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全然周囲が理解してくれない。幸い、明日通院なので、良かったがだったら、どうだというのだというくらいの夫の表情。つらいつらいつらいつらいつらい。やっとトンネルから抜け出そうかと思ったけれど、そうじゃなかった。ベンザリンを4日抜いたのもよくなかったのか。無理をして、あんまり興味がなかった日光江戸村に行ったのが良くなかったのかしまいには、「俺のところで、愚痴や病気の悩みについて持ち込まないで、ドクターに話してくれよ」と捨て台詞。最悪最悪最悪!!!!!!
2017.04.10
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娘にはまだ理解できないと思い、秘密にしていることがある。もちろん、友人とママ友にも秘密だ。一つは自分の兄が重度の自閉症の障害者であること。もう一つは自分も精神障害者であることだ。娘の名前に1つ、今さらながら後悔していることがある。兄の字を一つ、充てたことだ。出産して名前をある仲間達に打ち明けたら「最高の親孝行じゃないですか」と言われた。でも、今はその仲間の集いはない。私自身も改名したいくらい、父親がつけた名前が大嫌いだ。もっと良い名前があったと思っている。話を戻ろう。障害者であることで、家族、娘に迷惑がかかっていることが本当に嫌だ。もちろん、完璧な母親なんていない。娘が肉親にも、母親自身も障害者だと知ったらショックだろう。ほぼ縁を切ったというか、敷居をまたぐことがない実家の母には「あなたみたいな母親には絶対になりません」と手紙を送り付けた。私は反面教師のようにして、今を生きている。今は、双極性障害である人とつながりたいと思っている。難しいかもしれないが、今年はトライしたい。
2016.05.11
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今日から5月だ。娘の中学部活も本格始動した。夫もそれにあわせて嫌に部活関連の用品にうるさい。特に値段。部活説明会に行くのは私なのに・・・。疲れた時はお寿司が食べたくなる。そして、緑、自然が恋しくなる。大勢の一般的な連休を楽しんでいる家族は本当に羨ましい。今日は足を延ばして二駅先まで自転車で片道40分かけて出かけた。気になっていた本を買った。一つは自律神経を整える本。もう一つは漫画「大奥」。要らないものも捨てるのもすっきりする。連休中、キッチン台の掃除に手をつけた。あとは玄関のバイク関係のものを捨ててやる!
2016.05.01
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4月は慌ただしかった。まず神戸家族旅行、入学式の後に、どっと疲れが出て私が風邪をひいた。次に主人がウィルス性胃腸炎になる。そして、娘が耳鼻科検診にひっかかり、耳垢を取りに耳鼻咽喉科へ・・・・。毎週ごとにあの文房具が欲しい、制服のジャージやブラス、体操服が洗濯されているか?わんやてんやのリクエスト。正直しんどい。しんどーーーーい!!!!。でも神戸旅行のお土産を3人の友人に渡しがてら、会うことが出来た。会話も、はずむし、愚痴もこぼせる。良い息抜きだった。本音はみんな仕事をしているのがうらやましい限りだが、私には双極性障害があるので、やっぱり出来ない。やろうとすると家族に迷惑がかかる。カーブスという、女性だけのフィットネスを始めて、今年の8月で丸3年になる。そろそろ辞めときだなあと真に思う。だけどめどが立たない。良いきっかけが欲しいなあと強く思う。とりあえず、無料で利用出来る市民プールかなと。そして水着の購入だな・・・。今年は検診もちゃんと受けたい。
2016.04.24
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春は桜が咲くが、何かが始まる季節で変化があるから、実は嫌いだ。うきうきするというより、へとへとになる。
2016.04.13
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今年で双極性障害の治療を開始して8年目になった。そしてやっぱり8月は躁になった。今日で安静3日目。ドクターから処方された薬で日中眠い。今日は早めにいつもより1時間就寝したが、エアコンのモードをドライにしたせいか、喉がかわいてかわいて4時間で目が覚めてしまった。でも眠気がある。悩みがある。家族が私の精神障害に慣れっこになってしまい、言わないと、全然気づいてくれないのである。こうなったら夜中だろうが、なんだろうが、赤ん坊のようにリクエストしてやる!産じょく期の時と同じだ。入院ではないが安静2週間である。とりあえずは明日は薬の副作用でできた胸のしこりのクリニックにかかる。1つ、1つ心配ごとを体が可能な限り解消していく。幸い、入院ではなく、外出は許されているのだから。
2014.08.14
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午前、10時開店を目指し、ららぽーと東京BAYへ、ママチャリではなくギア付きのバイクで駆け巡る。10時5分前に到着。開店直後の店内の空気が何ともいえず新鮮だ。まずは精油(生活の木)を購入。ユーカリとヒバのオイルを買う。(630円×2)そのあと、お気に入りの店を物色。(多くの店があるがほぼ目当ては決まっている)そしてABCマートでメンズだが、スエード生地のローファーを購入。(約1万円)そして近くの靴下専門店でひざ下ソックスを購入。(840円)買い物してすっきりしたら、「ドクターフィッシュ」を発見!!!午前中なので早速ワンコインで体験。(500円)靴、靴下を脱ぎ、おそるおそる水槽の中に両足を入れる。その瞬間!!うわ~来るわ来るわ、魚たちが私の角質を食べてくれるぅ~!店員さんは時間をサービスしてくれると言ったが、なんとなく断り、店員さんと談笑。(彼女はフィリピンと日本のハーフだった)その後、ランチで込み合うららぽーとを後にして、鷺沼のカフェでランチ。(1500円)ちょっとそのランチで胃もたれ中で、このブログを書いているが、おいしかった!(パンは手作りだとわかったが、家電を使っているのでちょいイマイチでした)最後の私の中で流行りのルバーブのジャムを購入。おいしいといいなあ。最後にあと今日を入れて、あと二日で私達の結婚記念日。今日はちょっと豪華なランチを食べてしまったけど、少し節制して、胃をやすめるぞ~!
2012.09.20
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今日は主人の5日ぶりのOFFの日でした。私は今や、都会?になってしまった幕張新都心でアウトレットパークでリフレッシュ。主人と幕張ベイタウンで、待ち合わせで、一緒にパスタランチをとる。なぜか、幕張は外語大学があるし、成田空港に近いとあってか、旧暦で中国人、台湾人のツアー客が多し。つまり、外国人遭遇率が高くなったエリアになったというのでしょうか。夕方、娘も学校から帰宅し、家族だんらんというか、家の中でそれぞれの役割をこなして過ごす。そして私と主人が合同で作った夕食を皆で食す。それがとてもおいしい。なんとも言えないおいしさだ。夕食後、花火&DVD鑑賞。(チャリーとチョコレート工場です。)ジョニーディップ演じる、主人公はファミリーコンプレックスを持つ。特に父親。私も同じ境遇なので痛みを強く感じる。でも、私はそのチャリーのような大きな成功は起こしていないが、平凡ではあるが、命があること、家族が元気であること、健康であることに幸せを感じている。最近の日本人は私が思うようなことを忘れて、疲れてしまっているのではないかと思う。私は言いたい、この世に生まれてきたことと、人を尊敬、肯定することの大事さをもっと大切にすべきだと・・・。
2012.09.12
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今日は地元、船橋のサロンで、髪をカット。その前に、これまた地元の家電屋(コ○マ)で電器マッサージ器で体をほぐす。冷房がきいている中、ジャンジャカ、お店のいらっしゃいませ~♪の音楽はうるさいが快適だった。(しかし・・・家電は進歩しているなあ)その後、セカンドユーズのお店でぶらり、物品を見る。改めて、日本人ってブランド(とくにルイ・ヴィトン)が好きな人々なのだと実感。今、「躁」の状態だけど、プラスに考えて生きている。毎日、1日ずつ、家族と共に。18日、千葉市の心療内科での受診が楽しみだ。先生に会えるのが楽しみ。わたしは活きているって、強く、思う。これも、家族を始め、みんなのお陰だ!
2012.09.10
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今年は入籍10年目のアニバーサルイヤーです。10年目です。昨日が旧性から現性へ、変わった、節目の日でした。今日は午前中から、郵便局へ行って、通帳を整理、そしてリニューアル。つまり、決別です。9月は、嬉しい月です。お彼岸もありますし、友人の出産予定日あります。何か私にプレゼントしたいな・・・と思っていたのですが、市内のギャラリーで作家者のばっくをサックと購入。ながーく、大事に使いたいを思います。「だんしゃり」(漢字がわからぬ・・・。)って大事ですね。
2012.09.07
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まずは、修業式は始まって良かった~!本当に一安心。娘も夫も、そして私も命をおとさず、千葉県に根っこをはやしている。一番の思い出は世界遺産のある、姫路城まで、足を友人と運んだこと。生憎、修繕中だったが、なんだが、パワーをもらった。(戦争中、空襲から難を逃れたお城だということ。)そこで、利用したのだ、クロネコヤマトさん。うちには白い猫が2匹(双子15歳)がいるので、御縁があるのだろう。そこへ、いつも助けてくれる、DR,薬剤師、近所のママ友、そして山形へも、送った。東京もコンクリートジャングルだぞうだが、山形は特段に暑い!!!★ヤマト運輸さん、新卒から、社会人としての、お付き合いです。本当に無事に正確に届けてくれてありがとう!!!あとは、自分のことを自分でなんとかするのみだ。
2012.09.07
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喉をすっかりやられてしまいました。疲労からが、原因でしょう。喉アメ舐めて、なんとか誤魔化してましたが、そろそろ早めの内科受診か???(でも内科混むんだよな~、トホホ。)でも嬉しいことが。体重が少し落ち始めてきました。マイナス約2キロ。今が生理が終わって、絶好の時なので、お野菜中心で運動も無理なくしてゆっくり落していきたい。3月までにあと2キロが目標です。あと予約がとれない調布・仙川まで行くのが億劫ですが、行くまでの価値がある、アーユルヴェーダのマッサージの施術を受けられるのです。お値段1万5千円なり。色々準備がうるさいが、苦笑。準備万端で悪いものをしっかりとりたいな。もう一つ、別にヤキモキしていることが。友人からメールが3件返ってこないのですぅ~~。なぜぃ。でもこういうものはなにかしら原因があるのだから、気長に待ちましょう!!!って自分に言いきかせる。今週は色々行動を起こした週でした。まず、大きかったのが縁が切れかかっている、親への手紙を投函。じわりじわり、追いつめて、いつか本心を言うのが狙い。それは、貯めに貯めに貯めこんだ、お金と家と土地。借金はないのだから、両親と自閉症の兄を老後の面倒と介護はまったく持って保障出来ないから、それに充てるよう、いつかキッパリ言うつもり!!問題は母親。でもキーを握るのは父。父が言う事には絶対のウチだから、そこに希望を持って、今後コントロール、そして行政機関に相談してみるのだ!!。
2012.01.13
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世間は3連休。でも我が家にはカンケイない。旦那は仕事、ムスメはジジ、ババに頼む。その合間、洗濯、ふとん干し、無駄なものを捨てる、ジョギングをする。有閑倶楽部のDVD、高校サッカーも音量大きくTVも楽しむ。今日決意したこと。新しいブラを新調すること。ブランド名は忘れたけど、商品券使って良いブラを購入する予定。(西武デパートにて)だから、ブラをひとつ捨てた。下着って、循環が難しい。捨て際、洗濯の難しさ。そして、りんごもたくさんあるので、ジューサーミキサーを使って人参と合わせて野菜ジュースにするのも挑戦だ!明日は精神科クリニック受診の日。この慌ただしかった、ストレスフルな、睡眠障害も起こった年末年始をうまく伝えられますように。
2012.01.09
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久々のブログ。今日も家の事、細コマと片づけして、捨てるものを捨てての一日でした。ららぽーとへも行く。道路も混んでた。館内も人でコミコミ。買ったもの。高い?アウトレットのシャンプー&コンディショナー。化粧用ブラシ。ワコールのショーツ1枚(セール品)家のお金で、割安のピンク色のインド木綿のキッチンマット。そして!!!!買ってもらったもの。某ブランド物の、緑色のウィンドブレーカー。これがお高い。でもセール品。購入を切望していたイチローも履いているスポーツ用タイツ。試着したら、えらく着るのに時間かかった。これもお高い。ジョギング用の白のソックス。ピンクの通気性の良い、ロングTシャツ。テニスラケットのグリップテープ。しめて、2万4千円也。いや~、旦那に買わせてしまったよ、ごめんよ。ありがとう。でも、でもでも!!明日から早速使うよ。一人で公園ジョギングするよ。
2012.01.08
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今日は主人の同級生の家族と会ってきました。公園に行ったり、でかい!ショッピングセンターを探索したり夕食にたこ焼き作ってみんなで舌鼓したりで・・・楽しい時間を満喫しました。妬みとか嫉妬じゃないけど、私って何を急ぎ過ぎているのか?焦っているのかもしれない。私は人生を楽しんでいないってはっきり自覚した。やっぱり一番の悩みは人とのコミュニケーション不足の上に薬を飲み始めて長期になりつつあること。それに伴いホルモンも乱れつつあるように感じる。(抜け毛が多くなったり、髪の毛が細くなったり)年末年始に出産ではない入院生活を経験した。その時、良い転機になったのだ、薬の服用はやめたいと。でも入院をした病院で2ケ月通院したけれど、外来に来ている患者さんはなんか薬漬け、薬依存症に見えたのだ。先生も回復に早まるなとはいいけれど、少しお役所にいる先生ならではのことしか患者に進展、回復を求めない。次のアクションは見えている。もっと我儘に、図々しくならなくちゃ。
2007.03.07
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春一番の風を感じ、2週間とちょい振りに主人の休暇があったので、お雛様に必要な赤いマット?を購入しに、そしてIKEAにも出かけ、平日は土日とは比べ物にならない程込み合っていないそれぞれの店内を物色、買い物をした。残念ながら赤いマットはサイズ違いで購入出来なかったけど、欲しかったフローリング用のマット、お雛様を新しく保管する為の箱をIKEAで購入出来ました。そしてIKEAファミリーに加入してあるので、無料コーヒーにありつけ、そしてファミリー価格のディナーを楽しみました。何度食べても、ミートボールに添えてあるソースは良しとしてもベリージャムの存在は良く理解出来ない・・。恒例の?IKEAの授乳部屋をまたもチェック。オムツが切れていましたが、お尻拭きもあり、お水を飲めるようになっていたり、おもちゃもありで今まで一番良い授乳部屋では?と思っています。14日には、4回展開の2回目になるボールエクササイズ。shimangさんの鋭い!指摘や毒付けならぬおもしろい解説有りでボールに乗って、体を弾む。しかし私には
2007.02.15
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最近、姿勢を低くしながら作業をし続けて、その後立ち上がろうとすると、思いっきりたちくらみにはまってしまい、クラクラと頭がのぼせしてしまう。よく学校の集会なんかで貧血で毎度クラクラ立ちくらみする生徒を他人事を思っていた私にも同じようになっている次第です。服用している薬の影響もあるだろうが、単純に低血圧で、心肺機能が弱っているせいでもあるだろう。自転車乗って、坂道登ろうにもゼイゼイと息が荒い。とりあえず立ちくらみがあったら休む、横になれたら休む。これが今私が出来る対処法のようです。今日は2週間に1回あるヨガのレッスン日。インストラクターの先生はもうすっかり花粉症来訪との事。私はアレルギー性鼻炎なので、おそらく花粉症は発病しないと勝手に思っているけど、でも地球温暖化の影響で花粉が舞うのが早くなっているのでは?と推測しています。冬よりも今年の夏はどうなってしまうんだろう??と今からハラハラと心配になってしまうけど、精神力、免疫力、体力しっかりつけて、亜熱帯のような夏が来ても乗り越えられば・・・と気を引き締めている。ヨガも単純な動き、呼吸法などが多いけど、アレルギー性鼻炎も悪化する回数がすごく減ったのでこれには感謝している。ヨガも終わり、同じパルコ内にある眼科に検診をお願いする。視力チェックだけならず、ドクターの検診やある装置を使い、目の状態もチェックされた。軽いドライアイ、そして視力も低下していたので、レンズを作り変えるように処方線も出してもらう。もう8、9年使い続けたお気に入りの眼鏡。メーカーもんじゃないのでレンズ交換だけで済むかな~とちょっぴり期待。少し気になったら、自費でも良いから検診を受診するのは大事かと思っているこの頃。
2007.02.10
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今日は待望の!SHIMANGさんの月4回あるボールエクササイズの初日でした。久々に満員列車に乗られ、閑静な住宅街にあるダンススタジオにて生後6ケ月未満の赤ちゃん連れいらした方々と一緒にレッスンを受けてきました。今回は鏡があるダンススタジオで、と聞いていたので、自分の姿勢をバッチリ確認しながらやるぞ~!とはりきっていましたが、案の定予想していた通りにバテバテの動きで美しい姿への道なりは遠い・・・と一人つぶやき、そしてたそがれ、早くも筋肉痛の来訪が楽しみになっています!ヨガを習い始めて先月で1年を過ぎてやっとこさ、楽しさと良さを見出してきたけど、やっぱりボールを使い、有酸素運動には効果の凄さが違いすぎる!と大いに納得したのでした。最近、運動しようという意欲が少しずつ高まってきたのでマウンテンバイクを購入、そして数年ぶりにテニスラケットのガットを張り替えて、新しくテニススクールを見つけて習いに行こうと思っています。次回も楽しみです!
