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「Tomorrow never knows」 Mr.Children♪ やさしさだけじゃ いきられない♪ わかれをえらんだひともいる♪ ふたたび ぼくらはであうだろう♪ このながい たびじのどこ~かで~BOLERO / Mr.Childrenあえてサビをはずしてブリッジのあたりを。何故か年末になると思い出す。今日もこの歌を聴いていた。当時のことがついこの間のように感じる。一年が終わろうとしている。時間だけが過ぎてゆく。大晦日と元旦と,区切られていて年は改まるが,べつに時計が取り替えられたり,人生のページが改まるわけでもない。時間は区切りを意識することなくただ流れているだけ。ずっと流れ続けていくだけ。それでもあえて,来年は良い年でありますようにと,祈っておくことにしようか。偶然にもこのページを見つけた方へよいお年を・・・〔タイトル・本文修正:2006.01.14〕
2005.12.31
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正月に備えて食料を仕入れに近所のスーパーへ。とても混んでいた。それにしてもおばさんたちの人相が悪い。どうしてあのようにイライラしたような,隙あらば攻撃してやろうというような,意地の悪いような人相をしているのだろう。年末だから?大晦日だから?違う,そうじゃない。今日に限ったことじゃない。今年最後の日に,改めて気持ちが暗くなった。もう少し穏やかな社会にならんものかな。社会に適応できないでいるが,こんな社会なら適応したくもない。荒んでいる。どこか県なり地域なりを切り取って,新しい国でも作りたいな。などと夢を見てみる。
2005.12.31
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「人生の贈り物」 スペンサー・ジョンソン「人生の贈り物」(扶桑社)幸せとは今現在のことである。幼少期の主人公は「幸せ」というものを考えることもなかった。しかしそんな彼は周囲の大人たちの目には幸せに見える。子供の頃というのは人生を現在進行形で生きている。だから幸せそうに見える。成長して人は幸せの定義を求めはじめる。しかしそんなものは見つからない。幸せとは現在の瞬間を生きることだからである。子供にはそれができる。幸せの定義なんてものを意識していないのだから。現在を懸命に過ごすだけだから。大人は過去にとらわれ,未来にとらわれ,現在の瞬間に目を向けにくくなる。悔やんだり,懐かしがったりして過去を生きることは,現在の自分の否定であり,夢見るだけだったり,憂えたりする未来を生きることもまた,現在の否定であると考えることもできる。確かに反省や人生設計は大切だろう。しかし今の自分は現在この瞬間を生きているだろうか。現在を生きていくこと,それが一番の人生の贈り物=present=現在である。扶桑社版よりもダイヤモンド社版の方が良かったな。
2005.12.29
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「お正月」(?)♪ もういくつねると おしょうがつ♪ おしょうがつには たこあげて♪ こまをまわして あそびましょう♪ はやくこいこい おしょうがつあと・・・3日と数時間。しかも今年はうるう秒というのがあるらしい。クリスマスが終われば正月だ。今年はクリスマスと正月の間がとても短く感じる。一年の計は元旦にあり。今から考えておこうか。〔タイトル修正:2006.01.15〕
2005.12.28
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「言葉にできない」 小田和正(オフコース)♪ あなたに あえて ほんとうに よかった♪ うれしくて うれしくて こと ばに できな~い♪ ら~ら~ら~ らら~ら らら らら らら~ら♪ ら~ら~ら~ らら~ら こと ばに できな~い自己ベスト / 小田和正毎年クリスマスの頃に,深夜のテレビで小田和正のライブ(録画)をやっている。今年は22日の深夜だった。今年のゲストはスマップの中居君だった。「ぼくは,もうしわけないですけど・・・歌手じゃないんですよ」会場失笑。本人苦笑。「夜空ノムコウ」を二人で歌った。演奏は小田のギター一本である。中居君は相当に緊張していた。小田は前奏を間違えたりしたが,これはわざとだったろう。中居君をリラックスさせようとしているのが見て取れた。歌い終わった中居君のシャツは汗でビショビショになっていた。小田の人柄も好きだが中居君も好感度が高い。オフコースや小田和正を聴き込んできたわけではないが,小田の声やメロディーは結構好きだ。気がつけば毎年のようにチャンネルを合わせている。来年のゲストは誰だろう。〔タイトル修正:2006.01.15〕
