたちが、健常者にものを提供している。だって、フツーの人が作った作品を、フツーの人が「面白い」と思うと思えます?結局作中の非日常部分が面白かったり、興味をそそったりする訳です。で、ヴィレッジヴァンガードは、そのオタク層たちの作品を集めた点ではすごいなぁ、と思います。但し、僕の知る限りのオタクの方々は、皆そこに足を向けない。なんでだと思います?僕がオタクを代表して言うならば、食指が動かないんです。なんでも揃っているところなんて意味がない。むしろありそうにないところにお宝を見つけたりすることが快感であったりするんです。故にオタク層(Mさんの言うところのカルチャー人)はあまり行かないようです。で、その次の話ですが、偽カルチャー人の考察は、ホント当たっていますが、はずれてもいるのです。まずこれも僕が知る限りのオタク層は、他人のことなんてしったこっちゃないし、どうでもいい。そして自分の作品を作るために土壌をなんとかしようとしている商売人的な考え方も持ってはいません。自分の作品のことだけしか考えていません。パラノイアですから。ヴィレッジヴァンガードはあくまでも巧みな商店にしかすぎません。ビジネスとしてはすばらしい。そしてそこでうまれた偽カルチャー人は、所詮偽者です。(カルチャー的に)何の役にも立ちません。その偽者の中から本物が生まれる可能性はほぼ0%に近いと思います。いや、今日は大盤振る舞いで0%と言ってしまいましょう。でもこれは当のヴィレッジヴァンガードやヴィレッジヴァンガードの常連さん、偽カルチャー人に対する批判ではありません。いいのです。別に本物のカルチャー人なんかではなくても。あ・かるーく生きた方が楽でいいんです。僕もできることならそうしたいです。(僕が本物のカルチャー人であるかどうかは、他の人に判定委ねますが)僕は、結局モノを作る事しかできない。その程度のことしかできない。会社勤めもできず「趣味は趣味・仕事は仕事」なんて器用に立ち回ったり、計算高くできない。それだけのことなんです。以前知り合った知り合ったコは、「あたし紙芝居を誰よりも愛しているんです。」と言いながら「でも自分の生活を守る事、基本ですよね。彼氏とか」と当然のことのように言いました。…。こんな世の中、もはや手後れ、なんです。なーんて。》長いので、まずは前編。
2006/03/01
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M嬢のサイトは話題に事欠かない。彼女が、ではなく、彼女の周囲が、である。僕は性別♂で良かった…なんてホント運命に感謝する。この時ばかり、期間限定であるけど。彼女がかわいい女性だから、でしょう。きっと。モノ知り顔の♂連中が「キミキミィ、世の中ってのはねィ…」みたいなウンチク話を始める。大変ですね。彼女は「私の好きな世界。わたしだけのもの。理想の自分の世界を作りたくて。だれの為でもない自分の為に写真やってるから。(中略)決して他の世界を見ようとしてないわけじゃない。ただアレはアレ、コレはコレって捕らえたいよね。」と書いていた。すごくよく判る。僕は彼女をネット猿と言わない。それとは違う。彼女はいろいろと考え、自分の延長線上を目指しているだけである。しかし、残念な事に、そんな彼女の日記への書き込みは…(さすがに自粛)たるものであった。●書き込み1「以前は他の人の写真とかあまり興味がありませんでした。 でも最近人の作品がわかる、みられるようになりました。 ちょっと視点が(心の)変わったようです。(中略)でも○○さんの年だったらまだまだ自分だけみて突っ走るべき」年齢は関係ないですね。正直。歳とればいいもの作れる・いい考え方ができるなんてこと事態間違い。年齢は関係ありません。こういう思考的老人がすべてを粗悪化しています。僕はこういう上に立った見方、正直大嫌いです。「でもお前の言っている事、全部上に立っているじゃないか?」と言う方もきっと大量です。その方々は、もう一度読み返してみて下さい。 僕もここのタイトルに書かれている通り日本人です。でも、この部分に気づき、そこを抜け出そうとしている人間です。●書き込み2「自分が好きだけど、やっぱ同業他社は気になるで。 人それぞれの発想があるから、『へぇ~、そういう見方もあるか』 って勉強になるもん。 突き進めるだけの才能はないから、パクッて、学んで、 必死に考える。 そういうやり方もあるんじゃないかなぁ。」そういうやり方もあるんじゃないかなぁ…っていうなら、何故そこで書き込みしているんでしょうか?M嬢はM嬢のやり方がある訳ですから。放っといてあげればいいのでは…と思ったりもします。そして「人のやり方が勉強になる」。また勉強…ですね。哀しくなります。岡崎京子女史が、漫画の主人公たちに(将来の夢は)「シマウマを飼う事」「ガイジンになる事」と言わせていた時代が懐かしいです。なんとなく。
