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6 ぼくの身に起こったこと

   ぼくの身に起こったこと


 宮沢賢治が「自分ほど市について考えた人はいないだろう」と言ったということを、あるテレビ番組で知りました。賢治ほどの苦しみはなかった、とは思うものの、ぼくも悩んだのでした。  

 充実した生き方をしようと思えば思うほど、強く心のどこからか死が鎌首を持ち上げてくるのです。そのことから救いを求めるように、読書をしていました。
ロマン・ロランのジャン・クリストフに励まされたり、般若心経の教えから助けられたり、ラジニーシから老子を通して心が死に向かうメカニズムを解明してもらったりしていました。そして、なぜこんなに死を考えなければならないのかといった訳は理解していました。分かったつもりでいました。

 それでも、自分の立っている場が、無であり究極に自分自身の手による死しかないという思いが、日常の暮らしの中にずっしりと重く腰をおろしていました。そこにいて「なぜ、こんなことを考えるんだろう」と悩んでいました。『自殺するんだ』という心の囁きにあえいでいました。

 それに拍車をかけるように、昭和58年に2月、父が病気を苦に自ら命を絶つという出来事が起こったのです。『さあ、今度はお前の番だ! 』その声は、勝ち誇ったように吠えるのでした。

 その年の11月のある日、目は覚めていたものの、布団をかぶったままその恐怖に耐えていました。恐怖は最高点に達していたのでしょう。もう逃げ場はないと悟りました。そして、心の中で叫びました。『わかった。お前の言うとおりする。さあ、どうでもしてくれ』と得体の知れぬものに身を委ねました。完全に心と体を開いたのでした。その瞬間、後頭部から背中にかけてドーンという強い電気のようなものが流れていくようなショックがありました。

 何がなにやらわかりませんでした。ただ、そこには死を突きつけていた心はなく、静寂が満たしていました。世界がきらきら輝いているような感じがしました。自分が生きていることが嬉しく、喜びがこみ上げてくるのでした。妻や子供をはじめ生きているすべての人に対する感謝の気持が湧いてきました。それ以来、このような体験はありませんが、何かの折に思い出しては心の支えにしています。




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