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祈り 決して忘れない また必ず会いに行くよ1人でも多くの方がご家族の元に帰れますように
Mar 11, 2022
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奇跡の一本松駅からBRTで30分ほどで気仙沼駅。そこから市内のバスに乗り換えて気仙沼大島へ。それまではフェリーでしか行くことが出来なかった気仙沼大島も19年4月に気仙沼大島大橋がかかり、車でも気軽に渡れるようになりました。フェリーだったころは救急搬送など色々大変だったそうです。気仙沼駅気仙沼大島大橋(通称:鶴亀大橋)で大島へ渡ります最寄りのバス停で降りたら、のんびりとのどかな道をてくてくと。静かでいいなぁ・・・。時間が少し早かったので、小田の浜で少々ぼへっと。小さい子供連れの家族が数組、ピクニックをしていました。いいねその小田の浜を少し上ったところにあります、さっちゃんの店「大漁丸」。以前、気仙沼市内にあった仮設商店街「復興屋台村気仙沼横丁」(17年3月閉村)でやっていた頃に知り合ったさっちゃんとBuggy姉妹。知り合ってもう10年になるね。頑張っている姿にこちらも元気をもらったし、それぞれ新しいスタートを切っていて、行こう行こうと思っていたところ。こんな時期にもかかわらず、快く迎えてくれました。閉村式の時以来だから4年ぶりかな、変わらないね。だけど、さっちゃんも姉妹も私の顔を見るなり、 「髪が黒いっ!!!(驚)」第一声がそれですか、確かにそうだけど。ははは・・・この辺はこの高さまで津波がきました小田の浜古民家を利用したさっちゃんの店「大漁丸」 小田の浜を眺めながらロケーション最高かよ酒を呑んでいるので海鮮丼の飯なしでwww美味しいお酒にお刺身を堪能、夜は気仙沼市内にあるBuggy姉妹の妹みゆきさんのお店で一緒に呑もうとさっちゃんと約束し、お客さんがまだまだいたので、私は一先ずお先に気仙沼へ移動することに。港付近でバスを降りまして、懐かしい港周りをてくてくと。車窓にて大橋から気仙沼を眺めるボランティアでよく利用したプラザホテルがよく見えます当時は地盤沈下で水浸しだったフェリー乗り場もキレイに復興屋台村気仙沼横丁跡地言わずと知れた渡辺謙さんの店K-port道路沿いには大型漁船がずらりと気仙沼魚市場港をぐるっと回って魚市場の向かいに「みねしお横丁」と言うトレーラーハウス型の店舗集合型横丁があります。その入り口にあるCheersと言うメキシカン料理店はみゆきさんの旦那さんがやっているお店です。ここでさっちゃんが来るまでコロナを2本ほど呑みつつ旦那さんの話を聞きました。やっぱり色々大変だよね・・・。* みねしお横丁:https://kesennuma-kanko.jp/mishione/みねしお横丁みゆきさんのご主人の店「Cheers」店が終わったさっちゃんの車に乗せてもらって、みゆきさんのお店へ。そこでも美味しいお酒にお料理にと堪能しました。さっちゃんの店で呑むのでいつも私ばかり飲んでいたから(笑)、今回一緒にお酒を呑んで色々話が出来て良かった。楽しかった、ありがとうみゆきさんが女将さんをやっている店「肴蔵くるみ」気仙沼男山酒造の日本酒全種類飲める こごみのサラダがめっちゃ美味しかった!!!もちろん気仙沼ホルモンも(゚д゚)ウマー何故か蒼天伝ではなく磯自慢を呑むwwwあまり長居するのもなんだし、深夜バスからの一日だったので眠くなっちゃったこともあり(苦笑)、きりの良い所でタクシーを呼んでもらいホテルへ。追加の部屋呑みは、、、ホヤボーヤを呑んだところで寝落ちでした乙。ぷ。 ホテルは広いお部屋にグレードアップしていただきまいまい陸前高田・気仙沼に行けて良かった、皆に会えて良かった、また行くからね!!!前に進む #STAY SAFE、STAY STRONG
May 8, 2021
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ANTHEM 35th ANNIVERSARY TOUR仙台公演2daysの初日のチケットが取れなかったので、これはきっと呼ばれているんだと思い、初日は陸前高田~気仙沼に行ってきました。プライベートではこれが初めて。今まではボランティアバスでしか行ってことがなかったので、色々不安もあったものの何度も行ったことがあったのでなんとなく土地勘があり、戸惑うことなく回れました。何年ぶりだろう。10年が経ち、道路も整備され色々な施設も出来上がりつつあり復興も徐々に進んでいるようですが、正直パッと見た感じではここ数年はあまり変わっていない印象を受けました。駅から見渡すと、あんな奥まで津波が来たんだなぁと、改めて津波の凄さ・恐ろしさを感じることが出来ます。池袋駅(2300発)から陸前高田駅(0630着)まで深夜バス「けせんライナー」で陸前高田駅より気仙川・奇跡の一本松方面を眺めるこの辺りは電車の代わりにBRT(バス高速輸送システム)が走っています陸前高田の駅から一本松まではバスがありますが、バスまでの時間がだいぶあったし、そんなに遠くもなく場所はわかるので歩いて行くことにしました。ハナミズキのみちの碑ハナミズキのみち(シンボルロード)震災遺構:道の駅高田松原(タピック45)19.9.22オープンした東日本大震災津波伝承館https://iwate-tsunami-memorial.jp/「献花の場」にはお花が階段を上り「海を望む場」「海を望む場」から防潮堤をみる防潮堤を下りてみた新しい松が植樹されてました防潮堤の階段は59段ありました震災遺構:左奥より陸前高田市立気仙中、旧陸前高田ユースホステル、希望の架け橋の橋脚、奇跡の一本松高田松原の松の根が点々と・・・奇跡の一本松の方へグルっと回った後、津波伝承館を拝見しましたが、事細かい記録が展示してあり色々思い出しちゃってちょっと涙がこぼれちゃいました。さて。涙を拭いてBRTで気仙沼へ移動します。前に進む #STAY SAFE、STAY STRONG
May 8, 2021
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今日であれから十年。今でも思い出すと胸がキュッとなります。ボランティアの体制が整ってから、初めて石巻に行ったのはその年の5月でした。TVのニュースなどで流れる同じ風景が本当に目の前にありました。そのニュースではわからない部分もたくさんありました。特に独特な臭いは忘れられません。それから月イチで行こうと思いボランティアバスを探し、石巻をはじめ、大船渡、陸前高田、南三陸、気仙沼、仙台若林地区、大川小近くの追波湾、奥松島月浜地区、南相馬、山元町と行きました。どこに行っても高く積まれた瓦礫の山、たくさんの壊れた家々。これじゃぁいくらやっても片付かないよ、終わらないよ、と思ったことを覚えています。 南三陸(11/10/8)と陸前高田(11/11/9)瓦礫の撤去、側溝の泥出し、家具の搬出・整理、写真やハガキなど思い出の品の戦場と整理、草刈り、景観復興のお手伝いや農業支援で田んぼを耕して出てくる瓦礫や小石を取り除いたり、ビニールハウスの整備、イチゴ農家さんのお手伝い、漁業支援では海苔生産者さんのお手伝い、ホヤの筏のアンカー(重り)作りで延々と砂利を袋に詰めたり、また再び海水浴が出来るように砂浜の掃除、そして行方不明の方々の捜索などなど。炎天下でも、雨の中でも。雪が降ったこともありました。現地でたくさんの人に出会い、皆大変なのに飲み物を差し入れてくださったり、汚れた長靴を洗うお水を提供してくださったりと、とても親切にしてくれました。時には笑って、時には泣いて。帰る時には仮設の商店街で買い物をしたり食事をしたりと、東北の美味しい食べ物やお酒など、恥ずかしながらそこでたくさんの東北の特産品を知りました。そして、改めて自衛隊の方々は凄いと思いました。心強く頼もしい存在。ありがとうございます。2年、3年、4年と月日が経つうちに、泥出しや家具の搬出など、それまで主だったニーズも減っていき、ボランティアの減少と共にバスの数も減り、別のバスを探さなければならなかったりもしました。もうそれまでのようなボランティアとして行くことはなくなりましたが、それでも年に1度復興地を訪れてお手伝いをしてきました。コロナ禍のこともあって最後に行ったのは、18年の3月です。瓦礫に埋もれた街は更地になり、場所によってはかさ上げされたり、新たに建物が建ったりと、着々と復興に向かっているように見えます。当時の光景を知っている私としては更地になったまでは早かったように思いますが、そこからが長い、なかなか進なかった印象があります。もちろんそこからまた新しい街を作るわけですから、解決しなければならない色々な問題もあるでしょうし、慎重に計画を立てなければならないでしょう。その辺がなかなか進んでいないということに繋がっているのかなとも思います。今、私に何が出来るだろうか、といつも考えます。もちろん、特産品を買ったりと応援しているつもりですが、今まで実際に行ってお手伝いをしてきたので、動けない・動かない自分が正直もどかしい気持ちでいっぱいです。あの場所はあれからどうなったんだろうか、あのお家の方はお元気なんだろうか。あれから10年。お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りし、今、頑張っている復興地の方々を応援するとともに尊敬します。がんばっぺし東北魂。そして、まだ見つかっていない2525人の方々が1日でも早くご家族の元へ帰ることが出来ますように・・・。前に進む #STAY SAFE、STAY STRONG
Mar 10, 2021
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鎮魂の3月11日、9年経とうが決して忘れない忘れないよ。
Mar 11, 2020
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昨日の福島での活動は都合が着かず参加できなかったものの、今日の千葉は参加させていただきました。朝720池袋発、良いお天気です。ボランティアセンターが設置されている富津市役所には約2時間ほどで到着、早速受付とマッチングを行いました。今回の活動場所はセンターから車で40分ほどの山の中のお宅で、泥出しと土嚢づくりとの事。山なのに泥出し!?と思いましたが、大雨で家のすぐ裏にある山から泥が流れてきて溜まっているそうです、、、なるほど。海ほたるから、らぶ・富士山富津市役所受付マッチング中大型バスでは入れない細く急斜面の道路を登ったところにそのお宅はあり、神奈川(?)から来ている7名ほどの先発隊がすでに入っており、山と家の間に溜まった泥を出しているところでした。私達は蔵の裏に溜まった泥出しです。活動場所が狭いということで、まずは3人1組でスコップ・土嚢・運ぶの作業を順番に回しながらということで始めましたが、そこは臨機応変にみな声を掛けながら周りを見ながらそれぞれ自分の出来る作業を進めていきました。土嚢系は何度か経験がありますが、かなりの重労働でアッと言う間に汗だくです。すくいやすい様に鍬でほぐす(ⒸREviveJapan)土嚢袋に詰めて(ⒸREviveJapan)運び出します(ⒸREviveJapan)力を合わせ協力しながら(ⒸREviveJapan)運び出した泥(ⒸREviveJapan)(ⒸREviveJapan)お昼休憩までに蔵の裏はだいたい目途がついたので、休憩後は狭くて中々難儀している先発隊のお手伝いや、依頼主のお父さんに色々聞いて出来ることをやっていきました。俺のランチは握り飯にゆで卵に豚汁!!!お母さんが温かいお茶を入れてくれました先発隊のお手伝い、、、狭い!!!