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佐賀の県立博物館で副島種臣の没後百年記念の「蒼海 副島種臣--全心の書」展を観る機会があった。副島(1828-1905年)は、44歳で外務卿(大臣)をつとめ日清修好条規を結ぶなどした佐賀藩出身の俊才だが、書の方が後世に大きな影響を与えているといえるかもしれない。和・漢・洋に及ぶ広い学識を持ち、明治天皇の侍講もつとめる。優れた漢詩人、能書家。兄は勤皇家の枝吉神陽。幕末は尊王倒幕運動に奔走。外務卿時代には樺太境界につきロシアと協議、横浜港寄稿のペルー商船マリア・ルーズ号の中国人奴隷の解放、日清修好通商条約の批准書を交換など「正義人道の人」として海外でも名高い。明治6年には征韓論で下野。翌年板垣らと民選議員設立建白書を提出。その後、明治天皇の侍講、明治25年には松方内閣の内務大臣もつとめている。清国の同治帝謁見時に、床にひざまずく拝きの礼を拒み、立礼を要求。結局立ったまま三度の礼をする「三しゅうの礼」によって謁見するなど、対等な近代国家同士の外交関係であることを示す立礼の実現は外国からも大きな賞賛を得ている。以下は私の印象。奔放、遊びが多い、絵画的・漫画的、傾きも自由、象形文字風、楽しい文字、変化する書風、、、。この人の書は当時から人気が高かったというが、真面目だけというのではなく、遊びや工夫が随所にあり、従来の書の殻を破った奔放さや楽しい書風が受けたのだろうと納得した。現代の「書」の批評家として特異な才能を縦横に発揮している石川九楊(京都精華大学教授・文字文明研究所長)が日経新聞紙上でこの副島の書について語っている。 ・ミロやクレーの抽象画を思わせる ・マンガ的 ・絵画は色と形の表現だろうが、書は「筆触」(深度、速度、角度から読 み取れる)と「構成」(点画を文字に仕立てる構想)との統合表現であ る ・書きづらい「左旋回」の筆触 ・一つの字画が他字の中ま侵入する文字や、斜めに倒れた文字、左右反転 の鏡文字、、 ・内藤湖南「高古けい秀、名状すべからず」 河東碧梧堂「書聖」 有島生馬「その右に出るものは空海」 高村光太郎「抜群」「全心」の書は、技巧など考えず心を全て筆に集中して書くべくだという副島の考えを示している。若い頃は速く勢いのある書を書いたが、後には「全心」を語ったという。
2006/01/31
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成果を挙げ続けるビジネスマン、高い業績レベルを継続している研究者、速いテンポで政策を仕掛ける行政マン、ベストセラーを連発する優れた編集者、殺人的なスケジュールをこなし続ける政治家などを何人も見てきた。彼らには、能力、個性、体力、知力、人脈などそれぞれに固有の資源があることは明らかだが、共通のものもあると感じる。それは時間感覚というようなものだ。 (中略) 地位に関係なく、こういったことを心がけている人はいずれ組織を動かすことができるようになる。それは、この習慣と訓練を続けることによって時間感覚が磨き込まれていくからだ。時間感覚は、リーダーを目指す人がまず最初に身につけるべき能力である。
2006/01/30
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日曜日は佐賀県商工連合会の職員の方の案内で、佐賀の記念館を訪問する。収穫があった。------------------------------------------佐野常民記念館川副町の佐野常民記念館。佐野常民は日本赤十字の初代社長ということしか知らなかったが、実際に訪問してみるとそのイメージはすっかりひっくりかえってしまった。大蔵大臣、農商務大臣、日本赤十字社初代社長、日本美術協会会頭、そして1867年のパリ万国博の団長をつとめて以来すべての博覧会にかかわるというマルチ人間だった。館長の福岡博先生自らご案内いただき、佐賀藩の明治における存在感や、佐野常民の偉業に目が開かれる思いがした。船の形と赤十字の文様を凝らした記念館は、ハード、ソフトともよく磨きこまれている全国区の記念館という印象だ。(詳細は別途報告する予定)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー大隈記念館昭和41年、生誕125周年記念に建てられた堅固な記念館と大隈重信の実家を訪問する。大隈は政治と教育を主戦場として活躍し、2度の総理としての組閣と早稲田大学の創立を行った。・国の大小は土地にあらずして人にあり・一国の独立は国民の独立に基づき、国民の独立はその精神の独立に根ざす「百年の知己のごとく親密になった」(大隈)という福沢諭吉との交流にも感動させられる。明治34年2月3日に福沢が亡くなった時、大隈は切花を使者に届けさせる。福沢家では一切受け取らないということだったが、「この花は買ってきたものではない。福沢の訃報を聞いた大隈が手塩にかけて育てた温室の花を涙ながらに自ら切ったものである」と使者が言うと、福沢家の受付は、黙ってそれを受け取り、福沢の霊前に供えた。大隈候逝去のときの「実業の日本」の哀悼特集を手に入れる。各界の人々の語る大隈重信像も興味深い。(詳細は別途報告予定)--------------------------副島種臣「空海を超えた」といわれる書の達人にして、大臣を務めた副島の書展が佐賀城本丸で開かれていたので、覗く。自由闊達でデザイン的な書風が印象深い。
2006/01/29
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土曜日は佐賀市で佐賀県商工会連合会主催の「2006年創業塾」の「第二創業コース」で研修講師をつとめる。受講生は40名。13時から17時の4時間。皆さん熱心に課題に取り組んでもらった。終了後は懇親会があり、食事をしながら話が弾む。佐賀は、「九州の佐賀です」と言わなければわかってもらえないという。長崎や鹿児島などは「九州の」をつけなくても通じるが、、。また位置を説明するのに「福岡と熊本の間」と言わなければわかならいということも多いという。最近は、若い知事さんが頑張っていて、県庁もだいぶ変わってきたらしいが、佐賀県民のの悩みは深い。私からは、東京からの情報をありがたがらずに、足元や現場を掘ることを大切にというメッセージを発した。主催者との事前打ち合わせを参考にして「勉強してはいけない!」というテーマから話を始めてみた。
