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日記の更新など、何ヶ月ぶりだろうか、最近では”ネタの種”にばかり集中していて、他の方には全く見向きもしなかったので、久しぶりに日記を書こうかと教室で、”楽天”を呼び出したまでは良かったが、”ログイン”迄来て、ハテ?パスワードが!…何てこった いくら考えても思い出せない……、思い浮かぶ限りの文字を、打ち込んでみるが、全て拒否。たしか申し込んだときのコピーがあるのだが、今ここにはない、家に帰らなきゃ続きはダメかと諦めて、改めて自宅でやり直している最中、なんだけれど、永いことご無沙汰してると、パスワードさえ忘れるこの頭、お恥ずかしい限りにて候。さて、何の話する積りだたったっけ?あぁ日記ネ!春爛漫。近所でも、町内会や実年会と”観桜会”の誘いが続々と舞い込んでくる。こりゃ当分花見続きで大変、身体が持つかな?と言った今日この頃です。 以上日記でした。ジャン々…。
2009年04月04日
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新津から喜多方までは、車だと約一時間だと聞くが、その間を3時間かけてゆっくりと汽車で走る「SLばんえつ物語号の旅」に教室の仲間と参加、新津駅から約3時間、喜多方駅までの旅は、(汽車とはこれだったのだ)という感覚を何十年ぶりに思い出させてくれた。窓から見える景色とそのスピード感 時々聞こえる汽笛、石炭の臭いまでが子どものころを思い出させてくれる、そうなんだこれが汽車だったんだ……思わず感慨に耽るほど素晴らしかった。今の新幹線はあれは一体何なんだ、目的には確かに早く着く、でもゆっくり飯食う暇もありゃしない、特に上越線と来た日にゃトンネルばかり、俺は自分じゃ地下鉄と呼んでるくらいだ。それに比べたら汽車は違う、駅弁もお茶もその他の食べ物や飲物、全部汽車のためにあるんだと改めて納得するほどSLにはそう言った物がよく似合う、長いトンネルを出た時ガラスが曇ってるのなんぞ芸術的でさえある、今回座席にゆっくり座って酒を飲みながら考えた 死ぬ迄にもう一度位これに乗る機会があるか?喜多方のラーメンもなかなかの物で、つい先日長岡でとんでもない物を食った記憶があるせいか、汁まで残さず飲んじゃった。いちご狩りはともかく帰りの磐越道は、地震の時の記憶が一瞬甦ったが、まあ無事に予定より早く小千谷へ着いたのは何よりだった。蒸気機関車は前から見た顔がいい、綺麗に磨き上げた姿はファンならずともキスしたくなるよう。汽車はいい SLはいいつくづく思った。汽車とは乗って楽しむ乗り物で 新幹線は目的地へ早く着くため利用する器機の一種でしかない と。
2007年05月13日
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今日は気持ちの良い上天気、教室はすずむしさんと二人きり妻の実家は今日法事、兄の四十九日である。あの日からもうそんなに経ったのか兄弟が全部集まると言う彼は酒豪だったが、きっと何かあるときには天気が良くなる様に不思議な力を持っているのだと思う そう言えば葬儀の日も良い天気だった、「彼は晴れ男」とは親戚一同の言葉。法事は自宅で行われるが、昼も夜もひとりで食事だろう今夜は義兄を偲んで思い切り一杯やろうかな。人間亡くなってから四十九日間は家族の側にいるという、もしかしてわが家の台所のテーブルに座って二人で一杯とは行かぬものかな そんなこと許す妻じゃないけど…
2006年03月04日
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前回の日記で紹介した<キリギリスさん>は全く別人Yさんのニックネームで、私がお邪魔したのはすずむしさんのお宅だった。お二人とも遊友の仲間で知人だが、ご両人ともニックネームが秋の虫だったのが間違いの元とは言え 責任は当方。とんだ失礼に心からお詫び申し上げる次第。スカイプを使うにはマイクが必需品、電器店に向かったが見る限り値段が高い、皆数千円だ、先生の話だともっと安いのがあるはずと、店員に聞いてみた。カタログを調べたら安いのも乗っていたが、取り寄せるのに一週間以上かかると言う。レシーバ付きで980円也をその場で支払って家で連絡を待つことに。折角繋がったが、一週間使えないか まあそれまですずむしさんから借りた麻雀でも楽しもうかな。
2005年11月02日
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今朝、夢舞先生から電話があり、私のパソコンにスカイプの設定をして下さるという。キリギリスさんにも知らせようと電話すると、ウチにも先生が来て下さるので家で待つという。午後、先生が見えて早速作業にかかられたが、あっという間に済んだ、これからキリギリスさんのところへ向かうと聞いたので、一緒に連れて行って貰うことにして、図々しくも 自分も一緒にお宅へお邪魔した。キリギリスさん宅も無事設定が済み、先生は先に帰られたが、それからまたしばらく自分だけ残っていろいろと話し込んでしまい、結局家へ帰ったのは暗くなってからだった。キリギリスさん ご迷惑でしたでしょうにごめんなさい、麻雀ソフトも借りて今日は忙しくも楽しい一日だった、スカイプを使うにはマイクが絶対必要だ、明日早速買いに行こうかなあ。
2005年11月01日
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今日も暑くなりそう、宣言はまだだが今日あたり梅雨が明けそうな気がする。しばらくは暑さと格闘の日が続きそう、ならの木さんが新しいホームページを立ち上げた様子、又日記が楽しめそうだ。教室も今月は今日が最後、八月は休みが混じるので毎週は来れない、と言うことは、恋ちゃんにも毎週会えないことになる、一週間に一度だが楽しみにして教室へ通っている、彼女も待ってたように喜んでくれる。これからお盆過ぎまで、リハビリ歩きも熱中症には要注意の日となるか?
2005年07月23日
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今日は土曜日、恋ちゃんに会える日、待ってたようにしっぽを振って迎えてくれる、やっぱり恋ちゃんは何時見ても可愛い。
2005年07月16日
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20日の総会では、新しい会則も発表になり、事務局員や会計も決まり、いよいよ教室がスタートする、これも又楽しみだ。地震の話で大いに盛り上がったが、ならの木さんが自分のパソコンで作った写真を持ってこられた。同じ写真が確か家にもあった筈と、探してみたら見つかったので、ここに出してみた。 地震の日、これもお花の城の建物の外で、ならの木さんが撮ったのである、これが全員ではないが、みんな穏やかな笑顔で、これから始まる悲劇などみじんも感じさせない。
2005年02月21日
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16日午前中の、ひさだはうす の大掃除は、なつかしい顔が大勢揃って楽しかったが、何より部屋が綺麗になってびっくりした、震災直後の惨状を見ているだけに、夢のようだった。やっとパソコン教室が再開できる、20日の総会が楽しみだ。話は飛ぶが、地震の数日後、船岡公園を歩いて、戊辰の役の官軍の墓が、ひどくやられているのを見た、前に写した写真があるのを思い出し、比較のため同じ場所から撮影した。Before この写真が役に立つとは…AfterI 今は雪の下…
2005年02月18日
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昨日、ならの木さんとキリギリスさんが、拙宅へ遊びに来られた。新しいパソコンが入ったので、見に来ないかとお誘いしたら、お二人揃っての来訪である、早速話に花が咲き、色々と談じたが、さすがならの木さんは機器の操作には一日の長があり、ホームページの写真はまたまた一から教えてもらう事に。もっと話がしたかったが、そうも行かず、夕方帰られたが、本当に楽しい一日だった。ご両人、どうも有り難うございました、又何時でもどうぞ。 那須の(お花の城)でならの木さんからシャッターを押してもらった写真である。日付でもわかるが、この数時間後、あの大地震がくるとは知らなかったとは言え、自分ながらのんきな顔である。
