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遠くの山へトレッキングに出かけてきます。長い旅行となりそうです。次の更新は未定です・・・。
2013年11月23日
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「ハッピーマンデー」ハッピーマンデーは公務員が作りだしたものだと思う。今の日本の製造メーカーでハッピーマンデーを忠実に施行している所に皆無であろう。製造メーカーは土日を念頭に「週五日制」をしいている。ハッピーマンデーは介護を受ける側にとっては都合か悪い。「俳句」~2013年の俳句。 小父さんは若い娘がすき赤い羽根 10月1日は都民の日、都立の学校は休み。 赤い羽根の日手である。 当然、小父さんは若い娘の所に行く。 人住まぬ里となりけり栗売るる ~田舎も誰も居なくなった。 車椅子ちょっと寄り道はつ紅葉 ~紅葉して。 継ぐ子なき畑の暮色や柿の秋 ~柿も栗もどうなっているのだろう。 秋高し金比羅様の百度石 ~金比羅に百度石があったかとうか忘れた。 ほうめい「カメラ」 〔昔のカメラ」 2005年 田舎の風景 2005年 昔の田舎の風景 師勝の風景 1999年 田舎の収穫 2007年8月3日 2007年8月13日 田舎の風景 〔自衛隊〕 02-10-16 「しもきた」 名古屋港。 2002年10月16日 「しもきた」 名古屋港 2002年10月16日 「しもきた」 名古屋港。 02-10-16 しもきた 02-10-16 しもきた 名古屋港にて。 02-10-16 「しもきた」 名古屋港にて。 〔絵画〕 ドリュ(フランス) 1994年7月 ユングフラウ 1994年7月
2013年10月14日
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「下血」8月5日以来の「下血」が合った。第一回 0630第二回 1250第三回 1300第三回目は明らか下血。今のところ落ち着いている。「俳句」~2006年の俳句。 濡らせしは涙にあらず冬の霧 手をさせば零れて来そう冬銀河 河豚食うて河豚といふ字を書いてみる 柚風呂や何時より皺の手となりし 見えみえの世辞にはのらず鍋奉行 ビル街に今日も来てゐる焼芋屋 ほうめい「カメラ」 田圃 13-10-06 田圃 13-10-06 家から健康な足で3分。 名鉄沿線の花、百日草。 13-10-06 2005年 田舎の駅 田舎の駅 2005年 田舎 2005年 田舎の家 2005年 田舎の家 2005年 御岳、ゴンドラに長蛇の列。 爺嶽 田舎の栗 2005年9月 田舎の野菜 2007年8月3日 元気なころは一週間に行っては野菜の面倒見ていた。 1993年5月 バンクーバ Rのショートスティにたずねて。
2013年10月13日
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「病気が治った場合の事」老後の事であり、どんな病気が隠れているやも知れず。麻酔を打って、何も何やら判らぬ人も要るそうだ。病気が何の病気、記憶喪失に近い。脳梗塞が進行する人を入るようだ。洋洋園へ入って、訳もなく人が変わった状態になるやも知れず。運を天に任すしかない。「俳句」 老いるのは何時よりのこと餅を搗く 明星の留まる峰や初茜 夜を発ちて今故郷の初山河 芝居跳ね駅西口のおでん酒 耳にまだ第九の余韻おでん酒 数寄屋橋在りしあたりや社会鍋 ベランダは喫煙エリア寒の月 ほうめい「カメラ」 コスモス 13-10-05 さくら紅葉はまだかしな。 13-10-05 田圃 13-10-06 五平餅。 五平餅 わが家の木曽の 五平餅 ほうめい 本、コンタックス。 13-09-29 フイルムカメラが廃れた。 デザイン博終幕 1989年 デザイン博終幕 1989年11月 御岳 薮原 田舎の栗 2005年 9月には落ちる、晩生は10月になってから落ちる。 スネガよりマッターホルン 1998年8月~9月
2013年10月12日
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「病院」 内科 10月18日 岩倉病院 10月25日 外科入院 10月28日 外科手術 10月31日 今日決まった。 手術を受けるか、拒否するかは本人を自由だけれど。 外科手術は8月5日以来3ヶ月になる。 これで後は14日間だけの余裕がある。 「俳句」 航はるか艦の行くてに冬の虹 これしきを大雪といふ都会人 正月や東京に空戻りたる 銀行の仕事納めや初明かり 年の瀬の大蔵省のビル明かり ほうめい「カメラ」 13-10-03 ステップの近く。 13-10-05 家の近く。 13-10-05 コスモス 柿、「あおみょうたん」と同じ。 13-10-05 さくら紅葉は未だか。 13-10-05 2005年 田舎にて、カラスミ。 田舎にて。2005年 田舎の駅。 2005年 田舎、黍。 2005年
2013年10月11日
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「ステップ」今日のリハビリは比較的に良かった。肩を揉む、手を比較的丁寧に揉む。ただ右足の浮腫みをそれほどでは無かった。明日の小牧市民病院の話を責任者に話した。〔おことわり〕明日は小牧市民病院で診断があります。それに依ってはブログの作成が出来なくなるかも知れません。「俳句」 ミズーリにパンとスープのクリスマス ワイキキにジングルベルを聞く浜辺 アリゾナは今も眠りてクリスマス アリゾナの深き眠りや十二月 ワイキキの虹に師走を忘れをり ほうめい 2006年にハワイを旅す。「カメラ」 ステップからの帰り。 13-10-06 さくら紅葉は未だか。 13-10-05 思わぬご馳走、栗ご飯。 13-10-05 ステップ゛へ行く道。 13-10-03 ステップから帰る道。 13-10-03 〔昔の写真〕 2005年 2005年 孫は小学生、今は大学生。 母とK子 2005年、母も健在だった。 母はビザを食べている、わりかし好きなようだ。 1997年5月 モニュメントバレー
2013年10月10日
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「俳句」~2008年の俳句。 母の日や母と也たる娘の電話 住み慣れし此処が故郷かしわ餅 ~2006年の俳句。 入日いま鈴鹿の山に年の暮れ 雪の夜や昔むかしの物語 老い二人第九聴き入る炬燵かな ほうめい「カメラ」 花火 2009年8月、未だ私の健康が完璧だった頃。 田舎で花火 2009年8月 花火 2009年、田舎にて。 花火 田舎にて。 2009年8月 私の健康が完璧であった頃。 田舎の仏間 2009年8月 〔最近の写真〕 13-09-29 西の空。 13-10-03 栗原小学校、さくら紅葉は早いか。 《デザイン博》 1989年11月26日 デザイン博 1989年11月26日 デザイン博 1989年11月26日、デザイン博終了。
2013年10月09日
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「俳句」~2007年の俳句。 単身の父帰る日や菖蒲風呂 ジーパンは何時もと同じ更衣 農継て春惜しむ間のなかりけり 華厳寺へ道は一筋麦の秋 駅裏や汗の匂いの男たち ほうめい「汽車と旅と音楽と」1975年12月31日、その時は「ルネ東林間」にいた。私が名古屋に赴任2年前である。「汽車と旅と音楽と」はNHK東京FMの特集番組である。以来、私が聞いている。カセットである。「どうにかさるさ」は気に入って、時々聞いている。中々のものである。「カメラ」 洋洋園へ行く道。 2013年9月17日 家の近くである。 ステップから帰る道。 2013年9月10日 本棚 「山日記」を未だ所有している。 13-09-19 コスモス 13-10-05 コスモス 13-10-05 (デザイン博) 89デザイン博 事務所。 映像室 1989年 89デザイン博 (田舎) 田舎の「あけび」 2005年 田舎の「アスパラカス」 2009年 田舎のカタクリ。畑に一杯生えている。 2009年 2009年 カナキリの卵、 田舎にて。
2013年10月08日