2006/01/28
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「今日から悠々」という季刊誌がある。創刊号の渡部昇一先生のエッセイ「55歳からの知的生活の方法」がよかったので買ってみたが、第2号も書店で見つけて買った。それぞれに味わい深いエッセイが並んでいる。以下、執筆者。藤本義一・下重暁子・藤沢秀夫・金子兜太・桐嶋洋子・堀田力・玄ゆう宗久・米長邦雄・喜味こいし・柴田翔・神坂次郎・俵萌子・三木卓・早乙女貢・高村薫・出久根達郎・浅田次郎・安土敏といったそうそうたる著名人が並んでいる。ほとんどが人生の先輩だが、「人生」という共通のテーマで自分を語っているだけに、興味深い。渡部先生によると、記憶力は65歳からでも向上する、とのことだ。
2006/01/27
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夜は横浜で探検部時代の同級の仲間と会う。30年以上前のモードに一気に入ることができるのは、青春を一緒に過ごしたからだろう。由布岳へ一緒に登った話、八重山西表島での遭難騒ぎなど忘れていた事実や事件を思い出した。そして勤務先の状況、互いの家族の歴史と現状など、久しぶりの仲間との楽しい夜だった。
2006/01/26
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午前中は、学部生の卒業論文発表会に向けての練習日。4人のゼミ生に本番を想定してプレゼンをしてもらった。資料の作り方、プレゼンの最初の始まり方、終わり方、会場の電気をつけるかどうか、目線、口調、質問の受け方、回答の仕方、逃げ方、時計の置き場所、タイムマネジメントの方法、服装の心得、練習のポイント、、、、、。こういったアドバイスを個人個人に厳しく指導する。来週に、もう一回練習日を設けてあるので、次はかなり完成したプレゼンをしてくれるものと期待している。最終発表会は2月6日。午後は、大学院生の修士論文の審査会。3人の審査会に出席し、プレゼンをしてもらった上で、質疑応答を行った。一人1時間ほどの時間だが、こちら側は3人の先生たちというスタイル。最終審査会は2月9日。もう少しで終わりなので、頑張って欲しい。
2006/01/25
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今年の山本七平賞は、「白洲次郎 占領を背負った男」が受賞した。これと最後まで争い甲乙付けがたかったのは「西条八十」であり、こちらは特別賞を受賞した。今回はずれも人物評伝が受賞した。受賞作は300万円、特別賞は30万円。選考委員は、加藤寛、中西輝政、山折哲雄、養老猛、渡部昇一、江口克彦といった面々。山本七平賞は、PHP研究所が主催する山本七平を記念する学術賞である。1992年から始動。日本語で執筆され日本国内で出版された社会学、政治学、経済学、歴史学、哲学、宗教学、比較文化等の人文科学、社会科学の学術書、論文が対象となっている。山本七平は、70~80年代に活躍した評論家で、「日本人論」を語るとき、今も各方面に大きな影響を与えている。《日本軍》 『私の中の日本軍』『ある異常体験者の偏見』『一下級将校の見た帝国陸軍』『洪思翊中将の処刑』など《日本人論》『「空気」の研究』『「あたりまえ」の研究』『日本人とアメリカ人』『日本教の社会学』『存亡の条件』など《日本思想史》『勤勉の哲学』『受容と排除の軌跡』『日本資本主義の精神』『現人神の創作者たち』『日本的革命の哲学』『近代の創造』『日本人とは何か』『江戸時代の先覚者たち』など《歴央》『徳川家康』『乱世の帝王学-山本七平の武田信玄』『昭和天皇の研究』など《聖書》『聖書の旅』『聖書の常識』『山本七平の旧約聖書物語』『一つの教訓・ユダヤの興亡』『禁忌の聖書学』『宗教からの呼びかけ』など《中国古典》『論語の読み方』『帝王学[貞観政要]の読み方』など《自伝・その他》『静かなる細き声』『小林秀雄の流儀』『昭和東京ものがたり』など《ベンダサン名作品》『日本人とユダヤ人』『日本教について』『にっぽんの商人』『日本教徒』自筆は60冊以上、その他の、共著、対談、翻訳なども多数。「白洲次郎」の著者である北康利氏は銀行系証券会社勤務の人で資産証券化などのファイナンス理論が専門だが、一方で白州次郎の故郷・兵庫県三田市の郷土史家でもある。「西条八十」の著者は筒井清忠氏で、帝京大学文学部教授の日本文化論の大家である。白洲次郎 第二次世界大戦にあたっては、参戦当初より日本の敗戦を見抜き鶴川に移住、農業に従事する。戦後、吉田茂首相に請われてGHQとの折衝にあたるが、GHQ側の印象は「従順ならざる唯一の日本人」。高官にケンブリッジ仕込みの英語をほめられると、返す刀で「あなたの英語も、もう少し勉強なされば一流になれますよ」とやりこめた。その人となりを神戸一中の同級・今日出海は「野人」と評している。日本国憲法の成立に深くかかわり、政界入りを求める声も強かったが、生涯在野を貫き、いくつもの会社の経営に携わる。晩年までポルシェを乗り回し、軽井沢ゴルフ倶楽部理事長を務めた。「自分の信じた『原則(プリンシプル)』には忠実」で「まことにプリンシプル、プリンシプルと毎日うるさいことであった」と正子夫人。遺言は「葬式無用、戒名不用」。まさに自分の信条(プリンシプル)を貫いた83年だった。西条八十 1892~1970。詩人。東京牛込に生まれる。早稲田中学に学び吉江喬松の影響を受ける。早大在学中、詩誌「聖盃」に参加。早大英文科で教鞭をとる。アイルランド詩人やフランス象徴主義詩人に深く傾倒した。『砂金』などの詩集のほか童謡、流行歌も作った。この2冊は読みたい。
2006/01/24
