宇宙は本の箱

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本然の生命?



自然素材をあまり使わずに、出来るだけ良さそうに見えるものを作るという技術の進歩は、次第に少なくなっていく地球資源をうまく多くの者に分配して来たのだから、そういう技術進歩を全部否定するわけではないが、そこまでしなくても良いものは今やありすぎて、数えればきりがない。物を大切にする心を教えなければと、表面ではそういういいことを口にするが、どっこい、ものをそんなに大切にされたんでは経済は立ち行かない。ものはどんどん使い捨て、どんどん買って貰わねばならないのである。そして、次から次、技術革新がなければ安穏としていられないのが今の世なのである。天然素材を沢山使っての贅を尽くしたものを長く長く、百年も二百年も使われたのでは会社はすぐに倒産してしまうのである。

笛を作る為に穴をあける。その穴を作る時、何か適当な道具があればあけやすいと思いつき、そういうものを作ってみる。それは自然にほとんどの者がそういう考え方になる。子供なら嬉々としてそれを純粋に楽しむだろう。だが今の世はそれを横目に見て、こうしたら安くて簡単に作れて、それを商品化したらきっと儲けられるだろうという考えを抱き、それを製品化し、それがもしヒットしたら、その人が敬われる存在になり、その人は成功者と呼ばれ、ただそういう物を作って楽しんでいた人は馬鹿と言われる。そういう考えに支配されている。

私は某君が持ってきた簡単ミニトマト製造機を見て馬鹿かと思う。彼らは24時間フル稼働オムライス機械というのも作っていたし、その他にも実に馬鹿馬鹿しいものを作っていた。毎年毎年種を購入しなければ高収入のピーマンや大根を作れなくなった農家はもう種子戦争による農業支配に巻き込まれているのであり、一定以上の金を常に持ってるような者は、自分さえその気になれば政府の支援がなくてもエコライフはいくらでも出来るのに、エコ村が出来たら行くと言い、支援があるから美的センスのかけらのない太陽光屋根にすると言い、エコカーを買うと言い・・・。


ああ、私はもう発展も技術革新もどうでもいい。
長生きするったって、たかだか人間の命なんて百年もあればいい方で、ああでもないこうでもないと欲得に生きるのは人間だけだ。
短い命。私はどうして人間になんか生まれてしまったのだろうか?
前世、そんなに悪いことをしたのだろうか。
自然の掟以外掟なく、行き着いた最果ての地、高い白い山の頂で、戸籍もなく、社会生活もなく生きることは遠い日の夢だったが。。。




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