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「俳句」~2007年の俳句。 雀来て新樹の朝のカフエテラス 薫風やジョージタウンの船着場 ワシントンに旅して。 薫風や視野一杯に紅茶畑 薫風や視野一杯にお茶畠 マレーシアに旅いて。 ちぐはぐの老いの会話や朴葉巻「洋洋園」今日は「カラオケ」だった。久しぶりに歌った。「なみだ恋」と「想い出のグリーン・グリーン・グラス」である。私が名古屋へ赴任するとき、「なみだ恋」は私が「浜」で歌った。「浜」で歌ったとき、誰かがキターで伴奏してくれた。懐かしい「なみだ恋」である。「カメラ」 マッターホルン 1998年9月 黄昏のマッターホルン。 ステップへ行く道。 2013年10月3日 ステップへ行く道。 2013年10月3日 (バーベキュー) 09年8月 田舎でバーベーキュー 田舎でバーベーキュー 09年8月 09年8月 田舎でバーベーキュー 09年8月 田舎でバーベキュー (デザイン博) デザイン博 89年 デザイン博 89年 デザイン博 89年 (田舎の街) 田舎の町並み。 99年7月15日 田舎の町並み。上町と言われておる地域。 99年7月7日 田舎の町並み、99年7月7日 田舎の町並み、田舎の家の近く。99-07-07
2013年10月07日
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「俳句」~2007年の俳句。 星涼し三千尺の露天風呂 峰幾つ重ねて霧の至仏岳 ベランダに傘の花咲き梅雨晴れ間 和宮降嫁のの道やユリの花 夏雲や水平線に哨戒機 虫干しや赤帯三つ文庫本 奈良の雨小雨なれども柿若葉 梅さくら桃と競いて木曽の春 苗売の声とおくなる団地かな ほうめい「カメラ」 テンピークスとモレーン・レイク 1995年。 古い20ドル紙幣には、この図柄が採用されていた。 近所の田甫、2013年10月6日 田甫を削って「畑」にすると、言っていたけれど、 木が植わっているだけ。 ステップへ行く道。 2013年9月19日 ステップから帰る道。 2013年9月19日 岩倉病院が見える。 洋洋園へ行く道。 2013年9月17日 (カナダ) 1993年4月、レイク・ルイーズは未だ凍結していた。 1993年4月、レイク・ルイーズが未だ凍結。 私とK子。 レイク・ルイーズ 1995年9月4日 レイク・ルイーズからアグネス湖へ。 1995年 途中の湖。 1995年 1995年、アグネス湖へ。 レイク・ルイーズが真下に見える。 1995年9月 アグネス湖 1995年9月
2013年10月06日
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「俳句」~2007年の俳句。 炎上のように城山花吹雪 短夜を昨日の朝へ空の旅 たちまちに眼鏡曇りて日の盛 女子寮の在りし辺りや藤の花 夏霧や山頂小屋の鐘の音 ~2013年の俳句。 新米を炊きて祝うや五平餅 藏開けて大判振る舞い濁り酒 故郷の炬燵の中の濁り酒 ぢいさんが炬燵に中に濁り酒 物置に潜んでおりし濁り酒 ほうめい「からす」カラスは決して人に悪いことをするものでは無い。サッカーの日本代表が八咫烏である。童謡の、烏と一緒に帰りましょう、カラスも寝座に帰って行く叙景を歌ったもの。同じく同様の、烏の山に可愛い七つの子があるからよ、は烏の赤ちゃんなぜ泣くの。英語のアルペン・ドールと同じく可愛い存在なのだ。「カメラ」 10月4日、今年初めて栗ご飯を食べた。 Sさんが持ってきて暮れた物。 コスモス、13-10-5 近くの畑に発見。 青みょうたん、筆柿。 2013年10月5日 近くの旗にあった。 桜紅葉が始まった。 2013年10月5日 洋洋園へ行く道。 Nさんの近く。 2013年9月11日 駒ケ岳、5月頃。 カナダ 1995年 アイスフィールド・パークウエイ カナダ、バンフの街が近い。1995年 1993年のカナダ。 1993年4月 レイク・ルイーズ近く。 カナダ、バンフの街の近く。 1995年 カナダ、列車が通過するのに8分掛かった。 1995年 レイク・ルイーズイン。 1995年 カナダ 1995年 カナダ、レイク・ルイーズ。 1995年
2013年10月05日
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「俳句」 ~2007年の俳句。 県境や渡り返して尾根の夏 夏雲や木曽駒ケ岳は村境 乙女ら二の腕まぶし更衣 バスが行く砂漠の中を出水跡 柏餅とどきお礼の木曽訛り ~2013年の俳句。 秋雨や奈良井峠に歌碑数多 岩倉や桜紅葉や五条川 岩倉は桜紅葉の団地かな いくち茸少なくなりぬ羅法山 松茸もしめじもなくていくち取る ほうめい「アイスキャンデー売り」私の田舎には、アイスキャンデー売りがいた。11時半の汽車で来て、売り歩いた。アイスキャンデー売り、半ば融けてしまったのもあった。チリンチリンと云うアイスキャンデー売りの声も懐かしい。今は冷凍技術が発達しており、コンビニで売るようになった。「カメラ」 ステップへ行く道。 13-09-19 ステップから帰る道。 13-09-19 デザイン博 懇談会 1989年 デザイン博 懇談会。 正面は私。1989年 田舎 里芋 1999年7月15日 田舎・西瓜 1999年7月15日 カナダ 1995年 カナダ 1995年 カナダ 1995年 カナダ 1995年 アイス・フイルド・パークウエイ。 カナダ 1993年4月のパークウエイ。
2013年10月04日
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「俳句」 2007年の俳句。 菖蒲湯や子の故郷ははビル谷間 東京は故郷のうち盆踊り 転任のここが故郷盆踊り ネクタイは何時もと同じ更衣 昨夜立ちて昨日の朝や明易 2013年の俳句。 もろともに新酒を酌みて町田かな 空わたる代々木西原小鳥来る 夢醒めて経堂社宅椿の実 寒スバル東林間にすまいける その色は地獄の色よ木の実落つ ほうめい「カメラ」 洋洋園から帰る道、 西春高校付近。 13-09-11 洋洋園へ行く道、Nさんを近く。 13-09-11 ステップへ行く道。 13-09-19 ステップへ行く道。 13-09-19 デザイン博 89年の夏。 田舎のお祭り。 99年7月15日 師勝の我が家 99年7月12日 名古屋駅。特急「さくら」 静岡駅 特急「みずほ」 新幹線で追いかけた。 静岡駅 各務原 P-3C 08-07-10 岐阜基地 P-3C 08-07-18 岐阜基地 チヌーク 08-07-18 小牧基地 海ヘリ 08-10-16 小牧基地 08-10-30 小牧基地 08-10-30 小牧基地 C-1 08-11-07 小牧基地 C-1 08-11-07
2013年10月03日
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「俳句」 2007年の俳句。 久々のカナダ訪ふ旅明けやすし 大川の風懐けしや桜餅 田の神の朴葉の上の初鰹 ふる里はビルの谷間や祭笛 本芝は妻のふる里祭笛2013年の俳句。 車椅子押し行先は秋の風 車椅子試歩を伸ばして初紅葉 リハビリを終えて休憩お茶を飲む 柿干すや後は野山にくれてやる 車椅子疲れを癒す秋の空 ほうめい「カメラ」 田舎にて、1999年9月。 もう直ぐ「脳梗塞」が始まる直前。 ステップへ。 2013年9月19日 丹沢・大山のヤビツ峠の近く。AとN。 1978年 丹沢・大山。 1978年 その頃は名古屋に転勤するなんて、考えてもいなかった。 1978年の田舎にて「俺」。 デザイン博 1989年、コンパニオンと指導者。 デザイン博 コンパニオンと指導者。 1989年 デザイン博 住友館 1989年 田舎のお祭り 1999年7月15日 田舎のお祭り。 田舎の我が家。 田舎のお祭り。 1999年7月15日 美濃町線 下芥見から新関。 2003年3月30日 下芥見から新関行き、美濃町線。 2003年3月30日 美濃町線 田神から関。 2003年3月30な日 美濃町線 日野橋 2003年3月30日 美濃町線 2003年3月30日 美濃町線 日野橋 2003年3月30日 ここにはNが嫁いでいる。 日野橋がなくなって不便になった。
2013年10月02日