2006/02/27
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夢と現の境目を無くす程度なら、まだかわいいもの。本日もmixiを少し回ってみて、項目の欄に写真家・イラストレーター・詩人…の表記に辟易。でも一番笑ったのは、アマチュアカメラマン同士が「仕事論争」しているところ。「いいからインターネットでそんなこと言い合わなくてもイイから、外出て写真撮ってきなさい」なんて言いたくなる。まぁ外寒いですからね。M嬢から「映像作家さん」と呼ばれて、うーん…と唸る。映像で食べているのは事実。でも何か他の言い方がないかなぁ…と模索し、あぁ一番言われたいのは「渡邊八房さん」って代名詞なのか、と気づいたりもする。「やっぱり渡邊八房さんだから」「あぁ渡邊八房さんなのに」まぁそう呼ばれるにはまだまだ修行が必要ですが。個の確立。でもM嬢も「あたしがあたしであるために」というフレーズを使っていた。同感。でも残念な事に、その文のコメントで「ナルシストOKてなことですか?」とあった。勘違いも甚だしい。てか勉強してからもう一度きてね、と言いたくなるものの、M嬢のサイトなので沈黙。さて。今回のお題は「お遊び」。最近「お遊びでコレやってます」みたいな表現をよく耳にする。なんじゃそりゃあ。まぁ額に汗するのがかっこいいって時代ではないですが、なんか姑息な言い回しに聞こえてくる。「お遊び」と言えば、そのものに対してのスタンスを自在にして、うまく言い逃れしているような感すらある。実はこれ、「お遊び」と「お仕事」の境目が無くなってきている訳でもなく、ただ、きちっとした境界線が引けない人が増えてきただけの話。パソコンやらデジカメが普及した今、それなりの映像を撮ることなんてネコも杓子もできるってこと、まだ気付いていないポン太さんが多いですね。フォトショップやイラストレーターを使ってちょちょっとやれば、カッコいいっぽいのを作るのなんて三歳の子供にだってできるってこと、まだ気付いていないコン太くんも多いですね。それでカメラマンだイラストレーターだポエマーだって片腹痛いですね。パクってみましたインスパイヤされましたリスペクトしてます。それはただの「お遊び」でしかない。でも「お仕事」は全然違う。技術的な問題というより、そこに費やされている精神が違う。責任が全然違う。確かに80年後半あたりから、有名人たちが「お遊び」で、いろいろな作品を「融合」させるというブームがあった。でもそれは、「切磋琢磨してその道のプロフェッショナルとなった方々が、その経験を使って“遊ぶ”ことが、かっこいい」ことだった訳で、大前提となるのは、その道のオーソリティが、という点にあった。つまりどこぞの無名なシロートが、稚拙な技術で「遊ぶ」ことは不様です。なた方が「遊ぶ」という単語を使うのは100年早いです。いやいや、いい加減、自分の好きなコトくらいまじめにやったらどぉ?なんて思ったりもする。僕はかれこれモノを書きはじめて20年を過ぎましたが、まだ「遊ぶ」気になれない。あと10年くらい経ったらろ「遊べる」かも知れない。でもきっと僕はまた「あと10年くらい経ったら」と言うだろう。多分。わかンないけど。
2006/02/21
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Mixiでコメントを書き込んでいて、思い出した。そもそもの内容は、デザインをやっている方が「周囲の人間はいろいろ凄い経歴の持ち主であるが、自分には“会社員・一児の父”という肩書きしかないというものであった。その内容に対してのコメント。僕は姉さん(越後P)に言われました。他にも僕の面倒見てくれるお歴々からも言われたことがあります。「やりたいことがあるなら結婚なぞするな」確かに。今までも、そしてこれからも僕の人生はイバラ過ぎる道です。そこに人様並みの平穏を求めるな。いや人を…ましてや愛すべき人たちを巻き込もうとするな。ってことです。もちろん世の中には結婚生活と自分のやりたい事をバランスよくやれる方々が沢山います。僕にはそれができないって話しなんですが。今思えば、某現代音楽家K・O(誰でも知っている方です)とお茶した時に「渡邊さん。結婚生活だけは手放しちゃいけないよ。僕はもう遅いけど」と自嘲混じりに言っていたことを思い出します。以前gumiさんにも言った事があります。ほとんど前述した方々の受け売りですが。「女性としての幸せをとるのか、人間としての幸せをとるのか」そんな究極の選択の局面はこないかも知れない。でもそれは確かに存在している。そして自分に問うてみる。「男性としての幸せをとるのか、人間としての幸せをとるのか」答えはすぐに導かれる。「モノを作る事こそ本懐」哀しい事に、僕の周囲にはいろいろとモノを作る事を課せられた不幸な方々ばかりです。
2006/02/19
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渡邊八房の暴走。大人しく映画を観ていたと思ったら、突然パソコンの画面に向い、ぶつぶつと独りグチながら、一気に下記の文章を書き出した。怖い怖い。触らぬ神に祟りなし。渡邊八房は壊れている。どこが?と言われれば、そこかしこ。いやいや存在そのものが壊れているのかも知れない。確かに彼の考え方は正しいのかも知れない。しかしその正しい考えを、このぬくぬくとしたぬるま湯世界に放り投げていったいなんの得があるものか。あ、損得が判らないから壊れているのか。あぁ、でも確かに問題はないのかも知れない。渡邊八房は、よく自分を入れ物だにしか過ぎないと言っていた。物語りを生み出す入れ物。だからそれ以外はどーでもいいのだ、と。そうかそうか。では放っておいていいのだ。所詮彼はタダの死に損ないなのだ。部屋の隅に転がしておくべきなのだ。めでたしめでたし、と書いたら頭をスリッパで叩かれた。
2006/02/17
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起業起業って…何がしたいのだろうか?と思う。小銭に稼ぎそんなにしたいの?執着していますね、ほんとに。いやだいやだ。「お金で買えないものなんてないんですよ」なんて若い子に言われた。いやだいやだ。気持ち悪い。どうやら勘違いをされているらしい…と気付いたのはつい最近。きっかけはこの件である。僕は相変わらず企画企画と追い回されている。そこで某社長が「一体何をやりたいのさ、君は」と僕に尋ねる。僕は、さぁ…と首をひねり、「本当は、小説を書いてたいだけなんですけどね」た答える。「じゃあなんで企画なんてやってるのさ。企画だけだったらまだしも、最近じゃあ訴訟の代理人をやったり、商品の卸をやったり、あちこちの企業を提携させたり、役所関係に顔を出したり、そういえば以前は某政党にも首を突っ込んでいたな、神社庁で見たとも言われているぞ、外国人ともつきあいがあるそうじゃないか、町おこしで教育委員会とも提携したって話もあったな…」なんて言われる。そしてもう一度。「一体何をやりたいのさ、君は」と僕に尋ねる。僕は、やれやれ首を回し、「だから、小説を書いていたいんですがね」小説を発表する為には、人に見せやすいようにしなければならず、それを脚本化したものもみてもらえないので映像化しなければならず、できあがった映画を見せる算段をつけなければならず、そんな訳でイベントを企画した訳だけれども、そんなことをやっていたら、あちこちから依頼が入ってしまって…。でも本当は小説を書いていたいんだけど…。それだけでは駄目だから、しかたなくプロデュース業をやっているって事なんだが。「起業家」なんて呼ばれてしまっていることも多い。ばかもの。小説書いていられるだけならそれでいいわい。映像はもともと好きだから、そこまではいいわい。でもそれ以上は、ホント手を出したくない。しかしこの国は遅れていて、エージェント制が確立されていない。だからセルフプロデュースなんてしなくちゃなんない。したくないけど。今名刺にカタカナで肩書きを書いている方々は、よく「起業しようとしている」とか「~を勉強中」とかよく書く。すごいなぁ、おとなだなぁ、なんて言ってみる。でも誰にも拾ってもらえないから、自分でなんとかしているってのが事実なんですね。ちなみに今の流行語は「~を勉強中です」の模様。自分の日記の中にこれを書いてしまったら、要注意です。いや、流行にのっているのでいまどきの人です。