2005.12.26
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かきいれどき ->(変換)-> 書き入れ時お金や何かをかき集めるようなイメージではないということだ。なにかと帳簿に書き入れることが多くなり忙しくなる様を表しているらしい。さっきラジオで言っていた。そんなことも知らずに使ってきた言葉だった。むしろ前者の感覚で使っていた。はずかしや。
2005.12.26
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「I'LL BE」 Mr.Children♪ きがつきゃ いさみあし♪ そんなひには しんこきゅうをしてみるんだDISCOVERY / Mr.Children落ち着きますな。シングル・バージョン,アルバム・バージョン,ライブ(アルバム)・バージョンとあるが,いつもライブ・バージョンを聴いている。「Mr.Children 1/42」というアルバム。このアルバム,Limited Editionということらしい。買った後に知ったのだが。4年ほど前からこの歌を毎日のように口ずさんでいる。ぶつぶつと小さい声で歌ったり,こころの中で歌ったり。おかげで少しは気持ちが落ち着くようになったようだ。〔タイトル修正:2006.01.15〕
2005.12.25
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「蘇生」 Mr.Children♪ な~んどでも な~んどでも♪ ぼくはうま~れかわってゆくIt's a wonderful world / Mr.Children自分では生まれ変わろうとしても,世間が,社会が,それをなかなか許そうとしないものだ。年を取るのは嫌だな。〔タイトル修正:2006.01.15〕
2005.12.24
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さすがにクリスマス・イヴとなるとネット上にも人が少ないみたいだ。3連休,土曜日,冬休みとなれば当然か。・・・当然?はて,何が当然なのだろう?クリスマスってキリストの誕生日。でも・・・本当?あやしい。まぁいいか。雰囲気だよ,雰囲気。せめて世界が平和でありますように。・・・偽善っぽい。せめて日本人がこれ以上自分勝手になりませんように。せめて生きることがこれ以上辛くなりませんように。Happy holiday!!
2005.12.24
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「DO THEY KNOW IT'S CHRISTMAS?」BAND AID1984年12月に英国でリリース。カルチャー・クラブ,デュラン・デュラン,フィル・コリンズ,ワム!,U2などなどが参加し当時としては一大プロジェクトだった。この後,チャリティ・イベントやチャリティ・レコードなどが盛んになっていく。1985年にはライブ・エイド,アメリカではUSA for AFRICAが,ドイツやカナダなどでも,それぞれその国のアーティストたちが集まって何やらやっていた。他にもクリスマス・エイドなどいちいち名前を挙げられないほどの数にのぼる。いわばそういったチャリティをメジャーなものにした先駆的意義がある。今日は改めてこの曲を聴いていた。当時の僕はこのレコードを買うことができなかった。ただテレビの洋楽番組のおかげでビデオに録画することができた。そして文字通り擦り切れるほど繰り返し見た。それから十数年後のクリスマスの頃,ふと立ち寄ったCD屋さんでクリスマス特集をやっていた。そこでCD化されたこの曲を発見し,ためらわずに買って帰った。そして今や21年前の曲である。今年もまたクリスマスがやってくる。そしてまたいつものように他人事である。
2005.12.23
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「YOU'RE THE INSPIRATION」 CHICAGO懐かしい歌を聴きたくなった。突然に頭の中をCHICAGOの歌が流れてきたのだった。『CHICAGO 17』というアルバム。カセットテープに落としてある。当時はレコードの時代だった。もちろんレコードは買うのではない。貸しレコード屋から借りてきてカセットテープに落としたのである。しかしこれは友人に頼んでダビングしてもらった。洋楽を聴きだしてまだ間もない頃だった。具体的には1984年だったか。ロス五輪でカール・ルイスが大活躍の年である。考えてみると,CHICAGOについてはこのアルバムしか聞いたことがない。しかし決して嫌いではない。むしろ日本人受けしそうな音である。カセットテープを探し出した。ほこりをかぶっている。カセットデッキにセットして再生・・・何度も何度も繰り返し聴いた音だ。B面の2曲目,この歌がラジオから流れていたのがきっかけだった。すぐにこのアルバムを持っている友人を見つけてダビングを頼んだ。カセットテープをその友人に手渡して頼んでいる,そのときの光景が目に浮かぶ。