(ⒸREviveJapan)蔵の裏は慣らして仕上げ(ⒸREviveJapan)埋もれて倒れちゃったアジサイも植えなおし(ⒸREviveJapan)先の台風は、とにかく風が凄かったそうで、60年ここにいてこんな風は初めてだとお母さんは言っていました。風が渦を巻いて吹いていたと。家にいるときに屋根が飛んで行ってしまったそうで(!)とても怖かったと。老夫婦2人暮らし、今は町の娘さんの所に身を寄せているものの毎日片づけに来ているそうで、長年住んできたこの家には思い入れがあるけども、またここに住むかどうしようか、この先の不安などお父さんからも色々お話を伺いましたが、そんなお2人の気持ちを思うとなんと返したらよいか、、、色々切ないです。屋根は飛ばされたまま、ビニールシートが修理にはまだまだ(順番が)時間がかかるそうです床下はまだ手付かず(ⒸREviveJapan)今回は活動開始がちょっと遅かったため心配しましたが、ほぼ時間に活動はおおまか終了、依頼されていた作業は完遂し、とても喜んでもらえました、よかった!!!先発隊の方々に挨拶をし、お父さん、お母さんにも別れを告げてみんなで山道を下りバスに戻ります。途中タヌキが罠にかかっていたり(!)道に猿が出てきたり(!!)とかなり山の中で、孤立したら大変な場所だなぁと、お父さんの(迷う)気持ちもよくわかるような気がします。崩れた道路は土嚢で修復してありました富津市役所に設置してあるボランティアセンターは今日で閉所と言うことで、今度はセンターの後片付けをお手伝い。そんなこともあってかボラセンの方々のご厚意で、焼き立てのピザと飲み物をご馳走になりました。とても美味しかったです、ありがとうございます。明日より「富津市災害ボランティアセンター」から「富津市ふれあいセンター」に移行し、 今後も困り事の相談は受け付けていくそうです。富津市役所のボラセンの閉所をみんなでお手伝い富津市の名産品意外と!?日本酒多い・・・ご厚意でキッチンカーのピザとドリンクを無料で頂くピザはチーズが濃厚でめっちゃ美味しかったです!!!木更津市にある「湯の郷かずさ」でお風呂社長が向かい合って座っていたけどシャイだから(え!?)隠れちゃったwww仏検を勉強する女子大学の隣で酒盛りをする悪い大人たち、、、ごめんね(苦笑)祝賀パレードが終わって静かな東京駅前1900明日も先週同様もれなく心地よい筋肉痛かな(笑)、お疲れさまでした。これから寒さが本格的になります。被害にあわれた方々が少しでも早く普段通りの生活に戻れますように・・・。
Nov 10, 2019
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明後日、千葉へ行ってきます!!!活動内容は家財道具の運搬、洗浄、泥出しなどのようです。怪我など十分気を付けながらしっかりやってきたいと思います。
Nov 8, 2019
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いつもボランティアでお世話になっている山梨峡北交通リバイブジャパンさんは今回、長野に向かうということで、これまた急遽参加することにしました。前日23時過ぎに東京駅前を出発しまして途中SAにて仮眠、明け方山梨からやってきた本隊のバスに乗り換え合流、長野市へ。浸水した地域はどの家もどの家も一階は床板を上げた状態で、扇風機や送風機などで乾燥させており、2週間前にも長野には(遊びで)来ましたが、同じ長野市内・千曲川沿いでもこんなに状況が違うものなのかと驚きました。山梨からいつもありがとうございます!!!活動場所すぐの公民館で注意事項など確認床板を上げてある状態(ⒸREviveJapan)送風機で床下を乾燥させているお宅も怪我や体調不良になったら元も子もなく安全装備はバッチリで今回は2軒のお宅の床下の泥出しと言うことで、約10名づつ2班に分かれて作業することに。目標は「本日完遂」です。水害で床下に溜まった泥には(ウィルスなど)衛生上問題で、更には湿気によるカビや腐食なども考えられ、その上にずっと生活をしていくということは健康被害をきたすリスクが高く、まずはきちんと泥を取り除き、それから乾燥、そして消毒剤の散布という流れが重要なわけです。一つ一つどの作業も大切。しっかりやらねばと気合が入ります。床板を上げた状態の床下拡散防止に石灰が撒かれています(ⒸREviveJapan)せっかく固まった泥の塊を崩さないようにまずは梁の上から取り除き足元確保していく(ⒸREviveJapan)足元(?)確保出来たら腹ばいになって更に奥まで(ⒸREviveJapan)結構頭をぶつけたので(苦笑)、新調したヘルメット大活躍です!!!梁が邪魔でなかなかキツイ体勢での作業(ⒸREviveJapan)とにかくもぐれるところまで(ⒸREviveJapan)こちらはもう一軒のお宅(ⒸREviveJapan)水の高さまで壁が剥がれ落ちてます、こちらも大変そうです(ⒸREviveJapan)台所の下も、、、これは大変だ(ⒸREviveJapan)家のお父さんのお話だと「水はあっという間に来た」との事でした。この辺りは千曲川と言うよりも、支流の川が氾濫したようです。地面からだと胸の高さ位、床上20~30cmってところかな!?水も電気も復旧しているので、とにかく夜は(乾燥させるために)窓を閉め切ってクーラー(暖房かな!?)をつけっぱなしにしているそうで、「電気代がバカにならない」とため息をついていました。「まぁ、家も大切だから電気代とか言ってられないしね」とも。お昼はなんとボラセンでお弁当とお茶を用意してくださっており、みんなで美味しくいただきました。一息ついたらもうひと踏ん張りです。気持ち良いお天気の中、もう一団体の皆さんと並んでランチ休憩炊き込みご飯弁当、美味しかったです道路には水が引いた後の砂利が散乱していました作業開始すぐは勝手わからず、これは今日中に終わらないんじゃないかと思いましたが、完遂とまではいかないまでも、頼まれた3部屋の床下なんとかここまできれいにすることが出来ました。残りは明日来るボランティアさんに引き継ぎます。仕上げにホウキやブラシで掃い(ⒸREviveJapan)かなりきれいになりました(ⒸREviveJapan)帰り際、お父さんに缶コーヒーをふるまっていただき、公民館にもどり帰り支度をしていたら、今度は地元の方々にリンゴをご馳走になりと、色々気を使っていただいてかえって恐縮してしまいましたが、私にとって今シーズン初のリンゴはとてもとても美味しかったです。帰りは、いまだ氾濫の跡がくっきりと残る千曲川を一望できる高台にある大室温泉「まきばの湯」で、汗や埃を流しサッパリ。ロケーションも最高で素晴らしい温泉・お湯でした。その後、少し渋滞した影響で予定よりも40分ほど遅れましたが、無事23時前には東京駅前に着きました。お疲れさまでした。リンゴをいただく千曲川は氾濫した跡がいまだくっきり大室温泉「まきばの湯」風呂上がりに東京駅活動していたお宅のお隣さんは息子さんと思われる若い男性と、親戚か知り合いの方々数名とで片付けをしていましたが、お年寄りの夫婦や体の不自由な方はなかなか片付けがはかどらないのは、どこのどんな被災地でも言えることで、そんな方たちに少しでもお役に立てればと思います。手を貸すぜ!!!ちなみに後日、私たちが手伝った2軒のお宅は、その後引き継いだボランティアの手によりニーズは完了したとのことで、家主の方々から「心から感謝しています」と伝言を頂いたそうです。良かったです、嬉しい。そして、翌日もれなく全身筋肉痛になりました。嬉しい代償(笑)。
Nov 2, 2019
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三連休は箱根越えを予定していたっけ、先の台風の影響で峠の旧街道は所々通行止めで迂回せよとの事。うーん、今年中のゴールは無理決定だがすかす安全第一、致し方なし。いつもお世話になっているボランティアバスが今夜出るということで、急遽オール仕事を休んで行ってきます、長野へ!!!浸水家屋の床下の泥出しだそうです。被災された方々の少しでもお役に立てるよう、頑張ってきます。また、今の状況などもしっかりお知らせできればと思います。折り畳み式ヘルメット新調しました手を貸すぜ!長野
Nov 1, 2019
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お世話になった民宿を出るころ、防災無線(?)で「台風17号の影響で強風のため仮置き場はお休みします」とアナウンスが聞こえ、先にリーダーたちがボランティアセンターに行ったところ、仮置き場はもちろんボラセン自体も(新規受付は)お休みとの事。え、マジか・・・。今日はお休み(ⒸREviveJapan)昨日の作業が9割がた完了しており、後は仮置き場に運び出しがメインだったので、数名残して他大勢は別の作業をと思っていたのに、残念ですが安全第一仕方がありません。継続作業はOKとの事だったので、道の駅「富楽里とみやま」で、昨日日帰り組を送り届けて本日日帰り組を乗せて再びやってきたバスに乗り、19名全員で昨日の現場へ。と言うか、数名の為に大型バス東京~千葉を往復するって凄すぎるぜ!確かにかなり風が吹いていて、残りの数本の竹を切るのも風にあおられて大変そうでした。とにかく、昨日切り残した数本の竹を切ったら、集められるものを集めて仮置き場へ運びやすいようにまとめておくことに。昨日に比べてお天気も良く気温はもちろん湿度も相変わらず高く、暑いは暑いですが風が吹いているのでまだマシ、、、と思えるか、、、も(苦笑)。とは言え、今日も20分やったら休憩と昨日に引き続き水分補給に気を付けました。暑さ対策の秘密兵器!!!倒れた杉の木を伐採中(ⒸREviveJapan)その杉の木の枝払い(ⒸREviveJapan)竹も軽トラの荷台サイズに細かくカット(ⒸREviveJapan)後は黙々と運びます(ⒸREviveJapan)集められた倒木や竹お昼には全て完了。積み上げられた倒木や竹を見ると、これを軽トラに乗せて運ぶのは大変だなぁと思いながらも、きれいになった現場と依頼主さんがとても感激・感謝しているのを見て良かったなぁと心から思いました。わずかな木陰でみんなで並んで昼食www桜の木などが根こそぎ倒れてました2日間、お疲れさまでした!!!(ⒸREviveJapan)お借りしていた資材などを全てお返しし、ボラセンを後にしたのは13時頃。道の駅「富楽里とみやま」で駆けつけ一杯、乙ビールを瞬殺しましてお土産などを物色。その後、君津まで戻りお風呂を頂きまして、かなりの渋滞の中、倍の4時間もかけて品川着は20時半でした。バスはそこからまだまだ山梨へ。お疲れ様です!!!美味しかった・・・ スーパー銭湯「君津の湯」広くてきれいでした帰りの車中で日本酒と缶チュウで軽く追い酒www素通りディズニー!!!ボラセンでは、千葉県内で(内容はわかりませんが)たくさんのニーズが寄せられているのを見ましたが、一般ボランティアが出来ることが限られているとはいえ、2週間たった今、多くの人が困っていて求めていることは片付け云々よりも、第一はやはり屋根のブルーシートや電気の復旧なんだろうなーと。つまりは技術や専門な方々でないと出来ないことなので、私的には正直とてももどかしい気持ちでした。そして、震災や九州や中部地方の災害と同様、地域格差があるようでした。何はともあれ、被害にあった皆様が一日も早く今まで通りの生活が出来ますように・・・。最後に、いつも山梨からバスを出して私たちを運んでくれる山梨峡北交通リバイブジャパンさん、社長!、ありがとうございました。そして参加された皆様、お疲れさまでした。
Sep 23, 2019
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ボラセンに戻り資材を返却、手洗いうがいをした後、鋸南町の町営のお風呂「笑楽の湯」で汗を流しサッパリ。道の駅「富楽里とみやま」で今日の日帰り組数名を見送った後、本日のお宿「蔵屋敷」さんへ向かいます。ちなみにバスはまた明日新たな日帰り組数名を乗せて戻って(!)きます。台風の余りの被害の大きさに、すでに入っていた学生さんの団体はみなお断りし、しばらくは晩御飯はなし・朝食も簡単なモノならと、ちょうど今日から再開との事でした。一部の屋根にブルーシートがかかっていましたが、これも自分たちでやったのだとか。電気は通っていましたが、アンテナの関係でテレビは映りませんでした。晩御飯はなかったため、ネットで調べて勝山では有名人気店の中華料理屋さん「住吉飯店」へ。道の駅「富楽里とみやま」もそうですが、このあたりで再開している飲食店を含むお店は時間を短縮して営業しているようです。やっと見つけた15名と大人数でも入れる店は駅で一駅も離れた距離にありましたのでタクシーを頼みましたが、この辺で3台あるタクシーのうち2台被災して1台しか稼働できないということで、その一台でピストン輸送、そして若女将さんのご厚意で自家用車で送ってくださいました。ありがとうございます。ちょうどご飯時と言うこともありましたが、地元の方々でずっと満席状態、とても賑わっていました。笑楽の湯では地元のバァチャンたちに色々な話が聞けた(ⒸREviveJapan)道の駅「富楽里とみやま」で日帰り組をお見送り(ⒸREviveJapan) 「住吉飯店」の料理はみんなボリューム満点で超絶おいちかった宿までは一駅ありますから、満腹のちょうどお散歩がてら、みんなでワイワイと電車を使って帰ることに。電車で移動ってリバイブ始まって以来の事じゃないのん!?斬新で面白かったです(笑)。これまた台風の強風のせいでしょうか、安房勝山駅ホームの看板は全て曲がっていました。そして宿の最寄り駅「岩井駅」に着いたらタクシーで再びピストン、、、たまたま行きでお願いしたタクシーが駅前で待機していました。待ち伏せしてた!?(笑)店から最寄り駅「勝山駅」まで徒歩で勝山~岩井まで電車で移動看板が・・・最後に宿で今日の反省会と明日の確認、今日の反省を踏まえて更に効率良く・より良く動くためにはどうするか、珍しくかなり真剣にミーティングをし、本日すべての行程を終了しました。23時就寝。お疲れさまでした。 宿で千葉の地酒「寿萬亀」を頂きつつ反省会2日目朝6時過ぎ起床。快適にぐっすり眠れました。もちっと早く起きて海岸まで行ってみればよかったかな、とも思った後の祭り(苦笑)。7時に朝ご飯でしたが、簡単なモノと聞いていたのにデザートの果物まで出るというかなりのご馳走っぷりにびっくり。もちろん全部頂きましたが、どれもとても美味しかったです。ここの民宿は学生さんの合宿や、修学旅行などで利用されるそうで、すぐ近くの海岸では地引網体験ができるので人気なんだとか。なるほど楽しそう* 地引網体験はこちらから(岩井民宿組合):http://iwaikaigan.com/お世話になった民宿「蔵屋敷」広い駐車場お風呂はなんと3つもあります!!!洗濯機も完備「離れ」があるのは女子やグループ・家族に嬉しい女子5名でゆったり使わせていただきました鯖の煮つけ美味しかった!!!更にデザートの果物、特に梨はこれから貴重!!!蔵屋敷さん、色々お世話になりました。ありがとうございました。さて、朝ご飯もお腹一杯喰ったし、2日目も頑張ります!!!* お風呂~町営「笑楽の湯」(鋸南町):http://kyonan-info.jp/warakuno-yu/pc_top.html* 中華料理~「住吉飯店」(勝山町): https://retty.me/area/PRE12/ARE468/SUB4604/100000798742/?utm_y_pc_res_title* 民宿~「蔵屋敷」(勝山町):http://www.awa.or.jp/home/kurayashiki/index.htm
Sep 22, 2019
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東日本大震災の復興応援ボランティアとしていつもお世話になっている山梨峡北交通リバイブジャパンさんが千葉へボランティアバスを出すと聞いたので、急遽参加することにしました。ありがとうございます。朝7時過ぎ、品川駅集合。見慣れた精鋭が勢揃いで頼もしい。アクアラインを通り、南房総市にある道の駅「富楽里とみやま」に9時。そこで他の方々とも合流し、今回は計21名での活動となります。このあたりになると、屋根がブルーシートで覆われた家屋や半壊した家屋、ボロボロに破けてつぶれたビニールハウス、そして道の駅にもウィンドウガラスが割れてビニールで仮補修した車がたくさん駐まっていて、2週間経っているのに台風15号の威力の凄まじさを改めて実感します。いつものボラバス、お世話になります大まかな行程表道の駅「富楽里とみやま」は地元の方々で大盛況でした入り口にはこんな看板がその後バスは南房総市ボランティアセンターへ。マッチングの受付時間はすでに30分ほど過ぎているので人もまばらだったものの、次から次へと人がやってきていました。個人で活動する方々が多いようで、バスは一台もなかったです。順番に健康チェック→ボランティアの心得オリエンテーション→マッチングとぐるっと回っていきます。ニーズはたくさん上がってきており、その中で今回私たちは①(屋根用)土嚢作りと②個人宅の倒木の片付けになりました。南房総市ボランティアセンターが置かれている三芳保健福祉センター活動する人全員に健康チェック表まずは、近くにある学校の校庭へ歩いて行き①土嚢づくりです。これは、屋根にかけるブルーシートを固定する為の土嚢で2種類、 屋根上には片手で持てる程度でやや軽目のもの シートの隅から垂らしてアンカーのようにして使うやや重目のものそれぞれ100袋、計200袋。まぁ、20名近くいますし筏の土嚢に比べたら中に入れる砂の量も少ないので、経験者揃いの強者どもはあっという間に200袋完了です(笑)。校庭で元気にサッカーの練習をしていた子供たちに色々話を聞いてみると、(その子の家は)「電気は3日くらいで通った」って言っていました。(ⒸREviveJapan)二人一組で(ⒸREviveJapan)一旦ボラセンに戻り、ご好意で建物の中で涼しく昼食。握ってきたおにぎりと、温かい味噌汁をと思ったっけ、お湯は持ってきたのに味噌汁買うのを忘れたがっでむ、、、だので、おにぎりとお茶で。三芳保健福祉センターは、新しい建物のようで広く綺麗でした。ここで地元の方々のニーズをきいたり相談したりしているようです。物資もたくさん積まれていました。myおにぎりたくさんの物資が千葉の被災状況一息ついたら、場所を移動し今度は②個人宅の倒木の片付けです。台風の強風により、竹や木が倒れてしまったので切って片づけて欲しいとの事、依頼主さんは重度の持病を持っており、自分一人ではどうにもならないわけで。まずは動線上で邪魔になる細かい竹や枝を切り、その後大きなものに取り掛かります。大きなものは更に小さく切って持ち運び、軽トラに乗せて被災ごみ仮置き場へ運ぶという流れです。(ⒸREviveJapan)(ⒸREviveJapan)(ⒸREviveJapan)(ⒸREviveJapan)(ⒸREviveJapan)(ⒸREviveJapan)(ⒸREviveJapan)(ⒸREviveJapan)スッキリしました(ⒸREviveJapan)雨がなくカンカン照りでもないからまだいいのか、それにしても湿度が高いので暑い暑い。更に怪我や虫のこともあるので、作業は基本長袖長ズボンですから、みんな汗だく。30分やっては休憩をとり、水分補給に努めながらそれぞれ自分のペースで作業を進めました。切り取り自体はほぼ9割ほど終わりましたが、軽トラが一台しかないということ、仮置き場がとても混んで行列しているということで運搬作業は思うようにいかず、16時頃終了としました。ともあれ雨もなく、誰も怪我無く無事にまずは一日目終了、お疲れさまでした!!!お疲れさまでした!!!(ⒸREviveJapan)* 作業中は写真が撮れないのでリバイブジャパンさんからお借りしました。
Sep 22, 2019
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連休は五十三次復路、蒲原宿よりいよいよ箱根越えと思ったけんども、お天気が悪い中での箱根越えはさすがにヤメ。急遽、明日・明後日と千葉へ台風被害の支援活動に行ってきます。直撃ではないものの台風の影響を受けそうなので、ボランティアセンターの方やチームリーダーの指示に従い、無理せず安全第一でお手伝いしてきます。とにかくまた台風、どなた様もお気をつけて。
Sep 21, 2019
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忘れない、忘れるわけがない。思い出す。今でもギュっと胸が苦しくなる。改めて震災により犠牲になられた方々へ、心からご冥福をお祈りします。
Mar 11, 2019
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いつもお世話になっている山梨峡北交通リバイブジャパンさんで気仙沼へ。1年ぶりのお手伝いです。山梨からいつもありがとうございます!!!第152便は30名でいつものように大川小学校へ「また来たよ!」。ここは何度来てもずっと時が止まっていて、なんでこんなことになっちゃったのか、なんで?なんで?といつもぐるぐると思います。今回は三角地帯まで歩いて行ってみました。津波の動画でよく見る新北上大橋のたもとです。大川小学校でお線香を手向け黙とうを捧げます(ⒸREviveJapan)学校の裏山にある左上の白い立て札が津波の高さ/右奥に緑の新北上大橋当初の避難場所(新北上大橋のたもとの三角地帯付近)から大川小学校を眺める震災前は木々や家が建ち並んでいたのでここから学校は見えません津波は新北上大橋の上まで来ました学校の周りは全て流され学校だけが残りました朝6時でしたが大型ダンプカーが数台走っていきました「また来るから!」大川小を後にして、気仙沼向洋高校へ。ここで他の参加者の方々と気仙沼復興協会KRAの方々と合流し、本日の活動内容の説明を受けます。今回は予定通りお伊勢浜における行方不明者の捜索です。お伊勢浜を再び砂浜にするために現在工事が進められており、海中にある壊れた以前の防潮堤を撤去したところ、その下敷きになっていた当時のものがたくさん打ち上げられるようになったとか。今月中旬には砂を入れるそうなので、砂に埋もれてしまう前に最後、徹底的に捜索してほしいと。14年に訪れた時に巨大な防潮堤が出来たら浜は消滅すると聞いていたので、本当に良かったです。震災遺構:気仙沼向洋高校の周辺(車中より)気仙沼向洋高校に隣接して建てられた「気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館」周辺はまだ盛り土の作業が行われています4階まで浸水しましたベランダのコンクリートの柵が2階は全壊、三階は一部壊れているのがわかりますopenは明日3/10ミーティングにて/今回の参加者今回の活動場所13年に訪れた地福寺と鎮魂の森(結構生い茂っていました!)の前を通りお伊勢浜海岸へ。すっかり様子が変わっていました。ちょっとビックリ。内陸に壊滅し多くの犠牲者の方々が出た杉ノ下地区の当時の避難場所「杉ノ下高台」の上にかさ上げして作られた、海水浴客の為の一時的避難場所が見えます。お伊勢浜左奥にちょっと見える赤と白の柵が海水浴客のための一時避難場所杉ノ下高台(当時海抜11m、今は2m地盤沈下で9m)のかさ上げされた場所にありますKRAの方の指示のもと、レーキを手に一列になって海側から陸に向かって探していきます。防寒対策をバッチリしていきましたが、風が思ったほど強く吹かなかったこともあり、日が昇るにつれポカポカ陽気の中、暑くも寒くもなく作業することが出来ました。