The Life Style in The New Millennium

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Master21

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2005.10.06
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職人気質

「お父さん、無理だって」

と、香奈が母と二人で止めても、父は言うことを聞かなかった。

「一人で行くから、絶対に来るな」

生まれつき頑固な職人堅気な性格である。

60を前にして治せと言ったところで、無理な話だ。かと言って、ほんの半年前まで、普通に目が見えていた男が、ほとんど失明状態になったのだから、心配するのも当然のことである。

香奈の父は、中学を出てから稼業の印刷屋を継いだ。

それから40数年、印刷工場を切り盛りしてきた。

最盛期には、30人ほどの社員を雇ったこともある。

だが、20年ほど前、ワープロやパソコンが出回るようになると、
印刷の仕事は激減した。

衰退の一途の仕事を、何とか意地と執念で頑張ってきたが、
時代の波には乗れなかった。

今は、ほとんど一人で仕事をこなしている。

器用な経営感覚のある人ならば、うまく方向転換を図って、今風の印刷屋に変わって行
けただろうが、香奈の父にはできなかった。

あげくのはて、無理を重ねて過労から来る白内障とかで、
ほとんど失明状態になってしまった。

手術をすれば治るかもしれないと医者は言うが、検査の為の病院通いも、
なかなか大変だ。

どうしても、一人で病院に行くと言って聞かない父を、香奈と母は父に気づか
れないように数メートル後ろから心配げにつけた。

父の右手には白い杖、そして、左手は盲導犬の太郎とつながっている。

改札口を通って、階段を下り、地下道を歩き、今度は階段を上り、
父はホームに立った。

目の不自由な人用の黄色い点字マットの上を父は太郎に誘導されて歩いて行く。

「お母さん、電車・・」

香奈も母も、ホームに電車が入って来たときは、背筋に電気が走った。

「お父さん、本当に、大丈夫・・うまく電車に乗れるかな・・・」

ドアが開き、さきに太郎が乗り、父が電車に乗り込む。

「お父さん、すごい、すごい」

父は、ちゃんと乗り込んだ。

香奈と母も隣のドアから乗り込んだ。

しかし、ラッシュの時間は過ぎたとは言うものの、やはり混雑した車内。

席はすべて埋まっている。

「誰か、お父さんに席を譲ってあげて」

香奈は心の中で叫んだが、目をそらす人、寝た振りをする人、目で譲り合って
るだけで立ち上がろうとしない人・・・おまけに、ドアの前には、高校生が3
人でとぐろを巻いて座り込んでいる。

香奈は、父がつまずいて倒れないか心配だ。

盲導犬の太郎が社内の空席がないか目で探している。

車内がグラッと揺れた。

電車が動き出した。

父も揺れた。

吊り輪に捕まっているが辛そうだ。

その時、

「おまえ、寝てないで立てよ」

さっきのドアの前で、座り込んでいた男子高校生が居眠りしている高校生を起
こして席から引きずり降ろして

「オジサン、座ってよ」

ドアの前に座っていた二人も立ち上がって、

「どうぞ、どうぞ」

と、言って父を座らせた。

「すまんなあ」

と言う父に、高校生は顔を見合わせながら照れ笑いしていた。

意外な連中が役に立つものだと、香奈と母は少し驚いた。

そんな感じで、二駅乗って、駅前の病院に着いた。

受付を済ませて待合のベンチに座った父は、

「ありがとう、太郎」

と、前に座った太郎の頭を撫でながら、さすがに疲れたようだ。

しかし、さすがって所も見せた

「おまえらも、座れや・・・来なくてもいいと言ったのに、着いてくるんやか
ら」

と、父は、こちらも疲れた様子の香奈と母の方を向くとニヤッと笑った。






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Last updated  2015.08.23 07:58:51
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