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夕刻、市民満足学学会事務局長でワード研究所社長の大島さんが東京から宮城大学にやってきた。行政サービスに関する膨大で迅速なアンケート調査を武器に、行政の問題点を指摘するというユニークな活動をしている。「警察は泥棒を捕まえない」など、データを読み込む中で発見したことをマスコミなどを通じ発表して話題にもなっている。高い志と民間企業経営を両立させる苦労も聞いた。私も理事をしている市民満足学会(日下公人会長)では、毎年、各種行政サービスの全国的なランキングを発表している。ベスト以外にも、昨年からはワーストも発表するようになった。毎年、朝日や日経にその様子が1ページにわたって掲載される。その仕掛け人が大島さんだ。国土交通省の研究会で一緒に委員として活動したことがある。
2006/01/23
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今日は、センター入試の監督業務で、朝7時過ぎから今までずっと仕事をしていた。日曜日は二日目で理科と数学の試験。受験生は大変だが、こちらもずいぶんと気を使う。受験生はセンター入試を終えて、2月と3月には、国公立の前期・後期入試があり、その間に私立の入試があるというスケジュールになる。昨日は、宮城大でも英語のリスニングで機器のトラブルがあって混乱した模様。
2006/01/22
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映画好きの先輩(70代)のブログ(下記)を読んで、見に行った。三谷幸喜監督の手腕は大したもので、めまぐるしく変わるシーンのたびに笑がこみあげてきた。絢爛豪華な出演者とテンポの速い展開と気の利いたエスプリ。もっと映画を見なきゃ。そういえば「春の雪」はいつのまにか見逃してしまったなあ。------------------------------------------------------------------久しぶりにベタぼめしたい日本映画が現れた。これで日本映画もフランス映画やハリウッド映画並みのレベルに達したと思う。三谷幸喜監督が劇作家であることから舞台を映画的に拡張した空間感覚を作り出した。三谷氏の才能はバルザックかゴーゴリを思わせるほどエスプリが効いている。まず感じたことは、この映画には街のロケというものがなく、まったくのホテル内だけの、しかも年末の数時間というリアルタイムで進行し、カット転換というものがほとんどない。ホテルのセットは壮大ですごく金がかかっているように見える。俳優はベテラン俳優はじめ総出という感じで、カメラがホテル内を進行し、観客はずっとホテルの奥行きのあちこちをカメラとともに見て回り、そこにいるさまざまな人間群のところに立ち止まり、多少ありきたりだが、人間模様の面白さを描いている。カウントダウンパーティのラストシーンのYOUが歌う場面は圧巻であった。さて、三谷監督が描こうとしたものはなんだろうかと考えた。やはり世代間バトルだろう。戦後60年で作り上げられた既成の秩序、既得権者の身勝手さに対する若手の反発といったところだ。また、団塊の世代だろうと思われるホテルの中間管理職のガチガチさにこきつかわれる若い世代のバトルでもあろう。しがない筆耕係、下のマネージャーや政治家の秘書、売れない芸人などが造反する。役所広司、松たか子が実によかった。何度もみたい映画である。 (「現代徒然草」八木哲郎)------------------------------------------------------------------
2006/01/21
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尊敬する郷里の横松宗先生の追悼文を書き終えた。原稿用紙20枚ほどになった。ずっと残るものであり、私も気合を入れて先生のことを書いた。タイトルは「宿命を使命にかえて」にした。以下は、その最後の部分。------------------------------------------------------------先生は私が中国東北部の吉林大学(長春市)の客員教授になるなど中国に関心が傾斜していくこと、福沢諭吉を中心に中津という町に関心が深まっていくことを喜んでおられたように感じている。先生はさまざまな文化活動を実践したが、素晴らしいのはそれぞれの分野に後継者を育て上げたことだろう。包容力があって暖かい人柄の先生の市民への教育活動は、「塾」のような趣きがある。先生に薫陶を受けた多くの「横松塾」の塾生の存在は、文化の香りを強みにすべき中津という町にとっては、かけがえのない大きな財産だろう。「文部省は竹橋にあり、文部卿は三田にあり」とは福沢諭吉の偉さを語った当時の人々の言葉だが、横松先生は同じような存在だったのではないか。私はここ1年以上、主として明治生まれで、明治から大正、昭和にかけて各界で活躍した人物を顕彰した人物記念館を訪ねる旅をしている。具体的には後藤新平から司馬遼太郎までというイメージだが、大分県では、朝倉文夫・瀧錬太郎・重光葵・広瀬武夫といった人物群である。全国各地を訪ねてみると、風土が育んだ人物を風化させることなく、その仕事や精神を地域の財産として残そうとする動きも多いように感じている。金谷の居宅の隣に建った先生の研究生活を支えた蔵書を集めた重厚な書庫は、中津の文化の光を消さないために、横松宗先生の点した松明(たいまつ)を引き継ぐための基地として残す手立てをいずれ考えるべきだろう。
2006/01/20
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ライブドアショックで市場は大混乱しており、マスコミはこの事件報道一色の感がある。昨年末に、各党の政治家が多数出演していた民放テレビの討論番組があった。マンションの耐震偽装事件のヒューザー小嶋社長の証人喚問が年明け1月17日に設定された時期だった。民主党の鳩山由紀夫幹事長が「なぜ17日に設定されたのか。17日までには何が起こるかわからない。偽装事件が吹っ飛ぶようなことが起こらないとも限らない」という意味深な発言をしていたのを覚えている。それはどういう意味なんだろうとずっと気にめていたが、ここ数日の報道を見ていると、ライブドア捜査のことだったのかと思い当たる。この書き込みをしているのは20日の朝だが、朝刊の一面を眺めてみると、こうなっている。日経新聞・ライブドア「自社株 不正売却80億円」・ライブドアショック--試練の資本市場1・日経平均急反発・コニカミニルタ カメラ・フィルム撤退河北新報・ライブドア 株式交換で買収18件・フジ役員引き揚げ・東証 薄氷の取引・小嶋氏が姉歯発注指示 衆院参考人質疑・日航、国際4線撤退
2006/01/19
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「平民宰相」として知られる原敬記念館を11月3日に岩手県盛岡市に訪ねた。翌日の4日が、首相在任中に東京駅丸の内南口で18歳の青年によって暗殺された命日である。原敬は1921年(大正10年)に65歳で世を去る。 2005年は1856年生まれの原の生誕百五十周年にあたるため、記念館では「原敬、故郷を想う---老死なば滋に朽ちなん花のもと」という企画展覧を開催していた。暗殺の噂があったこともあり、原は死をも覚悟して遺書をしたためていた。「死去の際位階勲等の付与は余の絶対に好まざる所なれば死去せば即刻発表すべし」「墓石の表面には余の姓名の外戒名は勿論位階勲等も記すに及ばず」など原の政治を行う決意をうかがい知れる言葉が並んでいる。 中略原敬は、62歳から65歳までの3年2ヶ月の間、総理を務めた。爵位を持たない衆議院議員が首相になったのは初めてで世間は平民宰相といって歓迎した。藩閥、官僚、貴族院の勢力を排して完全な政友会内閣を組織した。藩閥の弱体化、軍閥の弱体化(文官任用)、政党政治の確立、高等教育機関の大増設、狭軌地方線の拡大、臨時国語調査会の設置、選挙資格の拡大、文官登用にあたり自由任用範囲の拡大、アメリカ重視、シベリア撤兵、中国との関係改善、国際連盟常任理事国、皇太子の外遊(暗殺の原因)など、仕事師宰相だった。原敬という人物は、政治家として、そして個人として本物の日本人であると、大きな感銘を受けて記念館を後にした。-----------------------------------------------------「ほんとうの時代」(PHP)のホームページからゆとりと自信の生き方追求マガジン! 価値観変革の時代に充実した新しい生き方を提案する月刊誌――『PHPほんとうの時代』。 「人生80年時代」を迎え、私たちは新しい生き方の尺度を求められるとともに、柔軟な心を培っていかねばなりません。この月刊誌は、50代からの生き方情報を提供し、心身ともに豊かな人生づくりをめざす新しいタイプの雑誌です。人生の円熟期にさしかかった世代に向けて、ライフプラン、家庭・夫婦、健康、経済などを中心に、実用的な情報を提供してまいります。
2006/01/18
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1月17日は、「福翁自伝」と並んで世界の2大自伝と称されているベストセラー「フランクリン自伝」で知られるフランクリンの生れた日である。フランクリンは1706年に生まれ、1790年に84歳で没している。葬儀は国葬だった。アメリカ独立宣言の起草委員の一人で、独立建国の父であり、「すべてのヤンキーの父」と讃えられた人物で、政治家、外交官、著述家、物理学者、気象学者、発明家と多くの分野で指導的な役割を果たしている。雷の中で糸にライデン瓶をつけて凧をあげ、わざと落雷させるという実験を行った。この瓶が帯電していることから、雷が電気であることを証明してみせたという逸話は知っている人が多いだろう。新渡戸稲造が「高き学理を日常に実施し、深き哲理をわが身に体せる人である」と評したように大変すぐれた人物だった。子どもの頃、この人物の伝記を読んだ記憶があるが、改めて「フランクリン自伝」を読んでみたい。
2006/01/17
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全国の市町村など自治体向けの雑誌で「広報」という雑誌がある。「図で考える人は仕事ができる」や「合意術」を読んだ編集者から熱烈な執筆依頼があった。1月号は「コミュニケーションを考える」特集で、学者やコンサルタント、NPO指導者など4人が小論を寄せている。私もその一人で4ページほどの論考を書いている。他に、「広報ライブラリー」の中で、近著「合意術」が紹介されていたり、「編集後記」でも「図解」「鳥瞰」「編集」というキーワードも取り上げられた。------------------------------コミュニケーションは経営の本質である 組織運営はすべてコミュニケーション活動が基盤 伝えることよりも達すること 定性情報・図解思考・顧客視点 説得型から納得型へ-------------------------------最近、雑誌が「コミュニケーション」特集を組むことが多い。その中でインタビューや執筆を依頼されることが増えてきた。私が関わっているものだけでも行政、医療、宗教など業界の種類は様々だ。どこもコミュニケーション不全に陥っているようにみえる。
2006/01/16
