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一月が終わりました。 「如月」に入って30分経ちます。 1月31日の歩数・・・12.572 でした。 まあまあでしょう。 本当はもう少し多いはずです。 何しろ、この携帯の歩数計は絨毯などでは反応しない時があるようです。 続けて歩く時間が少ないのでエキササイズとやらは足りないようです。 1日夜は口有馬で花の窟神社の宵宮だそうです。 2日は「お綱掛け神事」です。 天気は大丈夫みたいですよ。 人気ブログランキングへ ↑↑↑ 一日一回ポチッと押してください↑↑↑
2016/01/31
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一歳前から始めた歩行訓練、なんとか続いています。 一歳前と言っても、始めたのが1月8日、誕生日は1月9日なんですけどね。 でも、始めた日は一つ若かったわけです。 今日で24日です。 なんとか2日を除いて一日1万歩は確保しています。 でも、足は慣れてきません。 慣れるのと衰えるのとどっちが早いのでしょうね? 昨夜は暖かかったです。 午前2時半の小又で4.5℃もありました。 少し前には-6℃とかだったのですが・・・ 暖かだからでしょうか? 鹿の逃げ足が速かったです。 それにしても行く度に鹿が居る! 嬉しくないです。 今日、駅でこんなの見ました。 「野宿するな」と言うことらしいです。 バックパッカーとかでは無く浮浪者?らしいです。 しばらく住みついていたのだとか・・・ ベンチまで外しちゃいました。 昔はお乞食山が一杯回って来たし、町の人もお乞食さんには優しかったし、お乞食さんも迷惑掛けないようにして住み分けていたのですけどねえ・・・ 冬場は南国のこの辺に回ってくるお乞食さんが多かったのです。 「乞食の穴」なんてのがあっちこっちにありました。 獅子岩の所にもあったのに・・・ 東京オリンピックの頃から日本人はお乞食さんを嫌うようになったように思います。 人気ブログランキングへ ↑↑↑ 一日一回ポチッと押してください↑↑↑
2016/01/31
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私は戦争の記憶は無いですが「戦時中」の生まれです。 さすがに二歳半の終戦の玉音放送は記憶にありません。 空をB29が飛んで、ワラビ採りで野山(のさん)に行っていたおばさん達が怖がったのは覚えています。 でも、あれは戦後、進駐軍の飛行機だったはずです。 矢ノ川越えでジープや十輪車が来ると子供達は見に走りましたが、あのコッペパンのような帽子をかぶった兵隊さんの記憶はありませんね。 それに、ガムやチョコレートを貰った記憶も無いです。 私の記憶に残るのは戦後しばらく、まだ物が少なかった頃から、物があふれてくるまでです。 私が子供の頃の田舎には「給食」なんてありませんでした。 「給食」どころか「幼稚園」もありませんでした。 そんな時代ですから、子供達はなんとか遊びを考え出さないと時間が余ります。 まだ、「ガキ大将」時代です。 上は中学生から下はおしめをしたようなのまで、ゴチャゴチャと遊んでいたのです。 その頃のガキ大将は、ジャイアンなのように小人数の同年代を押さえるのでは無く、赤ん坊まで従える代わりに責任も重かったのです。 遊びの仕方、喧嘩の仕方を教え、全員が無事に家に帰るまで見張らなくては「ガキ大将」の資格は無かったのです。 腰に刀に見立てた竹の棒を指し、手には槍代わりの長い竹の棒か細い指揮棒・・・ 学校までそのスタイルで通っていた時代です。 私が中学に入る前くらいから、「クラブ活動」が盛んになり、中学生が「ガキ大将」の座に座らなくなりましたね。 その辺りから、子供の世界がおかしくなりかけたように思います。 子供の国、独立国が消えて、「親」なんて依怙贔屓するのが干渉始めましたからね。 親なんて、「喧嘩の作法」なんて教えませんからね。 それに、すぐに「いじめる!」なんて学校にチクルし・・・ ずっと伝えられてきた、集落内の「危ない場所」「うるさい家」「甘柿の場所」・・・ もっと大事なのは、「物を持って喧嘩しない」「人に向かって石は投げない」「足で蹴ってはいけない」・・・喧嘩のイロハ、命の危険が伝えられなくなったのです。 