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もう一か月近く前になるけんども(苦笑)2021/2/28、ついに東海道五十三次復路踏破したっぺ、どんどんど~んっ!!!楽しがった、この旅での経験は一生の宝物。ありがとうございました最終日はリーダーの前からスタートでした。ぷ。 〇東海道五十三次復路:川崎宿~品川宿: https://plaza.rakuten.co.jp/istyle/diary/202102280000/ 〇東海道五十三次復路:品川宿~日本橋ゴール: https://plaza.rakuten.co.jp/istyle/diary/202102280001/ 前に進む #STAY SAFE、STAY STRONG
Mar 22, 2021
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さすがお高めクオリティ、拙者御用達の某サイゼとは違って超絶美味でござった満足満腹にて、ちょいと先にある磐井神社にてお参り。ゴールまであとわずかな道中の安全と、これまでの道中の感謝を申し上げ、ラストスパートどんどんど~ん、1200過ぎ。鈴ヶ森刑場へ向かう途中にしながわ水族館に出くわしびっくり花子。こんなところにあったのか、、、っつか、12年前の行きにはなかったし(苦笑)。そして品川宿の入り口、鈴ヶ森刑場跡。京都にも(明智光秀の遺体が晒された)粟田口刑場があるように、宿場の入り口には刑場があることが多く、特に江戸時代は浪人による犯罪件数も急増していたことから、江戸に入る人たち、とくに浪人たちに警告を与える意味でこの場所に設置されたと考えられておりますれば。鈴ヶ森刑場を過ぎて別れの泪橋、いよいよ品川宿でござんすよ。しながわ水族館(1991年10月開館)泪橋この辺りは青物横丁商店街、通称「あおよこ」と呼ばれ、江戸時代から青物の市場があり大きな八百屋が軒を並べて、大変賑わっていたそうで。そして今回は数多くある寺社は華麗にスルー。この旅とは別に七福神巡りみたいなことをすればいいしと、行きには寺社にばかり目がいっていて「奥が深ぇや、てやんでぃべらぼうめ」などど、はしゃぎまくっておった若い頃がお懐かしゅうございます。大人になったなぁ・・・(苦笑)。行きにお買い求めた「品川懸ビール」の酒屋さんは閉まってて残念無念そんな品川宿の商店街を抜けて再び国道15号に出て進めば、品川駅、そしてこちらももちろん行きにはなかった高輪ゲートウェイ駅。そこからほどなく高輪大木戸跡。つまりはお江戸の入り口でござんすな。ぬぉー帰ってきたぜー田町駅を過ぎたところに西郷隆盛・勝海舟会見の碑がありますが、今は工事の為一時移転保存中。そう言えば、西郷どんは府中宿でも山岡鉄舟と会見しておりましたなぁ。品川駅前ゲートウェイ駅付近にはさすがにまだ何もなし高輪大木戸跡左にそれると東京タワー工場シリーズ!?今回は森永乳業さんwww西郷隆盛・勝海舟会見の碑は工事の為一時移転保存中新橋駅のガードをくぐればお銀座、そして、、、 1600、ついに日本橋ゴーーーーーーーーーーーーール!!!東海道五十三次往復踏破で御座候。苦節12年。ゆるゆると往復したっぺ。色んな冒険、迷子は当たり前でナンパ(!)されたり、美味しい食べ物にお酒、沢山の出会い、人生の糧、ありがとう。ま、すっかり年とっちったけどとにもかくにも旧街道の旅はおーもしろがったー!!! 日本橋から東海道、京都三条大橋 そこから京街道で大阪 大阪から暗峠奈良街道で奈良 奈良からお伊勢参り伊勢本街道で伊勢神宮 からの伊勢街道で東海道へ 御油宿から見付宿は姫街道、 後はひたすら東海道で日本橋ゴールこの経験は一生の宝物。感慨深い上に寂しい気持ちで一杯だがすかす、今度は思い出深い宿をつまみ食いしたい。ぷ。* 旅行記はこちらにまとめてあります。よかったらぜひ。 (初期の頃は画像が表示されにくい場合があります、スミマセン) 行き:http://www.mejina.com/53next/ 帰り:http://www.mejina.com/53next/hukuro.html前に進む #STAY SAFE、STAY STRONG
Feb 28, 2021
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本日快晴、この旅が終わってしまうのは寂し気もするがすかす、前回のゴール旧聖地にあります巨大なあのお方を拝み気持ちを奮い立たせご出立、いざいざいざいざ日本橋へ0830過ぎ。すぐに旧街道、わしわし進みます。そこかしこに川崎宿、そして案内板や五十三次にちなんだものがたくさんあって、弥次喜多徐々にアゲアゲでござんすよ街道沿いの某銀行のシャッターも五十三次中の本陣跡前信号機にも!!!多摩川まで出ましたら、「六郷の渡し」の代わりに「新六郷橋」を渡りますが、橋の真ん中で東京都(大田区)に突入!!!ついに東京だと感慨深く思っていたっけ、そこから見える富士山をよそに(?)川っぺりでは皆さんゴルフを楽しんでいらっしゃり。時代ですなぁ~。渡し船のモチーフのある新六郷橋東京都!!!らぶ・富士山!!!ゴルフの打ちっぱなしそこからはほぼほぼほぼ国道16号を進みます。道路標識に日本橋の文字がトランプタワー???w梅屋敷公園(江戸時代に道中の常備薬「和中散」の売薬所の敷地3000坪に梅の木数百本と花木を植え、東海道の休み茶屋があったところ)辺りで、行きにモスモスを喰った記憶が蘇り(笑)、見渡してみたっけ、あ、あったーっ!!!立ち寄ろうとも思ったけんども、お昼にはちと早かったのでスルーした残念無念。梅屋敷公園にある「日本橋三里十八丁」あったー、懐かしのモスモス大森町駅の辺りで国道16号を逸れて細い道に。レンガ道のちょっとした商店街でなかなか雰囲気があります。突然ジャングルがwww花屋さんでした再び16号に出てこの先すぐの鈴ヶ森刑場からまた細い道に入るのはわかっていたので、この辺でと某ファミレス(ちょいとお高めランクw)で昼飯休憩一服1100過ぎ。至福の一杯www安定のハンバー―――――――――――グ!!!品川宿はすぐそこ。・・・つづく。前に進む #STAY SAFE、STAY STRONG
Feb 28, 2021
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田中屋を過ぎ下り続けると国道1号にぶつかり旧東海道は分断され、国道1号を突っ切り神奈川駅より脇道に入ると再び旧東海道。「宮前商店街」とありましたが、、、全く持って商店街じゃなかったでござんすよ!?名残!?商店街を出て、今度は16号をひたすらひたすらひたすら歩きます。国道16号この辺りからは、ほぼほぼ京浜急行と並行して進みますが、仲木戸駅(東神奈川駅)を過ぎ、、、ここは三味線のメンテナンスで大変お世話になっているお店がある最寄り駅で、行きには三味線の三の字もなかったので、「そうか、こんな近くに」ってなんか不思議な感じがするでござんすな。更に新子安→生麦と行くわけですが、コロナ禍ならでは!?なんとモツ煮の自販機を発見興味津々だったがすかす、冷蔵パック売りで、まだまだ道中も半ば、今日はとてもお暑ぅございましたのでお買い求めませんでした。ま、あんましモツは好きじゃないからいいんだけんども。ぷ。その後も、高層マンションの中にポツっと朽ち果てていく古いお家や、ケチャップ発祥の地があったり、才兵衛稲荷の悲しいお話など、中々面白いものがたくさんありました。3人前600g1000円也 時代の流れの象徴的な風景/ケチャップ発祥の地才兵衛稲荷付近少し行くとメルシャンではなく今度はキリンの工場(笑)。その敷地に沿ったところに生麦事件の碑が建っています1220。んー、こんな整備されていたっけか!?12年の月日は昔から比べたら一瞬だが長い・・・。キリンの工場ほぼほぼ工場内に事件碑事件所縁の井戸跡、、、所縁の井戸ってどゆこと!?生麦付近、、、右はまだまだキリンの工場(広大)それにしても今日は超絶あっちぃあっちぃ。前回、寒すぎて汗一つかかなかった時とは大違い。平地とは言えそれだけでも体力を奪われるのに、朝から何も食べず(!)にここまで来てお昼近く。いよいよ腹減りMAX、行き倒れそうなくらいの飢餓状態に(笑)。16号に出てからファミレスとか何かあるかと思っていたけんどもこれと言った店もなく、さらに生麦で16号から逸れちゃって↑のような裏道的な道を歩いておりますればさらに望み薄く。ととととと、とりあえずは鶴見まで耐え凌ぐんだ。フラフラでござんすよ・・・やっと鶴見駅周辺1300、居酒屋さんをはじめ色々店はありますが、今、食べたいものはと言えば、、、天ぷらや蕎麦、餃子ラーメンでもピザでもパスタでも刺身でもなく肉肉肉。そして気兼ねなく長く休憩できる場所をご所望でござれば。アッと見つけたAチーム(謎)ライブ時御用達の店、某サイゼリア(笑)。お安く軽く済ませられる庶民の強い味方、あぁぁぁぁ~、ありがとう 今は紙にオーダーメニューを書いて店員さんに手渡すシステムらしい・・・そしておビールは生ではなくて缶でのご提供、、、ちょっち目がうつろ!?wwwハンバー―――――――――グ!!!(単品500円)小一時間ほど休憩しまして、飢餓脱出(笑)、再び元気にご出立1400前。鶴見橋のたもとに「鶴見橋関門旧蹟の碑」。先の神奈川台関門と同じ関門。その鶴見川を渡り川崎宿に差し掛かります。途中でお腹が痛くなるピンチはお約束。ははは・・・鶴見橋銭湯!!!川崎宿全体(右の川は多摩川の六郷の渡し)せっかく川崎宿に来たんだから、旧?聖地に立ち寄って巨大なあのお方を拝まないとって事で、ちょいと寄り道。これまた、チッタと旧東海道がこんなに近くだとは行きにはこれぽっちも思わず。飾られてから一度もチッタへ足を運ぶこともなかったわけで、やっと見られて、今まで当たり前だった濃密なライブのことなどを思い出し、来週は1年ぶりのライブだと、しばしふけるふけるふける・・・。そうだ、ここで終了して、ここで帰り道・日本橋までの最後の旅に出立するのも粋かなと、急遽ここをゴールとしたでござんすよ1500。よーお、よよよいよよよいよよよいよいっ 1日のみ:保土ヶ谷宿~神奈川宿~川崎宿 約13km残るは品川宿、そして日本橋・・・。やっと見ることが出来たっぺすかす行きと帰り、同じ道とは言えども、その道の右を歩くか左を歩くかで見つけるモノが全然違う。ましてや10年以上も経っていたら、そりゃ、道も建物も変わるってもんよ。やっぱ、おもしれぇっ!!!#STAY SAFE、STAY STRONG
Feb 7, 2021
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ただいま保土ヶ谷宿、もう泊まってやるような距離でもないので刻んでいくってんで、本日1日の旅でござんすよ比較的ノンビリ起きまして、アッと言う間の前回のゴール保土ヶ谷駅0930。いざいざいざいざ出立、どんどんど~んっ!!!駅を出ればほどなく旧東海道。わしわし進みます。街道沿いのとあるお寺の入り口、、、なんでお釜!?旧帷子橋跡を過ぎますとそろそろ保土ヶ谷宿の端、行にも驚いた鯉まみれの帷子橋を渡ったところに最初の神社にて、今回の旅の安全を祈願した次第。橘樹(たちばな)神社はスサノオノミコト(牛頭天王)を祭ってある神社で、かつては牛頭(ごず)天王社と称し、 当地名の天王町は旧社名に由来しています。御朱印を頂き、先の節分をはじめ色々な行事が出来ない、そんなお話を神社の方と少ししました。色々難儀な世の中になったもんだ。旧帷子橋跡帷子橋の鯉は今も肥えに肥えてご健在www 橘樹神社を後にし、国道16号を渡ると一転賑やかな松原商店街。大型スーパーと言うよりも、昔ながらの八百屋さんやら魚屋さんやら、そんなお店が立ち並ぶどこか懐かしい雰囲気の商店街です。しかも安っ!!!ここでふと目に留まった雑貨屋さん?にあったトイレマット。ちょうど新しくしようと思っていた矢先、そしてちょっち長めなのがいい。迷わずお買い求めまして、ここから先はトイレマットを背負って進みます。ぷ。店主のオジサマに、手提げにもリュックにもなる「ANTHEMバッグ」の使い勝手が良さそうだねと褒められちった、うぇ~いっ!!!行きは露店も出ていましたが、露天はなくとも松原商店街はお買い物客でとても賑やか左に曲がると八王子へクマちゃん・・・さすが横浜、小洒落てますな・・・ 拙者が生まれる前からある歩道橋歩道橋から右をまっすぐ見るとランドマークタワーが!東海道と八王子道の分岐点、追分を過ぎ国道16号。そして再び脇道は緩やかな上り坂えっほえっほ陸橋「上台橋」あたりが神奈川宿の入り口(上方見附)付近。かつてこのあたりは、潮騒の聞こえる海辺の道だったそうですが、海方面を見てもビルが立ち並ぶばかりで潮騒はもちろん、面影は一つもありゃしねぇ・・・。国道16号再び逸れます上台橋上台橋から海側を見る両側にマンションが立ち並ぶ道を登り切ったところに神奈川台関門跡の碑。横浜港が開港後、幕府が外国人保護のために安政五年(1859年)から明治四年(1871年)に廃止されるまで関門が設けられ警備にあたりました。ちなみに生麦事件は文久二年(1862年)。そこから今度は下っていくと、知る人ぞ知る「田中屋」1100。田中屋の前身「さくらや」は広重はんの「東海道五十三次神奈川宿」にも描かれており、そして坂本龍馬の妻、おりょうゆかりの老舗料亭でござれば。店が開いておりましたので前回の戸塚宿本陣のノリで「がんばってランチならイケるかも!?」と思って入り口でメニューを見せていただいたっけ、全然無理だったすまなかった・・・当時の神奈川台関門今の神奈川台関門付近はマンションが立ち並ぶ「田中屋」当時はこんな感じ!?広重はんの「さくらや」ちょっち期待していたこともありガッカリ、とぼとぼと先に進みます(苦笑)。・・・つづく。#STAY SAFE、STAY STRONG
Feb 7, 2021
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戸塚宿に入ったところで適当に飯でもと思いつつ歩いていたら「本陣」と名の付く店を発見。そう言えば、草津宿の脇本陣跡が蕎麦屋だったので立ち寄ったことはあったがすかす、本陣跡(正確に言えば本陣跡向かい)が店で立ち寄ったことがあるのは、、、今の所思い浮かばねぇなぁ。とにもかくにも迷うことなくお立ち寄り。ガラッと戸を開けたっけ、どど~んっと赤絨毯の階段にビビるリュックを背負ったバックパッカー風の拙者は、ももももももしかして場違いでござるか!?的な(苦笑)。お土地柄、五十三次をモチーフとした店づくりになっているそうで、各お部屋が宿の名前になっておりました。超絶お寒かったけんども、とりあえずおビール呑みつつ、大漁きじま御前をいただきまいまい。いやー、まさに大大名気分を味わったでござんすよ* https://kijimagroup.co.jp/store/honjin 「きじま本陣おもてなし館」 通された部屋は「大磯の宿」こんな格好で申し訳ござらん・・・畳敷きに椅子大漁きじま膳をいただきまいまい刺身も旨かったけど茶わん蒸し(゚д゚)ウマーさて、店を出てからもずっと頭を下げ続ける(!)お女中さんに恐縮しつつ店を出まして先に進む1300前。戸塚駅前を華麗にスルーしまして吉田大橋を渡り江戸見附跡。吉田大橋(上方方面を見る)左に曲がれば「かまくら道」同じ構図の広重さんの戸塚宿、吉田橋(通称:大橋)、橋のたもとに「ひだりかまくら道」と描かれています江戸見附を過ぎ、つまりは戸塚宿を出まして先に進み迷いに迷って(苦笑)「さいとうハム」にたどり着く1330過ぎ。ふぅ・・・。明治十年(1877年)頃、英国人のウィリアム・カーティスがこの先にある赤レンガの土蔵付近に牧場を作りハム製造を始めたとか。その時の使用人だった斉藤角次が明治十四年(1881年)、この地で日本人による初のハム製造を開始しまして、あの!「鎌倉ハム」の誕生の地になったわけです。本当は鎌倉ハム発祥の店「さいとうハム」でハムを喰う気満々だったので、閉まっていてガッカリでしたが、本陣で喰っといて良かったなと(笑)。とは言えハム、喰いたかった・・・開いておらず残念無念・・・赤レンガの土蔵が残っています水素ステーションってなんだべか!?今一度、大きな道路からは逸れ、目の前に広がる大きなマンションの山を眺めながら進み、歩道橋を渡ると品濃坂1430。ふぅふぅ坂を上って進み品濃一里塚。ここは両側の塚が当時の形で残っているので、往時の東海道を妄想しやすく萌ポイントでござんすよ品濃坂品濃坂を上って振り返るらぶ・富士山があんなに小さく わかりにくいけど品濃一里塚一里塚を越えて/今はマンションが立ち並ぶ更に焼餅坂を上り切りますとお山のてっぺん、相模と武蔵の国境の境木地蔵尊1500前。つまりは、いよいよ武蔵の国に入るわけですんー、戻ってきたねー(感慨深い)。そこからは難所「権太坂」を下りいよいよ保土ヶ谷宿。境木地蔵尊前の傍示権太坂より/右に横浜ランドマークタワーが見えます権太坂を下り切り一瞬国道一号を歩いた後、左に折れて保土ヶ谷駅裏(?)の商店街を歩きます。商店街を半分ほど歩いて所で逸れて保土ヶ谷駅。今回の旅はこれにて終了でござんす、ちょうど1600。よーお、よよよいよよよいよよよいよいっ 2日目:藤沢宿~戸塚宿~保土ヶ谷宿 約16km藤枝宿の時も超絶お寒かったが、今回の旅ももれなく、いやそれ以上に超絶お寒かった気がする・・・。 保土ヶ谷宿付近は商店街行きから12年(!)も経っておりますれば年も取り(笑)目につくものが違うんだなぁと、行きの旅行記と読み比べてみると面白い。さぁさぁさぁさぁ、ゴール日本橋までは後4つ。ここからは刻んでいきますぜぃ#STAY SAFE、STAY STRONG