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今週の日経ビジネスが届いた。よく知っている人が二人出ていた。一人は今北純一さんで、新春特別対談で柔道金メダルの山下泰裕さんとの組み合わせだ。今北さんは現在はコーポレート・バリュー・アソシエーツマネージング・ディレクターという肩書きだった。ビジネスマン時代に企業の広報課長・宣伝課長の勉強会という会があって、このメンバーとしても参加されていて面識がある。1946年生まれで59歳。70年に東大大学院化学工学修士。バッテル記念研究所、フランス・ルノー公団、エア・リキッド・グループで要職を歴任し、99年に欧州を拠点とする有力経営コンサルティングの現在の会社に加わっている。副社長時代に日本でのその会に久しぶりに参加されて会ったからもうしばらく会っていないことになる。今北さんは当時「日本の頭脳」と言われていた。対談の内容は、「個の底力でニッポン再興」というテーマで、日本人を応援するものだ。今北さんは海外ビジネスの現場から日本や日本人、日本的経営を見つめて、その報告を本として出版するというスタイルをとっている。欧州からの視点は特に貴重である。もう一人は寺島実郎さんで、こちらは「終わらない話」というコラムで「日本海物流の重大な意味」がテーマである。2005年の日本の貿易総額に占める米国の比重は18%以下、アジアは47%と5割に迫った。太平洋側の港湾(神戸・横浜など)が地盤沈下し、日本海側の港湾物流が活況を呈している。プサンがハブ港化し、アメリカへは2日早いため日本海の津軽海峡を抜けるルートがラッシュになっている。戦後の日本人は、太平洋側を「表日本」、日本海側を「裏日本」と呼んできたが、「表と裏」を反転させるくらいの気迫が必要だ。アジアとの関係から国総体を戦略的に見直して、適正なインフラ投資と資源配分を行う視点が重要だ、と述べている。寺島さんの写真は大手町の三井物産戦略研究所の所長室で撮ったものだ。時折訪ねることがあるが、この窓からは、皇居を見下ろすことができる。寺島さんは、ワシントンにいた時には、ホワイトハウスが見える部屋に陣取っていて「ワシントン戦略読本--ホワイトハウスが見える窓から」という著作もある。寺島さんはいつも、現在の日本の姿と進むべき方向を見晴らしよく提示してくれる。貴重な国士型の人材だ。
2006/01/15
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タイトルに書いた本(私は監修者)が河出書房新社から出る。来週あたり書店に並ぶ。「自分史」「30代」「自己発見」がキーワードになっている。「過去の自分」を整理し、「本当の自分」に出会うために、50の質問を用意している。仕事、家庭、自分など、30代は大変な時代だ。その30代をサポートするための本。---------------------------------------------------------------あなたは何番目の子どもでしたか? 小学校の文集に書かれた「夢」は?「過去の自分」を整理し、「本当の自分」に出会う。あなた自身が気づいていない夢・性格・行動パターンを分析するための50の質問が導く、これからの生き方のヒント。 -------------------目次【第1章】あなたはどんな子どもでしたか?自分の生い立ちと気質を探る Q1 あなたの名前にはどんな思いが込められていますか?Q2 何番目の兄弟・姉妹として生まれましたか?Q3 あなたの両親はどんな性格でしたか?Q4 幼い頃、誰によく面倒をみてもらいましたか?Q5 親の言葉で心に残っているものは何ですか?Q6 保育園や幼稚園には、すぐなじめましたか?Q7 小・中学校時代、どんな子どもだと評価されてきましたか?Q8 クラスでは、どんな係を任されていましたか?Q9 小・中学校時代の良い思い出、嫌な思い出は何ですか?Q10 テスト結果について、親はどんな態度を示しましたか? コラム*自分史講座の現場から 【第2章】あなたの本当の夢や幸せは何ですか?~偽りの目標にサヨナラする Q11 小・中学校時代の文集には、どんな夢が書かれていますか?Q12 どんな科目や遊びが、好きでしたか? 得意でしたか?Q13 あなたの家系には、どんな人がいますか?Q14 これまでどんな人を尊敬してきましたか?Q15 進路はどうやって決めてきましたか? コラム*15年単位の人生計画を立てよう 【第3章】あなたは自分の気持ちを素直に表現していますか?~周りの人に思いを正しく伝える Q16 レクリエーションなどのとき、積極的に参加するほうでしたか?Q17 勉強では、授業と自習のどちらを重視していましたか?Q18 人の話を聞くとき、よくうなずくほうでしたか?Q19 話がわからないとき、きちんと聞き返すほうでしたか?Q20 どんな相談を友達から受けてきましたか? Q21 話し相手によって、声のトーンが変わる経験がありますか?Q22 これまでどんなことに怒りを感じてきましたか?Q23 ほめ言葉をもらったとき、どう返事をしてきましたか?Q24 パーティーの席などで、どう振る舞ってきましたか?Q25 今までに話し方について、注意されたことはありますか? コラム*図解コミ?ケーションの勧め 【第4章】あなたはどんな人間関係を築いてきましたか?~人間関係で成功するために Q26 学生時代から振り返り、どんな友人が多いですか?Q27 毎年、年賀状は何枚くらい出しますか? Q28 年上と年下のどちらと行動するのが好きでしたか?Q29 今までに人間関係で悩んだことがありますか?Q30 今までにどんな相談をしたことがありますか? コラム*人間関係のコツを教えてくれるエニアグラム 【第5章】あなたは考え方や行動のクセに気づいていますか?~わずかな修正ですべてうまくいく Q31 自分や他人の学歴が気になることがありますか?Q32 代役を頼まれたようなとき、どのように感じてきましたか?Q33 試合や仕事でミスをすると、どのように感じてきましたか?Q34 待遇や扱いに不満があるとき、どのように考えてきましたか?Q35 「すべきだ」「ねばならない」と考えることが多かったですか?Q36 すぐに自分を「ダメな人間だ」と決めつけることがありましたか?Q37 「一位以外はすべて同じ」と、思うことがありましたか?Q38 身近な人が何かで成功したとき、どのように感じてきましたか?Q39 同じ失敗で繰り返していることはありますか?Q40 部下や後輩の指導に当たるとき、どのように感じていますか?Q41 他人に指示を出すとき、どのような出し方をしますか?Q42 予定外の仕事を頼まれたとき、どのように対応しますか?Q43 課題や仕事を与えられると、すぐに着手するほうでしたか?Q44 仕事や作業の計画を立てたとき、予定より早く終わるほうですか? コラム*人生のテーマの見つけ方 【第6章】あなたらしい人生を送るために~未来のために確かめておきたいこと Q45 今までにどんな挫折を経験してきましたか?Q46 過去の自分のどこを改善していきたいですか?Q47 どんな家庭を築きたいですか?Q48 子どもにどんなことを願いますか?Q49 あなたの人生の残り時間はどれくらいですか?Q50 あなたの描く理想の将来はどのようなものですか? おわりに監修者のことば