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「俳句」~2007年の俳句。 新緑や旅の一日は雨の中 書に倦みて二階の窓に朴の花 草笛や逝きたる義兄の年を超え 機の影に休らふ兵士基地の夏 演習の策の内外はな茨~2013年の俳句。 車椅子押しやく先は秋の風 車椅子試歩ののばして初紅葉 手術日の決まらぬままに秋の雲 リハビリの信号待ちや稲雀 リハビリの休憩タイム紅茶とる「年金」年金が段々減っていく。酒も10月1日から上がりだした。小麦も上がりました。食用油も上がりだした。そんなのに、年金が減っていく。其のうちに洋洋園もステップも行けなくなる。「カメラ」 双方、Wの姓、久しぶりに一杯飲んだ。先方は分家7代目。 2009年6月7日 こつつ山にて俺。 2011年4月3日 熊野神社にて俺。 この頃ば妻も元気で車椅子を押して歩いた。 2011年4月5日 熊野神社にて俺。 2011年4月5日 大山にて、Nちゃん。 1978年 大山にて、AちゃんとNちゃん。 1978年 大山にてAちゃんと、Nちゃん。 1978年 デザイン博の頃。 1989年 デザイン博を頃。 1989年
2013年10月01日
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「俳句」~2007年の俳句。 江ノ島や道にさざえ焼く煙 花冷えや新宿西口裏酒場 囀りや道に問われし中国語 春宵や話し相手は妻ひとり ふる里や付き合いもして桜餅 2013年の俳句。 青春の思い出はるか秋の暮 若き日の思い出はるか冬紅葉 若き日の思い出はるか温め酒「鬼平犯科帳」月曜日は先ずBSフジで鬼平犯科帳を見る。語り口が最高、最後の「四季」が良い。次に8時からNHKの「鶴瓶の家族に乾杯」。最後はBSーTBSの「酒場放浪記」だ。まれにBS4の音楽を見る。これは暫く変えることが無い。「カメラ」 洋洋園へ持っていった。 13-09-19 次は「バッハ」を持っていこうと考えている。 来島小学校 13-09-19 お迎えの車がチラホラ。 来島小の近く。 今年は「コメ」が良さそうだ。 13-09-19 小牧基地 F-2 2010年11月16日 脳梗塞になってから、 小牧基地 KC-767 2010年11月16日 小牧基地 U-125A 2010年11月16日 ブラモデル 田舎にて。 2011年3月22日 プラモデル 田舎にて。 2011年3月22日 プラモデル 田舎にて。 2011年3月22日 田舎にて、俺。 2011年3月23日
2013年09月30日
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「俳句」~2007年の俳句。 桜餅上方の好き江戸も良し 浅草や大阪弁がさくら餅 花冷えやSP版の浪花節 花冷えや何処かで魚焼く匂い 「ゆうぎり」のみゆる内はと春日傘 定年の身に余りある朝寝かな 定年の夫の朝寝許し置く ほうめい「からす」烏は亡者の鳴き声に似ていると言われ、部分的には「嫌われて」いる。しかし、童謡のように~烏が山に可愛い七つの子があるからよ~のように、可愛い。1994年7月に訪れたアイガーでは、烏はAlpine dollと言ってアルベンの人形だ。真っ黒い烏は不気味であるが、もっと可愛がってあげたい。「カメラ」 懐かしい美濃線、2005年3月30日 「芥見」から「岐阜」行き、。 美濃線 芥見~岐阜 2005年3月30日 一位のみ。 田舎にて1999年9月 ステップの直ぐ傍。 13-09-19 横田基地 09-08-23 横田基地 09-08-23 横田基地 09-08-23 ビール 09-08-24 横浜球場 09-08-24 田舎にて分家のTさんと、09-06-07 この頃か゛一番「太って」いた。
2013年09月29日
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「俳句」~2007年の俳句。 お帰りと言う声絶えて花衣 朧夜や逝きたる人の老眼鏡 亀鳴くと聞き耳たてる男かな 捨城と碑のみ残りて草おぼろ 訃の知らせ届きたる夜の朧かな これよりは一人住まいや月朧 春宵や徹底的に猫嫌い ほうめい「胡麻を擦る」五平餅を作るのに、胡麻を使う。昔は親戚中が集まって、盛大にやった。去年はAの家、今年はBの家、来年はCの家と言う具合。さて、本題に戻ろう。私の家で遣った時である。胡麻を擦る難しさ、中々擦れない。1時間かかって漸く擦れた。「ごまをする」と人には云うが、本当に困難な仕事である。いお、私の家では、五平餅に「かくし味」を付ける。最後にかくし味に付けた五平餅は、見事な出来栄えである。「カメラ」 櫟の実、田舎にて。 1999年9月 洋洋園の道。 2013年9月11日 ステップへの道。 2013年9月19日 ステップへの道、岩倉病院が見える。 2013年9月19日 小牧基地、鬼太郎。2008年8月5日 上小田井。 2008年10月26日 上小田井。 2008年10月26日 上小田井。 2008年10月26日 健康ドームから名古屋駅方面。 2008年10月26日 御嶽遠望。 2008年12月19日 カナダ 1995年9月 カナダ 1995年9月 カナダ 1995年9月
2013年09月28日
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「俳句」~2007年の俳句。 花冷えや単身赴任の六畳間 花吹雪大手門より討って出る ひとまたぎ程の海峡島遍路 妻子らも夕餉にあらむ月おぼろ 只今と闇に声かけ月朧 ~単身赴任の句が多い。 ほうめい「癌」胃に「癌」が発見されて、今日で一ヶ月二十二日である。それなのに、「癌」の治療は行われていない。しかも、外科の診療が10月11日、内科の診療が10月18日。10月18日までは「癌」の治療は行われない。「癌」は即座に切除すべきだと、私は考える。今日も血液、尿、胃のレントゲン、腸のレントゲン、心電図の検査を受けた。 「カメラ」 洋洋園への道。 2013年9月9日 ステップへの道。 2013年9月19日 桃の館が見える。ここは私も「お土産」を買った。 来島小学校 2013年9月19日 いつも「花」を植えている。 来島小学校、下校の生徒らが並ぼうとしている。 2013年9月19日 観艦式 2000年10月 厚木基地のP-3Cが飛来した。 観艦式 2000年10月 観艦式 2000年10月 観艦式 2000年10月 観艦式 2000年10月 1977年の東京 カローラ・スプリンター 1977年の東京 三ノ輪から早稲田、唯一残っている都電。
2013年09月27日
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「俳句」~2008年の俳句。 病床の一日は長し秋の暮 御嶽のよくみゆる日や大根ほす 客一人降りて時雨の無人駅 木枯らし回転ドア吹溜まり 風花やスナック「ちか」の錠錆びて ほうめい「神田川」神田川を歩いたことがある。東京へ二度目の転勤をなった翌年、5度に亘り神田川を歩いた。最初は御茶ノ水から、二度目は水道橋から、三度目は中野から。四度目から御茶ノ水から墨田川まで。五度目は井の頭公園から新宿まで。「神田川」の雰囲気を楽しみつつ歩行した。単身赴任は一層盛り上がった。「カメラ」 一位のみ、1999年9月田舎にて。 洋洋園へ行く道。2013年9月11日 ステップへ。 2013年9月19日 田舎のお祭り。1999年7月15日 田舎のわが家。 田舎のお祭り。 1999年7月15日 観艦式 「おおすみ」 2000年10月 観艦式 2000年10月 観艦式 2000年10月 スイス鉄道地図 ジュネーブからヴィスプへ。 1998年8月 ジュネーブからヴィスプへ。 1998年8月 ヴィスプ到着、ツェルマットへ。 1998年8月 ツェルマットへ。 1998年8月 ツェルマットへ。 1998年8月
2013年09月26日
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「俳句」~2008年の俳句。 熟柿落ちて烏の知らんふり 落城の哀史伝えて崖紅葉 閉館の荷を送り出し初時雨 稲架組むや一番星を仰ぎつつ グリークの曲が流れて新学期「くじらの八寸、かねの一尺」「くじら」も「かね」も尺度である。くじらも八寸が、かねの一尺。寸、尺のという単位が無くなった。メートル法になった。母親の頃はそれが当たり前たった。尺には「くじら」尺と「かね」尺があり、とっちも通用していた。「くじら」尺「かね」尺が、東京方面、関西方面かは知らない。姉妹社のササエさんに出てくる。「カメラ」 あけび 1999年9月田舎にて。 ステップへ。 2013年9月19日 洋洋園から帰る道。 2013年9月9日 田舎のお祭り、1999年7月15日 田舎のお祭り。 1999年7月15日 未だ母もOさんの叔母さんも健在だった。 私の母と、Oさんの叔母さん。 お祭りにて。 1999年7月15日 2000年の訓練。 2000年の訓練。 ジュネーブからヴィスプへ。 1998年8月 シオン城、ジュネーブからヴィスプへ。 1998年8月 ジュネーブからヴィスプへ。 1998年8月 ジュネーブからヴィスプへ。 1998年8月 ジュネーブからヴィスプへ。 1998年8月