Jan 11, 2021
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気絶睡眠からスッキリ起床、おはようございます0730。この時期だので、朝ご飯はお弁当配布の部屋でいただきエネチャージそして、いざいざいざいざ出立するでござんす2日目0830過ぎ、どんどんど~んっ!!!ご飯もパンも全部喰ったったwww前日のゴール遊行寺橋・高札場跡に0900過ぎ。案内板にある歌川さんの絵と同じアングルで写真を撮ろうと四苦八苦←相当な不審者に見られたにちげぇねぇ(笑)。建物やらの関係でどうやっても同じアングルは無理なので、我慢がまがま妥協案で納得するまで20分近くも費やす拙者。惜しいんだけどなぁ、くっそぉ・・・前日のゴール遊行寺橋・高札場跡遊行寺橋・高札場跡:歌川広重「東海道五十三次藤沢(狂歌入り)」一番近いアングルはこんな感じ・・・それはさておき、まずは遊行寺にて今日の旅の安全をお参り。覚えていそうなもんだけんども、ここに限っては行きにも寄ったとはこれっぽっちも思わず(苦笑)。まぁ、なんつったって12年ほど前の話だってんだから仕方あるめぇよ。ぷ。遊行寺は一遍上人のお寺ですが、境内に関東大震災で倒壊後平成26年に再建した地蔵堂に日限地蔵菩薩が安置されてあり、修復時に胎内から「少病少悩」の文字と「享保六年辛丑年四月廿四日」の文字が発見されたとか。「少病少悩」なんか良いしばし日限地蔵菩薩様をガン見しつつお祈りしました。境内にある大イチョウお札右:行きで寄った時の御朱印/左:今回の御朱印さて、キュンとするまち藤沢を後にしまして、道場坂をえっちらおっちら登っていきましていよいよ横浜戸塚区に突入1000過ぎ。横浜かぁ、来たねぇ・・・(しみじみ)。鉄砲宿の悲しい昔話を読んだり、崎陽軒の店を見て横浜を感じてみたりと、行きとはまた違う楽しみがあるもので。道場坂付近鉄砲宿の昔話崎陽軒この付近はずっと国道一号を歩いておりますが、途中に浅間神社。去年はらぶ・富士山に登れなかったので、ご挨拶がてらお参り。今年は登りに行きますよー 浅間神社境内よりらぶ・富士山を眺める途中、国道一号線を逸れる場所があるのですが、なんと工事中で通行止め。拡張工事だのか、これまた時代の流れとともになくなっちゃうのかなぁ・・・。今度は緩やかに下って戸塚宿の上方見附跡1140。ここではオジサマ方が測量のお仕事をしておりました。お疲れ様でござんす通行止めこれより戸塚宿なり 戸塚宿付近/戸塚のマンホールは、、、「いだてん」!?動物救急病院には駐車場に入りきれない車の列が・・・CLASSIC ROCK CAFEは営業時間外、入ってみたかったさて、そろそろ腹ごしらえ・・・つづく。#STAY SAFE、STAY STRONG
Jan 11, 2021
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さて、疲れもすっかり回復、ファミレスを出てすぐ「左富士」の名所。東海道を京へのぼる時、富士山はいつも右手に見えますが、ここでは左手に見える神奈川県内で唯一の場所で名所となっておりますれば。行きには天気が悪くて見られなかったので満足お土地柄だのかウェットスーツのまま自転車や原付にサーフボードを括り付けて普通に走っていくサーファー(!)や、富士山が好きすぎるあまりちょいちょい振り返っては写真を撮ってみたり、某メルシャンの工場の巨大なタンク群を見て「あの中身は全部ワインなんだべか!?」と想像してみたり、なかなか面白い道中でござんすよ振り返って京方向を眺めると左富士ウェットスーツのまま自転車や原付にサーフボード、湘南ならでは!?ちょっちビックリしたでござんすよ・・・歩道橋に登って振り返る東海道と富士山昔は正面に見ながら歩いたのかなぁ・・・ 松並木が続いて藤沢市1410巨大タンク群の中身はやっぱり・・・工場の向かいにある不思議な雰囲気の石材屋さん藤沢宿京見附1500伝:源義経首洗い塚宿場内は昔の写真なども紹介してあって歩いていて楽しいちょいと早いが寝不足なこともあって、遊行寺橋・高札場跡にて本日終了でござんす1520。 よーお、よよよいよよよいよよよいよいっ 1日目:大磯宿~平塚宿~藤沢宿 約15㎞そのまま藤沢駅方面へ逸れまして、お宿の前に駅前で晩飯うぇ~いっ!!!なかなか雰囲気の良い居酒屋さんにてお一人様サクッと1時間弱、残りは絶賛部屋呑みと相成りましたがすかす、寝不足なこともあって速攻気絶睡眠でございました乙。ぷ。 お通しが蒸しキャベツって素敵・・・あったかくて甘くて(゚д゚)ウマー神奈川地酒よりも希少地酒を選ぶオレwwwいつものようにハイをチェイサーにポテトサラダに黒酢漬けにマグロカツ安定の部屋呑み・・・つづく。#STAY STRONG
Jan 10, 2021
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昨夜はここに書けないようなすったもんだがありまして(謎)、睡眠時間約3時間(!)での旅の始まり、、、天気は良いがすかす極寒さむーっ感染対策・防寒対策万全にて、前回最後の地、大磯駅に0840。いざいざいざいざ出立するでござる、どんどんど~んっ!!!駅からほどなく旧東海道の国道一号線。ちょっと進み左へ逸れて化粧坂。この辺りは日本三大仇討の一つと言われている曾我兄弟と、そのお兄さんと遊女虎御前に関わるモノが多く。この地の長者の娘でこの坂で舞を踊って頼朝にも認められたと伝わる、その虎御前が朝な夕なに井戸の水を汲んで化粧をしたという化粧井戸が残っています、、、枯れてたけんど(苦笑)。寒すぐる・・・国道一号線から左へ逸れます化粧坂付近化粧井戸 立派なミカンがたわわわわ~/東京まで68km!!!道中は最初に出くわした神社で旅の安全をお願いすることにしているので、高麗山の麓にある高来神社へ寄り道GO!!!高麗山は北条早雲が小田原城攻めの際に篭城したとか、その後、上杉謙信が高麗山に本陣を置いたとか、戦国時代好きとしては萌山たんまらねぇなそして、高来神社は徳川幕府より寺領百石と山林を賜った後、東照権現を勧請されたことにより参勤交代の諸大名は神社の前を通る際には下馬して参詣しなくてはならなかったとか。まぁ、東照権現=狸親父家康公でござんすから・・・高来神社本殿の彫刻が素晴らしい高麗山出立して1時間もすれば平塚市に突入0940。その先すぐ平塚宿の(京都側)入り口の京見附跡。初代広重が描いた東海道五十三次の錦絵はこの辺りから描かれたようで、結構忠実に再現されています。同じような風景を見ていると思うと、、、萌結構忠実に再現されてますしばらく進み問屋場跡前に「平塚の塚」の案内板。平塚の塚ってなんじゃらほい???興味津々で行ってみますと、「平塚」と言う地名の由来になった場所だそうで、昔、桓武天皇の三代孫の娘さんが東国へ旅をした折、天安元年(857年)この地で逝去し埋葬されて塚を築きました。その塚が平になって「平塚」と言うようになったとか。最初は「たいらづか」だったらしい。由来って悲しい話が多くね!? 右奥に見える石塀で囲まれているのが平塚平塚駅近くなってきますと平塚宿の(江戸側)入り口の江戸見附跡。つまりはここで平塚宿を出ることになるわけで。駅前の商店街を歩いておりましたっけ、お珍しいクッキーの自販機。ここらで休憩クッキーをお買い求め一服つかまつり1030。江戸見附跡 美味でござった更に先に進みますれば、橋のたもとに「ちょんまげ最中」の看板。やややっ!!!これも面白いのでお買い求め。「こしあんと白あん、ありますけど」と大女将らしきオバアサマ。もちろん両方お買い求めましたとも 湘南ひらつかのマンホール、七夕が有名ですなちょんまげ最中の弘栄堂は1907年創業の老舗和菓子店、明治神宮献上銘菓かわいい・・・1個160円(後で食べた時の写真w)さて。何度も振り向き、らぶ・富士山を眺めながら(笑)馬入川(相模川)を渡り、茅ヶ崎市に1110。今日の道中も半分くらい。ちょうど某ファミレスがあったので、ここらで長めの休憩・昼飯でござんすよ。振り返って、らぶ・富士山ボートや水上バイクがたくさんかわいいレンガ塀茅ヶ崎のマンホールは烏帽子岩スパイシーカリブチキンプレート(゚д゚)ウマー・・・つづく。#STAY STRONG
Jan 10, 2021
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箱根も越えてしまって、残りお早く終わらせたいような、寂しくて終わらせたくないような(苦笑)、とにもかくにも昨日は早起きだったし、今日はのんびり参ろうかお宿の朝飯は時期が時期だけにお弁当が配られ各部屋で。朝一発まず小田原城に登城するかしないか、これまた散々迷った挙句、、、華麗にスルー。いいや、本物(現存)じゃねぇし。まっすぐ昨日のゴールへ、松原神社より出立0900過ぎ、どんどんど~んっ!!! 本陣・脇本陣が立ち並んでいた辺りから東海道に戻り通称「かまぼこ通り」と呼ばれている道を進みます。まぁ、小田原と言えば「かまぼこ」でござんすから。ここで、かまぼこ屋だのに何故か「塩辛」推しの店があったので、お土産にと塩辛をお買い求めた次第。空襲で燃えてしまいましたかまぼこ屋さんが立ち並ぶかまぼこ屋だのに何故塩辛推し!?wまぁ、何はともあれ創業百余年の塩辛はお楽しみだっぺ東海道はかまぼこ通りから国道一号に出まして、しばらく行けば小田原宿の端、江戸口見附。つまりは小田原宿よ、達者でな~西湘バイパスを右に見ながらひたすら国道一号を進む進む進む・・・。風変わりな看板、風情ある杉並木、風変わりな自販機、パトカーに止められた高級ドイツ車の運転手とお巡りさんが揉めている脇を通り過ぎたり(苦笑)、投げ釣りの方々を眺めたり、振り返って箱根路や富士山を偲んでみたり。国道一号線小田原宿江戸口見附跡及び一里塚 意味がよくわからないw焼肉屋さんの看板/小田原コロナはパチンコ店酒匂川を渡る/右は西湘バイパス 杉並木はやはり雰囲気があって良いですなご当地キャラ!?小田原絵巻と書かれた自販機 国府津IC付近の歩道橋より振り返って東海道と箱根・富士山を望む西湘バイパスの下では投げ釣りの方々がちらほらと釣れてますかぁぁぁ!?振り返って箱根大山道分岐:「従是大山道」(これより大山道)彩色された不動明王が乗っている/天保5年(1834年)建立さて。昨日に引き続き、もれなく足が痛くてよちよちなのは言わずもがな。早々にもうゴールは大磯宿(大磯駅)と決めておるので(笑)、そうすると今度はどの辺りで昼飯・休憩をするかってことで。国道一号ならファミレスがたくさんありそうなものの、たくさんどころか全くと言っていいほどなく(号泣)、昨日新蕎麦を喰いそびれたこともあって、進むにつれて色々我慢の限界LOVERS「このままじゃ行き倒れる、もういい、ここで」的なとても失礼な理由でそば処へ飛び込む1230新蕎麦・天ぷらは揚げたて大学駅伝なんぞを眺めつつ一服。新蕎麦に揚げたての天ぷら、大変美味でござった、満足満腹かたじけない。だいぶライフ回復(笑)、最後のもうひと踏ん張り。 大磯のマンホール/江戸から十七里国道一号を外れると静かな旧東海道あー、そろそろ我が家も用意せねば・・・っつか、こんな方法もあったかwww滄浪閣(伊藤博文旧邸)前の杉並木現在、結婚式場と中華料理店になった滄浪閣は取り壊し最中の衝撃大磯城山公園入口で再び一服した後、大磯宿の上方見附跡を見つけまして大磯宿に入り。そう言えば、行きは大風だったなぁ・・・。鴫立庵の手前で某三味線弾きの方のポスターを発見。明後日の祭日に鴫立庵で演奏をするそうで、こんなところで目にするとはびっくり花子でござった。大磯宿の上方見附1500過ぎ鴫立庵ハロウィン!?なんか怖いwww再び東海道を左に大きく逸れ大磯駅1600前、これにて今回の旅はこれにて終了でござんす。よーお、よよよいよよよいよよよいよいっ 2日目:小田原宿~大磯宿 約15㎞東海道を逸れて大磯駅へは急な上り坂、涙がちょちょぎれちったのは内緒の話。ぷ。 足は痛くとも、もう歩きたくなくとも、超絶疲れていても、バビューンとお江戸は門前仲町の店にて、美味しい日本酒に兄様の焼く美味しい焼き鳥を喰いつつニヤニヤと旅の反芻はお約束で御座候(笑)。それにしても、すっかり歩けなくなってて体力落ちてて愕然としちゃったよ、年取ったなぁ・・・うーん、もう年内ゴールは無理っぽいから、せめて50のうちにゴールし、、、し、、、したい。#STAY STRONG
Nov 1, 2020
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足が痛くて本当は遠回り寄り道なんぞしたくはなかったがすかす、甘酒茶屋よりほぼ休憩なしで下りてきたこともあり、小田原まで踏ん張るには昼飯がてらガッツリ休憩したかったわけで。さて。1300前の箱根湯本駅前はさすがの混雑っぷりにて、新蕎麦の季節だから軽く蕎麦でもと思ったっけ、ちょうどお昼時とも重なり蕎麦屋の前は大行列がっでむゆで卵と握り飯を握ってきたことを思い出し、地ビールのみをお買い求めて早川っぺりで一服つかまつる、あぁぁぁぁ、至福・・・お一人様、周りを見渡せば家族連れやらカップルやらカップルやらカップルやら(苦笑)。湯本駅前ほんの入り口、、、奥に進むにつれて混雑します チャイチャイしながらソフトクリームを食べるカップルの隣で握り飯と地ビールをらっぱっぱするオレ、ワイルドだろぉ!?30分ほど幸せそうな家族連れやらカップルやらカップルやらカップルを眺めたら、もうひと踏ん張りいざいざいざいざ小田原へ箱根町総合観光案内所のお手洗いにあった注意書き右下の謎、、、どゆこと!?www1400前、湯本方面へは渋滞箱根山崎の古戦場(幕末戊辰戦争の一つ)山崎の戦いと言えば本能寺の変後の秀吉の、と思ったら幕末の戦だった件www 「もやせる」でも「もやす」でもなく「もせる」!?ゴミ/撮り鉄さんを撮る柿がたわわわわわ~1500近くなると小田原方面が渋滞国登録有形文化財:旧内野醤油内野醤油店蔵(店蔵)と土蔵造りの母屋と隠居処並んでいる裏には醤油醸造の工場や倉庫が残っている足柄生まれの金太郎牛乳パン!?気になるぢゃぁねぇかぁ・・・石造りのモダンな家と土蔵、、、今も住んでらっしゃるのってステキ街道沿いの面白モノを見つけながら進み1500過ぎ。上方口見附に到着どんどんど~んっ!!!つまりは小田原宿に入ったでござれば、あぁ、安堵いたした。いくらか足取りも軽く(笑)、小田原宿内を歩いておりましたっけ、「バックパッカーですか?」と声を掛けられ振り向けばジイチャン。出た!ジイチャンに声かけられる率が更に上がった拙者でござんすよ。「違いますよ、東海道を歩いてるんです」と説明すると、「あら、女性の方でしたか、失礼」と。ははは、まぁ、襟足は刈りあがってますからね、帽子をかぶっていたらそりゃ女子とは思うまいそんなことはともかく、「東海道を歩いている」に食いついちゃったジイチャン。「そういうのやってみたかったんだよねぇ、年だからもうできないけど」と、あれやこれやと質問攻めからの、この先行くと何があってかにがあってと、小田原の良い所をたくさん教えて頂きまして。よっぽど嬉しかったのか、「何か差し上げたいな」とバッグの中をゴソゴソ。「こんなもんしかないからどうしよう、何か飲み物でも飲まれますか」と言うので「全然、これで大丈夫です。ありがたくいただきます」と頂いたのは海老菓子(笑)。まだまだ話し足りないのか、「この先に薬屋があって、これからこの近辺の大正時代の地図のコピーを持っていくところだけど、どうですか」と誘われるがまま、えぇっと、とりわけ今日はもう急いでもいないし、薬屋は街道沿いなので一緒に薬屋さんへ行くことに上方口見附跡、、、ここより小田原宿内なり梅万資料館(欄干橋ちん里う)にあった大正四年の梅干しはカッピカピ・・・ご存知、ういろう、、、ういろうはそもそも薬なんですよ薬屋の店主のオジサマはちょうど観光客カップルの接客中。にもかかわらず、拙者の事を紹介するや、東海道歩いてるから始まり、渡す小田原の古地図を取り出しとあれやこれやと話し出し、放置されたカップルは帰って行ったっていうね、、、ぁぁぁぁ、すみません更に「そうだ、記念に何か一言書いて」(!)と言われたので、ジイチャンの差し出した落書き帳に色鉛筆で一筆書かせていただきまいまい。このままだと一緒に夕飯も食べるような勢いだったのでそこそこに(苦笑)、丁重にお礼を言ってお別れしました。ありがとう、お元気で。それにしても拙者に声をかけてくるジイチャン達は皆クセが強い・・・。* 三島宿のジイチャン:https://plaza.rakuten.co.jp/istyle/diary/200909230000/* 関宿のオジチャン:https://plaza.rakuten.co.jp/istyle/diary/201105030002/* 芭蕉杖のオッチャン:https://plaza.rakuten.co.jp/istyle/diary/201107160000/* 春日大社のジイチャン:https://plaza.rakuten.co.jp/istyle/diary/201209170000/* 番外:東大寺の外国のオネーチャン:https://plaza.rakuten.co.jp/istyle/diary/201209170001/皆、達者でやっておるのだろうか。薬博物館(済生堂薬局小西本店)声をかけてくれたジイチャンと薬屋の店主のオジサマとマスクのままでって言ったけど、ジイチャン外すと言い直前までマスクしてたけどわざわざ外してくれました薬局よりしばらく進むとちょうど小田原宿の本陣跡が立ち並ぶ真ん中あたりで、東海道を逸れまして、小田原総鎮守の松原神社にて、本日終了でござんす1600。よーお、よよよいよよよいよよよいよいっ 1日目:箱根宿~小田原宿 約16㎞ ジイチャンにいただいた地図を手にwwwそのまま小田原駅方面へ。駅前にある日本酒バルで地物の美味しいご飯にお酒を少々頂きながら、今日の事を反芻ニヤニヤ。箱根の石畳に甘酒、そしてジイチャンとの出会い、安定のもれなく濃ゆく楽しい街道歩きでございましたのれんと味の博物館(だるま料理店)はブリ御殿店の入り口には「達磨」がだるま屋ではなく駅前の日本酒バルにてw地物のお刺身の箱盛りと日本酒 牡蠣に秋茄子/足柄牛のマッシュポテトには赤ワインでお宿へ向かう途中ライトアップされた小田原城部屋呑み用にお買い求めた追い日本酒とかまぼこに、ジイチャンの地図と海老菓子www ・・・つづく。#STAY STRONG