2006/02/17
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友人の奥さんは、毎週演奏会に行く。ほぼ毎週。せっせと足しげく通う。この間知り合った取引先の男性は、新しい携帯電話が出たら、すぐに機種変更する。出たらすぐに交換する。情報を発信する人がいて、それを消費する人がいて。ギブアンドテイクというか、需要と供給の関係というか、別に人が何で満足を得ようが知ったことではない。ホント。というか、興味がない。いや、あるのかな。興味、というよりは疑問。そう、疑問。お金が欲しい、という。何に使うため?自分を磨くため。自分にゆとりを与えたいため。ここを欠落している僕にとって、この疑問は解消されない。頭の中がクエスチョンマークで一杯になって、耳の穴からこぼれ落ちても、きっと解消はされない。だから聞いてみる。「自分がそんなに大切なの?」えーっと。思い返せば十五年くらい前、北海道の帰り、飛行機の中で「このまま墜落してしまえばいい」と思った僕だから、それ以後あまり自分が大切には思えない。そりゃあお腹が空けばなんか食べるし、一通り何か欲しいものだってある。でもそれは大抵、自分の作品を形にするために必要なもののためだ。「自分」のことは結構いい加減に扱っていた。一週間風呂にも入らず、服だって着の身着のままって訳ではない。もちろんヘアムースをつければ、穴の空いたTシャツは着ない。でも所詮はそこまでだ。以前外国人たちと暮らしていた時期があって、そこで僕は「おばかなジャップ」相手に仕事をしていた。何故「おばかなジャップ」かというと、彼らは夢を知らないからだ、と皆口をそろえる。「ヴィトンのバッグが欲しい」「ベンツに載りたい」「外国に行きたい」「マイホームが欲しい」…てなジャップは、確かにおばかな方々です。「お金で買えるものを夢とは言わないでしょう?」とドイツ人の歌姫ウーリィさんが言う。「それだけじゃあない。連中は人生ってもんを全然理解していない」とバックパッカーのノアムとマオ。「でもあんたは別ね。あんたは、お金嫌いだし、その上世の中になんの期待も持っちゃあいない。でもそれは夢を持っているってことなのよ。」最愛のオスナットにそう言われ、僕はニヤついた笑いを浮かべる。成程僕はこの世の中になんの期待ももっちゃあいないし、自分自身に期待もしていない。ただ、自分が生きている中で排出されている物語をなんとかして形づくるだけだ。まぁ、唯一の欲と言えば、正常に動くパソコンが欲しいかなぁ。これを言ったら、僕も「おばかなジャップ」の一員なのかな。
2006/02/15
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頑固じいさん渡邊八房。そうなったのかなぁ。HASIRAはそう思う。まぁ彼の一族は皆頑固だから、血の為せる技か。少し前の車のCMで、ほとんどナレーションを忘れてしまったが、「他の父親が子供と外食するとき、僕は君の作った料理を不味いと言って笑う…僕は君に媚びない。ただ君をかっこよくするだけだ」みたいなニュアンスの、父親が息子に語りかける(というよりは独白する)ものがあった。いいCMだと思った。まぁ確かに「ぬくぬく」は世の中の風潮である。気合い入れたってカッコ悪いじゃん、てな感じ。まぁ、モノを消化するだけの方々はそれでもいいんじゃないかなぁ。でも、モノを生み出す人はそーゆー訳には行かない。「ぬくぬく」のポーズをとっていても、水面下では白鳥よろしく足掻いている。今一線でやっている人たちは、ほとんどそうだろう。ホントは「苦節何十年」という看板を背負っているのに、そんなことをおくびにも出さず「ぬくぬく」ポーズを決めている。かっこいいなぁ、とHASIRAはそう思う。渡邊八房は、でもそんな「ぬくぬく」ポーズを決められない。…というか、確かに彼の言う猿の方々は、「ぬくぬく」ポーズがただのポーズでしかない事実に気付いていない。だから細木数子を指して「あの人さぁ、当たり前のこと言ってるだけじゃん。TV出る価値ないよ」とか言う若い子がいる。「ホリエモンの考え方って共感できるす」とか言う若い子がいる。皆TVの画面そのままで受け取っている。あな恐ろしや恐ろしや。だから、そんな物事は簡単じゃあないよ、と渡邊八房は言っているのかなぁ、とHASIRAはそう思う。ひょっとすると、彼もまた「頑固じいさん渡邊八房」を演出しているフシもある。だとすれば、それをそのまま受け止めてしまったHASIRAも若い子の一員だ。嬉しいけれども、彼の罠にはまったのか…と唇を噛む。
