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たまたま見つけた、過去のブログ。自分のことかと驚いた詳しくはクリック。こんな危ない橋ばっか渡ってたのか、ワタシどうりで、誰が何といっても二度と自分で商売なんかしたくない訳だよなあ。先日の社員クンの結婚式でも久しぶりに会った人たちに、随分「なにか新しい商売しないんですか?」なんて、訊かれたけどね。でも、毎日こんなンばっかりだったからどうりでブログも面白かったはずだわな。ワタシも、こんな人いたらおかしい。今は他人事。幸せです。
2015.08.19
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今回、うちの娘と同じ学校から同じ大学に入った女の子。親としては安心します。気の合うお友達が一緒っていうのは。それは、向こうのお母さんも同じ。今回も、日程を合わせて一緒の飛行機で行きました。言ってみれば移住ですからねお互い、それはそれは山盛りの荷物を持っていきましたよ。その中に、山盛りだっていうのに、ぎゅうぎゅう詰めの中に、うちの娘はわざわざダッフィーかわいいお顔のダッフィーを選びました!ダッフィー ぬいぐるみ S サイズ 43cm (座った高...価格:5,580円(税5%込、送料別)入れてったんです一緒じゃないと眠れない、とかってね。そしたら、そのお友達にも、やっぱり居たんですよ。いつも一緒に寝ているワンコちゃんがね。うちの娘のダッフィー見たら、自分も欲しくなったんだとか。で、お母さんわが家まで、わざわざ届けに来ましたの。ワンコ。うちはサーの仕事もあって、また今月末ブリスベン入りするので。その時、持って行って欲しいと頼まれました。女の子って、みんなそういうのあるのかもな~~って思ったのね~~。だってもう30年近く一緒にいるワタシのクマポーちゃんと一緒に寝るようになってからはポーちゃんに食われると困るのでベッドには置いてませんがベッドのすぐ横には、いつもいますしかも、このクマごん。ただのぬいぐるみではない指人形?つか、手が入るようになっていて、動くのだ。カワ(・∀・)イイ!!~~んだぞ~~っと。あ。女の子って言った??ワタシの場合。元、ですけどね。。。
2014.03.02
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すごくめずらしく、道端で見つけたので懐かしさに、思わず買ってしまいました~。ムールクー、というインド人のスナック菓子。(厳密には、ムールクーという中の、オモポディーという名前のお菓子なんだけど、インド人じゃないし、そこまでこだわるやちゃいない~)今では、普通にスーパーマーケットでも買えるんだけど昔は、インド人のおっちゃんが、これを山盛り入れたアクリル板の箱をバイクの後ろにのっけて道端で量り売りしてたの。量り売りっつうか、一握りいくら、みたいな。で、何が懐かしいって実はワタシはこれを日本へ輸出したことがあるの。無謀だよなぁ~、どう考えたって。でも、お豆の粉で作られててヘルシー、とかたっぷりのスパイスで新陳代謝アップ、とかカプサイシンパワーで脂肪燃焼、とか絶対日本でブレイクすると思ったのねぇ、当時のワタシ。ちなみに「びぃ~んず畑」って名前でした。パッケージングのデザインとかも自分で考えてホットとマイルドの2種類の味にして売り込みに、一人で日本に営業行って20フィートコンテナ2本分、商談成立。あぁ~~~、無謀、無謀。。。ひと悶着もふた悶着もありながら最終的には、取引先の代表取締役社長のところに直訴に行ったりしてなんとか売り切ったから良かったものの。。。ワタシ、何やってんだろ?って我が身を省みたのが、今思えば、バー・アイールをオープンする最終的なきっかけでした。ヒョウタンから駒?ちと違うか。。。
2009.06.17
