「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

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2023.01.08
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カテゴリ: 歌舞伎
景清は平家のお侍で、牢屋に捕らえれてしまいその牢破りのお話ですですが長い間演じられなかった演目です



かげきよ
​「景清」​

景清

平家の侍・景清が、

捕らえられた牢を破る荒事を見せる演目。


享保17年(1732年)江戸中村座

おおいちょうさかえかげきよ
『大銀杏繁栄景清』で、二世團十郎が演じたのが始まり。



以降代々の團十郎が「牢破りの景清」を演じているが、

七世團十郎以後上演は絶える。


十二世團十郎は、

昭和48年(1973年)8月の

国立劇場第七回荒磯会にて

加賀山直三補綴で復活上演した。

同作は野口達ニの改訂で歌舞伎座でも再演された。


十三代團十郎は、

平成26年(2014年)1月新橋演舞場において、

歌舞伎十八番の内『関羽』『鎌髭』『解脱』の4作品を、

新たな着想で通し狂言『毒三升景清』

(川崎哲男・松岡亮脚本)として再構成し上演。

京都南座でも再演された。

さらに

平成28年(2016年)7月には、

歌舞伎座において、『毒三升景清』から

『鎌髭』と『関羽』の場面を

「歌舞伎十八番の内」として上演している。

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(十二代目市川團十郎さんのお話より)

​『景清』は・・・​

二十代の時に荒磯会 (あらいそかい) で初めて演じました。

荒磯会はもとは父が弟子のためにつくった発表会で、

新富町の松志満 (まつしま) という料理屋の座敷で

内輪にやっていた浴衣会 (ゆかたかい) のようなものです。


この発表会を少し大掛かりな勉強会に発展させて、

昭和38年に永田町の砂防会館で、

第一回荒磯会を催しました。


当時、高校生だった私 (十二代目) は、

『勧進帳』の弁慶を初めて勤めました。

荒磯会は、

(十一代目) の存命中に2回公演し、

その後もしばらく続けていました。

【景清の復活】

歌舞伎十八番の中でも、

(いん) の英雄ともいえる

平家方の武将「景清」を主役にすえた演目には、

以前から興味があり、

自分のやりたい狂言が自由にできる荒磯会で

悪七兵衞景清 (あくしちびょうえかげきよ)

演じてみたいと思い立ちました。


脚本は、

加賀山直三先生にお願いしましたが、

髪も衣装も役者の動きも、

全て自分で考えるという経験はこの時が初めてでした。


隈取りは、

痩せ衰えた顔を表現する「半隈 (はんぐま) 」にし、

『景清』の眼目である牢破りは、

どんな動きで暴れ、

牢はどのように壊れるのか・・・

芝居を構築していく復活の作業は、

実に勉強になりました。


景清が材木を持って暴れている絵を参考にして、

立ち廻りもつくりましたが、

実際に動いてみると角材は、

しだいに重くなり、

手があがらなくなる程でした。


(十二代目) はこの芝居で、

理想の舞台を創るたのしさと、

実際に舞台で表現する難しさを知りました。


また、

劇中では景清の恋人

阿古屋 (あこや) と、娘の人丸 (ひとまる) が、

三曲(琴・三味線・胡弓)を弾く場面があります。


女方が三曲を弾く芝居は、

『壇浦兜軍記 (だんのうらかぶとぐんき) 』の

阿古屋の 琴責 (ことぜめ) が有名ですが、

あれほど長い演奏ではなく、

女方の見せ場として三曲が

生きるように演出しました。


『景清』は、

初めて復活に取り組んだ思い出深い狂言なので、

もう一度あらい直して再演したいと思っています。

(参考文献:新版歌舞伎十八番/十二代目市川團十郎著より)
(写真撮影:ほしのきらり)

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最終更新日  2023.01.08 00:10:09
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