2006/02/12
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前項のネット猿の話の反響はさぞかしすごかろう、と思っていたら、ありゃりゃ、さすがにネット猿。傷の舐めあい癒しあいが得意技。全然反論きやしない。拍子抜けしたものである。前コメントの通り、ネット猿ではない人間の方たちからは「精進精進」と言う声。流石。他にも「HASIRAさんの言いたいこと、よく判ります。そして自らを傲慢に見せ、河北の山は一山百文、程度のネット猿の猿山に、危険を顧みずに餌を与えようとする行為、素敵です」と戴いた。ありがとうございます。でも、ネット猿からは一通もこない。あぁそうか。猿だから、前の話しがわかんなかったのね。きっとそうね。mixi友人から、お手紙を戴いた。「ネットでは育つのに限界がある。どこか匿名の世界で判断されるならばもしかしたら見た人は厳しい意見を言えるかもしれない。しかし、その意見を聞き入れることは現実世界で目の前で厳しく言われて納得しないとネット猿からは抜けられない…など、色々考えてしまいました。 」…というもの。愛らしい顔の、とても頭が回るいい娘さんです。彼女は自分自身をネット猿と言っていたし、いままでの彼女自身はネット猿だったのかも知れない。でも、こんなにいろいろ考えていれば、もう進化の過程です。僕は嬉しくなって、調子に載って返信。>ネットでは育つのに限界がある。 ここに疑問だ。そうだね、当初にネットありきという部分がある。ここがおかしい。こんなのは単なるコミュニケーションツールに過ぎない。モノを作る道具ですらない。…なのに、ネットを使って何かやったりしている(あるいはしようとしている)猿がうようよしている。 「そもそもパソコンは道具だ。頭ではない」って、いまだに判らないネット猿が多すぎる。やっぱり猿に何を言っても無駄なのか?>どこか匿名の世界で判断されるならばもしかしたら見た人は厳しい意見を言えるかもしれない。 でも結局、観ている人もネット猿なんで、猿同士の傷の舐めあいにしかならない。故に発展はない。 「ぬくぬくと闘うことを忘れた猿」と「自分をライオンと思いこんだ猿」。 「ほら、あたしってこーゆー人だからぁ」とか、「(はじめてする職場に)時給は900円下さい」とか、なんだとかかんだとか言うバカモノ…失礼、オオバカモノのように、自分で自分の価値を決めているのがネット猿。評価は、他人がきめるものであって、自分じゃあないでしょ。話は飛ぶが、僕は「アート、アート」いう人間は大ッ嫌いだ。ホント嫌い。「アート」言う連中に限って薄っぺらい。そんな言葉で人間の思考・作品を片付けるなよ、と言いたくなる。はい。ここで断言します。僕の「アート」という言葉は、差別用語だと思って下さい。明らかな蔑視です。ベッキーは好きです。眼鏡かけてスーツ着て文学少女役やっていた時は最高でした。そんなことはどうでもいい。ベッキーです。いや。「アート、アート」語る者よ。アートの定義を述べてみよ。言えない。つまりそんな言葉に頼って何も考えない癖がついている。退化して猿になっている。同じ言葉でも「芸術」と言っていた時代はよかった。僕も二十年前には「芸術論争」をよくしたものだが、すべて手あかのついた作品を並べていた。お互いの顔を突き合わせて、机を叩いて話…というよりむしろ喧嘩をしていた。当然お互いの信じるものが違うので、話し合いは決裂。もやもやとしたものだけが胸中に残り、それを吐き出すためにまた次の作品を作った。つまりこの場合の「芸術」は、言葉としては同じものだが、それによって次の作品を生み出す原動力にもなった。でも「アート」という響きにはそれがない。せいぜいが「アート驚くためごろう」というネタを捻出することしかできない。不毛。
2006/02/12