2007.02.07
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今日はウルトラ!死語だね・・・。充実。無理をせず、そして思いきり買い物&散策&夫婦デートを楽しむ。そしてクリニック受診も抜かりなく。そしてうつ病治療で半年以上薬を服用している為に悲しきや、副作用10キロ体重増加達成と便秘オンナで色っぽく?初、浣腸を体験。はー、カナシイ、むなしい、悔しい。でも浣腸は怖かったけど、気持ちいいですね。クリニックでは担当のドクターに、コンビニで買ったクリスマスブーツを手渡すと。満面先生は笑みごぼれました。そして医者ではなく、大人の会話をはじめて精神科の先生とした。けっこう進歩だ。もっと信頼を得たいよと思っている。そして久々に薬剤師さんとヒットな相談話が出来てこれも良かった。治療と診察を受ける時って、ドクターと話すのって結構難しい。(これについては介護ヘルパー1級保持の旦那と充実したトークセッションと繰り広げているこの頃)港区北青山から神宮前に走る、キラー通り。表参道。ブランドショップに、新名所表参道ヒルズにクリスマスオーナメントに沢山の人込み。裏原宿ではないけど、裏表参道、神宮前の裏通りをめぐるのは楽しい。わくわくした。夫は半蔵門線の新車両&エチカにびっくり。トレンドにうとい人である。それについてレクチャーするワタシ。バッチフラワーレメディ、アロマテラピィー、FIX UPでのシャンプー&ブローセット。ブラウンカフェでランチとアンゴロでのディナーを楽しみ、ときめいて沢山おいしいものを食べた。ホットワインも飲んだし。夫婦チューもしたし。ふふふ!!混みこみの錦糸町からの総武快速。最新の携帯と混雑にびっくりしながらもバスで帰宅。家に帰ってからもまたまた楽しかった。パソコンいじって、アクセサリー直し、雑貨の整理整頓。最後にニュースで人口数が減少とのこと。青島前都知事、岸田今日子さんの訃報。一番悲しい、ニュースだったけど、カンニングの相方さんが亡くなったのも悲しい。とっても。復帰楽しみにしていたのに。竹山!!!ひとりで頑張れよ~それ応援だ!!!!!!!!!!!!!!!。
2006.12.22
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ひさびさの日記だ。ここんとこ振り返ると色々あったなあと。振り返るも・・・もお年末。鬱病の治療も薬が変わったり、行く回数が減ったりで良くもあり、悪くなったりもする。数週間前までは3週間ぐらい寝たきりだったしな。生理の前後っていうのが体調を握るキーだとわかってもあんまりバランスボールにも乗れず、ヨガもさぼり、そして基礎体温計まで買ったのにまだ使ってない。でも、10月末から主人には休職してもらい、色々つきあってもらって心の安定は大きく得た。コレは嬉しいこと。そして念願の乳がん検診と子宮ガン検診も受けたし、自分の家の大掃除も終わって、庭弄り。と言うか、お母さんが手入れが出来ない植木を片付けている。そしてクリスマスの準備も、ケーキを買って(宅配大地のケーキ。冷凍で届く)庭の木にツリーもどきで飾りつけもしたし、お父さんお母さんの家の大掃除をすべく窓ガラス掃除を開始。掃除道具も揃えた。正月の注連飾りも買ったし、あとは娘の時期外れの七五三の写真撮影を手配して・・・・と充実している。またやりたいことも出てきているし、色々意欲的だ。マウンテンバイクを買って、主人と遠出している。公営のジムが離れたところにあるので通おうかと目論んでいるし・・・。あと少しずつ日記を綴って、自分の気持ちに正直に感情豊かになりたい。そう願う今日この頃。
2006.12.20
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最近を振りかえって、家に閉じこもり生活!だったけど心身共に割と安定期。けど病院通いは1週間おきになって少し面倒になった。大して通院時間がかからないけどやっぱり足が重い。服用する抗うつ剤も1週類だけ、量がふえ副作用かなんかでつわりのようなムカムカ感強し。早く薬が体に馴染むといいな。最近やめようと思っていることで自分の「インナーチャイルド」を穿り回す事がある。それ関係の本にも、行っていた講座の主催者側も「このワークはうつ病を治療している人、人生で大きな損失、痛手を負った人はやらないで下さい。」と忠告しているのに、自分を過信し過ぎていた。もっと元気になったらやるか、もしくは大体で自分の「インナーチャイルド」は把握してきたので、そこら辺で振り返るのはもうやめるかのどちらかにしょうかと思い直した。精神科の先生には「アダルトチルドレン」という言葉は意味をなさない、つまり嫌いだと言われたの思いなおしの基になっている。西洋医学上、アメリカの学会では「アダルトチルドレン」という病気はないからだとも言っていた先生。セラピスト界では「アダルトチルドレン」という言葉はアメリカ生まれ。どっちも「アメリカ生まれ」なのに????と混乱したけど結局は西洋医学と民間療法は別物だともともと意識していただけに自分の中で整理付けていなかっただけだ。あと先生には「過去」はもう過ぎ去ったこと。「今」ある病気を治すのが自分の役目、昔を振り返らず、前に進みましょうと助言されたのも大きい。私の悪いことは「過去」には罪悪感、劣等感などなどを持ち、起こっていない「未来」にも大きく心配したり、余計な恐怖感を持ったりするところだ。娘は保育園に入所させている条件は私の病気療養で条件、期間限定付き。娘らしくいられる為にも病気の私と一緒に過ごしていてはお互いに良くないと判断して保育園に入れた。実際、入所させてメリットもたくさんあり、良い効果が娘にうまれている。だけど、病気の治療が終われば「保育園の退所」、そして「次の娘の居場所」探しがどうしても発生ざる終えない。そして病気にかかる治療費。体にもたらす副作用や体力の低下。これらが私の「未来」への心配、余計な恐怖感を生んでいる。でも「未来」はまだ起きていない。「今」を生きるべき。と考えそれらを自分の中で大きくさせないように努力をはかる。授乳を断念してまでも始めた精神科通いと薬療法。断乳をして、娘との自立の為にも良い境界線が出来たし、食事の制限も無くなったし、メリットがあったのだから、根気良く焦らず病院に通って治療したい。_______そして今日はママのイキイキプログラムは「区別」でした。他人や価値観と、自分との境界線、そして家族、子供との必要な境界線について習う。今の自分に必要なのは「怒りの感情を扱う」スキルと今回習ったスキルだと強く実感していたので、すごく餌にくらつく動物のように熱心に聴くことが出来た。あと1つ手放せたものがあった。私の両親との関係は今とても悪い。父には「自閉症の兄がいたので、娘にはえらく不憫な思いをさせた」という反省の色があるけど、愛情の与え方が疑問に思っていた。母は自分自身がとってもかわいいと思っており、自分の尺度は絶対に他人には譲らない。そして「自閉症の兄」の療育を一番に生きてきた人だったので、娘である私の存在は家族で一番最後に扱う存在だった。そして母は自分の価値観を振り返らずに私と兄に押し付けてきたので「自立」の芽をほとんどつみとってしまった人だ。でももうこんな家族と生活していたのは「過去」の事。充分わかっているので、今の「家族」を大事にする比重をもっと大きくした方がいいと気づいたのだった。父と母を恨みつづけても、何も生まれてこない。兄は自閉症である障害者。もう何も隠す必要もないし、兄と育ってきた環境を否定することもしなくていい。むしろ肯定したことで良い結果がうまれていると信じたい。■人間は完璧じゃない。(障害があるということも自然なこと)■他人を思いやる気持ち、態度をもつこと。■どんな人間にでも人格、人権がある。そして生きる意味がどんな人間にもあるという事。■「障害がある」ということをマイナスと考えるな。 以上のことが出産を得て考えられるようになった。特に最後の項目はまだまだ未完成。もっと意味深くまとめられたらいい。もう一回「区別」の回、受講したいなあ・・・・。それほど濃い内容でした。次回も楽しみ。
2006.10.20
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先週の木曜日に受けた診察で、追加された新たな薬。その日の夜から早速飲み始めたけど、3日経過してから副作用が来ました。ついでにお月様も。副作用は「吐き気&眠気」。飲み始めて三日間ぐらいに10人に一人の割合で起こりますと先生から説明があったけど、私は薬が効きのがゆったりなのか?眠気は早速翌日から出たけど、吐き気は4日目から。そーいや、麻酔も効くの遅いもんな。(酒が強いため)胸がムカムカして気持ち悪いけど、体が慣れるまで穏かに辛抱待ちしたいと思います。お月様の方は順調。DVDでボールエクササイズした成果が出た!昨日は千葉市でママのイキイキ、コーチングプログラムを受講。2回目は「承認」がテーマでした。ペアになって先生から課題を取り組む。相手の話を「聞いて」その上で、相手を「承認」をする。(話された内容を要約するというのも入っている。)力みすぎず、褒めること、賞賛と「承認」は違うものと意識しながらワーク出来た。今まで褒めること、賞賛を必要以上に、つまり「お世辞」が得意だった私は力が少し抜くことが今後出来るかな?って思った。あとワークで思ったことは相手の方が「体と心が一致して健康な」人だった。つまり理屈で動かない人。思ったままに体と心の行動が一致している方だった。いつもこんな人を「ずうずうしい」って思っていた。でもそれは嫉妬心から思っていたもので、自分も体と心はちゃんと知っているはずなのになぜ自分は余計な壁をつくってしまうのか、それの壁を打ち破らなきゃって、ここ最近ずっと思っていたことだった。これからはそんな人に出会ったら「私の理想の見本」って思うようにしたい。そして先生から「あなたは今、誰からどんなことを言われたいか?」と課題が出た。体は正直。絶縁状態に近い母から「良く頑張っているね」と言われたいのだと正直に反応していた。でも体は拒否もする。なぜならかなわない夢みたいなものだからだ。だから現実的なことを次に選んだ。お舅さん、お姑さんから「今のままでいいんだよ。無理をするなよ」という一言だった。体は正直だけど、拒否することもある。必然的に。これを解消するには自分の気持ちを無駄でも母に伝えるべきじゃないのか?って講義中思った。これも拒否はしないけど、かなり揺さぶられた。でもやってみるべき、GOサインの下準備が体の中で出来ている。講義の最後に「今日の感想」を皆でシェアリングする。私は「小さい頃から今まで、複雑な生い立ちから自分に焦点が当たらない日々を過ごしてきたけど、この講義を受けてから、自分を肯定することを覚え、出来るようにしたい。もちろん子供にも自分を肯定することの大事さを教えられるようになりたい」と述べた。私はアダルトチルドレンで、親になる分必要な分、心は満たされていないけど今の新しい家族といっしょに回復し始めている。安心していいのだなと思わず、述べた後、涙が出た。みんなはその発言を「肯定」してくれ拍手。もちろん参加者みんなでお互いを承認し会う。拍手も送る。本当に素晴らしい時間が過ごせたと思う。
2006.10.03
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今日から10月だ~。月日が経つのが早い。カレンダーを意識すると余計にそう思う。社会人になった時→結婚した時→子供が生まれた時というピリオド事にそれが加速していっている。その合間合間に休憩が程よく訪れていたけど、人より倍、いやそれ以上に疲れるのって、周囲の出来事、世間体、いわゆる不特定数の「みんな」そして家にいても「私」以外の家族を主体にして生きてきたらからだって、気づいた。英語使って生活していた1年は文法通りに「私」いわゆる主語から始まっていた。だから「自分」にとって「私」が常に主役でいられた。でも人生、長い間「私」以外のことが自分にとって「主役」だったのだ。自分をずっと見失っていたし、自分を労わる、セルフケアも怠っていた。セルフケアと言えば、聞こえがいいけど、結局麻痺すると「依存」もしくは酷くなると「共依存」になる。そこに落っこちると私は鬱になる。そのステップが上がっていく時やどのステップにいるのかが、もっと敏感にわかるようになれば違うはずだ。「あと数時間で、あなたは死にます。今、生きている「私」は何をしたい?」とある意味アラ治療で「今の私」を取り戻す。あと「私って何か価値があるの?自慢出来るものは?コレっていう自慢のものは?」と問い詰める時も精神状態が悪い時。そんな時に気付いたら、「自分の良いところ」を書き出して、それを見つめること。そしたら「私」が帰ってくるはず。ノートに書きとめよう。ちょっとずつ薬の服用とセミナー、本を繰り返し読む、そして休養。好きなことをする。チョコレートを食べる、はまり過ぎない程度にお酒を飲む。ご褒美を上げるとか・・・・そんなところか処方箋は。「私」を取り戻して、そのまま崩れずぶれないで欲しい。あと1つ、気付きで私はいつも夫の不規則なシフトに悪く言えば自分で勝手に振り回されてきたのだ。(毎日違う出勤時間、帰宅時間、不規則な休み、夜勤も不規則)幸い、娘を保育園に入園させたことである程度「規則正しい」生活が帰ってきた。でも、夫の勤務シフトに「私の時間」も振り回していたのだ。規則正しい生活を厳密過ぎない程度に、「いつも大抵同じ」「定番」におさまれば、いいのだ。主人に時間を合わせないで、娘を犠牲せずに時間を送る。目標や理想であるけど7時台に起きて、8時台に朝ごはん。朝ごはんは「決まった食べ物」でいい。はりきっておかずをつくらなくていい。9時頃に娘を送り出すことに集中する。送り出したら、少し休憩してもいい。お茶を飲むとか。新聞を読むとか。洗濯する、食器を洗う、掃除をする。 欲張らず最低限でいい。お昼を食べることを必ずする。適当なもので済まさない。きちんと食べたい。午後はのんびりしてもいい。家事はやらない。もし「どうしても」と思うもののみ。夕方、5時ぐらいから夕飯とお風呂の支度。お風呂はお湯をためておく。ためすぎないようにタイマーを使おう。そうすれば夕飯の下ごしらえにもっと集中出来るよ。(キッチンタイマーを買います!)炊飯ジャーのスイッチを入れる。おみそ汁は味噌をとかすだけ、おかずは最後の仕上げだけに済むようにする。(午前中に手がかかるおかずを仕込んでもいいよね。)6時半前にはお風呂を済ませる。娘を迎えにいく。7時台には夕飯。8時台に後片付け。食洗機あるから、使ってもいいよ。9時には寝支度。布団敷いたり、歯磨き、パジャマに着替える。10時には就寝。これをおまじないのようにつぶやきたいて実現する「こうなりたい」と口に出して言うのがいいのだ。話は共感を持てるようにすればいい、「ママイキ」のテクニックで。全部を理解しようと思わない。「疲労をためないように」私のそれが一番の大事な仕事だ。
2006.10.01
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この前に今週行った京都旅行の出来事と、診察内容を書き込んだのにしっかり消えております。なぜ~~!!ひとまず今日は2回書き込みをしたかったのでしつこくもう1回。「純情きらり」今日で終わってしまいました。ラストは予想と違っていましたが(主人公が病気だったけど奇跡的に完治すると思っていたのでした)周りにいる家族、そして授かった赤ちゃんに告げるメッセージと主人公が自身の人生を振り返っての言葉はすっごく感動もの身に染みました。そのセリフ字体をしっかり覚えておらず、あやふやなので列記出来ないけど(正直、役者さんの演技がとても良く、そちらにも引きつられたというのもある)今の私に必要な言葉、心が癒される言葉でした。あ、1つ、思い出した!!主人公の姉、笛姉ちゃんが「あんたに焼きもちやいとった」と告白するように言う。自分が正しいと思ったら、そのまま考えを変えないし、自分を貫き通す、自分に正直であるところに焼きもちしていたそうです。私も、主人に思っている、というかうらやましいと思っている所がこの笛ちゃんと一緒だなと思っていた。セリフは正しく覚えていられないけど、しばらくこのドラマの余韻に浸っていたいです。家族を描くドラマって面白い!!ってなわけで恋愛ものはさっぱり見てません・・・・。テレビではないけど、頭の思考を柔軟にする為にトリップ本になるものを探そうかと最近少し思っています。手っ取り早く漫画がいいと思っているのだけど、どれがいいのか、さっぱり。漫画喫茶行くよりも、ラーメン屋とか定食屋に置いてある漫画なんか毎回結構ヒットする。(京都でもたこ焼き屋でたまたま手にとって本が面白かった)「りぼん」を小学生の頃まで読んで、それ以外しばらく漫画ってご無沙汰だけど、いいかも。(正直、通勤時、朝から漫画を読むサラリーマンにはその行動が理解できんかったけど、彼らなりの好きさ加減があったに違いなし。今更ながらに誤解していたよ。ゴメン)近いうち、漫画置いてある喫茶店が近くの商店街にあるのでさっそく行動してみようと思っています!