作業前に黙とう(ⒸREviveJapan)防寒対策バッチリで(服装メモですw)一列になって探していきます(ⒸREviveJapan)(ⒸREviveJapan)途中何度か休憩を挟み、帰りのこともあるので私達はお昼で離脱、残った方々に後を託しました。その時点でもすでに手掛かりになりそうなものが何点か見つかっており、見つけることが年々難しく数も少なくなってきている中で、今回は一番数が出たのではないでしょうか。とにかく本当に良かったです。休憩中また砂浜として防潮堤がだいぶ出来てきています破壊された水門!?が残っていましたお疲れさまでした(ⒸREviveJapan)その後はおさかなの駅で現地の美味しいものをお買い物、ほっこり湯で汗を流しホッと一息、みんなで休憩をした後、南三陸のさんさん商店街では志津川病院と防災庁舎を遠巻きに手を合わせ、帰路につきました。帰りのバスの中では、それぞれが買ってきた復興地ならではの珍味やお刺身を頂きながら美味しい日本酒を飲み、SAで食べた喜多方ラーメンも美味しかったです。また、久しぶりにキャプテンがバスに乗っていて嬉しい再会でした。おさかなの駅には地元の名産品がたくさん気仙沼ほっこり湯風呂上がりにみんなで南三陸さんさん商店街教えてもらった「たこバーガー」は売り切れ残念・・・商店街から眺める左:白い建物の志津川病院と右:赤い防災庁舎もおかのほし(サメの心臓)おまけ:お昼に食べそびれたおにぎりで喜多方ラーメン塩辛2、雪っこ8、めかぶ、ふのり、クリームサンド3、タコ刺し、他にも日本酒「日高見」もこの時期、テレビでもたくさんの特集が放送されており、20代30代の若い人たちも復興地で頑張っているのを見ます。今回のバスでも活動先でも消防士を志す大学生もいて、心強い限りです。8年経ちましたが、復興地に来るとあんなことをしたな、こんなこともしたと色々思い出します。1年ぶりでも「よく来たな!」と言われると嬉しいものがあります。復興地ではまだまだ盛り土をしているところが多く道のりは遠いですが、少しでも役に立てることがあればこれからも心を寄せていきたい、お手伝いしたいと思います。お疲れさまでした。ありがとうございました。帰りのバスから見た夕日
Mar 9, 2019
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仕事が終わったら、今夜のオール仕事はお休みをいただいておりまして、、、 行くぜ東北、気仙沼へ1年ぶりです。まもなく8年になりますが、今なお2,533人が行方不明のままとなっています。1人でも多くの方が家族のもとに帰れますように。〇出発日(8日) 山梨県北杜市20:00出発==各所==《中央道・首都高》== 東京駅22:50発==池袋23:20 発==《東北道/蓮田SA(休憩)、ほか適宜休憩〇活動・帰着日 (9日) 菅生PA(朝食・着替え)・三陸道》== 大川小学校跡(立寄り)==南三陸町==コンビニ(買物)== 現地受入先08:30着 (活動)~13:00出発== 気仙沼市内(入浴、自由時間)13:30~15:00==(買物)== 逆コース= =《東北道/国見SAなど(適宜休憩・夕食)》== 池袋22:50着==東京駅23:20着== 《首都高・ 中央道》==逆コース==北杜市01:30着予定私は東京からですが、山梨からバスを出してくれている山梨峡北交通株式会社、リバイブジャパンさん、いつもいつもありがとうございます。今回も行方不明者の捜索及び海岸清掃の予定です。事故・ケガに気を付けて無理せずしっかりとお手伝いしてきます!!!スケジュールの都合で結局行けなかったけど広島・岡山豪雨ボラの際に更新済気仙沼の天気もちろん、お土産もたくさん買いまーす
Mar 8, 2019
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いつも東北復興ボランティアでお世話になっているリバイブさんのボラバスが東京からも出してくれるようだので、9月に岡山・広島方面に行く予定で調整中だっぺいつもありがとうございます!!!* REviveJapan公式ブログ:https://ameblo.jp/team-revivejapan/あっ、更新しに行かなければればれば・・・。
Aug 9, 2018
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絶賛外日どんどんど~んっ!!!先週の今週と言うこともあって、普段は関わらないジーチャンバーチャンもわざわざ顔を出してくれ「良かったよ」「次はいつ」と声をかけていただく大盛況っぷりで。嬉しい。ありがとうそんな話しで超絶盛り上がる中、施設からの頂き物はなんと防災キット。そろそろ期限が切れるので、在庫処分ってことらしい(笑)。こういったモノ、ちゃんと用意してあるんだと改めて感心。自宅は用意していない改めて反省。防災キット、、、洋物はなんかかっけー!!!wこれらは今度山登りしたときに頂くとして、これを機会に自宅用に揃えるべ
May 23, 2018
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2011年3月11日14時46分18秒、あの日あの時から。気仙沼の観光名所の一つ岩井崎にある津波によって出来た「竜の木」震災により犠牲になられた方々へ、心からご冥福をお祈りします。また1人でも多くの方が家族の元へ帰れますように。
Mar 11, 2018
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仕事終わり、いそいそとまずはGO高田馬場the HARLEY(笑)。サクッとお一人様自分誕生日の前祝いをかましてからの~、GO気仙沼。the HARLEYのニコラシカはピカイチ!!!ボランティアバスがどんどん減る中、回数は縮小しましたが未だ山梨(!)からバスを出しているリバイブジャパンさん。ありがとうございます、今回もお世話になります。男気溢れる社長や常連の皆さん、初めましての皆さんも含め今回は36名で気仙沼へ行きますが、小学生や高校生もいて、頼もしい限りです。そんなバスの中で誕生日を迎えました。おめでとう、オレ、ありがとう、オレ(笑)。この日のスケジュールⒸREviveJapan途中小雪がちらつく中、無事に復興地に到着。夜明けを待って、まずは大川小学校へ向かいお線香を手向けご冥福をお祈りしました。7年経ちましたが、こういった当時そのままの建物を見るとまだ涙が出ます。この辺りは特に時が止まっているかのようです。地盤沈下で冠水したままの中に家が数軒灯りが付いているので住まわれているようです新北上大橋震災前の大川小学校同じアングルで震災前の小学校の周りにはたくさんの民家がありました津波はその民家で直前まで見えなかったそうです小学校前の道路/小学校以外建物は全て流されました北上川河口付近、、、水面と道路の高さがほぼ同じ・・・先日までの大雨で道路があちこちで冠水(ⒸREviveJapan)南三陸付近(ⒸREviveJapan)鉄道は復旧できないとのことで代わりにBRTが走っています走っているのはバスですが、バス停ではなく駅と書いてありますねその後、気仙沼復興協会へ行きオリエンテーション。震災当時から今までの歩みなど色々なお話を聞きました。復興協会の方々も当時は100名以上いたスタッフも今や3名(!)で運営をしているそうで、、、中々大変そうです。気仙沼の被害と復興状況を聞きます今日の活動は明戸海岸での行方不明者の捜索及び海岸清掃です。移動中のバスの中で社長が話していましたが、7年経っていることもあり不明者が見つかることはまずまれで見つからないことが多く、以前のような片付け系の作業と違って達成感は得にくいと思いますが、「『今日はここにいなかった』とわかった事、そして次に訪れるボランティアに引き継ぐ事」が重要です、と。そして復興協会の方も(復興地の方々も)「くじけそうになっても、ボランティアでわざわざ気仙沼まで来てくれる人達がいるから、がんばらないとと思える」とおっしゃっていました。やっぱり大したことは出来なくとも、実際にそこへ行く事って意味のある大切なんだなと改めて思いました。明戸海岸での活動前、海岸近くの被害が大きかった杉ノ下地区にある慰霊碑でもお線香とご冥福をお祈りしました。以前行ったときよりも、すっかりキレイに整地されており、遠くに4年前にお手伝いで訪れた地福寺と鎮魂の森が見えます。本日は行方不明者の捜索及び海岸清掃です防潮堤は県内でまだ2%くらいしか出来ていないとか一番高い防潮堤は14.7mほどもあるそうです壊滅し今はもう何もない杉ノ下地区は整地され新しい道路が当時避難場所に指定されていた「杉ノ下高台」(当時海抜11m、今は2m地盤沈下で9m)にある慰霊碑その上に新しい避難場所(海水浴客の為の一時的避難場所)が整備されていました避難場所には建物がなく寒かったので近くのビニールハウスで皆でお茶を飲んでいたところに14m近くの津波が襲い5~93歳の住民3割にあたる93名もの方が犠牲になりました遠くに旧気仙沼向洋高校/この景色は4年前とほぼ変わってません(ⒸREviveJapan)明戸海岸奧に「潮吹岩」や「化石」「竜の木」などがある観光名所「岩井崎」が見えます三班に分かれそれぞれリーダーのもとで作業ⒸREviveJapanⒸREviveJapan30分に1回休憩集められたゴミ怪我なく無事に終了、お疲れ様でした!!!(ⒸREviveJapan)曇っていて日差しはほとんどなく、海からの風が冷たく寒かったですが、昼過ぎのは終了しなくてはならないため、かなり集中して探したものの見つけることは出来ませんでした。活動終了後バスに戻って昼食を取りましたが、リバイブ恒例(?)社長の炊きだしは温かくとても美味しかったです。いつもありがとうございます。リバイブ恒例、社長の炊きだし今回は蟹汁!!!蟹の出汁がきいてます・・・握ってきた握り飯と(蟹汁3杯目w)海を眺めながら気仙沼と南三陸でそれぞれ買い物をしたり温泉でサッパリした後、バスの中で皆さんと買った物を持ち寄って復興地の美味しい酒を飲み交わしながら、色々なお話をしました。社長をはじめ、常連の皆さんに誕生日を祝ってもらったサプライズ(驚)、嬉しかったです。ありがとうございました!!!さかなの駅で買い物/なんと弘前大学の吹奏楽部が演奏に来ていました気仙沼のほっこり湯風呂上がりのおビールは取り急ぎでも旨し!!!南三陸町防災対策庁舎すぐそばにある南三陸さんさん商店街防災庁舎は盛り土に囲まれ屋上しか見えず近づけなくなっていました商店街から眺められる場所に献花台があり手を合わせご冥福をお祈りしました16時も過ぎていたので人もまばらさかなの駅やさんさん商店街で買い求めた物を持ち寄ってSAで初めて食べた喜多方ラーメン、おいちかった!!!いつも少しながらも復興は進んでると感じるのに、今回はある程度の所から止まっているかのようで、以前と全く「同じ景色を見ている」という感じがしました。復興地の方々が感じている「ちっとも進んでない」というのはこう言う感覚なのかなと。それでも少しづつですが着実に復興は進んでいます。ただ、まだまだ時間がかかると言うことです。引き続き足を運びたいと思います。誕生日を復興地で迎えて、SNSでもたくさんの方々からお祝いメッセージを頂き、特別な誕生日となりました。本当にありがとうございました。
Mar 10, 2018
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仕事が終わったら今晩出発、ボランティアバスに乗って1年ぶりに気仙沼へ復興のお手伝いに行って来ます。今回は行方不明者の捜索及び海岸清掃の予定ですが、天候等の事情により当日に活動が変わるかもしれません。今もなお2500人以上の方が行方不明で、一人でも多くの方が家族の元へ帰ることが出来るよう、しっかりやってきます。また、気仙沼の今の様子などもお伝えできればと思います。お天気は回復しそうですね。寒さも厳しいようですが、気をつけて怪我のないよう行ってきます!!!
