今が生死

今が生死

2007.10.14
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カテゴリ: 読書
今日は日曜日なので、また「人間の絆」を読んだ。失恋して気落ちした医学生フィリップは気を取り直して病院で助手として勉学に励んでいたが、かって彼が画学生としてパリで生活していた時、憧れにも似た気持ちを持っていた詩人のクロンショーがロンドンに来ていると聞いて
彼の下宿を訪ねた。

パリにいた時には酒場で酒を飲みながら人生論を語り、若者達を魅了する華々しい存在であった。場末の狡猾な女と同居しており、あれだけの知性が何であんな女と一緒かと不思議がられるほどだった。フイリップにとっては人生の師とも思える人だった。

しかしロンドンの下宿で見た時にはその面影はなく、女には逃げられ、ぼろをまとい、輝きも何もない、肝硬変で今にも死にそうな惨めな老人の姿だった。パリでは多くの若者が慕っていたが、ロンドンではレナード・アップジョンという評論家とフィリップの二人だけが訪ねてくる人間だった。二人の子供がいるとの事だったが、音信不通で、身よりはなかった。同室の若者が一人いたが、昼から夜まで働いており、朝出勤間際に牛乳1本買ってきてくれるだけの生活であった。

段々衰弱していく彼をみて、フィリップも経済的に苦しかったが自分の下宿に彼を引き取り、自分は別の部屋を借りて生活することになった。そして数週間後クロンショーは亡くなり、フィリップ一人が葬式の費用をだして、レナード・アップジョンと二人でこの詩人を天国に見送った。

クロンショーはかってかっこのいい事を言って人生の指導者として若者の心を捉えていたが、詩人自身の生き方は何だったのかとフィリップは思った。この世に存在しなかったのと同じではないか。むなしい死ではなかったのかと思った。

詩人は詩人としてその人生を、貪ることもなく、名声を得ようとすることもなく静かにまっとうしたのだと思うが、最後は身内に誰も見取られず、友人も二人しか側にいなかった人生。それでよかったのかとフィリップならずとも考えてみた。

人の一生は地位や財産や名声を得ることが目的ではない。でも社会の中で、家族の中で存在感を残して死にたい気持ちは誰にもあると思う。クロンショーは死後一冊の詩集が出版されることになっていたが、現実的には社会にも家族にも何も気づかれずに静かに消えていった。

数年前の輝きが全く消えうせ、みすぼらしい爺さんとして一生を終えたクロンショーから学ぶことは、人生には当然浮き沈みがあるが、あの時はあんなによかったのに今はだめでなく、ずっとだめだったが最後は良かったにするべきではないかと思った。

クロンショーの生き方は、人それぞれで意見は違うと思うが、私の見方は、死ぬまで生き切るという意欲に欠けて途中で諦めていた人生のように思う。最後の死ぬ瞬間まで諦めないで生き抜く人生でありたいとあらためて思った。





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Last updated  2007.10.14 22:07:12
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