2006.09.30
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今週の始めから3日間、家族で京都旅行に行ってきました。ホテルと新幹線往復、朝食なしのパック旅行。京都まで2時間半くらいの道なりでしたが、娘も今回で新幹線は3回目。ほど良く慣れてくれたか、飽きたりせず新幹線内を過ごせました。食事面で特に情報がなかったので、満足した食事はちょっと。京都大学側の進々堂とイノダコーヒー本店での朝食。そして錦市場での八百屋さんが出す、京都のおばんさい定食。これぐらいかな。あとの食事は高いお金払ったにもかかわらず、満足度低し。(折角、料亭に入り、高い食事したのに、些細なことで主人とケンカ。でも自分の意見、思ったことは言えたのでその点だけは満足。)紅葉前で、平日という事もあり、割と人込みは多くはなかった。これは子連れ旅行には吉と出たけど、移動手段が市内バスと地下鉄のみっていうのがつらかった。レンタカーにしても京都市内は町並み上、駐車場が少ないのだ。あとレンタサイクルも聞いてみたら、子連れ使用のママチャリは、その業界では規定違反になるそうで、これもバツ。あと京都のお菓子は奥が深い!味はもちろんだけどすっごく上品。(さすがに八つ橋購入はなし。修学旅行の時のお土産程度にしたいもんだ)ついでに包装紙や紙バックまでも、捨てるのがもったいなくなるぐらい。買い物は南禅寺で夫婦揃って、念願?!の数珠をそして、麻製品の卸屋さんで麻のハンカチ(発色がすごく良かった)あとは有次で包丁(左ききなので、それを店員さんに伝えて、手入れがしやすく使いやすいものを選んでもらう)あとはちょこちょこ小さいもの、イノダコーヒーでオリジナルのふきんとトートバック、着物生地を使った髪ゴム、家族でお揃いの蛙の置物(これは誕生日ごとのパワーストンがついている)って言う感じで買い物しました。有次の包丁を初めて使う時が楽しみ~。いつにしようかな??手入れの仕方を習ったので、忘れないように紙に書いておさらいしてからにしようと思います。次は情報もしっかり得て、行き直したいと思ったのでした。_______旅行でリフレッシュしたし、自分のことで気づきもあった。旅行を終えた翌日、病院の診療日だったので、先生にその事を話す。先生もそのことを最初から私に言おうと思っていたそうだ。今回、薬の処方箋に1つ薬が追加され、先に飲み始めた薬は近いうちやめていく方向だそうだ。単純なこと、些細なことでも面倒がらず話した方が良いのだと今更ながらに気づいた。副作用もつらいけど、しっかり薬の服用管理もして(今回から面倒だけど紙に朝、昼、夕の度に記録をつけていくことにした)先生にお世話になろうと改めて思った。血液検査も違う病院で受けようかとえらく迷っていたけどあっさり通っているクリニックで頼んだら出来たし。迷いは厳禁。前だけ見て進もう、行きよう。頑張り過ぎ、欲張り過ぎ、張り切り過ぎない。調子が少しでも良いとこれらをやってしまいがち。詰め込み過ぎず、出来ないならやらない。やりたくなかったらやらない。今でなくていいのならやらない。こんなルールがずっと自分に浸透しますように。
2006.09.30
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日曜日の午前中に放映される番組って結構おもしろいのが多い。TBSの「サンスポ」なんかそれにあたる。たまたまチェンネル変えて途中から見た、NHKの「食彩浪漫」。デザイナーの島田順子さんが実家・館山での食にまつわる内容だった。館山は農業も漁業も盛ん。同級生たち、幼馴染達が実家に彼女が帰ってくると、野菜や魚を差し入れしてくれるのだそうだ。古く落ち着いた佇まいの日本家屋が彼女の実家の風貌だ。一度は住んでみたいなと思わせる家の風貌。NHKのアナウンサー相手に会話をしながら、差し入れられた魚や野菜を料理している。失礼だが、顔上シミだらけで、白髪、年齢相応に筋肉が落ちていて身体のラインも緩んでいる本人。でもメイクもしているし、白髪も気に入って伸ばし、黒い髪飾りでキレイに後ろで束ねている。服もシンプルなデコルテラインを強調しているグレーのカットソー。ゴールドの強調しすぎないアクセサリー。派手ではない黄色のチェックのパンツ。腕には多分シャネルっぱい白い腕時計。年齢相応で自分をわかっているおしゃれだ。長年、パリ住まいであることから、違う国籍の友人相手に知らないなりに日本食の代名詞と言える、天婦羅、鮨を作って振舞っていたそうだ。今回はあわびのしゃぶしゃぶ、カボス添え、鯛のカルパッチョを作っていた。調理しながらの会話が興味深かった。中でも彼女の発言には、私のスタンスを表現するので参考になるものがあった。外国住まいが長い彼女。日本の実家に、ふるさとに帰ってくることはもちろん嬉しい、そして毎度ふるさとがある有り難味を感じるそうだ。そして、外国住まいを始めた当初、20代でろくにフランス語も喋らない、技術も知識もない、頼りになる両親、きょうだいもいない、毎日が修行でいつ職を解かれるかと不安になりつつも懸命にプロになろうと努力する日々だったそうだ。私にとって「ふるさと」ってなんだろうと思った。結婚しても変わらず生まれ育った習志野市に住んでいる。しかも旦那も同じ習志野市出身。私にとって習志野にい続けることは自然なことなんだろうなと思うし旦那の両親の隣に住めることにありがたく思う。でも、私の「実家」には休まることがない。「実家」は居心地が悪い以上に、私の精神的、肉体的安定を拒む。要は兄はおいて、両親がい続ける限りは「障害者のきょうだい」であり、障害者の兄が一番に扱われ、特に母にとっては私は家族の中で4番、つまり最後に扱われる存在だった。そしてトラウマもたくさん残っている。一人の人間としての存在の扱いはない。でも、その代わりに生まれ育った「習志野市」にい続けて良いという恩恵を受けたのだろうと思う。25の時に1年ちょっと豪州、アジアにいて、帰宅した際は正直安堵したけどせっかく私自身を確立する「リハビリ」をしてきたのに、その後実家にい続けた為にリハビリの成果はなくなってしまった。やっぱり私のアイデンティーを蝕む実家は良くないのだ。豪州にいた際は、確かに後ろ盾が何にもなかった。友人もいないのに大丈夫??って出発前心配してくれる友達もいたけど。でも滞在して10ケ月たってようやく実家に電話する私に現地で出来た友達は信じられないよ、とか電話を薦めまくる人もいた。そして帰国する日もタイから台湾経由での帰国便がついた羽田空港でやっと「今日、日本に帰るから、っていうか今羽田だから」と電話した。たいてい成田空港はずだけど、なぜ羽田空港なの?って母親は不審がっていたけど、とりあえず帰国当日電話すればいいと義務を果たしたのだった。外国人のともだちに「兄は自閉症」という事実を告げても、それがどうしたの?と特にスペシャルではないと、当たり前でしょうと受け止めてくれたこともあった。でもそれ以上に自分のファミリーについて話すことはなかった。恋しいと思ったこともないし、むしろ何も制限することはない自由の身でいることが嬉しかったのだ。そして実家の周りにも親戚は住んでいない。遠い山形、関東でも埼玉だ。私にとってルーツある人々も近くにいなかったせいで身近な存在じゃない。「不完全機能家族」は私にはうざいだけ、私を蝕む存在だったのだと今、当時を思い返すとそう思う。一人で孤立していたのかなとも思い直す。こんなバックグランドを気楽に話せる友人も、場所もなかったし。私にとって今までの「家族、きょうだい」はそんな存在だった。今は全然違うけど。ありのままの私を受け止めてくれる夫や娘、夫の両親、きょうだいもいる。両親とは決別したまんまだけど。兄の存在は憎い存在から出産を得て兄がくれた人生の宿題を解き始めている。つまり存在は変化したということだ。そんなことを思い、自分にとっての「家族、きょうだい」「ふるさと」のスタンスを確認出来て、文章に出来たと思う。______先週月曜日に「ママのイキイキプログラム・コーチング」を受講した。ブログ界隈ではよく、このコーチングを見かけて気になっていたけどチャンスがなかった。でもようやく重い腰が上がったのだ。第1回は「聞く」についてコーチングスキルを学ぶ。受講して気付きがあった。今までの私は「見捨てられ不安」が強かった。(今もだけど)そのせいで初対面の人にも友人にも、家族にも会話をすることに、力が入り過ぎて、疲れていた。「話を良い子で聞かねば」と消耗過ぎていた。でも「聞く」ということはどういうことなんだよと教えられ、もちろん目からウロコだけど、そんなコーチングスキルで今後望めば私自身に変化があるんじゃないか、疲れ過ぎないんじゃないかって思えるようになった。娘に早速試してみたら結果はすぐ出た。娘と会話がうまく成立するようになったし、娘との関係も少し良くなり始めたのではと実感する。次回は「承認」について。しっかり復習と宿題をして次回に望みたい。
2006.09.17
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昨日は久々に主人が休日だったので、娘は保育園を休ませて成田山にお参りに出かけた。目的は新居工事の際、工事関係者の方が工事安全を願った御札を返しに行く事と、新居用に家内安全を願って新しい御札を頂くことで。成田山には京成線一本でのアクセス。途中から印旛沼や佐倉市内の山々や畑が広がる風景を見えそれも楽しみながら向かいました。しかし成田山に行くのも本当に久々。5年?いや、もっと??表参道のお店にも驚きが。成田空港から近いということもあって、外国人用のメニュー(英語)を掲げている店が多し。欧米人だとベジタリアン、ビーガンの人も多いからその事情を察し、その人達用のメニューを置く店もチラホラ。しかし・・・タイ料理だか、流行りのカフェとか、あったけどなんかイマイチに見えました。というわけでお参り前の腹ごしらえはずっと長く営んでいる地元の人経営の食堂へ。これが正解!!値段も「成田価格??」と思わずにいられない定食がオール600円。しかも御飯が多古米、お野菜は自分達で手入れをしている畑から。そしてそれらは無農薬のこと。お味噌汁のわかめもすごく立派。私はさばの味噌煮、主人は照り焼き鳥を頼ましたが、丁寧に料理され、やさしいお味。他にかぼちゃのサラダ、なすの煮びたし、自家製おしんこまでついて・・・・いや~満足でした。お腹も満たされ、長い表参道を歩きだす。成田山詣出のお土産の定番、米屋さんの本店にも寄り道。このお店も大きくリニューアルされていた。お茶の無料サービスもあり、ホッと和める場所。トイレも身障者用のものも用意されていて、中をチェックするとオムツ台もちゃんとある。卒乳した今も授乳出来る場所をチェックするのはぬかりがありません・・・。そしてオムツ台の有無も。徒歩10分ぐらいかかって、ようやく到着。御札を返す場所がすぐあったのだけど、びっくりハイテク化されていた!!たいていの神社とかは放り投げるように御札を返すのが一般的だけど、そこは違う。返却する御札を置くと、センサーが察知し、ベルトコンベアで運ばれているのです。その上にはお不動様が祭られていましたが、この機械にはおそれいり・・・びっくり。その横には都内でよく見かけるビルの工事現場のような鉄の塀?で囲まれた大きな箱が。そこからはぞくぞくと黄色いヘルメットをかぶった工事関係者がゾロゾロ。よーーーく見ると新しい成田山の施設をつくっているとのこと。自分の勝手なイメージでは大工さんがよじ登って大木をヨイショヨイショとお不動様の神聖なるものを作っているというのがあったけどこれも、時代が時代なんだなあ・・・。あと1つ驚いたのが御札を申込際、事務作業がスムーズにいくように機械が導入されていたこと。受け付けたお坊さんが申込用紙を機械に通して、ウィウィ~ンと音を立てながら感熱紙に受け付けた詳細が印刷されて出てくる。「30分後ぐらいにココに行って、紙を見せて受け取って下さい」とお坊さん。本殿に行き、お参りを済ませ、いざ指定の場所へ。なんやらそこはまるで駅のロストプロパティか、ホテルのクロークのような感じで、棚がたくさんあり、受け付けて、出来上がった御札を順番通りに置いて申請書控用紙と引き換えに御札を渡すおっさんがいた。平日で天候が雨という事情で参拝する人が少なかったのもあるのか、暇そうに働いていたけど、当然、その棚もスカスカでそれが余計に御札を受け取る神聖な場所に思えず、殺伐としていた。やっぱり、大きな寺も時代に乗ってハイテク化されていくんだなと夫とシミジミ語り合い、御札についていた干菓子を3人で頂きました。娘がお守りのことを「やまもり~」と呼び、嬉しそうに持ち運んでくれました。お守りはまだ発音しにくいのね。その後、また本殿に行き、規則的に行う祈祷の時間となり少しその場に家族でいました。お経も聞くのも久々ですが、祈祷の様子を見るのは初めて。30代になってもまだまだ初めてのものってあるもんです。それにしても本殿に祭られているお飾りや、お坊さんの着物の色の違いやら、その意味をすぐ回答できません!娘にいつ質問されてもいいように少しぐらいはその知識をかじっておきたいものです。そしてこういう時間の過ごし方って久々でした。お寺とか神社とかって神聖な場所だけど、良い空気が流れている。やっぱり気持ちもセカセカしなくなり、深呼吸出来る。たまにはこうお参りに出向くのもいいことみたいです。
2006.09.14
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かなり久しぶりの日記になってしまった。この一月に色々ありました。列記すると■引越しが無事に終わった。■思いの他、となりに住むお義父さん、お義母さんを意識してしまい 気疲れしてしまった。■卒乳の作業が終わり、ひと安心した。(しかし、まだ母乳の分泌が 確認出来て、また助産師さんにお世話になりそう)■卒乳が一段落したので、気が緩み、太ってしまった。 (しっかり下半身太り。原因は食生活と冷えによるもの)■ずーっと気になっていたセミナーを申込、受けに行って自分に 対し、一つ気付きがあったこと。■宅配をやり始めた。(色々検討して、大地にしました)■短大卒業以来ずっと足を踏み入れていなかった千葉駅付近を 探索。結構楽しく、都内に行くより手軽でこれからもちょくちょく 行きそうなぐらいな感じになったこと。■フラダンススタジオを発見し、見学をしてからレッスンに参加する かどうかまで検討出来る様になったこと。■知人(同じく障害者のきょうだいの人)と久しぶりにメールでやり とりをして、自分の産褥期、産後の体験を棚卸出来たこと。■精神科通いにようやく真剣に取り組む気になったこと(先生と の会話を増やそうと思えるようになった)・・・・他にもあるかな??相変わらず自分の気持ちに正直になる、今の自分を認めてあげる、肯定することがまだまだ下手くそだけど、日記をうまく活用して、上手になれたらいいなと思う。
2006.09.12
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来週の本引越しに向けて、すでに梱包したものやすぐに運び出せるものを少しだけだが、車に積みこむ。新居の収納量は現住まいに比べたら、やや少なくなったかも。この機会を物を捨てる、整理するチャンスとして役立てたい。その後、夜勤明けの主人と共に保育園へ娘を迎えに行く。いつもは義父、義母に頼んでいるので、私達が揃って姿を見せたことに娘は喜び以上に甘えモード。そして船橋のららぽーととIKEAに向かう。その中で新居に必要なものを買う。ってインテリア雑貨じゃなくってクロス汚れ剥がしとか、浴室に置く予定のカビ防止剤(天然材料系)とか。家の側にはホームセンターが2つもあるけど、巷では扱っていない探し物だったものを買えて満足。IKEAでは到着するや否や、恒例の100円ホットドックをほおばり、広い店内を回る。すでに4回目になる来店なので、売り場のショートカットをいい加減覚えたけど、しかしもっと効率よく、楽して商品精算場所、レジまで行きたいものだ・・・。しかしこればっかりはIKEA側の考えで出来ない。ここではコーティングしていない無垢材の家具に塗るオイルと刷毛玄関に置くフロアマットを購入しました。あと持ち帰り用にIKEA特性のブルーのトート型ビニールバックも。これって結構ルックスもよくって、色々入るので日常生活上でも便利です。IKEAの家具って日本人に合うのだろうか??っていつも首をかしげる。住宅事情も全然違うのに、大型家具も結構多いし、ティストが完璧西洋のもの。イギリスチックと言うか、アメリカチックのものもあるけど。自分ではIKEAの家具で全部そろえたりしないだろうと思うほど、ちょい敬遠気味。確かに家具、雑貨がスタイリングされているショールームは楽しいけどね。その後、ラーメン屋に寄り、家路を急ぐ。7月の最終週は体調が悪くってほとんど家事が出来なかった。どうして??って思うぐらい怖いぐらい体調が悪かった。それを思うと今日はこれだけ動けたかと思うと自分でもびっくり。うつはしんどいけど、いつ治るだろうって思うけど気長に付き合っていくしかないかと思う。それに引っ越すことで環境はよくなるしね。前向きに考えたい。
2006.08.02
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なんだかんだで、新居が完成し無事手続きも完了して今日、夫が施工会社から受け渡しと言う事でマスタキーを得て帰ってきた。自分は体調がイマイチだったので、無理せず立ち会わなかったけど一連の報告を聞いてホッとした。まだ全然引越しの準備も何もしてないし、実は来週には本引越しだというのに焦りもなく、義父、義母、義兄と隣同士で住むというのも実感がわかない。また度惑いもあるだろうけど、そこは焦らずに行きたい。っていうか出来る確信は自分自身正直ないけど。でも結婚して親となって、新しい家庭があって、つくづく家族がいることの喜びをかみ締めている。今までの家族、育った家族は人数がいて役割があったけど、何かに踊らされていた、振り回されていた、そして誰も「その何か」を見ようとしようとしていなった。今までの家族とは縁がもう崩壊している。実の母親に娘が望んでいることを何も察してもらえず逆に言ってもらえなければわからない、そして「金」で埋まると信じている。父はそんな目を当てられない母をずっとかばい、兄と私を守ってきた。でも父は役割以上の仕事をし過ぎてきた。娘はそれに気付いてきたけど、どう修繕したらいいのかずっとわからなかった。というか、きっと父が死ぬまでどんな風にしても修繕されないだろう。育った家族の行く末は想像がつかない。正直、想像したくない。怖いし、自分もまたそれに振り回されそうだから。前を向いて行きたいと思うなら、「今の家族」を大事にしたい。義父、義母は本当の親と心底思えるようにもっと心を開きたいと思う。ただ私には「家族を大事にする」という本当というか、本来のやり方がわからない。時々気付く。他人にも義父、義母、夫、娘にも本来の自分に蓋をして愛想をふるまっていることに。でも、最近はそんな自分に少しコントロールできるようになった。愛想振る舞いは途中で辞めて、特に言葉をかけず、無言でも相槌打つだけになった。(たったそれだけだけど、すごく心的には楽になる)あと、お世辞をいうのも辞めた。自分が他人に対する言葉に「お世辞」が多いことに気づいたから。でも今まではそんな言葉はお世辞というよりも自分を見捨てないで欲しいという願望の裏返しでただ、言っていただけだったのだ。あとむやみに誤るのも減るといいなと思っている。いつも見捨てられるのが怖くて「へりくだっている自分」がいる。だからすぐに意味もなく「すみません」とか言ってしまう。英語で会話していた時代の時のように、必要な時だけ、必要な分だけ誤ればいい。もちろん、「ありがとう」も。今の家族とは健康的な関係で結ばれている。それがうつ病から回復中の私にとっての一番の救いだ。ゆっくりだけど要らないものを少しずつ捨てて行きたい。その過程を否定するのではなく肯定しながら。私が正直嫌いな人とは「ずうずうしい人」だ。どういう風にずうずうしいのかと言えば、他人がどう思うが、感じようがそれが正しいと自己を通す人のこと。悪く言えば世間からずれているとも言えるのか。逆に良くとらえれば「自分を大事にしている」と言える。だからうらやましいけど、嫌いなのだ。私には「自分を大事にする」方法を正しく知らないからだ。先日、嫌いである人に全然知らない間に子供が生まれていたことに大きくむかついていた。その人の嫌いである特徴はすばり、「ずうずうしい」である。これはあまりにも大人気ないと分かっているが自分にあるものは最大限利用している、使っているというような人だ。当然自分にはそれがないわけで、本当はそんなもの欲しくないのにないものねだりなのか、やっぱり悪い方にうらやましく感じる。日本人の幸せの価値観って「皆平等」であることだと思う。競争社会であり、個人主義がある欧米とは根本的に「幸せの尺度」が違うと思う。でも私はもっと違う側面で「幸せの尺度」を見て、自分の尺度を直さないといけないかなとうすうす感じている。その上で「本来の自分」を取り戻さなくちゃと思う。書いた文章を見直すとつくづく「しなくっちゃ」という自分に強制を化すところが多い。イカン・・・・。とりあえず「強制」ではなく「したいな」という願望の方がベターだろう。その方が楽だし。優等生は卒業したい。なんか悪いのか良いのか頭が冴えてきたのでさぼっていた友人への手紙を書いてみようかと思います。うまくまとめようとせず、思いをしっかり正直に書く事。その友人とは縁が切れてもよいと覚悟しているぐらいに正直に。
2006.07.31
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断乳中でありながらも、日々新居引越しという最大の「物を整理、処分する。そして生活するにあたって余計な動線ストレスを失くす」というチャンスをうまく活かしたいと目論んでいます。鉄筋コンクリート造りの1階ということで4年も経てば知らない間?にカビが生えたものもあり、使わなくなったものもありで、なんだかんだと処分しています。物を所有し続けること、捨てることにストレスがかかりますが良き前向きな前進なので、苦になりません。あとは生活スタイルを見直すということがある。変なこだわりでし続けていること。○○がなくなっても生活出来るのではということがまだまだあるはず。結構「物を持たない、捨てる」という根底までたどり着いたと思いますが、結構考えると一杯ある。家事、炊事、洗濯、掃除、衣類、趣味、寝具・・・。私個人単位、家族全体、夫と娘それぞれの視点でもまた違ってくる。根をつめて管理しようと思うと疲れるので、深入りはやめますが、要は、「物を持ちすぎない、処分する時を良く見極める」というのがキーポイントでしょうか。____石田ひかりさんブログ「まあるい生活」がとてもお気に入り。彼女が第1子を妊娠、出産時期する時期と自分のソレとがほぼ同じ(実質2ケ月違い)で気になる存在であり、第1子の娘さんが誕生、そして育児にあたり彼女の心情が素直に綴られており、目が離せない状況だった。「産後うつ」って言葉は出てこなかったけど、産後の悶々とした気持ちはしっかり綴られている。女優だから全てを美しく表現するのかな?って勝手に思っていたこともあったが、そんなことはない、「女優だって、一人の女性で母親なんだ」ってブログを読んで思っていた。但し、買い揃える雑貨や食料品、洋服については全然金銭感覚が違うけど・笑。その彼女のブログで、気になる文章が。このお母さんも、きっと後でとっても後悔して、反省して、自己嫌悪に陥っていることでしょう。みんなそうだよね。お母さんもつらいんだ。ボクもしょんぼりして可哀想だったけどね。お母さんはボクのこと、だーいすきなんだよ。ただちょっと疲れてて、自分を見失ってるだけ。心の中ではもう後悔してるんだよ。ごめんね、ごめんねって言いながら怖いこと言っちゃってるんだ。だから許してあげてね。ボクも気にしなくていいんだよ。彼女は子供二人を連れ、赤ちゃん本舗で買い物していた際に見かけたとある風景。3人の子供連れのお母さんが子供それぞれに暴言を吐いていたシーンを見た時のことであるそう。そして彼女はそのシーンを共に見た二人に上記の弁明文を言い聞かせたそう。確かに子供も事情が分かれば、すごくへこむことないもんね。そしてお母さんだって人間なんだから暴言吐く時だってあるさ、全部が全部ニコニコなんてしてられないよね。私も早速彼女の行動をマネしようかと思いました。
2006.06.07
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今朝で断乳して4日目。特に身体的なトラブルはないけれど、自分自身疲れが出てきた。助産師さんからの指導をきっちり守る事や、(=乳腺炎などのトラブルなく、早く楽になれる)自分自身の心の整理、本当は子供が不憫でならないけど、心を鬼!にして絶対断乳を貫き通すという緊張感、土日を途中挟み、保育園がない為、娘といる時間をどう過ごすか、やり過ごすかにも緊張感。生活指導の内容もまるで産褥期を彷彿させた。(風呂厳禁、食事制限、激しい運動は避ける、なるべくゆったり過ごすなど)でも、今回は夫と相談の上、ここはどう工夫して乗り切ろうと色々策を練ったので、幾分気持ち的に余裕があり、夫婦喧嘩もなし・笑。緊張感から来る変な?断乳期ハイみたいな、高揚感もあったけど一番大きいのは自分自身の精神的成長が自分自身を助けている。以前は白黒ハッキリしないと気が済まず、うまく妥協が出来なかった。そして自分自身の欲望や休息を大事にしていなかった。今は堂々と助けを求め、周囲に気持ちも打ち明けられる。あとはなんと言っても、夫の両親の助けが大きい。自分の両親に助けを求めていたら今回のようにスムーズじゃなかっただろう。「夫の両親は私の両親じゃない。何も今までのように嫌な気持ちにさせられることはない」と頭で念じ言い聞かせたのだったし。話はそれて、自分と自分の両親との現在の関係をうまく形容出来る言葉が見つかった。自分の両親とはこちらから熟年離婚のような三行半を下した。自分が生まれたことは感謝しているけど、両親とのマッチングには相性がなかったのだと、言いたい。そして二人との和解は別に急がず、無理せず二人の死ぬ間際でもいいのだとワイドショーで見た、岡田真澄の絶縁した長男からのコメントで思った。人に言われたり、また自分自身でも「私はなぜか優等生を演じている」って思う。理由はおおよそわかっているけど(そうせざるおえない半生があった)「意味もないのに優等生を演じるのは疲れる、辞めよう」とも思っているけど、なかなか実行出来る時、出来ない時と波がある。だからあえて、宣言した。「悪女になりたい」って。で、どんな悪女????モデルは特にいないけど、ひとまず自分の欲望、希望を第一に、他人はそっちのけで自分が一番大事と思えるくらいになりたい。わ、文字にするとなんかドキドキするけどアダルトチャイルドな自分はこれくらいで丁度良いハズ。そう思いたい。
2006.06.05
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昨日の日曜、幕張で開催されたアースディ千葉に娘と行ってきました。ちょうど近くのマリンスタジアムでロッテ対広島の交流戦が。アースディのビラで案内されていた駐車場はアースディ関係者よりも、野球観戦者の車で一杯。(広島ナンバーの車も数台みかけました)なんだか、こちらも気になってしまう。開催されている公園からドンドコドンドコ、太鼓の音が。ワクワクしながら公園まで娘をおんぶしながら歩く。会場に着くと、良い感じでテントが広がっている。代々木のアースディとは比べ物にならない程少ないけど、広々とした公園で、青々とした芝生の上で皆さん楽しんでいる。また、アースディ千葉の特徴としては、農業県として農家が多い千葉県ならでは、農家さんが結構来ている。米農家さんも数件、中には精米機持参の人も。あとは鶏二羽つれて来ている、パーマネント農業をしている流山の農家さんとか。あとは雑誌・天然生活に数度掲載されていた酒所、蔵元寺田本家。おいしそうな日本酒が一杯!!でもまだまだ授乳中なので今回は控えめにお試しということで300円のカップ酒購入。トロってした舌触り。そして原料にもこだわり作っているということでもちろんお味も良かったです。あとは富津から来た4人の子供がいらっしゃる方から念願!の布ナプキンを買った。(この方は雑貨&自然食料品を営んでいるとのこと)そして西アフリカのダンス、レゲエバンドのライブ、三味線、日本太鼓などなど・・・。娘といっしょに楽しみました。その時稲毛・シバさんのベジカレー&チャイを買っていたのだけど、地べたにおいていたもんだから思いっきりチャイをこぼされてしまう。激しくは怒らないけど、「こぼれたものはもうしょうがないよ、あきらめよう」を何度か言い聞かせるように連呼していたら娘は悔しくて涙ボロボロ・・・・。どうもチャイの中の氷を食べたかったらしい。ひろまず抱っこして慰めるも、悔しさはエンドレス。でもダンスが始まったら目線がそちらへ動いたらしくしばらくしたら泣きやみました。ダンスってやっぱりすごい。私はまだまだ頭でっかちな人間だから、音楽を感じて体で表現出来る人ってすごくステキに見える。何も構えず、ピン!と来たら動かしてみる、そんな感じでダンスやれたらいいなと思ったりしました。とりあえず、やりたいなあ~って思えるダンス(教室かな?)と出会えるまで色々見てみようと思っています。代々木まで子連れで行くのはもうちょっと息ゼイゼイもんだけどアースディ千葉なら毎年行きたいものです。
2006.05.15