Oct 31, 2020
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お江戸から遠い所を歩いていた時には3連休なんぞを使って歩いておりましたが、なかなか3連休に予定が入ってしまうことが多く。ただいま箱根宿、土日の2日でも十分だべと思ったっけすぐさま動く(笑)、お待たせ絶賛弥次喜多どんどんど~んっ!!!GoToなんちゃらで、箱根周辺は超絶混雑云々なんつー情報を小耳にはさんでおりましたので、とにもかくにも芦ノ湖まではお早く着きたいってんで、嫌だ苦手だなんざぁ言ってられねぇ、早起き0500始発にて御出発、0642小田原、0700の箱根町港行きのバスに飛び乗って、渋滞のじゅの字もなく拍子抜けするほどスムーズに前回のゴール元箱根には0800頃。あり!?時間が時間だけに、さすがにほぼほぼ人おらず(苦笑)。お天気快晴、良く見えるらぶ・富士山をしばらく愛でたっけ、いざいざいざいざ出立するでござんす箱根神社にお参りするかどうか散々迷い、寄り道するには微妙に遠く時間がかかりそうなのと、足腰に不安を抱えておる身ゆえ、今回は我慢がまがま華麗にスルーすることに。下りとは言え(例えば倍かかったとしても)昼過ぎには山を下りきってしまいたかったし、ま、箱根だったらまたいつでも来られるし!?湖畔沿いを逸れ山へ入れば石畳。趣はあるがところがどっこい、この石畳が難儀でいけねぇいけねぇ。峠を越えたのでひたすら下りだがすかす、苔むした石畳は滑りそうでちと怖い。膝は笑うし腰と足が悲鳴をあげるし、、、がっでむ元箱根0800らぶ・富士山よちよちと下り始めて40分ほどで甘酒茶屋。スロースタートが基本の拙者の最初の休憩にはちょうど良い頃合い。当時から残っている最後の一軒で、行きでもお世話になり申したな(遠い目)。折り返して来るまでにすっかり歳を取ってしまったのう・・・甘酒茶屋 参勤交代大名よろしく一服つかまつった後、まだまだ先があるゆえ茶屋を後にし、再びよちよちと(笑)。それにしても茶屋の裏には「イノシシが出ます、注意してください」とか、表の通りにも「サルに餌をやるな」とか、どんだけ山やねんと。昔はもっと数いたのかなぁ、、、まだクマが出ないだけいいけど怖ぇなおい餌付け禁止の看板彼方に見えるは小田原か!?珍しく対で残されている畑宿の一里塚を過ぎれば間の宿・畑宿1030。しばらく舗装路を歩き「おいおい、ここ行くの!?」って民家の合間の道に入り再び山道石畳の苦悩。畑宿の一里塚お江戸までだいぶ近づきましたな畑宿は寄木で有名畑宿の街並みちょいと失礼します、、、ここからまた山道石畳絵へ;;;復元が多い中、所々に江戸時代からの石畳が残っています江戸時代の石畳を令和に生きる拙者が歩きますよ、、、っつか、靴もだいぶくたびれておるwww足元を気を付けながら、安定のよちよちで下り続け、旧街道を逸れて須雲川自然探勝歩道へ。ところで、今回びっくりしたのはすれ違った人の数。紅葉の季節だからだのか、GoToだからだのか、コロナ禍の影響で旧街道が脚光を浴びたのか、なんだかよくわからないけんども、ワタクシが行きに歩いた時は全くと言っていいほどすれ違う人(歩いている人)がいなかったのに、今回は旧街道を歩いている変人が多いこと多いこと。芦ノ湖畔からここまでですでに数えきれない数の人とすれ違い、これは今まで歩いた中で一番の数のびっくり花子。こういうのには挑戦したくなる質www山道を抜け、旧?国道1号の舗装路をひたすらひたすらひたすらよちよち下る、、、う~ん、こんなに舗装路歩いたっけか!?覚えているのは石畳ばかりで、覚えがない(笑)。足は痛いし、お腹もすいたし、あーもー心が折れそうになったところで一里塚、そして北条の菩提寺の早雲寺。やっと湯本まで下りてきた。ふぅ。よくこれを登ったなぁ、、、若かったなぁ、感心感心。すかす、ひたすらずっと下りもキツイでしかし。旧道の方は比較的静かです立派な温泉も良いけどこういうのも良いよね面白い送迎バス早雲寺山門湯本の三枚橋より湯本駅を見る小田原までもう少し。三枚橋より湯本駅方面へ寄り道、とにもかくにも飯じゃ飯じゃぁ~っ!!! つづく・・・。#STAY STRONG
Oct 31, 2020
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五十三次の復路、今年中にゴールするハズ、、、だったけんども(苦笑)。ずっと我慢がまがましてたがすかす、色々な事がいい加減もう我慢ならんので、GoToで混んでいようが、紅葉狩り(?)で混んでいようが、とにもかくにも混んでいようが、とりあえず参ることにしたっぺ前回のゴール、箱根宿・芦ノ湖畔元箱根港よりお江戸へ。まずは小田原宿まで。今回は2日間で大磯宿か平塚宿あたりまで行けたら上出来ずら。今回がきっと帰り道の、と言うか、この五十三次の旅の最後の山場かな・・・(寂)。さぁ、さぁさぁさぁさぁ、どんな旅になるか、おーたーのーしーみーゴールの日本橋にだいぶ近づいてきた芦ノ湖までの渋滞が嫌だから始発(!)で行って、お早い時間のバスに乗ろうと思ってるんだけど、起きられっかな!?ぷ。#STAY STRONG
Oct 30, 2020
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東海道五十三次復路:箱根峠~箱根宿、UPすますま。やっと書き終えたっぺあらやだもー1ヵ月経っちったよ・・・。ぷ。そして、嘘のように赤鬼退散、うぇ~いっ!!!
Mar 23, 2020
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〇東海道五十三次復路:三島宿~箱根路 UPすますま。すかす、オール仕事がなくなってバタバタすることなく、なんだかなぁの金曜FNKの夜、、、つまらん。ぷぅ。
Mar 6, 2020
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スカイウォークを後にしまして、再び上っていきますと山中城。北条の城ですが、天正十八年(1590年)3月29日秀吉の小田原攻めの際、4万の豊臣軍の総攻撃を受け半日で落城しておりますれば。太閤殿下はやることがえげつないですな・・・塀や土塁が残るのみとは言え、国の史跡に指定されています。登城はせなんだ。山中城跡/右の道路が旧東海道山中城をなめるように進んでいき、途中で小枯木坂・大枯木坂に入るわけですがすかす、昨年夏の大雨・台風19号の影響にて石畳の保護のため通行止めになっており、小枯木坂の入り口にある雲助さんと約10年ぶり(!)に酒を酌み交わし挨拶したっけ戻り国道一号線を進みます。 雲助殿、お久しぶりでござんす!!!山中城の土塁迂回路の国道1号線所々で旧街道に入ったり、迂回で国道一号に戻ったりを繰り返し、、、お楽しみの一つ、兜石なぞ見どころが見られず残念無念。仕方がないとはいえ、ぷー、つまんねーな、をぃちょいと庭先を突っ切り;;;石畳だいぶ山深くなってきましたそして再び迂回駐車場敷地内が旧東海道wwwつまらん国道一号線をゆるゆると上り、り、り、り、1320つつつつついに箱根峠どんどんど~んっ!!!つまりはここで上りは終わり、後はひたすら下るのみ、よっしゃーっ安堵したのもつかの間、ここで往路同様安定の迷子(笑)。こっから先どこへ進んだらいいのか皆目見当もつかねえで、ウロウロしていたっけ、今回は道路工事のオッチャンに手招きでこっちこっちと助けられるというね。か、かたじけねぇ。ついに箱根峠~!!!オッチャンのおかげで旧街道への入り口発見/挟石坂荒涼とした道を芦ノ湖までひたすら下る向坂も下ればいよいよ箱根宿。芦ノ湖畔を一般の観光客の方々と舗装路を歩き進めば「箱根先所」でござんすよ1400。某所にて無事通行手形を手に入れ(笑)、難なく関所は通過。その後、お土産屋のオジチャン・オバチャンとしばし話しましたが、やはり人では少ないらしく。そしてこれまた東海道歩きの話で盛り上がりました湖畔にある箱根の関所通行手形で難なく通過通過完了樹齢350年以上の巨大な杉並木を通り抜け、箱根宿の江戸寄りの端、元箱根港あたりで今回の旅はこれで終了でござんす。よーお、よよよいよよよいよよよいよいっ3日目:三島宿~箱根宿 約9km巨大な杉並木、気持ちいー今回のゴールは元箱根港1500前これまた去年の大雨・台風の影響で、今まだ麓に下りる公共の交通手段はバスのみですから、連休この時間のバス乗り場は絶賛大混雑。ま、そんなに急ぐわけでもなし、とりあえずおビールに蕎麦でも喰って一服すっかと一軒目の蕎麦屋は蕎麦は売り切れ御免でうどんしかなく。2軒目は蕎麦はあったけんども、店の売りがまさかのうどん(苦笑)。箱根山の名水を三島市で取れる黒ごぼうの汁を焼炭であくを抜き胡麻風味に仕上げた「絹引うどん」だそうで、それをご注文することに。蕎麦みたいに細いがすかす、食べるとコシがあってうどんなんだなと不思議な感じでした。そして最後に蕎麦湯、、、うどん湯が出てきます。おーいちがったー蕎麦屋の隣の店で売っていた温泉饅頭をお買い求めてから、バス乗り場に行きましたっけ、ちょうどバスが出るところ、しかも急行でない遠回りの湯本ではなく小田原行きのためか、他路線は長蛇の列にもかかわらず、そのバスだけ乗る人が少なかったのでダッシュでご乗車。座ってうつらうつらと気持ちよく小田原駅まで。途中渋滞2時間の車中は某コロナの関係かバスの上窓が全開換気、日が暮れた後はさすがにお寒ぅございました湯本・小田原方面行きのバスは大混雑 絹引き雪割(大根おろしと貝割菜)と温泉饅頭一口一気食いwww初日の暴風雨、二日目の濃ゆい出会い(笑)、最終日の箱根峠越え。今回の旅も美味しいもの、素敵な人との出会いがありました。助けてもらったり、応援してもらったり、おもてなしをしてもらったり。やっぱ旅は良い、た~のしがった~そして、大雨・台風被害でかなり迂回させられたのは残念でしたが、当時は自然災害で通行止めや迂回は当たり前だったんだろうなぁと、そりゃ、現代よりももっともっと難儀しただろうと想像に難くなく。ばびゅーんとさすがに箱根を越えると一気に日本橋が近づいてきた感がありまするなぁ・・・(寂)。さて、次はいつ行けるんだべか。ぷ。
Feb 24, 2020
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昨夜は絶賛夜更かしをかまし2400過ぎ、0600には起床の0700前には朝飯を盛り盛り喰いまして、お早目の出発0800前。いつも同じ系列の宿に泊まっておりますが、初めてカレーがあってびっくり花子。昨日の沼津は納豆がカップではなくとりわけだったりと、色々面白い。楽しい。今日は、宿のエレベーターで乗り合わせたご夫婦にエールをいただきまいまい。ありがとうございます。富士の雪解け水で超絶透き通った川っぺりを気持ちよく、まずは昨日のゴール三嶋大社へ。朝日に輝くらぶ・富士山なんとカレーがあった!!!三嶋大社で今回の旅のメイン、難関箱根峠越えの安全をお参りしまして、いざいざいざいざ箱根へご出立0830前、どんどんど~んっ!!!快晴朝の三嶋大社はひっそり大場川(通称:神川)にかかる新町橋は江戸時代には三島宿の出入り口として多くの旅人がこの橋を渡っていました。快晴の日には、ここから素晴らしい富士山の眺めが見えることが知られていて、浮世絵師の安藤広重もこの辺りから見た雪景色の富士山を「東海道五十三次三島狂歌入り佐野喜版」に描いています。大場川(通称:神川)にかかる新町橋からみた富士山の眺め安藤広重「東海道五十三次三嶋狂歌入り佐野喜版」江戸時代の人も、かの広重も眺めた同じ光景を令和時代に拙者も眺めるなんて萌ないわけがなく、しばしうっとり妄想(笑)。そんな萌ポイントの新町橋を過ぎると緩やかな上り坂が始まり、いよいよ箱根街道に入るわけで、つまりはここから先は箱根峠までずっと上りでござんすよ「旧東海道踏切」に萌wハゲハゲになってる箱根旧街道図(苦笑)まずは軽く(笑)「愛宕坂」。当時、坂道は馬も人も滑って大変だったことから竹を敷いていたそうですが、修復に手間や費用が掛かるために幕府が1680年頃竹から石を敷き詰めて「石畳」にしたそうで、今は復元したものがほとんどですが一部では当時からの石畳が残っている場所もあります。←これももちろん萌ポイントwっつか、竹も石も滑るだろ・・・愛宕坂(石畳「風」に整備)軽くのつもりがかなりゼーゼーハーハー難儀いたし、やっと初音ヶ原の松並木。いやー、これまた萌ポイントでござるなぁ・・・初音ヶ原の松並木錦田一里塚0910箱根関所まで13km一里塚でらぶ・富士山を眺め気合を入れる松並木の先、箱根路の碑を過ぎれば本格的に箱根峠に向かって地味に長~~い上り坂に入ります。すかす、この辺はすっかり道路がきれいになってびっくり花子。そりゃ、往路は10年近くも前だもんなぁ・・・(遠い目)。「臼転坂」「大時雨坂」「小時雨坂」「こわめし坂(下長坂)」「上長坂」と、とにもかくにもひたすらひたすら上る上る上る・・・。箱根路の碑0920/往路では暮れかけて涙がちょちょぎれた思い出w地味に長~い上り坂が続く臼転坂振り返って三島宿を眺めるこの辺は地蔵信仰の霊場だったためお地蔵様がたくさん残っていますこの辺はコンビニもパチンコ屋もないのでこういうトイレはありがたいたわわミカン地味ですがずいぶん登った感wwwこわめし坂(下長坂)こわめし坂を上りきると次は上長坂wwwこれは広重の五十三次「三島(朝霧)」をモチーフにしておりまするな・・・上長坂を上っておりますと何やら賑やかに。パッと開けた先にあったのは「三島ウォーク」。これまた「あ、ここなのね」的な(苦笑)。見事に箱根路をかすっておりますがすかす、誰も気が付かないんだろうなぁ。こんな近くにもう一つのアドベンチャーがあるってぇのに。てやんでぃ残念無念、寂しいことです。写真を撮っておりましたら、駐車場整理のオジサマに「今日は富士山が霞んじゃって残念ですね」と声を掛けられました。たぶん、このオジサマもここが箱根路だって知らないと思われ。もちろん連休で賑わっておりますスカイウォークは華麗にスルーし、再び坂を上り始めた拙者でござった・・・。行きには当然なかった三島スカイウォーク再び上る つづく・・・。
Feb 24, 2020
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三島と言えば鰻が有名なんだそうで、そう思って見渡せば確かに鰻屋さん多し。有名店と思われる店には行列が出来ておりまして、とは言え鰻はお高いので某有名店のオリジナル「うなぎたい焼き」なるものをお買い求め、三島宿の日本酒と共に青空喰い(笑)。タレご飯にちゃんと鰻が入っとるし山椒もついとる本格派。それはそれは普通に鰻重を喰ってる感覚ずら。ワタクシはこれで十分。おーいちがったー三嶋大社前の某鰻屋さん 山椒もついていて本格的www小腹も満たされたので、後は軽く呑むかとお店を探しつつグルグル三島駅方面へ。途中、往路で泊まった宿を発見。そうそう、箱根峠越えが関係してるのか謎の現象で怖かった思い出が。そんなことがありましたな。居酒屋開店にはちょっち時間がお早いこともあり、これと言ったお店も見つからずに駅前。富士登山でここでバスに乗り換えるのに何度か来ていますが、そうかここだったかと東海道との位置関係がわかるとこれまた面白く。しかも富士山見えるんだー(驚)。三石神社と時の鐘江戸時代、宿場の人々に明け六つ、暮れ六つの時を知らせた浅間神社/三嶋大社と二宮三島駅前店探しも段々面倒になってきたので、駅前の「うなぎコロッケ」が目に入った居酒屋さんで軽く呑むことに。なんでもお客の8割が頼む人気メニューなんだとか。コロッケ以外他には何も頼まず食べず(苦笑)、初日同様、追い酒をお買い求めましてホテルで大人しくした二日目の夜でございました宿から黄昏のらぶ・富士山 ・・・つづく。