2005年01月29日
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早い物で、正月ももう三日、朝から晴れて気持ちがよい、今年がこんな年になるといいと思う。去年は悪すぎた、地震の時はパソコン教室の慰安旅行で、那須のホテルにいて、宴会中だった。小千谷が震源と聞いても、どうすることも出来ず只おろおろするだけ、情けなかった。翌日、やっと小千谷に戻ってみれば、至る所戦場さながらの、見るに堪えない変り様。我が家は何とか建ってたが、家の中は足の踏み場もなく、特に二階はひどくて箪笥が総崩れ、ノートパソコンとプリンターは、見事下敷きでペチャンコ、見たときは声も出なかった。遊友クラブでパソコンがなければ話にならぬ、何とかしなきゃいけないなと思ったが、すぐにどうなる訳もなし、一ヶ月以上パソコンに触れることなく過ごしていたが、不自由さに我慢がならず、新しく購入することにした。ならの木さんのお宅にお邪魔し、夢舞先生をお呼びして、無事だった彼のパソコンを使い、インターネットでパソコン、プリンター、ついでにスキャナーも買う事にした、すべて先生の判断で選んでいただいて注文したのが十二月の初め頃、二週間後には全部の品物が、我が家に届いたのである。そこで又、先生にご登場願うわけだが、お忙しい中、一日我が家にご足労下さって、プリンターやスキャナーと一緒に、パソコンもちゃんと使えるように、接続、設定して下さっただけでなく、他にも沢山のソフトを入れていただいた、先生この度は本当に有り難うございました。おかげで半ば諦めていた年賀状を作ることが出来ました、これも皆先生居ればこそです。今まで使っていたISDN をADSLに変えてもらおうと前から思っていたことだが、今回良い機会なので、それも決断した、後日NTTから担当の人が来て、全部やってくれたが、インターネットの接続は格段に早くなった気がする。地震のせいで、今回の総出費は決して少なくなかったが、家を失った人たちに比べれば、軽い方なのかもしれない、我が家は一部損壊で済んだのがから…何はともあれ、嫌な年は早く流して、新しい年に幸運を期待するのが誰しも思うことだろう。今年は酉年、良い運をたくさん取り込むように、期待したい物だ。
2005年01月03日
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明日は、遊友クラブの教室がある日だが、運の悪いことに、月一回の病院へ行く日と重なった、午前10時の予約なので行かざるを得ない。他の予約ならキャンセルするのだが、こればっかりは特別、 何しろ脳の半分が死んでるのだ、医者だけは一生つきあわねばならない運命。入院してからもうすぐ二年になるが、この頃は病状が固まったというか、特別悪くもならないが、後遺症の方も絶対これ以上改善しないと思われる。リハビリと称して歩いたり、その他良いと思うことは、幾つかやってるが、年の所為とも相まって、運動力、記憶力等は、日毎劣る一方の気がする。味覚も、何だか前とは、違ってきたような感じがする、主治医によれば、それが後遺症なのだと云う、そんなことばかり考えていると、生きてても仕方ない様な気がしてくる、いっそ無茶して即あの世へ、と思わぬでもないが、失敗して寝たきりになることを思うと、周囲の迷惑も気になる。ぶつかると云えば、町内の実年会で日帰りバス旅行、今年は24日で、那須旅行と一緒の日である、行き先は小布施で、去年行ってきたので断ったが明日の病院と教室も前から分かってた事、土曜日に云っておくべきだった。先生や他の皆さんには申し訳ないが、欠席とさせて頂く事に。
2004年10月11日
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フリーページに写真を入れたいと、常々思っていたが、デジカメもスキャナーも持たぬので、半分は諦めていた、とそこへ昨日、ならの木さんから電話があり、教えてやるから来いと云う、早速写真を何枚か持って午後から尋ねると、何ときりぎりすさんも居るではないか、三人でお茶をご馳走になりながら、しばらく談笑した、それからならの木さんが、伊勢屋の写真を、スキャナーで読みとりサイズを調整して自分のパソコンに納め、更に伊勢屋のホームページの画像倉庫に保存し、フリーページへ貼り付ける作業まで、実際にやりながら教えてくれた。こうなるともう、ならの木先生と呼びたくなる、手際の良さである。コメントは家に帰ってから、自分で付ける事にして、ひとまず終了としたが、それから後は、色々な話題で時を過ごし、気が付けばもう夕方になっている、雨の所為もあるが、秋の日は短い、暗くなった表へ出て、近くのラーメン屋へ入り、三人で味噌ラーメンの夕食を食べて別れたが、こんなに楽しかったのは久し振り。家に帰ったが、せがれは出張、女房は簡保の旅行で出雲、夜遅くならなきゃ帰らぬ。独りでする事はと考え、パソコンでホームページを出してみた、今教わってきたばかりである。ちゃんと写真が納まってる、流石ならの木先生、コメント入れるか。やってみると初めからは、なかなか旨く行かない、ああでもない、こうでもないといじっているうちに、だんだん形になって来た、やっとどうにか見れる様になった、と思った所へ電話が鳴った。ならの木さんからで、今ホームページを見たら、ちゃんとコメントが入っていたとの事。日記にもコメントがあって、褒めてあった。やれやれ一段落、やっと写真入りのフリーぺじを作ることが出来た、これも皆ならの木さんに教えた貰った結果である、ならの木さん本当に本当に今日は有難う御座いました。
2004年10月06日
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万歩歩きは景色の良い所を選んで歩くのが、疲れなくて良い。中でもこの、展望台から見る景色は随一と言えるだろう。 この日は生憎、見通しが悪くて、八海三山が見えなかったが春先晴れた日には、銀色に輝く三山が青空に眩く映えて、正にこの世の物とは思えない素晴らしさである。フリーページにもいくつか紹介したが、万歩コースは皆景色の良いところである。(続きを読む)をクリックすると写真が…
2004年10月05日
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トップページの写真は、山本の下の貯水池土手から眺めた船岡山である、木立に囲まれ盛り上がった場所がそれで、上空真上から見ると船底の形をしてる為この名が付いた。我が家の窓から、貯水池の土手がよく見える、と言う事は、今この土手から、我が家が見えても、不思議はない筈。写真、木立の切れ間に僅かに見える白い物は、この団地にある三階建ての家で、何処からでもよく見える、直ぐ其処突き当たり。万歩コースは山でも川でも、景色の良い所を選んで歩く、トップの写真もそうだが、景色が良いと疲れない、コースの中で特に良い景色の写真を何枚か写したが、デジカメもスキャナーも持たぬので、日記で紹介できず残念に思っていた、今日教室で、ここでも出来ると聞き、夢舞先生に御願いし、一枚だけトップに載せて貰うことが出来た、これだけでも素晴らしい事、やっぱり先生にかかれば、何でもOKだなとつくづく感じた次第である。写真はまだ、何枚か残っている、その内、何時かだが、皆さんの様にフリーページで、万歩コースの景色の特集として、紹介したい物だと考えている、この手の作業に慣れておられる、ならの木さんに教えを乞う事になるだろうが、出来るかどうか、自信はまだ無い。その節は”なら”さん 宜しくお願い致します。
2004年09月18日