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今日、家を探したいというお客さまにつきあってワタシのバーの近くのコンドミニアムを見に行った。そこは、15年前、ワタシが住んでいたコンド。大抵は、マレーシアの家ってのは部屋が3部屋くらいあるのが普通で一人暮らしにはアマシテしまうものなんだけどここんちは、めずらしく独り暮らし用の部屋なんかもあったりしてコ洒落たカウンターキッチンなんかもついてたりしておまけに、食事やお買い物などの便も極めてイイのでこの15年の間にも、何度か人に勧めては付き添って見に行ったりしていた。今日は、実に6年ぶりの古巣との再会。すごくセキュリティーも厳しくなってて中も改装したのか、明るくてきれい。ワタシが住んでた頃は、まだ出来かけで人もあまり住んでなかったし、なんとなく埃っぽくてガードなんかもめちゃくちゃゆるくって一時、身の危険を感じていた頃なんかは(どんなやっちゃ。。。)お友達の家に避難していたほどだったのに。あ~、なんだかお客さまそっちのけで、思い出にふけるワタシ。。。時は戻るぅ~。。。そうだなあ。この家に住んでた頃のワタシか~。。。歯車の一員になりたくなくて組織の一員でありたくなくて何でも自分で決めたくて何でも決めたことは自分でやりたくてそのための責任も自分で取りたくてワタシも誰の邪魔もしないからだから、勝手にさせてほしくて放っておいてほしくてずっと、頑固にそう思ってうざい日本が嫌で一人でマレーシア来ちゃったんだったよね。だから一人でマレーシアに来て、いっぱい苦労もしたけどそれはそれで、自分で選んだ道だからと頑張ってこれた。自分で選んだ道への責任、取りながらちっくしょ~、とか言いながら、走ってきた。すごく満足で、自分ってカッコいいって思ってた~。現実に戻ってぇ~じゃあ、今は?ははは~。今もやっぱり、うざいの嫌いだ。ワタシはいつでもやっぱり、自分で決めて自分で生きていきたい人だ。実は、ワタシも周りは、これからうざくなる予定。耐えられるんでしょうか。。。
2009.06.09
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引越しを今月の25日に控え慌しく引越しの準備。だいたいが。。。モノ多すぎ。。。17年前にスーツケースたった一つでマレーシアにやってきたワタシがどこでこんなに4トントラック3つ分の荷物になるんだか。。。普通、会社から派遣されたマレーシア駐在員の方タチは2年から5年程度が任期なので家具なんか買ったってしょうがないから家具付きのコンドミニアムに住むのが常識。ベッドもワードローブもドレッサーも3部屋あれば3部屋共に完備されているし、洗濯機も乾燥機もテレビも衛星放送も電子レンジもほっとんどどこの家にも付いている。身一つで入居可、なんだな。多少デザインが気に入らなくたって、一生住む訳じゃないしね。でも我が家の場合、。。。つうか、ワタシの場合、気に入らない家具や備品だったら、いらんってタイプ。だから、何年もかけて、家具という家具は全部買い揃えちゃったのね。それだけで大変なのにサーとママ二人分の仕事関係の書類やらママが今まで大切に保存してきたお料理のレシピ集。使わないくせに捨てられないブランドバッグたち。サーが出張へ行く度に増えてくるスーツケースたち。調理器具なんかは、絶対3家族分くらいはあるし。食器類もやっぱり3家族分くらいある。普段のパーティーの時は、紙皿しか出さないくせにっ。めったに使わない、でかい寿司桶、パスタマシーン、ホームベーカリー、スロークッカー、中国茶セット、ホットプレートにホット鍋、カセットコンロが3つ。七輪も4つ。宝物のクリスマスツリー。なぜか机は5つあるし、フードプロセッサーも炊飯器もなぜか2つずつあって土鍋は大小合わせて5つもある。ゴルフセットもなんで4セットもあるんだか。。。ついでにワンコが3匹だ。うちは3人家族じゃあなかったかね。。。。。。と、言うわけで、ただいま大量に廃棄中。取りに来られる方、差し上げます。
2007.08.07
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「ちゃんと更新してください。」とのご要望が多々ありましたので家内引越し作業は全く進んでいないのですが今日も頑張っちゃいます。昨夜、お客様とお話しながら思い出したことがありました。中学性になってはじめてもらったツウシンボ。(なんか、こう書くと、タケトンボとかアカトンボとまちがえそう。)いいんです。成績は良かったんだから。この辺自慢。でも、先生からのコメントの欄に書かれていた一言は「アイールさんは、他人には非常に厳しいくせに、自分には非常に甘い人間だ。」・・・でした。よおするに、このままでは、まともな社会生活は営めない。