Feb 23, 2020
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さて、強風の沼津宿。オバサマ方と濃密で楽しい時間を過ごした関係もあり1230過ぎ。川廓通り、今はまったくもって面影もない沼津城下を歩いておりましたっけ、なんか左方向がにおう、におうでござる。あり!?ここって、ももももももしかしてと、東海道を逸れちょいと行ってみましたら、ら、2年ほど前にLive Circus12本目沼津公演にてご訪問Live House Quars さんだったっぺお懐かしゅうございます。実は東海道そばのほぼ沼津城内(!?)にありましたか・・・、当時そんなこととは露知らず。いやー実に感慨深い、感慨深いでござんすよ。時が経ってこの場所でライブが開かれていようとは、お殿様でもわかるめぇ(笑)。 東海道から左へ逸れる道がにおうので行ってみるとそこは!!!一通り懐かしんだ後、再び東海道に戻りまして進んでいけば一里塚跡。ここには今から千二~三百年前の古墳時代、玉類を研ぐ為に用いられたと伝えられている「玉砥石」があります。そう言えば、往路ではここで祭りのジーチャンに出会い隣に座らされて(苦笑)、五十三次について色々話したっけか。ジーチャン、達者でござろうかのぅ・・・。更にちょいと進んで日本三大仇討の一つ「伊賀越道中双六」に出てくる平作ゆかりの地蔵尊。これは人形浄瑠璃にあるようですが、ただいま絶賛浪曲にハマっておる身ゆえ、そのうち浪曲で聴いたらハッとする、、、かもしれない(笑)。一里塚と玉砥石1320平作地蔵尊街道沿いのちょっとした梅林を眺めたり、東海道らしい杉並を抜けたりして長沢八幡宮1400。ここは源頼朝が治承四年(1180年)、挙兵を知って奥州から駆け付けた義経と座して対面したと伝えられる「対面石」で有名ですが、それよりもびっくり花子だったのは御本殿の扉が自動扉(!)だった事。←往路でもそうだったがすかす、すっかり忘れてたしwww蒲原宿の光蓮寺の御朱印がカラーシールだったのもそうですが、近代化が進んではりますなぁ・・・。ちょっとした梅林東海道らしい杉並木長沢八幡神社自動扉!!!自動で開くとそこにはお賽銭箱が・・・対面石奥の石の右にある柿の木は渋柿だったため、頼朝がペッと出した柿が成長した木とか、マジ!? 玉井寺一里塚1430神社の出張所(!?)右向かいの趣のある建物は「麹屋」さんらしい当時からあるのかな!?妄想は膨らむばかりなりwww色々面白いものを見ながら三島宿に突入、そして三嶋大社1530前。昨日は頑張りすぎちゃったし、そもそもの計画で二日目ゴールは三嶋大社と決めていたので、ちょいと刻限はお早いがすかす、本日はこれにて終了でござんす。よーお、よよよいよよよいよよよいよいっ2日目:原宿~沼津宿~三島宿 約12km三嶋大社で今日の旅のお礼参り。したっけ、結婚式が行われていてなんとも幸せな気分に。そう言えば神社で結婚式、花婿・花嫁さんに出会ったりすると神様に歓迎されているって読んだことがあります。うぇ~いっ!!!* 幸運!結婚式に遭遇したスピリチュアル的な意味: https://uratte.jp/posts/kekkon-siki-ni-souguu-spiritualなんともおめでたい!!!大陶器市も絶賛開催中 つづく・・・。
Feb 23, 2020
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寝落ちと言う名の気絶睡眠からぐっすりスッキリ起床、おはよーございます0630。0700に朝食もてんこ盛り盛り喰いまして、昨日のゴールGO東田子の浦。本日(たぶん一日)快晴、風は強いものの元気にご出立でござる、どんどんど~んっ!!!朝ご飯てんこ盛り盛り納豆を取り分けるスタイルは初めてwww東田子の浦駅0830過ぎ駅出てすぐにある「六王子神社」にて、今日の旅の安全をお参り。案内板を読んでみれば、なんとも悲しき由来の神社でござれば。関東の巫女がってこの地と関係なくね!?こういう伝説は、例えば弘法大師様とか名のあるお坊様が退治したとか治めたとか、そっちの方にはいがなかったのけ!?生贄って、、、と平和ボケ現代を生きるワタクシはそう思うのでございます・・・。それにしても今日は中々の強風っぷりに難儀。今日も安定の色々面白いものがあるがすかす、街道沿いだけでもなんと浅間神社の多いことか(苦笑)。各村々に一つ的な。それだけ富士信仰が盛んだったってことでござるか。まぁ、富士山がこんだけどど~んと見えれば自然な事なのかも。雪煙が立ち上るほどの強風でござんすバス停でもないところに不思議な椅子www浅間神社三社宮、、、これも浅間神社さすがの富士山デザインさて。京から来て原宿の入り口の西木戸跡、原宿で御座候1000過ぎ。かつては旅籠が二十五軒が並んでいましたが、うち九軒が天保九年(1838年)の大火で焼失したまま再建されず、家屋の増改築が進んで宿場としての面影はありません。原宿西木戸跡再び浅間神社w井戸!?順調に進んでいると、何やら(むき出しの)金づちを手にした(!)殿方がこちらに向かって歩いてくるではないか。こっわっ!!!なななななななに!?すかすその後、鋸やら何やらを持った方々が続いて来たので、なんだ大工さんかと安堵いたした次第(苦笑)。その方々が出てきた所は何やら絶賛祭りの準備中。参るかどうか迷っていると、奥からオバサマが出てきて「お祭りは午後からで今は何もないけど、どうぞどうぞ入ってお茶でも飲んでいってっ!!!」と腕を組まれ拉致される拙者。むむっ・・・。寛文五年(1665年)に創建されたお寺で、御神体には宝徳元年5月(1449年)の年号が記されており、御開帳は50年に1回なんだとか。←これがまさに今w「御開帳は50年に1回、せっかくだから見てって!!!」とご本堂に上げて(!)いただき、もう生きている間には見られない御神体をありがたーくお参りしまして、お菓子やら甘酒やらお茶やらやらやら超絶おもてなしを受けました。か、かたじけねぇ。そして東海道を歩いていることを知ると、「あら大変!!!ちょっとちょっと、〇〇さん、東海道歩いてるんですってよ!!!」と準備中でバタバタしているオジサマ方に声をかけまくり、紹介してくださいました。いやはや準備でお忙しいのにすみません・・・その後も「御朱印いるよね?」「トイレは大丈夫?」「沼津ってこれと言った美味しいものがないから、この後みんなでお昼を食べるけど一緒にどう?」(←これはさすがにお断りしましたがw)と色々色々お気遣い頂き、これまた人との出会い、優しさに感謝でした。そのオバサマ他の方々も見たことがないというくらい、滅多に御朱印を書かないご住職に無理を言って(オバサマがw)とてもとても丁寧に御朱印を書いていただきました。皆さま、本当にありがとうございました。ここで猛烈な出会いがw毛筆の立派な作品がずらりと筆塚/今日は筆供養も行われるそうなご本堂御本堂内にて声をかけてくださったオバサマと/拙者の麿眉が・・・失礼(苦笑)甘酒にお菓子のおもてなしを受ける噂のw御朱印「長々引き留めてごめんね、気を付けて行ってらっしゃい!!!」と見送られ、吉祥院を後にし引き続き先に進みます。しばらくして、巨大な信楽焼のタヌキが、、、しかもたくさん面白いので写真を撮っていると、これまたオバサマが出てきて色々お話をしてくださいました。10年前に亡くなったご主人が集めたもので、向かいのお宅の方が信楽焼のタヌキを玄関先に飾ったところ、うちにも欲しいとわざわざ信楽まで(!)買いに行き、どうせなら(向かいのお宅よりも)大きいものをと買ったところ、送料が8万円もかかるということで自分の車(ワンボックス)に乗せて(!)帰って来たんだとか。オバサマは窮屈な車内で大変だったそうで(苦笑)。すすすすすす、凄いですね・・・その後、少しづつ集めていって今ここ的な。楽しそうに嬉しそうにそんな話をしてましたが「寂しい」とも。ですよね。ちなみにそんなご主人との思い出のタヌキさんたちは、オバサマが拭いて綺麗にお手入れされています。愛だなー。オバサマとご主人の思い出のタヌキさんたちと亡くなられたご主人がやっていたお寿司屋さんの入り口に並べてあります女のタヌキさんはオッパイが大きいものを選んだとかwww戸口よりも背が高い!!!偶然と言うか、タイミングと言うか摩訶不思議なこれまた素敵な出会いがあり。いやー、本当に旧東海道歩きは面白れぇ。「お元気で!」とオバサマと別れましてしばらく進みますと「沼津藩領境傍示」。これは下半分が折れており、正しくは「従是東沼津藩領」つまりはここから東(先)は沼津藩領ってことでござんすよまたまた浅間神社w建物があって見えませんがぶどうの思い出(笑)千本松原すぐを通っておりますのでね、あの時も凄い風だったが、今回も風が更に半端ねぇ沼津宿、いよいよでござんすよ!!!強風注意 つづく・・・。
Feb 23, 2020
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そもそも吉原宿は本吉原付近にありましたが、元和二年(1616年)と延宝八年(1680年)の2度の大津波によりそれぞれ移転しており、現在の位置に。そして今は商店街です。移転後すぐの天和二年(1682年)創業である鯛屋旅館に「おぉ~~~っ(萌)」となりつつも、吉原宿はあっという間に通り過ぎ(笑)、小雨ではあるものの止みそうもないし時間も時間、そろそろ今日のゴールを考えねばねばねばと思案1400過ぎ。とりあえず、吉原駅のそばを通っているのでその辺まで行ってみっかと、ワシワシ進むみます吉原宿は商店街こちらもかぐや姫デザイン天和二年(1682年)創業の鯛屋旅館「平家越えの碑」を過ぎ、名勝「左富士」に「左富士神社」。本来、東海道を江戸から京へ向かう時には富士を右に見て進みますが、先にも書いたように吉原宿は2度の大津波によって内陸に移転したため道筋が大きく北へ曲がり、そのためここに限っては富士が左に見えるということから名勝となったがすかす、雨でしたので今回は全くもってらぶ・富士山は見えず残念。そして神社にはまたしても下駄が置いてあったと言う謎。やっぱ行きに聞いておけば良かったでござるよ・・・振り返って名勝:左富士、、、見えず(苦笑)左富士神社鉄下駄、、、らしい吉原駅付近まで来て、次の東田子の浦駅まではそんな距離がないし、少しでも先に進んでおきてぇと欲が出まして(笑)、今日のゴールは東田子の浦に決定。←後で少し後悔することにwww釣りをたしなむ者wにとって見逃さなかった立派なお宅の軒下漁師ではなく釣り師の方かな!?尾長!?足はとっくのとうに痛いがすかす、雨も強くなってきた(号泣)ので、ここらで少し雨宿り休憩と大きなお寺があったところで寄り道お参り一服仕り。ここ香久山妙法寺の毘沙門天大祭のだるま市は、少林山達磨寺(群馬県高崎市)、浮岳山深大寺(東京都調布市)と並んで日本三大だるま市の一つだそうで、だるま市が開かれるだけあって、広くて立派なお寺でした。香久山妙法寺(毘沙門天)本尊の毘沙門天像は聖徳太子の作といわれていますちょうどご住職様が香炉のところでご祈祷(?)しておりまして、雨宿りしつつ遠巻きにぼへっと眺めておりましたっけ、「えぃっつ、えぃっ、えぃっ!!!」と印を切りましたら、ら、ら、土砂降りの雨が小雨になった摩訶不思議。まぁ、たまたまなんでしょうけんども、ちょっちビビったでござる(笑)。と、ビビってる場合ではなく、この時点で1530過ぎ。天気も天気ですでに薄暗いので、とっととゴールを目指し長ーい長ーい直線を、ひたすらひたすら進みますがすかす、一向に駅は出てこず・・・。あーもー、駅ー、駅ー、駅はまだー!?って涙がちょちょぎれそうになった時、、、駅が!!!いやー、安堵した1630過ぎ乙。本日はこれにて終了でござる、よーお、よよよいよよよいよよよいよいっ1日目:蒲原宿~吉原宿~原宿 約12km寝不足の初日だのに、ちょっちやりすぎちった、ははは・・・東田子の浦より沼津へバビューンと移動しまして、お楽しみの夕げ。沼津と言えば、そう!!!知る人ぞ知る「とんかつこがね」に決まっとろーがーよーこの時の沼津は台風かと思うくらいの暴風雨。2回目のご来店ガラッと開けたら、、、お客様は1人もおらず貸し切り状態うぇ~いっ!!!ま、この天気じゃねぇ・・・(苦笑)。心置きなくあれやこれやニヤニヤ眺めつつ、超絶おいしいとんかつをいただきまいまい沼津駅前/とんでもないほどの暴風雨あらやだピンボケ・・・きゃーいっ 安定の日本酒w/お肉柔らかくて(゚д゚)ウマー!!!もちろんお土産のカツサンドも店を出るころには雨もすっかりやみ(驚)、追い酒をお買い求めましてホテルで大人しくした初日の夜でございましたもちろんもれなく気絶睡眠。ぷ。靴を乾かすには新聞紙が一番静岡の酒と言えば思い出の酒、大好き「臥龍梅 」 ・・・つづく。
Feb 22, 2020
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某影響は全く感じないほど、あばばばばっとオール仕事はお忙しくアッと言う間に終了(苦笑)。乙呑みもそこそこに、いざいざいざいざいざGO新蒲原熱海で一回乗り換えがありましたがすかす、何とか乗り換えられて(熱海終点だのでうっかりすると折り返し小金井まで行っちゃう超絶危険w)新蒲原駅着は0830。想像以上の晴れ。気が付けば1年ぶり。と言うか、去年はその1回しかやってねぇ・・・。それはともかくも、さぁさぁさぁさぁ蒲原宿より出立するでござる、どんどんど~んまずは、旧東海道に戻ってすぐの椙守稲荷神社で旅の安全をお参り。高台にて眺めよし、歩いてきた薩埵峠が遠く見えますれば。懐かすぃ。すでに蒲原宿も半分ほど。蒲原名物の「イルカのすまし」を想像してみたり、聞こえてくるお琴の音色や史跡案内に足を止めて眺めてみたり、お珍しい昔の車をガン見してみたりと、さっそく「旧東海道らしい歩き」でいと楽し眠くてちょっちフラフラするけんどもー。ぷ。新蒲原駅0830過ぎ椙守稲荷神社で旅の安全をお参り薩埵峠方面を眺める朝の蒲原宿(江戸方面)出た!!!名物「イルカのすまし」お琴とお三味線教室だべか!?東海道沿い、この付近の史跡紹介蒲原宿東木戸跡、、、つまりは蒲原宿の東(江戸方面)の入り口トヨタパプリカデラックス一里塚蒲原宿の東木戸を抜けて蒲原宿を後にし、今度は目の前にどど~んと鎮座まします、らぶ・富士山をニヤニヤ眺めながらワシワシと進みます。富士山を見る限り、やっぱり予報通り天気は崩れる予感・・・対で残っている岩淵の一里塚で、そう言えば行きの時ここでマラソンのヤングメンたちにあいさつされたなーと思い出し。意外にも結構色々思い出します(笑)。らぶ・富士山が笠をかぶっているということは・・・江戸日本橋から三十二里目、岩渕の一里塚1005ここには数軒茶屋が立ち並び岩渕名産「栗ノ粉餅」が売られていたとか行きには立ち寄らなんだ小休本陣にて大名よろしくホッと一息一服つかまつり、富士川を渡り候。間の宿「岩淵宿」の小休本陣・常盤家住宅主屋本陣だのに休憩のみの形態ってお珍しい奥に床を一段高くし格式の高い作りのお部屋「上段の間」つまりは大名など賓客が座りますだいどころふろ地元の人に「本陣の槙」として親しまれている1707頃本陣の庭木として植えられたイヌマキ富士川を渡る1045ダブル富士とはいかなかった残念・・・ 松岡水神社と渡船場跡/御神木にパワーをいただく御神木にパワーを頂いたものの腹が減っては力は出ねぇと、大好き某びっくりドンキーにて朝食兼ランチ1130。お久しぶりに食べたがすかす、相変わらずおいちぃ・・・ここまで休憩らしい休憩なしで来ちゃったもんだで、長めに時間を取り諸々復活!!!そうそう、この辺で宿がなくて難儀したんよね、、、と思っていたら泊まったビジネスホテルを発見。おぉ~、ここだったかと(笑)。更に、この地域ならではの面白いマンホールなんぞ眺めたり中央分離帯に阻まれ迂回したりと進んでいくと、「鶴芝の碑」。満開富士市消火栓はかぐや姫デザインのマンホール中央分離帯に阻まれたりここにはかつて「鶴の茶屋」があり、多くの旅人が休憩をとったそうで、ここから眺める冬の富士山は中腹に一羽の鶴が舞っているように見えたと言います。今は茶屋もなければもちろん富士山も見えません。時代の流れとは言え、なんとも寂しいですな・・・。 「鶴芝の碑」/向かいには家が建っており今はもう富士山は見えませんなんて、おセンチになりながら進んでおりましたら、今度はトイレに行きたくなっちゃってピ~ンチ!!!この辺はもうコンビニとかパチンコ屋とかないような道だので、うーむむむと思っておりましたら、なにやらお役所的な素敵施設があるじゃあーりませんか。しかもやっとる!!!無事にピンチ脱出後(笑)受付にいた守衛さん(?)らしき方とちょっとお話をし、帰り際に「これからお天気が崩れそうだし、道中お気をつけて」と声をかけていただきました。ありがとうございます!!!この旅をしておりますと、こうやって人の温かみを触れることが多く嬉しいです。感謝。保健・福祉・男女共同参画・消費・ボランティアなどを推進する立派な複合施設「富士市フィランセ」この辺りで、とうとう小雨が降ってきたので雨支度。そして、ところどころ面白いものを見つけながら吉原宿へ入ったのでございました。行きには気が付かなかったものがたくさん。帰りの余裕ってやつぅ!?(違)この辺は数軒に一軒、庭に祠がある摩訶不思議ワンちゃんの為の温泉・湯治何とも言えない表情の道祖神吉原宿西木戸(京都方面の入り口)跡1340 ・・・つづく。
Feb 22, 2020
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さぁさぁさぁさぁ、オール明けでこの連休はなんとびっくり気が付けば1年ぶりの弥次喜多だってんだい、てやんでぃべらぼうめぃ!!! * 旅行記はこちら 行き:http://www.mejina.com/53next/ 帰り:http://www.mejina.com/53next/hukuro.html どこまでいけるか珍道中、前回のゴール蒲原よりご出立。今回は箱根越え、、、の予定。ぷ。
Feb 21, 2020
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本日のオール仕事はぼちぼちで、もちろん最後までしっかりと仕事をし(笑)、先週のお詫びと言っちゃぁなんだが、由比宿でお買い求めた「桜えびサブレー」で乙呑みうぇ~いっ!!!煎餅ではなくサブレーですよ!?お買い求めた店にしか売っていないオリジナル商品だそうで。お土産にはもれなく酒に合うものを買って帰るのですがすかす、下戸の兄様は乙呑みでは毎回コーヒーを飲んでおるので、これなら酒にもコーヒーにも合うかも!?と思ったワタクシの優しさ、、、的な(笑)。桜えびサブレー 陸奥八仙と北雪肝心要のお味はというと、えび煎と甘いサブレーの味が交互にやってくる感じ(謎)の、サブレーと言うだけあってどちらかと言えばコーヒーに合う、、、かな!?ま、ワタクシはつまみは何でも酒は飲めるけどな。ぷ。おいちかったです
Jan 18, 2019
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旧東海道蒲原宿の街道沿いにたたずむ旧五十嵐歯科医院は、大正期以前に町家建築として建てられ、当主の故五十嵐準氏が東京歯科医学専門学校(現東京歯科大学)を卒業した大正三年(1014年)頃に歯科医院を開設するにあたり、町家を洋風に改築しました。その後、西側部分を増築、さらに東側を増築し、一体的な洋館として現在の形になりました。町家の骨格にガラスと下見板をはめ込むなど洋風の意匠を取り入れています。在来の町家の特徴を残しながら外観が洋館というユニークな点が評価され、平成十二年(2000年)に国登録有形文化財となりました。(パンフレットより)ずいぶん腕がよかったそうで、明治の元老田中光顕伯爵も通っていたそうな・・・。っつか、かなり金持ちだな!!!(カミナリ風にwww)旧五十嵐歯科医院面白いものがたくさん冷蔵庫治療に使う金などを保管していた金庫中庭には池と治療に使っていた水をくみ上げた井戸城もそうだが昔って階段が急だよねー(苦笑)この雰囲気好き特別待合室奥が診療室チェアー、、、今とあまり変わらん・・・床はリノリウム技工室五右衛門風呂炊きます竈にまた冷蔵庫石造りの流し中庭の井戸のポンプ、、、凄ぇ・・・中庭から建物を眺める面白かった
Jan 14, 2019
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左は膝、右は踵と左も右も痛いので、かばって歩くのはとても難儀にて、ヨレヨレながらもらぶ・富士山を眺めながら進み、このあたりの名物サクラエビの店がたくさん立ち並ぶ由比駅を過ぎ、由比川を渡れば由比宿の中心地でござれば。あーもー座って休みてぇ・・・昔、地元の小学校にこんな感じの時計があったような・・・(遠い目)立派!!!この辺は港からクロダイもメジナも50㎝クラスが釣れるとですよ、裏山!!!江戸のむかしから東海道を行き来する旅人の間のでも、東海道中膝栗毛にもそれをあきなう茶屋が登場する名物「たまご餅」は、、、店はやっていたがすかす、売り切れ御免がっでむ!!!たまご餅はともかく(号泣)、東海一の難所薩埵峠も無事越え宿場町に入ったので、ちょいとここらで一服つかまつるべく。もちろんサクラエビをいただきまいまい江戸の昔からある「たまご餅」は売り切れ・・・由比宿で再会した弥次とwww駿河湾を眺めながら一服至福名物のサクラエビのかき揚げとシラスの丼、美味!!!もれなく腹が出た後、巨ケツに根が生えそうだったので早々に店を出まして、本陣向かいにある正雪紺屋で自分土産の手ぬぐいを物色しながら、由比正雪や藍染など色々な話を聞きました。この辺あちこちで見かける正雪って酒は、この方から来ているのかと納得それにしても、慶安の変(慶安4年:1651年)直前に家族に家の庭に埋めてくれと託したものがなんなのか物凄く気になる拙者であった・・・。(掘り起こそうとしたら、関係者がのきなみ熱を出したりしたので中止したとか)由比本陣にある馬の水飲み場本陣向かいにある正雪紺屋(由比正雪生家)正雪紺屋は染屋さん、藍染に使用した甕があります明治?昭和初期?まで使われていたそうです由比宿のはずれの桝形を過ぎ、由比宿を後に蒲原宿へ。蒲原あたりはむかしからイルカを食べる習慣があり、「イルカのすまし」(イルカのひれや皮の部分を茹でその脂身を加工したもの)は蒲原ガムと言って子どものおやつだったそうですが、、、さすがに買わなかった(苦笑)。桝形、萌~街道沿いにあるイルカのスマシを売っている店再び旧国道一号をひたすら進みますれば、蒲原宿の西木戸跡で左に曲がり右に曲がり、、、つまりはここもいわゆる桝形ですな(うっとり・・・)。江戸時代、醤油や味噌の醸造を営んでいた商家・志田邸(国登録有形文化財)の方に、「旧五十嵐歯科医院には行かれましたか?オススメです!」と強く勧められ、そう言えば行きは華麗にスルーしたのでかたじけない、と門をたたいた次第。御免っ!!!予想以上に見どころ満載で面白かったので、別にうぷします蒲原宿西の入り口の西木戸跡モ・ダーンな旧五十嵐歯科医院蒲原宿の街並み広重の東海道五十三次「夜乃雪」記念碑本陣跡を過ぎたところで旧東海道を逸れまして、最寄り駅の新蒲原駅にて今回の旅は終了15時乙。よーお、よよよいよよよいよよよいよいっ3日目:興津宿~由比宿~蒲原宿 約14km鈍行乗り換えで上野までばびゅーんと。所長さんと待ち合わせをしまして、旅のお土産話をしながらおいちぃお肉をガッツリ喰ったったぜ、うぇ~いっ!!!新蒲原駅より帰ります肉肉肉~約2年半ぶりの五十三次の旅。迎えてくれた旧東海道さんは、いまだかつてないくらいお寒くい中、のっけから峠越えがあったり、道がよくわからなかったり「てめぇのブランクなんか関係ねぇぜ」とばかりオラオラっぷりを発揮されていましたが(苦笑)、たまたま100円市に出くわしたり、地元の人と話したりと「たまたま偶然の出会い」と往路のことを思い出しながらの珍道中旅はやはり楽しいです旅の醍醐味、びば・一期一会。ちょうど10年前に始めて、今は(寄り道を色々するとはいえ)1回に歩く距離がだいぶ少なくなりましたが(苦笑)、10年目の節目・そして40代最後(!)の今年、お江戸へ帰ってやるってんでぃ、てやんでぃ、べらぼうめぃ!!!それにしても薩埵峠で痛めた左膝と右踵が痛ぇですよ。ぷ。
Jan 14, 2019
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前日同様今朝もダラダラとしまして、ばびゅーんと興津駅には9時半頃どんどんど~んっ!!!昨日ここ興津宿まで来た甲斐がありまして、すぐに東海一の難所薩埵峠に行けますれば、まずは最初に通りかかった宗像神社で今日の旅の安全をお願いしたでござんすよクロマツやクスノキがこんもりと茂るこの社は、漁に出ていた人たちから「母なる森」として親しまれており、当時は高い木々が生い茂るこの森は漁師にとってかっこうの目印だったそうで。三日目身延山道への分かれ道宗像神社御朱印、、、女体の森!?旧国道一号線を逸れ、興津川を渡りましたっけ、いよいよ薩埵峠のたもとへ。蕎麦が一杯十六文の天保の頃、太股川(約42㎝)で十二文。まぁ、瀬戸川の徒渡り(股水十六文)だから同じような感じかな!?っつか、大井川とか天竜川とかが破格に高かったんだろうなー。興津側に人足が三十六人ほど常駐しており、大通行がある時には二百五十人以上(!)が動員され、また四尺五寸(1.5m)で川止めだったそうです。ただし、冬季には橋が架かっており無賃で渡れたとか。←水が少なかったからかな!?と想像してみたり。興津川渡ったところに川越遺跡天下の東海道を薩埵峠へ向かう「ここは天下の東海道か!五十三次も緑(水土里)がなければ描けねぇなぁ・・・」広重興津側からは墓地(!)を抜けると本格的な峠道になります。今回は老若男女たくさんの人が往来しており、なんだ!?前回と時期が違うとはいえ、10年近くたって観光スポットとして人気が出てきたんだべか(謎)・・・。切り立ってきた;;;梅が咲き始めてましたそれにしても薩埵峠から見る景色はすんばらしい。そもそも五十三次は広重さんの絵と同じ景色を見たくて始めたようなもの(ちょっち違うけどw)。江戸時代、あんな人もこんな人もみーんなみーんな眺めていたんだよー、と思うと超絶萌峠を越えればつまりはずっと下りなわけで、あっという間に由比宿の西の入り口に。難所:薩埵峠らぶ富士山広重さんと同じ眺めコンビニの握り飯でも超絶美味!!!椿も今回はたくさん人がいましたみかんも眼下に広がる駿河湾落石注意堤防にはたくさんの釣り師がwww江戸から数えて40番目の一里塚富士山を眺めながら無事超えたと思ったら、ら、ら、右の踵と左の膝の皿を痛めた難儀、、、行きも股関節を痛めたんだよなぁ、恐るべし東海一の難所薩埵峠で御座候。ぴーんち!!!ぷぅ。 ・・・つづく。
Jan 14, 2019
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さすがに疲れが残っているのは否めず、起きても「あと一時間」「もう一時間」とダラダラと茶を沸かし、まずは昨日食いそびれた兄さんに握ってもらった握り飯を食う。うん、旨い、あざっす。重い巨ケツを蹴り上げてウォーミングアップ、駅前の商店街のマンホールなんぞを楽しみながら昨日のゴール、札の辻跡からご出立はちょうど10時、どんどんど~んっ!!!天気は快晴だがすかす、今日ももれなく寒いので通りかかった100円ショップで手袋をお買い求め。ありがてぇ。ぷ。 山くらげと鶏マヨ二日目さて、旧東海道をずんずん進むは狸親父天下の家康公の駿府城城下町。西郷どんの江戸城無血開城について会談した松崎源兵衛宅跡や本陣・脇本陣跡と宿の中心部を抜けまして、本日最初の神社「静岡縣護國神社」にて今日の旅の安全をお願いしたでござんすよ西郷・山岡会見跡は複合的カルチャーショップになってた上伝馬本陣・脇本陣、駿河問屋場・貫目改所跡は某眼鏡市場の本店に左から来て今だいたいこの辺www壮大な静岡縣護國神社とても良い所でした御朱印旧街道と並走する静岡鉄道のまるちゃん電車安定の途中迷子でも慌てずのんびり。帰り道だし、さすがに慣れて鼻も利きますのでね(笑)、すぐに軌道修正できる技を習得したでござるまぁ、多少間違えちゃってもいいんぢゃね!?草薙神社の大鳥居の前を通り昼も過ぎたころ、通り沿いにあるベンチに腰を掛け昨日藤枝宿でお買い求めたサッカー最中で小腹を満たした次第。元気出たー昨夜は何も食べられなかったので、今夜は今夜こそは心ゆくまで美味しい地のものを食べるのだ呑むのだ!!!だ!!! あんこぎっしり草薙一里塚のあたりで、ガイドさんを先頭にした約30名ほどのお年寄りのグループ、2グループとすれ違いましたが東海道歩き、流行ってんのけ!?追分羊羹の店はこれまたやっておらず。いいのだ、さっきサッカー最中食った、、か、、、らガイド付きツアーの方々追分にある追分羊羹は定休日;;;現代の東海道の工事のパイプガードはルフィ達www巴川にかかる稚児橋を渡れば、いよいよ江尻宿。その稚児橋は慶長十二年(1807年)狸親父家康公 の命により、巴川に橋が架けられた際、江尻の宿にちなんで江尻橋と命名されることとなっていたが、渡り初めの日にかねて選ばれていた老夫婦がまさに橋に足をかけようとした瞬間、川の中から童子が現れてするすると橋脚を登り忽然と入江の方へ消え去った事から童子が変じて稚児橋と名付けられたそうだけんども、、、オカルト!!!怖いってばよ(苦笑)。巴川にかかる稚児橋童子はいわゆる河童だったらしい江尻宿寺尾本陣跡途中、清水駅へ逸れまして、本日のお宿に荷物を預けたら、本日はもう少し先まで進みますれば14時半。てやんでぃ、べらぼうめぃ!!! ・・・つづく
Jan 13, 2019
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さて、柏屋で弥次喜多と別れた後、1号線を逸れたり通ったりしながら、いざ宇津ノ谷峠へもとは蔦の細道と言う道を使っていたが、天正18年(1590年)豊臣秀吉が後北条氏を攻める時、大軍を通すために切り拓いたと伝わる道で、その後、東海道として整備されたってぇわけですな。その同じ道を、現代人の拙者が某ANTHEMを聞きながらノリノリで通りますyo(萌)。いよいよ宇津ノ谷峠へ左:東海道 右:蔦の細道鬱蒼・・・かつては石垣の上に延命地蔵堂が建っていましたこの石垣は、江戸時代中(18世紀末)頃、宇津ノ谷峠の傾斜地に地蔵堂(石垣上)を構える際、平らな土地を確保するために積まれたもので、明暦2年(1656年)に描かれた狩野探幽の「東海道地取図巻」にも既に小さな祠として描かれており、江戸時代前期から東海道を行く人々の信仰を集めていたそうな。今はないのが残念無念。ひぃひぃ言いながらも、案の定あっさりと峠を越えまして、眼下に見えるは間宿宇津ノ谷。下りは得意昭和初期の宇津ノ谷中央にまっすぐ東海道が通っている平成最後wの宇津ノ谷変わらず中央にまっすぐ東海道が通っている間宿の宇津ノ谷宇津ノ谷では是非ともお羽織屋に寄ってありがたーい猿め秀吉公のお羽織はもちろん、あのお婆さんに再会できればと思っていたけんども、「しばらく拝観はお休みします」と閉まってた・・・そんなわけで、あっという間に宇津ノ谷を抜けて、丸子宿へ。丸子川っぺりにある丸子宿の大阪・京方見付夫婦喧嘩で食べられなかった弥次喜多同様、開店前で食べられなかった拙者は、今回こそはと丁子屋のとろろを思う存分食ったでござるよ自然薯の赤ちゃん、幻の山菜と言われている「むかご」のから揚げをつまみながら一杯の至福。定食には、とろ揚げ、お刺身、とろろに麦飯、お味噌汁にデザート。残せない性分故、おひつを平らげるのは難儀でござったよ。いやー、超絶腹が出た。ぷ。丁子屋広重さんの絵にもあります「梅わかな丸子の宿のとろろ汁」松尾芭蕉ん!?望遠鏡!?広重さんの五十三次の絵を眺める為らしいwwwまずは「むかごのから揚げ」で一杯揚げとろ美味!!!お一人様はおひつが難敵・・・デザートも付きます丸子宿東木戸(江戸側の入り口)最初の予定では寝不足な上に峠越えもしたということで、丸子で終了しようと思っていたがすかす、想定以上に腹が満杯、つまりは食いすぎだのでもちっと歩こうかなと思ったのと、最寄りの安倍川駅へ逸れるタイミングを逃しちったこともあって、えぇいっ、しゃらくせぇ、府中宿まで行ってやろうってんだ、てやんでぃ、べらぼうめぃってことで、安倍川を渡りましたっけ、、、あり!?川がない工事中とありましたが、砂利しかない光景は不思議でした。安倍川を超えると有名な「あべかわ餅」のお店がありますが、売り切れちゃったのか時間外なのかお休みなのか閉まってました。まぁ、腹いっぱいすぎて食えないけど(笑)。安倍川砂利しかねぇ・・・閉まってた;;;川を越えれば府中宿。いよいよいよ暗くなってきまして、お寒い上に更に今度は老眼で地図が見えず難儀(爆)。とーちゃん、情けなくて涙が出てくらぁ!!!やっぱ、暗くなってから歩くもんではないなーと、再確認。ちょいちょい迷子になりながらも、ようやく札の辻跡で終了で御座候17時半過ぎ。よーお、よよよいよよよいよよよいよいっいやぁ、なんだかんだ色々ありましたな。おもしれぇ。府中宿の札の辻跡(伊勢丹前)今こそ姿見の橋でwww初日:藤枝宿~岡部宿~丸子宿~府中宿 約15㎞もちろんまだまだ腹は空かず(苦笑)、地酒をお買い求めまして本日のお宿にチェックイン。区役所前のイルミネーション静岡駅前の商店街は賑やかきれいなお部屋をありがとう静岡の酒と言えば臥龍梅うまー!!!まずは風呂で冷えた体をふぉ~っと温まり、今日の旅を振り返りながらニヤニヤと過ごしたのでございました。もちろん寝落ち乙!!!