2005.12.22
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『世の中は海に似ている。泳げない者はおぼれる』(スペインのことわざ)うまいこと言うなぁ,と感じたものである。自分の状況をよく表していると思って,この言葉を友人にメールで送ってみたことがある。友人は職場の先輩と一緒にそのメールを見て,「おいおい,あいつ大丈夫か?」といって笑いあっていたという。この言葉だけのメールを突然送りつけられたら,そりゃびっくりするわな。
2005.12.22
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記憶力が悪い。中学校を卒業して以来,小・中学校の卒業アルバムを開いたことがない。小学校・中学校の記憶を消し去りたいと思っていたから。なんとなく居心地は悪かった。だから,高校に入って中学校の同級生達と離れることができたときには開放感があった。「自分の人生はここから始まることにしよう」そう考えることにした。しかし,思い出を頭から消してしまおうとすることは,同時に記憶力や暗記力も奪ってしまうらしい。なんとなく高校生の頃から記憶の定着率が悪くなったようにも感じている。人間というのは過去の積み重ねでできあがっているだろう。それまで積み上げてきた思い出やら経験,そういったものが現在の自分を成り立たせているはずだ。だとすれば,自分の過去を肯定できなければ,いや,過去だけでなく今も含めて肯定できなければ,積み上げたそばから自分を崩していっていることになりはしないか。いつまでたっても経験が積みあがっていかない。それはつまり,自分が成長していることを感じられないということ。過去を否定するがゆえに,スタートはいつも「今」あるいは「いつか」であり,そして,スタートは切ってもまたそのスタートを否定する。その繰り返し。こうしていつまでたっても「本当」のスタートが切れない。でも「本当」はもうずっと昔にスタートしてるのに・・・。暗記はしてもすぐに忘れてしまうのは,こうやって過去を否定する癖が影響しているだろうか?それとも単にゆっくりと痴呆が進んでいるのか?
2005.12.21
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「毒になる親」これは・・・読んでいない。読めなかった。数年前のことである。読み始めてすぐに先へ進むことができなくなった。そういう意味で印象に残っている本。内容は,毒になる親とはどのような親なのか,ということとそのような親を持った人間が自分の人生を自分のものとして生きていくにはどうしたらよいかということが述べられている,らしい。読んでないし。精神的に参っている時に読んでみようと思ったのが間違いだった。自分の生きにくさのヒントを探そうと思っただけだったのに。負のエネルギーが強い時には刺激がありすぎた。書いてあることが恐いくらいによく分かる感じがした。恐すぎて気が動転した。胸がグーッと苦しくなり,心臓の鼓動が大きくなり,切なくなり,とても不安な感覚に襲われた。そしてあっという間に本を閉じてしまった。今,確認してみると,第一章を読み終えたところでしおりがはさんである。少ししか読めてない。もちろん都合よく自分を,その書かれていることにあてはめようとしているだけなのかもしれなかった。けれども,そのように意識している分を差し引いたとしても,「今の自分はやっぱり親のせいではないか?」と思えなくはなかった。当時は,無理にこの本を読みきることはしなかった。いつか普通に読める日がくるだろうと信じて。もしかしたら読まなくてすむかもしれないと少し信じて。今,目次を見る限りでは読めそうな気がする。それは自分が何かを既に乗り切ったということなのか。それとも,考えたくないこと,思い出したくない過去を,意識からシャットアウトして出来上がってしまったということなのか。はたまた,初めから自分には関係のないことだったということなのか。分からない。誰も教えてくれない。改めて読んでみようか?それでなんだか不安になったり,恐くなったとしたら・・・それはまだ心になにかがあるってことじゃないの?