低学年で物を持って喧嘩すると、勝つまでに「上級生」「ガキ大将」にこっぴどくやっつけられ、痛い目に遭うのでしなくなったのです。 子供なんてまだまだ動物並み・・・いや、人類の凶暴さは動物以上ですから、身にしみるほど教えないと解らないのが居るのです。 教科書で教えてみんなが解るなら世話無いです。 生徒会長よりガキ大将の方が役に立っていた時代もあるのです。 ここまで社会が変わってしまうと元には戻せませんね。 よそでは、「子供天国」なんてやって居ますが、元生徒会長と現生徒会長が仕切っているような感じで私などは違和感を感じます。 「ガキ大将」「生徒会長」・・・両方やりましたが「ガキ大将」の方がしんどかったです。 私の頃は「おしめしたガキ」までの面倒は見なくて良くなった時代ですけどね。 子分のしたことでも「ガキ大将」が叱られたり、でも、子分はかばわなくては・・・ 代わりに自首させるなんて「ガキ大将」はしない物だったのです。 だから、悪いやつに身をもってしつけてもあまり問題にならなかったのです。 でも、そんな子供天国時代も昭和30年頃に衰退していったのでしょう。 戻せないけど・・・ そんな世界が遅くまで残って居たのが「田舎」なんです。 日本人のどこかに残って居る「原風景」なのかも知れません。 今の若いタレントなども、知るはずの無い世界を「なつかしい」などと言いますからね。 それも、田舎が生きるヒントになりませんか? ポッチよろしく!!! 人気ブログランキングへ ↑↑↑ 一日一回ポチッと押してください↑↑↑
2016/01/31
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昨日書いた「Windoes 10 アップデート」の続きです。 「新しい機能が追加されました」に中身・・・ 「全てのプログラム」のところに下のアプリが新規で入っていました。 MicroSoft Wi Fi Skype ビデオ Sway Windows DVD プレーヤー メッセージング メディアプレーヤーが省略されて居たのが「Windows DVD プレーヤー」という形で戻されたのでしょうね。 私は「VLC Media Player」をインストールして使っていましたから、この純正のはまだ使って居ません。 MS WiFiもこのパソコンでは今の所意味が無いです。 カメラもWiFi対応じゃ無いし・・・ PCも受信装置が無いし・・・ Swayなんてなんじゃろ? アイディアを共有しましょう・・・だそうです。 そのうち何か分かるでしょう。 まあ、追加されてものが不要でも、今の所、元からのアプリとかに問題が起きていないので良しとしましょう。 一部で騒いでいる人も居るようですが、何時ものことなのですが、ほとんど何もいじり回していない、フリーソフトだなんだって入れまくる人じゃ無いし、トラブルは起きにくいです。 画面一杯にアイコンが並んで居るような人はその分トラブルも増えるのでしょうね? どうしてあんなに入れたがるのでしょう。 他にすることが無いのかな? 昔、Dosの時代・・・ ちょっとずつ環境を書き換えて・・・ ストップウォッチ片手に、「0.5秒早くなった」などと喜ぶマニア・おたくが一杯居ましたよね。 なにしろ、「パソコン通信」がやっとこさ入って来て、ちょこっとのデータをやりとりするのに一晩かかったり、市外通話がもの凄く高かったり・・・ 素人にはすることが無かった時代でしたからね。 今でも、人の動画を見るだけなんて人だと、あれこれやってみたくなるのかなあ? 私も昔に比べるとアプリの数はうんと増えていますけどね。 と言うことで・・・ Windoes 10 アップデートは普通の人には問題起きないようです。 早くなったとも思わないし、遅くなったとも思いません。 でも、あれだけ時間が掛かったのですから、「何かが良くなった」のでしょう。 何より「Windoes 10」はただなのが良いです。 人気ブログランキングへ ↑↑↑ 一日一回ポチッと押してください↑↑↑
2016/01/30
