2004年06月09日
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【第988夜】 2004年6月9日
道元
『正法眼蔵』

1952
鴻盟社


 道元の言葉は激しくて、澄んでいる。しかも一切同時現成なのである。たとえば高速でいて、雅量に富んでいる。たとえば刀身のようでいて、その刀身に月が映じ、さらにその切っ先の動きは悠久の山水の気運に応じたりもする。
 言葉そのものが透体脱落して、観仏三昧を自在に往来しているのである。漢語が日本語になろうとして躍っているようにも感じる。こういう仏教哲学は他にはない。
 しかし困ることがある。道元を読みはじめたら他のものを読む気がしなくなることだ。それほどいつも、汲めども尽きぬ含蓄が押し寄せてくる。湧いてくる。深いというよりも、言葉が多層多岐に重畳していて、ちょっとした見方で撥ね方が異なってくる。水墨には破墨と溌墨という技法があるのだが、それに近い。墨が墨を破り、墨が墨を撥ねつける。
 だから、道元の読み方は二つしかない。よほどに向き合いたくてゆっくりと道元に入っていけるときに読むか、聖書を読むように傍らにおいて読むか。

 ぼくも、その両方で読んできた。
 聖書のように読むのには、昭和27年発行の鴻盟社の『本山版正法眼蔵』縮刷本を愛用した。本山版というのは95巻本をいう。これはソフトカバーも手にとりやすく、読みやすい。あれほどに大部の『正法眼蔵』が片手に入る。
 こういうハンドリング感覚というものは妙なもので、『正法眼蔵』をコンサイスの辞書のように読んでいると、道元に入るというよりも、自分の前の何かに道元を移し変えているような気分になる。
 ゆっくり読むときは、校注本や訳注本、さらに現代語の訳文がついている対訳本を見る。当初は岩波日本思想大系をベースキャンプにしてきたが、道元の言葉はあたかも文様のごとくにいかようにも読めるので、ついついテキストを変えることも多い。また道元には『永平広録』や『永平元禅師語録』も、さらに『正法眼蔵図随聞記』もあって、これも見逃せない。良寛が「一夜灯前 涙とまらず 湿し尽す永平古仏録」と感想を書いたのは、おそらく『道元禅師語録』である。そういうものも読む。
 関連書も多い。だから、そのまま研究書や評釈本に進んでしまうこともあるが、それはそれで夢中になれるのだ。2年ほど前には何燕生の『道元と中国禅思想』(法蔵館)を読んだばかりだった。道元は中国で如浄に出会えて「眼横鼻直」を問われ「単伝正直」を知り、それなのに「空手還郷」をもって帰朝したのだが、どうも中国禅との関係が見えきらなかったので、読んでみた。また1年前には山内舜雄の大冊『道元禅と天台本覚法門』(大蔵出版)を読んだのだが、これは失望した。
 こういうぐあいだから、道元を読むといってもいつも右往左往なのである。けれども、そこまでしてでも道元に振り回されることは、なによりの快感で、これは親鸞や日蓮ではそうはいかない。

 向こうから道元が歩いてやってくることもある。
 最近のことでは、かつて現代思潮社社主として澁澤龍彦とともにサド裁判などでならした石井恭二さんが、1990年代に入って現代文『正法眼蔵』の大翻訳を敢行し、その書評や対談を頼まれたのがきっかけで、道元を現代哲学のように読み返すことが続いていた。
 そこへ、知人の平盛サヨ子が大谷哲夫『永平の風』(文芸社)のエディトリアル・ライティングを担当して、また道元に触れることになり、さらに大阪の講演会で一緒になった立松和平ともなぜか道元の話になって、さっそく『道元』(小学館)を贈ってきた。ある版元から「道元を書きませんか」とも言われている。
 しかし、正直いって、とうてい書けそうもない。なにしろ40年にわたる恋人なのだ。

 思い返すと、最初に道元を読んだのは学生時代のこと、森本和夫が早稲田での談話会で『正法眼蔵』の話をして刺激をうけたときのことだった。寺田透の校注で、たちまち「有時」の一節、「いはゆる有時は、時すでにこれ有なり、有はみな時なり」に惹かれた。
 道元にアランやハイデガーやベルグソンを凌駕する時間哲学があることを知ったのは、ある意味では道元にひそむ現代的な哲学性に入りやすくなったのではあったが、べつの意味では道元の禅者としての格闘を等閑視することになり、その後のぼくは、むしろ現代性をとっぱらって道元を読むほうに傾いた。
 そういうときに大乗禅の師家である秋月龍さんがぼくの前にあらわれて、「君の空海論や大拙論は出色だ」と言い出しかとおもうまもなく、なにかにつけては呼び出されるようになるうちに、道元と西田幾多郎の読み方のお相手をさせられるようになった。ちょうど秋月さんが、そのころはまだ一般向けが珍しい『道元入門』(講談社現代新書)を書いたあとだったと憶う。

 道元を読むと、そこに浸りたくなる。その峡谷から外に出たくなくなっていく。それを道元は望んでいないとも思えるが、その浸るところが何かも考えたくなる。
 似たようなことを考えた人は当然いくらもいるようで、岩田慶治(第757夜)の『道元の見た宇宙』(青土社)のばあいは、 “flow” という一語をあげた。そのフローに浸るというか、そこを漂うというか、自身をフローさせつつ道元とともに生の世界像に一身を任せるのが道元を読むことだという主旨になっている。
 寺田透の『透体脱落』(思潮社)は、道元ばかりを扱っているのではないけれど、やはり一冊の中核を道元が占めている。寺田は「僕に残す光それ自体であるやうな虚無、しかし意力の充満した美しい虚無のかんじにさそはれる」と書いた。寺田は道元が放った光に浸ったのであろう。
 それが吉田一穂では、自身の脊髄を道元と合わせて極北の軸を自らに突き刺すことをもって道元に浸るのだから、これは苛烈な道元との合体である。
 みんながみんな、道元を好きに読んできた。それが道元の「逆対応」という魅力であった。そこには禅のもつ魅力もむろん関与しているが、それだけではなく、道元の文才や言葉づかいや独自の用法もあずかっている。すでに井上ひさしが『道元の冒険』でもあきらかにしたことだ。

 さて、このようなことを綴ってばかりでは、いつまでたっても『正法眼蔵』には入れないので、余談はこのへんにして、では、以下にはごくごく僅かな隙間から洩れ出ずる道元の裂帛の言葉を案内しておきたいとおもう。
 もっとも、こんなことをするのは初めてで、やりはじめてみてすぐわかったのだが、もっと早くにこういうノートを何種類も作っておけばよかったと悔やむばかりなのである。


 5年におよんだ入宋の日々を終えた道元は、安貞元年(1227)に帰国すると建仁寺に身を寄せて、『普勧坐禅儀』を書いた。坐禅の心得と作法の一書である。
 しかしそれが、従来の仏教のいっさいの贅肉を殺ぐものであったため、天台本拠の延暦寺に対する誹謗非難とうけとられ、建仁寺も道元を追い出しにかかった。鎌倉以前の仏教は今日と同様に、贅肉だらけだったのだ。やむなく深草極楽寺の安養院に退いた道元は、「激揚の時をまつゆゑに、しばらく雲遊して先哲の風を聞く」という覚悟をするのだが、このとき30歳をこえたばかりの道元は、さすがに憤懣やるかたない。 ……







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最終更新日  2004年06月09日 20時13分04秒
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