Jan 12, 2019
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オール仕事はそこそこでしたので、一時間早めに上がらせてもらって(かたじけねぇ)鈍行始発乗り継ぎしながらGO藤枝お、お懐かしゅうございます(安定の半目にてw)。ぷ。ってぇことでぇ~、いざいざいざいざ出立するでござる8時半過ぎどんどんど~んっ!!!前回は2年半ほど前の暑ーい暑い日でしたな・・・(遠い目)。だがすかす、今回は正月明けの薄曇りで寒ーい寒い、これまた難儀。同じ時期に歩いたことがありましたが、毛糸の帽子を被って歩いたのは初めてじゃなかろうかい!?まぁ、日焼けとか諸々考えると寒いほうがいっか、、、にしても寒い、寒すぐる一日目瀬戸川付近瀬戸川っぺりの志太一里塚跡川幅も狭く浅い瀬戸川は歩いて渡れることもあり「瀬戸川の徒(かち)渡り」として知られておりました。志太村をはじめ瀬戸川両岸には約15人ほどの川越し人足が常置されており、参勤交代などの大通行がある時には付近の村々から助郷人足を動員して川越しに当たったとか。 〇川越し制度開始は江戸時代貞亨二年(1685年) 川越し賃銭 膝水 八文 股水 十六文 乳通水 三十二文難所大井川(股水四十八文!)と違ってさすが歩いて渡れる瀬戸川は超絶格安(笑)。広重の絵にもある上伝馬町の問屋場跡は今は交番かわいい常夜灯白子町の商店街では何やら店先にお弁当やらおはぎやらお菓子やら酒から洋服・生地などなどを並べる準備が進められており、出店!?お祭り!?なんだべか!?後で聞きましたっけ、100円市(?)とかで2ヶ月に一回催されるのだとか。まだ時間前だったのが残念無念。まぁ、それにしても初っ端からこんな光景に出くわしたりと、なかなかの旅の出だしにてイイネ100円市サッカー押しの藤枝市は街灯までサッカーボールwwwさて。いつも一番初めに通り過ぎる神社仏閣にて旅の安全をお参りするのですが、今回はなんと藤枝成田山(!)。もともとは鎌倉時代に宗尊(むねたか)親王が将軍となって鎌倉へ行く途中、乗っていた車の左輪が壊れて修理している間に休息していた場所で「左車山休息寺」と呼び壊れた車輪を埋めた場所に左車神社をたてて祀っていたそうですが、それにしてもなんというご縁でござろうかい・・・。藤枝成田山鯛おみくじを「釣った」ら大吉うぇ~いっ!!!御朱印東海道にて今年の初詣を無事に済ませ、おみくじも見事大吉を引き当てまして、気分良く先に進みますれば。それにしても、相変わらず色々なモノを見せてくれる東海道。いやー、楽しい。実に楽しいわがまち藤枝この辺はあちこちのお宅に立派なミカンが!!!土手っぺりに咲いていた水仙はふんがふんがいい香り左が旧東海道でござんすよ棒鼻~これより東は巌村「村」はずれの家(苦笑)「村」って入れてあげて!!!朝比奈川っぺりにある「横内のあげんだい」こんな巨大だのに行きには気づかなんだ摩訶不思議朝比奈川を越えて横内のあげんだいにビックリ(こんなのあったっけ!?)し、しばらく進むと岡部宿に入りますれば。相変わらず松並木は雰囲気が出ていて良いですなぁ・・・あまりにお寒いのと、この後峠越えを控えておりますので、通りがかったお茶屋店で温かい甘酒(イチゴ入り!)をすすり一服仕る至福。超絶美味でござった。岡部宿の松並木麹を扱うお店甘酒イチゴ入りウマママママ~岡部もサッカー押し思い出の五智如来様に峠越えの安全をサクッとお願いしまして、しばらく進みますと「小野小町の姿見の橋」。なんでも絶世の美人小野小町が東の国へ下る途中、この橋に立ち止まって夕日に映える西山の景色に見とれていたが、ふと目を橋の下の水面に移すと、そこには長旅で疲れ果てた自分の姿が映っており過ぎし昔の面影を失ってしまった老いの身を嘆き悲しんだという話があるそうな。静かな住宅街を抜け、国道一号線を進むと岡部宿の内野本陣跡に大旅籠柏屋。ここでおっとぉ、こいつは久しいやぃ、弥次喜多に再会し積もる旅話でひとしきり盛り上がって岡部宿を後にしたでござんすよ小野小町姿見の橋小町ぶってみたwww新酒とな!!!岡部宿の本陣跡大旅籠柏屋弥次喜多と前回はいなかった旅籠の女将と一緒にwwwさぁさぁさぁさぁ、この先は本日の難所「宇津ノ谷峠」を超えて丸子宿へ。峠なんざぁ、ぱぱっと超えてやろうってんでぃ、てやんでぃ、べらぼうめぃっ!!! ・・・つづく
Jan 12, 2019
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気が付けば10年目の節目の年だってんだいっ、てやんでぃべらぼうめいっ!!!いい加減、今年中にお江戸に戻るつもりで御座候、、、た、たぶん(笑)。前回のゴール藤枝宿より出立、軽く峠越えをしてくるでござんすよっ* 旅行記はこちら 行き:http://www.mejina.com/53next/ 帰り:http://www.mejina.com/53next/hukuro.htmlと、その前に今年一発目オール仕事押忍っ!!!ぷ。
Jan 11, 2019
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連休は五十三次の続きをやろうと思ったっけ、お天気が不安定だのでヤメ。峠越え、あるしねー。予定変更、仕事をすることにしたずらよ。更に、あちこち動き回ると言う・・・。ぷ。まずは今夜オールでございますただいま藤枝宿でござんすよ続きは来年かなぁ・・・。
Sep 16, 2016
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今朝も朝食盛り盛り。そして、のんびり出立は9時。最終日どんどんど~んっ!!!今日はお隣の藤枝宿までだがすかす、今回の旅の中で一番暑い、、、かもしれん・・・山越えもなく、ひたすら舗装路を歩きますれば。途中、余りの暑さに手ぬぐいをほっかむり(笑)するも、日傘を差している人をみて「!!!」と傘を差した次第。なんだ、もっと早く気がつけば良かったっぺ・・・でも、地図を確認するときに手がふさがっておるので不便でござるな。あっちぃ、あっちぃと言いながらも、イチジクの大きな木に興奮したり、限定:藤枝にゃんかっぷをゲットしたりとそれなりに楽しみまして、東海道を逸れて最寄り駅藤枝駅に12時前。うん、ちょうどいい時間。藤枝宿の松並木道沿いにあったイチジクがたわわ!!!藤枝にゃんかっぷ!?怪しすぎwww今回の旅は、藤枝宿で終了でござる。よ~おっ、よよよいよよよいよよよいよいっと今回の旅ー。行きでこの辺りを通ったのは6年前のGWでしたが、あったものがなかった(?)り、新しく看板が出来ていたりと、変化を感じた旅でもありました。また、新しい発見もあり。そして、何よりも人との出会いが濃密だった旅でした。親切にしてもらいました。たくさんの出会いに感謝です。今回も良い旅でした。楽しかった!!!お江戸まで残り半分を切り、終わりも見えてきたように感じて、少し寂しい気もします。ま、実際まだまだ距離はありますが(笑)。旧街道歩き旅、おもしれぇ、てやんでぃ、べらぼうめぃっ!!!お帰りは行き同様鈍行で帰ることも考えましたが、ご褒美だいすき新幹線(笑)で。もちろん、おビールに酎ハイなんぞ呑みながらねー。ぷ。そして、所長さんと合流して美味しいお肉をご馳走になったずらその後も、いつもの立ち呑み屋でお互いの報告呑みにケ、これまた楽しい時間を過ごしたのでございます。
Jul 18, 2016
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さて、島田駅よりばびゅーんと再び掛川駅へ1日かけて歩いた距離もあっという間の虚しさよ(笑)。駅ではプレモル富士山!!!そのまま「ただいまっ」「わぁ、お帰りなさい」ガラっと店の扉を開けたのは、16時の開店とほぼ同時(笑)。約束通り来たずらよ食べ物は本日のメニューからチョイス、酒はもちろん臥龍梅!!!ここでも常連の方々と盛り上がるっつうね・・・(笑)。手羽先餃子、超絶美味!!!だいすき鰹カウンター席で並んだ常連の方々とwww酒をご馳走になる、あざっす!!!なんでも今日はKBF、掛川バンドフェスとかで駅前通りを封鎖(!)して屋台はもちろん、あちこちでバンドが演奏していて外は絶賛大盛り上がりだっぺ。広場でなくて通りでフェスって珍しくね!?美味しいお酒に、楽しい出会い、偶然のイベント、旅、満喫してるなぁ~、おいさんぱち屋はフード ・ドリンク全て380円也気さくな店長ととてもとても楽しい夜でした。通いてぇ・・・(笑)。ぷ。
Jul 17, 2016
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扇屋を後にし、今度はひたすら下り間の宿菊川。この辺りは江戸時代からの石畳が残っておりまして。ぶっちゃけ石畳は歩きにくいのだけれど、当時の人も踏みしめた石畳を今自分が踏みしめる萌~ぷ。そんな金谷坂の途中にひょっと見つけた「すべらず地蔵」。滑らない山石を敷き、長い間東海道を行き交う人々の足を守ってきた石畳にちなんで建立されたお堂で、「滑らない」にかけて合格祈願スポットとして人気なのだとか。折しも三味線のお仲間の師範試験がこの連休中にあり。何というご縁でござろうか、しっかりと合格祈願した次第。たくさんの合格祈願の絵馬がありましたよ。だーっと下りてきた先は金谷宿。そして大井川にさしかかりますれば。菊川坂の石畳は一部江戸時代後期のモノが現存時を経て平成の世、拙者が踏みしめる(萌)金谷坂の石畳すべらず地蔵、、、手を取り合った可愛らしいお地蔵さんです金谷宿大井川その大井川。本日の水量は股通(またどおし)と言って一番お安い値段で川札一枚四十八文(約1440円)也。平連台にて渡してもらうでござんすよ(笑)。連台越しだと担ぎ手四人で、川札四枚と台札(川札二枚分)の計六枚ですから288文(8640円)、、、って高っ!!!今日の水量今日の川越賃渡ったったwwwイメージ(これは半高欄連台)無事川を渡りますと島田宿。当時をしのばせる街並みが続きます。いいね島田宿井戸!!!ちゃんとした井戸を覗いた(?)のは初めて!!!ひんやり、ふっかーーっ、こっわーーっ!!!(大興奮www)大井神社を過ぎたら、東海道を逸れ島田駅には15時半過ぎ。本日、これにて終了でござる。よ~おっ、よよよいよよよいよよよいよいっといや~、それにしても今日はあちかった・・・。~おまけ~大井川のすぐそばに島田市博物館があり、ただいま「第67回企画展:川越遺跡と島田の文化財~川越制度始めました」絶賛開催中でござる。貴重な川越の資料はもちろん、お子様でもわかりやすい解説の他、宿場人口ランキング、当時の人の川越の感想(訳:「落ちそうになり怖かったです」とか「富士山がキレイに見えて良かったです」などwww)が展示してあり、なかなか面白かったです。夏休みの課題にしても良いかもぉ。島田市博物館宿場人口ランキング つづく・・・。
Jul 17, 2016
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部屋呑みしたまでは良かったモノの、気がついたら寝落ちの爆睡していたという、、、まぁ、そりゃそうだっぺ。スッキリお目覚め、盛り盛り朝食を食いましたら、いいざいざいざいざ2日目出立どんどんど~んっ!!! 8時半。本日は軽~く山越えがありますれば行きしなわからなかった新町七曲がりはなんなく見つけまして、一路日坂宿へ。盛り盛り朝食、、、二巡目www天然寺前より出立!!!新町七曲がり標識(現代)の裏に伊達方一里塚(昔)「日坂宿」と書いてあるのがなんだか嬉しかったりwwwのどかに進むでござるよややっ、この景色は見たことがありまする迷うことなく(笑)、無事日坂宿には10時半前。木戸(宿場の出入り口の門戸)跡、高札場跡の目の前に日坂宿の旅籠「川坂屋」があるので、そこでちょいと一服案内のオバサマと諸々お話しましたっけ、ほんの十年くらいまで人が住んでいた(!)のだとか。拙者も住みたいでござる・・・。まぁ、掃除が大変そうだけど(笑)。日坂宿の下木戸跡と高札場高札場前にある川坂屋(旅籠)案内してくれたオバサマと30分ほど話し体も程よく冷めたので、川坂屋を出立。いよいよ小夜の中山へ。まずは七曲がりの急坂の洗礼。坂が急で大変と言うよりも、とにかくあっちい、あっちいよ・・・茶畑に出たら風が抜けていくらか涼しいものの、何しろ蒸し蒸しであっちぃ。登り切った先に仰木屋という茶屋があることは知っていたので、「扇屋でビール、扇屋でビール・・・」と呪文の様に唱えて登った次第。ぷ。七曲がりの急坂今回は茶畑の合間を縫って進みます「茶」の文字が、、、これだとわかりませぬな;;;江戸創業の扇屋はもうすぐ・・・ふぅふぅと顔を真っ赤にしながら扇屋到着は11時半過ぎ。一服するにはちょうど良いこん頃合いだっぺ。早速おビールを注文したら、最後の一本だったラッキー。いや~、実に旨かったね、旨すぎたね。瞬殺。「旨そうに呑むねぇ」と褒められたしねーそれから、これまた仰木屋のオバチャンとジイチャンと諸々話しで盛り上がるはお約束(笑)。ジイチャン、なんと若い頃に中山道を歩いたことがある(!)鉄人で、その時泊まる場所に苦労したもんだから、旧街道歩きで困っている人には、ご飯をご馳走したり泊めてあげたりするんだとか。わかるぅ~。東海道でも土山宿や水口宿あたりは泊まるところが無かったもんなぁ。中山道に関しては、更に難関よ。そんな旧街道あるあるで盛り上がっておりましたら、知り合いがお昼の差し入れをもってきましてね。ジイチャン、病気で胃を全摘しているのでおかゆしか食べられないからと、彼女にあげてもいいかと、、、お言葉に甘えて拙者がありがた~くいただきまいまい(笑)。か、かたじけねぇ・・・おビールっ!!!お茶農家兼任扇屋の鉄人ジイチャンと冷たいお茶に、なんと、おにぎりをいただくそして、お茶農家でもあるジイチャン、最近のペットボトルのお茶について熱く語られまして。店の前の自販機でわざわざお茶を買い「この色はないし、味も馬の○○みてぇら。こんなのお茶じゃねぇ」(「ら」は静岡弁www)、目の前でジョバジョバジョババ~って全部捨てると言う、、、こらこらこら、いくら何でももったいねぇってばよ(苦笑)。だがすかす、ジイチャンが作ったお茶、濃ゆくて旨かったぁ。流石で御座候。 ・・・つづく。
Jul 17, 2016
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ホテルにチェックイン、体を急冷しましたっけ、旅のもう一つのお楽しみ、呑みにGO~っ!!!行ったり来たりぷらぷらしながら物色。この辺ではこれと言った名物はなさそうでしたので、駅前すぐの居酒屋さんに入りましたがすかす、どうも居心地が悪かったので、一通り済んだところで退散した次第。店長(と思われる)はイケメンだったんだけどなぁ、なんか残念・・・。海鮮サラダ唐揚げ掛川の地酒「開運」二軒目はぷらぷらしていた時に気にはなっていた全品380円の店。なんと「久保田」や「而今」なども380円で呑めるとか呑めないとか(驚)。ただワタクシ一軒目でもう「はらくち」だったので、メニューはチェックしつつ日本酒のみをいただきまいまい。つまりは明日の偵察ずらね(笑)。したっけ、何とはなしに呑んだ静岡の地酒「臥龍梅」が、超絶美味しくて清水(!)の地酒「臥龍梅」うまぁ~っ!!!* 臥龍梅 純米吟醸静系94号(静岡県): 試験醸造にて作った酒。静岡94号は県が開発を目指す米他にも色々試したかったので、店長に「今日はもう他の店でお腹いっぱいになっちゃってて、明日は必ずここに呑みに来るので、半合づつでいいですか?」と聞いたら「全然問題ないですよ~」と、半合ずつ出してくれましたが。半合っつったらあーた、190円ですよ!?そして、いやいやいやいや、、、出てきた量がおかしくね!?サービスしすぎだっつーの(笑)。「北島」に「赤武」* 北島 青嵐 純米吟醸生原酒(滋賀県): 「青嵐(あおあらし)」は初夏に吹く風のこと・味わいも青嵐のように軽快軽快!!* 赤武 AKABU 純米酒(岩手県): 24歳の若い杜氏が造った全国より注目を浴びる蔵の代表作店長は気さくな感じで、地元の若い衆からオッサンまで常連さんが多く、メニューもなかなか気の利いたモノが日替わりで揃っており、なんと言ってもリーズナブルなのがいいね一軒目がもったいなかったなぁ・・・。明日は最初からこの店決定でございます。
