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北御門二郎さんに会いに行った話 ③
北御門さん宅にて
北御門さんはクリスチャンである。ちょうどその日、人吉の協会から出張(?)で、北御門さん宅にてミサを行う日になっていた。話の途中、中座して部屋を離れるとき「こんなことはどうでもいいのですが、ちょっと行ってきます」と言われた。そのとき北御門さんがクリスチャンという『形』は決して求めてはおらず、ちゃんと心の中に協会を持っておられるのが感じられた。また、「書斎にあるものは何でも、本でもノートでも手紙でも自由に見ていいですよ。特にこの人の手紙は実に素晴らしいから」とその手紙の束を出してくれた。
昼になってちょうど腹もすいてきた。ミサも終わって人吉のお客さんと一緒に昼ごはんのテーブルに着くことになった。ビールが出たりして少々いい気分になり、少しは遠慮がちに・・・と思ってはいたものの、本性が出てしまい満腹になってしまった。
その後お客さんと一緒に無農薬で作る田んぼ、茶園と見て回り、その人たちを送り出す頃には、心はすでに北御門家の一員となっていた。奥さんが「今村さん、明日は用事ないでしょう、それならゆっくり泊まって帰りなさい」と言ってくれたので、待ってましたとばかりに二つ返事で応えた。
その夜はまた球磨焼酎を飲みながら家族の人たちと一緒に食事をごちそうになった。北御門さんが「今村さんはみんなから変わっていると言われるでしょう。うちにやってくる人たちはそういう人が多いから」と言われた。いつか若い女の子が「ここに来れば面白い話が聴けると思って来ました」と訪ねて来たことがあった。その人は一週間も家族に連絡しないまま旅行していたという。いろんな人がいるもんだ、と他人ごとみたいに考えた。
無農薬の農業
北御門さんが無農薬で田んぼを作り始めたのは2年前(?)からで、これには先生がいる。東京藝術大学で音楽の教鞭をとっていた人で、大学を辞めてから無農薬農業をするために九州にやってきた。今、その人は阿蘇に農地を見つけて稲作をやっているそうで、九州に来たばかりのとき、田んぼが見つかるまでここに置いてくれ、と言ってしばらく滞在したという。「もし見つからなかったら・・・危ないところで我が家が乗っ取られるところだった」と北御門さん。
その人から習って1年目に苗を2本づつ1尺1寸間隔で手植えをした。植えたあとを見ると、全く植えているのかどうか分からないくらい貧弱であったが、時がたつほどに分けつが盛んになって、秋の収穫時には茎の太さがこれまでのものより太く、ちょうど親指と小指の差があったという。手植えの場合風通しがよくなり日光も受けやすくなるので、病気にも強くなるのでは、とのことだった。また、雀も安全なことをよく知っていて、いつもより多く飛んできて困ったらしい。
2年目は虫の害が出て収穫が6割減となった。村の田んぼにも相当な被害があったという。そのときの対策として、食用の廃油を調達して田んぼの表面に撒いたところ、何とか害を食い止めることができた。「油をまけば無視も安楽死するし、有機質なのでそのまま肥料になる」と北御門さん。今年は3年目となるので成功を願わずにいられない
思い出すままに
次の朝早く目が覚めた。時計は5時を少し回ったところで、まだ陽が昇らない湯山をひとりで散歩することにした。標高400mというだけあって、じっとしているとブルブル震えて寒くなる。
希望が叶えられた嬉しさとともに、北御門さんの言葉を振り返る・・・
○ トルストイの翻訳に取りかかった時はすでに50歳を過ぎており、「戦争と平和」などの長編を生きているうちに訳し終えるかどうか・・・と思っていた。いま時間があったらカントや夏目漱石をゆっくり読み返したいと思うがそれもできずに翻訳に精出している。目は片方ほとんど視力がない。
○ 水俣市の小学校で講演会をすることになり準備も整っていたが、教育委員会からストップがかかったことがあった。いつか講演会にて平和について話が及んで、学校の先生方に憲法について問いただしたいきさつがあった、それが原因かもしれない。しかい、今年は熊本大学から講師の依頼があったので90分間精一杯話すことにしている。
○ 生活が苦しいことがあった。妻が病気になり現金が必要なときがあった。そのとき英語の教師の話があったが大学を卒業していないということで、結局だめになった。
○ 『アンナ・カレーニナ』で、アンナが息子のセリョージャに会いに行く場面に泣けてしまった。あそこまで表現できるなんて・・・それがきっかけとなり原書で読もうと思った。
○ 夏になると竹熊先生が医学生を連れてくる。みんな鎌を持って山の下草払いをする。その夜は我が家で賑やかにパーティーを開く。
いろいろと思い出せばあるのだが、なかなか出てこない。いささか興奮状態で聴いているためこれらのことも正確でないかも知れない。
さよなら また来ます
北御門さんは、その日湯前に用事があり出かけることになっていた。「迎えの車がくるまで一緒に本を読みましょう」という言葉に、トルストイの入門書といわれる『イワンの馬鹿』を選んだ。すると、「訳者本人が読みます」と言って50ページにわたる本を読み始められた。
その優しい声と、イワンの人柄とトルストイが融けあって何ともいえないいい感じであった。本の内容に感激し、読んでもらっている事に感激し、30分くらいの間、心は忙しかった。
迎えの車が来たとき、北御門さんが手を差しだしてくれたので「これからもよろしくお願いします」とその手を握った。熱いものがこみあげてきた。
家族の人たちに別れを告げ、こちらも一緒に湯山を離れることにした。北御門さんを乗せた車は途中用事を済ませながら、またこちらもカメラのシャッターを押しながら走っていたので、抜きつ抜かれつであった。すれ違うたびに、北御門さんが車の中からこちらに手を振るのが見えた。
湯山に来るまではまだどこかに『今さらトルストイ・・・』という気持があり、ちっぽけなこだわりを心の片隅に持ち込んで来ていた。しかし、もうそんなことはどうでもよかった。車の中からしきりに手を振ってくれる姿を見ていると、また絶対に会いに来ようと心に誓うのだった。(終わり)
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