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我が家にとって特に意味を持たない連休が終わって、ホッとしています。夫は連休中ずっと早朝から深夜まで働きずめ、そして会社での記念行事も終えて、外食を終えた昨夜緩みにゆるんでいました。(今回勉強として、こんな日が続いた後は外食ではなく、質素、適当で良いから自宅で夕飯をとるべきだなあと思い知らされました。緩みに緩んで翌日の影響が大きかったのでした。)娘も「ただ保育園が休み」だけである日常を過ごして、今日から保育園通園開始。私も何か一緒に暮らす家族が日常に戻ると自分の生活ペースが保たれて安堵。とりあえず、課せられている課題(今週中にいよいよ卒乳日を迎える、病院に通院、薬の服用を開始、ひとまず鬱の為にも余計なストレスは溜め込まない努力をする)をこなすことに集中したいと思います。20代の若かりし頃は何も変わらない日常、カレンダー通りの休日を過ごすことにやたら違和感というか、抵抗を感じていた。とても非日常的なこと、刺激的なことを追い求めていたというのかな?逆にカレンダー通りではない休日も数年過ごしていた時期もあったけど、今は、とりあえず一緒に暮らす家族誰かが、(出来れば自分がそうであればベスト)カレンダー通りに規則的な週間を送り、その上に何も変わらない日常があることがありがたく思う。でもそんな日々をありがたく思っていても、時々ぽっかりと心に穴が開く。(うまく形容できないけど)そんな時は心の栄養が減ってしまった時なのだろう。ずっと心の栄養ばかり補給している時期を送っているとそれも疲れる。でも補給する時期がないともっと疲れる。そんなことを20代後半から31歳になった今、体感した事のまとめとして、言えることが出来る。豪にいた時期、NZの友人に言われたことが今、また頭の中でこだましている。「今、ゆっくり過ごさないでどうするんだよ!帰国したらまたどうせ忙しい時間を過ごすんだよ」言われた時は全然理解出来なかった。でも、時間かけながら、自分の中で言葉を咀嚼していった。「今、過ごしている、過ごそうとしている1年は特別な休暇なんだ。日本と同じようにしていたら駄目だ」と気づいたのだった。現在の自分もすぐ焦る。先の未来の事までにも焦る。「でも今ある課題をクリアすることが一番大事。治ったら何でも出来るさ!」と言い聞かせる。話は変わり、先週土曜日の夜の事。またもや、住んでいる賃貸マンション話ですが、誤報か、故障で火災探知機が鳴り響きました。日中1度、夜にも再度鳴り続けたのでした。昨年にもまったく同じことが起き、当時自分達が自治役員であったので関係部署や住民にも連絡、報告をして、今後に備えたのですが今回まったく何も生かされず、鳴り続けていることに住民皆さん、知らん顔。加えて自分の都合で突き進む管理連絡員さんも知らん顔。その事実に夫が怒り、ついに119番。たかが、誤報、故障ごときで消防隊員を呼んでいいのか??と一瞬おののいてしまいましたが、誤報、故障で鳴ってしまう事実→昨年のケースがあったにもかかわらず、管理会社の管理が甘い→非常時の連絡先も提示していない→その上住民も知らん顔。この悪き?形態を正すのには一番良かったのではと。結局、サイレンが鳴り、対応に駆けつけた消防車を見たさに住民が顔を出す始末。絶対、マンションの火災探知機の方がうるさかったってば。あとは現、自治会長さんに引継ぎ、事は一応住みました。夫婦揃って、「なってない住民の繋がり、もう疲れたねえ・・・」とぼやく。そんなところへ新居の畳縁とふすま紙のサンプルが届く。思いが馳せます。早く平和な所へ引っ越したいです。
2006.05.08
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昨日、バス→電車→バスを乗り継いで、佐倉市の某美術館へ行きました。娘には支度中に「バス乗って、カンカン(電車のこと)に乗るんだよ」と言い聞かせていると、「バシュ?バス??カンカン乗るの???」と何度も話しかけてきてハシャギモード。千葉のバスなので、便数が思いっきり少ない。しかも祝日ダイヤ。そして電車もまあまあの本数の中、乗り合わせる。下り方面なのでがら空きなのだけど・・・やっぱり連休だからスーツケースごろごろ転がせて乗っている人多し。しかしスーツケースに目印用なのかバンダナやら色々つけていて、はっきり言えばダザイ。しかも日本人ってやたらスーツケースに依存し過ぎ。もっとスマートな旅行者を見たいもの・・・と思っていたら佐倉駅に到着。美術館と駅を結ぶ送迎バスをしばし待つ。停留場にあるダイヤより10分近く遅れて到着。待っている間後ろの行列からはこんな野次が。「これだから田舎のバスってトロトロしてルーズなのよぅ」・・・「むむ??ほんと?ただアンタがイライラして勝手に思っているだけじゃない?」確かに佐倉は田舎だが。(佐倉の人ごめんなさい)遅れてきた様子がバスに乗りこんでわかる。美術館まで30分かかる道のり。連休で送迎バスに乗り込む人が多く、しかもマナーが悪い。途中、少し道路が車で混雑。じゃ、遅れるわけだな。田舎に位置するからが理由じゃない。企業が創立者の為に記念した美術館というので、研究所と隣接されていて敷地がとても広い。(もちろん緑も多い)が。美術館に入ろうとした私はある事に気付く。門のところに「これより美術館の敷地内です。飲食はご遠慮願います」あれ?どこかで、同じの見たぞ。送迎バスで「飲食はご遠慮下さい」。ひとまず休憩がてら、美術館付属のレストランへ。メチャ混み。それもそうだ、美術館の周りには飲食店など一軒もないし、美術館、敷地内では飲食禁止。混むわけだ。娘にここで長時間待たせられないと思い、あきらめて入館する。チケットを買う時に、スタッフの人にオムツ交換台があるか否かを確認。私:「トイレの事で伺いたいのですが・・・」スタッフ:「トイレでしたら向かって右です」・・・って聞き方が悪いのかしら?まだ質問には続きがあるのに・・・と思いつつ私:「トイレはトイレでも具体的に伺いたいので、ちゃんと話聞いてもらえますか?」毒着いて切り返す。結局、オムツ交換台があるトイレはひろーい敷地内にたった1つだそうだ。なので退館時に再び同じスタッフに質問。私:「再入館のことする時はまたチケットを見せれば良いですか?」スタッフ:「はい、スタンプを押します。」とっさにスタンプを押すのはわかるけど、押されるタイミングは退館する今なのか、それとも再入館する時なのか?と考え、私:「それって、今なのかいつなのかも含めてきちんと教えて下さい」とまたも厳しく詰め寄ってしまった。私もなんか悪いのか、でもスタッフの人、対応甘すぎと感じてしまった。そして入館時に改めて、注意書きの掲示に驚く。7項目も事細やかに注意が記されている。アメ、ガム食うな。子供は手をつないで、観覧して。写生はするな。・・・。って海外の美術館はこんなにうるさくないから!!さすがに飲食は禁止だけど、写真捕っても、写生してもいいんだし。こんなんじゃ、大人しかこれないじゃん!!大人の為の美術館だよ~。子供も絵画見たいだろうし・・・。送迎バスから着いた美術館敷地内まで隅々まで飲食禁止だし、入ったら入ったで、7つもルール書きあるし・・・。絵画や手入れが行き届いた庭園は素晴らしかったけど、えらいキュークツさを感じました。国内でもこんな美術館初めて。娘には庭園の散歩、帰り前に寄ったレストランの食事ぐらいは楽しんでもらえたよう。あとはバス、電車に乗ったことがとても楽しかったらしい。遅く帰宅した夫、今朝会った祖父にも報告していたくらいでしたから。懲りず、もっとうるさくない、キュークツさを感じない美術館を探します。もちろん娘と行ける美術館で。
2006.05.04
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世間ではGWで、浮き足たっているように感じられます。外出すればお店は混んでいるし、車も多いし、人も多いし。我が家は特に連休としての予定はナシ。主人は仕事、そして娘は保育園はなしで、いっしょにべったり過ごすことになりそうです。ひとまず、卒乳を5月第2週に設定しているので、卒乳開始日から1ケ月後の6月までは特に変わらぬ日常を過ごすよう心がけようと思っています。カレンダーに卒乳予定日に目印として赤丸、シールを煌びやかに沢山貼り付けているのですが、卒乳予定日までのカウントダウンのお楽しみとしてシールを1日毎に貼る事をさせています。付け加え、娘独自の判断?で黄色いクレヨンでグルグル殴り書きをして、「(卒乳予定日の印を指しながら)ここだねえ」と話しかけてくれました。あと11日あまりですが、助産師さんに言われた通り、「お母さんが卒乳するという目的の意志をしっかり持つ事」が出来るように、毎日自分に色々言い聞かせています。鬱だけどそれなりの頑張りではなく、集中する努力は大事だと。敢えて、今回の卒乳時期は「GWがある」で決めていません。治療の為、薬の服用を開始したいから、が理由です。精神的にも身体的にも安定して、家族に接したい、自分をもっと穏かに、大事にしたいが一番だから。助産師さんから「卒乳前、卒乳期間中は特に家族イベントは設けないように」と言われていましたが、幸い我が家は特に予定ナシ、卒乳にはもってこい素晴らしき日常を送れるわけです。(と、言っても千葉県郊外にある美術館へは出かけようかと思っていますが)あとは今週のごみ当番でストレスがたまらなければ、もっと文句ナシ。早速収集日が祝日と重なっているので、お知らせビラを作り、自衛開始。早速今朝、収集曜日が違うものが出されている・・・・。「ああ・・・皆さん!!ゴミはその人の生活の表れですよ!マナー良く!特に子持ちの人にはゴミの始末はそのまま子供への教育になるのだよ!!」って、ウチの賃貸マンションの住民に叫びたい・・・。
2006.05.02
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引越しに備えて、最近は色々物を捨てています。気がつかない内に結構物を溜め込んでいるものです。使用頻度の少ないものや必要がないものはもちろん処分ですが、「その物を所有する、し続けていた」気持ちを整理した上で処分した物が今回多かったです。以前は、その気持ちが整理がつかないと、「じゃ、フリマに出そう」とか「誰それに上げよう」とか他人任せで、時間がかかりすぎる処分の仕方をしていましたが今は辰巳渚さんの「捨てる技術」を読んでからはそのやり方が変わることに。「あなたが死ねば、全部ゴミ」という文中の言葉が強烈に残っています。そうか、自分にとってはどんな意味があろうかどうかでも、他人にとっては違う意味だわ・・・と考え、アレヨアレヨとうまく処分上手になりました。あとは物を溜め込まず、どんどん使う、使い切るようになった。前は何を「買う」のに考えるのに一所懸命でしたが、今は何を「捨てて、生活する上でのストレスを減らすか」を考えるのが楽しくなりました。夫も感化されたようで、お互いに迷っている、気持ちに決着をつけている時助言し合うまでになりました。話は変わり、住んでいる賃貸マンションでの「ごみ当番&自治会役員話」。ごみ当番は1週間交代でフロア毎に、その任務が回ってきます。「我が家はいつなんだろうか??」と頭の中で予想を巡らしていて「今週はGWだから、当番やりたくないな」と思っていた。その理由は単にゴミ収集が祝日であるが為になくなってしまうからで、実際、困った事に引き継いだ今期の役員さんは任務をさぼりにさぼっていて祝日毎にゴミ収集がない旨をアナウンスするのをさぼっており、そんな日にはゴミ集積所には生ゴミは満載!!だったのです。案の上、29日は祝日と土曜日(企業、学校は土曜日休みということから)が重なり、生ゴミがたくさん出されていた。「このままでは今年のGWも危ないぞ・・・・」と思っていたらお隣さんから急にごみ当番の順番が巡ってきた。ゴミ当番を担当する世帯は当番である事を示す、プレートをドアに下げるのがルール。が、2世帯まで下げている様子が見られなかったので、全然順番がわかんなかった。そんなところへ当番の順番が回ってきたのはちょっとびっくりだったけど、何よりも呆れたのが、お隣さんが「現役員さん」であり、ゴミ当番の引継ぎに「祝日にゴミ収集がなく、多くの住民の方が勘違いしてゴミが出ています。掃除が出来ないので次の収集日まで待つしかないと思います」の一言だった。思わず「前役員」として口を挟んでしまったようになったしまったが結果的に現役員の仕事の現状にクレームを出してしまった。帰宅した夫に一部始終を話すが、「もう口を出すな」「真剣にやるとバカを見るから適当にやるだけやろう」「自分達に迷惑がこうむらないように出来るだけの自衛はしよう」とまとまる。鬱の自分の頭の中でも懸命に頭の中で整理。が、それが良くない。無用なストレス。またも不眠になったしまった。だからこうしてブログに書いている。正直、「遠慮なく」言いたいことを理路正論で相手に伝えられたと思うのは自分としては評価出来る。でもその場で自分にストレスをかけない行動、言動までは考えらない。ただ、反省して次に活かすだけぐらいしか、出来ない。なかなか相手を読んで、自分の気持ちに正直に駆け引きは難しい。ひとまず、夫と一緒に結論を出したことだけ、忠実にやること。そして夫も当番に参加してくれるとの事なのだから、それに甘えること。今、鬱の私に出来るのはそれだけだ。しかし・・・・ゴミって私もうまく消費出来ず沢山出すけど、ある程度正確に分別してマナーを守っているつもり。ゴミの出し方に人間性が出ますよね。
2006.04.30
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天気予報で「雨が降る」ということは、前もって分かっていたけど、じゃあどう過ごすかって考えずに日曜日の朝を迎えていた。ひとまず雨は降らなそうな午前中に、娘を退屈にさせないため(正直に言えば、少しでも遊んだ時間があれば娘の機嫌が良くなるだろうという親のしたたかな?計算でもある)とっと自転車に乗せて公園でも行こうかと思いきや、支度や御飯や少々の家事をこなしただけでアッというまに時間ぎれ。うえええぇ・・・どうしよう。と思いつつ、頭がじんじん、ズキンズキンとしてきた。典型的なうつ状態にある人間の頭痛だ。ハッとひらめく。そうだ、バスに乗って、ららぽーとに行こうか!!でもららぽーとでは場所的に大きすぎて逆に自分が疲れてしまう・・・。じゃ!割と近くのショッピングセンターだ!そこなら、ミニ水族館もあるし・・・遊具器具が色々揃った無料のプレイランドもある!!決まったら一目散にそれ用に支度を開始。速やかに済み、外出。バスが来るまで少々時間を待たねばならなかったが、公園で小雨が降る中、雨具を着てなんとかやり過ごす。バスに乗り、某ショッピングセンターに到着。一応の目玉である水族館、正確には巨大水槽ですね、それを娘と覗き込む。巨大水槽を前に居心地の良いソファー、そしてテーブル、椅子が置かれている。けど、それぞれ居眠りする人、談笑する人、軽食をとる人で埋まっている。でもなんとか空き椅子2つを探し出し、娘を座らせ、買ったたこ焼きをほおばる。たこ焼きほおばりながら、なんだかんだ水槽の中で泳ぐ魚を眺め、時間が経つ。その後、移動し、お目当てのプレイランドへ。娘はプレイランドはかなり気に入ったようで、目がランラン。一目散に靴を脱ぎ、走って器具へ猛突進。「ママ~」と次々お声がかかり、きちんと娘のお遊びにお付き合いしました。そこではヨチヨチ歩きの赤ちゃんから、小学生まで年齢が色々の子供がいっぱい。紛れて、幼稚園年少か?もうちょっと上?ぐらいの女の子とうまくからませながら遊ばせてみたりしました。すべり台、車や汽車に見立てた器具、根元がばねでその上に遊具がゆれる?何というのか?発砲ロール性のブロックやら・・・彩良く、なかなか可愛い木製の器具達の中でお疲れ様子で子供を監督する大人達。中には雑誌を読みながら、携帯メールをしながら、または居眠りしている大人たちも。自分にとっては考えられないので、(でも真剣に相手しているかと言えばそうでも言えない)ちょっとその姿は衝撃的でした。ま、自分に正直な大人の方々で・・・・。子供も無事に怪我なく遊んでいるので良しと思うことに。散々遊び、夕方に時間がさしかったので、バスで帰ることに。バスは2路線あるが、どちらとも1時間に1、2本しか運行がなく、しかも2路線それぞれが、別の場所から出発する為、あれこれ焦り、迷うがラッキーなことに10分以内にバスが来る事に。停留場の近くでかけっこしながら待つ。正直、近くに来たおじさんの態度が気になってしょうがなかったので、離れたというのもある。(必要以上に他人をまだまだ感じてしまう私。うまく境界線が引けるといいのだけど)バスに20分ぐらい揺られ、帰宅。その後は夕飯、お風呂で就寝の時間を迎え、アッと言う間に爆睡の娘。相当疲れたようで。(嬉)前は雨が降るとイジイジと自宅にこもりっきりで、娘に上手くあたれませんでしたが、今回は「外出」といううまい切り替え行動が出来て良かった。お義父さんから借りていた「車」を返して、「自由」な行動する足がなくなりかえって不便だと思っていたけれど、人間追い込まれれば結構機転が利くものです。今日のことを忘れないで、次回にまた活かしていきたい。ちょっとずつの積み重ねだな。
