お茶の歳時記
2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
2011
2010
2009
2008
2007
2006
2005
2004
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
全1件 (1件中 1-1件目)
1
ツイッターの方にもぽちぽち書いてた物を、まとめがてらもう一度自分の中で整理してみる事に。命の教育10年 衝撃走る 凄惨な少年事件相次いだ長崎(日本経済新聞)10年前の小6の女の子が同級生を刺殺した事件からこっち、佐世保では命の教育に力を入れて来たんだそうです。これ、昔の道徳教育を鼻で笑ってる私からすれば、その中身がすごく気になる所なんですが、具体例を今朝の報道番組で聞いて思った通り「上滑りしている」内容でした。例えば・・・「小児がんの子のビデオを見せられて、でもやっぱり命は大事だと感じました」ってコメントしている小学生と思しく女の子がいたんですが、なんか言わされてる感満載のいいこちゃんコメントで実を感じないなぁ・・・まぁ、そういうコメント以外は避けたのかもしれませんが。ていうか、そういうビデオ見たら、まず感想は「命は大事だと感じました」か「自分は恵まれてるんだと思いました」以外は許されないんですよね。そういう空気が一番教育に悪いと思うのは私だけじゃないと思う。以前読んだ青木悦さんの著書(タイトルは失念、もしかしたら絶版の本かも)で、命の教育みたいな学校の授業を取材した時、いじめに関して子どもたちがある本音を吐露したら、学年主任らしき先生が「そんな事言ったらダメ」的な感じで怖く怒鳴ったんだそうです。その本音って、本が手元に無いので正確な事は書けないのですが、いじめはいけないけど、それは解ってるけど、嫌だと思う子に優しくできないのは仕方ない的な中身だったと思います。で、先生に怒鳴られた後はっとなった子ども達は取り繕ったコメントしはじめたそうなのですが、愚かな先生ですね。せっかく子どもが本音をぽろっともらしてくれたんだから、全部黙って聞けばいいのに。凶悪犯罪や酷いいじめの話を聞くたび、良く「どうしてこういう事するのか解りません」ってコメントみかけるのですが、解らないなら本人たちの本音を聞きなよと思う。それが聞くに堪えない事でも、最後まで聞かなきゃ「解りません」の部分はいつまで経っても解消できないまんまですよ。うち、たまに長女が言うのですが、「お母さんがいてくれなかったら、自分は爆発していたかも」これは私がいつも彼女の愚痴を、口をはさまず最後まで聞く事に関して言われてるんです。その愚痴には、悪口とそん色ないものもいっぱい含まれます。ただ、こういう時子どもはアドバイスは求めてないんですよ。ただ自分の不満を聞いて欲しいだけなんです。だから「それはお母さんの前では言っていいからね。 でも、外で言っていい事かどうかは考えてから言ってね。 親の前で本音を取り繕う事は無いから、ここで言う分には安心していいよ」因みに、愚痴愚痴言った対象である友達とも結局仲よくしてます。曰く「皆いい所も悪い所も持ってる。 悪い所ばかりあげつらって付き合い辞めたら誰とも付き合えないよ」そりゃそうだと思いました。大人だって、わざわざ口には出さない本音を自分の中だけで消化して、人と付き合う事があります。別に嘘ついて陰で悪口言ってるとかじゃないです。家族間での会話は、そういう風にとらえるもんじゃないですよね。ただのガス抜きなんですから。私は親がそういう風に私の愚痴を全く聞いてくれなかったので、自分の子ども相手にする時は「なるべく風通しのよい家庭にしておこう」と思っていたのでそうしています。けれど、上記の「小児がんの子のビデオ」にしても、風通しのよい家で育ったならもしかしたら素直に「可哀そう、私って恵まれてるのね、健康に生まれた事に感謝しなきゃ」って思えるかもしれませんが(でもうちの子はそこまで謙虚じゃないかも)、私の育った家のように、親は子どもに愚痴を聞いてもらいたがるけど、子どもの愚痴は一切受け止めない家庭に育っていたら「だから何?私だって私を取り巻く世界に苦しまされてますけど?」と内心思った所で、私はその子を責められないなぁ・・・似たような事は自分の実家でもあり、その手のドキュメンタリー番組を母が見ながら涙ながらに「あんた本当に恵まれてるんだから」と説教してきても「ふーん」という感じで聞き流してました。だって、本当に「客観的に見て大変なのは解ったよ。 ただ、特に何か感じる事は無い」としか受け止められなかったもの。今は流石に違います。自分に子どもがいるからか、涙なしには見られません。でも当時の私は、なんというか今にして思えば生きてる手ごたえのようなものが一切感じられなかったし、自分がそこに存在しているという気がしなかった。そういう自覚すら無かった。「子どもが生きてる手ごたえとか(笑)」と笑える人は、そんな事を考える必要もないほど自分の気持ちを受け止めてくれる人に恵まれてたんじゃないのかな。私はそう思ってます。あ、愚痴を聞いてもらえないのなんて正直序の口で、私の実家の問題はそれだけにもちろんとどまりませんでしたがそれは割愛します。所で上記のリンク先の記事にあるのですが>「こちらの思いが行き届いていなかったのか」。長崎県の教育委員を務める鶴崎耕一さん(66)は声を絞り出した。鶴崎さんは04年に佐世保市で小学6年の11歳少女が同級生の女児(当時12)を殺害した事件当時の市教育長。「この10年間、命の教育に取り組んできたが、学校の教育には限界があると感じざるを得ない。次の答えが見つからない」と話す。学校の教育に限界があるんじゃ無くて、本気でこういう事件の背景に付いて学ぶ気が無いだけだと思いますよ。命の教育の内容に関してだって、そんな事件起こす背景を持つ子をサンプルに考えたわけじゃないでしょ?自分だったらこういう物が欲しい、という自分だけの気持ちでやってるんじゃないの?あるいはよその土地での活動を聞いて、その授業に対する感想だけ見て「これは」と飛びついたんじゃないの?子どもが書かされる感想や、大人の感想や、保護者の感想なんて、本当にアテになんかなりませんよ。前者は「大人が後ろ手に隠しもった答えを空気を呼んで言い当ててる」可能性があるし、後者は、その子ども達と同じ事を余儀なくされてきた世代の人たちの感想なんだから実があるかどうか本気で怪しいですよね。だって、心の奥底に隠し持っている「表に出したら叩かれる本音」なんて皆隠すでしょうし。でも、その本音をスルーしたら、何も解決しません。命の授業、本気でやりたいなら、その対象が誰なのかまず絞りましょうよ。そして、その対象相手にやるなら、何をやらなきゃいけないか、専門家に聞きましょうよ。単純に言って、凶悪事件を起こしそうな子を止めたい!という動機ならば(ってすごい事書きましたね私)少なくともそういう子と幾度も話をした事のある弁護士さんや、家族カウンセラーさんにまず話を聞くべきです。そこでようやく、スタートラインに立てるはずなんじゃないでしょうか。
Aug 2, 2014
コメント(0)