☆ Sanctuary ☆  Smile for you

青色千尋さんへ贈り物

青色千尋さんに捧げた詩♪
♪ 愛という名の市場  (2003/11/8) ♪ 愛は風の如く  (2003/11/14)
誰もが持っている愛されたいという気持ち
愛されたら幸せ、愛されなかったら不幸せ
人はなぜ愛されたいと思うのだろう

もしもこの世が愛されたいと思う人ばかりの
世界になってしまったら、どんな世界になるだろう?

愛をもらうことばかりを考えた人々のいる世界
それは奪い合いの世界なのかもしれない
それだと人々の心が渇ききってしまう・・・

人類は歴史の狭間で闘争と殺戮を繰り返してきた
それはまさに愛の奪い合いがもたらした悲劇だった

誰が愛を与えるの?
与える人がいなければもらえない
愛の市場のバランスが崩れる

そう、大切なのは愛の需要と愛の供給のバランス
愛にもバランスが必要なのだ
さすればこう考えてみたらどうだろう?

愛されたい、愛が欲しい
けれどもその気持ち以上に
自分から、愛を与えよう、愛を供給しよう

そうしたら、愛の市場のバランスが保たれ
人々の心の幸福が保証されるだろう・・・
人は誰でも風の存在を知っている
なぜならそこに空気の流れがあるから
風は影も形もない
でも確かに存在していて、誰もそれを疑わない
箱の中に風を入れて、これが風ですと言って、
取り出して見せることができようか?

人は誰でも愛の存在を知っている
なぜならそこに愛の行為があるから
愛は影も形もない
でも確かに存在していて、誰もそれを疑わない
箱の中に愛を入れて、これが愛ですと言って、
取り出して見せることができようか?

愛とは、なんと風によく似たものだろう
どちらもその存在の証明に馴染まないのに・・・
誰もがその存在を疑わない

そう
愛は風の如く、人々の心の中に、
一陣の涼風として、爽やかに吹きぬけるのが
本来の姿なのかもしれない

風は人々の心を爽やかにするけれども、
風は見返りを求めたりはしない

ならば、
愛の行為を行う私たち人間も
愛に見返りを求めるのはよそう
なぜなら、
見返りを求めると愛は透明ではなくなるから・・・

私たちは透明な風の如くの愛となり、
人々の心に爽やかさを与えて吹き抜けていこう
人々の心に清涼感を与えて駆け抜けていこう
何のとらわれもなく・・・
♪ 幸福の技法  (2003/11/23) ♪ 悲しみの歌  (2003/12/03)
綺麗なドレスを着た女性が二人いるよ

ひとりの人がもうひとりの人に言ったよ
「あなたのドレス、ともて綺麗ですね」
真心からほめるその顔に
ほら、笑みが宿ってる

ほめられた人もほめてくれた人に言ったよ
「あなたのドレスも、とても綺麗ですね」
真心からほめたその顔に
ほら、やっぱり笑みが浮かんでる

ドレスを着た二人は
お互いに愛を投げ与えている
見て!二人の間に
宝石の輝きにも似た喜びが生まれた

お互いが真心からほめ合う
この幸福への技法を大切にしたい

光の部屋
人は 誰でも悲しみを知っている
失恋を通して 悲しみを知る
友人を失って 悲しみを知る
身内を失って 悲しみを知る
裏切られて 悲しみを知る
健康を失って 悲しみを知る