人間のクズだ、ぐらいの勢いの事が書かれていました。当時、それを読んだ自分が、腹が立ったのか嘆いたのかはもう覚えていません。ただ、普段はものすごく優しくて大人しい母が学校まで、猛烈な勢いで、この先生に抗議に行った事だけは忘れられません。「いくら担任でも、書いていい事と悪いことがある。うちの娘に恨みでもあんのかい。」とか、そんなことを言ったらしい。そうしたら、その先生に「まさしくアイールさんはアナタの娘です。世の中を分かろうとしないあたりが娘さんとそっくりです。」とかナンとか言われたそうな。覚えていない割にはいつか会ったら復讐してやるっ。とか思ってるんだから多分ワタシも相当このことは根に持っているんだと思うんだけど。今でも、ワタシの頭の中には常に「ワタシって他人にばっかり厳しいのかなぁ」ってあります。何か人間関係などで問題が起こった時なんかは特に。「ワタシは自分に甘いダメな人間なんだ。」って、どこかで。一つのトラウマなのかなあ。
2006.09.20
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今朝、私が寝ている間に、やっと洗濯機が届いた。メイドが、「ちゃんとつなげてってね。」と頼むと、「追加料金10リンギット」と言われたそうで、だったら自分でやるよ、と業者を黙って帰してしまったんだそうな。なんだって?もし私がその場にいたら、「ふざけんな。4日も配達遅れといてふざけた口きくな。迷惑料とるぞ。タダでやらんかい。」と、優しく諭してあげたのに。そうです。私は、いつもどんな時も、黙って引き下がったりしません。必ず、とりあえず戦います。実家の父が数年前、「こんな娘じゃなかったのに・・・」と嘆いたくらいに・・・私が、こんなに逞しくなったのには、一つの大きな理由があります。それは・・・私が始めて、この地クアラルンプールへやって来た15年前に遡る・・・KL(クアラルンプール)には、”長く住んでいる者ほど偉い”といった不思議な、暗黙の了解のようなものがある。当時は、”KL三大女傑”なるものまで存在していた。なんでも、KLに長く住んでおられて、ご自分でお商売もされてるおば様たちで彼女たちの中の一人にでもよく思われないと、この街で生きていけなくなる。ほどの権力を持ってらっしゃるらしかった。そして、各女傑には、それなりの取り巻きもいた。言ってみれば、KL株式会社の取締役会のようなもので、その頃の私は、ただの一般新入社員でしかなかった。言うまでもなく・・・入社早々、取締役のオカンムリを買うた私。断っておきますが、何か悪さをしでかした訳ではありませぬぞ。ただ若かった。当時のKLには不必要な若さだっただけ。数日の内に、下世話な噂が広まった。「あの女は誰とでも寝る。」「あの女に引っかかったらケツの毛まで抜かれる。」ところが私は、その噂に対しておばさんのヒガミよ。としか感じなかったタメなんの態度お改めもしなかった。それに、私は誰とも寝てないし、誰のケツの毛も抜いてない。だから、その噂に対して、何の反論もしなかった。真実はいつも一つ。沈黙は美なり。私は、日本人として、日本人の美徳である、沈黙を守っていただけ。負けを認めたわけではない。何も言わなくたって、判る人には判るのだ。正義は勝つのだ。そう思っていたから、別に誰に媚も売らなかったし、変に弁解もしなかった。しかし正義はあっけなく敗北した。やはりここは異国だった。ゴルフとカラオケとオネエチャン以外、特別娯楽もなく、NHKもなかったあの当時、人の噂話だけが情報だった時代。若い独身日本人女性など、まだまだめずらしかった時代。しかも得たいが知れないときた。私は恰好の餌だったに違いない。いつの間にか、私本人を知らなくても、”そういう女がいる”ことは知っている人が増えてきた。初めて会った人に「ああ、アナタね。」と言われるようになった。悔しかった。「ちがう。チガウ。私違うよぉ~。」とムキになって反論しなかったことが噂を真実と認めたことになってしまった。いまだに、私に近づくとケツの毛を抜かれるから気をつけろ、と忠告してくれる親切な元取締役がいるのだから。KL株式会社では、沈黙は美ではなかったらしい。そして私はその時誓った。いつか女傑になってやる。はっはっは・・・あれから15年。アイールちゃんに嫌われたら、KLじゃあ生きていけませんことよ~。え?ただのおばさんやんって?