2005.12.18
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今日は久しぶりにシチューを作った。なんだか妙に美味かったのでついここに書いてみただけ。先週はカレーを作った。具材も手順もほぼ同じ。もちろん市販のルウを使用。次は肉じゃがにしようか。具はほぼ同じものを使用。出汁だけ違う。
2005.12.17
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たばこの増税は困る。あぁ,あの時たばこに手を出していなければ・・・とはいえ,禁煙は一度も考えたことがない。でも自分の肺を実際に見てしまったら,その黒さに驚くのだろう。見えないから吸っていられる。知らないから平気でいられる。知らなけりゃよかった,気付かなけりゃよかったと思うものがある。知らなくていいことや気付かなくていいこともある。気持ちの優しい人はたいへんだ。気が付かなくていいことに気が付きすぎやしないか。♪この目さえ 光を知らなければ♪見なくていいものがあったよ♪からだが あなたを知らなければ♪引きずる思い出もなかった「雲路の果て」Cocco
2005.12.15
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目が覚めた。たばこを吸おうと思ったが,きらしていることに気がついた。時計は5時をまわっている。自動販売機はもう動き出している。外に出て通りに出ると西に向かう。西の空には月があった。今日は晴れか?振り向いて東の空をみる。微かな光を発した星がいくつか見える。・・・大学生時代,東京都の西の外れに住んでいた。冬のとても冷える夜,都内とはいえ,晴れていれば空はとてもきれいだった。夜中の散歩が趣味になり,よく空を見上げていた。ふと見上げると冬の星座オリオンがある。さらに上空を見上げると流れ星がサーッと激しく燃え尽きていった。冬の空はとてつもなく澄みきっていた。そんなある日のことを思い出した。
2005.12.15
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人生ゲームのルーレットは1~10まである。仮に10を出しつづけることができれば1番であがれる。毎回1を出して1マスずつ進めばきっとビリだろう。その差は単純に10倍。実際は1マスずつ進んでいたらゴールできない。災害にあってスタートに戻る,というようなマスがあるから。だからいずれはそのマスを通り過ぎるべく,そのときだけは2を出そう。10マスずつ進んでいたって同じだ。そんなときには9を出そう。大きな数を出しつづけ1番でゴールしても収支はプラスになるかマイナスになるか分からない。反対にビリでゴールしても一番のお金持ちになっているかもしれない。飛ばしつづける人には子供がひとりも生まれないかもしれない。ゆっくり進む人はきっと子沢山だろう。人より前を行くことが幸せなのか分からない。人に遅れることが不幸なのかも分からない。問題はスピードではないだろう。お金持ちになれるかどうかということでもない。自分の1マス1マスを実感しているかどうか。投げない限りゴールが必ず見えてくるのなら,遅れたっていいからすべてのマスに止まっていこうか。なんだか人生足踏みしてると感じたら,人生ゲームを思ってみる。
2005.12.14
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かつて,僕にとっていい人でいるということは,誰とでも等距離にいることだった。これは人と近づきすぎることへの不安と,逆に人が遠ざかっていって自分が見放されたと感じることが恐かったことの裏返しのように思う。また,誰か特定の人と近づきすぎることによって,その他の人たちが遠ざけられたと感じてしまう(いらぬ心配)ことも恐れてたように思う。それでもやはり好きな人というのはできるもので,人並みにつきあったりしたわけだが,普段から自分自身で仮面を被っていると認識していた僕は,「本当の自分を知ったらこの人は好きでいてくれるだろうか?」と思い悩み,いつも自滅していた。本当の自分とは,振り返ると「自分を嫌う自分」だったと思う。「自分自身を嫌うヤツが人に好きになってもらえるわけがない(あるいは人を好きになれない)」と思うとズルズルと自己否定スパイラルに陥ってしまうのである。それでは自分の好きなところは?と考えると,まるで見出すことができない。