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もうすぐ節分、そして立春 「きみがため 春の野にでて 若菜摘む 我が衣でに 雪は降りつつ」 奈良盆地より少し南ですが、この辺の山間部は同じように寒い土地です。 私は飛鳥町小阪で育ちました。 だから、子供の頃は春が近づくと嬉しかったものです。 寒い最中でも川原で遊び、魚を釣ろうとしましたが、大又川の水は冷たく、中々釣れませんでした。 しかし、春がちが付くと魚が動き出し揺れ出すのです。 今のように「アメノウオの解禁」なんてありませんでしたが、動き出したアメノウオもたまには突き上げました。 陸の上ではまだまだ寒い時にでも「ふきのとう」が顔お出し、次に土筆が顔を出します。 そして、枯れ草の下に「ヨモギ」が・・・ これらは子供が食べて美味しい物ではありませんが、採るのが面白くて採って遊びました。 そして、山荘の主力の「ワラビ」・・・ 「草刈り場」と言われる野山(のさん)や若木の山には良いのが生えます。 どこが早く生えるか、どこが太くて良いのか・・・ それはそれぞれ内緒でした。 大きめの巾着を作って貰って集落中を駆け回りました。 そっして、もう一段暖かくなると「ぜんまい」です。 これは水気のある場所なんですが、太くて良いのが生えるところと、細くて惨めなのが生える場所があるのです。 簡単なのは探ボンボ石垣ですが、本当に良いのはやっぱり山に入らないと・・・ ゼンマイは保存が利くけど茹でて揉んで乾かさないといけないので面倒です。 でも、保存食になるので取って帰ると家の人が後はやってくれましたね。 初夏になって「田植え」になると、このゼンマイが出て来ました。 その次は「ゴンパチ」(いたどり)です。 「いたどり」なんて名前は大きくなってから知ったのです。 食料にするのは「ゴンパチ」でなくては美味しそうに聞こえません。 この「ゴンパチ」・・・ 一時期は「蓚酸が含まれて発がん性がある」なんて言われました。 そんな事言う連中が「サッカリン」「AF2」「赤色何号」なんてのを私達に食わせていたんですよね。 私達の頃の子供はその「有害なゴンパチ」の皮を剥いで生でむしゃむしゃと・・・ 美味しいおやつでしたが、誰も癌で死ぬ子は居ませんでしたよ。 食用にはさっと湯がいて水にさらすのです。 でも、その蓚酸があるので下手すると酸っぱくなります。 それを防ぐのに私は「重炭酸ナトリウム・重曹」を使います。 そうすれば中和出来るし、少し茹ですぎてもベトベトに溶けると言うことが無くなります。 湯がいたものを水にさらして毎日水を替えながらしばらく食べられましたが、今だとさらしたら密閉容器に入れて冷蔵保存すると結構保ちます。 「ゴンパチ」は味噌汁・煮物になります。 見場は良くないですが、平天とか竹輪などと似れば立派なおかずです。 他所ではあまり食べなかったようですが、近年は「山菜料理」なんて高級部って出す所も出て来たようです。 この辺では、これも、「お客に出す物じゃ無い」と思われているようです。 立派な郷土食です。 他には「ヨメナ」「タラの芽」「甘草」なんてのがどこでも手に入ります。 「柿の新芽」なんてのも天麩羅に出来るし・・・ 「杉」「桧」は美味しくなかったです。 サツキの葉っぱの「虫の瘤」・・・ 「柳の虫」「蜂の子」・・・秋なら「イナゴ」 およそなんでも食べました。 自前でおやつを確保するのが遊びと実利を兼ねていましたからね。 溝では「ごじな・かわにな」を獲って塩ゆでに・・・ 一山越えて磯にでて、嫁皿貝やら巻き貝を捕ってきて塩ゆでに・・・ ついでに「うつぼ」まで釣ってきたり・・・ これが熊野です。 熊野で育てばサバイバル術は身につきますが「野蛮人」になります。 でも、南朝の人や落人も入って来ていますから、少しは「文化人」の血も入っているようです。 ポッチよろしく!!! 人気ブログランキングへ ↑↑↑ 一日一回ポチッと押してください↑↑↑
2016/01/30