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最近「坂のある町」の製作関係で、いままでになくインターネットで知り合った方々と会ったり、私書のやりとりをしたり、なんだだりかんただりやっているものの、あまりの手ごたえのなさに辟易中。作品作ってます。作家です。カメラマンです。詩書いてます。いろいろいるものの、皆自己満足で終了ー。「あの…それはプライベートとしてはイイかも知れないけど、それで仕事したいなら、指向を変えないとなんないんじゃないかな」という提案に、即座にマイ・ワールドを展開。いやいやそれで使ってくれる企業なりがあればいいのだけど、生憎と僕の知っているところではそうはうまく行かない。残念ながら「はいそれまでよ」となってしまう。ここで作品の出来不出来は問うてない。あくまでも気持ちの問題である。正直、それで作品の出来がよかったら、気持ちなんて関係ないし。あくまでもその気持ちが問題であって、僕はその話しを中心にすすめる。当然相手は、何故自分の作品を観てくれないんだろう?と思う。はい。正解は現段階のあなたの作品には興味がないからです。あなたのいままでなんてどーでもいい。「だれかにほめられた」とか「作品展をやった」とか。じゃあなんでそこで芽が出なかったんでしょうね。そんなのは誰の心も打たなかった&ただのリップサービスでしかないからです。はい。そんなぬるい世界で有頂天になっている人々を、進化を忘れた「ネット猿」と命名している。ネット猿は恐ろしく多い。じゃあお前のブログはなんなんだ?変な絵描いたり、変な文章書いたり、変な写真載っけているじゃあないか?と反論が来る。はい。当然です。でもこの中に掲載しているのは、全部習作にしか他ならないと、以前書きました。あと、本業を個人のページに載せるようなビジネスマンにあるまじき行為はしません。仕事はどんなものでも受けますよ。今も某企業のDVD製作に追われいます。そんなことはどーでもよろしい。問題は「気持ち」。越後Pと初対面した時「今度会いましょう」「じゃあ今週の土曜」「その日は女の子たちと温泉ですが、きますか?」「あ、行く行く」。このテンポ。これが気持ちです。お互いに会おうと思った。スケジュールはその為に変更した。それだけのことです。しかーし。残念ながら、ネット猿の方々と会おうと言う算段になる。「学校がある」「試験で忙しい」「友達と飲む約束がある」…。そんなことで話が延び延びになる。まぁ当方がそれだけの気持ちを引き出させる力がないのは認めるけど、少なくとも僕は「自分を見せる」ためなら、相手がどういうことなど関係なく動くものだから、ネット猿の脚の鈍さにびっくりする。ちなみに僕は、わたなべ杜都に企画の話をする。すぐに返事が来る。「僕ならこうする。」と言われる。そしてそこで討論がなされる。これでしょう。脚本を送る。「これではひとりよがりじゃん。」と返事が来る。そしてそこで討論がなされる。これでしょう。他のサイトを見る。その子の写真が載っていたりする。「かわいいですね」「あなたのカラーがある」「写真うまいですね」とか書かれている。撮影者は上機嫌になっておなじようなものを載っける。またおなじような(ぬるい)評価が下される。そこで自信を持つ。てか、勘違いをする。そして進化を忘れる。ネット猿の仲間入りをする。怖い怖い。昔、彼女に言われたことがある。「あなたは才能があるから、他のモノを切り捨てて生きていけるけど、他の人は違うのよ」違うでしょ。今の僕の自信を支えているのは、努力の賜物です。もちろんまだまだ努力は足りないと思っている。で、前述の彼女は“自分の努力不足を認めたくないから、人を「才能がある」と評価して、自分と切り離して、自分を正当化しようとしている”ようにしか見えない。まぁそんなこんだで別れた訳なんですが。それもどーでもよろしい。ちなみに今、僕はインターネットで知り合った方々の中で「作品的に好きな」方とあちこちで合同作品を製作しようと目論んでいる。「作品的に好きな」方に私書を飛ばすと、二つ返事でOK・やりましょう!と返ってくる。これだよなぁ、これ。と膝を叩く。この中にはネット猿はいない。進化し続けている仲間がいる。故に、インターネット大嫌いなこの僕は、まだこの道具を使っている。
2006/02/10