Jul 16, 2016
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本日もぼちぼちと定時にオール仕事終了にて、最寄り駅より鈍行でうつらうつらしながら袋井へ6時半過ぎ。乗り換え3回ほど(!)ありましたが、それぞれ1時間づつ寝ることが出来たので、ほぼ十分だっぺ前回のゴール袋井宿には12時前には着きまして、景気づけに一杯やっつけた後(笑)、いざいざいざいざ出立でござるよ、どんどんど~んっ!!!すぐにどまん中茶屋。広重の構図と同じに写真を撮ったのを懐かしく思い出しますれば。そして、冷たいお茶をご馳走になりながら、しばしじいちゃんと安定のおしゃべりを(笑)。本日茶屋に寄った旅人は、ワタクシで3人目。ま、夏は少ないそうで。前回のゴールは袋井宿場公園どまん中茶屋どまん中茶屋のじいちゃん(御年84!)と立派な彫り物のある秋葉灯籠、珍しい赤鳥居この赤鳥居、実は冨士浅間宮本殿までの参道の入り口に建っており、江戸時代には東海道から木々の間に社殿を見渡すことが出来たようです。・・・当時を想像しながら眺めた次第(笑)。来週、登るしねー他にも、松並木に萌~っとしたり、中学の頃、掃除で落ち葉を拾って運ぶために使っていたリヤカーが放置されているのを見て「おぉっ!!!」と驚いたり、軒先の花に見入ったり、と、久しぶりの旧街道歩きを堪能したでござる。楽すぃ・・・萌~なんとまぁ懐かしいことか、、、つか、何故ココに放置されておる?掛川宿に入り、円満寺の入り口にある掛川城蕗の門は廃城後に円満寺が買い受けて移築したものなんだとか、、、円満寺、太っ腹!!!円満寺にある蕗の門コンビニ越しに見る掛川城、いかにも現代ですな掛川城大手門掛川城天守閣掛川城には今回は登城せず、本陣跡にて本日終了と思ったっけ、どうしても見つけられず。確か、行きの時にも見つからず苦労したデジャブ(笑)。だから良く覚えているんだけれども、ない、ないよ、ないない。見つからねぇ。絶対ココだのに。途中で諦め、天然寺の前で初日終了と相成りまして御座候。16時半。最後の最後に無駄に何度もぐるぐると、、、体力消耗したずらよ。よ~おっ、よよよいよよよいよよよいよいっと天然寺前にてそれにしても、オール明けでもこんな感じならば結構イケまするな。ぷ。 つづく・・・。
Jul 16, 2016
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この週末連休もかなり全力で遊ぶぜ、どんどんど~んっ!!!心配した天気も晴れでもなく雨でもなく曇り予報でイイ感じ。盛り上がってきたずらよ。た~の~し~み~袋井→掛川→日坂→金谷→島田→藤枝くらいまで行こうかとそう、先週も良くも悪くも全力だったんだ、、、っつか、全力過ぎでそれは深く深く反省でございます。まぁ、全力故の予想外・ハプニングはつきものってことに、、、しておくべ(笑)。だがすかす、十分気をつけて行ってきます。まずは今夜もオール!!!(え!?)ぷ。
Jul 15, 2016
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さて地図をチェンジしまして再び出立、東海道でござんすよ12時15分、どんどんど~んっ!!!そろそろマメの難儀がMAXだので、今回のゴールは次の袋井宿で御座候。ちょいと迷ったり引き返したり、、、てやんでぃべらぼうめぃっ!!!間違えるとすぐ雰囲気でわかるのですが、だったら間違えるなよって話しずら・・・。地図をチェーンジ!!!見付宿は磐田でござればジュビロの旗がたくさん時期には鯉のぼりがたくさんのぼります是より東おおくぼ鎌倉・江戸・明治・大正・昭和・平成の6つの時代の道が一堂に会する鎌倉時代の道拙者はもちろん江戸時代の道でござんす一言坂もそうですが、袋井周辺も三方ヶ原の戦い前に武田信玄と徳川家康の間で小競り合いを繰り返していた地域で、この木原畷は家康が本田忠勝の一隊を前進武田勢の物見をさせた折りにに見つかり武田の攻撃を受けた場所です。武田勢の追撃は激しく、見付を抜けて一言坂で家康本隊を捕捉、家康を敗走させた(一言坂の戦い)わけですな。・・・なるほど。その木原畷の街道沿いに木原権現社がありまして、その中になんと家康が関ヶ原の戦勝祈願に訪れた際に腰掛けた石があり。こここここ、これは座らなければればればっ!!!←はい、ここでも、びば・ミーハー魂(笑)。座り心地は大変よろしく、恐悦至極でございまする(ニヤニヤ)・・・行きは華麗にスルーしたwww木原畷家康腰掛け石、、、ちょうど良い掛け心地腰掛けてドヤってみたwwwその後は大きな通りを歩いておりましたら、某TSUTAYA、、、だったかな?の前の駐車場の入り口に何故か巨大な鶏がどど~んと鎮座しておりまして、一緒に写真をパチリ。う~ん、こんなんあったっけか???謎の巨大な鶏そんなことをして遊びながらも足はフラフラ也(笑)、どうにかこうにか袋井宿にたどり着き15時少し前。だみだ、もー一歩も歩けねぇ・・・今回の旅のゴールでござんす袋井宿はどまん中、よよよいよいっ!!!掛川より新幹線でばびゅーんと江戸へ。新幹線の時間ではなくお値段で江戸が近くなってる実感を(笑)。新幹線らぶ至福体が欲していたのでガッツリ肉肉肉~今回の旅ー。雨の中の峠越えから始まって爆笑、色々な方とのご縁にしみじみ、新たに知ったことにびっくり花子、美味しいものに舌鼓と、今回もとっても思い出深い旅になり申した。改めて街道歩き、おもしれぇ!!!次はいつでござろうか・・・。
Mar 21, 2016
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国府駅から岡崎公園前駅まで電車でばびゅーんと。やはり素通りは出来まい岡崎城へ登城でござれば、えぃえぃおーっ今回は城だけではなく、その他諸々も見て回り三河の狸親父殿家康公のパワーを存分に頂いた恐悦至極に存じまする。半日かけて歩いた距離をばびゅーんと20分ほどでwwwいざ、参るっ!!!家康公産湯の井の水でパワーを頂戴いたしたく御座候資料館も覗いてみっかと、城内にある三河武士のやかた家康館へ参りましたっけ、なにやら人だかりが。見れば戦国武将の方々がおるではないかっ!!!萌。岡崎城には「グレート家康公葵武将隊」なるものがありまして、色々なイベントをやっているのですな。まぁ、運良く見られればと思っていたので、演武は終了しておりましたが、こうやって実際見られてラッキー家康館では戦国時代の紹介や、関ヶ原の戦いの可動式ジオラマなんかもあったりして、おぉぉぉぉ~っと身を乗り出してガン見した次第。ぷ。その後も、城内をぐるぐる心ゆくまで城や石垣を堪能し、飲みに繰り出した拙者でござった・・・三河武士のやかた家康館戦国武将の方々がっ、、、萌それぞれお目当ての武将の所に並ぶという・・・神橋さて、今宵の店は炉端お一人様。開店と同時にご来店(笑)。赤星があるなんて、お主、なかなかやるな昨日の店よりもリーズナブル。大将をはじめ、ヤングなかわえぇ店員ちゃんとワタクシの街道歩きから彼女たちの100kmウォーキングの話しまで、楽しいひとときをしばし。東岡崎炉端屋どんぱちこういう雰囲気の方が落ち着くwww赤星やっほい牡蠣~愛知の酒:純米吟醸「奥」、香り豊かウマすっ!!!日本酒にはやはりこれですな福井の酒:北陸一の男酒と言われる純米辛口「早瀬裏」オヤジを想わすほどの十二分なキレを持つ、、、って書いてあったのでwww面白そうだから頼んでみた、こぼし枡ワイン〆は大好き玉かけ帰りに、飴ちゃんとホッカイロをもらったニクいサービス付き。ありがとう。* 東岡崎炉端屋どんぱち:http://r.gnavi.co.jp/9sp1147c0000/宿に戻ったら温泉に入り、続きの部屋吞みしつつ某大河ドラマ「真田丸」第一回をご鑑賞の岡崎2日目の夜でございました。たのすぃ・・・。
Jan 10, 2016
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日が昇るまではお寒いと言うことを昨日思い知らされたので、朝ご飯をどんぶりおかわり腹一杯食ってからのご出立はゆっくり8時過ぎ、どんどんど~んっ!!!本日のお宿も同じところ、荷物を置いて身軽にスイスイ進む、、、予定でござれば。ぷ。昨日の続き、二十七曲がりを間違えず飛ばさず全角制覇するべく、同様に地図をもの凄い形相でにらみつつ、各角に立っている標識を声だし指差し確認しながら(怖)、慎重に慎重に進みます。30分ほどで、東の入り口の冠木門に到達、つまりは制覇だやっほいっなんだー、たいしたことなかったでござんす・・・(笑)。行きは何であんなに難儀したんだべか!?二十七曲がり途中より出立二十七曲がり東入り口にある冠木門のモニュメント徳川家康の生地である岡崎城と市内を流れる乙川の五万石船 「五万石でも岡崎さまは、お城下に船が着く」と歌われた岡崎のマンホールその2:やはぎばし岡崎宿を後にしまして、連休中もれなく渋滞している東名の入り口を尻目に、更には大岡越前守のお屋敷も華麗にスルーしまして、乙川へ。川岸に近づいたとき、こ、この匂いは獣臭、、、と思ったっけ、かわいいポニーちゃんがおりましてね。長靴を履いたご主人様と思われる方とすれ違いざまにご挨拶をしましたが。川を渡るべく迂回しまして川向かい再び街道へ戻りましたら、ななななんと先ほどのポニーちゃんと長靴のご主人様がっ!!!な、なにっ!?どうやら、川を「歩いて」渡ってきたらしい。それで長靴、、、ってマジかー拙者も是非とも歩いて渡ってみたかった(笑)。こちら側には更に数頭のポニーちゃんがおりました。そしてご主人様、今度は犬の散歩に出かけてゆきましたがすかす、お話を色々聞けば良かった。一期一会、大切にしないといけませぬな、反省・・・。東名は渋滞、難儀でござるな何故ポニーちゃん!?かわえぇ・・・ポニーちゃんと歩いて川を渡ってきたらしい(驚)そんなことを後悔しながら進んでいきますれば藤川宿。こちらもステキな松並木が出迎えてくれます萌。ここは確か巨大なオニヤンマに遭遇した場所でもありまするが、今回はう○こ臭がずっとするわけで見渡しても松の木ばかりで銀杏の木はなく、思わず靴底を確認する拙者。もちろん付いてなかったけど。ランニングをしていた殿方も靴底を確認しておりました(笑)。そりゃ、そーだわねー三河の狸親父徳川家康が幼少の頃、時の住持・教翁上人に就いて、読書きを習ったという法蔵寺、本宿の冠木門を通りますとしばらく国道を進みます。江戸まで七十八里、、、まだ半分も戻っておりませぬな脇本陣跡は無人の資料館トイレもあります古民家風カフェ法蔵寺の家康が手習いのおり草紙を掛けたと言われている「御草紙掛松」は四代目本宿の冠木門、、、明かり灯ってますこの国道の歩道の真ん中が柵で仕切ってありまして、歩行者と農作業車専用と分けてあるのですな。で、車道、平行して電車、そして更には東名も走っているという、壮大な東海道で御座候。当時はこれっぽっちも思っても見なかったでござんしょう。国道から逸れまして、静かな道に入ると赤坂宿。腹ごしらえをしようと休憩所に入ったっけ、地元の中学生が数名ゲームをやっていたという、、、家に帰って勉強せいっ!!!そんな彼らに焼きそば臭をお見舞いしてやったぜ(笑)。東名高速道路・名鉄名古屋本線・国道一号線車道・歩道・農作業車専用道赤坂宿/ココで一服昨夜酔った勢いでお買い求めた(笑)焼きそば一服ついたら再び出立。道沿いにある江戸時代から続いていた旅籠「大橋屋」は平成27年3月に廃業し、豊川市に寄附されたそうです。うーむ、泊まってみたかった残念。弥次喜多が狐に化かされた話しで有名な御油の松並木を通り過ぎると御油宿中心部。更に行くと、御油の追分。そう、ここが東海道と姫街道の分岐点。14時半過ぎ。つまりは、いよいよ姫街道だってんだぃ、てやんでぃ、べらぼうめぃっ!!!なんと旅籠「大橋屋」は廃業してたショック・・・整備したら一般公開するらしい御油の松並木受け継がれてゆきます地元の小学生が平成二十五年植樹した松「東海道五十三次御油 旅人留女」御油宿:戸数316、本陣4、脇本陣0、旅籠62、人口1298、街並9町32間* この広重の絵にもあるように御油の旅籠の客引きは大変強引なことでも有名だったそうですが、弥次さんは御油の宿場で強引な女中に留められ、この先の並木には悪い狐が化かすから、今日はここに泊まっていきなさいと言われます。しかし、喜多さんが先に赤坂宿に向かって宿を探していることもあって、弥次さんは何とか振り切って松並木を急ぎまました。すると、松並木で喜多さんが弥次さんを待っていたのですが、弥次さんはきっと狐が化けた喜多さんだと思って、持っていた手ぬぐいで喜多さんを後ろ手に縛り赤坂宿まで連れて行きました。犬が吠えても驚かない喜多さんを見て、弥次さんはようやく本物の喜多さんだと気づいたと言うお話。御油の姫街道追分/いよいよ姫街道とは申しましても、本日は姫街道のほんの入り口までで、最寄り駅の国府駅でお早めの終了でござる。よ~お、よよよいよいっ!!!これからちょいと寄り道
Jan 10, 2016
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ゴールより少し歩けば本日のお宿。荷物を置きましたら、フロントの方にグルメマップなるものをいただき、いざ、おっしゃ、飲みに行くど~っマップには20軒ほど案内されておりましたが、すぐに目にとまった店はただ一つ。「地酒と手作り料理」の店でござれば。とにかくその店を含め東岡崎駅周辺に集中しておりますので、駅へ向かって歩きます。目的の店は乙川を渡ってすぐにありました。外にあるメニューを見て「なるほど」。更に駅まで並んでいる数軒の店をのぞき見、ぐるっと回ってまたその店へ(笑)。もうその店に、ほぼほぼ9割方決定だったのですが、メニューとにらめっこをしていて、あれやこれやと思案しておりましたっけ、大将が出てきて「中でメニューだけでも見られますか、どうぞ」と。す、、、すまねぇ・・・遠慮無く、中へ入らせていただき大きなメニューをざっと、、、、えぇっと、決定っお一人様、カウンターです。ジャズが流れていて、きりっとした真っ白な板前の品の良さそうな大将が目の前で桂剥きをしているという、、、あり!?ワタクシ、ひょっとして場違いぢゃね!?無農薬野菜の盛り合わせうぉ~っ!!!素晴らしいハタハタ!!!←実はコレが店の決定打www日本酒は道場六三郎絶賛の岐阜の酒:三千盛、旨す!!!愛知の酒:蓬莱泉可。は銀杯(!)で三千盛の方がすき・・・偶然にも前回も飲んどるがな!!!角煮にガッツリ〆日本酒は少々お高めですが、お料理はどれも丁寧にされており、だがすかすお値段リーズナブルでコスパ高し。大満足大将とは色々なお話をさせていただき、楽しい岡崎初日の夜でございました。とにかくハタハタは絶品っ!!!ごちそうさまでした。* くいしん坊:http://r.gnavi.co.jp/n915400/