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Windows10がアップデートしろというのでOKしたのですが、7の時より時間が掛かる・・・ 掛かると言うより、7は終了時にやってくれていたのに、今回は結構長い時間使えない状態になっていました。 ひょっとして「サービスパック」くらいの変更が行われたのかも・・・ 終わる時。「新しい機能も追加されました」なんて出て居ましたが、何が増えたのやら・・・ 「全てのファイルは元の場所にあります」なんてのも出て居ました。 そうじゃなくては困りますけどね。 今回のアップデートの後では、外付け機器を動作させると「どうします?」というのを答えてやらないと動かないようです。 DVDドライブ、デジタルカメラD800Eで聞かれました。 今までの設定は外れるようです。 問題が無い程度ですが人によっては・・・ こうしたものが外れるほど何かをやったのでしょう。 あと目に付いたのは、ウィンドウズのアプリ、一番上のバーが昔のように青くなったことでしょうかね。 どうでも良いことですがね。 元々、スタート画面を昔ながらにしてあるので変わりようが無いでしょう。 今流のブロックを並べたやつは嫌いですからね。 どうせ、マウスとキーボードで動かすしか無いのですからね。 今の所、不都合無く動いています。 今日、熊野市文化交流センターを覗きに行ったら、こんなのやって居ました。 「サンティアゴの道」という展示です。 私は結局スペインには入らず仕舞いでした。 もう一つ、熊野市中の学校の校舎の展示もやって居ます。 近年はどんどん「休校」「廃校」が進んで居ますから、古い校舎を懐かしがる人も多いでしょうね。 折しも、同級生の校長先生経験者の夫婦も見に来ていました。 夫婦共に先生ですから、多くの学校が懐かしいでしょうね。 人気ブログランキングへ ↑↑↑ 一日一回ポチッと押してください↑↑↑
2016/01/29
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随分薄れてきたようですが、やたらと寿司を食べるのがこの辺の習慣でした。 年の初めは雑煮と寿司で始まったものです。 「屠蘇」なんて臭い酒はあまり飲まれないで、御神酒は普通の酒の家が多かったようです。 正月と言えば、寿司が毎日でました。 お節もありましたが、主食は寿司でしたね。 「サイレの寿司」は「もろぶた」に一杯作ったものです。 家族が多いとか以前の問題で、とにかくたくさん作ったのです。 一人何匹もなんです。 そして、海苔巻き・昆布巻き・あげの寿司(お稲荷さん)・伊達巻き・・・ これレモ寿司箱何段も作ったのです。 お節とかも縁起物という意味の他に、正月三が日とか料理しなくて良いようにと言う意味合いもあったようです。 昔は、本家に行ったり、嫁の郷へ行ったり、親戚へ行ったり、やたらと他の家にお邪魔するものだったのです。 子供にとっては「お年玉」というのがあるので結構嬉しかったものです。 その前に「お礼」と言って、本家や嫁の郷などに鏡餅を持って挨拶に行くのですが、これも子供の仕事で「お年玉」を貰う絶好の機会でした。 沢山年玉を呉れるところは、みんな行きたがりますが、年上には勝てないので私のような次男坊は少なくて遠い所が割り振られましたね。 他所へ行ってもお節とお寿司・・・ 三日目には飽きちゃいますが、それでも続くんです。 飽きたなんて言えば食うものは無いし・・・ 正月だけでは無く、何かあれば寿司を作って居ましたね。 運動会もお弁当は重箱で「あげの寿司」「海苔巻き」「昆布巻き」など子供のD好きなもの・・・ 私が子供の頃は卵が高かったので「卵焼き」なんて贅沢でした。 運動会になると巻き寿司の芯は子供向きに「桜でんぶ」が多くなります。 運動会シーズンは春も秋も「サイレの寿司」ではありませんでしたね。 遠足も寿司が多かったものです。 子供の好きな「あげの寿司」を持ってくる子が多かったです。 運動会や遠足の前になると「田舎の百貨店」みたいなお店には『あぶらげ・アゲ」が一杯並んだものです。 一枚のアゲで二個作れますが、子供が100人居れば600個は食べますからね。 親から爺婆まで・・・ 今のように料理屋の弁当なんて持って来ません。 全員「愛情弁当」だったのです。 貧しくったって、日本中、「愛情弁当」で育ててくれたのです。 昔だって酒乱の旦那は居たし、母ちゃんも子供も泣く家もあったのですが、それでも「父ちゃんが好き」「母ちゃんが好き」だったのです。 