Mar 9, 2018
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2011年5月から月イチで行っていた震災復興ボランティアも、今は年イチに。なんだか申し訳ねぇがすかす、忘れちゃいねぇから!!!バックナンバーで読み返してみると、、、色々思い出します。もちろん、これからも長く長くお付き合い・応援していくつもりです。仕事の合間に手続き完了来週、1年ぶりに気仙沼へお手伝いに行ってくるぜっ
Mar 2, 2018
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東北グルメフェアで、南相馬の「あんこう鍋セット」と、言わすと知れた陸前高田の「雪っこ」をお買い求め、今夜は東北祭りどんどんど~んっ!!!あん肝味噌、おいちぃ・・・父も大好きなので実家にも1セット明日は雑炊ずら
Nov 21, 2017
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あれから1年。亡くなられた方のご冥福を心よりお祈りいたします。引き続き絶賛応援中です!!!また熊本城に行きたいな・・・。
Apr 14, 2017
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5時半に朝ご飯を3杯(!)おかわりいただきまして、6時にホテルを出発。気仙沼は快晴、昨日よりも風も弱く、港も穏やかです。出発前ホテル望洋にてホテル前から眺める気仙沼港途中休憩を挟みながら南三陸町の防災対策庁舎と、女川を通り石巻の大川小学校にそれぞれ立ち寄りお線香を手向け、ご冥福をお祈りしました。今の防災対策庁舎(ⒸREviveJapan)防災対策庁舎周辺女川町付近倒れている建物は旧女川交番(震災遺構)大川小学校の裏山今日の復興のお手伝いは石巻市鮫浦漁港にてホヤ漁業支援。ホヤ筏のアンカー(オモリ)作りです。三陸はリアス式海岸で複雑に入り組んでおり、一つ一つの港も集落が小さく、更に高齢化も進んでいます。一番若い人で40代50代だとか。アンカーを作る機械もあるそうですが、その機械を動かすのにも5名ほど必要で、隣の漁港などからヘルプを頼む事になります。ですが、お互いが被災しており自分たちのことで精一杯ですから、なかなか頼みにくい、、、ホヤの種付け時期は決まっていますし、しかも収穫出来るようになるまで3~4年かかります。間に合わなければ死活問題に直結する訳です。2チームに分かれ、7名で6tの砂をさばきましたが、2時間ほどで予定よりも早く終了することが出来ました。だけど、これを一人でやったら、、、気が遠くなりそうだし、何しろ体を壊しそうです。6t(!)の砂の山2~3人ひとチームで詰めていきます(ⒸREviveJapan)全部さばけました出来たアンカーの袋早めに終わったのでランチを取っておりましたら、市場には出回らないこの辺で採れた貝に蟹(!)太いひじき煮などを差し入れてくださり、集合時間ギリギリまで堪能しました。更にはお土産まで!お心遣い、ありがとうございます!!!お初組、高校生と大学生はホヤに初挑戦でしたが、初々しかったです(笑)。ホヤ、、、ちょっと時期が早くしょっぱい14時、二泊組と別れて帰路につきました。かなり負荷をかけた作業だった(笑)ので、腕が重かったこと重かったこと。でも、筋肉痛にはならずに済みそうです。途中、事故渋滞で東京に着いたのは22時半。歳ですかね、かなり疲れました(苦笑)。お疲れ様でした。久しぶりの復興地でした。よーく比べて見てみれば復興が進んでいるような、でも、更地に盛り土の風景はあまり変わっていないような印象を受けました。これからも例え年に一度になろうとも、手伝いを含め復興を見守り一緒に前に進んで行くという気持ちで、復興地を訪れたいと思います。催行人数に達しないのにバスを出していただいたREviveJapanさん、ありがとうございました。かさ上げなど、街の復興が本格的に始まると未だ行方不明の方の捜索も事実上終了、埋もれてしまいます。一人でも多くの方が家族の元に戻れますように・・・。
Mar 19, 2017
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バスは気仙沼に移動し、気仙沼湾を見下ろす丘陵地帯にあるリアスアーク美術館へ。ここには収蔵美術作品はもちろん、歴史民俗資料「方舟日記~海と山を生きるリアスなくらし~」や「東日本大震災の記録と津波の災害史」などが展示されています。展示被災物には、収集場所、収集日時と共にハガキ状の用紙に方言による語り口調で綴られた物語がが書き添えられており、それらが使われていた震災以前の人々の暮らし、日常、さらには被災者の思いにかなりグッときました。* リアスアーク美術館:http://rias-ark.sakura.ne.jp/2/美術館を後にし、気仙沼港へ下りましたが、この辺も1年前と余り変わっていないような感じがします。ここで各自昼食と言うことだったので、急ぎ足で「復興屋台村気仙沼横丁」へ。今日は閉村式でした。大漁丸のさっちゃん、BUGGYちゃん姉妹に会えました。良かった!!!「ありがとう」の言葉と共に閉村式後も色々な方に挨拶などバタバタ忙しい大漁丸のさっちゃんでしたが、店はもう閉めていたので、cafe&dining BUGGYで短い時間ながらも一緒に呑むことが出来ました。初めてここに来たときからの思い出話がたくさん!!!美味しい食べ物に、美味しいお酒、そしていつも元気をもらって帰りました。ありがとう、そしてお疲れ様。プレオープンの時から通って(?)いて、復興地の方と最初に仲良くなったのがさっちゃん達でしたから、私の中で東北でのボランティア、復興の原点の場所でした。閉村は寂しいですが、これからまたスタートですから、寂しいとばかりも言ってられず、エールを送らないといけませんよね。さっちゃんたちは気仙大島へ渡り、お店を続けて行くそうです。したっけ、行かなくっちゃ!!!酒はやっぱり蒼天伝!!!(母)さっちゃんと(姉)バギーちゃんと(妹)バギーちゃんは自分のお店でお仕事中でした再会を約束してバスに戻り、今度は市街地の北部にある「安波山(あんばさん)239m」へ。ここは多くの人をはじめ、お笑い芸人のサンドウィッチマンも避難した山として知られています。山道を登らなくとも山頂近くまで道路が通っており、車でも行くことが出来ますが、あの時は大渋滞して進まなかったと聞いています。安波山の山頂より今ツアー最年少の高校生二人あの日の夜、燃えていた気仙沼湾を眺める再び山をおり、気仙沼港にある本日の宿でお風呂を頂きました。高台にあるホテルですぐ避難所となり、今ではボランティアや復興に携わる工事関係者の方々の定宿となっています。お風呂にふかふかのお布団、本当にありがたいです。* ホテル望洋:http://hotel-boyo.com/部屋のお風呂は壊れて使えませんでしたが大浴場があります女子には嬉しい充実したアメニティ!!!ホテルの方による震災講話(ⒸREviveJapan)震災講話はもちろんですが、参加者同士の話しもなかなか興味深く、ボランティアや復興地に対する熱い思いをそれぞれ語り合いましたが、21時に私は一足お先に失礼させてもらいました。明日が本番、しっかり休みます。お疲れ様でした。
Mar 18, 2017
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報道もボランティアバスの数もめっきり少なくなりました。私自身も1年ぶりのお手伝いになります。先週はちょうどその日だったために満席でしたが、今週は催行人数に達しませんでした。しかし、みんなの思いに応えるため、伝えるために催行決定したそうです。ありがとうございます。前日23:50池袋を出発、休憩とりつつ陸前高田に着いたのは8:00少し前。晴れていましたが風が強く寒かったです。山梨峡北交通のボランティアバス今回は1泊ツアー。初日は陸前高田や気仙沼をまわりました。気仙沼は1年ぶり、陸前高田においては約3年ぶりです。奇跡の一本松はレプリカになり、周辺のみですがキレイに整備されていました。たもとにはアンパンマンでお馴染み、やなせたかし氏が描いた「ヒョロ松君」のモザイクタイルがあります。陸前高田においての震災遺構は、「建物内にいた方で犠牲者が出ていないこと」「かさ上げの予定区域でないなど、復興のまちづくりに支障がないこと」などを条件として、「奇跡の一本松・陸前高田ユースホステル」「気仙中学校」「道の駅高田松原タピック45」「下宿定住促進住宅」4つあります。* 陸前高田の震災遺構について: https://www.pref.iwate.jp/dbps_data/_material_/_files/000/000/039/522/60sinsaiikou.pdf2017年3月18日一本松とユースホステル、防潮堤2007年4月30日上の写真とほぼ同じ場所から同じ方向を眺める「ヒョロ松君」のモザイクタイル一本松と気仙中学校道の駅高田松原タピック45松原の松の根(保存しています)3年前に来たときと違うのは、山から切り崩した土を運ぶ巨大なベルトコンベアー「希望の架け橋」が撤去されてなくなっていたことくらいで、何もない広大な更地、かさ上げのための土の山、巨大な防潮堤、、、正直なところ「この状態になってから時が止まっている」ように感じました。高田松原のあった場所には巨大な防潮堤「希望の架け橋」は撤去されていました奥に切り崩されていた山、左は気仙中学校盛り土を運ぶダンプカーの列津波の高さは看板のてっぺん15.1mそんな陸前高田の街を巡りながら、復興まちづくり情報館へ。ここは陸前高田における復興事業やその進捗状況などを紹介しています。復興まちづくり情報館復興の状況:上2011年4月5日、下2016年10月1日高田松原津波復興祈念公園(仮称)イメージそしてバスは気仙沼へ。
Mar 18, 2017
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仕事が終わったら今晩出発、ボランティアバスに乗って1年ぶりに復興のお手伝いに行って来ます。今回は気仙沼で1泊、石巻市鮫浦漁港でホヤ漁業のお手伝い、そして陸前高田をはじめ気仙沼、南三陸、女川など甚大な被害を受けた場所も訪れる予定になっています。お手伝いはもちろん、あれから6年経った復興地をしっかり見てこようと思います。先日、南三陸のさんさん商店街が仮設から場所をかえて本格的にオープンしましたが、復興屋台村気仙沼横丁は20日までの営業です。BUGGYちゃんたちに会えるかな・・・。* 南三陸さんさん商店街:http://www.sansan-minamisanriku.com/* 復興屋台村気仙沼横丁facebook:https://www.facebook.com/fukkoyatai/
Mar 17, 2017
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外回りの仕事があったので行ってきたっぺこれで週末の準備はバッチリ、行くぜ東北1年ぶりのお手伝いです。
Mar 14, 2017
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また会いに行くよまだまだ引き続く応援中
Mar 11, 2017
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頼んだ熊本応援Tシャツ、キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ !!!!頼んだのは前面プリントタイプ熊本城の、被災地の、一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。
Oct 4, 2016
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訪れたことがある熊本城。城好き、石垣フェチとしては応援せずにはいられねぇぜ!!!ってことで、早速予約した次第* お申し込みはこちら:https://started.jp/b/kojodan/92
Aug 23, 2016
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オールはぼちぼちお忙しく終了にて、今回は忘れずに行ってきたっぺ、復興応援マルシェ東北げんき市場in浅草どんどんど~んっ!!!先日のボランティアバスで知り合った、ホヤぼーや大好きジュリーを誘いましたら二つ返事で来たずらよ(笑)。回を重ねる毎に縮小しておりますか!?出展数も少なく、お目当ての蒼天伝の男山酒造が来ないというまさかのがっでむ塩辛もなかったよ、パトラッシュ・・・(涙)。この日は風が強くて大変そうでした牡蠣の衣焼き牡蠣濃厚・・・タイ焼きならぬサンマ焼き福島りょうぜん漬け3種(メロン・大豆とゴボウ・丸々一個タマネギ)メロンは既に食べちったので画像なしwwwこの日は風がもの凄く強くテント設営もままならならず。牡蠣衣焼きのおばさま曰く、ジュリーお目当てのホヤぼーやもこの風で帰っちゃったとかで。残念ですな・・・。福島の漬け物をお買い求めたり、漬け物屋のお兄さまとお話ししたり、気仙沼のサンマ焼きを食ったりたりたりと、まったりしておりましたっけ、ジュリーが突然「あっ、ホヤぼーやだっ!!!」と。ワタクシ、「え!?どこどこ!?」みたいな(笑)。さすが好きなだけありますな・・・。だがすかす、誘った手前ホヤぼーやに会えて良かったその後上野に移動しまして、美味しい焼き鳥を堪能したのでございました。途中、所長さんと吞み友達も合流しまして、それはそれは賑やかにホヤぼーやの○○の話しとか、なんとかカットの話し(謎)とかえげつない話し、、、たーのしかったー日本酒に緑ハイ、ワインといっぺんに頼む酒の量が半端ねぇwwwまた吞もうぜっ!!!
