「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

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2020.03.22
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テーマ: ベルギー(112)
カテゴリ: 美術館・博物館
​​​​​​ブルージュ「聖母教会」奥の有料となっている美術館には、厳かに眠る2体の棺が並びます。2019年春の訪問です


​きらりのわがまま『ベルギー旅日記』ブルージュ篇(100回)​



​『聖母教会』内陣・ブルゴーニュ公国のお墓​

(左)父シャルル1世、(右)娘マリー公女のお墓です。


ブルゴーニュ公国、マリー公女のお話をザックリ終えたので



​シャルル1世・・・とは?​

​Charles de Valois-Bourgogne​

シャルル・デ・ヴァロワ・ブルゴーニュ

1433年11月10日-1467年1月5日

在位:1467年-1477年


シャルル・ル・テメール 


シャルル突進公「無謀な君主」との


屈辱的な名前で呼ばれるのは・・・なぜなの?


ブルゴーニュ公国は、シャルルの戦死とともに崩壊。


知りたい事がいっぱいであります。



シャルル1世突進公は・・・​



父・フィリップ3世善良公と


ポルトガル王ジョアン1世の娘イザベルの


間の三男として生まれ、2人の兄は亡くなり


1467年、父の死去により公位を継承。


1468年、イングランド王エドワード4世の妹


マーガレット(マグリット)を3番目の妻として迎えた。


フランス王国の統一を進めていたルイ11世に対抗する


国内最大の君公で、ブルゴーニュ公の本領


ブルゴーニュ伯爵の他にリエージュ司教領の支配権を獲得し


ネーデルラントを支配した。


豪奢な宮廷生活を営みつつ、


国内の独立貴族を連合してルイ11世に対抗する同盟を結成。


3度戦いその都度フランス王軍を圧倒した。


1473年、ロレーヌ・ピカディを攻略。


要塞を引き渡させ、自由通行を認めさせた。


1476年、フランス王に雇われたスイス傭兵に


グランソン、ムルテンで破られ


ロレーヌ公ルネ2世と交戦中にナンシーの戦いで戦死した。


シャルルには、男子の後継がなく一人娘のマリーが


(後の)神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世と結婚した為に


ネーデルラントは、ハプスブルク家領となった。




​シャルルの野心・・・とは?​



ハプスブルク家を乗っ取り


神聖ローマ皇帝に即位する事だったと言われている。


その為に皇帝フリードリヒ3世と


マクシミリアンを豪華な宴席に招き


娘マリーとの縁談とローマ王への推挙を持ちかけるが


皇帝は、息子と共に返答を避けて逃げられ


以後、その人生は衰退へと傾いてゆく。


現実的な計算や建設的な思考に向かず


情熱と使命感の赴くままに破滅に突き進んだ生涯は


「公益のための真実かつ大胆の闘士」


「無謀な君主」突進公と称される事となった。


・・・つづく・・・

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最終更新日  2020.03.22 00:10:06
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