ところが数年前,仲良くなっていろいろと話すようになった人妻さんに聞いてみた。ちなみに,仲良くなったといっても,いけないことはもちろんしていない。「オレのいいところって挙げられる?」「うーん・・・」と唸っていたが,その日の夜メールがきた。なんと,いいところを20個くらい挙げてきたのである。そのメールを読みながら,納得したり,意外に思ったりしたのだが,それでも,そのいいといってくれた点を素直に受け容れられない自分がいた。その後いろいろとあったが,結局,いいところ探しは一時中止。いいところを見つけようとすると,それがプレッシャーになって潰れそうになるのである。だから今は「あるがまま」。これがキーワードとなっている。誰にとってもいい人なんて存在しない。そんなものを演じなくていい。好いてくれる人もいれば,嫌う人もいる。頭では分かっても,これがまた難しいわけなのだが・・・。ちなみに「あるがまま」のヒントはヘッセの小説から得た。ヘッセの後期の作で「シッダールタ」「荒野のおおかみ」「知と愛」といったものである。ヘッセ自身が精神的な病から立ち直った人だそうな。〔本文修正:2006.01.15〕
2005.12.13
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「人間は努力するうちは迷うものだ」 ゲーテ努力の仕方がわからなくて迷ったものですが・・・。
2005.12.12
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やっべー。ねむれねー。久しぶりにアイツが来てる。電気を消して,布団に入って,目を閉じるとやってくる大きな不安感・・・。正体はない。ドクン,ドクン・・・心臓の鼓動が大きくなったように感じる。グー・・・胸が詰まる。食道がピッタリと閉じたような感じ。起き上がる,電気をつける,テレビをつける,ラジオもつける,大きく深呼吸・・・。・・・ということでパソコンの前にいるわけだが。
2005.12.12
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「気配りの人」と言われた頃があった。 気配りしていたわけじゃない。 嫌われないようにしていただけ。 否定されることが恐かった。 否定するのも恐かった。 ただのいい人。
2005.12.11
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誰にもわかってもらえない。誰かにわかってほしかった。でもわかってもらおうともしていなかった。自分にしかわからないことなのだろうけど自分にもわからない。・・・自分は誰かをわかってあげようとしたことがあっただろうか。
2005.12.11
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1957年12月11日,百円硬貨が発行されたそうな。それまでは板垣退助の肖像の紙幣を用いていた。百円札・・・実家に一枚あったような・・・。5百円札は実家にあるはず。5百円札の肖像って・・・岩倉具視か。5百円玉っていまだに少し違和感がある。印象深い肖像といえば,聖徳太子かな。1万円といえば聖徳太子。昔は5千円札も聖徳太子。思い出しにくいのは・・・伊藤博文(千円札)かな。ついでに挙げてみる。1万円札・・・聖徳太子,福沢諭吉5千円札・・・聖徳太子,新渡戸稲造,樋口一葉千円札・・・伊藤博文,夏目漱石,野口英世新渡戸稲造は,確か北海道大学の構内に胸像があった。いつのことだったか忘れたが見てきたことがある。真冬の観光旅行だった。北海道は寒かった。羊ヶ丘展望台から,まだ建設中だった札幌ドームが見えた。そんな時代のこと。・・・いろいろと思い出してしまった。
2005.12.11
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夢を持てという。テレビを見る。プロ野球選手が「夢を持ってがんばれ」という。マラソン選手が「夢に向かってがんばれ」という。IT起業家がいう「夢は叶う」と。ある社長がいう「夢の達成日を決めろ」と。誰もが夢を叶えられるわけじゃない。誰もが夢を持てるわけじゃない。誰もが夢を持たなければならないわけじゃない。
2005.12.10