Apr 29, 2016
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* NHK復興支援ソング『花は咲く』 アニメが持つ力とは? (OLICON STYLE):http://www.oricon.co.jp/news/2070077/full/* 【復興支援ソング】花は咲く 〜アニメスター・バージョン〜:https://youtu.be/1hSR1oj2GGIちびまるこちゃんですでに泣きそうになった・・・。
Apr 14, 2016
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先月に引き続き今回もリバイブジャパンさんにお世話になり、こちらも久しぶりの気仙沼へ行ってきました。時期が3月と言うこともあり、今回と次回の回は満席だそうで参加者は42名。若い学生さんや親子で、そして遠方からは宮崎や広島、岡山から、そして初めてボランティアに参加する方もいて、頼もしく嬉しい限りです。最初に南三陸町の防災対策庁舎に立ち寄り、手を合わせました。何度来ても、5年経っても、涙が出てきます。以前のように近くまで行くことは出来ず、後ろにはかさ上げするための巨大な土の山がありました。ここだけではなくどこもかしこも山だらけで、その山の合間を縫って進んでいくようでした。不思議な光景です。私が防災庁舎を見たのは、もうこの現在の姿になってしまってからです。以前の姿と比べ、周辺の景色も含め変わり果てた姿に余計に切ない気持ちで一杯になります。参加者42名の満席で今の南三陸町防災対策庁舎震災前の防災庁舎その後、気仙沼へ移動し気仙沼復興協会KRAの方々の指示の下、活動に移ります。気仙沼は快晴、山から吹き下ろしてくる風がとても冷たく寒いです。今日の活動場所の小泉地区は40ヘクタールの農地があり、そこも津波により塩害を受けました。そのため山から土を運んできたそうですが石が多く、その石を取り除かなければ使えません。壊滅的な被害を受けた気仙沼では仕事がないので、若い人たちは出稼ぎのために出て行ってしまいました。居るのはお年寄りが多く、その方々も日々一生懸命石を拾っているそうですが、何しろ40ヘクタールと言う広さなのでなかなか進まないとのこと。石を拾うのは簡単ですが、集まれば重いので運ぶのは大変ですよね・・・。気仙沼は快晴トマト農園「サンフレッシュ小泉農園」一室をお借りしてオリエンテーション本日の活動です活動場所はトマト農園裏に広がる畑です風が冷たいので寒さ対策をバッチリと徐々に・・・散らばって行きます広大石を拾って・・・軽トラックに運びますあっと気がついたら軽トラまで遠い・・・(苦笑)私たちバス組は移動の関係でお昼には終了・撤収となりましたが、他個人で参加された方々合わせて計64名で4面分の畑の石を拾うことが出来たので良かったです。その後、リバイブジャパンさんが震災直後から物資を運んでいた頃に知り合った方々が、上郷コミュニティセンターでお昼を用意してくださっているとのことで、地元の美味しいものをいただきました。そのお心遣い、本当に感謝です。コミュニティーセンターで地元のお母さん達が温かい昼食を用意してくれました名産品の一つ「めかぶ」更には夕食にと全員分の大きなおにぎりを南三陸も気仙沼もどこもかしこも土の山復興屋台村気仙沼横横丁に14時少し前。飲食店は14時はいったん閉まってしまう店が多く、もしかしたら会えないかもと風呂は入らず(笑)急ぎ足で行きましたら、、、ギリギリ会えたっ!!!サプラーイズ(笑)。ちょうど店を閉める所でしたが、1時間延長してくれました。休憩時間なのにありがとう。「あの頃はたくさんの人たちが来てくれて、賑わっていたよね。ありがたかったね、嬉しかったね。」とレーベンで通っていた頃の話し、そしてこれからの話し、ハーレーで吞む約束(笑)、色々話は尽きず。今年の10月で復興屋台村気仙沼横丁は終了となり、さっちゃん達は気仙沼沖にある大島と言う島で店を開くそう。強いね、元気をもらいました。その前にもう一度ここで再会を約束して。BUGGYちゃん、さっちゃんと嬉しい再会さっちゃんのお店「大漁丸」で蒼天伝美禄にお刺身新天地で新たなスタートその後「さかなの駅」に寄ってお土産(イカの塩辛、気仙沼サンド、蒼天伝美禄、雪っこ)を買い、帰りのバスの中で隣の席で仲良くなったジュリーちゃんと「雪っこ」で乾杯(笑)。23時半東京駅に無事着きました。お疲れ様でした。ご存じ「雪っこ」!!!ボランティアバスの数が減り、なかなか直接復興地へ行くことが難しくなりました。『「片付けも終わったし、後は現地の人たちがすることじゃないの?その人達は何してるの?」「なんで石拾いとか、草刈りとかこんなことしなくちゃいけないの?」今のこういった活動は地味でその意義を見いだしにくいかと思いますが、気仙沼は漁業と農業の町、復興するための「立ち上げ」のお手伝いと理解・納得していただければ。いくら道路や橋をキレイに整備をしても、人が戻ってこなければ町ではない、復興したとは言えません。』と、KRAの方はおっしゃっていました。なるほど、確かにです。以前、私も同じ事をモヤモヤと抱いていた事があります。他の人に同じ事を聞かれたら、答えられませんでした。そういえば熱い男、南相馬の松本センター長も似たようなことを言っていましたね。やもすると忘れがち、復興地の方々の言葉にはハッとさせられます。あれから5年経ちましたがまだまだ復興にはほど遠く、お手伝いが必要だなと思いました。まだまだ出来る限りの復興へのお手伝い、させていただきます!!!
