第2章 サチ


第2章 サチ


 神様が目の前から去って、冷静に考えてみた。たしか、ピーチの翼はもうすぐあこがれの空色に変わるはずだった。もしかしたら、そのときなら新しく空色の翼が生えてくるかも知れない。きっとそうだ。だから、この自転車生活もそう長くはならないはずだ。うん。きっとそうだ…ほんのちょっとだけ、我慢すればいいだけなんだ。新しい翼が手に入れば絶対あんなミスはもうしない…

 なんて考えながらピーチは真新しい空色の自転車をこいでいた。最初の想いの届け先はこの公園のすぐそばに住むおばあちゃんだ。9歳の男の子からゲームソフトのおねだりの想いだ。この想いを届けられるとおばあちゃんは男の子に、きっと孫だろう、ゲームソフトを買わずにはいられなくなるはず。
 ここだ。
 生け垣の隙間から深い皺のあるおばあちゃんが見える。
 ピーチは鞄の中からエンジェルボウを取り出した。これに想いの詰まった手紙を結びつけて対象を射抜けば任務完了だ。
 プスッ。
 見事に矢はおばあちゃんに命中した。
「よっしゃ」
ピーチは小さくガッツポーズをして背中を探ってみた。さすがに一件目で翼は生えてこないか。
「よし。次行くぞ」
 ピーチは自転車を翻しペダルに足をかけた。すると目の前にいた一人の少女と目が合った。
「あなた…なんて格好してるの?」
その少女はピーチの姿をまじまじと見ながらそう言った。
「え…あ…これは…」
忘れていた。天使のユニフォームはとてもなまめかしいのだ。普通の人間はこんな姿で町中を出歩いたりはしないことはピーチでも知っていた。
「あなた、アヤシイ人ね」
少女はついには疑いの眼差しでピーチを見てきた。
「えっ!とんでもない!私は…」
 普通は秘密事項なのだろうがピーチは自分のこと、今までのいきさつをその少女に話してしまった。
 「天使も大変なのねぇ」
 そこは先ほどのおばあちゃんの家のすぐ目の前にある小さな公園であった。遊具などはなく、ベンチがいくつかと、割ときれいな公衆トイレがひとつある。場所はすこし高台になっており、そこから町が一望できる。ピーチがぶつかった鉄塔からは少しだけはなれているが、住宅の屋根で全体は見えないものの、ここからもその鉄塔の上半分ははっきりと目視で確認できる距離である。
 たった今、想いを届けたおばあちゃんが出掛けていった。おそらく、おもちゃ屋さんに向かったのだろう。その表情はどこか若返ったかのように穏やかになっていた。
 「いいわ。私の家に来て。私の服でよかったら貸してあげるわ」
「ホント!?うれしぃー。正直、どうしようかと思っていたのよねー」

 少女の名はサチといった。背格好は標準と言ったところ、真面目そうで、どこか憂いのある表情をしているごく普通の高校一年生。だけど、近頃は学校には行っていない。あまり言いたくはなさそうだったが、いじめにあってるらしい。親には言ってない。朝は普通に登校する振りをして、この高台の公園で夕方まで時間をつぶすのだそうだ。サチの高校は高台からすぐ見える所にあり、放課後になると吹奏楽部の練習の音が聞こえてくる。サチは吹奏楽部に所属していて。1年生なのにコンクールのレギュラーメンバーにも選ばれた。しかし、そのコンクールが終わった頃からサチのクラスメイトであり、幼なじみである、ユキコによるいじめが始まったのだ。