2013年09月25日
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「俳句」~2013年の俳句。 胃に癌が検査けんさで夜寒かな 病めること人には告げず秋の空 回復の夢の散りはて通草熟る ~2008年の俳句。 しぐるるや箱根こ道の石ただみ 岩門に遭難ひあり冬紅葉 秋深し向かいの家へ宅配夫 峪くれて暮れ残りたる木守柿 即席のカップラーメン文化の日 ほうめい「米穀通帳」私が結婚したときは米穀通帳は生きていた。公団住宅の申し込む時には、それは必需品だった。それがいつの間にか消えた。姉妹社のササエさん(12)に、お米の徹廃の言うことが出てくる。1955年ごろの話であろう。戦後の頃の話に、「ソ連復員」「戦災孤児」なども死語に成った。「ソノラマ」「くず屋」「大学生の角帽」「黒板消し」「リヤカー」「追放解除」も殆ど使われなくなった。「カメラ」 1999年 田舎の畑へ行く道。 1998年9月 スネガにて。 ステップへ。 2013年9月19日 洋洋園へ。 2013年9月11日 田舎の祭り、7月14日、15日 1999年 田舎の祭り。 1999年7月15日 バリ祭のおんなじ。 ツエルマットへ、ジュネーブからヴィスプへ。 1998年8月 ジュネーブからヴィスプへ。 1998年8月 ジュネーブからヴィスプへ。 1998年8月 ジュネーブからヴィスプへ。 1998年8月 車窓よりレマン湖。 1998年8月 車窓よりレマン湖。 1998年8月 スイス全土の鉄道地図。 1998年8月
2013年09月24日
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「俳句」 2013年の俳句。 胃に癌は検査けんさで秋の暮 病めること人には言はず温め酒 その色は地獄の色よ毒きのこ 2008年の俳句。 日溜に朝刊ひらく文化の日 小春日や肩を並べて居士太師 柿熟れて灯火の点る一軒家 湖の波立ち騒ぐ神送り 庭もみじ飽かず眺めて美術館 ほうめい「軍人恩給」軍人恩給は、一旦は消滅した、だけど復活した。姉妹社のササエさん「15」号には、それは出てくる。ササエさんは、軍人恩給で生活が良くなったと言っている。田舎でも私の叔父がそうだし、Oさんの御母さんのそうだ。軍人恩給は企業年金とは別にくれる物、定年後が方が収入が増えた人がいるだろう。「カメラ」 洋洋園リハビリ室。 若き日の歌声喫茶いわし雲 まちまちに星は輝き月の秋 中天に細き月有り木曽の宿 ~ ほうめい 田舎でみた彼岸花。 2009年9月、私が脳梗塞になる直前のこと、 洋洋園から帰る道。 2013年9月9日 ステップへ行く道。 2013年9月19日 五条川。 ジュネーブから電車でツェルマット。 1998年8月 車内 1998年8月 車内 1998年8月 車内。 1998年8月 潜水艦、横須賀港にて。 2009年8月24日 横須賀港にて。 2009年8月24日 横須賀港にて。 2009年8月24日 横須賀港にて。 2009年8月24日 横須賀港にて。 2009年8月24日 横須賀港にて。 2009年8月24日 「ひゆうが」 2009年8月24日
2013年09月23日
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「俳句」 胃に癌が 二ヶ月待ちで 秋の暮 ~ ほうめい 2008年の俳句。 図書館に帽子忘れて小六月 日の暮れや児が掛けてくる刈田道 皆先に旅人一人にごり酒 五平餅食べて木曽路゜の暮れの秋 点滴の疵の多さや柘榴の実 紅葉冷え金毘羅様の百度石 初霜や金毘羅さまの百度石 ほうめい「とんそく」とんそくとは、「豚足」である。私が「とんそく」が初めて食べたのは新宿である。新宿の甲州街道口にある掘立小屋である。いまは恐らくないだろうが、駅の近くを「三角地帯」に、その店をあった。そして驚いたことにスライスしてあった。私は苦もなくそれを平らげた。名古屋に赴任して来て、「とんそく」を食べようとしたのだが、このままであったので食べられなかった。「とんそく」はスライスに限る。「カメラ」 洋洋園リハビリ室 13-09-11 中天に 満月のあり 木曽の宿 ~ ほうめい ステップから帰る道。 2013年9月19日 マッターホルン、シュタツヘルより。 1994年7月 三宅由佳莉のCD JMSDF東京音楽隊 田舎の町並み 1999年7月 田舎の町並み。 1999年7月 洋館はある建設業者、手前の家は田舎の分家。 陸自・守山 懇親会 会費制 2006年10月 陸自・守山 懇親会 陸自・守山 懇親会 2006年10月 陸自・守山 懇親会 2006年10月 陸自・守山 懇親会 2006年10月
2013年09月22日
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「俳句」 ~腹病むや雲とぶ日秋の空 2013年の俳句。 2008年の俳句。 魔の山の南稜テラス天高し 稲刈りや里に遊ぶ子見当たらず ふる里へ続く空あり雁わたる 馬籠路を妻籠へ歩く冬紅葉 秋深し知人のブログのぞき見る ほうめい「給仕」私が会社に入った頃は「給仕」がいた。「給仕」とは、当時の中学校を出た人が課内のお茶と出したりしていた。大体が女の子が「給仕」が仕事をしていた。私の記憶では、1560年頃頃にはまで居たように思う。その後、「給仕」は廃止された。「カメラ」 月の出や 戸締り早き 老夫婦 月の出や まだ日の匂う 向山 月の出や 老犬も来て 座りけり ~ほうめい 前立腺癌に、放射能の為に腕に湿疹が出来た。 2008年1月11日 腹にも出来た。 自衛官募集 2013年9月5日 洋洋園から帰る道。 2013年9月9日 洋洋園から帰る道。 2013年9月9日 南瓜が成った。 田舎 1999年7月7日 畑へ通ずる道、田舎。 1999年7月7日 駿河湾マリンフェスタ。 2004年8月 「おおすみ」駿河湾マリンフェスタ。 2004年8月1日 駿河湾マリンフェスタ。 2004年8月1日 駿河湾マリンフェスタ。 2004年8月1日 駿河湾マリンフェスタ。 2004年8月1日 「おおすみ」 駿河湾マリンフェスタ。 2004年8月1日 鑑が風上に向かっている時は「向かい風」で涼しいが、 風しもに向かって転舵すると風が無く、蒸し暑かった。
2013年09月21日
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「俳句」~2008年の俳句。 王朝の哀史を訪おて扶余は秋 身にしむや百済王朝果てし峪 神追ふて旅の出雲の初しぐれ 銀の間府よりいでて冬もみじ 銀の間府を抜け来て冬もみじ 時雨れ行く王妃身投げの落花巌 出港の艦を見送る初時雨 ほうめい「空気銃」~姉妹社発刊、ササエさん(16)より「空気銃」中学生の時に、空気銃で遊んだ。空気銃は友人がO君が持っていたし、従兄のRさんも持っていた。T君の畑で遊んだし、TKの所で遊んだ。ちっとも当たらなかった。特にTKの所で、みそさざいの的を絞って撃ったが、至近距離でも当たらなかった。今は「空気銃」も規制されており、中学生の遊びから消えてしまった。「カメラ」 月に雨 シヤツターボタン しまいけり 月の夜の 団子おろして 食べにけり 名月や 飯盛山の 鉄辺に 名月や 予川の里へ 一里半 名月や 幼子ははや 夢の中 ~ ほうめい 駒ケ岳に向かって、C-130 1997年10月 駒ケ岳を迂回して木曽峪をすすむC-130二機。 1997年10月 田舎。 1999年7月 田舎、家の小屋。農具その他が仕舞ってある。 1999年7月 陸上自衛隊・守山 2006年10月 陸上自衛隊・守山、榴弾砲が発射される、大きな音がする。 2006年10月 陸上自衛隊・守山 2006年10月 陸上自衛隊・守山 2006年10月 陸上自衛隊・守山 2006年10月 陸上自衛隊・守山 2006年10月 「会費」わ払っての会合である。
2013年09月20日
