今が生死

今が生死

2022.08.24
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カテゴリ: 読書

バラク・オバマ氏が書いたDreams from my father(日本語翻訳版 マイ・ドリーム)をようやく読み終えた。原著の題名は「私の父の夢」だが翻訳本の題名は「マイ・ドリーム」になっている。内容はオバマさんが結婚する前に自分のルーツを探しにアフリカ・ケニアを訪れて曾祖父や祖父、父親のことを調べて書いているので日本語版の題名も「父の夢」の方が良かったかもしれない。
オバマ氏の父親バラク氏はその父オンヤンゴの子として生まれた。母親はオンヤンゴの暴力に耐えきれず3人目の子供が生まれた時にその子を背負って実家に逃げ帰ってしまった。バラク少年(9歳)も12歳の姉サラと一緒に脱走して実家を目指すも2週間目に実家の近くまでたどり着くも発見されてオンヤンゴの下に連れ戻されてしまう。
オンヤンゴはその頃ケニアに侵入してきた白人の下で働き西洋的な身だしなみや振る舞いを子供に求めたりして厳しかった。実の母がいなくなった後は前からいた前妻が母親代わりにバラク達を育てた。バラク少年は父親の前ではおとなしいが外ではやんちゃでいたずら好きだった。頭が良くて同級生に教えて先生の誤りを正すくらいだった。
高校もエリートが入れる全寮制の高校に入った。所が女の子を自分の部屋に呼び入れたり友達と近所の畑からイモを盗んだり、鶏を捕まえて食べてしまったり散々悪いことをしていたが成績が良いので大目に見られていたがそれが余りにひどくなった時に遂に退学させられた。家に帰ったらオンヤンゴに猛烈に怒られ鞭で叩かれた。
オンヤンゴが職を探してくれたがアラブ系の使用主と喧嘩してそこも辞めてしまった。次にある会社の事務員のような仕事をしている時二人の西洋系の女生と親しくなり、彼女らがバラクの才能を認めて大学に行くべきだと勧めたが高校を退学させられているのでその資格はなかった。
自分よりずっと頭の悪い連中が大学に進学しているのに焦った。所がその二人の女性が日本で言う「大学入学資格検定試験」が受けられるように手配してくれて合格し、晴れて大学入学資格を手に入れることが出来た。
ケニアの大学は勿論アメリカ中の大学にも入学希望の手紙を出したが何処も受け入れてくれなかった。ところが名も知れずどこにあるかも知れないハワイ大学から奨学金付きで受け入れてくれることになった。その時既に18歳で結婚して二人の子供がいた。
ハワイ大学2年目には白人のアンと結婚すると言い出しオンヤンゴが「ケニアに妻と子がいるのでアンの父親と自分が話し合ったうえで決めなさい」と言ったがそれもしないで勝手に結婚してしまいオバマ氏が生まれた。
所がオバマ氏2歳の時ハーバード大学で勉強したいと言って家を出てしまいハーバード大学時代に新しい白人女性と結ばれてしまい帰ってこなかった。その後バラク氏はアメリカとケニアを股にかけて実業家として成功した時もあるが、最後はアル中になり交通事故で亡くなっている。
外見は真っ黒な黒人だが、頭が良くて女たらしのバラク氏の夢は何だったのだろうか?息子を大統領にしたのだから夢を叶えたのかもしれない。アフリカに妻子がいるのにアメリカで白人と結婚とはひどい男だと思ったが、ケニアではその昔一夫多妻制があり、その名残が残っていたのかもしれない。オバマ氏が大統領になったのでその父親として脚光を浴びたが、そうでなかったら単なる無責任男だったのかもしれない。しかしオバマ氏は自分をこの世に出生させてくれた人として感謝と敬意を捧げている。





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Last updated  2022.08.25 10:11:54
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