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土曜日の教室での事、パルノアさんのバッグに付いたストラップが綺麗なので覗いてみると、小千谷のメッコンジサ(巫女爺)が描いてある。あんまり可愛くて欲しくなったら、傍にいた横町さんが「今展示中で行けば買える」との事、早速放課後、本町道の駅に急いだ、ならの木さんと一緒に。行ってみて驚いた、ずらりと並んだ人形達、全部本物で中越十カ所から、はるばる市50周年記念のため、祝いに駆け付けてくれたのだ。こんなに種類があったとは知らなんだ、小千谷だけでも横町の他に片貝、千谷、三仏生、他にも長岡三カ所、越路二カ所、小国にもあったのだ。それぞれ独特の趣ある風貌で、デンと座った爺さ、アネサ(巫女)とペアのも居れば、独りの者も、横町のアネサの姿が見えないので、聞くと、彼女背が高過ぎる、天井がつっかえてダメ、横町で留守番してるとの事だ。十月三日(日)市民会館でサミットがあり、ここの人形全部に魂が入って舞う姿が見れる。メッコンジサの歴史等は、横町さんのホームページに詳しいので割愛するが、一見の価値はある。記念に貰ったパンフに保存会の名簿があり横町さんの名前がちゃんと有った。当日の熱演やさぞ、と熱望。巫女爺印のTシャツも売ってたが、キイホルダーが欲しかったので、丸いのを二個買って帰った。デジカメのシャッターを押し続けていたならの木さん、さぞ傑作が撮れたでしょうね、近いうち日記で拝見できると思いますが、今から楽しみです。
2004年09月12日
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帰って何日かまだ旅行が頭にある、土産の地酒、蒲鉾を毎日少し出して、その都度今日も楽しめる。半世紀ぶりに逢った女性から伊勢屋さんと呼ばれ酌をされ、顔を見れば中学の面影が必ず何処かに残ってて、直ぐ昔話が出来る、これも同級生なれば、である。やっぱり行って良かった。10分程家を空けて帰ってみると、家の横に乗用車、確かあれはMの。と思ったとたん「待ってたよ」 笑顔のMが現れた。来るとは聞いたがこんなに早く「どうぞ さあ」引っ張る様に家へ上げて、挨拶もそこそこ積る話の応酬が始まった、女房は邪魔。一区切り着いて近況になった、Mの妻は洋画家、群馬前橋の出だが小千谷の風土がいたく気に入り、この地に引っ越して画廊を建てたいと迄惚れ込んだとか、彼も五年を目処に土地を物色中だと話した。又、妻の絵の号価(画家のランク、一号は葉書の大きさ)は20万円海外で入賞も、と立派な写真集を見せた、身長を越す大作の羅列。和服姿で体格のいい奥さんが、並んで写っていた。車の中に何点か作品があるらしい、買っても飾る場所のない我が家なので見なかったが、彼も画商、絵の話には終りがない程の長談義を繰り広げた。旅行で同室の男の言葉は本当だと思う、いいではないか、Mは立派だ、妻の絵を堂々と評価し、一銭も負けぬ。これが画商の本道なのだと感じた次第である。一人で片貝まつりに来たらしい、今夜は直ぐそこの実家に泊るという。帰った後で女房が「Mさんあんたより十歳は若い」とぬかした。本当だ、現役で商売してては老ける暇はない、年金暮しと比べるな!土産に貰った人形焼きを食べながら、籤で当った景品の小箱を開ける。象牙の鑑定書付きの、タイピンだった。舌切り雀、大当たりッ!Mの云う通り小さなつづらの中味は宝だった、Mサンキュー 又ナ…。
2004年09月10日
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ホテルの玄関は臨時の受付に早変わり、東京の幹事は皆忙しく立ち回っている、Mもその中にいて、対応に必死である。旧友との久々の対面、無理もない。彼と眼があったが「又後で!」合図だけ交わして部屋に直行。5階536号室5人部屋、一先ず楽座。風呂は屋上11階露天、本当の温泉で、階下の大浴場はここの湯を再加工した物と聞いて、皆こっちに入りたがって大賑わいである。相模湾と熱海の街を一望できる、夜景が良さそう、疲れも飛ぶ。待つ程に宴会の連絡、席順の籤で4の席へ座る、五十数名の同窓生が一堂に会して、今宴会の幕が切って落とされた。乾杯ッ!待ってた様にMが隣に馳せ付けた、無言で握手、ビールを注ぎ合う、コップを合わせて一気飲み。たったこれだけで、卒業以来五十年逢わなかった二人の距離が、一瞬にして友達に戻る。男はそれで良い。Mが画商と聞いて驚いたが、平和に暮らして孫も一人と聞き安心。奥さんが絵の塾を開き、子供に教えてるとは何とも感心の限りだ。宴会の最中地震が来た、揺れはしたが誰も騒がず。震度3位か?天神囃子を皮切りに、クラス対抗歌合戦など賑やかさも最高潮。余興の籤引き、座席番号で決る、中味は秘密で大小の包が並ぶ、4が出て取りに行くと、幹事のMが耳元で囁く「舌切り雀。小さい包を選べ」煙草の箱位の小さな包を選んで懐へ、帰宅迄開けない。10時だがもう散会、皆スパッと切りが良い、これも年のせいかナと。思って部屋へ戻ったら、隣が二次会場だった。壁一枚で大騒ぎされては煩くて、当然、仲間に入るしかない、Mも居て飲み放題、となればエンジン全開、昔娘で今母ちゃんの酌も手伝って、飲むわ語るわ、隣の部屋へ戻たのは、覚えてないが夜中過ぎ、一気にグウー!朝目が覚めると、部屋の五人共何時に寝たか覚えナシ、全員二日酔。冷蔵庫のビールで迎え酒してバイキングの朝食へ、9時出発を待つ。車で来たMとはここで別れ、近く小千谷にくるという、再会を約した。雨は降らぬが曇り、十国峠に来ても富士の姿はナシ、箱根へ来て富士が見えぬとは誰か何か?と車内は賑やか。関所跡から芦ノ湖へ。船を下りると正午、たまに陽が射す、天気は回復に向かっている。午後大涌谷に登る、谷だけど山、臭い蒸気があちこちに、急斜面を必死に登った所に名物の卵がある、墨と同じ黒い茹卵、記念に買う。万歩歩きのお陰で登れたが、途中リタイアも多く居た、きつい坂だ。箱根マラソンも近くを通ると言う道、下った先は小田原、蒲鉾が有名。何名か居た東京組、ここでグッバイ。あとは首都、関越、小千谷へ。意外と道が混まない、バスは快調酎ハイ、ビールは飲み放題、いくらでも在るしいくらでも飲む、トイレ休憩もつい多くなる、話題はもっぱら東京組の噂、同室の男にMの画商の話をすると、彼曰く「Mは妻の絵を売る、あの程度の絵は何処にも有る、義理で一枚買ったが彼、全然負けぬ」とこぼした、そんな物かと思ったが、近々小千谷で会う。その時どんな話をするか楽しみに、外は暗く、バスは関越、小千谷迄カラオケ大会、酔った勢いで、「六甲おろし」を力一杯、怒鳴った。良い気分だ。六紀会の旅行、楽しかった。来年は、 東忠かナ…
2004年09月09日
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六紀会の旅行、初老の同年男女がこれ程揃う旅行も珍しい。出発は全員小千谷住人、殆ど顔見知り、初めての母ちゃんも居るが、良く見れば昔の顔を思い出す、「お早う、今日も宜しく」位の挨拶で36人、バスはサンプラ8時半出発。敵は雨、絶景の関越が行けども行けども霧の中、谷川も、赤城も、浅間も見えぬ間に過ぎて、都内に入っても雨の中、でも外とは無関係に車内は盛り上がりっぱなし、もうすぐ浅草へ着く頃。昼食の場所が、雷門の傍で”ゴロゴロ会館”正午着の1時出発、浅草寺は少し離れてて、仲見世は更にその先、時間的にお詣りはタッチするだけ、見物は無理、それでも何人かは向かって行った。都内からベイブリッジ横浜を過ぎ、小田原を過ぎても雨は止まぬ、日本一の美景東海道を走るには、残念すぎる雨だが、視界ゼロでもバスの中は又別世界、話に花が咲きビールに手が伸びる、同乗のガイドが優秀で、歌は強要せず、下手なギャグは決してとばさず、黙る所は黙る、でも肝心な要所の説明は、流石プロと唸らせ飽きさせない、旅行の楽しさ、半分以上はガイドの善し悪しで決まるとは、本当である。雨が上がった時、静岡県に入っていた、熱海は直ぐそこ車内は宴会。寛一お宮の銅像も、見たのかどうか忘れた程、昔話に皆夢中、でもバスがホテルの前に着けば、あれだけ飲んでた全員が、シャキッとした顔になるのは、流石というか、もうと言おうか、年なんだなみんなが。東京の連中は、現地集合が原則で、もう玄関先に全員並んで二十数名が出迎えている。さあ着いたぞ。六紀会の小千谷組が、只今。 Mは居るかナ?