2006.05.11
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めずらしく、本日2度目の更新。フリーページ、その5とその6を追加しました。これは、約3年前に、大手カメラメーカーが運営していた「グローバル・チャレンジャー」というホームページでコラムを書かせてもらっていた時のものです。読み返すと、あんまりおバカでノー天気でお気楽で無鉄砲で、気恥ずかしくなるのですが、ところどころ修正は加えていますけれど、あえてほとんど当時のままです。「変わってへんやん。」なんて声も聞こえてきそうですけど・・・併せてお読みいただけると嬉しく思います。
2006.05.08
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昨夜、あと1cmほどのボトルを残したままお帰りになったお客様がいました。「あぁ~、びみょぉ~・・・残念かもぉ~・・・」と思ったママ。「仕方ないよ。プライベートで入れられるボトルじゃないじゃない。(はっきりいって高い)次に会社関係で来た時入れてくれるんだから同じじゃないの。」カウンターの横ちょに座っていたサーが言った。「客のフトコロ具合も見てあげないと。」「何言ってんのよ。フトコロ見てたら商売できないの。今日入れて、次も入れるの。あたりまえでしょ!」カウンターにお客様が居なくなったのをいいことに、ついつい暴言を吐いてしまったママ。・・・いえ、そんなこと思ってませんよ。思ってないったら~。・・・今ね、一瞬、これを読んでる当店のお客様方が凍りついたのが見えた気がしてね・・・今は。さすがに思ってないです。つうか、さすがにママも丸くなったしょ。さかのぼること、私のススキノ時代は別ですけどね。昔、ススキノのクラブにいた頃は、数ヶ月に一度必ずオーナーママ、現場ママ、店長、黒服、ホステス、洗い場全員参加のミーティングがありました。灰皿の取り替え方、水割りの持ち方、乾杯の時のグラスの位置、ハンカチの使い方、目線の位置、新規のお客様の捕獲(?)の仕方、お客様が右にいる時の足の揃え方と手の位置、左の場合、体をさわられた時の対処法、などなど。素人さんが働ける店でもなかったからそんなことみんな知ってたんでしょうけど。中でも一番厳しいのは、”ボトル開け”だったんですね。私は”ボトル開け要員”でしたからだいたい、ボトル半分のあたりで何故か指名でもない席に呼ばれてました。そこの席の半分ボトルを無事空けると、ちゃんと自分の指名の席に戻してくれる。でも、そんなことが一晩に何回もあると、さすがに、黒服に文句の一つも言いたくなるもの。「もう無理だよぉ。もう5本目じゃあん。」みたいな。そうすると、「じゃあ、キヨノつけるからさぁ。一緒にがんばってよぉ。」と、別の隊員を一緒につけてくれる。でも、キヨノはキヨノで、他の席でも、ボトル開けさせられてたりして。ひどい時には、同伴で入るなり「今日は、あれ開けてね。」と黒服からの指示。見ると、前回入れて帰ったばかりのまっさらなボトル。だって私、今おすし屋さんで日本酒4合瓶飲んできたのよ~。まじ~・・・とぶつぶつ言いつつも、隊員3名ほどにヘルプお願いして、無事空ける。めでたくニューボトル。なぜかまた黒服に呼ばれる。「お電話で~す。」この、お電話、が怖い。「ねえ、今日見てよ。ほら暇でしょ。今のボトル、もう一回空けてねぇ~。アイールちゃんしか居ないんだよねぇ~。頼りにしてるよぉ~。」まじかい。でも空けたよ。空けましたよ。その日のお会計、ボトル2本とワイン2本、プラスフルーツにチーズ分。お客様1名様。ほとんど毎晩、全員閉店時にはぐでんぐでんって、そんな鬼のようなお店に勤めていた私。その代わり、そんな無謀な接客をする店だったにもかかわらず(つまりは、お客様のフトコロ具合など一切気にもせず、がばがば毎回ボトルを入れてもらうことだけ考えている店)すごく繁盛していた クラブ「鼻の館」・・・でなくって・・・ 「花の館」(これね~。ススキノに同じ名前のソープあるんだな~。この辺から裏情報に漏れたのかなぁ・・・)どのお客様も、怒ったり、ひるんだり、逃げたり、しなかったのが今でも不思議。それだけ、お店側がみんな、お客様を楽しませるプロだったんじゃないかな。楽しかったから、ついつい飲んじゃった。ボトルも空いちゃった。みたいな。おねえさん達も、独立して成功してる人多いし。私は、今でも、この「花の館」が、私にとっての、ホステス養成学校だったと思ってます。ここで私は立派なホステスに鍛え上げられたんだ。立派って・・・言い過ぎか・・・