Mar 12, 2016
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仕事が終わったら今晩出発、先月に引き続き復興のお手伝いに行って来ます。こちらも久しぶりの気仙沼へ。内容は農地の再生(石拾い等)又は、捜索活動のようです。いまだ2561人の行方が分かっていません。1人でも多くの方が家族のもとへ帰れますように・・・。2011年3月11日14時46分18秒、あの日あの時を決して忘れない。気仙沼岩井崎にある津波によって出来た「竜の松」復興屋台村気仙沼横町のさっちゃんやBUGGYちゃん達に会えるといいな・・・。
Mar 11, 2016
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リバイブジャパンさんのボランティアバスのブログに6日の南相馬での活動報告が詳しく載っています。竹、切ってます(笑)。宜しかったらぜひご覧ください。* 東北応援活動報告(ボランティアバス)-第138便 http://kyohoku.blog.jp/archives/51810315.html
Feb 15, 2016
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予定ではスノーキャニオニングに行く予定でしたが、雪が少ないため中止になったので急遽お世話になっていたリバイブジャパンさんのバスで南相馬へ行ってきました。14名。ここ最近はなかなか人が集まらず、催行中止になったり赤字でバスを出しているようで、3月一杯で定期的に出すのはいったん辞めると聞きました。残念です。石巻や気仙沼と違って南相馬は近いので、かなり余裕を持った行程になります。四倉PAのトイレにある放射線量情報長い休憩を取りながら、南相馬活動センターに8時半前。天気は生憎の雪でしたが、マッチングの時間が近づくにつれて総勢80名以上のボランティアが集まりました。いいね!!!松本センター長もお元気そうで、熱い熱い松本節も健在でした(笑)。南相馬市は、この4月に避難指示が解除される予定になっており、それまでに少しでも片付けが終わっていれば、住民の方々の復興への意欲や活力に繋がるかもしれません。南相馬市は、この春からが復興のスタートになるわけです。でも、本当に良かった・・・。南相馬市ボランティア活動センターは移転してました松本センター長の熱い熱いお話マッチング中・・・今回、私たちのバスは個人宅裏の竹の伐採になり、必要な道具を選別してお借りして活動場所へ移動です。その頃には雪はやんだものの、霧雨の中での作業になりました。寒いとは言え最中は汗だくですから、水分補給には十分注意を払いましたよ。伐採・運搬班:電動草刈り機1、手ノコ2運搬班:約2~3枝打ち・裁断・片付け班:8前後大まかにこんな感じで動きましたが、臨機応変に。資材置き場にて選別中今回は個人宅裏にある竹の伐採私は伐採・運搬班伐採した竹を運び出します枝(?)打ちをして短く裁断します枝打ちが追いつかず途中で伐採をストップし量を調整したり、また当初の予定よりも30分延長してやりましたが、終わりませんでした。みんな未練ガマガマでしたが、中腰での作業や、大きな竹を持って行ったり来たりとしていたので、相当疲れており足下がおぼつかず躓く人続出でした(苦笑)。枝打ちが追いつかず積み上げられた竹伐採自体も終わらず・・・ココまで片付けて終了としましたびしょびしょドロドロのへろへろ活動終了後、このバスでは社長が炊き出しを用意してくれる事が多く、今回も温かい具だくさん味噌汁を頂きホッと一息付けました。こう言うのって本当に嬉しいですよね、ありがとうございます。社長が炊きだしを用意してくれました持ってきたお弁当と一緒に・・・誰一人怪我無く無事活動終了後、南相馬、浪江を通り常磐自動車道を走りいわき市へ。1年ぶり以上に町を見ましたが、全く変わった様子はありませんでした。全く。そのときのままのように感じました。除線済みの瓦礫があちこちにまだこんなに残されています家の修理も出来ず屋根にはシートや土嚢が積まれたまま時折トラックが通るくらいで静かです南相馬と言えば野馬追い祭りが有名ですね避難指示が解除される今年はかなり盛り上がるのでは?行ってみたいです常磐自動車道の広野~南相馬間の各IC間に3カ所づつ放射線量のモニタリングポストが設置されており、計測可能な10分間平均値の最新値を表示してあります。いわき市でお風呂を頂き「いわき・ら・ら・ミュウ」で海産物のお買い物すぐそばの店でお疲れ様会で交流を社長の男気刺身盛り、ごちそうさまです!!!買った物(海苔、塩辛、三陸ワカメ、やわらかあぶりいわし)つまみ系ばっかりwww帰りのバスの中で、社長と常連様と熱い話からバカ話まで、ずっとお話をしていました。直後より山梨(!)からバスを出し始めて今回で138回目だそうで、私は後半の数回しか乗っていませんが、復興地に行く便利な手段としてお世話になりました。堅苦しくなく活動するこのバスは、みんな楽しいく温かい人たちばかりで大好きです。3月以降は未定だそうですが、出来る限りこのバスに乗ろうと思います。お疲れ様でした。来月もう一回行けるかな・・・。* 山梨峡北交通ボランティアバス: http://kyohoku.jp/%E7%81%BD%E5%AE%B3%E6%94%AF%E6%8F%B4/neverforget2011-3-11/%E5%8B%9F%E9%9B%86%E6%A1%88%E5%86%852016/
Feb 6, 2016
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仕事が終わったら今晩出発、復興のお手伝いに行って来ます。久しぶりの南相馬へ。熱い男、松本センター長に会ってきます。調べてみたら2014年12月14日以来。だいぶ経ちましたが、原発の問題もあり他のどこよりも進んでいないんだろうなぁ・・・。がっつりお手伝いをして、しっかり現状を見てこようと思います。* 山梨峡北交通ボランティアバス: http://kyohoku.jp/%E7%81%BD%E5%AE%B3%E6%94%AF%E6%8F%B4/neverforget2011-3-11/%E5%8B%9F%E9%9B%86%E6%A1%88%E5%86%852016/ * 南相馬市ボランティア活動センター:http://ameblo.jp/v-home-net/
Feb 5, 2016
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以前、ボランティアバスでお世話になった団体で、宮城県石巻市の食材を楽しむ「復興キッチン」なるイベントがあると言うことで、横浜関内へ行ってきました。定員40名の満員御礼(!)だとか。生産者さんとの交流会の場をつくり、宮城の旬の食材を使った「石巻ランチボックス」と石巻の酒蔵のお酒をいただきます 《 9品のお弁当 》 ・蒸し帆立海苔あんかけ ・くじらの竜田揚げ ・鰹のたたき和風マリネ ・さんまの生春巻き ・ホヤとネギのにんにく炒め ・寄磯わかめ豆腐ドレッシング ・ふのりと菜っ葉の煮浸し ・牡蠣味噌きゅうり ・梅笹かまぼこ 《ご飯とおつゆ》 ・ひじきご飯 ・いわしのつみれ汁 《甘っけの》 ・くるみ豆腐のスイーツ食材のうち、帆立、ホヤ、わかめ、海苔等は生産者さんからの提供品で、そのほかお料理で使うさんま醤油缶、牡蠣味噌、つゆだしなどを物販コーナーで販売していました。今回来ていらした生産者さんは、若いこのお二方。(かながわ311ネットワークより)●風間水産代表 風間亮佑さん石巻湾の海苔加工・販売会社。愛知県出身の風間さんは、石巻でのボランティアがきっかけで海苔漁師となり、その後海苔加工・販売会社として起業されました。詳細はこちら●マルキ遠藤商店 営業企画部長 遠藤裕子さん牡鹿半島 寄磯浜の水産加工業者。裕子さんは遠藤商店社長の娘さんで現役美大生です。震災後大学内で牡鹿半島寄磯の海産物を使った商品開発のためのプロジェクトチームを立ち上げました。そして美大生の面目躍如!プロデュースした商品がこちらです。「YORIISO海藻ギフト5種類」* お二人からのメッセージ:http://kanagawa311.net/11259/本格的なお品書き石巻のおいしいものがいーっぱい!!!焼酎と日本酒、、、出た!!!「日高見」!!!デザートも/石巻の法事では必ず出て子供達が取り合いだそうですwww物販コーナー有名な金華サバにかつお節、海苔を買いました石巻は、私が震災2ヶ月後に一番最初に入った被災地です。あの時は、、、と色々な思いが巡ります。ですから、こうやって関東で行われている復興イベントに初めて参加したスタートが、偶然「石巻の食材を楽しむ」という企画だったのは感慨深いモノがありました。そして、日本酒の日高見に関しても、そのときにもバスの中で寝る前にみんなで飲んだ酒でしたし(すっかり忘れてましたがwww)、何よりも強烈に覚えているのは松島へ寄り道したあるとき、お店でたまたま知り合った常連らしき地元の社長様に「日本酒だったらコレを飲め」とご馳走になったのがこのお酒でした(笑)。そのときのボランティア活動は「海苔養殖の漁業支援」で、建設途中の施設の中へ海苔簀を運ぶと言うお手伝いでした。最近、復興地に行く回数が減っていましたから、次世代の生産者さんの当時から復興までの色々なお話を聞き、苦労は計り知れませんが、若いのにとても真面目に復興に取り組み、そして石巻を愛しているんだなーと言うのがよくわかり、彼ら達の両親世代(笑)の私ですが、私ももっともっと頑張らないと、そして応援しないと、と言う気持ちに改めてなりました。もちろん、美味しいお弁当にお酒と堪能出来たのも良かったです前日の勉強の甲斐あって、なるほど的によく味わえました(笑)。被災地に行けない分、これからはどんどんこういうイベントに参加したいと思っています。
Jun 7, 2015
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がび~ん・・・。前日まで覚えていたのに朝まで仕事してたっけ、すっかり忘れちったがっでむっ!!!せっかくご近所でさっちゃんやBUGGYちゃんたちに会えるチャンスだったのに・・・(号泣)。凹む。
May 9, 2015
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山元町のイチゴ。美味しいです
Apr 30, 2015
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今回の活動場所は、前回と同じ山元夢ファームでした。5月3日のオープンに向けて、ファーム内の片付け等その他諸々です。5月3日いよいよオープンです!!!!!!3~6日はオープンイベント開催します今日の格好はたまたま、、、ウ、ウェスタン!?6チームに分かれて作業することになりましたが、私たちのチーム7名はなんと「薪割り(!)」と「薪の片付け」。薪割りは男性にお任せすることにして、私たち女性2名は今まで割られた薪をせっせと運び積み上げていきました。男性とはいえ薪割りなんてやったことがありませんから最初は四苦八苦していましたが、徐々に慣れてきてだいぶすんなり出来るようになってました。そして、若者のパワーはさすがに凄いですね(笑)。始めは四苦八苦していましたが・・・徐々に・・・慣れてきましたwwwキレイに積み上げられました他のチームの人たちは、資材置き場だった小屋を解体したり、不要なモノを運んだり、畑の草むしりをしたりと、どれも重労働だったようです。お天気はとても良かったですが海風が冷たかったので、さほど汗をかくこともなく快適に作業することが出来ました。・・・って、もしかして作業がラクだった私だけかも!?今日も配られたボランティア弁当は豪華でした前半の視察は仙台テレビさん、後半の活動は宮城テレビさんの取材が入りましたそちらでは近いうち放送されるかもしれません/麦わら帽を探せwww主役のポニーちゃんたちは本来なら一昨日あたりに到着する予定だったのに、なんだかんだで(?)明日になったとのこと。BBQ用の屋根も九州からのボランティアの方々が急ピッチで作っていました。今日一日いただけでも、ずいぶんと様子が変わりましたよ!!!山元夢ファーム、5月3日いよいよオープンです!!!!!!今度は観光客として遊びに行きたいです。帰りに南相馬にある「はらまちユッサ」の温泉でサッパリしておビールを飲みました。言うまでもなくウマす(笑)。事故なく怪我なく無事に終了しました。お疲れ様でした。* NPO未来に向かって助け合い~山元夢ファーム: https://www.facebook.com/WeiLainiXianmiraitasukeaigkatteZhukeHei
Apr 29, 2015
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男性23名、女性18名、計41名の満席御礼で山元町へ行ってきました。初めて復興地へ来る人、若い人、たくさんいて嬉しい限りです。まずは、語り部さんの案内で山元町を見て回ります。新市街地の住宅はかなり増えてきており、JRの新路線もかなり出来上がってきています。坂元駅前の以前はタクシー会社だった場所今は富山県他から送られたチューリップが咲いています坂元駅には取り壊しの案内板がありました次、私が来たときにはもうない坂元駅のプラットホーム以前よりかなり内陸に建設中のJRの新路線ずいぶん伸びてきました中浜小学校は、最近、みんなが避難した最上階の物置小屋に誰かがバールの様なモノで鍵を壊して中に入ろうとした形跡があったため、立ち入り禁止になってしまっていました。この辺りは全て流されてしまい、今現在、建物と言えば中浜小学校しかないので海までの距離がよくわかりますが、震災前は防災林があり、そして家々が建ち並んでいて海は見えず、こんなに海の近くだったとは思いもしなかったと語り部さん。何もなくなり改めて見てみれば、海からこんなに近かったんだと。中浜小学校にも花がたくさん植えられて咲いていました初めましての女性の語り部さんでしたまた違ったお話がたくさん聞けました津波にも耐えた楠木(?)今年やっと新芽が出たそうですその木にはためく黄色いハンカチにはそれぞれの願いや応援が書いてあります中浜小学校を後にする頃、ようやく霧が晴れてきました。中浜小学校に入ることが出来なかった分、新しくもう一カ所、これもみんなが避難した「磯崎山公園」に行くことが出来たので良かったです。公園の展望台にあった案内板をふと読んでみると、この辺はかの伊達政宗公が天正十七年(1589年)に戦疲れを癒すために兵と共に亘理中の船を集めこの海の沖に出て泳ぎ遊び、浜で大宴会をした場所でもあるのだとか。ちょっと萌えました(笑)。磯崎山公園/この前には美味しいピザ屋さんがあって賑わっていたんだとかこの崖に津波が当たり10m以上の水柱が上がったそうです展望台から見た磯浜漁港(全壊)だいぶ復興しています津波前、湾内の海水がものすごい勢いで全て引き、沖合まで砂浜のような感じになったのを見て漁師さんはこれは大きい津波が来ると思ったそうです。漁港の左にずぅっと伸びる防潮堤/中浜小学校方面を眺める展望台より奥へ続く道の途中に・・・もちろんこっそり座ったのは言うまでもなくw展望台の更に上、山の奥津波で膝まで浸かったそうです磯崎山公園入り口から漁港方面をみた防潮堤バスの中で、当時2歳とか小さかった子供達が、4年経って今やっと当時のことを話すようになったと聞きました。大人達は小さいから覚えていないと思っていたそうですが、「あの時は怖かったよ」とか「じいちゃんが助けてに来てくれて良かった、ありがとね」と言うのだそうです。中浜小学校の建設時の話、震災数日前の偶然の話、当日の校長の判断、子供達の話、磯崎山公園のピザ屋さんの話、104歳で今年初めに亡くなったおばあさんの話、復興地における色々な話しを聞くたび今でも涙が出そうになりますが、みんなそれぞれ頑張っていると思うとまだまだ出来る限り応援していこうという気持ちになります。旧相馬亘理線を走るかつての住宅街も今は草原色々な話しをありがとうございました語り部さんを始め、復興地の方々にいつも言われる言葉は「遠い東京から来てくれてありがとう」です。一緒にがんばっぺし!!!