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「俳句」~2008年の俳句。 喘ぎ来て一息いれる初紅葉 名月や地平線まで真っ平ら 旅終えてブログに記す初紅葉 初紅葉ブログに記す旅日記 パソコンに探す街角秋深し 新米や癌細胞も食みおるや 懐けしや扶余に旅して柿もみじ ほうめい「ホッピー」長らく「酒席」には縁のない生活をしているが、「ホッピー」と言う酒があることを知った。酒場放浪記を見て、そう言うわけである。酒場放浪記には随所にホッピーの名前がある。名古屋でも最近見たことがある人は連絡して欲しい。「カメラ」 名月や 木曽の名所の 予川まで 月の出や みな草臥れて 向山 名月や 山をおり来て のぞきどへ CD 三宅ゆかり 3等海曹 ステップへ 13-09-19 五条川 ステップへ 変電所の傍を通る。13-09-19 岩倉病院の近く。 13-09-19 駿河湾 04-08-01 駿河湾 04-08-01 駿河湾 04-08-01 駿河湾 04-08-01 駿河湾 04-08-01
2013年09月19日
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「俳句」~2008年の俳句。 高階に住む子へ秋の祭り笛 山の湯へ道は一筋野菊晴れ 雲あれて消えて自在に秋うらら この村にこんな娘が秋祭り 幾山河超えきし青春秋夕焼け 故郷の山くっきりと小鳥来る どの道を行くもバス停秋の雲 ほうめい「二眼レフ」1945年から1955年は「二眼レフ」の時代だった。アルファベットの「A」から「Z」まであったと、カメラ雑誌は言う。叔父さんの持ってくる二眼レフもそんなだった。ただ叔父さんも持ってくる二眼レフは、ピントが非妙に合わなかった。いま残っている二眼レフは、ローライのみである。私はミノルタオートコード、ヤシカの二眼レフ。更にローライを所持した事はあった。全部、売った。やはりローライが良かった。一緒に会社へ入ったSさんはヤシカを持っていた。そのごは35ミリカメラの時代である。「カメラ」 名月や 母も団子を 供えしか ~ ほうめい 田舎におる母え名月の日に思い出を歌った。 洋洋園へ行く道。 2013年9月9日 洋洋園ロビー。 2013年9月11日 明日は「お月見」か、 ステップへ行く道。 2013年9月12日 ステップから帰る道。 2013年9月12日 西春駅付近。 田舎の町並み。 1999年7月7日 田舎の町並み。 1999年7月7日 公民館、お仮屋はもうない。 公民館は新しく別のところに建築された。 お仮屋は向きを直して元の位置に建設された。 陸上自衛隊十師団 2006年10月8日 陸上自衛隊十師団 2006年10月8日 陸上自衛隊十師団 2006年10月8日 陸上自衛隊十師団 06-10-8 陸上自衛隊十師団 06-10-08 陸上自衛隊十師団 06-10-08 陸上自衛隊十師団 06-10-08
2013年09月18日
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「俳句」~2008年の俳句。 虫の音や使わずなりし木曽言葉 つかの間を憩う小昼や秋の雲 妻留守の木戸打つ風の夜長かな 底抜けに晴れて山里稲雀 天高し久々に着るモーニング 引き売りの声が遠のく夜長かな 小鳥来る頃や故郷遠く住み ほうめい 「サマータイム」日本にも戦後の一時期「サマータイム」があった。何年がは続いたが、その後「サマータイム」が立ち消えになった。当時は「食料難」でサマータイムが夏の時期、どう気性もない空腹感に襲われた。2020年も東京オリンピックに、復活させる案がある。マラソンは夏の時期には余り流行らない。だから、サマータイムにして、スタートを早目にする案だ。 「カメラ」 モニュメントバレー。 1997年5月 余り熱くない時期におとづれた。 洋洋園 リハビリ室。 月の出や 中よりきこゆ 笛太鼓 ~ ほうめい ステップへ行く道。左端は「蓮」である。 去年はよく処理されていたが、今年は雑草が茂っている。 2013年9月12日 洋洋園へ行く道。 2013年9月12日 田舎の町並み。 1999年7月 田舎の町並み。 1999年7月 横須賀港 2009年3月29日 横須賀港 2009年3月29日 アメリカ空母 2009年8月24日 アメリカ・空母 2009年8月24日 アメリカ・空母 2009年8月24日 アメリカ・空母 2009年8月24日 横須賀港 潜水艦 2009年8月 横須賀港 潜水艦 2009年8月24日 横須賀港 潜水艦 2009年8月
2013年09月17日
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「俳句」~2008年の俳句。 長き夜を長き旅して機内食 搭乗を待つ間の外の花野かな 富士みゆるまではと秋の峠道 休憩の合間も茸探しをり 栗落ちる頃や故郷とおく住み ほうめい 「山羊の乳」お爺さんは阿寺の発電所の仕事をしていた。家政婦を雇って悠々と暮らしていた。私が国民学校に入ったころ、山羊の乳を貰いにやらされた。始めは従兄が付いて来た。それは、木曽川を渡らないと行けない。木曽川の吊り橋は大変危険であった。慣れて来ると案外簡単な物だった。家からは、そこまで1里もあるのだが、往復2里を難なくこなした。途中は「魚屋」が一軒、川向こうには百姓屋が2~3軒があった。「ビール瓶」を持って、時々訪ねては、お爺さんに小遣いを貰って楽しんだ。いい時期だった。家政婦がなんたったか知らない。お爺さんと一緒の仕事をしている、NさんにはMさんと言う同級生がいて時々遊んだ。そして山羊の乳を家で沸かして飲んだ。 「カメラ」 リッヘルべクル、日本人の団体が思いおもいに休んでいる。 1998年9月 洋洋園リハビリ室 13-9-11 抜けいでて 電車再び 満月へ ~ほうめい ステップから帰る道。 13-9-12 田舎の町並み。 1999年7月 田舎の町並み。 1999年7月 田舎の町並み。 1999年7月 陸上自衛隊十師団 2006年10月 陸上自衛隊十師団 2006年10月 陸上自衛隊十師団 2006年10月 陸上自衛隊十師団 2006年10月 陸上自衛隊十師団 2006年10月 陸上自衛隊十師団 2006年10月 陸上自衛隊十師団 2006年10月 陸上自衛隊十師団 2006年10月
2013年09月16日
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「俳句」~2008年の俳句。 秋高し水澪一筋に護衛艦 誕生日うかと過ぎけり秋茄子 歳聞かれ干支で答えて衣被 虫の音や一人の夕餉土間の闇 月の出や宙に浮いたる酌徳利 名月や帰国前夜のカフェテラス 月入れてブルックリンの夜景かな コスモスに迎えられたる里の駅 野分めく雲の行き来や尾張富士 ど祭りを終えし娘と大根蒔く ほうめい 「夕刊」夕刊が復活したのは1950年ごろか。戦後、親戚の「新聞配達」をした。戦後の新聞は半才が多く、信陽新聞は之の更に半分の時もあった。中部日本新聞が多買ったが、信濃毎日新聞が多かった。時々新聞が配る員数があはず、信陽新聞を入れて誤魔化した。信陽新聞は沢山あったが翌日はコッテリ油を絞られた。それに、小学生は学業を終わってから配る。当然3時から4時てある。東京から帰った学生から、東京で夕刊を配っているよ、言われがっかりしたことがある。ところで、名古屋も暫く「夕刊」がなかった。日本経済新聞がそうである。日経は1955年まで、名古屋だけ夕刊がなかった。名古屋へ転勤した時に日経が夕刊を無いことを知り、ガッカリした。 「カメラ」 洋洋園リハビリ室。 夕月夜 医者のひと言 頼りにし ~ほうめい マッターホルン。 1998年9月 O君と。 シュタッヘルからのマッターホルンから「傾らか」の山容。 御岳 1995年8月 御岳、Kさん義母さん。 1995年8月 田舎 村の風景 1999年7月 田舎、電車が2時間に一本。 1999年7月 田舎の駅 1999年7月 横須賀港 2008年8月 横須賀港 米軍艦 2008年8月 横須賀港 2008年8月 厚木基地 2009年3月 厚木基地 さくら祭り 2009年3月 横須賀港 米空母 2009年3月 横須賀港 「ひゆうが」 2009年3月 横須賀港 2009年3月 横須賀港 「たちかぜ」 2009年3月 標的艦となって「消えた」
2013年09月15日