2004年09月07日
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今日の教室は、九月に入って初めて。新しいクラス編成の、第一回目、初対面の人も何人か。HTMLの講義の後は、日記の更新をすることとなった、遊友クラブ秋の旅行は、本日那須高原に決定した。候補を3ヶ所あげ、投票で競ったが、那須が一番多かったらしい、参加者も去年を上回りそうで、今から楽しみである。
2004年09月04日
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出た腹を引っ込ませる努力を覚悟して三日目、そろそろ良い頃と思い、ズボンを出して穿いてみた。チャックも閉まる、バンドの穴も思った通り、完了。それを見て「みっともないその腹、旅行になんか行くな」と迄放言した デカパイ女 一言もナシ。脂肪が多く付いて太ったのではなく、局部的に腹だけ出ていたのだから、引っ込めば元に戻って当然、理由は簡単。腹が出てたのは、腸内に充満していた、食餌の残留物の所為言うも憚るが(決して綺麗な話ではないので)今までは、オナカにウ○コがいっぱい詰まってた事なのである。家計簿にレシートの数字を入力してたら、目の前の電話が鳴った、取ってみると、何と驚くではないか。あの、懐かしい、”M”からだったのだ。彼は今回の同窓会、東京側の幹事で、小千谷の参加者の、名簿の中に、伊勢屋の名前を見つけ、懐かしくてたまらず、電話したと言う。懐かしいのはこっちも同じ、一体何十年振りで聞く声か。思わず涙ぐみそうになるのを堪えながら、数日後の再会を約して別れたが、いよいよ明後日Mに会えると思うと、毎晩そればかり考えて、なかなか眠れなくて困る。彼の云うとおり、人間、この年になると、何時何が起きるか判らない、またとない絶好のチャンスを逃すなかれ! だ。Mよ、行くぞ!待ってろよ。ああ楽しみだなあ9月5日が。
2004年09月03日
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体型について、まず女房から、彼女、グラビアアイドルも逃げ出す巨乳である。若い頃ならいざ知らず、停年過ぎた今、顔と不似合い、最近ドックで医師が胸を見て、乳児が居るかと聞いたと言う。それを聞き、飲みかけの焼酎を全部吹くほど笑ったが、還暦過ぎたいい婆さんが、胸だけは痩せず。大きい。目立つ。第一不釣合い。今度の日曜、同窓会で熱海へ旅行に行く、支度の準備をする為ズボンはどれにしようかと、出してみた、今の季節に合う生地で色違いが五本ある、穿いてみた、一本はどうしても腰が入らず、断念。残り全部は、どうにかファスナーを閉め、ベルトを締めて穿けたが、女房曰く、「醜い、鏡を御覧。」 言われなくても自分で判る、下腹が出て、横から見たら見事なB型である。去年退院直後、どれも割と楽に穿けた筈、こんなに太ってたのか。毎日風呂の鏡で見ても、下腹の出具合は気になってたが…思い切り息を吸うと、曙を連想する体型になるが、股から下は普通。手や足は太くない、腹だけポンと出ている、子供の頃から極端なS字型体型だっだのが、影響してるのも確かだが、太った事は否めない。再び女房、「食っちゃ寝の生活が元凶、恥かしいから旅行は中止」自分の巨乳を棚に上げて、恥かしいのはどっちだ、全く。脳梗塞を患って以来、運動は全く止めた、毎日一万歩歩いても、卓球する程汗はかかぬ、決して食っちゃ寝ではないが、運動が駄目なら、痩せるには食わぬ事、これしかない。ここで一大決断、旅行まであと僅かだが、あのズボン、穿いてみせる何、その気になれば、方法はある、少し無茶だが必ず成功する。見てろ巨乳め!
2004年08月31日
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昼近く散歩の帰り、ちょうど先日火事で全焼したラーメン屋上山食堂の前を通りかかったら、後始末の真っ最中だった。店のテーブルも椅子も、飲み会に使った二階の部屋の畳も、真っ黒な大山のゴミと化し、重機で細かく潰され、トラックに積まれるところだった。紺の暖簾と、岡持を持ってバイクに乗ったおやじさんの顔が目に浮かぶが、ちょっと待てば又、直ぐ食べられる様になるな。同じ町内だがここは三丁目、もう少し船岡山寄りの裏通りが二丁目で、神社がある、その神社の真ん前、五メートルと離れてない所に、伊勢屋の生まれた家がある、明治時代に建てた家で、住んでた頃の固定資産税が、年千円納めれば、お釣りが来る程の、やっと立ってた古家だが、山の上に新築した今の家に来てからも、下の家に入った人は、増改築もせず二十数年間、伊勢屋が生まれた家を、そのままの姿で保って来て呉れた。あの家のことなら、柱の傷から、トイレの壁の落書き迄はっきり覚えている、そばを通る時いつも懐かしく思ったものだった。下の家を重機が壊していると女房から聞いたのは二三日前の事。一瞬考えた、そして自分に言った。 見に行くな!生まれ育って四十年、住み続けた家が今消えようとしている。戸や障子も、間取りも昔の儘だとは、通るたび見て知っている、重機の大きな爪で捻り潰された、母を初め家族の暖かい想い出の無惨な残骸は見たくない。行くな、絶対に後悔するぞ!焼け跡を見た帰り、神社の前に行ってみた。塵一つ落ちてない。綺麗である、テニスが出来そうな、平らな四角いただの地面だけがそこにあった。 良かった、見に来ないで。あの昔の家は、これからいくらでも、夢で見られる、しかも昔の儘の姿で。いささかの安心感を抱いて帰宅したが、ちょっぴり寂しいのも嘘ではない、家が無くなる事は?… 後で焼酎でも飲みながら一人で考えよう。【前回の訂正】ー BSAは誤り=正しくは”BSE”(狂牛病)
2004年08月27日
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長嶋ジャパンが負けた、それも選りに選って豪州に二連敗。明らかに嘗められていた、決勝前にキューバとやって金が飛ぶのを恐れ、日本と当る様、カナダに負けたのだ。11-0で、 豪はわざと… 日本こそ、いいつらの皮。長嶋監督が、アテネへ行けなくなった時点で、JAPANは監督を代えるべきだった、むろん代わりは王しか居ない。プロの集まり、年収何億以上の選手が、中畑如きの言う事を素直に聞く筈がない、王なら年収は別に、国民栄誉賞が、皆の頭を下げさせる、監督は人間的に偉くなくちゃ駄目。松坂がいくつ三振を取ろうが、大事な所で打たれては、駄目な事に変わりない。全員がプロの筈、なのにあの打撃は何だ、高校生だってもっと打つ、弁解無用、強いから勝つ、弱いから負ける、結果が証明。アメリカが居ない今回は、キューバさえ倒せばと内心は…愛国心も大事、ウイリアムスなど阪神からの出稼ぎだ、なのに自国の為ならあの投球、仙一が褒める出来栄えだ、由伸などは阪神戦で彼からサヨナラアーチしてるのに、かすりもしない。パ・リーグの面々も、あっさり凡打の連続で見てられない、大和魂は何処へ消えた、全員坊主頭を命じたい心境であるが選手自身が誰よりも判っている事と思う、五輪は終った、完全に。もうTVは見なくて良い、今カナダとやってるが、銅メダルなど要らない、犬に呉れてやれ、それ程金に賭けてたのだ、今回は。たとえ男のマラソンで、入賞しても全然喜べない、BSA問題で今牛肉は豪が頼りだが、店屋で肉を見る度、当分、豪を憎む事に、女子のソフトと共になりそうである。
2004年08月25日
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小千谷祭りの、花火を見てみようと思って、一人で歩いて河原まで出かけていった、夜8時少し前、アテネの野球が終わった直後である。花火は8時から、河原へ着くと同時に始まった、昼間のうちに見当を付けておいた観覧席は、満員で座れないが、隣の招待席は空いている、如何にも招待されたような顔をして、空いている場所へ座り込んだが、誰も何も言わない。一人は気楽である、真っ正面から打ち上がる最高の席。暗い中でやけに携帯が光る、みんなカメラ付きの奴で、花火を写しては見せ合っている、若い女の子ばかりだ。頭上で開くので、上ばかり見ていると疲れる、ゆっくり寝転んで見るとしよう。三尺玉は、まだ本物を見たことがない、何時上がるのかな。九時丁度、アナウンスがあって、これから上がると言う、確かあっちの山の上だと聞いていたがと、見ていると成程上がったが、遠すぎて迫力に欠ける、これなら傍で上がる二尺玉の方が、ずっと凄い。三尺は二度上がったが、二発目の方が良くて、遠くてもさすがだなと思わせた。スターマインは、どれも全部おとなしくて、規模的にはやっぱり、片貝には遠く及ばないなあと思ったが。錦鯉の仕掛けは面白いと思って見た、一番最後の出し物、市民総参加のスターマイン。これなら日本中いや世界中、何処へ出しても絶対に、胸を張って自慢できると確信した。帰りの街の混雑は想像し難く、揉み苦茶になってやっと家に着いたのが十時、来年も懲りずにゆくんだろうなあ…
2004年08月23日
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毎日アテネへばかり行っていて、すっかり日記が休みになってしまった。いい気になってTVを見ているが、考えれば一晩中電気をつけてる訳だし、眠気覚ましにコーヒーをガブガブやる。次の日は体調不良で、昼寝ばっかり、毎日同じ事の繰り返し、体にも良くないし、電気料だって馬鹿にならない。それでなくとも、八月はお盆などあって、物入り月なのに。Excelの勉強で、家計簿を付けているが、月末に集計して支出の多さに驚いても、もう遅い。今月は車検もあったし、病院の薬も二ヶ月分出て高かったし、赤字は目に見えている。そんな事判っていても、アテネの楽しさは、又別の物。今日も又、懲りもせず、取れないメダルを応援する。野球、柔道、水泳、ソフト、ビーチバレーにアーチェリー、負けるシーンばかり選んで見るのも、結構面白い物だと、これは新発見。
2004年08月20日
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お盆と一緒に夏も終わったかと思うほど、急に朝晩涼しい、慌てて掛け布団を引っ張り出した。毎年蚊に悩まされるので、今年も日記に書こうと思い、蚊に関するトリビア(ムダ知識)を用意したが、出番ナシ、「血を分けた身とは思はず蚊の憎さ」(文草) とか漢字の、蚊の虫偏の文は、羽音のブーンだとか である。ヘソを出して寝ていても、一度も被害なし、蚊は一体何処へ?昔の想い出に浸ろうと、線香を点けたら、女房曰く、蚊も居ないのに線香を点けるのは、脳梗塞の後遺症で頭が変になった証拠、この頃歩きもしないで酒ばかり、腹も出たし体重も云々… 煩いこと、うるさい事、だから女は …。連日アテネで賑やかだが、メダルもこんな物だろう。夜中だったが、卓球の愛ちゃんが、あんまり可愛いのでつい応援してしまった、相手の女性もメゴかったが。…緒戦を制したので、先ずは一安心、さて寝るか、テレビを見るときは、女性 それも美人が最優先である、蚊が居ないと本当に楽、 もう秋だもんなあーー 。
2004年08月16日
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八月十五日は伊勢屋にとっては、特別に縁のある日である。お盆の中日と同時に、終戦記念日でもあるが、それよりも何よりも伊勢屋自身の誕生日なのである。今日で何歳になったかは正確には?だが、もう七十路も近いことは間違いない、平均寿命から逆算してあと…X年か。とてもそんなには生きないだろうなあーもう一つ、伊勢屋にとって、8/15 は父親の祥月命日なのである、2歳の誕生日に居なくなったのだから、父の顔は全然記憶にないが、考えれば奇縁である。伊勢屋には兄が居て、一月一日生まれである、弟が産まれた時「盆と正月が一緒に来た」と言って周りが騒いだとか。当の本人には、ちっとも目出度くない半生ではあった。次男が後を継ぐことを、この辺では”おじ直り”と言う、多少、軽蔑の匂いが、しなくもない言い方である。伊勢屋が正にそれで、古家を引っ被り、近所親戚の、細かい付き合いを押っつけられて、と兄を恨んだこともあった。この年になれば、もう過去のこと、何がどうでも構わない、墓参に行って祖先の霊を家に迎え、僧侶が来て経を唱える。香の香を嗅ぎ、今年もお盆かと感じる、毎年の行事である。焼酎を飲み過ぎ女房に睨まれ、誕生日だぞと威張ってみる、平和と言えば、これ程の平和はないだろうが、 小さい小さ過ぎる、こんな事で、仮にも満足してるなら ーーやっぱり おじ直り はこんな物でしかないのか …… 。話は全然違うが、昨日夕方、上ノ山のラーメン屋、「上山食堂」が全焼した。原因調査中、小千谷で一番旨いと確信してたラーメンが、当分食えなくなったが、なにしろ金持ちらしいから、遠からず新築するだろう。何てったって旨いんだから、上食ラーメンは。
2004年08月15日
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ただいま教室にて授業中、ここで日記を書こうとは思わなんだ。いつも乗ってる軽が車検で代車に乗ってきた、同じアルトだが新しいし乗ってて気分が違う、今回は直す場所が多くて、出来上がるのはお盆すぎ、料金もかなり上回りそうである。タイヤも交換の時期が来ていて、潰すつもりでまだスノーをはいている、まさか車検にこんなに金が掛かるとは思ってなかったので、夏用も新しくするつもりでいたのだが、とんだ誤算で、予定の数倍は掛かりそうだ。軽の保険も九月早々に満期で、又金が要る、同窓会もある。伊勢屋の財布は今、嘗てないほどの大ピンチである、残暑は相変わらず厳しく、連日頭が痛いのに、正にダブルパンチである。
2004年08月10日
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暑くて筆が進まない。朝日新聞歌壇俳壇の入選句に「昨日今日日記一行梅雨深し」(愛媛・高石幸平)とあった。同感を表そうと、盗作一句。『今日明日と日記怠けて猛残暑』【伊勢屋】
2004年08月08日
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こう毎日暑いと、何もする気が起きなくて、涼しい部屋でダラッと寝ころんでテレビばかり見ている、これではいかんと思いつつも、パソコンの前に座る気にならず、日記の更新もつい滞りがち、今日はたった今、高校野球の開会式を見たばかり、この爽やかな気分が、薄れないうちにと思い筆を執った。もう一週間足らずで、アテネ五輪が始まる。テレビでも新聞でも、全部の選手が、もう金を取ったかの様な、言い方である。マイクとカメラを突きつけて、嫌でも「金を取ります、絶対!」と言わせる、言わされた選手の気持ちを考えると、可哀想で涙が出そうである、家族も親戚もいるだろうにそれだけでも、十分に心の負担である、その上、日本中に向かって放言したも同じなのだ、この重いプレッシャーを何人の選手がはね除けて、本当に活躍できると思うのか。連日朝から晩まで、メダル金メダルと騒ぎ立ておいて、取れなかったら、俺のせいじゃねえよ!と横を向いて知らん顔を決め込むのは判っている。選手の秘密に関する事までも、秘話と称して報道する。こんな事は、本当にメダルを取ったらすれば良い事で、もし取れなかったら、お騒がせ致しました、と頭を下げて誤って貰いたい、プライバシーも大切である。みんな期待はしているが、誰も信用はしていない。これが日本選手に対する、正しい見方だと思う、お祭り騒ぎは度が過ぎると、馬鹿に見えるので、要注意。テレビに向かって言いたいことの一端。
2004年08月07日
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学校を卒業して、何年くらい経ったろう。伊勢屋は地元の機屋に就職し、それなりにやっていたが、Mの行方が不明なのが、気になった。中学を終える頃から、急に性格が乱暴になり、伊勢屋さえ避けるようになって、心配していたのだった、実家は近所で、彼の家族にはよく会うが、何か遠慮で、消息も聞けなかったが、そのうちに町の飲み屋で、バーテンをしてるという話が、耳に入った、評判の良くない店で、程なく閉まったが、彼の姿も何処かへ消えてしまった。「ママとMが一緒に逃げた」と言う噂だけを残して。それから又時は流れた、伊勢屋も子持ちとなり、毎日が忙しいある日、情報屋の知人から、「Mが東京で殺された」と聞いた。死んだではなく、殺されたとなると…一瞬、笑いながらシェーカーを振る、Mの姿が頭に浮かんだが、彼が危ない世界に身を投じたとは、どうしても信じられず、自問自答の日が続いた。今回、東京の幹事の中に、Mの名前を見たとき、今年は行こう!と決めた、一泊二日のバス旅行だ、朝小千谷を発って、昼浅草に着く、関東の仲間を乗せて一路熱海へ、夜はホテルで宴会。翌日は箱根、芦ノ湖や大湧谷を楽しんで、小田原へ来たら関東勢とはここで別れ。バスは更に東京を回って関越から小千谷へ。東京の会社のバスが、サンプラ前まで迎えに来ると言うが、小千谷から何人くらい行くのか知りたい。地元の連絡幹事に電話すると、多勢行くから君もどうぞとの事、早速葉書の、出席に○を付けて投函、9月5日が待ち遠しい、もうこの世にいないと思っていたMに、きっと会えると思うと、今から胸がワクワクする思いである、こっちも倒れてしまってヨイヨイだが…
2004年08月03日
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伊勢屋の元へ、同窓会の通知が来たのは、7月の初め頃だったと思う。出欠を問う葉書が同封された厚い封筒だった。小千谷中学校 谷中の第六回卒業生は、「六紀会」と名乗り、毎年同窓会を行ってきた。初めは市内の料亭が会場だったが、いつの間にか温泉旅行、それも一泊となり、前日の昼間はゴルフが定番となった。が興味のない物は知らん顔、ここ数年ずっと欠席だった、今回も大した期待もせず封を切った、今年の幹事は東京六紀会で、ゴルフなしの温泉旅行である、それは兎も角、そこに伊勢屋をアッと驚かせる事が、書かれていたのだ。それは東京幹事の中に、忘れもしない”M”の名を発見したことである。Mこそ中学時代、一番仲の良かった友達で、実家は直ぐ近所、今も同じ場所に、Mの兄に当たる人が立派に後を継いで健在である。伊勢屋とMは中学時代、ずっと同じクラスで、毎日学校から帰っても、どちらかの家を必ず尋ね、二人で遊び歩いていた、勉強などはそっちのけ、当然成績は最低、午後の授業はサボって、ひばりの映画を観たり、Mの部屋で煙草を吸って、親に見つかり叱られたり、歌謡曲の歌詞を競争で覚えたり。大人びた事には、何でも直ぐ手を出す年頃だった二人、食堂へ入って、当時珍しかった「中華そば」を食った味は、今も強烈に残る。Mの話はもう少し続く…。
2004年08月02日
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この団地は山の上にあるだけに、草むらや藪が多く、その分蚊も多い。早い年には六月の末と言えば、もう蚊の心配をしなくてはならない。寝室は二階にあって、窓を開ければ涼しい夜風が、本当に気持ちよい、その代わり蚊の出入りも自由である。うっかりそのまま寝て、夜中に痒くて目が覚める、電気を点けて見回せば、血を吸いすぎて動けなくなった、グミの様に赤くふくれた蚊が、障子に停まってる。この野郎!とばかりティッシュで潰すと、障子まで赤く染まる、痒い所へキンカンを塗りながら、渦巻き線香を取り出す、これで朝まで安心である。と、これは去年までの話、今年は事情が違うのだ。一向に蚊が出てこないのである、この夏未だ一度も蚊取り線香の世話になっていない、自然の風が気持良いので、窓を開けっぱらって寝るのだが、一度もあのプーンと言う嫌な音も聞かないし、朝まで刺されて目がさめたこともない、一体どうなってんの? 今年は。以前と比べて、下水道も完備し、側溝の排水も良くなりその辺に水溜まりが無くなった。隣組の草刈りや、掃除、消毒も効果があったのかも。何れにしても、未だ家の中で一度も蚊に刺されていないなんて、今までこんな事、あったろうか?蚊の居ないのは誠に結構、でも少しだけ寂しい事がある。蚊取り線香の匂いをかげぬのが、それである。あれを嗅がないと、夏が来た気がしない、子供の頃の想い出もあり、毎年の楽しみだった蚊取り線香、今夜あたり蚊が居なくても、焚いてみるか。
2004年07月30日
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夏になるのを待ってたように、蚊が現れる。これから眠ろうとする時、耳元で響くあの不快な羽音。ああ又かと思いながら、蚊除けを取り出す、最近は電気式の物も出ているが、あれは好きじゃない。と言うよりダメ、蚊取り線香でなくっちゃあー 。あの渦巻きを取り出して、火を点けた時の煙と匂い、ああ今年も夏が来たんだな、とつくづく思う。真冬に嗅いでも夏の匂いがするから不思議。と同時に変な話だが、必ず母と祖母の顔が目に浮かぶのである、この匂いは想い出につながる。子供の頃、昔の古い家の時代だが、あの頃は環境も、衛生的にも今よりずっと蚊が多かった、何処でも蚊帳をつるのが普通であった、夏の夜暗い電灯の下、母が西瓜を切って持ってきたのを見るや、蚊帳から飛び出して行って、祖母、兄、との四人で西瓜を囲む。むせる様な香取の煙と香り、昔の線香はそれ位焚かないと、蚊が逃げなかったのだ、線香臭いのと西瓜の味が、子供の頃の強烈な想い出として、頭の隅にずっと残ったのも無理はないのである。平成の今、夏でも戸を締めて、エアコンを効かせれば、蚊に邪魔されずに眠れる、でも やっぱりあの子供の頃が懐かしくて、毎年蚊取り線香を持ち出す。窓を開ければ、涼しい夜風が入って、クーラーよりも気持がいい、線香の匂い、ああ夏だなあ、子供の頃の事、母の事、祖母の事、他人には判らないこの気分。金鳥さん、今後とも宜しく。
2004年07月27日
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我が町内にも「実年会」がある、夫婦で入っている人も多い。会則、総会、役員改選、事業計画、予算、等々あるが、はっきり言って、中年の飲み仲間の会である。何をするにも、必ず後に宴会が付くのだ。昨日日曜日は、実年会夏の生ビール大会であった。昼間はソフトボールで汗を流し、4時から飲む予定との事である。倒れる前は、いつもソフトに参加していたのだが、入院以来、球技も出来ないザマとなった。飲む方だけの、参加でもOKかと聞いたら、そっちの方も、大勢居るのでどうぞ、との事、ならばと午後を待つと、だんだん空が、怪しくなってきた、遠くで雷鳴もする、テレビで、六日町と十日町に警報が出たという、こっちにも来るかと思いきや、音はするが降る様子はない。空夕立ならそれも良しと、会場の広場へ向かった。当番が待っていて、公民館に変更になったと言う、飲んでる最中に、降られるのは誰も嫌、そう言えばさっきより暗くなった、直ぐ目の前の公民館なら安心である、行ってみるともう多勢が集まっている、早速飲み始める。ソフトはダメでも、こっちなら対等につき合える自信はあるので、気の向くままジョッキを重ねた、枝豆をつまみながら ああ旨い… 。急に夕立が来たらしい、やっぱりねえー などと話し合っていた、その時である。目の前が ピカッと輝いた瞬間、公民館の二階の床が持ち上がるようなショックと共にドカーンと言う大音響、同時に広間の電気が全部消え、何処かで何かの割れる音、一体何事が。宴会の最中、正気の人の方が少ない中突然の変事、間もなく電気は点いたが、クーラーは未だ停まったまま、電器店のプロも居たので、診て貰ったが良く判らないとのこと、ごく近所に落雷したんだと思うが、そんな高い場所あったかなあ。飲み始めて二時間半、樽を何本空けたろう、まだ終わる気配もないが、そろそろ失礼しよう。いつの間にか雨は上がった、それにしても、凄い夕立だった。
2004年07月26日
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全国に名水と名のつく水は数多い、この辺では栃尾の 杜々の森 や、津南の 竜ガ窪 が有名で、我が家でも名水を愛用している。竜ガ窪の水で、無くなるとその度汲みに行ってくる、飲み慣れるともう水道は口に出来ないが、なにせ津南は遠い、去年初めて女房と行ってみたが、往復二時間以上かかる、山の中だが半ば観光化していて、駐車場の売店で、水汲み用のポリ容器を売っていた、それに汲んで持ち帰ったのだが、遠かった事だけ印象に残った。もっと近くて、良い水が出る場所はないか、と思っていたら、あった、小千谷にも名水が、ちゃんと在ったのだ、それもすぐ近くに。時水城の麓から湧き出る、通称 ババ清水、である、家から車で約十五分、いつでも直ぐ間に合う、以来ここが、我が家の水汲み場となった、最近少し名が知れて、何時行っても行列だが、近いので苦にならない。ゆうべ、丁度無くなったので、今朝女房が汲んでくると言って出かけたが、直ぐ戻ってきた。聞けばこの雨で、水汲み場へ行く道が、土砂崩れで交通止めだとか、残念だが仕方ない。用事に出掛け昼近く、戻ってみると家は留守、姉の家へでも、遊びに行ったんだろう、と思ったが昼になっても、帰ってこない。カップラーメンで済ませたところへ、戻ってきた、見ると水の容器を沢山持っている。交通止めの筈だが、と思ったら、なんと、津南まで汲みに行ってきた、と言うではない、か、物好きも極まれりと言おうか。途中の露天市で買ったという、一個50円のキャベツと、3本100円のトウモロコシもおまけに持ってきた、当分旨い水が又飲める。暑中見舞い用のハガキを買ってきた、これから印刷開始とする。
2004年07月20日