 「ここが私ん家。この部屋でちょっと待ってて」
応接間のような部屋に通されると、サチは自分の部屋に服をとりに行った。
 サチの家は学校の見える高台の公園から自転車で20分位走った所にある。畑作農家をしているらしく、この時間帯は両親とも畑に出ていて家にはいないことをサチは知っていた。
「いじめと不登校か…」
ピーチは神様からもらった想いの手紙の束を何気なく見ていると、発見してしまった。サチからユキコへの手紙を。さらに、ユキコからサチへの手紙もあった。
「あっ!これって…」
ピーチは二人の手紙を読み比べてみた。
「…もしかして、私のせいなんじゃ…」
「お待たせー!」
サチの声に、ピーチは慌てて手紙を鞄に押し込んだ。
「あんまりセンスのいいのなかったんだけど、これなんてカワイイでしょ?」
サチは空色のブラウスをピーチの胸に当てて楽しそうに言った。
「わぁ、空色。私この色大好きなんだ。ありがとう」
ピーチはさっきまでのことを忘れてはしゃいでしまった。
 サチの服はまるであつらえたかのようにピーチにぴったりだったし、センスもピーチにぴったりだった。
 空色の翼は手に入らなかったけれど、サチの見立ててくれた、この空色のブラウスで今は充分幸せな気分になれた。
 このお礼をどうしてもサチにしたい。ピーチはそう思った。
「似合ってるし、ピッタリだね」
サチは笑顔でそう言った。
「ありがとう。とっても嬉しい。このお礼に何かさせて」
「えっ?お礼なんていいよ。よく似合ったし、それに…天使さんとお友だちになれたし。私、最近、誰ともおしゃべりしてなかったから、今日はすごく楽しかったんだ」
 ピーチは無邪気なサチの言葉に心が痛んだ。もしかしたらサチが学校に行けなくなったのはピーチのせいなのかも知れない。そんなコに、こんなに優しくしてもらって、お返しのひとつもできないなんて、天使の名折れだ。
「やっぱりお礼をしない訳にはいかないわ。何でもいいから言ってみて」
「え~っ…」
サチは少し考え込んだ。さっきまでの笑顔と違ってとても真面目な表情になっていた。
「それじゃあ…ひとつ…お願いしたいことがあるの…」
サチは伏し目がちにしゃべりはじめた。
「ユキコの話、さっきしたでしょ。いじめられてるって」
ゆっくりとだが、はっきりとした口調であった。
「いじめの原因は私にあるの…」
 サチとユキコは名前が幸(サチ)と幸子(ユキコ)で似ていたため小学校で同じクラスになってすぐに親友になった。
 小学校で一緒に吹奏楽部に入ると中学校でも一緒に吹奏楽部に入った。当然、高校に行っても一緒に入ろうね、って約束していた。しかし、ユキコは高校に入っても部活には所属せず、放課後は街のコンビニでバイトを始めた。高校からはバイトが許可されている。部活に入らないでバイトを始めるコも少なくはない。それでも、約束をしたのだ。サチは何度も誘ったのだがユキコは頑に部に入るのを嫌がったのだ。サチにはそれが裏切りに思えた。
 小学校からやっていたサチは1年のうちからコンクールのレギュラーメンバーに選ばれた。それが嬉しくて、ユキコの前でいい気になって自慢げに話してしまったのだ。これがユキコの癇に障ったのだろう。その時はユキコも素っ気ないながら返事をしてくれたが、夏休み明け、コンクールも終わった頃からユキコの無視が始まった。
 そして気がついた時、クラスでサチは孤立していた。学校は居心地の悪い空間となっていた。しかし、誰にも相談はできなかった。ユキコを悪者にはしたくなかったからだ。サチは学校へ行かないであの公園で時間をつぶすようになっていた。
 午前中は散歩の老人がちらほら、午後になると小さい子供を連れたお母さんたちがちらほら、夕方になると帰宅部の連中がちらほら。同時に吹奏楽の練習の音が聞こえてくる。この音はサチにとって、後ろめたい音だった。練習は3日休むと1週間休んだのと同じだって誰かに聞いたことがある。サチはもう何日練習を休んだことになるのだろう?すでに計算するのも怖くなっていた。
「あれ、話がずれたね」
「つまり、仲直りしたいんだよね」
「うん」
サチは恥ずかしそうにうなずいた。
「まかせてよ!きっとうまくいく。ユキコは今どこにいるかわかる?」
「前は学校の近くのコンビニでバイトしていたんだけど、今はきっと川の向こう側にあるコンビニでバイトしていると思うわ」
「じゃあ行きましょ。早く」
 ピーチはサチを急かすように外に飛び出すと空色の自転車にまたがった。
「うん!」
サチは少し明るい顔でうなずいた。



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