2006.04.23
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今日は夜勤明けの夫に付き添ってもらい、心療内科の病院に通院しました。夫は市役所に提出する診断書を先生に記入してもらえていることをかなり期待大に、私は始めて、抗うつ剤なるものを服用して、どんな所見が先生からあるのか不安半分、興味半分で望みました。着いて、受付をする早々に1回目にお会いしたカウンセラーの先生に「今日は旦那さんは私とお話しましょう。奥さんはそのまま先生の診察を受けて下さいね」と声をかけられる。二人して、顔を見合わせるが、こういうのをあ、うんの呼吸を言っていいのかどうか、お互いの顔を見合わせて、「ひとまず指示に従おう」と目線で交わし、それぞれに別行動。本来は夫同伴での診察は可能だと思うが、今回引き離された理由が先生から話される。・私は夫の意見に流されてしまっているのではないか?患者本人の意向ではなく家族(夫の都合、意見で)話が進められているのではないかと思っていた様子。・ 夫に医療不信の感があった。医療の場において、医師として話が薦めにくい様子。私も甘かったけど、やはり相手というか、カウンセラー共々、赴いた先は病院、西洋医学の場なのだ。うまく表現出来ないけど相手は医療の枠を超えないのだろう。先生の話を聞いて、最初はカチン!ときて、戸惑ったけど、途中から冷静に受け止め、頭の中で考えをシフトチェンジしながら応対した。というのも、前者の方は全部とは言えないけれど、少しはその傾向があったかもしれないと認めざるを得ないところがあると思ったからだ。(私の問題なのに私の意向を通していると思っていたけど夫が介入するということでやや自分の気持ちが流されていた感があり)そして前回に言われた「授乳をやめること」については、医師はすでにやめてくれたものだと思っていたようだけど、正直に継続していることを告げた。やはり薬の影響が母乳に出てしまう以上、そしてもうすぐ3歳になるというのに、未だに授乳をしているという事実は親離れ出来なくなるということでやめる必要性を強く訴えてきた。私もわかるのだけれど、どうしてこうも頑なに授乳を続けたがるのだろうか?ときちんと考えて言葉にしておかなかったのもいけなかったけど、ひとまず思いつくままに「授乳を続けてきた考え、背景」を伝えてみた。もちろん、先生は私の話を聞いているが、受け入れない様子。もちろんそれに戸惑うけれど、冷静になれば、理想的な卒乳を求めている自分、そして結局自分と娘共々、授乳に依存し過ぎていたというのに気付く。「でも、母乳を上げたことがない男性の先生に何がわかるの~!!もし先生が喫煙者でタバコやめたいという時に、ガムとかアメやらで我慢し続けられるのか~!!」とまた抵抗の言葉が出てきそうだったが、こんなこと言っても平行線なので、「来週にかかりつけの助産師さんに卒乳の相談をしに行きますので、3週間後にまた改めて受診します」というのが精一杯だった。(私としては、やめる気持ちはちゃんとあるけど、整理する時間をくれ!というアピールだった)それについては「わかりました、じゃあ、その助産婦さんに相談してまた来て下さい」との返事。頭の中で「助産婦、婦じゃなくて、助産師!師!です!!医療行為が出来ないからとか、女の職業だと位置づけてんじゃないのか!」と不甲斐なく思いつつも席を立った。引き離された夫が待合室で合流。夫の性格から我慢出来なかったのか、今回夫婦同席で診察に臨むはずが病院側の理由で出来なかったわけを話し始めた。本当は病院出てからがベターだったのだけどね。気持ちがわかるので、そのまま聞いて、何も答えず会計を済ませ、病院を後にする。病院を出て後、もう夫婦討論&報告会と相成りましたが、自分の気持ちを包み隠さず夫には話した。「私は夫に依存しているところがあるのかも」と。精神的に依存というよりは、AC、共依存の悪いクセで夫との境界線が乱れたこと、もっと私は自分の気持ち、意見に忠実になり、自分だけの思いだけで家族の中でいればいいのだと、家族に迷惑かけまいと思う気持ちが実は裏目になっていたのではと気づいたのでした。不健康なラインで結ばれていた家族で育ってきたというのは、本当に余計な遺産が多すぎます。何度も腹が立って仕方がありませんが、気付けただけでも儲けものなので、ひとまずAC、共依存の悪い癖を自分で意識して修正し続けないと駄目なんだろうなあ。今回、選んだ病院、そして医師とはとりあえず相性は悪くないと思うので、このまま通院を続けます。前回の病院にかかった医師よりも全然話を聞いてくれる、(患者の意向は全て通さないけど)そして出された薬は少なからずちゃんと効いていたというのもあるので。どれくらい服用を続けるのか、飲んだ薬の副作用と、服用をやめても、どれくらい薬が体内に残存するのかと色々不安がありますが、ここで2つの宣言。・言いたくない人、話すことに無理を感じたときは別にして、私はうつ病で治療中ですともっと公言すること。うつ病であることが恥ずかしいとは思わずにもっと堂々としていること。・理想的な卒乳を追い求めず、今回が私にとっての卒乳時を考え、卒乳するなら借りられる手は借り切ること。夫にこの宣言をきっと話すと「当たり前じゃん!」と真剣な本人を目の前に容易そうに言われそうですが、彼にとっては素直にそれは言いことなのだからどんどんやろう!の表れだと想像出来ます。って想像にとどまらずきちんと誤解のないように確認しますが。本当に夫という人は私にとっては羨ましい存在です。大人なんだけど、子供のように自分に素直に生きている人だから、です。単純過ぎて困る時があるけど、私という「石橋を叩いて渡る」パートナーがいて、私達、夫婦が成り立っているだと最近つくづく思います。本当に感謝です!
2006.04.20
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先週木曜日に新たに見つけた心療内科に行って見ました。実はその前の週に夫のリードで、と言うのは変だが、医師ではなく、カウンセラーに先に私達の現状について話を聞いてもらっていた。それらをカウンセラーの先生が医師に伝えた上での受診だった。明らかに殆ど通わなかった前の心療内科の医師とは違って、印象は良かった。話の聞き方も丁寧だった。けれど、周囲から「脳をコントールする薬なんて良くない」とか「抗鬱剤なんて意外と効かないものだ」とか色々聞いていた私には当然のごとく(って言うか西洋医学の医師なんだから当然は当然なのだと、受診後当たり前のように気付く)薬の服用と卒乳を薦めてきたことにすごく抵抗というか渋ってしまった。ひとまず、「飲みません!」なんて宣言しても子供のおつかいみたいだし、処方箋をもらい、帰路につく。帰りの車中で、冷静になってみて、「なんで頑なに薬を飲まないと思い続けたのだろう」と自問自答。そして、先生の言葉を1つ1つ思い返してみても、「別に悪事はないのだし、西洋医学ではそんな考えになるのだろう」と納得する。(けして諦めとか、妥協ではなくて)結局、薬の服用をすることに決め、薬局で処方してもらう。いつか、鬱になった時期にこんな薬飲んだけど、こんなモンだったよって笑って言えればそれで上等じゃないかと思ったのもある。薬は軽めのものと事。でも薬を殆ど飲まずにきた身には染みる、染み渡る。すぐ眠気、倦怠感が襲ってきました。さすがに、服用して3日経った今では倦怠感は消えたけど、眠気だけは残る。(昼間もものすごく眠くなり、ほとんど寝て過ごしてしまう。おかげで家事も何も出来ない。・笑)そして判断力、思考力が低下している状態でキャパを超える程考え事をすると前頭葉付近が痛かった私。考え事するほど余裕がなく眠っていたと言うのもあるけど、頭痛がしなくなったのは確か。でも頭が、脳が機能していないって感じ。だから違和感がある。クレジットカードのCMじゃないけど、その時その時、選択するカードは4枚なのか、それ以上、もしかしたらそれ以下かも知れない。でも同じカード、好みのカードばかりひいてきた私だからこそ、(あえて言うけど慎重派、生真面目な人間だからそうなっちゃうのだけど)違うカードをひくのが大事だと思い、今回は薬の服用を選択したのだ。あとは卒乳です。これについても、自分だけでは卒乳しようにも出来ないので、夫にも同席してもらい、助産師さんに相談に行く。洗いざらい話すのは面倒でもありやっぱり恥ずかしいけど、やっと違うカードをひける自分がいるのだから、夫の助けをもらい、ひくことにする。話は違いますが、通院の前には以前から計画していた夫の両親、そして私達家族でTDLに行った。本当は気分が重かったのでキャンセルしようかと思ったけど、義母は仕事をわざわざ休みにし、夫も仕事の休みを調整してもらっていた上での計画だったので、キャンセルの意向を言い出しづらく、もし自分だけ留守番というのも何か寂しいので、決行に移した。結果は雨天にもかかわらず、楽しかった。夫に「(夫の両親には)気を使うな、特に何も話さなくって良いから」とうるさいぐらいに言われていたけど、いつもだったらわかっているつもりでも、なぜか気を使いすぎて疲れている自分がいた。でも、気を使わず、話かけられても適当な相槌で済ませた。(不健康な家庭に育ち共依存の私なので健全な家族の繋がりを知らない、だから良かれと思って気を使っていても、かなり余計だったり不要なものが殆どだった)相手は求めていないのに、与えてしまう、与えなくてはと焦ってしまう。そして、与えたのに、それについてのリターンがない。それは当たり前なのにがっかりする自分。そんな絵図に気づいた私は自分がしたいままに割と振舞っていた。特にディズニーが好きではない、むしろ敬遠する自分だけど、さすがに「夢と魔法の王国」なのか、無邪気に不思議となれる。(でも値段の高さにはついていけないそれは王国の維持料なんだろうなと納得はしているけど)今まで余計な事を夫の両親と交わしていたのかと、ほんの少し分かった。私の両親とは違うのに、幼少期や大人になってもされていたことを夫の両親にされていたわけではないのに、何かが怖かった。ほんの少し、その怖さがまた解放された。次はどんなことで解放されるか、わからないけど、自分に必要なのは少しの勇気で良いから、今までひいたことのないカードをひいてみる、自分を否定ではなく、肯定して生きてみることだ。頑張れとは自分には言いたくない。(もちろん、私の大事な人たちにも。娘、夫、夫の両親、そして兄。)ただそのままの自分で良いのだと言いたい。
2006.04.16
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娘を病気療養枠で入所させ、早3ケ月が経った。もちろん、この効果は大きい。娘にとっては、喜怒哀楽がはっきりしてきた、子供らしい元気な振る舞いが増えた、おしゃべりが劇的に上手になった・・・等、要は子供的人権がしっかり守られるようになった事でしょうか。私にとっては、娘への悪影響をおそれ、子供時代のトラウマの再演をしてしまうと涙、悲しい、苦しい感情がおそってきて、おさえきれなかったら(っていうかおさえきれるはずがない。ものすごくヘビーなものだから)態度で娘にあたってしまう、イライラしがちとか。さすがに手を上げるとかはしなかった。と言うより、目の前にいるはずもないのに、なぜか自分の母親を恐れてすることはなかった。娘のいない日中は我慢することなく、泣いて、泣いて気が済むまで泣いた。(グリーフワークの一環と思うけど、悲しさや悔しさなどを感情をとめてしまい、処理しきっていないと、いつまでもその感情は自分の中で停滞し続ける。だから終わりの底が見えるまで、次が見えるまで泣くのは大事。もちろん、言葉にして誰かに効いてもらうのも良かった。)あとは以前から気になっていたライチさんのスリーインワンを受けて、少し自分の中でも前向きになれたこと、自分の中で「育ってきた家族で押し付けられた不健康な思考、行動癖」を意識し、違う意味ある言葉に置き換えたりして、自分に言い聞かせ、修正を図りながら行動したり・・・・等。自分なりに「共依存」から回復を図ってきている。でも今まで生きてきた年数分、自分に染み込んだものは3ケ月そこらで改善出来るわけもない。回復するメドなんて、何時たつかなんてわからない。今年は何か、新しい事をしようと思っていたけど、まだまだ自分の見つめ直し、というより「回復、リハビリ」が必要だ。(もちろんこれは産後のリハビリなんかじゃない。)結婚して子供をもって、自分の「新しい家族」をもって、やっと「共依存からの回復」というチャンスが得られたのだと確信している。夫には「信念なのでは?」と言われたが、いつか自分と同じ、「障害者のきょうだい」に力を貸したいを思っている。(出来れば幼い子供達が良いだろうと思っている。親や親戚でもない、第3者の大人が障害者のきょうだい達の悩み、思いを聞いてあげれば、私ももっと違う人生、大人になっていただろうと思うからだ)自分の両親や、周りにいた大人達、社会を恨んでも仕方がない。自分を幸せにするのは自分だけなのだから。「重い障害をもって生まれてきた」から可哀想、不憫だと思われた兄の為にも本当はそうじゃない、その意味はもっと違うものがあると知らしめる為にも障害者のきょうだいとして、育った過程で味わった苦しみ、悲しみをもっと表現すべきだろう。本当に可哀想、不憫なのは「障害=蓋をしてでも隠せ、悪いもの」と思う人々なのだから。明日は保育園の入所期間が切れてしまうので、再度入所を認めてもらう為に市が紹介した病院に夫と共に通院します。今度は病院を変えるのですが、相性が良いことを祈りつつ、なるべく自然体で臨もうと思っています。
2006.04.05