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「俳句」~2008年の俳句。 建前の槌音高し秋の空 足裏より砂逃げてゆく浜の秋 稜線にヘリの姿やいわし雲 歩を止めてビルの谷間の赤い月 露と解く「いろは」の「い」の字いわし雲 ほうめい「1000円札」~ササエさんササエさんの3巻に「1000円札」が出ている。1000円札が出たのは、この頃だ。今では5000円札、10000円札、2000円札も出ている。ササエさんは1000円札に取り崩すのに勿体なくて、歩いて帰ってくる。その位1000円札は貴重な「円」であった訳だ。「カメラ」 マッターホルン 1998年9月 トロッケナーシュテークから見る摩天楼は、こんな姿だ。 洋洋園リハビリ室 月の出や 富士にお月見 よく似合う 2013年9月9日 洋洋園ロビー、まだこの夏の「お祭り」が残っている。 2013年9月11日 洋洋園の行く道 洋洋園 陸上自衛隊十師団 2006月10月 陸上自衛隊十師団 2006年10月 陸上自衛隊十師団 2006年10月 陸上自衛隊十師団 2006年10月 陸上自衛隊十師団 2006年10月 陸上自衛隊十師団 2006年10月 陸上自衛隊十師団 2006年10月 陸上自衛隊十師団 2006年10月
2013年09月14日
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「俳句゜」~2008年の俳句。 奈良井へと向かう峠や秋の雨 月蒼し雨後の明るき峡の村 灯を寄せて夜なべの妻や外は雨 蜻蛉舞ふ碑のみとなりし陣屋跡 栗爆ぜて使い古りたる自在鉤 茶の花や美濃へ開けて峡の村 振り向いて雨後の霧わく鹿島槍 婚の荷を開く狭庭の天高し ほうめい「郵便局は食事中」~ササエさんより。1948年ころの話である。「食事中」と書いて「休み」がとる。昔は名士が代理郵便局が取ることが、地方の村がそうだった。だから、「食事中」と書いて、お休みがする事か多かったかと思う。私も「食事中」たから行かないと答えて、復員した叔父さんに「日本が負けたんだ」と言って怒られたことがある。「カメラ」 マッターホルン。 プチ・セルバンから見るとこうなる。 1998年9月 富士山に月がでた。 2013年9月11日 洋洋園ロビー 2013年9月9日 洋洋園ロビー 2013年9月9日 ステップへ。 2013年9月12日 ステップへ。 2013年9月12日 2008年8月24日 横須賀港 2008年8月24日 横須賀港 2008年8月24日 横須賀港 2008年8月24日 横須賀港 2008年8月24日 横須賀港 2008年8月24日 横須賀港 2008年8月24日 横須賀港 2008年8月24日 横須賀港
2013年09月13日
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「俳句」~2008年の俳句。 柴又へ手漕ぎの渡船いわし雲 雑貨屋の閉じて久しや秋の暮 コロラドの瀬音は深し星月夜 折角の記念写真の湖は霧 底知れぬ闇の静けさ流れ星 母里へ通る近道あけび熟れ 終い湯へゆるりと入る星月夜 ゴンドラでゆく山の湖霧深し ほうめい「お米の配給」戦後の世代は「配給」の連続だった。ササエさンを見てみると、「ふの配給」まである。「魚の配給」もササエさんにのっている。ササエさんは西日本新聞に連載され、東京へ行って全国紙になった。1948年頃の話である。戦時中の世相はとけず色濃く残っていた時代である。そう言えば、名古屋まで出るとすると、切符がでた。その切符で食料が食べられた。「カメラ」 マッターホルン。 1998年9月 フインデルン近くから見るとマッターホルンが 素晴らしい。 富士山のみだったが、漸く「月見」となった。 2013年9月9日 洋洋園への道 2013年9月 洋洋園への道。 2013年9月9日 洋洋園への道。 2013年9月9日 小牧基地航空祭 2012年10月13日 小牧基地航空祭 2012年10月14日 U-125 14日もやった。 小牧基地航空祭 2012年10月14日 U-125 小牧基地航空祭 2012年10月14日 U-125 小牧基地航空祭 13年10月14日 U-125 小牧基地 C-1 2008年11月7日 小牧基地 C-130 2008年11月7日
2013年09月12日
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「俳句」~2008年の俳句。 大根蒔く三畝がほどの大仕事 大根蒔く三畝がほどの狭庭かな アイガーに掛る月見てカフエテラス 送り火や母も乗馬を覚えしや 霊送り母も乗馬を覚えしや 柴又へ舟の通い路いわし雲 ビッケルの錆拭きいて晩夏光 ほうめい「進駐軍」日本が戦争に負けてアメリカ軍その他か゛日本へ「進駐」した。いま、進駐軍と言っても、進駐の意味が解らないと誰しも思うだろう。8月15日から1948年の講話条約発効の日まで「進駐軍」が居た。田舎も、木曽福島に進駐軍がやって来た。「進駐軍の兵隊さん チョコレート頂戴」と我々子供が映った。「カメラ」 クローフート冰河 1993年、1995年に行った。 1993年の方が良かった。 1995年のもの。 洋洋園リハビリ室、今日は「月見」の絵があった。 これは2013年9月9日 洋洋園へ行く道 2013年9月9日 洋洋園へ行く道 2013年9月9日 要妖艶へ行く道 2013年9月9日 小牧基地 チヌーク 2012年10月13日 「チヌーク」は航空自衛隊と、陸上自衛隊があるが、 航空自衛隊は色彩が、黄色が目立つ。 小牧基地、航空祭 チヌーク 2012年10月13日 小牧基地、航空祭 チヌーク 2012年10月13日 小牧基地、航空祭 チヌーク 2012年10月13日 小牧基地、航空祭 U-125 小牧基地、航空祭 ヘリUH-60J 小牧基地、航空祭 へりUH-60J 小牧基地、航空祭 海上自衛隊ヘリ 2012年10月13日
2013年09月11日
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「俳句」~2013年の俳句。 秋晴れや偉人屋敷の昼下がり 秋晴れや坂道おおき新市街 子の家に住む幸せや柿を剥く 何時からか空き地に店や温め酒 移り来し団地に慣れし温め酒 夕明かり残りし空や温め酒 ガス灯の淡き光や温め酒 甘柿や会釈の深き野尻の子 甘柿やあの頃みんな藁草履 甘柿や旨そうに食う老爺かな ほうめい「がん」下血のして早や1月5日と、になる。未だバリウムの検査が残っている。普通、「がん」は一刻も早く適当な処置をしなければならないとされている。小牧市民病院は「お役人」的体質が。9月27日は「外科」診療日まで、中々来ない。「カメラ」 コロンビヤ氷河 1995年9月 2013年9月9日 リハビリ室 何だか「富士」が寂しそう。 2013年9月9日 洋洋園へくる道。 田舎の駅 1995年5月 田舎の家 1997年10月 小牧基地祭 F-4 F-15 手前はT-4 小牧基地祭 2012年10月13日 小牧基地祭 T-4、F-4 2012年10月13日 小牧基地祭 F-4 F-15 手前はT-4 2012年10月13日 小牧基地祭 C-130 2012年10月13日 小牧基地祭 U-125 C-130 YS-11NT 2012年10月13日 小牧基地祭 2012年10月13日
2013年09月10日
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「俳句」~2008年の俳句。 外国のハイカーとあふ花野かな アラビヤに仏教徒たりビール干す 日本語のメニュー探すビールかな 新月やモスクに男女区分の間 道野辺の地像と見たり盆の月 正面はメンヒ花野の握り飯 霧晴れて岳は乳房を露はにす ほうめい「小牧のバレー」この間は小牧で女子のバレーがあった。途中、気になる事があった。半裸に近い女子達が応援している。私は是れに賛成しない。無い方が良い。「カメラ」 エメラルド・レイク 1995年9月 リハビリ室、何だか淋しい。 2013年9月9日 風景、家の近く。 2013年9月5日 風景、家の西窓。 2013年9月5日 田舎 1997年10月 中央線 1995年10月 小牧基地 U-125A KC-767 2012年10月13日 小牧基地 UH-60J YS-11 KC-767 2013年10月13日 小牧基地 チヌ-ク 2012年10月13日 小牧基地 チヌーク 2012年10月13日 小牧基地 チヌーク 2012年10月13日 小牧基地航空祭 F-4 F-15他 2012年10月13日 小牧基地航空祭 フルーインパルス 2012年10月13日
2013年09月09日