2006/01/14
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東京で出版社の編集者数人と雑誌の編集長らと会った。単行本の企画が進んだのと、雑誌連載が新たにひとつ増えて4つになった。今回は、企業の人事部を対象とした専門雑誌だ。今のところ、雑誌連載のテーマは「ファシリテーション」「タイムコンシャスライフ」「人物記念館の旅」「図解」など。しょっ中、締切がくる感じだから、今年は連載のスケジュール管理が重要になるだろう。他に、東京で会った人たち。・Webook編集長の松山真之介さん・財団法人日本総合研究所の野田一夫会長・村田アソシエイツの村田裕之代表・ダイヤモンド社第一編集部の久我茂さん
2006/01/13
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隔月刊の雑誌連載。全文を載せるわけにはいかないので、以下、さわりを一部掲載。-------------------------------------------------------------「バック・トゥー・ザ・フューチャー」という映画がある。スピルバーグが製作総指揮したタイムスリップをテーマにしたSFエンタテイメントで、人気が高くシリーズ化されている。ブラウン博士、高校生マーティ、発明家ドク、、。愛車デロリアンをタイムマシンに改造して過去や未来に旅立って、数々のおかしな事件に遭遇するという物語だ。シリーズ第一作の中では1985年から30年前の1950年代の過去に戻っていく。 中略タイムマシンは、時間を空間と同じように航行し、未来や過去へ移動するための架空の乗り物や装置だが、空間を飛ぶ航空機ならぬ、時間を航行する「航時機」と呼ばれることもある。 中略さて、私は大学で大学生に自分史を書かせる授業も持っている。 中略未来の萌芽は過去の中にあることが多い。過去に旅することは、実は未来への向かって行くことでもあるのだ。 中略自分史に取り組んでわかったことは、自分史を書くことは、過去を振り返るだけに留まらず、未来へ向けて自分の過去に遡っていくという感覚なのである。まさにバック・トゥー・ザ・フューチャーという言葉がぴったりする。自分史を書くという行為はタイムマシンに載ることに似ている。 後略
2006/01/12
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今日は、午前中はゼミ、午後は会議。9時:4年生のゼミ生 卒論修正指示11時:3年生のゼミ 「図解マニフェストの提案」完成、印刷へ。14時半:大学院教授会16時半:学部教授会ーー19時19時半:学部新年会(あさひ鮨八乙女店)ーー22時。 昨日は学科の新年会、今日は学部全体の新年会と2日連続。 楽しく懇親。
2006/01/11
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健康十訓。1.少肉多菜2.少塩多酢3.少糖多果4.少食多噛5.少衣多浴6.少言多行7.少欲多施8.少憂多眠9.少車多歩10.少憤多笑反省すること多し。出来ていること少なし。
2006/01/10
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今年で8年目になる常磐木学園主催のコンサートを電力ホール(東北電力)で聴いてきた。毎年聴いている。常磐木学園理事長・校長の松良さんと奥様に入り口でご挨拶。ウイーンフィルの名コンサートマスター、ライナー・キュッヒル氏を中心にヴァイオリン2人、ヴィオラ、チエロ、コントラバス、フルート、ホルン各1人に、クラリネット2人の9人編成で、全員がウイーンフィルの腕利きのメンバー。今年は、このメンバーは1月4日の名古屋から始まって、松本、大阪、仙台、福岡、東京(サントリーホール)、13日の東京(紀尾井ホール)までのツアー。モーツアルト、J・シュトラウス、ヨーゼフ・シュトラウス、J・シュトラウス2世、レハール、ツイーラー、ランナー、ミレッカーなどの11曲を楽しく演奏する。みんな熟練の演奏家なので、演奏が素晴らしいのはもちろんだが、ユーモアあふれるしぐさで観客を笑わせながらいい雰囲気をつくっていく。プログラムを見ると、キュッヒルへのインタビューが載っている。------------------------------------------------------------- 指揮者、音楽家は演奏する音楽の1要素に過ぎず、音楽を聴衆に伝える輪 のひとつに過ぎません。 自由な時間というのは、自分にとって深い意味のある時間のことなので す。真知子夫人(日本人)の反応が面白い。 彼は狂っているんです(笑)。狂っているから音楽が出来るんです。 この人は職人なのです。だから私が横で保護しているんですよ。-----------------------------------------------------------各分野に、入れ込んでいる(狂っている?)人がいないと、文化は育たないということだろうなあ。
2006/01/09