2006.04.28
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あれは1年ほど前のことでしたか・・・私の出勤ルートで、お店の近くに、ちょっとしたジャングルがあります。←出勤ルートにジャングルがある辺りが、めっちゃマレーシアでしょ。そのジャングルの中の木と木の間の小さなスペースにに、ある日誰かが住み着きました。浮浪者?原住民?なんせマレーシアだから、上半身裸だってどってことないんです。だいたいうちの近所にだって、そんなおじさん(さすがにおばさんは居ない)いくらでも居るし。車で一瞬通り過ぎるだけなので、最初は「あれ?誰か居る?」ってしか思わなくって。次の日から、そこを通り過ぎる時は、目を凝らしてじっと見るようになりました。確かに誰かが住み着いていました。時々外出?しているのか、居ない時もあってその内なにやら、家具???が増えてきました。夜だし一瞬だからいつも余り良くは見えないのだけどゴミ箱やプラスチックのワゴンのようなもの、食器や、調理器具らしきものもあったみたいです。少しずつすこ~しずつ増えていく家具たち。どこから調達するんでしょう?ジャングルの中の小さな住処。子供の頃の冒険のようで、わくわくして毎日その一瞬に目を凝らす私。その内友達が出来ました。時々遊びに来ていました。なんとなく、「もう一人ぽっちじゃないんだね」ってほっとして居ない時は、その友達と外出してるんだなって安心したりして。でも、ある時、警察の手入れが入ってしまいました。(その後もあたりを警察がうろうろしていたので)強制撤去。彼の住処がただのジャングルに戻ってました。今でも毎日、そこを通るたび、目を凝らしてしまいます。また戻ってくるかなって。ママの出勤時の、楽しいひと時だったんですけど。
2006.03.08
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当店の占い師、アリアが言った。「この店には霊が居る。」実はママには長年付き合っているスピリット(霊魂?とでも言うのかな)が居る。その昔、電源を入れていないテレビをバックに写真を写した時、彼が映っていたので、顔も知っている。色白で細面の彼・・・アリアが見たのもその彼だ。話しはさかのぼる。私は昔から、めちゃめちゃさげまんだった。付き合った彼氏は、必ず、降格、左遷、経営危機、使い込み発覚(使うなよって)、倒産、軽いケースで、交通事故、勿論廃車、みたい経験を強いられる。最初は気のせいかなって思ってたけど、絶対”この人は落ちない”って思ってた、当時付き合っていた中古車部品を東南アジアに卸している社長さんが、”マレーシアの”バイヤーに2000万円ひっかかった。やっぱ、気のせいじゃなかったのね・・・月日は流れ、私と結婚したいという”怖いもの見たさ”クンが現れた時、私は彼にその話しを打ち明けた。「死ぬかもよ?」「死んでもいいんだ。君が居れば!!」・・・・・・・とは言わなかった・・・「死にたくないからお祓いに行こう。」”お祓い”???なにやら中国人の占いのおばちゃんに見てもらったところによると、スピリットと私は、前世で大変愛し合った仲で、今、私は人間に生まれ変わったけど、彼はいまだに霊魂のままなんですと。だから、私に男を近寄せたくなくて、邪魔をするんだと。で、この相手はなかなか手ごわくて、おばちゃんには祓いきれないから、と、とあるボモ(マレーシアの祈祷師のことをこう呼ぶ)を紹介された。・・・なんか面白そう~・・・私は、ただの興味本位で、そのボモとやらのところへ行ってみることにした。一応、祈祷に行く前に、知り合いの出雲大社マレーシア分社(っていうの?)の神主さんに説明をすると、「ボモは、本当にヤバイ。変な魂を入れられることもある。」と言われ、必ず胸に着けておくように、と、お守りをいただいた。そして、祈祷開始。なにやら、ボモがうにゃうにゃ言っているうち、確かに、胸の奥の方から何かが引っ張り出されそうな感覚になり、吐き気がしてきた。お守りお守り・・・と心の中で唱え、興味本位でこんな所についてきてしまった自分を後悔する。と、その時、突然怒り出したボモ。「こいつは胸に何かを隠し持っている!!だから祓えない!!!」ひょえ~・・・見えてる?ばれてる?「ただでさえ、このスピリットは外人で身体も大きいから祓いづらいんだ!」ふにゃ?外人?身体デカイ?魂に国籍なんかあるかい!!魂が身体持ってるんかい!!あ~・・・や~めた、やめた。あほらし。「いいわ、もう。このスピリットが私に男を寄せ付けないんなら、私は一生このスピリットと生きていくから。もう放っておいて。」と、帰ってきてしまった。実際、そう思った。だって、付き合う彼氏は不幸になるけど、私はいつも幸せなんだもん。こんな力強い味方って居ないじゃん。そういう訳で、私と彼=スピリット君とは、もう随分の付き合いになる。ちなみに、彼が邪魔をしなかったのは、現在のうちのサーだけである。それでもいまだに心配なのか、時々お店に現れるのだ。ウソみたいで・・・ホントの話。