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「俳句」~2008年の俳句。 盆過ぎて墓履きにくる男かな ~盆過ぎに漸く休暇を貰った男。 盆過ぎて休暇貰いし男かな 振り向けば名月有る家路かな 故郷へ都会帰りのサングラス かなかなや独りの夕餉妻の留守 正調の木曽節に酔ふ浴衣かな 高速道はしる車窓や遠花火 足裏の砂逃げてゆく晩夏かな アイガーの北壁仰ぐ花野かな アイガーの北壁高し大花野 ほうめい「上海国際空港」先日のこと、「最も綺麗な国際空港として」、羽田の次に上海が出ていた。上海も随分変わった事だろうと思った。1986年に上海に帰り便に乗った時、みた光景は惨憺たる物だった。従業員が二人、オシッコをしておった。それも、空港待合室のトイレでてある。しかも便座の二枚目は付けたままである。私は已むなく地下のトイレを使った。「カメラ」 針峰群を歩く。 1994年7月 2008年11月、放射能によって腕に湿疹ができた。 前立腺癌の治療のためである。 自衛官募集。 2013年9月 田舎の家二階 1997年10月 田舎、今日も小牧基地のC-130が二機飛んできた。 1997年10月 何でもカナダで輸送機を使ってへんな事をするらしい。 明野基地 2008年11月9日 小牧基地 三菱を出たF-15 2008年11月14日 小牧基地 F-15 1998年11月14日 小牧基地 F-15 2008年11月14日 小牧基地 C-1 2008年11月30日 小牧基地 C-130とKC-767 2012年10月13日 私の脳梗塞になっての作品。 小牧基地航空祭 2012年10月13日 私の脳梗塞になってからの画。 2013年の航空祭にない(いまの所) 。
2013年09月08日
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「俳句」~2008年の俳句。 銀河濃し屋根に石置く里の家 コロラドの瀬音は深し天の川 退屈な日よ盆中の金庫番 ~盆中は「休み」が多い。金庫番だけは止むを出勤する。 尾瀬を来て塔のへつりの茸汁 この辺熊も出るのぞな茸山 二つ三つ星流れけり羅炎山 棚経や雇われ僧の道案内 ほうめい「ビール800円」富士山のビールが800円もする。350CCのビールは、てある。一寸やそっとの金額ではない。ただ、下におろす費用を考えて半ば納得する。スイスのビールは下界も上界も変わらない。僕がビールを飲んで、暫くしたらお釣りを間違えたと言って、返金してくれた。クライネ・シャイデックの話である。2061メートルのところである。「カメラ」 ユングフラウ 1994年7月 ~夏のきり 晴れてフラウ の乳房かな 田舎 1995年8月 田舎 1995年8月 田舎 1997年9月 「梨」が剥いてある。 明野基地 2008年11月7日 明野基地 2008年11月7日 明野基地 2008年11月7日 明野基地 2008年11月7日 明野基地 米軍ヘリ 2008年11月7日 明野基地 2008年11月7日 明野基地 2008年11月7日 明野は僕が誘ってカメラ仲間と来たのである。 そいつは「酒」が好きで、伊勢へ飛び火して、 一杯のんて、お仕舞にしたのである。
2013年09月07日
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「俳句」~2008年の俳句。 白みゆくアイガー山稜霧ふかし 立秋の月掛けり前穂高 今朝秋や雲払ひゆく駒ケ岳 南瓜煮てこれも自適といふ暮し 方言の中に加わり施餓鬼寺 方言の中の一人や施餓鬼寺 駅までの靴の軽さよ今朝の秋 ほうめい「健康」自分の体力について小牧市民病院の暫定的結論がでた。内科で診断の結果は「外科」にも掛かれと宣告された。25日はバリウム検査。26日は外科。27日は内科と言う順番である。逸早く検査を終わって治療に専念して貰いたい。「カメラ」 ドリュ 1994年7月 西の空 2013年8月29日 帽子、1988年5月に厚木基地で買ったもの。 岐阜航空祭 1998年11月 岐阜航空祭 1998年11月 岐阜航空祭 1998年11月 ラインに彩色されている。 岐阜航空祭 1998年11月 岐阜航空祭 1998年11月 田舎の棚経 1995年8月 田舎、羅法山で4日間「火」を焚く。 1995年8月 墓参りを済ませた母。 1995年8月
2013年09月06日
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「俳句」~2013年の俳句。 月の出や老犬も来て座りけり 月の出や戸締り早き老夫婦 秋晴れやサラリーマンの昼餉どき 秋晴れやカフェテラスに老夫婦 秋晴れや海峡わたる小さい橋 あの町のあの路地が好き温め酒 夕明かり残りし空や温め酒 ガス灯の淡き光や温め酒 ほうめい「新宿~原町田」原町田に6年住んだ。今は「町田」と言う。町田から新宿までは45分かかった。登戸からは普通電車の後をゆっくり走るのである。帰りは、新宿から町田まで30分、これが通常の速さである。いまは複々線になって往復が均等になっている信じる。先年に狛江も複々線になって、驚いた。今日は病院で結果発表の日。Aの送ってくれるそうだ。手術となるか、果たして何とでるか。「カメラ」 グランド・キャニオン 1997年5月 ステップへの道 2013年8月 今までに頂いた、準特選、それから数年後に別の会合で 特選を頂いた。それは稚内を写した物で、魚眼レンズで 撮った。 晩酌 2009年9月5日 忍び寄る脳梗塞まで後20日。 晩酌 2009年9月6日 一人で田舎の暮らしを楽しんでいた。 岐阜航空祭 1998年11月14日 岐阜航空祭 1998年11月14日 岐阜航空祭 1998年11月14日 岐阜航空祭 1998年11月14日 岐阜航空祭 1998年11月14日 今ではほとんど見られないがアメリカ軍の飛行機も並んでいた。 岐阜航空祭 1998年11月14日 岐阜航空祭 ラインに彩色してある。1998年11月14日 岐阜航空祭 1998年11月14日
2013年09月05日
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「俳句」~2008年の俳句。 追い風の艦に風止む油照り 鬢付けの風の涼しい力士かな 父祖の地を継ぐも難儀や草いきれ 目の下はメールド・グラス夏の雲 夏霧の流れて深き大氷河 米砥ぐや秋冷いたる穂高嶽 鐘の音は霧の中から牧の朝 ほうめい「カメラ」 シュレック・ホルン 1994年7月 50年、10円玉が「500円」入る。 いまは100円玉を入れて、「葬式」の時に使うことにしている。 柿其 田舎の隣町。1995年8月 柿其 森林鉄道の残骸。 1995年8月 柿其 棉島の発電所に水を送る水道。 1995年8月 田舎 1995年8月12日 田舎の駅 1995年8月 小牧基地 百里のT-4 1009年8月19日 小牧基地 百里のT-4 2009年8月19日 小牧基地 百里のT-4 2009年8月19日
2013年09月04日
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「俳句」~2008年の俳句 峰雲や音の先行く戦闘機 帰国子の大往生の昼寝かな 夏雲や賽の河原に積むケルン 星涼し汽車は美濃より信濃路へ カウベルの遠き近きに牧の夏 峰雲やチーズ小屋から妻の声 南極が上の地図買う夏の旅 ほうめい「〔きみ〕のその後」1988年に、私の単身赴任で行っている際に、一度軽金属や商事の仲間と言ったことがある。その時はママと元気でそうに見えた。デ博が終わった後暫くして会社のT君に聞いたところ、亡くなったと言う事であった。癌で亡くなったらしい。東京でやって行たJUN会も、皆様高齢で止めてしまった。「きみ」も「浜」も二代目、三代目となっては行くこともない。お互いに歳をとった。「カメラ」 バンクーバー 1993年5月 帽子 ステップへの道 2013年8月29日 ステップへの道 2013年8月29日 ステップへの道 2013年8月29日 ステップへの道 2013年8月29日 各務原 2009年8月19日 各務原 2009年8月19日 小牧基地 百里のT-4 2009年8月 小牧基地 百里のT-4 小牧基地 百里のT-4 櫟の実 田舎にて。 2009年9月 しゅれんぼ、田舎にて。 2004年6月29日 まだ元気なころの話。
2013年09月03日
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「俳句」~2013年の俳句。 名月の算盤塾の授業かな 幼子は夢の誘われ虫の秋 子等すでに宿題おえたか法師ぜみ コスモスやガン発見の知らせあり 道草の子に教えやるあけびの実 ほうめい「バッカス」新宿三丁目から近い。Wさんから教えて貰った店である。少々高いが、僕の給与で間に合う。Wさんの付き合いで行った。「浜」大阪から出て江戸へ旗上げして根付いた店である。そこも、新宿御苑も近い。「きみ」とは同行の士である。僕が中部支社で転勤する時、代々木にいたHくんを誘って飲んだ店である。そこで、「夜の新宿裏とおり~」が僕が歌い、ギターで伴奏してくれた。今は二代目になっているたろう。「カメラ」 レイク・ルイーズ 1993年4月 湖は凍っていた。 ステップ 2013年8月 ステップへの道 2013年8月 準特選 若かりし頃の一枚。 アイガー氷河 1954年7月 アイガー氷河 1954年7月 アイガー 1954年7月 シュレック・ホルン 1954年7月