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みずほ証券が270億円とも300億円ともいわれる損失を出した。300億円か。何が買えるかな。目に見えないところでお金が動いている。実際に手渡しで動いているお金よりも,そういったお金のほうがずっと多い。世の中は便利になったかもしれないが,なんだかしっくりこない。それに,お金でお金を増やそうなんて,不自然な姿だと思う。個人的には昨日,今日とそれほど影響を受けていない。現在,評価損益 約 +3000円ちょっと儲けている。勉強中。(35000円からスタート)
2005.12.09
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夏目漱石1916年12月9日に49歳で逝去。49歳って,若いなぁ・・・。読書デビューはかなり遅い。ドストエフスキーの「罪と罰」を大学受験浪人時代に読んだ。それが初めて読んだ古典的文学といっていい。それまでたいした本も読んでこなかった僕が,その多少古い文体で訳された「罪と罰」にグイグイと惹きこまれた。布団の中で読み始めたのだが気がつくと朝になっていた。衝撃だった。心理描写に「うまく表現するなぁ」と感動し,登場人物それぞれのキャラクター設定に「しっかり作ってあるなぁ」と感動し,これが名作といわれる所以かと思い知った。これをきっかけにようやく本を読むようになったのだが,漱石デビューはずいぶん後,今から3~4年前である。夏目漱石の「こころ」は,中学か高校時代の教科書に一部が使われていたように思う。ふと夏目漱石を読んでみようと思った。「こころ」にチャレンジである。しかし漱石には前期三部「三四郎」「それから」「門」後期三部「彼岸過迄」「行人」「こころ」といわれるものがある。せっかくだから順を追って「三四郎」から読み進めて,「こころ」で締めようと考えた。順調に読み進めていって,「こころ」に辿り着いた。ひとつ前の「行人」がこれほどおもしろいのなら,「こころ」はどんなにおもしろいだろう,そう思って読み始めたのだが,一向に惹かれる箇所に出会わない。そうこうしているうちに読み終えた。淡々とした印象だった。「行人」が僕にとってのクライマックスだった。「こころ」には期待をしすぎていたのかもしれない。再読の余地はある。「三四郎」はよかった。前・後期三部作すべてのなかで最も読みやすいだろう。万人向け。後期に進むにつれて重くなってくる印象があった。「行人」や「こころ」は,おもしろいと思う人にはおもしろいだろう。万人向けではないように思う。国語の教科書にはなぜ「こころ」が使われたのだろう。今更ながら少し疑問に思った。
2005.12.09
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ラジオからはジョン・レノンとビートルズばかりが流れていた。昨日12月8日はジョン・レノンの命日。銃撃されたのは1980年のことだった。1980年代は洋楽ばかり聴いていた。「ベストヒットU.S.A」や「MTV」といった音楽番組が流行っていた。最近ではケーブルテレビや衛星放送で見ることができるようだが,当時は地上波でやっていた。ビデオというものが家庭に普及し始めた時代でもあり,音楽のビデオによるプロモーションも盛んになっていた。「Video Killed the Radio Star」(邦題:ラジオスターの悲劇) The Buggles(このアルバム2曲目)「ビデオがラジオスターを殺した」が直訳。1979年の曲らしいが,80年代に入ってMTVのスタートを飾った曲でもあるらしい。これ以降ビデオの時代が始まる。未来を予言したような曲である。タイトルは知っていなくても聴けば分かるであろう有名なものである。僕には,Michael Jacksonの「Thriller」が本格的な入門だった。兄が友人からビデオを借りてきて,それを一緒になって見ていた。毎日のように画面の前で一緒に踊っていた。これもビジュアルの力であっただろう。だからビートルズはよく知らない。もちろん聴けば分かるし,カラオケで歌うこともある。たとえば「Hard Day's Night」(邦題:ビートルズがやって来るヤァ! ヤァ! ヤァ!)とか。当時は,周りに洋楽を聴くなら,ビートルズやローリング・ストーンズも聴いておけというような雰囲気があった。しかし聴いてみても・・・のめり込めなかった。これだったらヒットするだろうな,という感想くらいは持てた。けれどもなんとなく,こころに,気持ちに,飛び込んでこなかった。ビートルズの影響を受けた,という日本人アーティストも多い。ビートルズの時代に生まれていない人たちでさえそう言う。真心ブラザーズには「拝啓,ジョン・レノン」なんていう面白い歌もある。(このアルバム1曲目)ただただ冷静に「ビートルズってすごいんだな」と思うことしかできない。残念。12月8日は真珠湾攻撃の日でもある。しかし日本国内でさえも,山本五十六よりジョン・レノンのほうが知名度がありそうだ。