悲しみは不幸の基なのですか?
いえ、視点を変えてみましょう

歴史を振り返ってみれば、
悲しみのなかにこそ 芸術はあった
悲しみのなかにこそ 文学もあった
悲しみのなかにこそ 哲学はあった
悲しみのなかにこそ 思想はあった

悲しみは否定的な感情ではない
悲しみは真実に近いところにある

人は悲しみを通して愛に目覚める
悲しみを通して 真実を知り
悲しみを通して 詩をつくり
悲しみを通して 絵を書き
悲しみを通して 心を揺さぶり続けた

そう、そこにこそ悲しみの意味がある
悲しみは一見不幸にみえるが
不幸のそばにあるものではない
悲しみは悦びの対極ではなく
悲しみは真実のそばにあるもの

悲しみのときにこそ人は真実のそばにいる
ならば悲しみの色に染まることなく
悲しみの中から耀くばかりの光を放て

悲しみからの旅立ちは人の心を揺さぶる
悲しみの底を打ち破ったとき
そこから光があふれでてくる
♪ 心の温もり  (2003/12/12) ♪ 悲しみの存在意義  (2003/01/17)
「頑張って」って
君が励ましてくれてるのはわかるよ
でも、僕はその言葉は好きじゃない

なぜかって?
それは君が手を差し伸べてくれてない気がするから
その言葉を投げ捨てられてる気がするから

「私は感知しないけどあなた一人で頑張りなさい」
そう言われてる気がする・・・

だったらどういえばいいの?

その言葉と同時に
君の暖かい心の温もりも欲しい
それが今の僕には必要なんだ

「一緒に頑張ろう」って
そう言ってくれるかな
独りじゃ辛いんだ・・・
私たちの住む世界
それは二元論の世界
光と闇、善と悪、悦びと悲しみ、幸不幸・・・
二元論の意味するものは?

世界が一元論の世界だと仮定してみよう
この世は「悦び」一元の世界
その世界には「悲しみ」という理念は存在しない
人々は悦び一元の世界に生きている
それは、何を意味するだろう?

一元であるからにはそれ以外に何もない
「悦び」の存在意義がわからない
そんな世界になってしまう
悦びが当たり前であって
悦びの真の意味を見出せなくなってしまう

ゆえに、人は、二元論の世界で
悦びの対極である「悲しみ」の存在を通して
真の悦びの意味を理解しうる

悲しみは悲しみのためにあるのではない
悲しみは実在ではない
悲しみは仮の存在
悲しみは、悦びの真の意味を悟らせてくれる
悲しみは実在ではないので
許されて存在しているにすぎない
ゆえに悲しみは消極的な存在
一方、悦びは積極的な存在

悲しみを実在として受け止めてはいけない
だって仮の存在だから
悲しみ・・・それは、
自分を磨くための
自分を成長させるための砥石です

悲しみとは悦びとは何かを理解させるために
人に与えられた材料です
悦びがいかに素晴らしいかを
真に悟らせてくれるために
悲しみは存在している
♪ 天使たちの祈り  (2004/03/20)
天使っているの?
天使がいると考えてみようか

うん、それで?天使がいると仮定して
天使はどこにいるの?
天上界だと思う

それで、それじゃ、そこにいるとして
そこはどんな場所?
天使たちはこの世的な時間の中には
住んでいないと思う

それじゃ、どんな世界?
過去とか、現在とか、未来とか
そんな認識を超えた世界・・・
なるほど。。。

それで、天使たちはこの世の人々をどう思ってる?

人々が苦しんでいるときには、
天使たちも共に苦しんでいる

人々が悲しんでいるときには、
天使たちも共に悲しんでいる

病や恋に苦しんでいる人には、
天使たちもその人の側にきて、
励ましてくれている
病がよくなるように祈ってくれている
恋が実るように祈ってくれている

・・・待って!ということは、
祈りって、この世の人々が見えないものに 向かってするものではなくて
逆に、あの世から天使が地上の人々へ向けて
祈ってるってこと?
そうだね。。そういうことになるのかな?

でもね。いくら天使たちであっても
自由意志で生きている地上の人々を
思うがままにすることはできないんだって

どうして?
それは、地上の人々の主体性を奪うことに
なるからだって
ただ、地上の人々をよい方向に導きたい!
という願いを彼らはいつも持ってるんだ
そうなんだ。。
天使ってありがたいね!!

My Poem


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