hongming漫筆

hongming漫筆

PR

×

Comments

背番号のないエース0829 @ 松谷みよ子】(04/22) 「私のアンネ = フランク」に、上記の内…
hongming @ Re:ブルーレイが再生できない(11/30) 随分遅くなりましたが、やっと試しました…

Archives

2026.06

Keyword Search

▼キーワード検索

2007.09.20
XML
 平凡社。1976.3.26初版。1976.5.20初版第2刷。

 日本民俗学の生みの親と育ての親の往復書簡集。
 明治33年3月から、大正15年の絶信までにやりとりされた膨大な書簡の一部。
 頻繁に、やりとりしており、こんにちの電子メール感覚である。
 特に南方のは長い。また、手紙を出して、それに対する返事がないうちにまた手紙を出したりするので、やりとりに食い違いが生じたりしている。
 最初のうちは、同じ道に志す者として近しい感情があり、徐々に離反していったのかと思っていたが、南方は終始一貫して、学問上のことに関しては非常に厳しい。
 たとえば、この本の3分の一ぐらいのところの、明治44年9月13日付けの手紙)p85)で、すでに、
小生、貴下の土俗学研究方法の大体について言辞のみを大本として、故事、古俗を談ずるの不可を述ぶるはずなり。

と、かなり厳しいことを書いている。

 それに対して、柳田は、「だいたいこんな感じ」という漠然としたイメージで民俗学をとらえていたように見えて、熊楠の厳しい意見にとまどううちに、「こんなのとはつきあっていられない」と思うようになったのではないだろうか。
 わたし自身は、いつも、「こんなのでいいんじゃない」という曖昧な考えしか持たないので、柳田の気持ちがいくらかわかる。

 なお、柳田にも不注意なところがあり、明治44年10月14日付の手紙(P150)で、南方に対して、
「無鳥郷里にのみ住まれ候」

と書いたのは、鶏群の一鶴とでもいうような、南方がだけが飛び抜けた才の持ち主だとほめているつもりなのだが、受け取った南方は「鳥なき里の蝙蝠」と言われたように感じている。
 柳田も後で気づいて、同年10月27日付けの手紙(p193)で、
「貴下を蝙蝠に例えしがごとき嫌いあり」

と謝っている。

 二人の交流がたたれることになるのは、自然の流れではあったのだろうが、南方が、いつまでも柳田に悪感情を持ち続けたのは残念だ。

 (現在絶版。1994年に平凡社ライブラリーとして、「 柳田国男・南方熊楠往復書簡集(上) 」「 柳田国男・南方熊楠往復書簡集(下) 」が出たがこれも絶版)


楽天ブログランキング

輾転反側掲示板 」へ





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2007.09.20 08:22:12
コメント(0) | コメントを書く
[民俗学・社会風俗・地誌・歴史・博物学] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: