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今日は炎暑の中、役員会、草刈りをこなしながら リオ五輪を流し見。表題の東京五輪から、52年も経過したとは、感慨深いものだ。かなり明確に記憶しているし、その前のローマ大会、さらにその前のメルボルン大会すらおぼろげに覚えているのだから、オリンピックというイベントは やはり強烈な印象が残る。想えば、遠くまで 来たものだ・・・。東京五輪の映像としては、ニチボウ貝塚の女子バレーボール優勝シーンが代表的だがおら的には マラソン、エチオピアのアベベ選手がローマに続いて圧勝、2連覇を果たした直後に国立競技場に姿をあらわした 円谷幸吉選手と英国のヒートリー選手との 熾烈な2位争いが忘れられない。水泳では、自由形のドナルド(ドン)・シュランダ―(USA)が とてつもなく強かったのが印象的な 思い出。炎暑の中、まあ、農作業はほどほどにして、リオ五輪を見ることにしましょう。
2016年08月06日
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今日から始まった 高倉健さん一周忌追悼の【駅 STATION】を視聴中。たまたま、今日は入間から持ち帰り、処分しようしようとしていた書類の中から【駅 station】のパンフが出て来た (^^ゞ 全くの偶然だ・・・昔、札幌在住時代に封切されたんだった・・・おら的には 健さんの作品ではベストだと思う。二番目は【遥かなる山の呼び声】かな。src="http://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/2/8da425e861fd8c0be0baea7baeab07bbccf475f2.11.2.2.2.jpg?thum=53" alt="201511072130_1377_iphone.jpg" border="0">まあ、処分しなくて よかったわい ^^;ちなみに 今週は健さん特集が 軒並み。↓ご参考まで。
2015年11月07日
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ちちぶ学講座のレポートの発表が迫ってきた。参考に昨年の発表会のDVDを借りてきて観てみたら、多くの方がパワーポイントを使用していて、単に講演風に発表すればよいと思っていたので焦りまくっております。パワーポイントは全く作ったことが無いが何とかすべく、とりあえずこれまで札所で撮影した画像を編集し、また多少の補足画像を撮影する必要が出て来た。まあ、なんとかなるだろう。ところで、画像を整理してたら 昨年の今頃の絵が出て来た (^^ゞ昨年2/9の朝の画像。↓ この時は最大積雪48センチ。まあ、10年に1度あるかないかの大雪となった。これだけでも凄いんだが、ところが、、、1週間もたたない2/14~15にかけて、100年に1度と云われる大豪雪に見舞われた。 (>_
2015年02月13日
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日暮れ時、炭を起こして炭火焼きをするには 格好の時候。今夕も 備長炭で 焼き鳥を焼きますた。炭火の香りは独特で、懐かしい。昔、北海道在住時、出張先の 帯広、釧路、網走、北見、紋別あたりで 【炉端焼き】のお店にてお酒を傾けながら、漂っていた匂いが蘇ります。昨日のように想いますが、もう既に 30年余りも経過したのか~。出張から帰札して、ほっと一息、よく南4条~5条 西4丁目あたりの 炉端焼きの店にいきますた。炭火を起こすたびに、北海道を思い出します、、、^^;
2013年11月08日
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TUBEの季節から このメドレー いやはや前田亘輝、絶好調の ようつべ。 オフコース・秋の気配 の季節ですね。 小田和正、珠玉の名品。ようつべ。(注)ようつべ、とは YOUTUBEの 略でして、アンダーラインの箇所をポチして頂ければ、YOUTUBEの おらの好きな曲が 聴けますので お試しくださいませ。
2013年08月15日
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ようやく 通夜終わりし。改めて 本文・セピア色した旧き【啄木歌集】再読ちう。しっかし、石川啄木は 天才歌人だな~~。ここで 【一握の砂】から。 【みぞれ降る 石狩の野の汽車に読みし ツルゲエネフの物語かな】
2013年07月31日
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その昔 おらは、1978~1986年まで 某社の札幌支社にて勤務していた。まだ若い頃で、当時は生意気盛り、クルマが好き、スキー好きだったので この生意気な若造は 北海道に行かしてやろう、ということになったのであろう。内示を受けるまでは 北海道には旅行すらしたことなく、父親の転勤先の 山口県に生まれ、千葉県市川市にて小中高・大学時代を過ごした 当時、未婚のおらにとっては 希望しての赴任であろうはずもなく、不安だらけの 1978年8月22日の着任だった。札幌支社は 北一条の市街中心部に立地していたものの 二階建ての オンボロな建物で はぁ~、ここで当分、仕事をしていくのだと思うと 行く先が思いやられた。かてて加えて、着任当日は 33℃の暑さで その翌日の道新一面の見出しが【炎熱 北海道】だったことと、当日の宿泊施設が間に合わず、何と、ススキノの今風に云えばラブホテルの うらさびれた一室で 一夜を明かしたことを 今でも鮮明に記憶している。まぁ、荷物が届いて以降は、西区山の手の社宅に落ち着いたのだが。さて、販売促進という営業の仕事なので、札幌のオフィスでのぬくぬくとした内勤ではなく、月のうちの半分近くはクルマでの遠距離出張、道東(十勝・釧路・根室・網走支庁)がメインだったが、石狩、空知、後志、渡島、桧山も少なからぬ時期を担当して、ほぼくまなく各市町村の取引先を ライトバンで走り回った。