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人間は、例外なく二つの天才的な才能を持って生まれてきている。ひとつは、言い訳する才能。もうひとつは、時間ギリギリまで決断を引き延ばす才能。どんなに能力がない人でも、この才だけは例外なく備わっている。「生活しなきゃいけないんだから、夢はあきらめなければいけないよ」「いままでお世話になった人に対する裏切行為じゃないか」「周囲の人間が感化されてしまう恐れがあるので、組織の中では悪影響だ」「理想と現実をもっとしっかり見つめなきゃいけないでしょ」「もし、○○ならどうするの? そんな夢のような話なんて言ってられないよ」周りを見渡せば、否定的な言葉ばかりが溢れかえっている。本人は、自分の言葉がどの類のものかを全く意識せずに吐き出している。粗悪な言葉、粗末な言葉を聞き分けよう。でなきゃ、自分も「言い訳名人」や「引き延ばし名人」になってしまう。世の中には2種類の人しかいない。言い訳しない人、言い訳しかしない人。今すぐ取り掛かる人、いつまでたってもしない人。爽やかな気持ちにさせてくれる人、ドロドロしたものを置いていく人。手を貸す人、足を引っ張る人。愛を与える人、愛を求める人。楽しませてくれる人、苦しませてくれる人。他人の言葉に惑わされ、他人の常識に振り回され、あってもなくてもいいような人間関係に縛られている人だらけ。勇気ある一歩を踏み出せば、世界は変わる。「こんなに気の合う人たちが、世の中のどこに隠れていたんだ」と思うほど、自分に必要な人たちとの出逢いが生まれる。世の中には2種類の人しかいない。生きて生きている人、生きて死んでいる人。さて、あなたはどっち?クリックしてね!
2005.04.29
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新規開拓営業の現役時代、直属の上司によく叱られた。懸命にがんばっていても、契約を受注できないときがあったからだ。上司にしてみれば、それが「指導」だったのかもしれない。でも、俺にとっては「理不尽にキレられてる」としか思えなかった。だからいつも心の中で叫んでいた。「なにくそっ!! このハゲっ!」(上司は2歳年上だったが薄かった)逃げたくないから、突っ張った。負けたくないから、踏ん張った。たとえ今できなくとも、できるようになることを信じて。。そして今、また闘っている。「言葉は魂が宿るから、汚い言葉を使って部下を叱咤するよりも、 愛のある、熱く、優しい言葉を使ったほうがいいから変えようぜ!」みんなの反応は、、「はぁ~~~? できない部下は吊るし上げるのが当然だし、周りへの見せしめのためにもとことん追い詰めていかなきゃ売り上げなんて上がらない」なかなか根が深い・・・。でも、一歩も引かないと心に誓った。俺は俺の「信念」を貫こうと。「信念」とは「今」の「心」を「人」に「言う」と書く。今、俺が想っていることを、逆風に負けずに、失笑に萎えずにとことん貫いていくことこそ、俺の人生は価値(克ち)あるものになる。俺は絶対に負けない。屈しない。絶対に勝つ。絶対に克つ!!さぁ、今日も一日感謝の気持ちで、奇跡を受け取ろう!クリックしてね!
2005.04.28
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人生の目標って人それぞれだし、ずっと同じものだとは限らない。・商売をしたい・夢を追い続けたい・お金持ちになりたい・有名になりたい・マイホームを持ちたい などなどでも、会社に入れば、会社の夢を背負わされることは少なくない。経営者の人間的器の大きさにもよるが、「会社の中で夢を持て」と、あたかもそれが正論であるかのように押し付けてくる。確かに、その会社に身を預け、仕事をさせてもらい、そして給料をもらう訳だから、「会社の方針に従うべきだ」と考えるのは正論ではある。ただ、「自分の考えが正しいから従え」と言わんばかりの経営者には魅力を感じない。こんな人の下で働くとなると、日に日に心が離れていく。逆に、社員の夢を聞き入れ、その夢の実現のために手を貸してくれ、助言をしてくれるような経営者ならばすごく魅力を感じる。そんな経営者のもとで一生学んでいきたいと思う。ただ、どのような状況下でも、他人に惑わされず、権力に媚びず、自分をしっかり持って生きていかなければならない。なぜなら、人生は自分が楽しむためにあるから。自分の『人生の目的』をしっかり思い出そう。生まれたときに与えられた使命があるはずだ。今すぐ思い出せなければ、自分で決めてしまってもかまわない。もし間違っていたら、いつか気付かせてもらえるはずだから。「人生の目的」それを果たすために一歩一歩着実に進んで行こう。クリックしてね!
2005.04.27
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人間は、シンプルなものを難しく考えて、自分を困らせるのが好きな生き物だ。人は、ある物事に対して行動するとき予測を立てる。準備を怠らないためにも予測は必要だが、不安な予想に振り回されてしまう人は少なくない気がする。例えば、旅行に行くことが決まったとすると「雨が降ったらどうしよう・・・」「道に迷ったらどうしよう・・・」「チケットを忘れたらどうしよう・・・」「予約に手違いがあったらどうしよう・・・」など「なぜ、こんなに心配してしまうのか」と考えたりもするが、正直、起こりもしていないことに、思い悩んでいても仕方がない。しかも、一度そんなことを考え出すと、頭の中でどんどん不安が大きくなって、しまいにはモンスターのようになって手が付けられなくなってしまう。そうなる前に『撃退』しておかなくてはならない。撃退方法はいたって簡単、自分自身に次の言葉を投げかけるだけだ。『大丈夫、なんとかなるべ』「雨が降ったらどうしよう・・・、大丈夫、なんとかなるべ」「道に迷ったらどうしよう・・・、大丈夫、なんとかなるべ」「チケット忘れたらどうしよう・・・、大丈夫、なんとかなるべ」「手違いがあったらどうしよう・・・、大丈夫、なんとかなるべ」「大丈夫、だいじょうぶ、何が起きても、なんとかなるべ」私は、人生を振り返ってみた。「どうにもならない!」「なんともならない!」と思ったことも振り返れば無くはない。でも、すべてなんとかなってきた。これからもきっとそうだろう。いろんな出来事が起こるのが人生だけど困ったことは起こらない。すべてなんとかなるんだ。他力本願じゃなく、なんとかせにゃならんことだってあるだろうし、自分ではなんともならんことだってあるかもしれない。でも、あれもこれも、すべてなんとかなるんだろう。そう考えれば、人生、楽しんだモン勝ちやな。さぁ、今日も素晴らしい人生を思いっきり楽しんでやろう!。!クリックしてね!
2005.04.26
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スポーツは、対戦相手と戦って「勝ち負け」を競う。もちろん、負けるために戦う選手はいない。誰もが勝利を手にするために戦っている。サッカー、野球、ボクシング、水泳、100m走、マラソン、それぞれのスポーツによって競技時間は違うが、限られた時間の中で“勝利”を手にするために、選手は来る日も来る日もハードな練習をこなしている。ただ単に試合に「勝ちたい」という思いだけでは当然勝てない。試合に「勝つ」ためには、練習を通して自分に「克つ」ことが必要になってくる。その積み重ねがあるからこそ、試合で力を最大限に発揮することができるのだ。しかし、試合(ゲーム)には「勝ち」と「負け」しかない。相手が勝てば自分は負けることになるし、自分が勝てば相手は負けることになる。「勝つ」ためにいろんな苦難を乗り越えていく訳だから、「勝ち」から得るものは格別なものだろう。だからと言って「負け」から得るものがないかと言えば、決してそうではない。「負け」からしか学べないものだって多くあるはずだ。今の自分は、スポーツに置き換えると、どの状態にあるのかを確認してみよう。練習中なのか、試合中なのか、その試合は優勢なのか、不利なのか。そして、場面によって心の持ち方を変える意識をしよう。練習中なら過酷なのは当たり前だが、失敗しても全然問題ない。逆に試合中なら、失敗は許されず、集中力が大事になってくる。練習にも関わらず、「失敗しちゃいけない」と肩に力が入りすぎていないだろうか。試合中にも関わらず、昨日の「反省」ばかりしていないだろうか。人生にメリハリを付けるために、こんな風に考えてみるのも面白い。いずれにしても、「勝ち負け」だけにこだわるんじゃなく、「克ち負け」にこだわって生きていきたい。!クリックしてね!
2005.04.25
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人間、生きていると様々な悩みや迷いが起きてくる。それは、修行中の身だから当然のことだろう。私は、選択に困ったら「人間が創ったもの」と「神様が創ったもの」を判断基準として考え、自分に心地いい決断を心がけている。「人間が創ったもの」・・・お金、地位、名誉、上下関係、法律、など「神様が創ったもの」・・・宇宙、自然、人間(愛、幸せ、信頼)、生き物、など人間が創りだしたものは「目的」ではなく「手段」であることが多い。いや、すべてがそうだろう。今の私には、人間が創りだしたもので「目的」だと言い切れるものが思いつかない。私の『作品』は、もちろん「人間が創り出す」ものだ。ではなぜ、『作品』を創るのか。。。それこそが私が生きていく上での核心である。「人間が創ったもの」を得るために「作品」を創るのか。「神様が創ったもの」を得るために「作品」を創るのか。私は、自分が創る作品を通して、出逢う人々に「神様が創ったもの」を感じてもらいたい。「お金、地位、名誉」じゃなく、「宇宙、愛、幸せ」をもっともっと感じてもらいたい。それが生まれてきた意味だと思うから。だから、これからも人の心を打つ『作品』を懸命に創っていきたいと思う。いつも私のつたない文章を読んでくれてありがとうございます。心より感謝します!クリックしてね!