2005.12.09
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近所のスーパーに買い物に立ち寄った。何故か'80年代の洋楽が流れているスーパーである。肉,野菜,たまご,納豆,パスタ等々・・・必要なものをカゴに入れてレジに並んだ。ふと見ると,隣のレジ脇にガムが置いてある。5~6歩先のところである。ついでにひとつ,と思ってカゴを足元に置いてその場を離れた。3個パックのガムを1パック掴んで,戻ろうとして振り向くと,もう割り込まれていた。オバちゃんである。えっ,ほんの数秒だよね。ヘタすりゃここを離れるのも見てたでしょ?僕のカゴがあなたの足元にありますけど・・・。とりあえず声をかけてみよう。「・・・すみません」 ・・・無視「あの,すみません」 ・・・無視相手がオバちゃんでは分が悪いかと思い,カゴを持って引き下がった。その後ろに並び直すのも隣のレジに移るのもなんだかバカバカしいので,店内をもう一回りしてしまった。ちょっと嫌な思いをしたわけだが,作ったカレーはうまかった。明日もカレーだ。明後日も・・・。人より先に,人より先にって,終戦直後ならまだしも,この平和な時代に並ぶこともできないものかね。といって終戦直後を知るわけではないが。列を離れた方が悪い?そうかなぁ・・・そうかもね。こういうオバちゃんって自分の子供にどういうしつけをするのだろう。それが一番関心のあるところである。余計なお世話だろうが。オバちゃん恐るべし。
2005.12.07
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刑務所の鉄格子の間から二人の男が外を見た一人は泥を眺め一人は星を眺めた「道は開ける」より題名は知らない。大学生時代,この言葉が好きだった。そして,この本を読んでいたことが就職活動中の面接のときにも役立った。もうずいぶん昔の話になる。ある会社の二次面接だったと思うが,そのときの面接官の愛読書というのがこの本だった。僕の履歴書には趣味の欄に「読書:道は開ける デール・カーネギー」などということが書いてあったはずである。先方はここに食いついてきた。「ふーん,こんな本を読んでいるのか。・・・どんなことが書いてありましたか?」僕は咄嗟に冒頭に挙げた言葉を述べてみた。そして「プラス志向で考えよ,ということが繰り返し述べられていました」とか「何事も良い方へ考えるように努力してます」とかおそらくそんなことを話したと思う。当時は若く,夢や理想に満ちあふれていた。この本にも影響されて勢いがあった。熱く語ってその日の面接を終えた。後日,最終面接の連絡が入った。このときには採用が確定していたようである。二次面接のときの面接官に好印象を与えていたらしい。入社後にはその面接官に引っ張られ彼のプロジェクトに配属された。その人と飲みに行くようになり話が面接の時のことに及ぶと「あれはオレの愛読書だ」と教えてくれた。------------------------------熱く過ごしていたあの頃が懐かしい。当時は,為せば成る,と思ってただ突っ走っていた。今は,成らぬものは成らぬ,と感じている。無力感でいっぱいである。でも本当は,このようなときほどこの言葉を噛みしめるべきなのだろう。物事のプラスの面が見えなくなってずいぶん経つ。もし今が試練の時だとするならばとても長い潜伏期間ということになる。ちょっと長すぎやしないだろうか。いい言葉をテーマに,と考えてみたのだが暗黒面が頭をもたげてきたのでここまで。
2005.12.06
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電車の中でジュースの空き缶が転がった。カラカラと転がりスーツ姿の中年男性の足にぶつかる。彼はその空き缶を足で払いのけた。だがそれはまた彼の足にまとわりつく。もう一度今度は軽く蹴ってみた。カラカラと扉の方へ転がっていった。空き缶は扉にコツンとぶつかり動きを止めた。皆が見て見ぬ振りをしている。扉に寄りかかって立っている若い男がいた。楽器のようなものを持っていて髪が長かった。彼は空き缶を掴むと静かにそれを扉脇に立てた。間もなく電車は次の駅に着いた。若い男は降りていった。いくつかの駅に止まり僕も電車を降りる。立てられた空き缶を横目に見ながら。空き缶と中年男性を乗せたまま電車はまた動き始めた。僕はなんとなくその電車を見送っていた。