Apr 29, 2015
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今夜、仕事が終わったら行ってきます。山元町へ。今年初めてのお手伝いです。前回は12月でとても寒かったですが、今回はもう熱中症対策をしなければ行けませんね。久しぶりなので、お手伝いはもちろん町の様子などしっかり見てきます。* 前回のお手伝い(12月) 町の様子:http://plaza.rakuten.co.jp/istyle/diary/201412070000/ 活動内容:http://plaza.rakuten.co.jp/istyle/diary/201412070001/* アミー号で行く!!関東発東北復興応援バス: http://www.amy-go.com/tour/volunteer/index.html
Apr 28, 2015
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今年度も。まだまだ行きます。よろしくお願いします。
Apr 23, 2015
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日本橋に来たら是非とも寄ってみたいお店があったので、行ってみました。 わたすカフェ今年3月にオープンした「わたす 日本橋」は、「南三陸町と日本橋に、人と未来に、心の架け橋を」の想いに端を発する、宮城県南三陸町をはじめとする東北の被災地を応援する情報発信・交流を目的とした常設拠点だそうで、わたすカフェは東京の方々に南三陸町をはじめとする東北の魅力を知っていただき、興味を持っていただくきっかけとなることを目的に、地元の海の幸、山の幸を中心に使用したメニューを提供するカフェスペースです。ちょっと前に知ってとても気になっていました。とてもお洒落なカフェです最近、復興地にコンスタントに行けなくなってしまった上に、利用していた数件のボランティアバスはどこも4月からの運行のスケジュールは未だ発表されていません。ずっと復興地でお手伝いをしてきて、手伝う内容もだいぶ変化しましたが、この辺りが切り替え時なのかなぁ・・・。もちろん行けるときがあれば引き続き行くつもりではいますが、なかなか行くことが出来ないなら復興地の名産品をよりいっそう意識して買って、食べて、飲んで、想って。いくらでもお手伝いになることはある、とは思います。・・・でも、やっぱり行きたいですけどね(笑)。* わたす日本橋:http://www.watasu.net/限定30食のわたすランチ他ランチセットの南三陸のワカメや海苔を使ったサラダやスープワカメが練り込んであるパンはワカメの香りがとってもいいね!!!フィッシャーマンカレー、すぱいしーでウマす!!!南三陸産のムール貝にカレーソースは海老・小柱・烏賊ミンチがたっぷり使用松島ビールなど復興地のお酒などもあり、頼もうとしましたら、、、ランチタイムはアルコールNGなんだとか。マジスカザンネン・・・。様々なフレーバーのお茶などもあるので、お近くに来たときにはぜひとも立ち寄ってみてください。ところで、「わたす」って「私」がなまって「わたす」なのかと思ったっけ、南三陸町、東北と日本橋をつなぐ「橋渡し」、さらに「和を足す」と「輪を足す」なんだとか。あらやだ失礼、ごめんなさいっ!!!* 「日本橋わたすオープン!」中央区観光協会特派員ブログ: http://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/2015/03/post-2331.html
Mar 16, 2015
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最近なかなか行かれないけれど大丈夫、忘れてないよ忘れるわけがないよ心は共にこれからもずっと一緒に
Mar 11, 2015
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今回の活動場所は「山元夢ファーム」。南相馬から避難してきたポニーを飼育することにより人を集め、また被災して散り散りになった住民のコミュニティー再生の一助にしたいと考えているそうです。* 原発避難ポニー 山元の手作り牧場で飼育: http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201412/20141206_13007.htmlこの場所は住居を建てられない地区なので、グリーンベルトを初め公園やこういった施設を作っていく予定なのだとか。今回の活動場所「山元夢ファーム」全てボランティアの方々で作ったのだとか(凄)道路挟んで反対側(海側)ビニールハウス作りと側溝の泥だしの依頼でした。今回の参加人数はとても少なく16名(男性12名・女性4名)、まずは全員で側溝に取りかかり、途中からは8名づつ2班に分かれて作業を続けました。私は「最後まで側溝チーム」です。側溝の泥はそんなに溜まってはいないのですが、草が生い茂っていて側溝さえ見えないので、まずは草を刈っていくところから始めました。刈り終わった後は土を掘り起こし整備していき、最後に一気に側溝の泥を出す、と言う作戦で(笑)。まず道具を運びます側溝チーム、作業開始鎌→レーキ→スコップの三刀流で草を刈り掘り起こします仕上げの側溝の泥だしはお手の物V朝ご飯は持参したリンゴ休憩時には山元町のお母さん達が作っている桑茶で温まりました道路に散らばった泥は竹ぼうきでレレレのオバサンwwwお昼は仙台で作られているコラボ弁当「復興ボランティア弁当」「関東地区よりご苦労様です」の一言が嬉しい開けてびっくり今回は(も)豪華でした♪とても美味しかったですちょうどお昼に一区切りついたので、午後はそこに植樹をして完了。完璧ですキレイになったらみんなで「くぬぎ(塩分に強い)」を植樹して完了少人数で短時間でしたが見違えるほどキレイになりました。嬉しい!!!ビフォーアフタービニールハウスチームも着々と来春アロエベラを栽培するそうです「未来に向かって助け合い」さんのFacebookのタイムラインに漢前な後ろ姿が写っています(笑)。そして14時、怪我もなく無事に作業が終了しました。途中の郡山でお風呂をいただいて帰ったのですが、私の余りの漢っぷりに男湯のロッカーの鍵を渡されたことはここだけの話しって事で(笑)。お疲れ様でした。昨日、再開通したばかりの山元IC帰り道、車中からこの日の夕日ひとっ風呂浴びた後のおビール、うままままぁ~正直、このところ自分の中で「復興のお手伝いの意義」が見い出せずにいました。ただ、先日、山元町の友達に「とにかく来てくれるだけで嬉しいんだ」と言われたこと、そして今日の語り部さんの「山元町の全員が『自立出来ました』と言えるまでお手伝いをして欲しい」という言葉で忘れていたモノを思い出し、今回久しぶりに、少しだけ変化した町を見てそしてお手伝いしてみて、「やっぱり来て良かったな、また手伝いに来よう」と再び思えるようになりました。そういった点で今回はとても印象深い活動になりました。ありがとうございました。
Dec 7, 2014
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5月以来の山元町に行ってきました。日の出前、朝の気温は0℃。寒いです。途中、国見SAは雪がちらついていました、寒っ!!!今回、お世話になっているアミー号は、最初に「やまもと語り部の会」の方と一緒に町を視察するツアーになっています。語り部の方は元教職員だった方なので、当時の話しや今の状況などとてもわかりやすく説明してくださいます。山元町は「山」下村と坂「元」村が合併した町です。被害が拡大したのは、地震で防災無線が倒れ寸断されて津波警報が伝わらなかったこと、そして、地図で見てもわかるようにほぼ海岸線に沿った主要道路しかなく山側へ通じる道路が少なかったこともあるようです。復興計画としては、海岸から元JR常磐線の線路までは建物が建てられず、グリーンベルトに、寸断された主要道路、元JR常磐線はそれぞれかさ上げして第一堤防、第二堤防に、そして、新市街地の住宅や新しい線路や駅の建築が始まっていること、昨日6日、常磐道の山元ICから浪江ICまで開通(来年春には全線開通予定)したこと、先日、被災後初めて名産品だったホッキ貝や鮭の水揚げが出来たこと、などなど、嬉しい便りがあったり、少しづつはありますが復興に向かって進んでいるように感じました。よかった。ただ、議会などで何度も何度も話し合っても、まだまだ解決しないことも多いようです。塩害の土はかさ上げ用に、農地などで使う塩害のない土はリニアモーターカーの建設により削られた横浜付近の土を、山元市内だけで全国各地ナンバーのトラックが実に3000台(!)も行き来しているそうで、そのためにしょっちゅう渋滞するんだとか。(前回来たときにはなかった)新市街地の住宅と駅、建設中すでに住んでおられる方も今、仮設住宅は3割以上空室全壊した坂元駅のホームで日の出もうすぐこのホームも取り壊されます坂元駅から町の方へ眺める全半壊した中浜小学校をどのように残すか、またその前にある世界的にも希少な津波湾はどうするのか、まだまだ議論・検討が繰り返されているそうです。凍ってました全半壊しながらもここに避難した人全員が助かった中浜小学校校舎に張ってある青い案内板が到達した津波の高さ二階部分在校生で校舎のお別れ会をしたそうです校舎のそば(?)に建てられていた過去の津波の記録の碑すっかり忘れ去られていたそうで、建て直して今後の教訓に生かすとか東京電力の火力発電舎の煙突からモクモクとここから60km先に原発がありますあの日あの時、瓦礫だらけになった町が、ここまでキレイに片付けられて、そして新しい町としてこうやって復興していくのを、実際に目にすると「あの状態からここまでよくきたなー」と、なんだか感慨深いです。2ヶ月後に被災地に行って、まだ「片付け」の活動をしていた頃は、片付けても片付けても片付けても、延々と、、、終わらないんじゃないか、と思うほどでしたから。地元の方々は復興の遅さにもどかしさを感じているようですが、確かに歩みは遅くとも着実に復興しつつあると私は感じました。まだ道のりは遠く、難題も山積みでしょうが、一緒にがんばっぺし東北っ!!!
Dec 7, 2014
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