2006.02.08
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ある日のことだった。当店は、道路に面している側が、天井から床まで全面ガラス張りになっていて、木枠に入った10枚のガラス窓が、アコーディオン状態で開閉できるようになっています。その外側にちょっとしたベランダがあり、一時期私はその小さなベランダでハーブを育てていました。普通のウイスキーの水割りにちょっと葉を摘まんで加えると、ふんわりと風味が増して、くいくいっと酒が進む、なかなか売上げ貢献度の高いハーブでした。(当店のシークレットレシピにつき、葉っぱの名前は明かせませんが・・・)いつも、「ママ、ハッパ」(なんかやばそう?)と言われると、パタパタとベランダに出ては葉を摘み、お客様にお出ししていました。前置きが長くなりましたが・・・そんなある夜、私は非常に酔っていた(マレー語では、ビアサ~=よくあること、と言います)。ヨチヨチと窓のところまで行き、何を思ったか、通常、"引いて"開ける窓を、力任せに"押した"私・・・はい・・・そうです・・・窓は無残にもレールから外れ、二度と閉まらなくなりました・・・「泥棒・・・入らないかな・・・」と心配しつつも、完璧泥酔ヨチヨチ状態だった私は、その晩「ま、いっか」と、放ったらかして帰宅。次の日、サーを連れて修理に。外側に押された状態で、無様に開け放たれている一枚の窓を、一生懸命引っ張る、サー。 「キミはもういったい何をやっているんだか」愚痴の一つも言いたい、サー。額には玉の汗が光る・・・(ここは常夏マレーシア~) 格闘すること数十分。窓はなんとか正常な位置に戻り、スムースな開閉を取り戻し、一安心する、サー。ところが、その時・・・・さっきまでサーと格闘していた、その天井から床まである(木枠も入れると高さ250cm×幅70cm)重量推定40kgはあろうかという一枚の窓が、ねじが外れて、サーめがけて倒れこんできたのです!!”がっちゅー”反射神経の鋭い機敏なサーは、頭上でそれをキャッチ!・・・間一髪で、事なきを得ました。「(ここに居たのが)キミじゃなくて良かった」はい・・・もし私がサーの場所に立っていたなら、間違いなく窓は私を直撃、皆様に「いい人だったのに・・・」と言われていたところでしょう。ありがとね、パパ。それにしても・・・そんな大事に至るほどの馬鹿力で、私は窓を開けてしまったのですね・・・酔っ払いって恐ろしい・・・
2006.01.20
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私は以前、とある大手カメラメーカーが運営していたHPに、マレーシア代表としてコラムを載せてもらっていたことがある。久々に読み返してみて、ちょっと面白いのがあったので、抜粋してみました。よろしければお付き合いください。私が、インド人のスナック菓子「ムール・クー」を日本に輸出しようと試みたところから話は始まります・・・・・・実はこの「ムールクー」というお菓子、レンズ豆の粉を練って各種香辛料を加え、油で揚げた、ピリッとした辛みとカリッとした食感が酒のツマミにもってこいのスナック。話を聞いている内に、段々私もその気になってきた。だって、お豆の粉は良質のたんぱく質、おまけにクミンを代表とした各種香辛料の効能も、今では言わずと知れている上、チリパウダーに含まれるカプサイシンには脂肪の燃焼を助けるという嬉しいおまけまで付いている。健康ブームの日本で売れない訳がない!!と私は確信してしまった。当時持っていたお金でどの程度輸出の準備が出来るか計算したところ、20フィートコンテナで2本分までの費用なら何とかなりそうだ。早速日本へ帰り、娘をまず親元にあずけ、買い手探しの営業をした。今考えても信じられない。札幌でも大手のスーパーマーケット「K」に飛び込みで行ってしまったのだから。