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「人に百歳の長寿なく、社会に千載の命なし」と喝破した徳富蘇峰は、56歳から90歳までの34年間でライフワークである世界最大の著作「近世日本国民史100巻」を書き上げ、95歳まで生きた。昨年末に95歳で永眠した経営の神様P・ドラッカーの著作のベストセラーの数々は、実に60歳以降の作品が大半だった。75歳で「富嶽三十六景」を完成した葛飾北斎は、90歳の死ぬ間際には「もう10年余命があればなあ」「もう5年生きられたら本物の絵描きになれるのに」と死の直前まで画風を変革しながら絵を描き続けた。日本地図づくりに挑んだ伊能忠敬は、隠居して江戸に出て天文学の修行をしようとしたが、反対する家族に「いや、わしは五十一歳になったばかりだ」と若さを強調していた。冒険野郎・三浦雄一郎の父で今年101歳で亡くなった三浦敬三さんは死の直前まで現役のスキーインストラクターとして活躍中だった。聖路加国際病院理事長の日野原重明さんは90歳を超えてからベストセラーを連発したが、3年先まで埋まっている手帳を持っている。-------------------------------------------------------人口減少社会の到来の前倒しのニュースとともに、2010年に向けての団塊の世代(50代後半)の退職がマスコミの話題になってきた。先達の偉業を知るとこの世代が老いを感じるのは間違っているように思える。
2006/01/08
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朝8時20分の飛行機で仙台から九州に帰る母を車で送る。自宅から空港までは高速道路で50分ほどだ。天気が良かったので名取市あたりから雪で覆われた蔵王連峰の雄姿が見える。とても美しい。自宅近郊の泉ケ岳は雪がまばらに見えるが、さすがに蔵王は雄大である。例年は蔵王の頂上付近は樹氷が見られるが、今年は大雪でどうなっているのだろうか。年末からの我が家のインフルエンザ騒ぎや、雪の影響等であまり出かけられなかったが、2週間近くゆっくりしてもらった。夜は、NPO法人キャリア開発研究機構の理事会。懸案処理や今後の方向付けについて議論が進んだ。
2006/01/07
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卒論の修正箇所の指示(3人)修士論文指導(1人)大学に来た年賀状の処理(メールで返事)「看護教育」への寄稿文完成送付「ほんとうの時代」に樋口一葉の文章執筆完了「自分時間」への連載の文章執筆準備学内会議に出席新年の仕事スケジュールの確認今年の計画表の完成
2006/01/06
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年末・年始のテレビでは、男ではみのもんた、女では細木数子の独りがちだった。どこを見てもこの二人の番組だった。絶頂期を迎えたのだろう。司会者というジャンルがあることとと、占いというジャンルの人気の高さを改めて知ることとなった。みのもんたは紅白の司会にまで登場しているとはただ事ではない。また女子高校生を叱ったり、日本の伝統への回帰をテーマとしているように見える細木によれば、ポスト小泉は武部幹事長とのこと。この現象は、常識や伝統の勢いが増しつつあることを感じさせる。
2006/01/05
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黒磯の青木周蔵(1844年ー1914年)別邸を訪ねる。青木周蔵は明治時代にドイツ公使、3度の外務大臣、駐米全権公使などを歴任し、子爵の爵位を得て華族に列せられている人物である。青木別邸は白壁に紫色の屋根が載った瀟洒なドイツ建築で、雪景色の中だったが姿はまことに美しい。道の駅「明治の森」に隣接しており、「とちぎ明治の森記念館 旧青木家那須別邸」が正式名称である。この別邸は、1888年に建築され、1909年には大規模な増築工事を行って、昭和40年代までは青木家の別荘として使用されていたが、老朽化し荒れていた。栃木県は平成10年に青木周蔵の生きていた明治42年(1909年)とおおむね同じ状態に復元した。平成11年12月には国の重要文化財にも指定された。227坪の大邸宅である。建築は松ケ崎萬長男爵(1858-1921)で、現存する唯一の作品である。松ヶ崎は七十七銀行本店も建築している。青木周蔵は長州の生まれだが、16歳の時に日田の感宜園(広瀬淡窓)で学ぶために中津に着いたところ、中津城の大きさに驚いて方針を変更し城下の手島仁太郎家塾(誠求堂・荻生徂徠学)に入門する。翌年には塾長代理になる秀才だった。福沢諭吉(1835年生まれ)の生家も訪問している。9歳違いになるから、福沢は20代半ばで咸臨丸での渡米や遣欧使節として活動している時期である。周蔵は諭吉の生き方に刺激を受け、蘭学を学ぶ決意をする。21歳で蘭学者青木研蔵の養子となり、青木テルと結婚。24歳で医学修行のためプロシア(ドイツ)に留学。3年分の旅費・学費として1575両が与えられている。30歳でドイツより帰国し、ドイツ公使としてドイツへ。33歳、ドイツ人エリザベートと国際結婚。養子という身分の青木周蔵は、青木テルとは離婚するが、青木家とは離縁しないという決着を青木家とみている。青年時代からあわせて19年間ドイツに滞在する。「ドイツ翁」とも呼ばれていた。43歳、子爵。45歳山県内閣の外務大臣、47歳、松方内閣の外務大臣、54歳、山県内閣の外務大臣。青木が尊敬していたのは、木戸孝允、次に親しかったのは井上馨、次に親交があったのは山県有朋。評価していないのは、伊藤博文と陸奥宗光だった。殖産興業政策が推進された明治10年代は大々的な開拓事業が展開されたが、広大な原野であった那須野ケ原の開拓もその一つでああった。水が乏しく、広大な原野で、山林経営を主体としたドイツ式農場を目指した。青木の頭の中にはドイツの貴族地主(ユンカー)があった。1885年の那須疎水の開削によって開拓は加速される。那須野ケ原には、明治の重臣の別邸が多い。山県有朋別邸、乃木希輔別邸、松方正義別邸、大山巌別邸、三島弥太郎別邸、毛利元敏別邸など。このうち、松方別邸はビジネスマン時代に幹部社員だった縁戚関係者と訪問して驚いた記憶がある。山県と乃木の別邸は昨年訪問している。青木農場は500万坪(1576ヘクタール)の大農場で、近所の市立の青木小学校もつくっているなど、地元にも大いに貢献している。青木別邸は1階は、夫人室、応接室、主人室、大食堂、納戸、正面玄関、居室、小食堂、倉庫、調理室、倉庫。2階は、2つの寝室、居室、倉庫、居室、居室、屋根裏部屋など。系図の中に、周蔵の曾孫の世代に盛久(元ペルー大使)という名前があった。確か、ペルーの日本大使館の人質事件の時(フジモリ大統領)の大使だった。不遜な語り口で話題になった人物だったという記憶がある。周蔵は森鴎外とも親交があり、「舞姫」や「大発見」という小説の中でモデルともなっているそうだ。1914年に71歳で没しているが、その後、第一次世界大戦が起こり、日本は周蔵のドイツに宣戦布告している。青木周蔵は、ドイツ系の人文科学、自然科学、文化の輸入に大きな功績があった。
2006/01/04
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賀茂神社(仙台)での御神籤と那須(栃木県)での運勢判断によると、今年は守りの年か。---------------------------------------------------------------六白金星。暴れ馬。今年は守りへ向けての変革の一年。守りは4年続く。いいことと良くないことが同時に起こる。厄除け(三土厄:人間・病・事故)が必要。仕事の鬼、少しセーブすべき。情熱家、慎重さ足りず目的にまっしぐら。暴走気味。目配り、気配りあり、柔軟性あり。第6感がきく。入金多く、出金多い。晩年安定型。病気なし。南北、東南が吉。食事バランス。 (那須にて:四柱推命・手相)-----------------------------------------------------無理に入れれば袋が裂ける、地位も名誉も神まかせ。一升枡には一升しかはいらぬ。無理に入れればこぼれる。抑えつければ枡がさける。地位も名誉も、財宝も、身分不相応は災いの基、神様御相手に、世の為、人の為に尽くして徳を積め。徳を積んで容量(いれもの)を大きくせよ。神の賜える財宝(たから)なら永久に逃げはせぬ。風さわぐ 秋の夕は行船も いりえ しずかに 宿を定めて (賀茂神社 御神籤 末吉)------------------------------------------------------
2006/01/03
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福沢諭吉の国語に関する著作「文字之教」(明治6年)から以下抜粋。-------------------------------------------------------- すべての文章はむずかしくして学者の作に似たるも、事柄(内容)は至極馬鹿らしくして、笑うべきものあり。元来文章と事柄とは全く別nものにして、つまらぬ事も、むずかしく書くべし(書けるの意)。大切なる事も、易く書くべし。難き字を用いる人は、文章の上手なるにあらず。内実は下手なるゆえ、ことさらに難き字を用い、人の目をくらまして、その下手を飾らんとするか、または文章を飾るのみならず、事柄の馬鹿らしくして、見苦しき様を飾らんとする者なり。 今の世の中に流行する学者先生の文章というものも、その楽屋にはいって見れば、大抵、このくらいの趣向なるゆえ、少年の輩、必ずその難文に欺かれざるよう用心すべし。その文を恐るるなかれ、その人を恐るるなかれ。気力をたしかにして、易き文章を学ぶべきなり。----------------------------------------------------- むずかしい漢字さえ使わなければ、漢字の数は、二千から三千にてたくさんである。現に、自分のこの本は、漢字を用いたることばの数、わずかに千に足らざれどもひと通りの便利を達するには一向さしつかえがない。-----------------------------------------------------------現在の義務教育で教える教育漢字は880字、常用漢字は1945字であるから福沢の言う通りだ。また「事柄と文章は全く別のもの」という考え方がは、昨年私が書いた「図解文章法」の主張と重なっている。福沢は動詞・助動詞・形容詞などの活用語は、カタカナを使うことを提案しているが、これは漢字で書くことの煩雑さを軽減しようとしたものだ。私の師匠筋にあたる梅棹忠夫先生(国立民族学博物館初代館長)の「知的生産の技術」や「文明の生態史観」などの名著は、ひらかなが多く極めて平易な文体で仕上がっている。この梅棹先生がグローバル時代には国際日本語が必要で、そのためローマ字日本語をつくるべきだと主張している。外国人にとっては漢字の壁があり、それをローマ字日本語でクリアできるという。ワープロもローマ字で打ち込んでいるではないか、その準備は整っているという考えだ。福沢のカタカナ日本語論と梅棹のローマ字日本語論は似通ったところがある。
2006/01/02
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2006年が明けました。おめでとうございます!ついこの間、2000年や2001年を迎えたばっかりの感じですが、もうこの10年の半ばが過ぎようとしています。今日は朝、九州から呼んだ母(78歳)も加えて家族5人でお屠蘇を飲みながらの年明けの会から始まりました。乾杯の前に、家長(古いかな)である私から昨年の我が家の動きと今年の方向について少し話をしました。昨年は家族全員にとって、それぞれ充実した、いい方向に向かう一年だったと思います。今年は、その延長線上にそれぞれの課題に挑戦していく年になるだろう、家族で支えあって暮らしていこう、こういう挨拶をしました。その後、おばあちゃんを含む全員が今年の抱負を語りました。そして、正月料理とお餅、お屠蘇、お年玉、、、。年賀状では懐かしい人からもありましたが、私の場合は大学へのものが多いので手に入るのが遅くなります。昨年の計画表を見ながらの総括は先週ほぼ終わっているので、今日は、今年の計画を考えながらパソコンに打ち込んでいました。数日かけて完成させればよいので、気楽に取り組んでいます。書き出すと方針や方向が決まってくるという感じが今年もしています。お正月、皆さんは、どのように過ごしていますか?
2006/01/01
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