私の父ちゃんは大陸で戦死したので運動会などでは淋しかったですけどね。 折に触れて前に書いたような寿司も作って食べる土地柄でしたが、握りを作る「寿司屋」も木本はやたらと多かったのです。 「初音」という寿司屋を筆頭に一杯あるのですが、この辺の人は「シビの寿司」が好みでした。 「シビ」=「マグロ」 でも、本マグロはあまり好まれず・・・ トロもあまり好まれず・・・ ひたすら真っ赤なシビを食べるのでした。 「初音」ではシビもタコもイカも「たれ」を塗ってありました。 良いシビが無いと店を休む偏屈な親地でした。 でも、あんな良いシビにたれを塗っちゃうって・・・関西なのかなあ??? そんなの寿司を好きな土地だったのに、30年ほど前から家庭では作らなくなってきたし、寿司屋も20年ほど前から減り始め、ほとんど無くなりました。 「初音」「奴寿司」「くるま寿司」「東京寿司」「松屋」「千代寿司」「幸寿司」・・・もっとあったような・・・ 回転寿司は二軒進出していますが、そこの出すのは「マグロ」で「シビ」では無いですね。 それに、ご多分に漏れず、ここでも「サーモン」を食べる人だらけです。 「サーモン」ならまだしも、得体の知れない寿司が回っていますからね。 寿司天国もどこかへ行っちゃったようです。 それでも、スーパーでサンマの「すしな」が売っているのは、この辺らしいです。 背開きにして、骨をそぎ落とし、小骨を取って酢で絞める・・・ 冷たい水しか使えないし、結構大変な下ごしらえです。 スーパーでパックしたのを買ってきて、「寿司酢」で寿司飯を作ればインスタント的に「サンマ寿司」は出来ます。 ほんの少し、ゆずとかを加えて作れば「サイレの寿司」を家でも作れますよ。 残念ながら「小鰺」「うるめ」は「すしな」は売っていないようです。 パックしてあるので「クール」でなら送れそうです。 ポッチよろしく!!! 人気ブログランキングへ ↑↑↑ 一日一回ポチッと押してください↑↑↑
2016/01/29
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上天気だし、そんなに気温も上がっていないのに・・・ 明日は雨、大降りになるかも・・・なんて言ってますが、これもこの辺だけ除外なのかな? お湿りは良いにしても大降りは嫌ですね。 春先には大雨が降ることもありますが、まだちょっと早いです。 地球の気候が狂ってきていますから、何があってもおかしくないのでしょうけどね。 雨降りになると、歩くのに支障が出ますね。 市役所と家の中とで1万歩はしんどいです。 市役所もそんなに広くないですからね。 家から市役所まで500歩・・・ 往復で1000歩・・・ 階数は5階・・・ 丁度良いのですが、今までは全部車でしたからね。 行きは下りですが帰りは上り坂・・・ 坂って歩くとエネルギーが要るんですね。 歩きだと自転車ほど感じないけどやっぱり足が重い?気が重い?です。 ダイエットでは無いのですが20日間で2Kg程痩せたようです。 本当は痩せるのでは無く筋肉が付いて重くなる方が良いのでしょうね。 プロティンなど飲めばそうなるのでしょうか? ドーピング検査は無いですが、あれは身体に悪いのでしょうね。 本人には自覚は無いのですが、若くないのだそうですし・・・ 肉は充分食べているし、納豆もたまに食べるし、豆腐も食べています。 困ったものですね。 人気ブログランキングへ ↑↑↑ 一日一回ポチッと押してください↑↑↑
2016/01/28
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一つ前では、「サイレの寿司」と「こぶの寿司」など書きましたが。この辺では、新鮮な魚が手に入ったからでしょう・・・昔は浴す詩を作っていました。 『握り』では無く、「姿寿司」「押し寿司」の系列です。 「うるめ」でも「アジ」でも「カマス」でも、新しいのがあると酢で少し絞めて、寿司飯の上にので、竹の簾で「くっ」と形を整えます。 これらの魚は神前じゃ無くては始まりません。 そして、大きすぎてもいけません。 下ごしらえと「酢加減」が腕の見せ所です。 