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朝青龍はやっぱり強い、魁皇など問題にしない。こうなれば六場所制覇を目指して、頑張る事だろうが、是非やって貰いたい物である。彼の兄がK1選手で、先日テレビに出ていたのを見たが、負けてしまった、同じ日、曙も出たがこれも同じく負けた、曙にK1は無理みたい。同じ格闘技とは言え、やっぱり朝青龍には一日の長がある、人格をとやかく言う向きもあるが、この頃は大分良くなってきたと思う、自分でも反省したのだろう。それでこそ横綱だ。土曜日の教室で、暑中見舞いのハガキを作ったが、その時点では未だ、頭の中で構図が纏まって居らず、楽々はがきの中から適当に選んで、その場は一応提出してきた。しかし家へ帰って考えるに、どうももう一つ面白くない、スッキリした暑中はガキにならない物か、要は素材だ、良い素材さえ在れば…あれこれ考えた末、以前先生から買った、素材集2に、何かあったような気がしてCDを出した。写真集の中に、涼しい物はないかと思い、順に見て行くと、花火があった。これだ、これに決めた今年は花火で行こう、背景は黒いが、字を白くすればよく見える。何とか格好になったので、印刷しようと思ったらハガキがない。今日は土曜日、三連休だから郵便局は火曜日までダメ、折角乗ってたのに、おあずけだ。
2004年07月19日
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拾ってきた鶏ももらしき塊を、二羽でつ突いていたが、その内残したまま飛び去った、するとネコが現れた、斜め向かいの家に住む赤毛で、子ネコの頃から、空き地は自分の縄張りと思ってるので、天からぼた餅、とばかり食べ始めた。そこへカラスが戻ってきた、ネコの近くへ舞い降りると、羽を広げて走り寄り、ネコを威嚇した。驚いたネコ、追うカラス、餌を銜えたままネコは、プレハブの床下へ逃げ込んだ、ネコの勝ち。カラスも諦めない、プレハブの屋根に停まって、ネコを待つ、ジッと待つ、二羽で。どの位経ったろう、食べ終えたネコが、舌なめずりしながら、顔を出した、すると屋根のカラスが、待ってたとばかりに、復讐に転じた。真っ黒な巨体、太い嘴、こんなに執念深いとは、ネコより、見ているこっちが驚くほどの、凄い攻撃だった、ネコも爪で抵抗するが、相手は複数 ついにたまらず、道を横切り、団地の側溝へ走り込んだ。ネコの唸り声と、カラスの羽根音の凄さに、表へ出てみる人が居た位激しい争いだった。2対1ではネコも叶わず、家へ逃げ帰ったが、側溝には血の痕と、抜け毛が散らばっていた。この出来事以後、空き地はカラスの物となり、ネコが日向ぼっこしていても、カラスが来るとそそくさと立ち去る姿を何度か見た。ゴミを出しに行くと、カラスが居るが、傍に行っても絶対逃げない、気味が悪くて、こっちが引き下がる始末である、頭が良くて、執念深くて、いざとなれば数を組んで、相手に向かう。山の上はカラス天国である。
2004年07月16日
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昨日の教室は、HTMLの授業だった。ホームページにリンクを張る作業で、もう一つよく理解できない所だが、先生の言われるままに入力すると、不思議 ちゃんとモニターに現れるではないか。HTMLの奥深さには、益々嵌りそう。今日はみんな留守で、一人で留守番、何もしないで窓から外を、ボーッと眺めている、横の空き地を何となく。する事はあるのだが気が入らない、椅子に腰掛け空き地の砂地をただ見てるだけ、そう言えば今日はまだ、ネコもカラスも現れない。この空き地、何もなく隅っこにポツンと一つプレハブが建ってるだけだが、時々興味のある出来事が起きるのだ、ネコとカラスのチャンバラである。両者とも、空き地を自分のテリトリーと思い、勝手に振る舞い、衝突するのだが、見ていて此程面白いことはない。今まで何回か見た中で、一番印象に残ったのは、この春桜が満開の頃起きた、争いである。公園にはボンボリが灯り、花見や祭りで大賑わい、酒盛りで残った折り詰めも、捨てられて行く、カラスが見逃すはずはない、くわえて運ぶ先がこの空き地なのである、彼らにとって空き地は完全に自分たちのテリトリーである。
2004年07月15日
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今回の選挙は、参議院のせいか、投票率の低さを数字が示した。世間で騒ぐほど、自民が負けたとは思わない、総員ではまだ、与党が過半数を占める、総理の責任うんぬんは、言い過ぎ、だと自分は思う。決着がついた今、個人的に残念に思うことが、一つある、血縁者が立候補していたのだ。親戚と言っても いとこ(叔母の長男)だが。与党の大物で、名前を言えば、大抵の人が知ってる人物、前評判も、まあまあの所にいた。他県だから、記名投票は出来ない物の、気にはしていたのだが、なにせ投票の後で、ビール大会ときたものである、思いっきり飲んで、騒いで、家へ帰ったと同時に、潰れてしまって、気が付いたのは夜中、水を一杯ひっかけると、また熟睡。翌朝の新聞を広げてみた、いとこは次点、落選だった。民主の新人が、大量得票でトップ、二位は同じ与党の有名候補が入り、いとこは三位、どこか新潟県に似た結果だなと、思わせた。二位と三位の差は、一万票もない、約8120票だ、一票一万円として、もう8千万円資金が多くあったら、どうにかなったかも。と思うと残念だが、終わった物は仕方ない。今回自民は、議席を2失って49だったが、減った一つは、いとこの物だった。参院の任期は6年、3年後には半分入れ替え選が又ある、三年後に、期待を託そう。
2004年07月13日
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昨日の日曜日、朝から凄い雨、でも本日は町内で決めた、側溝掃除と、草刈りの日である。雷も鳴る中、濡れながら一時間ほど、勤労奉仕した、皮肉にも、終わったら雨がやみ、空が明るくなってきた、予定では正午12時から、暑気払いのビール大会だ、この分では外は駄目、公民館だな、その前に今日は投票日、飲む前に済ませておこう。お昼定時、公民館に集合、五十人ほど来ている。百軒ほどのこの団地、半分と言ったところか、乾杯を合図に、一斉に飲み始める、オードブルをつまみにみんなよく飲む。生ビールの樽を、いくつ空けたろうか、ついに瓶ビールになったが、飲むスピードは変わらない。天神ばやしの次はカラオケと、お決まりのコース、不思議な物で、気分よく飲んでると、時の経つのが早い、気がつけば、アレッもう3時だ。まだみんな賑やかだが、腹も一杯になった事だし、退院以来、こんなに飲んだのは、初めてである。用事がある訳じゃないが、失礼しようと表へ出た。雨は降ってない、傘を片手に歩いてみると、思っていた通り千鳥足だ、意識はある、でも真っ直ぐ歩こうとしても、全然足が言うことを聞かない。自分でもおもしろい程、ヨタヨタ、フラフラする、後ろから車が来れば、一発であろう。家まで歩いて約10分、やっと辿り着くと、留守、テレビを点けて、その辺に転がったまでは覚えてるが、目が覚めたのは夜11時過ぎてから。相撲もオールスターも選挙速報も、とっくの昔、女房とせがれには、散々馬鹿にされ、水を一杯飲んで又すぐ寝たが、今朝まで目が覚めなかった。今までなら、二日酔いで起きる事など、とても叶わなかった筈が、今日に限ってなんともない、朝飯を普通に食べるものだから、女房の呆れるのも無理はない、自分でも不思議なんだから。結果を見ての感想。朝青龍、見たかったなあ… 新庄、見たかったなあ… 選挙、残念だったなあ…。でも昨日は、よく飲んだなあ… 楽しかった。
2004年07月12日
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朝から30度を超える暑さ、家中の戸を全部開けっ払うと、山の上だから風は入る。が、誰が来ないとも限らない、玄関に立てば寝ころんでテレビを見てる姿が、丸見えだ。裸で居るわけにも行かず、それにしても暑い、なのに女房のヤツめ、八ヶ岳へ遊びに行くと言って二晩泊まりで出掛けやがった。せがれの弁当から晩飯、洗濯から植木の水撒きまで、何で全部俺がやらなきゃならんのか、その代わり、酒を飲んでも文句は出ないが。テレビってどうしてああ迄、他人の私生活迄入り込みたがるのか。拉致被害者の家族が、何処で会おうと勝手じゃないか、なのに、生中継と称して詰まらぬ映像を、長々と写し続ける。もう完全にプライバシーの侵害である、オレだったら局に抗議する事だろう、見たくないのでチャンネルを変えたら、ここも又、同じ事をやってる、一体何のつもりだ。呆れて消したが、世の中少し変だな。プロ野球がなにやら騒がしいが、経営者は一リーグにして、巨人におんぶするつもりだろうが、そうなったらファンは見向きもしなくなる事だろう、急ぐことはない。もっとじっくり腰を据えて、検討してはどうか、サッカーよりファンは多いのだ。
2004年07月10日