2005.04.22
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つい先日、スーパーミラクルシスターズのなみなみ(姉)とまみまみ(妹)と食事に行ったときのお話し。エステ用語に『皮脳同根』という言葉があるらしい。例えば、うるしの液を「これは水です」と言って皮膚に塗ると皮膚は何の反応も示さず、逆に、ただの水を「これはうるしの液です」と言って皮膚に塗ると、たちまちかぶれてしまうそうなのだ。この話を聞いて、子供の頃を思い出した。俺は釣り好きで、小学校の頃に友達とよく近くの池に釣りに出かけた。その池は足場が悪く、木にもたれかかりながらポイント目掛けて竿を振ると大物のコイがよく釣れた。その日も普通に釣りを楽しもうとしていたが、あまりにも釣れなかったのか、俺は退屈になって無意識に自分がもたれかかっていた木の皮を爪でめくっていたらしい。しばらくして友達と場所を代わり、友達がその木のところで竿を振ったときに、バランスを崩して池に落ちそうになったのだ。とっさにその木につかまり池に落ちるのはなんとかまぬがれたのだが、次の日、大変なことになった。その友達は顔中湿疹だらけになって学校を休んでしまったのだ。なんと、俺が釣れずに退屈になって爪でホジホジしていた木は、実はうるしの木だったのだ。その時、友達はうるしに負けたが、俺は負けなかった。何の湿疹も出ず、普通に学校に行くことができた。ここまで書いて気付いたが、これは「意識の話」ではなく、ただ単純に、俺の皮膚が強かったというだけの話ではないか。(汗)なぜなら、俺も友達も、その木がうるしの木だったことはそのとき知らなかったから。。。まぁ、こんな話があってもいいだろう。俺の日記なんだから。懲りずに『皮脳同根』に話を戻そう。3日前、こんな出来事があった。ハサミを使って作業をしていたときに、ザクッと左手の人差し指を切ってしまった。「ヤバっ」って思った瞬間にあることを思い出した。「ありがとうございますを言うと、血が出ない」らしい。。。とっさに傷口を見ながら「ありがとうございます」を20連発くらい言い放った。するとどうでしょう、本当に血が出ない。これもまさに『皮脳同根』の法則ではないだろうか。皆さんも怪我をしたときには、是非お試しあれ!さぁ、今日も一日、素敵な奇跡が起こります!すべてを感謝の気持ちで受け取ろう!ありがとうございます。クリックしてね!
2005.04.21
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意志さえあれば不可能を可能にすることができる。俺は富士山に登ってみたいと思った。奈良から東京に出てきて、行きたいところがいくつかあった。そのひとつとして“富士山頂”があった。理由なんてない、日本一の山に、ただ登りたかった。主体的なことであれば、望めば必ず叶う。なのに、望まない人が多い。動かない人が多い。望めば叶うのに。。 動けば変わるのに。。富士山頂の景色は絶景!苦労して、苦労して、それでも踏ん張って頂上まで辿り着いたときの達成感は最高だ。足の先から頭のてっぺんを通り抜け、宇宙まで広がる達成感。俺は3回、経験した。叶えたいことの中に、自分ひとりの力ではどうにもならないこともある。でも、「無理だ・・・」と思わなくていい。それも、尽くせば叶うから。主体的に取り組めることを着実に行い、目の前の人に対して誠心誠意を尽くす。日常の中で多くの出逢う人に、自分のやりたいことを伝え続ける。常に、豊かな心を持ち続け、グチを言わず、坦々と「今、ここ」を懸命に生きる。すると、願い事を叶えるためのあらゆるものが、向こうからやってくる。あきらめたらそこまで。あきらめなければ、可能性は続く。望み続けること、尽くし続けること、動き続けることが、想像を形に変える唯一の方法だ。クリックしてね!
2005.04.20
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人事の仕事、特に採用では応募者の「適正」と「欲求」を見極めなければならない。お解りのとおり、「何をしたいか」が欲求であり、「何に向いているか」が適正である。仕事はモチベーションが大事である。働く人が自分自身をモチベートできなければ、仕事での成果は期待できない。そのためにはその人の「欲求」を満たしてやる必要がある。それと併せて、自分自身が「何に向いているか」も仕事の成果には大きく関わってくる。人には得意とするものがあり、またそうでないものもある。例えば、「走る」ことが得意な人に、「泳ぐ」好成績は望めない。「適正」とはそういうものだろう。木の年輪の芯は、どの切り株を見ても北側に寄っているらしい。南風と太陽の光を浴びて育つ南側は肉付きが良く、北風を受け、陽の当たらない北側は寒さから身を守るために身を縮めるのだという。そして伐採されたのち、材料として使われるときに役割が大きく変わってくる。太陽を受けた南側は、「板」として使われ、北風を受けて育った北側は、建物などの「柱」に使われるのだ。人間も、育った環境や経験によって身に付いているものがそれぞれ違う。まずは、「自分を知ること」から始めてみよう!クリックしてね!
2005.04.19
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地球上のすべての物体は、「引力の法則」によって地球の中心に向かって引っ張られている。だから持っているモノを放すと下に落ちる。ここまでは一般常識。でも、意外と知られていないのが、モノだけじゃなくて「意識」にも「引力の法則」が働いているということ。リンゴを地上から高さ1メートルのところに引き上げるには、引力よりも強い力で引き上げなくちゃいけない。人間の手によって高さ1メートルのところまで引き上げているということは、引力よりもその高さにいようとする力が勝っているということだ。さらに2メートル、3メートルと高い位置にリンゴを引き上げようとするなら、もっと多くのエネルギーが必要になる。人間の「意識」も一緒だ。ふと気を抜くと「意識」は下に落ちていく。これは地球に引っ張られてるから。。。だから常に「意識」しなきゃいけない。現状維持のためだけであっても、今より上がろうとする「意識」は必要だ。この話は、ここから先が大事。。。想像してみて欲しい。ロケットは引力に反して、すごいエネルギーで上がっていく。ずっとずっと地球から離れていくと大気圏に突入する。大気圏を抜けるにはとてつもないエネルギーが必要になるが、もし大気圏を抜け切ったなら、そこは引力のない世界、「宇宙」だ。ここまでくれば、必要なときにだけ必要なエネルギーを使えばいいということになる。人間の「意識」や「行動」も同じように「宇宙」まで行ければ勝ちだ。引力に負けず、高い目標を掲げて、なんとしてでも宇宙まで辿り着きたい。あきらめちゃダメだ。もし辛い状況が続いていたとしても「大気圏を飛んでいるんだ」と思えばいい。その先に宇宙は必ずある。それを信じて今日も飛び続けよう!クリックしてね!
2005.04.18
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人生、手ぇ抜いて生きてたらあかんなぁって思う。だって自分の人生なんやもん、二度とない人生を思いっきり楽しまんな損や。ただ、楽しむって言っても楽チンなことばっかを選択して、困難なことに挑戦しないってことやない。自分の成長のために、時には自分に負荷をかけてその壁を乗り越えていこうと努力することも、もちろん楽しいことに入るで。自分が楽しみながら、しかも一瞬一瞬を納得できるように生きていかなあかん。一見、辛いと思うこともあるやろう。しんどいと感じることもあるかもしれへん。でも、それはひとつステージを上がるための「卒業試験」なんやから、自分のために、あきらめんと進んでいかなあかん。例えば、腕を太くしたいと思ったら筋肉に負荷をかけて鍛えやなあかん。それと一緒や。腕立て伏せが10回しかできひんかったとしても、あと1回だけなんとしてでもやろうって思うことが大事なんや。「もうあかん」って思ってからの、「あとひとふんばり」が今ある筋肉を破壊する。筋肉が破壊されて起こる症状がいわゆる筋肉痛。そしてそこから数時間かけて復元していく。このときにたんぱく質を摂ってやると、筋肉がたんぱく質を吸収し、今までの筋肉よりも男前な筋肉になるらしい。自然にそびえ立つ木だって同じやろう。ビニールハウスでは大木は育たん。台風がこようとも、大雨が降ろうとも、日照りが続こうとも、それに耐えるからこそ大木に育つんや。人間の「心」も同じなんやと思う。自分の「心」を鍛えよう。鍛えて、栄養を摂って、そしてゆっくり休む。そのサイクルですくすくと育つから。自分にとって心地いい汗を流してみよう。ここ押してな!
2005.04.15
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日本人は一日三食を取るのが一般的な習慣だ。私もこの世に生まれてから、毎日ほぼ欠かさずに食事を取ってきた。もうすぐ35歳になるが、一日に3食として3食×365日×35年=38,325食一食平均500グラムとして、19,162,500グラム、19,162キログラム、19トンの量だ。(ビックリ・・・)でも、私の体重は現在58キログラムだ。19トンではない。まぁ、それは今さら言うことではないのだけれど。。。最近、食事に気を使うようになってきた。まず、20代の頃より牛肉を食べることが極端に減った。インスタントラーメンやお菓子なども殆ど取らなくなった。油ものもなるべく取らないようにしている。野菜、果物、豚肉、鶏肉、魚、豆類、中心の食事に変えてみた。そんな生活を3ヶ月ほど続けると、粗悪な類のものは自然に身体が受け付けなくなってくる。体調もすごく良い。何も考えていなかったときは、ついついファーストフードやインスタントで済ませることが多かった。栄養って観点で食事を考えず、あくまで空腹を満たすための食事だったのかなって思う。良いものを食べていると、間違いなく身体に栄養が蓄えられていく。逆に、お菓子や化学調味料だらけのインスタント食品ばかりを食べていると、身体に良くないものがどんどん溜まっていく。でも、どちらもお腹は満たされる。同じように取る食事でも、内容によって身体に及ぼす影響が大きく違ってくるのだ。普段私たちがインプットしている「情報」も同じに考えられる。「食事」は「身体」の成長のために取るものなら、「情報」は「心」の成長のために取るものだと言えるだろう。世の中は「情報」で溢れかえっている。その中には良いものもあれば、そうでないものもある。自分の目的意識がしっかりしていなければ、自分の「心」に良くない情報を受け取ってしまうこともあるだろう。テレビ、読書、友人、仕事、なんでもそうだが、目的意識をしっかり持っていないと、粗悪なものや粗末なものを安易に受け取ってしまう恐れがある。毎日、毎日、目的意識を持って、しっかり生きよう。ついつい目先の判断だけに流されてしまわないように、しっかりと。時間をさかのぼることはできない。だからこそ、後悔しないようにしっかりと生きなきゃね。さぁ、今日も素晴らしい一日の始まりだ!今日という日に感謝!クリックしてね!
2005.04.14
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人間、志高く、何かを始めようとしたときに、いろんな葛藤が生まれる。私の場合も例外ではない。「人のためになることをしたい」と思ったけどなぜか活躍している人と自分を比較して、自分を卑下してくすぶっていた。「今さら俺ひとりが動いたとしても、何も変わらないだろう・・・」「もうすでに大きな組織が動いてるんだし、俺ひとりが始めても 鼻で笑われるだけだろう・・・」「もうすでに活躍している人がいるんだから・・・」こんな葛藤が行動の邪魔をしていた。イマイチ身体がギクシャクしてしまって動けない。そんなある日、一冊の本に出逢った。「こころのチキンスープ」この中に、ヒトデの話が書いてあった。確かこんな内容だ。ある海岸の砂浜に大量のヒトデが打ち上げられていた。一人の少年がヒトデを手にとっては海に放り投げていた。「何をしてるんだい?」って聞くと、「ヒトデを海に帰してるんだ」って言った。でも、ヒトデは何千匹と砂浜に打ち上げられている。見ていた男はこう言った。「この砂浜には何千匹ものヒトデが打ち上げられている。 君が一人で、しかも一匹ずつヒトデを海に帰したところで ここにいるヒトデを全部海に帰すことはできないよ」すると少年はこう言った。「全部を助けられるとは思ってないけど、今放り投げた あのヒトデは間違いなく喜んでるさ」確かこんな内容だったと思う。これを読んだときに「呪縛が解けた」感じがした。「一燈照隅、萬燈照国」(いっとうしょうぐう、ばんとうしょうこく)一隅を照らす人がいる。何が起ころうとも真摯に照らし続ける。そういう人の背中を見て共感し、そのように生きようとする人がまたひとり現れる。人間ひとりでは大きなことはできない。一隅を照らす人がひとり、またひとりと増えていくことで、国を明るくしていける。他人と比べて自分を卑下することはない。自分にできること、目の前のことに懸命に生きれば最高に輝ける。ありがとうございます!クリックしてね!
2005.04.13
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「成功」の反対は? 「失敗」の反対は?「成功」の反対は「失敗」・・・、「失敗」の反対は「成功」・・・こう考えた人はどれくらいいるだろう。このブログを読んでくれているあなたは、どういった立場の人なのだろうか。学生さん、サラリーマン、OL、主婦、などなど立場は違えど、夢や目標に向かって日々邁進しているのだろう。にも関わらず、自分が考えていたとおりに物事が進まないことがある。目先の短い時間軸で考えると、それを「失敗」と捉えてしまうかもしれない。でもかまわない。どんな「失敗」でも大歓迎しよう。なぜなら、「成功」は「失敗」の延長線上にあるから。。。「成功」の反対は「失敗」じゃない。「成功」の反対は「何もしないこと」だ。「失敗」の反対は「成功」じゃない。「失敗」の反対も「何もしないこと」だ。スタート地点から目標に向かって進んでいく。途中、「失敗」は何度となく現れる。でも「失敗」したからといってそれで終わりじゃない。「失敗」を乗り越えて、また目標に向かって進んでいけばいい。なぜなら、「失敗」の延長線上に「目標」があるからだ。あきらめずに自分を信じて、一歩一歩、着実に前に進んで行け!必ず「成功」に近づいているから。だから安心して今日の一歩を踏み出して。クリックしてね!またまた、ヴォルテックスの望月さん主催の「感動ライブ塾!」に行ってきました。前回の中村文昭さんに続く2回目だったのですが、すごく楽しい有意義な時間を過ごすことができました。今回の講師は、実演販売で一躍有名になられたという「つかみ一秒、あと楽勝! いとう伸先生」でした。予約者に対してプレゼントが用意されていて、そのプレゼントを開けて中を見たとき、5秒の「絶句・・・」、そしてそれからジワーッと感動が込み上げてきました。正直、目頭が熱くなるほどの衝撃でした。講演会もパワー全快、ギャク全快って感じで、笑いあり、感動ありの素晴らしいお話でした。素敵な年齢を重ねていけるように精進していこうとあらためて思いました。ありがとうございます。感謝!
2005.04.12
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自分に問いかけてみよう。「毎日、毎日、新鮮に生きていますか?」「自分の成長を感じていますか?」「なりたい自分に向かって、一歩ずつ進んでいますか?」先日、車の保険でお世話になっている梅田さんから電話があった。梅田さん 「もうすぐ保険の更新ですが、またお願いできますでしょうか?」私 「是非お願いします。それとお聞きしたいんですが、10月から 1年間ほど人に車を貸すことになった場合、保険はどのようにしたら いいですか?」梅田さん 「転勤されるんですか?」私 「いえ、1年ほど留学することに決めまして。それで、その間に車を どうしようか考えているんですよね~」梅田さん 「留学ですかぁ~、いいことですよね~。私もね、現役時代に 大学を中退しまして、30歳を過ぎてから夜間大学に通いましてね。 それで大学を卒業したんですよ。なんていうか、若い頃の忘れ物を 取りに行った、そんな感覚なんですけどね~」私 「へぇ~、そうなんですか。。。」ごく普通のありふれた会話なのかもしれないが、私にはすごく励みになった。軽くさらっと「忘れ物を取りに行ってきた」と言える梅田さんがすごくカッコ良かった。もしかすると、梅田さんが30歳を過ぎて大学に行くと言い出したときに、周囲からはいろいろ言われたかもしれない。「もうしっかり働いてるんだから、今さら卒業証書なんていらないでしょ」とか、「今さら、学校の勉強が大して役立たないでしょ」ってね。梅田さんにだって「言われてみればそうだね。やっぱりやめておくよ」という選択もできたはずだ。でも、「やりたい」とか「いきたい」と思ったのは周囲の人じゃなく、間違いなく「本人」だ。自分の「心の声」に正直に、勇気を持って一歩踏み出すことに、人生は意味があるんだと思う。保険屋の梅田さんとの何気ない会話から、大切なことを学ばせてもらった。変わりない一日のように思えても、同じ日は二度と訪れない。毎日、毎日、何かを感じ、何かを発見し、もっともっと自分だけの宝物を増やしていきたい。クリックしてね!
2005.04.11
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TOMOさん書き込み、ありがとうございます。感謝します!詳しいことはわからないので、なんとも言い難いですがとにかくひとつひとつゆっくりでいいから着実に目の前のことをこなしていけばいいと思います。少しだけ「優先順位」を意識してみてはいかがでしょうか?私も人間関係で悩んだことはあります。そんな時は、「自分」を先に意識してみました。自分とは「自ら」を「分かる」と書きます。他人のことはさておき、まずは自分がどうなりたいのか、自分が何をしたいのか、それを優先に答えを見つけていこうと思いました。他人から好かれることを考える前に自分の心の声に耳を傾けて、自分が心地いいことをやってみました。すると悩んでいたことはどうでもよくなりました。「実績がないと自信が持てない」と思っていましたが、そうではないことに気付きました。自信とは「自分を信じる」ことです。自分を信じるのに、実績や根拠なんていらないんです。TOMOさんは唯一無二の存在です。今、ここに存在するだけで自信を持ってもいいのです。自分を信じることをあきらめないで!「自分が好き!好き!大好き!」それでいいのです。「人に裏切られるのが怖い・・・」「人に依存したり、期待する自分」を徐々に減らすことを意識してみませんか?最近、世界で地震などの震災が相次いでいますよね。でも、これはどうしようもないことでしょう。平穏無事な世界が当たり前と思ってしまいがちですが、災害を止めることは出来ない。でも災害が起きたからといって、自然に対して不信にはならないし、裏切られたとも思わない。それは、きっと期待していないから。でも世界で起こる災害のことは知っている。だからこそ、穏やかな日を過ごすことができたとき、心から「ありがとう」と思えるのでしょう。人に対しても同じように考えればいいんだと思います。そう考えると、この世の中から「裏切り」は消えてなくなります。期待をするから「裏切られた」と思うのです。相手に悪意があれば「裏切り」なのかもしれませんが、相手に悪意がなければ、それはただの「選択」かもしれません。「選択」はその人の自由です。だから、「自分磨き」が必要なんだと思います。自分が選択されるように常に自分を磨く。他人からどう思われようとも、自分を信じて、自分を磨く。すると自然に人が集まる人間になれるんだと思います。自分を磨けばそれだけで輝けますからね。TOMOさんの心情をわかりもせず勝手に書いてしまいましたが、何かの救いになれば嬉しく思います。ありがとうございます。
2005.04.09
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ネットワーク「地球村」から毎月、小冊子が届く。いつだったか、こんな投稿があったので「ほのぼの」のお裾分け。「うちの家族はみんなが悪い」今日、学校から帰るとお母さんがお兄ちゃんの机を拭いていて金魚鉢を落として割ってしまった。「もっと気を付ければ良かったのに、お母さんが悪かった」と言いました。するとお兄ちゃんは「僕が端っこに置いていたから、僕が悪かった」と言いました。でも、私は思いました。昨日、お兄ちゃんが端っこに置いたとき、私は「危ないな」って思ったのに、それを言わなかったから「私が悪かった」と言いました。夜、帰ってきてそれを聞いたお父さんは「いやお父さんが金魚鉢を買うとき、丸い方ではなく四角い方にすれば良かったなぁ、お父さんが悪かった」と言いました。(ほのぼの)日常で目にするのは、「責任転嫁」「いいわけ」がほとんど。金魚鉢を割ろうもんなら「こんなとこに金魚鉢を置いたの誰よ~」と言っているのが想像できる。人のせいや環境のせいにするのが上手い人は成長しない。なぜなら「責任転嫁」してしまった瞬間に、『自分は改善する必要がない』と潜在意識に情報を送ってしまうから。人生における出会いは限られている。心が貧困な人と出会うよりも、豊かな心の持ち主と出会いたい。出会うなら、自分の人生にプラスになる人と出会いたい。「素敵だな」って思える人と出会いたい。そして、自分もそんな人になれればいいなって思う。クリックしてね!
