「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

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2022.07.17
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カテゴリ: 美術館・博物館
モナ・リザの背景に描かれている風景は、おどろおどろしくて、ちょっと怖いのですが

レオナルド・ダ・ヴィンチ
​​Leonardo da Vinci​​
Vinci,1452-Amboise,1519

La Gioconda(La Joconde)

『モナ・リザ』(ラ・ジョコンダ​​)​


1503年〜1507年 (その後も手を加え続けたか?)

ポプラ板に描かれた 油彩

77.0cmx53.0cm

パリ「ルーヴル美術館」所蔵。


それにしても・・・

​背景に広がる 風景の奇妙さ はどうだろう?​


雄大だが、おそろしげささえある

大気の色だけで遠近感を出す空気遠近法によって、

はるか遠方まで広がる

この不思議な風景のモデルを、


彼が生まれ育ったトスカーナ地方の

どこかに見つけ出そうとする試みもなされてきた。

しかし、

これは明らかに

どこかに存在しているような類の風景ではない。


つまり、

レオナルドによって創造された、

彼がイメージする理想の世界に違いない。


それでこそ、

美を科学的真理と考えるレオナルドの代表作とするに相応しい。

レオナルド・ダ・ヴィンチ
​Leonardo da Vinci​

1452年4月15日〜1519年5月2日(67歳没)

フィレンツェ共和国ヴィンチ村〜フランス王国アンボワーズ


レオナルドの功績は・・・

鏡文字・音楽・建築・料理・美学数学・幾何学

生理学・組織学・解剖学・美術解剖学・人体解剖学

動物解剖学・植物解剖学・博物学・動物学・植物学

鉱物学・天文学・気象学・地質学・地理学・物理学

科学・工学・流体力学・水理学・空気力学・飛行力学

飛行機の安定・航空力学・航空工学・自動車工学・材料工学

土木工学・軍事工学・潜水服などの分野に顕著な業績を残す。

【代表作】

『モナ・リザ』『最後の晩餐』『ウィトルウィウス的人体図』


​レオナルドは・・・​

人体と器機、

建築物と宇宙など、

あらゆる尺度の事物の間に見出した類比 (アナロギア) は、

単に形態の近似にとどまらず、

機能をも共有している。


つまり地球を流れる水は・・・

人体における血液に等しい。


〈大洪水〉の頃、

世界は水によって生まれて形作られ

そして水によって破壊されて

死んでいくと考えていた。


たえず流れても尽きぬ川の水の不思議に対し、

「地下を大きな水脈が流れる

(Grandissimi fiumi corrono sotto terra)」

との考えをふまえて、

レオナルドはひとつの仮説を立てて考える。


地下にある水は・・・

地熱で温められ、

水が細い管をのぼるように地下通路を上昇する。

そして地上に出た水は冷えて、

川となって流れると考えた。


水の流れは地球の形を変え、

最後にすべてを平らにし、

あらゆるものを押し流して埋没させてしまう。


この仮説に対し、

温めたワインがフラスコを逆流する実験をおこない、

この仮説を実証している。

もちろん、

誤った説ではあるが、

重要な点は、

実験によって仮説を実証しようとする

近代的な思考にある。


理に依ることなく、

眼の判断と実践のみによる

(per pratica e giudizio d' occhio senza ragione)

画家は、認識することなく

すべての物を自らのうちに

模倣する鏡のようなものである。

ーー「アトランティコ手稿」


彼にとって科学は、

絵画を正しく描くために必要で、

また絵画は科学的でなければならない。


よって彼の絵画には、

彼の科学的思索の成果が込められていると見てよい。


​​ そして本作品の風景は・・・

ほぼ確実に先の水の循環を視覚化したものである。

画面中央左側に描かれた、

地中で赤く熱せられた水は、

細い通路をのぼって、

上方の青い大海へと出る。


地表では険しい山々が出現し、

画面右奥へとつながる。


右奥では豊かな大海の水が、

時間をかけて徐々に川を創り出す。


その終点には、この世界で

人類の存在を唯一感じさせる橋が登場している。


空に雲が描かれていないのも、

ピエロ・デッラ・フランチェスカによる

『モンテフェルトロの二連画』 (ウフィツイ美術館)

裏面に描かれた凱旋図と同じで、

一時的な時の流れをあらわす

モティーフを描くことを避けるためだ。


同様に、

ここには一本の木もなく、

人ひとりいない。


こうした短期的な時間の移り変わりは

描く対象から外される。


ここは時間軸から離れた永遠の景色なのだ。

つまりここに描かれているのは、

普遍的な時の流れと輪廻転生にほかならない。


川の流れはまた戻ってきて、

女性の体内を貫通して

左側の地中の管へと再び繋がる。


こうして水はひとつの大きなサイクルを創り出す。

そしてその起点が

女性の心臓のあたりに重なるのは

ただの偶然だろうか?


モデルの特定に注目が集まりがちだが、

たとえ最初の制作動機が

特定人物の肖像であったにせよ

注文が失効して

彼の個人的な作品となってからは、

彼が考えた理念をこそ描き出す場となったに違いない。


だからこそ、

モデルは「誰かに似ている」のではなく、

普遍的な美の理想像として

「誰にでも似ている」のである。


普遍的・理想的な女性像を描く場合、

彼が思い浮かべるのはやはり

母親に違いない。


同性愛者であればこそ、

そして幼少時に実母と離れ離れになったからこそ、

彼は女性に対して、

性的対象としての官能性よりも

母性をこそ望むはずだ。


ふっくらとしたこの女性は・・・

喪服を思わせる黒いヴェールを頭からさげている。

これはミラノで当時流行していたとの説もあるが、


夫を亡くした後、

レオナルドをたよって来た母が、

死が二人をわかつまでの一年弱の間、

喪服を着ていたことが本作品に影響したのかもしれない?


あるいは、

この女性像を、トリノの自画像に

いくつかの特徴が似ていることをもって、

彼の自画像の恣意的な変種だと考える説が

有力とされた時期もある。


それなら、

もしこの女性の原型のひとつが母親であれば、

母親と自らの顔に共通点がくつかあるのは当然だろう。


母:カテリーナにしては若すぎるのでは?

という疑問には、

それならば、

トリノの自画像も年をとりすぎているのでは?

という疑問が答えになりそうだ。


つまり、レオナルドは、

恣意的に年齢を変えて描いていた可能性がある。


自らの顔の場合は、

内容的な深慮が反映されて

加齢されたような効果となってあらわれ、


そして母親の場合は、

理想的な優しげな母性を視覚化したのではなかろうか。


完成作を最後まで手放さずに手もとに置いていたこと、

優しげな、

しかしどことなく寂しげな微笑をたたえていること、

そして何より、

彼の理想とする宇宙の描写を背景にしたこの婦人像が、

同様に彼の理想とする母親像であったとして

何の不思議がああるだろう。


彼が最後まで自ら所有していた残りの二枚は、

男女合一体のような中性的な

『洗礼者ヨハネ』 と、

母性そのものの追求にほかならない

『聖アンナと聖母子』 である。

そして彼が晩年、

子宮や胎児の研究を通じて、

生命の発生の神秘に

深い関心を示していたことを思えば、

一生を通じて彼が追い求めた

“母なるもの”への憧れが

ここにすべてこめられていると考えられる。

(写真撮影:ほしのきらり)
(参考文献:筑摩書房/池上英洋、レオナルド・ダ・ヴィンチ生涯と芸術のすべてより)



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最終更新日  2022.07.17 00:10:09
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