もちろん、札幌市内も含まれている。一回の出張で、1200~1500キロを、3泊ないし4泊で走行した。余談だが、走行している時間のほうが、取引先との時間よりも、圧倒的に多かった。よく、大きな事故に遭遇しなかったものだと 今にしてつくづく思う。着任当時は4名で 全道担当だったが、機構改変などで 最終的には2名での担当となってしまい いやはや、広大な北海道の二分の一を担当した。と、云うことで 担当地区以外の 胆振、日高、宗谷、上川、留萌も おおよそ8年の勤務期間中に観光、あるいは 出張での通り道で立ち寄ったが、今回の【利尻・礼文】は それ以来 初めての訪問だった。札幌・琴似に古くからの友人がいるので、今回もお世話になり24日泊、25日から27日にかけての旅は、札幌北口発着の バスツアーを利用したのだった。参加者は16名、おらのみ道外からの参加、ソロは おらと苫小牧からの おばさんの 2名だった。【続く】
2013年07月29日
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↑ のみ バラとガーデニング・ショウにて 購入し 昨夕植付け。まぁ あちこちのブースで 知らないネームの バラ苗が 販売されているので〈黄色 ツルバラ〉に絞っていても あれこれあって 迷うが こうなればエイヤーで ネーミングで決めた。サイレンス・イズ・ゴールデン(沈黙は金)は 1967年の トレメローズの 大ヒット曲で 好みのタイトル、つーことで これに決めた。これは ↑ 名曲ですので 上記リンクの you tubeで 是非 聴いてみて下さい。
2012年05月16日
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12/5 【ジュリー with ザ・ワイルドワンズ LIVE】 つー NHK番組があって 録画して 今夕 見直した。今回は 作曲:加瀬邦彦 というのが テーマ。この組み合わせは 最高だ。もちろん 皆 良い 年齢を重ねているが 沢田研二、加瀬邦彦、鳥塚しげき、植田芳暁、島英二という ベストの 面々だ。加山雄三さんの TV番組は すべて録画。【青空のある限り】【愛するアニタ】【想い出の渚】加瀬作品 連発だが 皆 名曲だ。おらも 全部 大声で歌う。楽しい番組だ。しかし かつての栄光を誇ったGSの アイドルは 死屍累々。ザ・カーナビーツ アイ高野 没ザ・ジャガーズ 岡本 信 没ザ・ゴールデン・カップス。 抜群の歌唱力の ディブ・平尾 没。合掌。それにしても ジュリーは元気だな。おらは 画像は 東芝REGZA42z1 音響は yamaha yrsー1000使用。まぁ ひとことで云えば 至福の ひと時なのである。これから 菜園で収穫した 杓子菜を シチューに入れて 食べるか。さて また明日。
2010年12月09日
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今日は大雨の予報も出ていたが 帰宅時 入間市駅からの 秩父多摩連山↓は 夕日に染まっていた。昔の話だが 40歳になったとき 一念発起して始めたことが 3つ ある。1、NHK教育テレビの 6:30からの テレビ体操 毎日。2、毎日、10,000歩 歩く。3、5年連用日記を 続ける。↓時が流れて18年経過したが 1と3は 継続している。2は 週末の野良仕事を 先年開始してから 歩数計を付けなくなった。異論が あるかもしれないが 10,000歩と 週末2日の野良仕事でスクワットするのはおら的に 無理。野良仕事の記録は 上記の5年連用日記、一年毎の菜園日記、そしてこのブログ、と3つも ほぼ毎日 相変わらず 記している。もともとPCは好きだし 紙に記した一覧性も デジタルにはない優位性があるので 今後も継続するつもりだが 一年毎の 菜園日記は昨年のノートを紛失したので 気分的には やめようかな。とも 考えています。このブログを 自分日記的に 活用すれば 済みますしね。但し、手書きの連用日記は絶対やめない。手作業の大事なことは云うまでも無く、紙に、考えていることを纏めながら 記すことは とても 大切ですからね。
2010年07月12日
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職場で ネット経由で知ったのだが 余りにも 早すぎる逝去だった。1990年前後だったか 都内のM百貨店で 講演会をお願いして S区のご自宅まで お迎えに行ったことがある おらだが 質素なお宅から 寝ぼけまなこの パジャマ姿で現われ いやな顔ひとつせずに 同行していただいたことは いまだに 忘れられない。今から 20年も 前のことだが 鮮明に覚えている。あー、この方は ほんとに 偉ぶらない人だな~ という 強い印象だった。TVで 印象的な栃木なまり(宇都宮の ご出身)はそのままだった。 著名人で こうした裏表のない方は稀有といってもいいぐらいであり 立松さんのさりげない主張にも共鳴している おら的には がっくり・・・である。世にいうが 「良い人は 早逝する」んだろうか・・・ 謹んで 合掌。
2010年02月09日
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秩父の田舎の不動産を相続して、もう二年余になる。おらは、ここで生活していたことはないんだが、親爺がこの地の生まれでというか、父方の先祖代々の土地のわけである。一昨年、親爺が大往生した後、おらがこの土地・家屋を相続した。今年開墾した菜園は、親爺が存命中は雑木林だった。一方、家屋は、いまや週末のおらの隠れ家になったわけだが、なくなった親爺には収集癖があって 蔵書、写真、旅先の資料の類いなどがマダマダ、ヤマのように残っている。帰宅途中の電車からで、そろそろ入間市に着くので、また後で。
2009年12月14日
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