2013年09月02日
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「俳句」~2008年の俳句。 第九いま第二楽章寒北斗 年越しのハワイに別の己あり 木枯らしや回転ドアの吹溜り 大歳やビル四階の窓明かり 大歳や一人灯点すビルの窓 ほうめい「きみ」歳の押し詰まったとある時期である。Nさんと一緒に「酒」を飲み、やがて終電を過ぎた。お店の看板も取り外されて、しまった。タクシーに乗るしかない。そのタクシーが中々来ない。そのタクシーが、こんな事を言っていた。まず、女を送る、女は青山あたり近いから。この内に車がしたのは2時頃頃。Nさん送って、家に着いたのは3時頃の事だった。どおもNさんには「終電」まで飲み続ける「癖」がある。大阪でも、飲み屋で一晩「宿泊」して帰ったことがある。「カメラ」 マウント・ランドル、バンフの町に覆いかぶさる様に君臨している。 1993年4月 ところが1965年9月に訪れた時には、いささか平凡であった。 ステップ、お帰り。 ステップへの道。 2013年8月 柿其 柿其の五平餅も田舎と一緒。 1995年8月 ユングフラウ 1994年7月 峠に新田次郎の碑。 1994年7月 シュレック・ホルン 1994年7月 ロープウェイで上った「頂上」 1994年7月 アイガー氷河を歩く 1994年7月
2013年09月01日
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「俳句」~2008年の俳句。 冬虹や雨の日坂の夜泣石 鈴鹿峰に音なく冬の入日かな 指白き娘や水仙の花活ける 次の間に子等の寝息や毛糸編む 枯蔦や海峡わたる小さき橋 ほうめい「浅草サンバカーニバル」同じく東京での話し。今日は浅草サンバカーニバルを日だったと思う。午後から、松屋の前を通って浅草へ「浅草サンバカーニバル」が続々と通過していく。僕がこれを見たのは単身赴任の翌年、目黒にいた時である。延々、夕方までサンバの列が夫々の衣装を付けて踊り狂った。8月の最終に遣るそうである。この日は寺に参りもせず引き上げたが、寺に参らなかったのが脳梗塞であったかもしれぬ。「カメラ」 ボウ・レイク 93-04 最後に移っているのが家内である。 右手に持っているのはカメラである。 まだ凍っていて、僕が靴を引っ掛けてしまった。 ステップ、帰り。手を振って分かれるのが仕来り。 13-08-29 マグカップ JMSDF ステップへの道 13-08-29 アイガー 94-07-21 メンヒ 94-07-21 ユングフラウ 94-07-21 歩行、クライネ・シャイデックへ。 94-07-21 クライネ・シャイデックへ。 最後の二人が俺たち。 94-07-21
2013年08月31日
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「俳句」~2008年の俳句。 取分は見た目の秤猪の肉 肩寄せて他人同士やよたか蕎麦 半分は濡れてゆきけり時雨傘 雑踏の中の一人や年の暮 客一人降りて時雨の無人駅 ほうめい「きみ」まあ、週に一回通うだけ。Sさんは社長になった人、Nさんが支社長になった人。Gさんは途中で出向した人。他人では、医師、船乗等々、~医師や船乗は毎日通っていたそうだ。烏森小学校の時代は、安かった。この小学校も廃校になった。何しろ「生徒」が足らんのだから。高度経済の波が新橋周辺にも押し寄せて、小学校も何校か消したから。「カメラ」 ボウ・レイク 93-04 ここも凍っていた。 他人の庭だけれど、ひどいもんだ。 13-08-29 他人の庭。13-08-29 家のまえにある。 総火演 02-08-31 総火演 02-08-31 総火演 02-08-31 総火演 02-08-31 総火演 02-08-31 総火演 02-08-31 総火演 02-08-31 総火演 02-08-31 総火演 02-08-31 富士総合火力演習は回年行われる。
2013年08月30日
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「俳句」~2008年の俳句。 寒星や煤天井の明かり窓 雪霏々と鉄橋渡る一輌車 満蒙の読書村よ捨て案山子 大方は野菜ばかりや河豚と汁 病床と従兄を見舞う冬桜 ほうめい「きみ」東京時代の話である。「きみ」と言う名の飲み屋があった。それを紹介して呉れたのはGさんであったと思う。烏森小学校の南の方角に、二階が「きみ」だった。10人は入れない店だった。カラオケは無かったが、私は「木曽節」と歌った。ママは良く「カスバの女」を歌った。その後「きみ」は移転して新橋の一等地へ移った。「カメラ」 93-04 バンフ 中央の女性はK子である。 ステップ、約3週間ぶりに再訪した。13-08-29 風景、飛行機雲が飛び交っている。 13-08-28 春日井駐屯地 春日井駐屯地 02-03-17 春日井駐屯地 02-03-17 春日井駐屯地 02-03-17 春日井駐屯地 02-03-17 春日井駐屯地 02-03-17 春日井駐屯地 02-03-17 戦車は特別参加。 春日井駐屯地 02-03-17 春日井駐屯地 02-03-17
2013年08月29日
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「俳句」~2008年の俳句。 老い二人話ちぐはぐ根深汁 息白くホームの端の喫煙所 寒星や本芝下町谷間の灯 家ごとの団欒の灯や寒昴 寒月や人それぞれの暮らしの灯 ほうめい 「味おんち」近頃、味おんちに為ってしまった。これも老齢に所為か。魚の刺身を食べたが、若いときの様に美味しくない。うな丼を食べたが、これも昔のように美味とは言いかねる。今日の昼食は、牛丼であったが美味しくない。昼食は半分残した。食べたのは味噌汁と薩摩芋の煮たものだけ。漬物だが何だか判らないものは手をつけてない。どうにも仕方ない事である。「カメラ」 13-08-24 一日早いK子の誕生日。 13-08-24 13-08-24 折から山陰が惨禍。 函館港 94-05 笑楽会 函館港 94-05 笑楽会 函館港 94-05 笑楽会 函館港 ドックに居る護衛官。 笑楽会 94-05 函館山 笑楽会 94-05 支笏湖 ジェト機 94-05 支笏湖 94-05 千歳空港でビール、このビールは炭酸が強く、あっと言う間に 一杯になる。 94-05
2013年08月28日
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「野村」さんから書き込みがありました。石原さんからも書き込みがありました。精々頑張ります。 「俳句」 ~2008年の俳句。 日展の見ての帰りの酉の市 幾たびの目覚めて雪の外厠 日展へ銀杏落ち葉の降る道を 白壁に日の回りきて茶の花忌 少し日の差して路地裏十二月 ほうめい「仕事を楽しんだ事は無い」ヤクルトを退団する宮本選手の言である。そういえば、スポーツをする選手が、良く「楽しんでやりました」と異口同音に発言するけれど、果たして「楽しんだ」かは判らない。宮本選手が「真剣にした、楽しんだことは無い」と言ったのは「名言」である。一つの言葉をして、スポーツ選手が、「流行って」呉れたらよい。「カメラ」 13-08-24 一日早いK子の誕生日。 13-08-24 一日早いK子の誕生日。ケ子 M子のケーキ。13-08-24 これが一番高かったと、M子が言った。 13-08-24 A子のケーキ。 会食 94-07-21 グリンデルワルト。 ホルンを習うK子。 94-07-22 グリンデルワルト 94-07-22 グリンデルワルト 笑楽会 札幌キリン麦酒。 笑楽会 札幌キリンビール。 94-5 笑楽会 94-5 笑楽会 洞爺湖 94-5 笑楽会 94-5 昭和新山近く。 笑楽会 昭和新近く。 94-5 笑楽会 函館 94-5 朝飯を食べに。 笑楽会 函館港を出航する護衛艦。 94-5
2013年08月27日
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