家によって、おばあちゃんによって酢加減が変わります。 その酢も、米酢、穀物酢の他に「柚」「ミカン酢」など季節と好みで使い分けていたようです。 昔は、山間部などでは柚の木が一杯植えられて居ました。 大事な食材だったのです。 でも、今では収穫された井で冬になっても黄色い実がなったままの柚の木が見られます。 柚の木って棘だらけだし、ミカン農家じゃ無いから川原や山際みたいな足場の悪いところに植えられて居るので、お年寄りでは収穫しにくいのです。 そして、いまでは家族も少ないし、ゆずを使って寿司を作ることも無くなって来たようです。 持ち主に声を掛ければ。「取って行かんし・・・!」と言ってくれます。 人シーズンに一戸カニ子は良いものですが、私もそんなに使いません。 この辺の寿司のもう一つの代表格は、「高菜の寿司」です。 これも、広い範囲で使われる、「めはり寿司」てえ呼び方をするようになりました。 これも、昭和40年代くらいまでは、「高菜の寿司」「ばしょばの寿司」「高菜の握ったの」とか呼ばれていたのです。 これも、格好付けたのか「めはり」を使うように役所主導みたいに変えられました。 だから、「サンマ寿司」同様、広域の紀州の中に埋もれてしまいました。 かと言って、紀州全体で協力して売り込むなんて無いんです。 そして、生産量も高地なんかのようには多く出来ないのです。 ならば、k「熊野市らしさ」を表に出すべきでは??? 「それ何?」って言わせるのも効果があるのですよ。 そして、「高菜の漬け物は流谷じゃ無くては・・・」とアジも大切にしないといけないでしょう。 高菜の寿司には漬け物の他に、採ったばかりの葉っぱをさっと湯がいて、酢味噌など塗って熱々のご飯と包むのもありました。 これは買って作るものじゃあ無いですね。 畑で採ってきてすぐに・・・ 湯がきすぎなければショップピリ辛見も残っていけますよ。 さらに、寿司好きの地域ですから。「チシャ菜の寿司」もあります。 「チシャ菜」・・・今はその一種のが「チマサンチェ」なんて呼ばれて出て居ますが。本来は「和種」のチシャ菜を使い。生のままで味噌か酢味噌を塗って左手に持ち。自分の茶碗から熱々のご飯を移して右手も添えて押さえつけてかぶりつくのです。 おかずなしでままが進みますよ。 夏の食べ物です。 生の野菜が摂れるから良い・・・なんてのでは無く、何も無くても食べられるから重宝したのでしょう。 安い小魚、安い漬け物、畑のチシャ菜・・・ すぐに作れて美味しくて安上がり・・・ いかにも奥熊野らしい・・・ 「お客様に出すのは恥ずかしい・・・」 そんな気持ちがあるのでしょうね。 料理やどころか民宿でもあまり出されてきませんでした。 「昨日はトンカツ」「今夜はエビフライ」・・・ 熊野まで来てこんなの食べたくないでしょう? でも、田舎料理では・・・ 意識改革は難しいかな? と言うより・・・ 「民宿」が消えつつある? 「民泊」をやれる人も居ないのかな? ポッチよろしく!!! 人気ブログランキングへ ↑↑↑ 一日一回ポチッと押してください↑↑↑
2016/01/28
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よその町では上水道がダウンした話があります。 比較的暖かな地方では上水道は寒波に弱いのです。 寒いところでは水道管はきちんと土に埋められています。 寒さによって深さも変わりますし、どうしても地上に出る時には断熱します。 でも、暖かな地方では平気で地上配管するのに断熱はしません。 熊野市内でも山間部は毎年、毎晩、マイナスの世界ですから、きちんと断熱しますし、夜中中水を出して凍結を防ぎます。 しかし、海岸線の木本などではそんな対策は出来ていません。 我が家でも外の蛇口関係は断熱処理していません。 湯沸器の工事でも業者さんが一部断熱を省略したくらいですからね。 その部分は自分で断熱しても外の蛇口はこんな寒波が来る時まで放置です。 今回もあわてて「プチプチ」で応急断熱して誤魔化しました。 ほとんどマイナスになりませんからね。 プチプチでも無いよりましですが、耐候性が無いので二年ほどでぼろぼろですね。 町中を見ると、あちこちで側溝を露出で越えているところがあります。 