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2005.01.27
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カテゴリ: 近代文学


 名著である。
 漱石にも中国文学にも造詣が深く、なおかつ文章を書くということに人一倍注意を払い、自分の頭でものを考えることのできる人にして初めて書ける本である。
 漢字だけで書かれた漱石の『木屑録』を原文の雰囲気を生かした日本語に訳す、というだけでも正直なところ人間業とは思えない。
 続く「漱石と子規」も面白かったが、『「漢文」について』が圧巻である。
 日本における「漢文」の中途半端さ、無意味さを徹底的に暴いている。いわゆる「漢文訓読」はそれで翻訳として通用したのかと思っていたのだが、そうではない。江戸時代の素読で音読し、暗記していたのはものと文章が道であったかを覚えるための「符号」だったのだ。
 「おと」を知らずに韻文である「詩」を作り続けてきた、というのは頭脳のトレーニングにはなったろうが、「詩」本来の性質からすれば無理なことなのだ。
 「木屑録を読む」では、漱石の漢文(著者は支那文と表記)に添削を加えてさえいる。おそらく、明治の漢学の先生よりも、知識・感性とも上であろう。ただしそれは、著者が漢字の「おと」を熟知しているという点で有利であるからではあるのだが。

 「維新の変に政府は寺院の宅地田畑を没収し、山はほぼ廃墟となれり」(p32)のところ、伝統文化破壊に熱心だった明治政府の面目躍如というところだなあ、と思ったが、そもそも、日本には「自国の伝統」などという概念がなかったのだ。
 『明治十年代に「自国の伝統」ということがいわれだしたとき、それは実に漢籍と漢文なのであった』(p170)ということだ。
 最近、保守派の人たちが増えてきて、戦前を悪く言うと目くじらを立てくってかかったりするが、この本を読んだらどう思うのだろう。日本人の精神的支柱とされたのは日本の思想ではないのだ。
 著者はこう書いている。
「支那人のつくった書物が天皇に対する純一無雑の忠誠を教えているとはおわらいぐさだ」(p175)
 戦前の日本人のようになろうという人は漢文の勉強に精を出さなければならなくなる。中国の古典はありがたいものだ、中国の伝統はたっといものだという姿勢を持たなくてはならなくなる。
 同じ著者の『 中国の大盗賊 』を読めばわかるように、毛沢東は中国の伝統にのっとって天下を手に入れている。今の中国も、中国の伝統文化が生み出したわけだ。あれでいいのか?
 中国文化を日本人の精神的支柱にすること自体が無茶なのだ。したがって、戦前のやり方は間違っているとしかいいようがないのではないだろうか。
 この本は、時間をおいて何度も読み直すことになりそうだ。





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Last updated  2005.01.27 14:44:39
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