鴨緑江の街丹東生まれのあれこれ

鴨緑江の街丹東生まれのあれこれ

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2018/07/02
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カテゴリ: 中国東北方面旅行
今回は知人のA氏とS氏の中国語教室の面々を誘い合わせて6月23日から30日まで8日間の旅行でした。
半ぼけ老人の私ですが旅行社と相談して往復の飛行機以外zすべて列車での移動を試みました。1等寝台車、1等座席車、普通寝台車(昼間)、1等座席車のすべてを利用しました。
関西空港から吉林省の延吉へ飛び帰国は長春から上海経由岡山へ直帰しました。

旅程は延吉~図門~綏芬河~牡丹江~ハルピン~長春です。
私は綏芬河以外全て行ったところばかりですが他の皆さんの多くはすべて初めてでしかも中国の列車も経験できたと喜んでもらえました。

延吉のホテルが以前割とよかったのですが今回はまるっきり変わっていてサービスも設備も食事も全然ダメでした。経営者が変わったのではと思います。今回の3大がっかりの最初でした。

図門の中鮮国境は新しい大橋の建設中で旧大橋の中程の国境線に行けなかったのが残念でした。

綏芬河の中露国境も本来ですと「国門」(国境の監視塔)の傍まで行ける筈でしたが閉鎖されていました。しかし今殆どは殆ど見られなくなっている自由市場を見て回りました。

牡丹江では列車の都合で時間があったので市内から100キロほど走って「鏡泊胡」という湖で遊覧船に乗ったのですが一人100元もするのに景色もそれほどでなくてがっかりでした。第2のがっかりです。
市内に戻って「八女投江像」のある公園に行きました。像は抗日した8人の女性が最後に牡丹江に入水したことをたたえた像だということでした。

哈爾濱では郊外の「731部隊遺跡」「ソフィヤ教会」「中央大街」等に行きました。
「230部隊遺跡」は先の日中戦争で細菌兵器を研究したところで実験に中国人のスパイ容疑者を丸太と称して過酷な実験に使って殺傷したところです。中央大街を散策後ロシア料理の夕食をしましたが一人100元もした割に美味しくなく3番目のがっかりです。

1等寝台車で行った黒竜江河畔の中露国境の街黒河で乗った遊覧船はロシアの街がまじかに見れて皆さんは満足されたようです。私も今回初めて行く事が出来た黒竜江の川中島にある中露公益市場ではロシア商品が売られており皆さんお土産をせっせと買っていました。
この後市内のロシア商店街にも行きましたが此処の方が値段が安くていささか早まった感じがしました。

夜行寝台で哈爾濱へ戻り高鐵(中国の新幹線)に乗り継ぎ長春へ向かい半日だけでしたが長春観光をしました。まず長春公園に行き此処に眠る幾万もの日本人の冥福を祈りました。一行の殆どの方は先の戦争でソ連参戦により北満の開拓者がほとんど徒歩で南下(避難)してやっと長春にたどり着いた甲斐もなく飢えと寒さにより数万人もの日本人が亡くなり当時は只の草原だった此処に葬られたのです。
この後満州国のラストエンペラーの愛新覚羅溥儀の皇宮、満州時代の数々の政府機関、我が故居を車上観光してしばしホテルで休憩後夕食の狗料理店(北鮮料理)に行った。ここは行ったことのある店で私の旧知の元岡大留学の小王に部屋を予約してもらっていました。
一行の殆どが初めて狗肉を食べたようですが肝心の王英は」「狗肉は食べません」と言ったので気の毒でした。店のサービスで1曲歌を聞かせれくれました。曲は「小城古事」というテレサテンが台湾でヒットさせた歌でした。
この後私もハーモニカを6曲吹きました。






 上から綏芬河の自由市場 黒竜江 長春公園です。(牡丹江駅で杖を忘れこの先どうしようかと思っていましたが黒河の中露自由公益市場でライトの付く杖を65元で買えて大助かりでした)


翌日は比較的ゆっくりして空港に向かい上海経由で無事帰国しました。

ホテルがあまり良くなかったり観光先にもがっかりしっ所があったりしましたが中国の東北地方に初めて行った方には概ね満足してもらえて様で幹事役としてはやれやれでした。





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Last updated  2018/07/03 11:28:44 AM
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