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ならの木さんの日記が戻ってきたのが、何より嬉しい、毎日こう暑くては、外に出るのも嫌になる、女房などは、日射病になるからと、歩きに出るのを止める始末だ。息子も歩いているが、彼は早朝、日の出前か夜遅くなってからしか、出て行かない、その方が賢明かも。ならの木さんが、小鳥のことを書いていたが、我が家もスズメで困ったことがある。トイレの換気扇の出口に、巣を作って年に何度となく産卵するのである、トイレに入ると、雛の鳴く声が聞こえる、巣立つまでは一応待ってやり、その後巣を取り除くのだが、排気口が見えないほどぎっしりと、枯れ草が詰まっている、全部掻き出すと、スーパーの一番大きい袋に一杯になる。少し油断すると、いつの間にか又、ちゃんと巣を作り、気がつけば産卵してる。トイレの換気にも影響するので、無理に巣を掻き出したら、卵が10個ほど下に落ちて割れた。親鳥は電線にとまって見ている、可哀想だがこれで、もう懲りたろうと思ったら、ぜんぜん次に日にはもう出入りしている。金網を買ってきて、完全に塞いでやった、ざまあみろ。
2004年07月08日
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寝ても覚めても同じ事ばかり考えて、気がつけばずいぶん時間が経っている、しなければならないことも、何かとある。一仕事終わっても、頭の中から去ったわけではない、又直ぐに考え込んでしまう、端から見れば、ただボーッとしてるだけ、馬鹿じゃないかと思うのも当然だが、本人にしてみれば死活問題である。そんなこんなで、時間はアッという間に過ぎ、また今日も日記を書かなかった日が、一月も続いた。自分でどんなに、悩んで考え込んでも、自分だけの問題で、相手や世間には全く関係ない。何も知らない他人は、ごく普通に接してくれるし、病気の事を知ってる人も、頭の中は別のこと、まさか相手が、そんなに気にしてるとは知らない。普通に歩けて普通にしゃべれ、飯も食えれば酒も飲む、倒れたとは言え、死なずに退院して一年、少しくらいの不具合は、我慢するに如くはなし。杖を頼りの人や、車椅子の人を視たときに、哀れんだ眼をした事はないか、蚊帳や霞の話など、心に秘めて表に出さず、天の裁きを拠り所に、閑かに余生を全うして行くのが、賢い生き方。こんな事が出来ていれば、今頃は、偉い高僧か神父になっていたかも知れないが。何はともあれ、病気の話はこれ位にして、別の話題を探す事に。ならの木さんも、戻ってきた事だし。
2004年07月07日
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四六時中、目に見えない蚊帳に入ったような気分。見晴らしの良い場所に立って、雲一つ無い青空で、周りを見渡したとき、確かに景色は美しい、と思うが、もう一つピンと来る物に欠けるのだ。何か越しに見ているようで、それが何だか解らない。人と対話しても、相手との間に目に見えない何かが在るような、と言うか、自分が透明な何かの中に入っている感じで、相手の顔も言葉も勿論理解した上での事だが、話し終わった後、あれで良かったのだろうか?などと余計な心配ばかりする始末。首から上に常に霞のような物がかかっている感じで、痛くも痒くもないだけに余計に気になり、腹も立つ。脳細胞がどうなっているのか、MRIの検査を徹底的に詳しくしらべ、原因を追及したいと思う。
2004年07月05日
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梅雨明け宣言はまだだが、もう陽射しは真夏である。歩きに出てもクラっとするほど熱い、去年の今頃は二度目の入院から戻ったところで、毎日、一万歩歩くのに一生懸命だった。一年経った今、あの時と比べて体調はどうだろうか。悪くはない、しかし不満である、何がどう不満なのか要するに、元の感覚に戻らないのが、不満なのである。朝起きる、抜けるような青空、表へ出てみる。その時である、以前なら、深呼吸すれば身体の隅々までスッキリとした気分になったのに、今はである。薄い薄い、目になど見えない薄いヴェールにスッポリと包まれた様な感じが、どんなに振り払っても、拭えないのである、空は青い、鳥の声はする、若葉も匂う、なのに…それが全部薄いヴェール越しなのである。脳梗塞を病む前には、全くなかった症状である、これも後遺症なのだろうか、医師に聞けば恐らく、治らないと言うに違いない、何とかならない物か、毎日そればかり考えていると、何もすることが嫌になってくる。日記をサボったのも無関係ではない。
2004年07月04日
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一ヶ月以上もサボっていた日記を、再開する気になったのは、目出度いことが重なった為でもある。阪神が巨人に三連勝したこともそうだが、その外にもある。土曜日の教室、出席はきりぎりすさん、と、ならの木さん、計男性三名だけ、授業はウイルスについて、の説明。教室のパソコンで、偶然きりぎりすさんの、ホームページを開いたら、何とキリ番の100ではないか。こりゃ目出度いと思いながら、今度は自分のページを開けてみると番号が1403とある、じゃあちょうど1400番は誰だろうと、見てみたれば、これが又、夢舞先生ときた。二人とも今ここに居らっしゃる、早速報告に及ぶが。きりぎりすさんには、掲示板に書くこと、と言われ、先生には、サボってた日記を、始めるようにとのお言葉があり、どっちも、尤もな事なので、家に帰って直ぐ始めた次第である。今度は続けるつもりだが、それにしてもキリ番が続くとは目出度い日だなあと、思った事だった。ならの木さんも、もうすぐパソコンが、使えるらしい、早く日記が見たい物である。
2004年07月03日
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明けて、16日日曜日は朝から雨、祭りの後片付けがある、集まっては見たが、舞台の骨組みを崩すのは、一週間後にして、ごみや道具だけ片付けることに。雨が降っては何もかもオジャンである、それでも何とか片付けて、家に帰ってから、祭りの寄付を頂いたお宅へ、神社のおふだを持って礼に廻ったり、街中に張ったビラを剥がしたりと、年行司の仕事はまだまだ終わらない。夕方6時から、公民館で慰労会があった。焼きとりや焼きそばが、よく売れたことが話題になった、宴会は、いつ果てるとも知れず、みんなよく飲んだ。すっかり酔っぱらってしまい、家に帰ったのも覚えていない位である、秋葉神社の年行司は、五年後に又廻ってくる。
2004年05月16日
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15日は朝9時に全員集合し、直ちに祭りの準備にかかる、自分は提灯とローソクの係だから、所定の場所へ提灯を吊す。早く済んだ者から、他の部所を手伝う、旗や幟を立て、出店の準備に足りない物を買い足したり、境内の飾りに落ちはないか、社殿の掃除は済んだか、必要な道具を公民館まで取りに行ってくる。準備が一通り済んだら、お籠もりと言って、何人かが町内の半纏を着て社殿の中へ入り、参詣に来た人に御神酒や菓子袋を進呈する、二時間交替で、みんなに廻るように組んである。自分は11時から13時迄で、昼飯が挟まるのでその時場にいた5、6人はラーメンの出前を食べた、今日は教室のある日だった、きのう迄は休むつもりだったが、少し遅れても、顔は出しておこうと思い1時過ぎに、ひさだへ向かった。午後になっても仕事は尽きない、ひさだから戻ると半纏を着て神社へ直行である、天気の心配はないが、年行司は忙しい。4時になると神官が来て、社殿の奥で祝詞を上げる、5時になると出店が営業を開始する、焼き鳥、焼きイカ、たこ焼き、煮込み、焼きそば、果物に酒、ビール、さつき工房も上ノ山なので、一番はしっこだが、綿あめを売っている。焼き物の煙と臭いが、辺り一面に拡がり、これが人寄せになる、参拝客も出は足良い、6時に合図の人寄せ花火が上がる。行者姿の僧が二人現れ、境内に設けた祭壇の前で、巨大な篝火を焚く、神社は火の神様である、神事のスタート。呪文を唱えながら、護摩木を火に投げ入れる、奉納者の名前が順次読み上げられ、全員が次々と炎に向かって拝む、約一時間、祭りも最高潮に達したところで、演芸舞台の幕が開く。ゲストに有名?なシャンソン歌手も呼んであるが、まず最初は、謡曲「羽衣」から、きりぎりすさん達が舞台中央に登場である、日頃の鍛錬の成果が、遺憾なく発揮された、見事な謡いだった、カラオケ、ゲスト歌手、民謡とプログラムは進む。9時過ぎ、最後の楽しみ富籤が行われ、秋葉神社大祭も幕となる、出店もほぼ完売、長時間頑張ったみんなの顔に、笑顔が浮かぶ。明日の天気を考えて、濡れると困る提灯だけ片づけ、後はあした、家に帰ったのは10時過ぎ、年行司一段落、お疲れ様……。
2004年05月15日
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