「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

ほしのきらり。

2021.01.02
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カテゴリ: 美術館・博物館
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​ゴッホの本心は、アカデミックな絵画への憧れがあったようですが、そこに彼が望む刺激や感動を得ることは難しかったようですねそれでも確実に明るい画面をゲット


ゴッホの画塾時代に得たこと​



『瓶、レモンとオレンジ』1884年5月



フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホ
​Vincent Willem van Gogh​

1853年3月30日〜1890年7月29日(37歳没)


「ポスト印象派のオランダ人画家」


当時の画家たちは・・・


アカデミックな教育を受けている者が多かった。


画塾で教えてくれる人物の描き方は、


画一的で、新鮮な感動がない


ファン・ゴッホは・・・


アカデミックな教育には批判的だった


大好きなのは ミレー や、


ドーミエ などを

手本に独自で描き続けていたが



1885年『馬鈴薯を食べる人々』
で、
顔に比べて人体を正確に把握していない


という自分の欠点に気づく


​人物画の勉強をやり直そう​


​色彩についてしっかりとした考えを固めたい ​​


​今までの考えを捨てて​


​1888年​ ゴッホは、アントワープの無料の画塾に入学する。


モデルを使って描く勉強や、


基本的な油絵の授業など情熱的に学ぼうとするが・・・


その熱意が昂じて指導法で 教師と衝突


3ヶ月で辞めてしまったしかし、


「色彩と肉付けがそんなに簡単にモノにできる」


ようになったことは大きな収穫だった

​​​​​​​​​​

『石膏像、バラと2冊の小説のある静物』1888年12月



​パリでも・・・​


石膏デッサンと裸体デッサンを学ぶために


「コルモンのアトリエ」 に通うことになった。


​吸収できることがあれば学びたい​


同時に、ゴッホ自身アカデミックな物への憧れ


あるいは、コンプレックスがあったのかもしれない


そこで、 ロートレック や、



ベルナール などと出会うことになるが・・・


石膏像中心の学習方法に飽きて、


結局、ここもすぐに飛び出してしまった


その間に残した石膏や人物のデッサンや油絵は、


習作であるが、どれも力強く説得力がある。


100枚ほどにのぼる数は・・・


かなりのペースで描いていったことがわかる。


周囲の人の数倍の速さで次々と仕上げていったが、


コルモンのアトリエは・・・


期待していたほど役に立たなかった。


集中し、没頭し、冷めた時にそこから去る


画塾のような密閉的で一律的な美術教育よりも、


刺激と、感動を与えてくれる画材は外にいくらでもある


ゴッホは、生きたモティーフで満ち溢れる巷に飛び出す


あらら、また辞めてしまいましたね。


(参考資料:中央公論社、ゴッホの宇宙より)
(写真撮影:ほしのきらり。)

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最終更新日  2021.01.02 00:10:07
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