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ある日、キッチンのシンクの隙間から無数の蟻がはい出してきて、大切な僕の桃を、食べた。その日から蟻は甘い匂いになった。そしてその匂い故に、もっと大きな蟻たちの餌食となった。大きな蟻は、甘い匂いこそしなかったものの、小さな猫の餌食となった。猫は僕に飼われていたが、僕の餌食にはならなかった。でもどこかの車の餌食になった。僕はパパとママに飼われていた(少なくともそういう言い方はしなかった)訳ではなかったが、高校を卒業する迄目に見えない鎖と目に見えないプライドに締め付けられていた。それは僕の就職と共に切れるものだと思われたが、実際には僕が結婚した後まで続いた。なにも僕は、すべての頂点に立ちたかった訳ではない。しかし還暦旅行でパパとママが乗った電車が転覆し、瓦礫の中の二人の遺体を見た時、僕はなんぴとも侵すことのできないピラミッドの頂上に立ってしまったような感覚に襲われた。それはあまりいい気持ちではなかった。そしてそれは一〇年間続いた。哀れな王様は、何の前触れもなく、心臓の病気でぽっくり逝ってしまった。つまりこの僕の三十数年に及ぶ人生は、蟻のようでも大蟻のようでも、また猫のようでもあった。なんてことはない。それだけのことだ。
2006/02/09
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やっとイメージがかたまってきた。よろしい。よろしい。
2006/02/04
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蛇の呪いに巻き付かれて、仕事を奪われているだけなら未だしも、数年ぶりの病気迄ぶり返せば、いよいよこりゃあただ事じゃあないぞ、とさしもの僕も考える。何しろあの時は3ヶ月は寝たきりだった。今回はそこまで酷くならないだろうが、何分にも病院に行けないので、どうしようもない。困ったものである。早く仕事がくればいいものだが、なかなかOKがこない。いっそのことこのまま寝たきりになってしまえ!と思えば、そうもいかない訳もある。困ったモンだと再び呻いてみても、もう少し眠るしかない。
2006/02/03
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仕事がないので、今月もすいみん。すいみん。すいみん。
2006/02/03
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しあわせを掴めないノームの手。かなしい。かなしい。
2006/01/30
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おはな。おはな。きれいなおはな。
2006/01/29
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ムーミン。ムーミン。かわいいムーミン。(子供用なので、背中の斑点は割愛)
2006/01/28
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「Hey!Bros!いい儲け話があるんだけど」そんな口車に載ったのが悪かった。しかしそんな車に載らなくてはならない事情もまたある。早朝3時に出発、仙台から花巻の往復。お昼には戻ってくる予定。まぁ往復で300kmだから、大した運転ではない。成功報酬3000円。どこが儲け話しなのかと検証する以前に、まずこちらも手持ち金がない。二つ返事でその話に載る。しかし当日相手がやってきたのは、朝の5時。そんなことは別に構わないが、案の定渋滞に引っ掛かった。故にたった150kmの走行で6時間。こりゃあ帰りも大変だと思ってみれば、「今度は遠野市までいってくれ」と懇願された。やむを得ないので、そのまま遠野市までいったものだが、行く先間違いで、いつの間にか山の天辺に到着だ。山専用の車なら未だしも、こっちは車高を落としたタウンカーだ。道路を除雪しながらの走行に、車体全体が雪まみれとなった。「まぁ、こんなことはよくあることさ。」呑気に漫画を読んでは高笑い。そんな相手に舌打ちをうって、とうとう辿り着いたのが午後3時。この時点でも既に6時間もオーバーしているのに、当然帰りも渋滞は目に見えている。果たして僕が家に辿り着いたのは夜9時。疲労の為頭痛は酷く、さすがに車もへばっている。それでも、僕はぼさぼさの髪をなでつけ、彼女との待ち合わせへと向う。手にした3000円で、大したディナーにはならないが。それでも逢うことに意義がある。勝手にそう決めつけて、僕の車は走る。岩手県の雪を載せて。なるほど、こんな気分になるのは、ボロい儲けなのかもしれない。
2006/01/28
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いくつもの長い物語が、車内に滞積している。過去の断面がまるでスクラップブックのように、足下に転がっている。すでに時間は溶けて、川のように何処かへと消え失せた。もうこの場所では、僕たちはすべてから開放される。接吻が、まるで敬けんな信者たちの儀式のように幾度もくり返される。舞い落ちる雪は、僕の車をかき消そうと躍起になっている。僕たちは沈黙を恐れていない。「神よ仏よ、僕は彼女を愛してる」朔の歌を思い出してクスリと笑う。彼女はその意味が判らずに、微笑み返す。僕は彼女に、何度も愛していると言うだろう。
2006/01/24
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彼女のことばかり考えてみても何もはじまらないので、一週間ぶりに書類整理をして、仕事を始める。-遅々として進まない。まただ、と思う。「また」はもう二十年前から続いている「また」。好きな女性ができると、仕事は停滞期に突入する「また」。これは困った。困ったので、彼女に電子郵便を送ってみる。返事が来ない。手が止まる。くよくよしても仕方がないので、他のコトをしようと、書類を眺める。時間が過ぎる。「…。」鳩時計が十二時を告げる。ポッポーは、クルックと聞こえ、狂う苦、に代わる。十二回の狂う苦。遠くから彼女を眺めていた時は、ポッポーは惚っポ惚れっポと聞こえ、十二回も鳴った時には「よせやい」と顔を赤らめたものだが。僕は彼女に近付き過ぎたことを後悔する。「狂う苦・狂う苦・狂う苦・狂う苦・狂う苦・狂う苦・狂う苦・狂う苦・狂う苦・狂う苦・狂う苦・狂う苦。」顔は蒼ざめ、珈琲も醒めた。醒めていないのが愛だから、余計に始末に終えない。ベランダの猫に声をかけ、どうしたらいいもんかと訪ねれば、ニャーと啼いて、僕を笑った。
2006/01/23
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理由など判らない。判るはずもない。しかしそうなのだろう…という確信がある。相手は判らないけど。昨夜彼女に呼び出されて、伸びた髭もそのままにその顔を見に行く。たったそれだけで僕は世界で一番のニヤけた男となる。しかし僕は、彼女にそれを伝える術を知らない。彼女は、僕を疑う。まぁ、疑うほどの経歴の持ち主だから、やむを得ない。僕は何度も彼女に愛していると告げる。判らない。そんな自分は狂っているとしか思えない。ポケットの中の金貨が、いつまでもじゃらじゃらと響いている。
2006/01/21
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風に飛ばされそうになる。髪が視界に入る。瞬間、君の姿が見えた気になる。もちろんいない。いる筈がない。僕は不意打ちをかける。驚いた様子が受話器を通して伝わってくる。「ざまぁみろ。僕の方が愛情が上だ」なんて、妙な満足感を得る。でも君のもとに行くことができない僕の愛情なんて、たかが知れている。いいとこ、いいことを言ってごまかしているに過ぎない。日曜日だって、僕は君の御機嫌伺いに終始するだろう。その位怖い。僕は愛に怯える。何十もの愛の亡霊が、心ばかりか身体までも僕をボロボロにした彼女たちの幻影が、僕に心の安定を与えない。僕を嘲笑う彼女たちの姿が、風に飛ばされる。そのままどこかに消えてしまえ!そんなことを想いながら、僕はペイヴメントにつばを吐く。
2006/01/19
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通算102通目の電子郵便を読んで。何時の間に、声のない会話に慣れていて。全国何千万…いや判らないけど、とにかく数えるのも億劫なほどいるカップルは、みなこんな毎日を当たり前のように過ごしている。声が聞きたい。リアルを知りたい。でも、安易で安価に思いを伝える手段がある。結局そこに落ち着く。でもそこに同じ時間を共有する喜びはない。僕は、彼女への文章を送る。何分…時には何時間もの時差ができる。日中ならば、お互いに仕事でままならない。それは別に大した問題ではない。しかし夜はどうだ?彼女は仕事で疲れて早く眠るだろう。でも僕はそうやすやすと眠れる立場にない。ひとり送信を続け、そしてじっと返信を待つ。焦れったい。僕は今日も携帯を握りしめて眠る。
2006/01/19
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