2005.12.06
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「ほっといてよ」「ひとりにしておいてくれ」「ひとりになりたい」などと言えてるうちはまだいい。構ってくれてる人がいる。誰ともつながりがなくなり,この世から自分の存在が消えかかっているかと思えるような孤独を味わえば,とてもそんな言葉は出てこない。孤独というのは寂しいとか不安であるというより,恐怖に近い。とはいえ,自分が孤独であると思うのは独りよがりでもある。
2005.12.05
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書き込み始めて数日経つ。アクセスもちらほらとあった。アクセス記録を確認してアクセスしてきた人にアクセスしてみると,12月生まれの人の率が非常に高い。驚くほど多い。だからどうだということでもないが,今月が誕生月ですな。そういう自分も今月が誕生月。しかも(?)24日。一年を通して最も寂しい日でもある。ずいぶん昔の話だが,運転免許の書き換えの為に警察署へ行ったときのこと,女性が受け付けてくれたのだが,「あら,素敵な誕生日」と言ってくれたことがある。うれしかったとか,うれしくなかったとか,そういうことではなく,警察でも気の利いた口を利いてくれる人がいるのだな,と少し感心した覚えがある。「誕生日は?」と尋ねられ「12月24日」と答える。相手はちょっとだけ「おぉ!」というリアクションをとる。なかには「みんなに祝ってもらえるね」などという人もいる。とんでもない。多くの場合,その日は皆が皆,自分自身のために一所懸命になる日である。
2005.12.05
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ニックネームを変えてみた。myRakutenで情報変更するのね。なるほど。「restless heart」落ち着かない心,という感じだろうか。好きな歌のタイトルでもある。
2005.12.04
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完璧を求めすぎるのだな。もう少し融通をきかせなければ。普段の生き方でもそうだな。blogタイトルに縛られすぎた。変更前「出来事」変更後「頭の中身」ということにしておこう。もっと不完全に,不完全に・・・適当に,適当に・・・
2005.12.04
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出来事といってもそれほど毎日何かがあるわけでなく。世間に目を向ければおぞましい出来事などは頻発しているけれど,自分自身に関する出来事というのは本当に少ない。毎日毎日同じことの繰り返しである。それでも昔は日々の暮らしの中に何かを見出していたようにも思う。この際,最近の出来事にこだわるのはやめよう。幸いにも(?)大学3年の冬からつけてきたメモがある。常に携帯していて気がついたり感じたりしたことをその場で書き留めたり,文字通りメモとして使ったりしてきたものである。それは日記ではない。毎日何かを書いてきたわけではない。一日に何項目も書いてある日もあれば,何日か空白の時もある。逆に言えば,日課としてこなかったことで長続きしたということにもなろう。実に様々なことが書き残されている。例えば年賀状の下書きであったり,大学の休講日がメモしてあったり,あるいは買い物リストであったりする。振り返ってみて(個人的には)とても興味深いものである。では,その中からほじくり出してみたらどうであろう。ということで,思い出話も含めた出来事どもを書いてみることにしようか。言わば雑感のページということになろう。タイトルの「(β版)」が取れるのはいつのことだろう。思考の整理学メモ帳を持ち歩くきっかけになったのはこの本だったように記憶する。
2005.12.03
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