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2006.01.09
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カテゴリ: 芸能・テレビ
きみの知らないところで世界は動く  【NHK。2006年1月2日】
 ああ、こういうのを今までいくつ読んだ見たりしてきたことか。
先日 見た、「 なごり雪 」もそうだ。
 美少女一人に少年二人。繊細で美しくて苦しくて光っていてせつなくて。
 みんな頭がよくて感受性豊かで。
 もちろん頭がいいことと偏差値が高いことは必ずしも一致しないのだが、だいたいはちゃんと勉強ができて都会の大学に進学しちゃったりするのだ。
 夜中にバイクで騒音をまき散らしていたり、コンビニの前で座り込んでいたりはしない。
 そういうのは「美しく」ないから。
 四十歳を過ぎて、同窓会のために帰郷する和哉(鶴見辰吾)。
 回想になると、高校三年生。同級生のカヲル(前田亜季)と付き合っていて、将来も一緒にいたいと思っている。
 親友のジーコ(浅利陽介)は頭がよくて皮肉屋。
 三角関係ではない。
 能天気な主人公は恋人の追いつめられた精神状態にも、親友の苦悩にも気づかない。
 大学一年の夏、カヲルは拒食症で入院して……と、回想の中が中心。
 もちろん最後は現在に戻り、再会があり、主人公は明日に向かって歩き出す、という、まったくのありきたりながら引き込まれてしまうのだ。
 わかっていても最後まで見てしまう。
 いわばドラマの黄金律とでもいうか、人を引きつける力を持った設定なのだ。
 もちろん、設定だけでは魅力は生まれない。出演者のうまさや、脚本や演出の力もあるわけだが、大事なのは「美少女一人に少年二人」という世界なのだ。
 さすがに年をとってから見ると、今まで気づかなかったことにも気づく。
 男の目で見ると、「少年二人」なのだが、実は「一人」なのだ。
 もちろん、二人の別々の人間として存在しているのだが、見る者にとっては、見る者の中にあるものを二つにして見せてくれている、ということなのだ。
 では、なぜ少女は一人なのか。
 それは「器」の大きさが違うからだ。
 女という器は大きいので、複雑な人格を一つの体にいれることができる。
 ところが男は器が小さいので、単純化して二つに分けないと表現できないのだ。
 これからもこういうドラマは作られ続けていくだろう。
 目にとまると、見ちゃうんだろうなあ。

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Last updated  2006.01.09 15:10:39
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