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6 アムステルダムにて

   アムステルダムにて 


 オランダは、海面より土地が低いことで有名である。列車の窓から見えるクリークの水面は、周囲の土地よりも高くなっているように見えた。その時は満潮であったかも知れないが、堤防の高さが水面から2メートルくらいしかないのを見ると、オランダは気候風土の安定した国らしい。

 初めてのヨーロッパ旅行は、雨の日が多く、日本の梅雨を避けて出かけたものの全くついてなかった。雨が降ると、昼でも暗くて寒い、そのため心までがうっとうしくなることが多かった。

 アムステルダム駅は、旅する多くの若者たちが、何することもなく、あちこちに座っていたり、寝ころんでいたりして全く活気がなかった。その間をかき分けるようにして、その日のねぐらを決めようと、インフォメーションに行くと、そこには日本語で『スリや置き引きが最近多くなりましたので、荷物は必ず手に持っていてください』という貼り紙がしてあった。噂に聞いていたけれど、よほどひどいらしい。
 インフォメーションの女性も応対が悪かった。ぼくたちの前にいた白人の女性に説明するときは丁寧で、愛嬌も良かったが、ぼくたちの番になると、体を斜に構え迷惑そうに話すのだった。外は、午後3時というのに暗く、ここには来なければ良かった、とさえ思った。

 翌日はぼくたちは別行動をとることになり、午後5時半に駅で落ち合うことにした。
 ゴッホ美術館では、パリの地下鉄でカメラを入れたバッグを盗まれたという日本人と知り合いになった。その人からヨーロッパで盗難に遭った人の話をいろいろ聞かされると、ますますヨーロッパのイメージが悪くなるのだった。

 約束の時間が迫ってきたので、冷え切った雨の中を急いで駅に向かった。5時25分に着いたので、もう来ている頃だろうと思って、あたりを捜したがまだ来ていなかった。インフォメーションの軒に雨宿りしながら待つことにした。

 約束の時刻を5分過ぎ、10分過ぎしてくると次第に心配になってきた。スリやドロボーに荷物を盗まれて途方にくれているのではないだろうかと思ったり、かつてアムステルダムの運河に日本人の死体が浮いていた、という事件の記憶がなまなましくよみがえり、彼のことが心配になってきた。

 ヨーロッパはあまりにも遠かった。九州から北海道に行くのとわけが違っていた。飛行機の発達で地球は狭くなったというけれど、その飛行機もすぐに乗れるわけではなく、まして汽車やバスで帰れるところではなかった。その上、言葉の違いが日本との距離をますます引き離すのだった。

 刻一刻と不安がつのり、やり場のない気持を口笛でごまかしながらインフォメーションの椅子に腰掛けていた。必ず無事でいてくれるとは信じながらも、いつしか心の準備は進められていた。

 インフォメーションの中はその日の宿を決める旅行者でごった返していた。昼でも暗い外はますます暗くなっていった。

 約束を15分過ぎた5時45分「遅くなってすみません」という元気な声が、人ごみをかき分けて聞こえてきた時、急にそれまでの暗い気持はどこかに飛んで行き、無事再会した嬉しさに何もかも明るく感じてくるのだった。

 それまで恨めしく思っていた雨でさえ、アムステルダムは雨の日が絵になるなどと勝手に決めつけてしまう自分をいい加減なものだと思いながら、その日のねぐらを探す足どりは軽かった。





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