Jan 9, 2016
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矢作橋を渡りますと、八丁味噌の老舗「カクキュー」さんがありましてね。何やら大量の石に興味津々。たぶん重しでしょうが、この量、なんじゃこりゃぁ~っ!!!行きの時には華麗にスルーしたので、工場をご見学することに。街道よりちょっち逸れますがそれは良しとしますれば、つまりは帰り故ゆる~く参ろうぞ味噌工場内にある大量の重石八丁味噌の老舗「カクキュー」さんへ売店内で見学の受付。30分ほどで、ななななんと無料!!!30人ほど集まりまして、ガイドさんについてゾロゾロと工場内をご見学でござる。ご見学矢作橋の出会いの場が描いてありますなガイドの方は戸田恵子さん似とてもわかりやすくて深い説明をしてくださいました圧倒的迫力認められた職人しか石を積む事が出来ないとか樽の乾燥を防ぐために次に使うまで味噌は付けっぱなしだとか平成の樽と天保(1830年~1844年頃)の樽が並ぶステキ三州名物にして宮内庁御用達!!!でっかい味噌樽を口を開けたアホ面で眺めながら、八丁味噌は、蒸した大豆を味噌玉にし、それを豆麹にして水と食塩で仕込み、そして二夏二冬以上天然醸造させたものですが、大豆を茹でずに蒸して作るから成分(栄養)が流れ出ない、ただそれ故灰汁も(いくらか)残るのでクセのある味になる、水分が少ないので長期保存が利く、昔から保存食として重宝されてきた、とか、赤出し味噌は八丁味噌にいわゆる白味噌(米麹味噌)をブレンドして飲みやすくしたもので、米麹が甘いので白味噌の量を増やすほど甘みが増す、とかとか、へぇぇぇぇぇぇぇっ、ほぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ、なお話をたくさん聞きました。八丁味噌、ふ、深い・・・八丁味噌と赤出し味噌(八丁と米麹味噌のブレンド)の味噌汁の飲み比べ飲み放題wwwお土産付きご見学の後には、その八丁味噌と赤出し味噌の味噌汁を飲み比べ。う~ん、拙者は赤出しのほうが美味いと感じたのは、普段、米麹味噌を飲みなれておるからであろうかと。更には、お土産までいただいて、かたじけのうござる。大変満足いくご見学でございました。立ち寄って良かった* カクキュー:http://www.kakukyu.jp/さて、そこから先は本日最後の難儀、二十七曲がりでござれば。今回こそは、間違えず飛ばさず制覇するっ!!!←まぁ、そんな大層な事ではないのですが。ぷ。地図をもの凄い形相でにらみつつ、各角に立っている標識を声だし指差し確認しながら(怖)、慎重に慎重に進みますれば。一気に脳味噌が疲れちったんだからもー二十七曲がりに再挑戦コレなら迷うまいwwwステキ銭湯手押しポンプ本日はココまで岡崎宿東本陣付近顔が疲れてはる???www無事曲がりに曲がり、途中の岡崎宿東本陣付近で本日のゴールとするでござる。よーおっ、よよよいよいっ!!!おっしゃ、飲むど~っ ・・・つづく。
Jan 9, 2016
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景気良くthe Harley始めで、旅の始まりでござればどんどんど~んっ!!!遅まきながら新年の挨拶をしまして、「気をつけていってらっしゃい」と見送られて御座候。やっぱ、いいなぁ、ハーレーは・・・ハーレー始め、今年もよろしくお願いします深夜の新宿よりウトウトしてる間に名古屋着6時前は真っ暗。そして、でら寒っ!!!駅への道すがら、振り袖姿のナナちゃんを眺めつつ。名古屋着はまだ真っ暗ナナちゃんは振り袖!!!作り帯かなーと想像してみたりwww前回のゴール地点、有松駅には7時前。うっすら明るくなってきましたっけ、早々に出立でござる。早速のお出迎え、有松の街並みに萌え萌えしたものの、だがすかす余りの寒さにすぐにファミレスに入ってモーニングをしばくという・・・(笑)。まずは腹ごしらえってんだぃ、てやんでぃっ、べらぼうめぃっ!!!まぁ、今回の旅は急いではおりませぬ故。うっすら有松駅有松と言えば有松絞りに桶狭間早々の有松の街並みに萌~郵便局には有松絞りの暖簾が十二分に温まったら再び出発8時頃。お日様も出ましてあったかいんだからぁ~♪っつか、今度は微妙にあっちぃぞなもし・・・途中でお腹が痛くなりかけてヤバすと思ったら、駅前にてトイレがあったりと色々な意味で拙者らしい安定した(笑)歩きっぷりで快調に進みますれば、今回は何故か鼻がもの凄く敏感になっておりまして、木々や花の香りはもちろん、飲食店からの香り、個人宅からの香りやら何やらかんやら気になって仕方なく、いちいち立ち止まり周囲を見渡す摩訶不思議。なんだべか!?一度歩いてるもんだから気持ち的にも余裕があり、行きには立ち寄らなんだ場所にも寄ってみたりで新たな発見も多く。た、たのすぃ・・・江戸時代前期からの乗蓮寺の境内にある樹齢850年の巨大なシイの木は幹の根元が大きな空洞があって、昔タヌキが棲んでいたとされているとかで。伊勢湾台風により幹の大部分に損害を受けましたが、現在は樹勢を回復し実も付き始めているらしい。巨木フェチにはたまらんのぅ。って覗いて見たら、ノラちゃんがいた(笑)。かわええな、おい・・・境川乗蓮寺のシイの穴にタヌキではなくノラちゃんwww国道を横切る地下道にも「東海道」の案内板がwwwどんどん進めば、見所の一つでもある「知立の松並木」萌。松の木の下、椅子にどっかり腰掛け松並木をニヤニヤ愛でつつ、ちょいと赤ワインでホッと一服つかまつる乙な拙者(違)。うん、んまい。俄然元気出た、かたじけねぇ。その先には永安寺の雲龍の松やら、岡崎宿までの道のりは萌え木てんこ盛り盛りでござんすよっ!!!知立の松並木も萌~来迎寺一里塚(両端の木)当時はこの道幅だったのでござろうか・・・(妄想)っつか、間に家、建っちゃってるし!!!常夜灯にロウソク!!!/今も燃やしてる!?永安寺の雲龍の松はお見事岡崎に入りし候迷うことなく順調順調とおもっていた矢先、今度は反対側の靴底が難儀なことに。もーこうなったらアロン様は旅のお供ですな。秀吉が日吉丸と名乗っていた頃、ここで野武士の蜂須賀小六と出会った所として知られている矢作橋を渡れば、いよいよ岡崎城下、岡崎宿でございます。今度は反対側の靴底がぁ~安心材料矢作橋の出会いの場矢作橋より岡崎城下、岡崎城に味噌蔵が見えます本日のゴールは近い。 つづく・・・。
Jan 9, 2016
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今年一発目早々進むでござんす、どんどんど~んっ!!!前回のゴール鳴海宿、有松から出立しまして、御油宿より姫街道へ入りますれば。>mis**aike さんありがとうございます!!!姫街道:御油宿(愛知県豊川市)と東海道見附宿(静岡県磐田市)を結ぶ東海道の脇街道約60kmのんびり構えていたっけ、まだきちんとした姫街道の地図を入手しておらない(!)故、入ってすぐの豊川稲荷、牛久保へ寄り道して義元や勘助の墓所を巡ってもいいし、バスの時間によっては和田辻あたりまで行こうかと。だんだん弥次喜多モードになってきたでござんすよ、たのすぃ~
Jan 8, 2016
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当初の計画の鳴海宿まで来たし足のマメっちも限界になりつつあるので、このまま帰ろうかとも思いましたが、せっっかく宿も取ってあるし、シルバーウィークの影響でそろそろ夜の上りの新幹線も混むだろうしってことで、ゆっくりして明日の朝帰ることに。本日の旅籠は旅館でございます。夕食はご近所で、と思っておりましたっけ、周りには何もなく。まぁ、コンビニでもいっかと思いながらも女将さんにお聞きしたら、近所の居酒屋さんを紹介・案内まで(!)していただきました、かたじけない・・・。地元御用達な感じのお店で、お安くメニューも豊富。ただ、日本酒が吉野川しかないのが残念。だがすかす大好きなサンマがありやっほいっ、ワタクシ今年初、初物だっぺまずはお通しできゅぅ~っとねお一人様では盛り盛り過ぎるナスの揚げ浸しさんま大好き!!!うまままま~ぁ!!!冷やしトマトでまったり日本酒に突入www開店したばかりとあってお客はワタクシしか居ませんでしたが、大将も女将さんも仕込みに忙しいらしいので、お一人様静かに街道歩きの余韻に浸りながらしみじみ、しみじみと呑んだのでございました。ま、帰りにコンビニで追加の日本酒をお買い求めたのは言うまでもなく。ぷ。しっかし、不思議なお部屋でしたな。ワタクシ、決してでっかい方ではないのに布団から足が出ちゃうと言う・・・(笑)。そして、枕のせいかお疲れのせいか、まさかアレ(!?)のせいかわかりませんが、頭がもの凄く痛くて眠れなかったがっでむ!!!なんだったんだべか???・・・・・・・・。えぇっと、枕のせいにしておこう。部屋呑みでござる今回も色々ありましたが、怪我もなく無事に歩くことが出来ました。ありがとうございました。発見、出会い、美味しいもの、やっぱり街道歩きは面白いでござる
Sep 22, 2015
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さて。ばびゅーんと熱田でござるが休憩繋がりで熱田神宮付近で必殺「ひつまぶし」でも食べようかとも思いましたが、某有名店の大行列を見てやっぱヤメ。まぁ、この店で食べるつもりはありませんでしたが、他の店もどこも混んでるさ・・・。熱田神宮を突っ切る不届き者これあり参らなんだがパワーをいただきござ候なんと4時間(!)待ち某有名ひつまぶしの店そんな大行列を尻目に宮宿側の七里の渡し場まで来まして、再びお江戸へ向かってお一人様歩くわけでござんすが、だがすかす暑い・・・。七里の渡し場(宮宿側)上陸します弥次喜多でぃっ!!!一里塚や本陣跡などが出てくると、東海道を歩いている実感がします。今日もたくさんの街道歩きの方々とすれ違いました。山崎川にかかる山崎橋を越えた辺り、行きに通った時には確か不思議なお祭りをやっていた所だったなと思い出しながら歩いておりましたっけ、向こうから小学生の男の子が小さいバケツを手に持ちニコニコとこちらにやってきましてね。ん!?「今からねぇ、このオタマジャクシを放しに行くんだ!」と嬉しそうに話しかけて来まして。オジサマ方には良く話しかけられる(笑)ワタクシですが、男の子は初めての経験でしたので、びっくりしましてね。「そっか、気をつけてね」と答えるのが精一杯でござんした・・・こんなこともあるんだなぁ・・・。結局お昼をすっとばして来ましたので、腹減りも限界。笠寺観音にて半ば放心しながらパンを食っておりましたら、あるご夫婦に話しかけられまして。このお二人、どうやら東海道(上り)を歩いていて今日は七里の渡し場まで行くそうですが、どうもその先の関宿から鈴鹿峠越えあたりが不安らしく。←わかるぅ~!!!確かにあの辺は何もないからなぁ・・・。一応、ワタクシなりのアドバイスをさせていただきましたが、参考になったかしらん???最後はお互い無事とエールを送って別れたでござ候。彼岸花とのコントラストが良い感じの一里塚鳴海宿本陣跡ちゃんと対になっている一里塚雰囲気抜群の鳴海宿頑張って鳴海宿に入りまして本日は終了でござる16時半。もー歩けねぇ・・・。よーぉっ、よよよいっ、よよよいっ、よよよいよいっ日焼けしたところが早くも皮がむけ始めたがっでむ!!!この歳でそれって、、、ヤバくね!?ぷ。
Sep 22, 2015
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4日目も元気に出立7時半過ぎ、どんどんど~んっ!!!最寄り駅より東海道に入りますれば、菅笠を背負った御仁が目の前を通り過ぎて行かれましたよ。健脚でござるな・・・。向きは違えど一度歩いた東海道。なんの不安もなく進むでござんす、足のマメは痛い(笑)が快調快調ワタクシも欲しい菅笠見つけると安心する朝明橋の今昔どなた???朝明橋の今昔を興味深く見比べた後、朝明川を渡りしばらく進みますと「橘守部(たちばな もりべ)生地遺跡」の看板が。戦国武将以外余り興味のないワタクシですので、誰だんべ?とふむふむ読みましたら、江戸時代後期の国学者のお方で、なんとお墓が長命寺(←ご近所www)にあると!!!仰け反った次第(笑)。見落とし新たな発見があって、復路も楽しい町屋川:釣れてますかぁ~?大きなバイパスをくぐると、見覚えのある小さな畑が。そうそう、乳母車のばーちゃんが居たところ。その先に矢田立場跡の火の見櫓。そこで一息休憩を入れておりましたら、ご近所のおじ様に「街道歩きですか、何かお困りですか」と声をかけられましてね、色々お話をさせてもらったのですが、なんでも「七里の渡し」の航路を今でも持っている船宿屋さんがあるそうで。なんですとっ!!!船宿の名前や場所などを教えていただきましたが、なんせこちらは一人旅。船は一隻貸しだし一週間ほど前より予約が必要ってんで諦め申した。む、無念・・・たまに町おこしのイベントでも「七里の渡し」が行われたりするようなので、機会があったら乗ってみてぇなぁ。ばーちゃん、達者でござろうか???(遠い目)桑名と言えば蜆すまん、○○○に見えた(苦笑)そして「七里の渡し」折り鶴*一枚の紙で、何羽も繋いで折る連鶴の折り方は、桑名の無形文化財に指定されているそうです。矢田立場跡の火の見櫓「右いせ道 左江戸道」桑名城の石垣(萌)が残るマリーナありました、青銅の鳥居七里の渡し場(桑名宿側)良い感じでござる出航しますゆるキャラ「ゆめはまちゃん」かわゆす小休憩、ばびゅーんと電車で宮宿へ桑名駅から熱田神宮前まで、おビールなんぞいただきながら移動。電車ってマジ凄ぇ・・・。つづく・・・。
Sep 22, 2015
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今日は肉。鶏肉。オサレなバル風居酒屋東海道が走っている商店街の中の店にて。お一人様だのでカウンターでスタッフさんたちをガン見(笑)。入店時は、ホールもキッチンもスタッフ全員がお客様の方にわざわざ向いて挨拶にはびっくり花子。だがすかす、される側は気持ちがいいねかけ声やノリが関西。若くて勢いがあって賑やかで楽しい。名古屋中心に展開しているチェーン店らしいけれど、都内にも数店、馬場にもあるみたいなので、今度覗いてみんべ。っつか、馬場店もこげなノリなんだべか???シーザーサラダひな鳥、おや鳥、迷ってひな鳥/言えばカットもしてもらえますお安くて大変美味しゅうございました「がブリ」と「がブがブ」がスタンダードってステキ。すき。* がブリチキン。:http://www.bloom-ds.com/shop_list/gaburi-chicken/
Sep 21, 2015
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