今が生死

今が生死

2009.07.01
XML
カテゴリ: 読書
今、村上春樹の1Q84を読んでいる。奇妙な題名の本で読むのも馬鹿馬鹿しいと思ったが、義理姉の勧誘に誘われて読む羽目になった。内容は面白そうだが、題名は何の意味だか分からななくていい加減な題名をつけたものだと軽蔑的な気持があった。

読み進んでいったら主人公の青豆という女性が首都高のタクシーに乗ってこの物語がスタートしたのが1984年4月で、その1984年をもじって1Q84と付けたことが分かった。それにしても読者を馬鹿にした題名には変わりない。それでも今馬鹿売れしているとのことだから、一般大衆、読者なんて自分も含めて馬鹿なのだなと思った。

青豆と並んで男性の主人公が、天吾だが、彼は1歳半の時の記憶を鮮明に覚えているという。本書にも書いてあるが、一般的に記憶があるのは4歳から5歳以後の出来事である。1歳半の記憶があるなどとは物語の中のことでも許されていいのかなと思った。

私は4歳の時防空壕から外を見て、甲府の町が爆撃で真っ赤に燃えていたのをうっすらと覚えており、それから5歳の時の記憶はなく、6歳の小学校1年の時の記憶がある。作文を書いて「私の母親は蚤を捕る名人で、すぐ蚤を採ってつぶしてくれる」と書いた。先生も二重丸で上手に書けたと褒めてくれた。それを得意げに母親に見せたら、みぐさい(みっともない)ことを書いてとかなりきつく怒られた。こんな恥ずかしいことを書くものではないと、私の身が縮まるくらい叱られたことは鮮明に覚えているがそれ以外の記憶はほとんどない。

今2歳半の女の子が家にいる。私が読書したり勉強したりしようとしていると必ずトントンと尋ねてきてお絵かきや碁石並べや、工作などの相手をさせられている。動物園に行ったり、遊園地に行ったりしているが、後で思い出す時恐らく何も覚えていないだろう。ならば彼女が今生活している時ってなんだろうと思う。

確かに記憶には残らないが語学を学んだり、芸術やスポーツを学ぶには非常に大切な時代と言われており、その子の将来にとっては大切な時ではないかと思う。記憶に残る残らないで価値判断すべきではないと考える。

認知症の方は昔の記憶は残っているが、最近の記憶が欠落してしまう。昼食べた食事の内容どころか、食べたかどうかが思い出せない。

記憶があるなしだけで判断するなら健康人も4歳未満の記憶は欠落している。認知症は最近の記憶が欠落しているが、記憶があるなしだけで人間を判断してはならない証左があり、認知症の方にも温かく辛抱強く接してもらいたいと思う。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2009.07.01 20:48:12
コメント(2) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X

Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: