「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

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2023.04.19
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清澄庭園に入る前に地図と解説文を見つけました(^0^)なるほど・・・手書きハート

​きよすみていえん​
​​清澄庭園・・・とは?​​

清澄庭園の説明を門前で見つけました


泉水、築山、枯山水を主体に​にした

かいゆうしきりんせんていえん
「回遊式林泉庭園」​です。

この造園手法は、

江戸時代の大名庭園に ​​​​

​用いられたものですが、​

明治時代の造園にも受け継がれ、


清澄庭園によって

近代的な完成をみたといわれています。



この地の一部は、

江戸の豪商・紀伊國屋文左衛門の

屋敷跡と言い伝えられています。


​享保年間(1716年〜1735年)には、​

​しもうきのくにせきやど​
​下総国関宿藩主・​

​くぜやまとのかみ​
​久世大和守の下屋敷となり、

その頃にある程度

庭園が形づくられたようです。


明治11年(1878年)、

岩崎彌太郎が、

荒廃していたこの邸宅を買い取り、

社員の慰安や貴賓を招待する場所として

庭園造成を計画、


明治13年(1880年)に、

「深川親睦園」として

一応の竣工をみました。

彌太郎の亡きあとも

造園工事は進められ、

隅田川の水を引いた大泉水を造り、

周囲には、

全国から取り寄せた名石を配して、

毎時時代を代表する庭園が完成しました。


清澄庭園は、

大正12年(1923年)、

関東大震災で

大きな被害を受けましたが、

この時、図らずも

災害時の避難場所としての役割を果たし、

多数の人命を救いました。


岩崎家では、

こうした庭園の持つ防災機能を重視し、

翌大正13年(1924年)、

破損の少なかった東半分(現庭園部分)を

公園用地として東京市に寄付し、

市では、これを整備して

昭和7年(1932年)7月に公開しました。


また、

昭和52年(1977年)には、

庭園の西側に隣接する敷地を

開放公園として、

追加開園しました。


なお、

清澄庭園は、

昭和54年(1979年)3月31日に

東京都の名勝に指定されています。



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最終更新日  2023.04.19 00:10:10
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