「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

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2010.09.30
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カテゴリ: マレーシア
ザビエルさんは、教科書で見ていた絵よりイケ面でしたが、現地ガイドの伝説を聞いてから教会前にあった日本語の史跡「説明文」を読むと・・・ここも(^0^)マラッカの歴史を刻んだ建物だったんですよね・・・・しかし屋根も無く荒れ果てた感じ

『マレーシア旅日記』セント・ポール教会の説明

CIMG0986.jpg
           セント・ポール教会 St. Paul's Church  イケ面ザビエル像



           教科書で見た・・・河童みたいなザビエルさん
ザビエル.jpg
           聖フランシスコ・ザビエル・・・ゆかりの教会




           目の前には、中文の次に・・・
CIMG0993.jpg
           日本語の解説もありました。



           不思議な伝説も面白いけど・・・真実はどうなの



「セント・ポール教会 St. Paul's Church」の説明文


「この教会は、

元ポルトガル軍のドゥアルト・コールホキャプテンによって

1521年に建てられた。

「ノサ・センホーラ・丘上の聖母マリア」と呼ばれた

小さな礼拝堂であった。

そして、1548年に、

この礼拝堂は「イエズス会」に引き渡され、

1556年には、2階建てとなり、

名前も「神様のお告げ礼拝堂」と改名された。

その後、1590年に塔が増築された。


ポルトガルから、

領地マラッカを手に入れたオランダ軍は、

この礼拝堂をセント・ポール教会と解明し、

クライスト教会が1753年完成するまでの

112年間のあいだこの教会を利用した。


セント・ポール教会の塔は、

英国がマラッカを占領下においた時に失ったしまったが、

一つの特徴が付け加えられた一燈台を前部に置くことであった。

英国軍は、

この教会を祈りの場としないかわりに火薬倉庫として利用した。

また、旗ざおを取り付け、

教会のある丘の名前を旗にちなんで

「旗の丘」(ブキッ・ベンデラ)と名づけた。

しかしこの名前は、長く使われなかった。

やがて旗ざおは、とり壊され、教会は、廃墟化となった。


古びた墓碑が教会の廃墟で発見され、

幾人かのオランダ人とポルトガル人が、

この地を最後の場所とした痕跡が残されている。


スペインのイエズス会に所属していた、

かの有名な聖フランシスコ・ザビエルは、

1545年~1552年の間この教会に定期的に通っており、

彼が逝去した時には、

9ヶ月間 彼の遺体が、この場所で埋葬され、

一旦発掘されたのち、

彼の最後の地、インドのゴアで、再度埋葬された。

彼がこの地で生涯を終え、埋葬されたことを記念して、

聖フランシスコの銅像が1952年に造られた。


セント・ポール教会の廃墟は、

1977年5月12日に遺物法第168/1976により、

記念建造物に指定された。」

                               MALAYSIA






いや~歴史を語ってくれました



           いろいろな事情があって・・・教会の中は
CIMG1020.jpg
           屋根も無く・・・現在では、こんな状態なんですね!



           正面 祭壇のあった場所
CIMG1024.jpg
           ザビエルさんの遺体が置かれていたと言われる網の中は



           地下があるけど・・・何も無かった



           窓から眺める景色は
CIMG1019.jpg
           最高です!



           おや~黄色い人が




           しっし~お邪魔ですが・・・・っ!



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最終更新日  2010.09.30 11:23:29
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