言霊屋いたるが贈る 『元気が出る100の言葉』

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いたる34

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2005.03.23
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明日という日は当たり前に毎日毎日やってくる。ずっとそう思って生きてきた。当たり前に毎日やってくると思っていたし、減っていくもんじゃないと思っていたから、貴重だとは思わなかった。

中学3年のときに一緒のクラスに「うえっと」というヤツがいた。俺も「うえっと」も釣りが好きで、自転車に乗って一緒によく釣りに出かけた。「うえっと」の家族は母子家庭で、2歳上にお姉さんが一人いた。「うえっと」は考え方がすごく大人びていて、俺は正直そういうところに憧れを抱いていた。

別々の高校に進んだけど、それでもよく遊んだ。「うえっと」は4月が誕生日で、俺は7月が誕生日だったので、俺より先に原チャの免許を取ってスクーターを自慢げに見せに来ていたのを思い出す。高校生のある日、「俺より「うえっと」の精神年齢は1年くらい成長が早いのかもしれない」と、ふと思ったことがあった。家庭環境に苦労がある場合、ひねくれてグレる子供と、そうじゃない子供に分かれる。俺も子供なりに、「やはり苦労は人を成長させる要素なんだろう」と感じていた。「俺には親父もおかんもいるけど、努力して自分を磨いていこう」と思ったことを憶えている。そう、「うえっと」に追いつき、追い越せるように。

高校3年の夏休み、友達の家にいるときに連絡が入った。「うえっと」が事故で亡くなったと・・・。木津川という名の大きな川が京都に流れているのだが、友達たちと遊んでいたところ、足を滑らせて崖から落ちたとのことだった。通夜の前日だったが急遽「うえっと」の家に仲の良かった友達が集まった。白い着物を着てふとんに寝かされている「うえっと」をみんなで囲んで座った。けど、誰も涙を流さない。あまりにも突然すぎて誰一人として信じられないのだ。「おい、うえっと起きろよ!」「バイクで走りに行くぞ!」周りを囲んでいつもの冗談を言い合っていた。

通夜のときも、告別式のときも、仲の良かった友達は誰一人として信じることが出来なかった。他のクラスメイトは涙を流していたが、俺たちはまったくと言っていいほど状況が飲み込めていなかった。あまりにも普通にしていたので、中学の担任から「お前らいい加減にせぇ!」と叱られたくらいだった。俺たちは見よう見まねでお焼香を済ませ、仲の良かったヤツと集まっていた。告別式が終わり「うえっと」は霊柩車に乗って火葬場に運ばれて行った。車が見えなくなったときに、俺は何かの衝動に駆られ、突然バイクに乗って追いかけた。

バイクで火葬場についたとき、家族や親戚の人達がお焼香をしていた。葬儀屋の人が俺にも「どうぞ、最後のお別れをしてください」と言ってくれたので、お焼香をさせてもらった。俺のお焼香が終わると、「うえっと」の棺が焼却炉に押し込まれ、重そうな鉄の扉が「ガシャン」と閉められた。その音を聞いて、はじめて「うえっと」が死んでしまった現実と悲しみが俺を襲ってきた。「うえっとにもう会えない、一緒に釣りに行くことも出来ない。バイクで走りに行くこともできない。お前が死んでしまったら、俺がいくら自分を磨いても、永遠に追いつくことができないやないか・・・」怒涛のごとく涙が溢れ出してきた。体中の涙が溢れ出て止まらなかった。
その後、「うえっと」の死への悲しみを俺は1年くらい引きずってしまった。時間だけが悲しみを忘れさせてくれると思うより方法はなかった。母子家庭であり、一人息子を亡くした「うえっと」のおばさんを思うと、なんとも言えない気持ちが込み上げてくる。

仕事を始めて3年目、東京に出てきた俺は盆休みを利用して帰省していた。駅でたまたま小学校のときの友達の「ちんけん」に会ったので、そいつと共通の友達である「よしのり」の家に行こうということになった。「よしのり」と「ちんけん」と俺の3人でビールを飲みながら昔話に花を咲かせていた。「よしのり」と俺は幼稚園からの付き合い。高校を卒業してからトラックの運転手をしたり、日雇いの肉体労働をしたりしながら、自分のやりたいことを見つけようとしていたやつだ。この日、「よしのり」はこう切り出してきた。「俺、やっと就職先決まってん。消防士になるわ」 俺と「ちんけん」は一緒に喜んだ。「やっとお前も就職するんや、しかも消防士って凄いやんけ~」と「よしのり」の就職を祝ってやった。

盆休みを1ヶ月ほど過ぎた頃、営業中の俺に地元の友達から連絡が入った。「よしのり」が自動車事故で亡くなったとのことだった。俺は頭の中が真っ白になった。「うえっと」のこと「惜しいヤツ亡くしたな~」って一緒に言っていたのに、お前まで死んでしまってどうするねん。またしても俺は涙が止まらず、声を出して泣き崩れた。