2005.04.08
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人間が発揮できる実力には段階がある。たとえば「1~10」段階とすれば、いきなり「10」を出しきることはできない。実力を「10」にするには、経験レベルを「10」にする努力、心構えを「10」にする努力、継続力を「10」にする努力、仲間を増やすことを「10」にする努力、様々な努力がひとつひとつ同じレベルで上がっていってはじめて、「10」の実力を発揮できるようになるのだと思う。それは、困難も同じ。自分の段階が「5」なのに、突然「8」レベルの困難は現れない。今、自分がいるステージに見合った困難しか目の前には現れない。だからあきらめないで立ち向かえば必ず乗り越えることができる。目の前に現れる困難は、ステージをひとつ昇華させるための卒業試験みたいなものだと思えばいい。卒業試験を「落ちる」ために受ける人はいないよね。卒業論文だって、卒業試験だって、今まで学んできたことの集大成として合格するためだけに受けるもの。自分を信じて、あきらめないでがんばって!学んでいない範囲は決して出題されないのが「卒業試験」だから。クリックしてね!
2005.04.07
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自分の世界観って大切だけど、囚われてしまうとだめだと思う。私が働いている会社は平均年齢が25歳だ。私は現在34歳、社員はみんな年下だ。この環境で仕事をするに当たってずっと気をつけていることがある。それは、会社の枠内に囚われた考え方をしないということだ。22歳の大学生が20人近くも入ってくれば、自分は「おじさん」のような気になってしまう。その気持ちがため息となり、ため息が幸せをひとつずつ吐き出してしまう。だが、もし平均年齢が50歳の会社に勤めていたとしたら、どのように感じるだろうか。35歳だと十分お兄さんだし、40歳になっても若手と言われるかもしれない。回りの環境によって自分が「おじさん」になったり「お兄さん」になったりする。こんな囚われを人間は日常茶飯事に繰り返しているのかもしれない。『幸せ』だって同じだと思う。豊かな国に生まれて、この国しか知らない人は、自分に降りかかる苦労を「不幸」と捉えるかもしれない。でも本当に『不幸』なのか。いやきっとそうじゃない。もっともっと見聞を広げる必要がある。私が立ってる同じ地球の上で、1日に70人の子供がどこかで地雷の被害にあっている。1日に550人の子供が戦争紛争の犠牲になっている。1日で4万人以上の人が世界のどこかで餓死しているのだ。1年間に1500万人だ。なのに日本では年間2000万トンの食料が廃棄されている。お腹を満たすことなく、生きたくても生きれないで死んでいく子供たちがいるのに、日本では年間3万人の人が自ら命を絶っている。私たちはいったい何を買うために、何をするために、何を目的に仕事をしているのか。何のために生きているのか。事実を知らないでいることは、きっと罪なのだろう。でも、知らないことを否定はしない。この国に生まれ、この国に育ち、この国で愛する人と出会い、この国で死んでいくから。この国が好きだから。だから、できることをしようと思う。この国が好きなままでいられるように、自分が好きでいられるように、目の前のことに真摯に取り組んでいこうと思う。はずかしがらず、後悔しないように、心のままを言葉にして行こう。素敵な言葉を、大切な人に伝えていこう。たった一言の言葉で救われる人がいるはずだから。勇気を出して、さぁ、いますぐ・・・ 人気blogランキング
2005.04.06
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「水からの伝言」江本勝著 この本を読んだとき、脳に衝撃が走り、心が震えた。自分の中に漠然と持っていた掴みどころのない感覚がストンと腑に落ちた。やはり、人間の体内に宇宙は存在するんだろう、そう思った。水に良い言葉(ありがとう、すごいね、好きだよ、など)を投げかけると結晶が驚くほど綺麗になり、逆に、悪い言葉(バカ、死ね、嫌い、など)を投げかけると結晶とは言えないほどドロドロしたものになる、という実験結果が写真付きでまとめられている素晴らしい本だ。この本の中で、もうひとつ興味深い実験がなされている。瓶詰めのゴハンをふたつ用意し、1ヶ月間にわたって声をかけ続ける。片方には「ありがとう」、もう片方には「ばかやろう」と。すると「ありがとう」と声をかけ続けた瓶詰めのゴハンは、臭みがなく発酵したのに対し、「ばかやろう」と声をかけ続けた瓶詰めのゴハンは、真っ黒で匂いを嗅ぐことすらできないくらい腐ってしまったという内容だ。人間の体も70%が水分なら、この実験結果は人間にも当てはまると言える。そう考えたとき鳥肌が立った。日々何気なく使っている言葉の大切さをあらためて考えたのを憶えている。それとは別にこんな話もある。『書』は筆と墨を使って文字を書く。書き手の精神状態によって筆遣い、躍動感がまったく違うものになる。だが、それは見た目だけに留まらず、半紙に染み込んでいる墨の粒子にまで影響を及ぼす。どういうことかと言うと、書かれた墨の成分を顕微鏡で見ると、記された文字は同じでも、墨の粒子の形が全く違ってくるのだ。そう考えると「絵」も「書」も「彫刻」も、「料理」だってそうだろう。「気持ち」が入っていないものはいくら技術があっても、人を感動させることはできない。大切なのは「心」なんだ。「心」があるからこそ「技」が生きる。「心」があるからこそ「感動」を呼ぶのだ。小手先ではなく、本物を目指して「人間道」を進んでいきたいものだ。人気blogランキング