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昨日はいつか参加してみたいと思っていた、あな吉さんのコラボ企画、ベジランチ&メイク講座に参加して来ました。リンクが未だ貼れない私。ってやり方調べようにも腰が重い私・・・それ以前の問題だなあ。千葉から東京の都心からほんの少し遠くに行くのにも、息切れする私。(そもそも土地勘というか地図勘がない。=迷子になりやすい私)しっかり遅刻してしまいましたが、すでに顔にリンパマッサージを施されている様にみなさん釘付けの中、こそっと割り込みました。誰にどう習うわけでもない、マッサージの順番、ポイント。それにメークの手順とポイント。しっかり自己流を通し、研究熱心でもない私はしきりに関心してばかり。やはり雑誌のやり方をそのまま真似る、とか他人には良くても自分には合っていない場合が多いのに、それをやり通している、のはよくない。もっとメークのどの動作にしたって、目の前で見る、体感するのは大事。そして自分自分でもしっかり体験する。他人の受け売りは駄目ですね。やっぱり。と反省したところで、私が今回参考になったのは・ニキビ、吹き出物が出やすくするのにはリンパの流れをよくするのが効果的。・コンシーラーばかり頼って、目のまわりのくま、肌のくすみ、を消していたけどそれより何より、メーク前のマッサージで血行をよくするのが大事。・ファンデーションは2色用意。土台はやはり丁寧に。(今までプレスされたファンデーションを利用。それで全部どうにかしていた私)・チークも2色使いで。最初の色は土台の色を同じなので丁寧に1箇所のみにつけず、方向をひろげ、色をのせる。・眉は眉尻が下がらないように。なるべく剃刀でそらないように。・マスカラはつける前にティッシュで余分な分を落としてから、まつげに。つけるときは目尻を上に押さえながら、少しづつ左右につけていく。・個人的なもので、うすい唇の私。唇のマッサージも大事。そして縁取りにならないようにうすい色のペンシルでなぞる。リップクリームを多めで。・・・・などなど。一気に紹介された化粧品を買いに走りたい気分ですが、そこはおさえて、現存のままがなくなったら一つずつにしようっと。ってそれより家でダブっていたクレンジングを捨てた始末。捨てたものはもっと自分より高齢の方向けで油分が多いので向いてないとのこと。知ってよかった!メーク講座の後は、お楽しみのあな吉さんのベジランチ。かわいらしいお皿に華やかに、そして綺麗な彩りでお料理が載っています!あな吉さんの料理に対して解説が入ったけど、ようやくマクロではないベジランチの理由がその時わかった。子育て中のお母さんにとって楽になるように、省ける手順は省けるだけ省いているそう。面倒な?!だし摂りをしないで済むという。マクロは色々、うるさいもんなあ・・・。野菜は陰陽あわせて、切り方違うし、調理する順番も陰陽にあわせるし、気候や体調にあわせて、だしや味噌の配分もその都度違うしな・・・。(でも、マクロの精神は好きなんですがね)デジカメに写真おさめなかったけど、目にしっかり焼きつけ、大いに味わって帰ってきました。しかし・・・お気に入りのハンカチを駅で失くし、そして愛用の眼鏡を置き忘れてくる始末。遅刻に始まり、物が紛失する終わり、なんとかならんのか?!深く考えないようにして、次回の反省点としたいと思います。(遅刻→もっと早めに家を出る。紛失、置き忘れ。カバンにしまったか、簡単に確認するとか)
2006.03.31
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昨日は新居となる家の上棟式でした。発注した会社の社長さん曰く、最近は上棟式も、地鎮祭もやらない人が増えている傾向だそう。でも、しきたりを大事にする我が家なので、特に上棟式に関してはお義父さん、お義母さんが特にやりたがっていたというのもありどちらもやることになりました。みるみる内に、柱が立っていくのですが、図面で見ていた以上に高い建物になっていました。というのもOMソーラーというものを採用しているからです。一言で言えば、屋根で太陽の熱を受け、屋内に採り込み、床暖房や給湯に活かすシステムです。あとは暖房しながら換気をするという特有の働きがあり、室内の空気洗浄が保られるのもポイント。今は各主力ハウスメーカーや、某電力会社でも似たようなものを扱っていますが、どれくらい、とは言えませんが規模がそれらとは違うというのを実感しています。それらが類似品とも言えそうですけどね。というのも、実績が全然違う。なんせ学校や福祉施設(老人保健施設、保育園、幼稚園とかにも)、病院や美術館にも。様々な建物に活かされているようです。昨年5月に静岡・浜松にある、OMソーラー協会もわざわざ訪ねて、見学や説明も請けた上での決断。環境負担が少なく、二酸化炭素削減にも貢献するシステムというのも気に言っていますが、また10年の使用で工事費の元が取れるということ。こんな現実的な利点も良かったわけです。あとは大手ハウスメーカーに依頼しなかったことが私達のこだわりでしょうか。(これも類似した家が建つのが嫌だった。)千葉市内の会社ですが、木材屋さんから始まった家事業とのことなのですが、自分達の好みに木造家屋を扱っているというのもあり、追求するところ(デザインや機能、素材、無駄なコストをカット、従来の一般的なノウハウに拘らず、他に良いことがあればうまく採用していること)がとても良かったというのもあります。あと最後に行き着く点は木造の家で育った人間にはコンクリートの家は息苦しかったということでしょうか・・・・。って、上棟式の様子を綴るわけでもないのですが風もなく、晴天で大安の日に何もなく上棟式を迎えられたのは本当に良かった。有難いことです・・・。本音としてはお義父さんが結構張り切っていて、そのペースにあわせ動いたのが結構疲れたというのがありますが、今日その分銭湯&サウナに行って、リフレッシュ、さっぱりです!____話は変わって、顔に出来ている頑固な吹き出物のこと。もう2ヶ月ぐらいずっと、顔にありつづけています。ってもともと若い頃はニキビが出やすかった。大人になってもあんまり変わらなかったけど、原因は???のまま。台湾で受けた占い師にも「顔の吹き出物は内臓、特に肝臓の機能が弱いから、気をつけて」となまった?日本語でぴしゃり。でも意外に原因はそうなのかもしれません。(でも飲酒の回数や量は以前より激変しているのだけどね)よく「顔色青白い、悪い」って言われるし、代謝、血液血行が悪いとも思います。もう少ししたら肝臓の辺りにこんにゃく湿布張ってみようかなと思っています。あとは動物性のものとか控えたらいいんだろうなあ。あと食べ物をよく咀嚼する。気が重いけど病院にも行ってみようかと思っています。ああ・・・よくなってくれ・・・!
2006.03.28
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だいぶ日記をさぼっていました。綴りたいことはあるはずなのに、やろうとしなかった。うまく言葉にならないけど、脳が鈍化していたようにも思えるし、自分の欲に忠実に過ごしていたようにも思えるこの最近、一ヶ月間を過ごしたように思う。無理にやりたくないことはやらないように、やりたいことだけやって過ごしていた。海外旅行、スリーインワンを受けたり、日帰り夫婦旅行したり・・・。本当は無駄に時間を使ってしまったのではないかと悔やみ、焦る自分がちょっと前はいたけど、今はそんなにそれらを感じていない。まだ嫌なブロックが自分の中でかかっているけど、少し外れてきたかなって感じでもある。あとはヨガが楽しくなってきたけど、それ以外はうまく体を動かすことが出来ず、不完全燃焼の自分がいることに変にやきもきすることか。体重計にのるって言う事をあまりしない自分だけど、体が鈍く重くって太ったのを普段よりも厳しく?感じて見せしめの意味で体重計にのってみて、体重という数値で体感する。これが原因でも何でもないけど、最近やっとというのがふさわしいのか、体を動かす楽しさを味わいたいということでダンスに興味が出てきた。でもどれって決められないので色々探し回ろうかと思っている。余計な欲だけど、見つけた先で良い仲間にも出会えるのもなんとなく期待している。話は変わって、久々に新居工事先に行って、工事してくださっている方にお茶を出して来た。新居工事先って言っても主人の実家内だけど。ほとんど聞き手に回っていたけど、お父さんとお母さんとお三時を摂りながら会話をする。少しづつ溶け込んでいる私がいる。変に優等生ぶらない、行儀がましくない私。わざと意味がなく話してくれているように感じた雑談あったけど、実はお父さんとお母さんの気持ちを伝えてくれる話があった。思わず泣きそうになったけど、心の中で泣いて、二人の前では泣かないですませた。感謝です。悪口半分、愚痴半分だけど、今の住まいは自分の希望じゃなくって母親の希望で選択したようなもの。(自分の両親の近くに住んでいれば、私が安心じゃなくって、両親にとって都合が良かったもの。要は結婚して家を出ても使い手だったのです。)次の住まいは夫と共に自分達の希望、要望で選択したもの。住まいまでも上記の呪縛?がかっていたけどそれからも開放される。いさかか、夫の両親の隣に住むのはまだ全然不安があるけれど、最初からうまくやろうなんて考えていない。あとは持ち物のリセットか。また物が減らせるといいなあ。
2006.03.20
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乳腺炎は何度もやらかしていますが、乳腺炎以外ではない、発熱、単なる風邪をやらかしました。しかも娘もシンクロするように微熱が出る。保育園を休ませ、二人パジャマに着替え布団に入り込み、休養となりました。天気も悪かったというのもあるけど、何をするにも気が重い。かつ娘がべたべたに甘えてくる。おっぱいも吸わないのに、とりあえず銜えたがる。(当然だけど)久々に悶々として暗くなってしまい、鬱の時、一番悪い状態だった時の思考と同じ状態に。はまっていたどうにもこうにも考えても壁にぶち当たり、抜けられない程に、一時気持ちが下向してしまった。やっぱり体の調子が悪くなるとおのずと心の調子も崩れるのだなと改めて実感。回復のめどがついているというのもあるけど、モチベーションが下がりっぱなしというのはなく、自分が現在いる状態も客観視出来るし、少しは成長とは言わないけど悪い癖から脱皮出来ているのかなと実感出来る。いつもは回復すると、乱雑した家の中を掃除をして、洗濯とかもムキにやっていた。これが災いの元。折角良くなったのにぶり返したりして、夫に八つ当たり。苦笑。あえて目をつぶって、先延ばしで大丈夫だと言い聞かせ、さぼる。夕方、アロマ&レイキの予約も入れたし。あえて違う行動パターンにすることが大事だと、自分にメッセージを送る。あとは本腰入れて?旅行の準備もしなくちゃいけないのだけど・・・。これもいいかなって明日で。うわ、前日準備かよって。よくよく思い出して見ると以前の私はそうでした。それで、いいのです。
2006.02.18
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ずっと先月末から痛かった右肩、ここのところ調子が良くなってきた。どれが効いたというのは一概に言えないけど、おしゃべりで場違いな整体師による整体も効いたかも知れないし・・・、あと相変わらず肉、卵、魚類は摂ってますが、以前の状態に近いぐらいに摂取量は減ってきて、菜食に近くなってきたというのもある。マクロ料理でセイタンを使った肉じゃが(肉ははいっていないが、あとみりん、砂糖も)はうまく出来て、娘も結構気に入ってくれてよく食べていた。あと、外食するときは動物性食品を避けるのが難しいけど、白砂糖も控えめにしており、家でも白砂糖を使うのをやめて、黒糖、米飴を代わりに摂るようになったというのも一因にあるかも・・・。あとは白湯、梅醤番茶をせっせと飲んでいる。あんまり肩こり関係ないけど、前頭葉(要は考えすぎ、頭の使いすぎ)辺りがこっているのもあってハゲが2、3出来ていたので、シャンプー時はもちろん、ブラッシング時も他にもヘッドマッサージを意識して行なう。血流よくなってきてハゲが治りつつあります。あとヨガのポーズも効いたなあ。あと思いつくのは目の使いすぎ。あちこちで「目が疲れているのでは?」と指摘を受けてきた。なのでPCは週末お休みし、目周辺にタオルの温湿布を当てたり、足湯をしたり。あとジョギングもしているのもあります。ヨガも効いているし。ヨガのレッスン受けるのに車通いは辞め、自転車をえっさこいさこいで通っている。少しずつ体のキレがよくなってきているのが分かる。あとは水泳に通えたらいいなあ・・・・。あとまだまだ体は鍛えた方がいいってわかるけど、あと内臓が疲れているのかとも思う。その証拠が肌荒れ、冷えだ。ひとまず恥骨周りをこりこり、マッサージしたりしているけど、こんにゃく湿布を今週一週間試してみようと思っている。出来れば断食したいけど・・・。無理っぱい。朝食は抜いたりはしていますが、これだけではなかなか追いつかない。_____最近、子供の虐待、母親による殺人事件が相次いでいる。ニュースでは、虐待された、殺された子供を不憫に思う声ばかり出てくるように思えるけど、もっと母親の気持ちもクローズしてもらいたいと強く思う。(加害者なのでそれは難しいとは思うけど)自分も何回も子供とべったり一緒にいて、どこに育児疲れどころか、悶々とした気持ち、やりきれない気持ちというのかぶつける所なんて夫以外なかったから、かなりフラストレーション、いやそれ以上のものがたまっていた時期なんてたくさんあった。(近くに住む、自分の両親に頼ろうにも、逆に彼らのフラストレーションを貰いかねない。逆に自分が犠牲にされてしまう。怖い事だ)自分の中でそれらと闘う。うまく整理付けられないから鬱になったし。子供に暴力、虐待出来ない親は鬱になるのでは?と思う。(他にもあるかもしれませんが)育児ではなく、介護の現場でも近い事起こっているとも思う。核家族化の広がりがいけないのかって思うけど、もちろん原因はそればっかりじゃない。産後うつの話については続き話がまだまだあるけど明日に書きます。来週は待望!の旅行なので準備も大事だけど家族の体調の方が大事かな。心配は娘と夫。(2週間近く休みなし・・・相当カリカリしてて怖いし)二人には過食せず、せっせと寝る。これにつきるかな・・。
2006.02.13
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今日は最初から「産後うつ」の話から。妊婦の時に「障害者のきょうだいである自分に、そのきょうだいと同じ障害が生まれてくる子にもあるのかどうなのか」でずっと悩んでいた私。そしてこれとは別に、なぜか生まれてくる子は男の子が良いという希望がありました。これには「どうしてなのか?」と深い理由もなく、単純にそう思っていたのでしたが、よくよくどうしてそう思うのだろうと自問自答。妊娠中期を過ぎた頃、診察を病院で受けた際、「どうやら、(胎児は)お嬢ちゃんのようですね」と先生がポツリ。特に病院側に性別について知らせないでくれとも頼んでいなかったし、同じ病院にかかった幼馴染の話だと、(その病院には特に担当決めはなく、3人の先生が曜日やスケジュールで診察を分担している)「中にはうっかり性別言ってくる先生にあたるから(知りたくないのだったら)気をつけてね」と言われていた。なので「ああ、この先生だったのか!」と思いつつ、そんなに性別を分娩前に知らされることには抵抗がなかったので「子供は女の子だろう」という事実をあっさり受け止めて帰宅したのだった。もちろん、帰宅した旦那に診察結果と性別の判明について聞かされたことを話す。男の子がいいと自分で言いつつも、実際は女でももちろん良かった自分だった。でもなぜか、性別がわかりがっくりする自分がいる。なぜだろうか?答えはしばらくして出た。「もし、男の子であったら、自分の自閉症の兄は自分より両親に大事にされ、かわいがられた。女である自分よりも扱いが先であった。当時は私は健常児だから障害児よりも手がかからないだろうというのがわかりつつも納得がいかなかったし、何よりも母に対する私の仕打ちが酷かった。例えば、健常児なのだから、出来て当たり前、失敗すると慰められるどころか舌打ち、そして暴言はちょくちょくあったのを覚えている。」だから「男の子であったら自分も愛情深く育てられるように気がしていた」のだ。そして「本当は自分が受けたかった愛情を自分の子供に依存してもらおうとしていたことに気づいた」のだった。他の障害者のきょうだい仲間で妊娠したけれど、残念なことに流産してしまった時に、彼女も私のこの思いと似たような言葉をMLで綴っていた。「おなかの子は流産してしまったけれど、妊娠中である時はその子が女の子じゃないと良いなと思っていたの。理由は女の子であれば、私(彼女)と同様に(障害者のきょうだいならではの苦痛で悲痛な体験をしてしまうのでは)かわいそうな子になってしまうから」と綴っていた。過去のトラウマから起こさせる苦しい思いだった。結局、その後分娩、産褥期を得て、一般的な産後うつを体験したが、自分には別に過去の子供時代のトラウマにも向き合うざる終えなかった。それが自分自身を見つめ直す事には産後には必要だったというのもある。そして過去を思い出すこともあって「トラウマの再演」をすることにもなり、更に自分を苦しめたのだった。明日は産褥期のことについて。