「二人の友達の死」、俺には貴重な経験だった。電話をすれば冗談ばっか言っている友達だった。ふとどこかでバッタリ会いそうな気がするけど、もうこの世にはいない。若くてこの世を去った友達のお陰で、「生きる」、「命」ということを深く深く考えさせてもらった。

そして俺が27歳のときに親父に大腸ガンが発見された。余命3ヶ月、もう手の施しようがないとのことだった。1~2週間に1回のペースで『東京⇔奈良』を往復する日が始まった。俺は子供の頃から、親父のことがあまり好きではなかった。なぜなら、俺は親父が40歳のときに生まれた子で、小学校の父親参観のときはよく「おじいちゃん」と間違われていたからだ。もともと病弱だったために髪が薄く、ほとんどが白髪だった。俺が営業会社に就職したのも、公務員である親父に対抗心を持っていたのかも知れない。「親父よりも稼げるようになってやる」という思いを心のどこかに持っていた。

27歳の俺は「副部長」という肩書きをもらって、部下を数人抱えていた。プレーヤーとしての実力はあったものの、部下をうまく育てられずに悩んでいた頃だった。親父の見舞いに行っても、たいして話すことがなかったので、仕事の話をするようになった。でも、「公務員の親父には、営業の俺の気持ちは何もわからないだろうな・・・」と思いながら、部下が育たないことや、自分の指導に自信がないことなどを話すと、すごく適切な答えが親父の口から出てきたことに驚いた。「えっ、なんで?」って思って、話を聞いてみると、親父も市役所時代に苦労をしたみたいで、俺の置かれている状況が手に取るように解かるとのことだった。俺は自分のことが情けなくなった。親父のことを見くびっていた自分に・・・、そして、余命が3ヶ月になるまで自分から近づいていこうとしなかった自分に対して・・・。

親父を見舞うたびに、衰弱していくのが見てわかった。のどからタンを吸い取るための管を通されたときには、いよいよ別れのときが近づいてきたと思った。もう、話をすることもできず、アイコンタクトを取ることだけがコミュニケーションだった。いつものように見舞って東京に帰ろうと部屋を出たときに、親父に伝えたいことが頭をよぎった。「親父の息子に生まれてきて良かった」、この言葉を伝えたいと思った。

俺を見送るためにおかんもエレベーターホールまで来ていたので、「車の鍵を忘れてきた」といって、俺ひとり小走りに病室に戻った。親父の顔を見て言葉をためらっていると、タイミング悪く看護婦さんが検診に入ってきてしまった。結局、タイミングを逃してしまい、その日は自分の口から伝えることができなかった。そして、東京に帰るために高速道路を走り始めた。伝えたいことが伝えられなかった・・・、心のどこかに引っかかっていた。Uターンしようかとも考えたが、もうすでにかなりの距離を走ってしまっていた。結局、おかんに伝言してもらうことにした。それから数日後、親父は亡くなった。「息子から親父への最後の言葉」を、息子の口から直接伝えてやりたかったという思いは残るが、それでも、どんなかたちであれ伝えることができて良かったと思っている。

葬式の時、俺は冷静だった。ひと段落して家に帰ったとき「もっと親父との時間を大切にすれば良かった」と想い、やっと涙が溢れ出てきた。若くして亡くなった友達、そして人生を全うした親父、いろんな人の死を身近に経験して、悲しい想いをしたけれども、「死」と向き合う機会を得ることができたことに感謝している。

そして、34歳になってようやく自分の命の使い方について考えるようになってきた。仕事をしてきた目的は「自分がいい生活をするため」、ただそれだけだった。でも、今は違う。「自分の命を人のために役立てたい」「時間を人のために使いたい」と本気で思うようになった。自分のメッセージをもっと多くの人に伝えるために、出版したいと思った理由でもある。

ひとりでも多くの人に自分のメッセージを読んでもらい、暗いニュースばかりの世の中を明るくするために、『元気』を発信できれば本望だ!感謝! クリックしてね!
昨日の続きが今日じゃなく






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Last updated  2005.04.05 23:06:02
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aki@ この様な書き込み大変失礼致します 日本も当事国となる台湾有事を前に 国民の…
Jeraldanact@ Проститутки метро Проспект Ветеранов Брат замминистра инфраструктуры Украины…
Jeraldanact@ Проститутки метро Парк Победы Брат замминистра инфраструктуры Украины…
王島将春@ Re:今日は株の勉強会(06/04) はじめまして。福井市在住の王島将春(お…
いたる34 @ Re[1]:千葉の朝〜(05/01) 王島将春さんへ ありがとうございます。笑…

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