2005.04.05
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「決断」こそが、この宇宙に自分の世界を創るための第一歩だ。「人のために愛を分け与える」など、自分が決断した目的が宇宙の法則に従っているものなら、今までの逆風は嘘のように自分を高く飛ばすための手助けをしてくれる存在に変化する。 「困難」と「チャンス」はいつも一緒に訪れる。ただ、最初に姿をあらわすのはいつも「困難」の方である。「チャンス」は少しシャイなのかも知れない。まるで「困難」が私たちを試すかのように立ちはだかり、苦しくも「困難」を受け入れようと決断したときに、ようやく「チャンス」が顔を出し始める。 だから「困難」を「困難」と捉えず、最初から仲良くできる人は「チャンス」に出会えるのは比較的早いのかもしれない。 自分が「決断」し何かを始めようとしたとき、もっとも大きな逆風となるのが「身近な人の意見」だろう。飛び立とうとしている人間にとっては、「身近な人」の逆風は結構こたえる。正直挫けそうになるかも知れない。 でも、その逆風が強ければ強い程、それを乗り越えたときに得るものは大きい。「逆風があるからこそ高く飛び立つことができるんだ!」だからこそ、どんな「困難」にも立ち向かっていきたい。 そして、またまたミラクルが起こった。路上で詩を書いていると、自分の作品を通りがかりの人が見てくれる。見られるとすごく嬉しいものだ。ただ、見られることが目的ではなくて、見てくれた人を勇気付けたり、元気付けたりすることが目的である。そういう意味では、どんな形であれ作品を観てもらえれば良いという考えにいたるのだが、私としてはいつかは『個展』を開いてみたいと考えるようになっていた。なぜなら、もっともっと多くの人に「勇気・元気・希望・夢・愛」を伝えたい。だから、その機会をずっと待ち望んでいた。 すると、なななんと、最近知り合った喫茶店のマスターからお誘いのお声をいただいたのだ。チョー嬉しかった。しかも1ヶ月半も期間を下さるというのだ。まさにシンクロニシティ!『決断』とは、「ひとつを断って、ひとつを決める」こと。「決める」ことも大切だろうが、「断つ」ことによって初めて見える世界があるのだろう。それに気付けたことに心から感謝!クリックお願いします!
2005.04.04
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さぁ、今日から4月だ。うちの会社にも新入社員が17人も入社する。すごくワクワク、ドキドキしてるんだろうなぁ。夢と希望と野心を持って、「がんばるぞぉ~」って気持ちいっぱいにして出社するんだろうなぁ。すごく楽しみだ!1年前に入社してきた新入社員もそうだった。新人研修のときは学生の延長のようなフレッシュさで勉強に精をだしていたのを思い出す。15人の入社だったが、1年経った今、成長度にかなりの差が出てしまっている。「社会人としてイキイキと前向きに仕事に取り組んでいる人」と「学生気分がなかなか抜けきれずに義務的に仕事に取り組んでいる人」に分かれるが、同じ環境で同じ教育を受けてきたにも関わらず、何が原因で差が付いてしまうのだろうか。新入社員の頃は、「自分がどの位置に属しているか」の意識の持ち方によって成長の伸びしろがぜんぜん違ってくる。たとえば、今までの学生生活を忘れられず、学生たちと社会人1年生の自分を比較している人は、自分が社会人になったということそのものに満足し、学生たちを見て自分は社会人なんだと優越感に浸る。こう考える人は、仕事で困難が立ちはだかると「辛いこと」と受け取ってしまい、どんどんモチベーションが下がってしまう。逆に、自分は社会人としてゼロからのスタートだと認識し、先輩社員と自分を比較している人は、自分の成果に満足をしていないので吸収が早く、チャレンジ精神が旺盛だ。新しい仕事を任されても、チャレンジあるのみって感じでどんどん成長していく。考え方ひとつで人間の成長は大きく変わってしまう。何か問題が起きると、原因を「環境」のせいにする人がいるが、これだと問題解決にたどり着くことはできない。すべての問題は、自分の「心境」を変化させることで解決できるのだ。どんな困難でも、それを乗り越えることで、また自分が成長できるのだから、そう考えれば過程を楽しめるはずだ。何に立ち向かえば成長できるか?まさに毎日が宝探しではないだろうか。クリックしてね!
2005.04.01
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