2006.02.08
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午前、2つ先の駅近くにある整体屋さんに行ってきた。結構期待していったのに、技術的にはどうこう悪いとは言わないけれど、整体を施してくれた人にはちょっとうんざりしてしまった。私はどうも余計に勘ぐりを入れてしまい、余計な心配をも先にしてしまうので、それに気付いている夫は「あまり深く考えず、行けるとこいってこいよ」って背中を押してくれたのに、深く考えず行ってみましたが、失敗でした。健康状態について、どうこう指摘、質問してくるのは構わないが、自分のおしゃべりをおしつけてくるところだった。そんなのは整体し終わってから話して、聞いてくれって感じ。途中、やんわりセールスが入るが、以前の自分だったら相手の顔色気にして断れない自分がいたけど、最近は意識してそんなくせの改善につとめているので、頭の中で断ろう、断ろうと念じ、話も上の空。上の空にしている自分がまた自己嫌悪になりそうな悪いクセが出てきそうだったけど、しっかり踏ん張る。これがもっと自然に出来たらいいのになあ・・・。でも自分を守れたということで合格点はいくつか上げて次に繋げたい。技術的には悪くはないかと思う。自分の思っていた悪い箇所の指摘もほぼ同じだったし。ただ自律神経が以前は乱れていたのが、体の冷えとかきちんと感じ始めてきているのではという話は良かった。(今は冬場にトマトとか夏野菜、冷たい飲み物を摂るのは怖いもん・・・。寒気ぞくぞくきちゃくし。)精神的には安定はしていないけど、体の健康面は妊娠前よりとてもよくなった。(風邪ひかなくなったし、体調も良いし。)精神が不安定になったことは自分でも要因が結構見えてきている。これを脱すれば、もちろん楽になるし、今までの自分を脱皮出来るチャンスって思っているから、前向きになれる。これは時間をかけるしかない。_______昨日の続き。その頃、市の「ママ・パパ学級」で知り合った人と交流が始まっていた。主にメール交換が多かったけど、たまに割と近所に住んでいたのでランチしたりもしていた。あるランチをいっしょにしていた時、会う前夜に放映していた障害児の状況(内容は就学生活や専門施設での活動とか、だったと思う。)をNHK教育の番組を見た友人が「昨日、○○っていう番組を見たんだけど、おなかにいる子が自閉症だったら怖い~」って突然発言してきた。そう、その障害児は自閉症の人たちが取り上げられていたのだった。私の兄と同じ障害。他に、私を除いて他に二人いたけど、特に興味のない様子で、ただ一応の共感をしてて、その会話は終わり。その番組では健常児と障害児の教育場面はこう違う、どんな生活を施設で送っているとかが描かれていたのを、彼女は障害児であることに違和感を覚えたらしく、また障害児であることは不便だというのを感じたように見えた。でも、実際障害児がいる家庭の状況って何を知っているの?障害をもつ本人や両親には大変だねという同情が寄せられるけど、まわりにいるきょうだいの事って全然焦点が当てられない実情もあるんだよ。いっしょに育つきょうだいは自己を消されて、また自分で己を殺して生きていく現状もあるんだよって、正直叫びたかった。「妊娠」っていう人間的な成長である体験をしているから、少しは大人になっているんだろうかと期待もしていたけど、「障害は怖い」って発言されてしまったことにがっかりしてしまった。なんだかんだ悩みつつも、母のとある以前にした一言が脳裏をよぎる。「(自閉症児がいる家庭の)○○さんいるでしょ?そこのお姉ちゃん、お子さん生んだそうなんだけど、その子供、自閉症だったって」これを聞いた当時は「・・・・だから?私には関係ないでしょ」って思ってたけど自分が今度母親になろうとしている時に思い出すと、そんな発言をしないで欲しかったと母を恨む。そしてそのきょうだいもやりきれなかったと思う。時間が経って頭が冷えれば、母が生まれてきた子が自閉症児だったという葛藤をずっと持ち続けて苦しんできたのではないかとやりきれたりもするが、やっぱり悩み・不安は消えない。「障害」は必ず遺伝するものではないって(種類にも寄るそうですが)考えたりもしたけど、こんな悶々とした考えを夫にもかなり八つ当たりしたのを覚えている。自分だけが「障害者のきょうだいで育ってきたということで持つ特有の悩み、他の人はもっと楽に妊婦生活を楽しんでいるんじゃないか」とも思った。(同じきょうだい仲間に打ち明けたら、私も同じ風に考えるよって言われて余計にその思いが強くなってしまったこともある。解決するどころか)私は分娩する所を地元の病院に選んだ。自分が生まれて育った所で自分も子供を生みたいという気持ちもあったからだ。そこは普通の産婦人科だけど、住んでいる地域での病院ではようやくって言った感じでバースプランの採用も行われていた。バースプランを採用してもらいたいと申しこんだところ、看護婦長さんが対応してくれた。どんなバースプランにしたいか話を続ける内に、「何か分娩に対して不安とかある?」って聞いてくれた。迷わず、「自分のきょうだいに障害者がいます。自分の子供がそうであることに不安を覚えます」と答えた。私の両親はあまり兄の障害について詳しくは教えてくれていない。(これに限らず他のことにも秘密主義的なところがある)けれど、母が重い口を開いて、「お兄ちゃんの分娩の時、逆子って病院でわからなくって、普通分娩だったのよ。逆子だったら帝王切開だったのに。足から出てきたから、顔が真っ青でね・・・。なかなか泣かなかったし・・・。」この事実は知っていたので、簡単に伝えると「出産時のトラブルだったのね・・・」と聞いてくれ、「安全なお産になるようにあなたも努力してね」と言われる。その時、ぽろぽろと泣きながら話していた自分がいた。泣いて話したことですっきりした。何よりも他人に言えたことが嬉しかったのだと思う。陣痛から分娩まで、この不安、悩みが出てくることはなかった。(もちろんそれどころじゃなかったというのもあるけど)でもこの不安、悩みは分娩後も続いたのだった。
2006.02.07
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風があり、寒かった日曜日。無理せず過ごそうと決め、とりあえず予定していた買い物に娘と出かけ、その後ゆっくり自転車で散歩。公園に行こうかと思っていたけど、いつも無理にやりすぎる自分に気付き、うまくブレーキをかけられた。そして眠そうな娘を無理やり、昼食ととらせることなく、昼寝させる。眠いものは眠いんだもの。寝かせておけって感じで。午後、少しうだうだしつつも、自分に何か眠気というか、まったり感が出てきたので、テレビ・テニス番組(東レ・パンパシフィックオープン、ヒンギス破れ残念)を見るのをやめて、幕張へドライブへ。幕張新都心って平日はすっごく閑散としているが、土日は結構込み合う。(数年前までは土日もスイスイだったのに、少し不満)ここでも欲張らず、軽めにドライブして、お気に入りのスーパーでパンを買い込み車の中で娘と食べる。その後、「これは!穴場じゃない??」と自分では思い込んでいた、ビジネス街のビル内にある、スタバへ。らくらく路駐出来たし(ほんとはいけないけど店内も空いている。(カルフールに併設されているスタバはメチャ込み。見立ては当たった)目当てだったチャイ・ラテを飲む。自分ではあつあつでサーブされるのが好きなのだが、なぜかカップは熱くても、中身はぬるかった・・・。次回、熱めでサーブしてもらえるよう頼んでみよう。夕方、道路が渋滞する前に早めに帰路に着く。洗濯物を取り込み、たたんで、早めのお風呂。いつもあくせくしながら入るからゆったり時間を気にしないで入るのって良い。娘は相変わらずだったけど。最近試している、自然食料品店さんで購入した入浴剤(ほんとうは入浴剤じゃないけど)はやっぱり良い。溶かしたお湯で娘の洗髪もし、無理に石鹸で体も洗わない。(溶かしたお湯で十分体の汚れがとれるそうです。しかもお湯もやわらかくなるし、冷めにくくなる)この時期、肌が乾燥するけど、ほんのり落ち着いてきた感じ。お風呂に入っていると思っていたより、早めに主人も帰宅。夫も、早めに入浴を済ませていた。夕食作りにも参加してもらい、ほうれんそうのごまあえをつくってもらう。最近は単発で料理教室に通いたがっている夫。お掃除、洗濯は出来るのだけど、料理はイマイチである、彼。(別にできなくっていいんだけどさ)折角やる気出ているし、彼自身のためにもなるから、料理上達すすると良いね。(私もアレコレ口を挟まないように気をつけます)_____話は変わって、サブタイトルに入れていた「私の産後うつについて」。娘が生まれて2年経つけれど、今更だけど棚卸の意味で綴ってみたいと最近ようやく思えるようになった。もちろん、不幸自慢は織り込まないようにして。ひとまず産後うつの要因は、妊娠前、妊娠中からあった。1つは、自分が育った元の家族による不健全な原家族ルールに縛られていた「不健全な私」。でも出産・育児はそれを解き放つチャンスをくれたと思う。結婚まもなく、娘が授かった。仕事も始めたばっかりだったし、かなり動揺した。お互いの両親も結構喜ぶよりも動揺していたように思える。仕事を続けながらも、新婚まもない中、なれない家事をこなし、休みが夫と違うからすれ違う面もかなりあった。(話し合う時間が少なかった)なんだかんだ、しばらくして、仕事を辞めざる得なくなり、専業主婦となった。仕事に行かなくなった事で、社会から外れてしまったようで、寂しい気もしたけれど、妊娠しているという事実から体のことを思うと安堵感もあったのも事実。とりあえず、母になる準備も兼ねて、この時期は新婚なのだし、家事のことを勉強する時期じゃないかと自分に言い聞かせた。そんな中で出てきたのが「おなかにいる子には障害があるのではないか?」という大きな不安。こんな不安、夫にはなかなか言えなかった。もちろん親にも。(というか言ってはならない、タブーな発言であると分かっていた)友達にも言えず、その頃紹介されていた自助グループの会合に参加していて、ようやく他人にその思いを話すことが出来た。楽になったけど、まだまだ不安は残っていた。胎児の障害について出産前の調査について書かれた本を読んだりもした。現在ではその調査では知的障害の部類ではダウン症ぐらいしか判明出来ないらしい。でも自分は調査をしようと思わなかった。勇気もなかった。正しくは本にもあったけど、その調査をすることが胎児の人権を踏みにじるような気がしていたし、何よりも自分の兄の存在を否定するのと一緒じゃないかと思っていたからだ。何度も、おなかの子に障害があろうとも関係ない、あるとも限らないと自分に言い聞かせていた。でも不安はなかなか収まりきれなかった。この時の自分は鬱状態に近いものがあったと思い出すことが出来る。この続きはまた明日書きます。
2006.02.06
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予定より2、3日早く、月の物が来ました。(これは原因は特定できますっていうか、原因っていうより恩恵を受けたというもの)この事実にびっくりしていたら、それと同時に右肩に激痛。たまらず、しばらくは首、肩周りを自分ではぐしたり、ストレッチしたり。葛根湯飲んだり。最後はマッサージ屋さんに駆け込む始末でした。そこは街中にある普通のリフレッシュ系のマッサージ屋さんだけど整体もやってくれる。カルテをみながら、マッサージ師の方より指摘有り。「骨の関節がやたら固い。関節が固かったら、そのまわりの筋肉やらも固くなるのは当然。次回は整体を受けてみてください」との事。「何~??」とためらいも感じたけど、よくよく考えてみたらやっぱり出産後の運動していない時期が長い為、その付けがたまりにたまってきたのではないかということ。妊娠前はまめに体動かしていたし・・・・。ヨガも良いけど、もっと違う運動だ!と思ったのでした。(とりあえず水泳、ジョギングを開始予定。本当はテニスもしたい・・・。)そして月のものがきているので、ボールに乗ってしっかり骨盤周りを自分なりに動かしてみる。腹筋もしてみて体ポカポカ。月経血、たまった血がしっかり出て行くように期間中は継続してやってみることにする。____話は変わって、昨日は夫とデート?っていうことで外出。映画&外食を楽しみました。映画は「フライトプラン」サスペンスドラマって言った感じでしょうか。主演のジョディの演技も素晴らしかったけど、今の自分にどんぴしゃに響く台詞があったのでそれについて。それは飛行機内でジョディ扮する母親の6歳の娘が忽然と姿がいなくなってしまうのだけど、母親が娘を探しに探すのだけど、結末として飛行機に公安官として乗り込んでいた男が結局は犯人であり、ハイジャックを計画・実行していたのだった。犯人が明らかになった時、男は言う、「(結局は娘がいなくなろうと、密室である飛行器でいなくなったというのに)所詮、乗客は他人事だと」その台詞を吐いた時に我に返った。自分には他人と自分との境界線が欠落しているのが気付いていたけど、まだまだ気付きだけであって深い認識には至っていなかった。映画での話しではあるけれど、こんな大事件なのに、飛行機という密室なのに、みんなはいなくなった娘をみていない。頼るのは母親、自分自身。飛行機のクルーも機長でさえもうわべだけでのヘルプのみ。自分を守れるのは自分だけ。自分が期待しているほど、他人は助けてくれたり、望んでくれることをしてくれない。ってそのシーンを見て、うまく自分の心なかで線引きが出来た。私は友人、親、例え偶然町で出会った、困った人にでも、心配するのは自由だけど、助けてやる義務はないのだ。また自分が困っていたとしても他人に助けを求めるのは自分、知らない他人から勝手に歩み寄ってきたりするもんじゃない。その人の問題はあくまでも、その人の問題。私の問題ではない。私は子供であった前の家族では境界線が混乱していた。乱れていた。そんなことに家族は誰も気付かなかった。今は自分は自分で気付けた。これからは健全な境界線を自分で気付けばよいのだ。
2006.02.01
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