そして、コンテナ2本分、買うという話しが成立した。とんぼ返りでマレーシアに着いた私は、マレーシア中の「ムールクー」を食べ歩き、一番歯応えもスパイス加減も程よく美味しく、しかも清潔かつ良心的に作っている業者を捜した後、商品名、パッケージのデザイン、材質、ダンボールのサイズや質などの決定や、コンテナ会社の選択、勿論その各業者との価格交渉等々に走り回った。私はこの「び~んず畑」(決定した商品名)が日本で大ブレイクして取引が活発化すれば、その利益を元手に店を作れると期待していたので、それはそれは最後の賭けの様な、意気込みがあったと思う。この時点で、始めてマレーシアに来てからもう7年もの月日が流れているのだ。いい加減このままではいられない。そして1998年11月、コンテナは無事札幌へと向かった。はずだった!しかし突然、「K」が「そんな契約はした覚えがない」と言い出したのである。そりゃないっしょ… 私は又札幌へ飛んだ。確かに正式な契約書はないが、何度も仕事の進行業況を電話で報告し、サンプルも送付している時点で、いつだって断るチャンスはあったはず。コンテナを出した直後にも「今日コンテナが出ました。約束の日には間に合います」と電話をかけているのだ。担当の君は「分りました」と言ったではないか。それを今更とは言わせない。いきり立つ私。結局担当の君では話にならず、社長と直談判し、コンテナ1本分は引き取ってもらうことになったが、さあ、もう1本分500箱×24袋=12000袋!!どうする?今度は東京へ飛んだ。「K」の担当者がほろっともらした会社名を頼りに、千葉の輸入卸売会社へ向かった。相当私が不憫に見えたのか、そこの担当の方は、100円ショップ向けで、価格もこちらの言い値の半額で良ければ、400箱引き取ってくれると言う。勿論、そうしてもらおう。ありがとうございます。その代わり、指定のバーコードを貼るようにとの指示があったので、せっかくマレーシアにて徹夜で詰めたダンボール箱を又一つ一つ開け、札幌の12月の寒い倉庫の中で、又もや徹夜でバーコード貼り作業をしたのは辛かったが。でも満足だった。この山のように積み重なった忌々しい「び~んず畑」ともサヨナラだ。残りの100箱は、地道にススキノの飲み屋を回った。チラシを刷ってビルに配ったり、以前一緒に働いていた友人に頼んだりして、少しずつ買ってもらい、山は次第に小さくなっていった。最後は多少残ったが、親に処分を任せ、私は無事に又ここへ帰ってきた。もう輸出なんかこりごり!と、まあ、こんな訳です。これは、コラム掲載回数12回の内の10回目の記事。かなりクライマックスに入っていて、実は、この事件をきっかけに、私は今のお店をオープンさせることを決心したのであった。
2006.01.06
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始めてマレーシアに来た頃、私は貧乏だった。おまけに、ここに来てすぐ無職になってしまったから(就職したと思っていた先が、冗談だった!)日本から持ってきたなけなしのお金で食いつないでいた。知り合いなんて誰も居なかったし、就職しようにも何をどうしていいかも分からない。でも、日本人向けのラウンジで働けば、日本人のお客さんが来るんだろうからどこかで紹介してもらえるかもしれない、なんて、一応自分なりに案をめぐらせ、現地の新聞見て面接に行ったりなんかしたのだな。いつかここで一旗あげてリッチになって、運転手付きのベンツに乗るぞって野心の固まりみたいだったから、貧乏も苦ではなかったし、すごくアクティブだったあの頃の私。その頃は、屋台で食べるのももったいなかったから(所詮50円程度なのに!)食パンを1袋買ってきて、豆の缶詰1缶と、、それで1週間もたせる、みたい生活だった。だから今よりずっと痩せていた。交通手段は勿論バス、アンド徒歩。タクシーなんか乗る身分でもなかった。(これもせいぜい200円ってとこかな)だから今よりずっと痩せていた。今は、交通費と関税のかかっている高い日本食を食べたり、週末にはたいていイタリアンだし、ベンツはまだ買えないまでも、どこに行くにもタクシーを使っている。メイドも居る。そして思う。若くてスリムで夢と希望にあふれている大貧乏とウエストあたりに年輪を感じる、生活に追われた小貧乏のおばさんって皆さんならどっちが好きでしょう?
2005.11.29
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