最初は側溝の下を通っていたはずなのですが、修理などあると下を通すと大工事になるので上を越しちゃうのでしょうね。 それでも、普通は大丈夫です。 二十年ほど前に大寒波が来て、海岸線でも水道が破裂して騒いだのですが、それ以降は無いみたいです。 メーターを過ぎてからだと手前の止水栓で止められますが、その前だと・・・ 今度の寒さは木本でもそこそこだったようです。 日曜日の「さんままつり」の日、木本小学校の池が氷っていました。 薄い氷ですけどね。 お昼になっても溶けませんでした。 2月4日は 「立春」 なんですけどね。 ポッチよろしく!!! 人気ブログランキングへ ↑↑↑ 一日一回ポチッと押してください↑↑↑
2016/01/27
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この辺り・・・ 寿司が好きなようです。 正月に始まり何かあれば寿司を作ってきました。 最近は唐揚げとかの入った弁当が主力のようですが、一昔前には学校の運動会のお弁当も「寿司」だったのです。 小魚類は何でも寿司にしちゃいました。 「さいれ」「うるめ」「いわし」「アジ」「かます」「きす」・・・(丸干しの方でアジを漏らしていました) 「のりまき」「昆布巻き」「あげの寿司」「だてまき」・・・ 果ては「高菜の寿司・バショバの寿司」なんて、漬け物まで寿司にしちゃいます。 今では、特産品・名物に「サンマの寿司」をあげますが、あれは「サイレの寿司」なんです。 「さんま」なんて北海道から四国まである陳腐なものでは無く、この沖で捕れる油の落ちた「さいれ」と呼ばれてきたもので作ったので無いと味が出ません・ 「サンマの寿司」なんて他所の媚びる名前を使う事が間違いなんです。 もっと、自信を持って進まないと駄目でしょう。 それをやれない熊野市・商工会議所・物産振興会・・・情けないですね。 ここの「サイレの寿司」は背中の方から開く「背開き」で姿寿司になった時、腹の白いところが上にあってきれいに光ります。 隣、尾鷲の「サンマ寿司」は「腹開き」で背中が上になり黒っぽいです。 全然違うんです。 それに、これに使う「さいれ・さんま」は「遊木港」で揚がったののが最高なのです。 誇りを持って、地元古来の呼び方に戻しましょうよ。 他の小魚も全部「姿寿司」です。 ご飯多めの実用食なんです。 でも、最近はこれを作る家庭が減ってしまいました。 うるめ・アジ・かます・・・おいしいですよ。 でも、いつでも作れるというものじゃないですね。 旬の時、捕れたとき限定・・・ それも良いでしょう? 食べたきゃ熊野市へ通ってきなさいよ。 料理屋ではなく「ばあちゃん」が作るの方が美味しいんですが・・・ 「認定制度」でも作って、「ばあちゃん」を保存しないといけませんね。 「こぶのすし」・・・ これは関西でしか手に入らない「寿司昆布」を戻して海苔巻きのように巻きます。 芯はニンジン・かんぴょう・ほうれん草・玉子焼きなど好みのものになります。 「寿司昆布」はバッテラに貼ってある昆布の薄いやつです。 何しろ、「だし」である「昆布」で巻くのですからおいしいんですよ。 これは、サイレの寿司発祥の地と言われる「産田神社」の一月大祭・「奉飯」で出されるお膳で、この寿司には骨が付いています。 まあ、食べるには向きませんね。 こちらは、同じ産田さんの祭でも、売られているものです。 今流で頭も尻尾もありません。 本来は頭がついて尻尾もあります。 頭も尻尾もちょいと曲げて箱に納めるのです。 昔は頭も尻尾も火鉢で炙って食べたのですが、今ではそんなことする人もいません。 と言うより・・・ 炭火の入った火鉢も、隅のコタツも無いですからね。 だから、「食べない部分」は切っちゃうようになったのでしょうね。 でも、「さいれの寿司」らしくないです。 好みで、七味唐辛子や醤油をつけて食べます。 寿司の種類が多いので記事を分けます。 私は作る方ではなく食べる方ですが、ずいぶん食べて育ちました。 ものすごく好きというのではありませんが、少しは蘊蓄も傾けられる歳です。 熊野から「寿司」を抜いてはいけないでしょう。 ポッチよろしく!!! 人気ブログランキングへ ↑↑↑ 一日一回ポチッと押してください↑↑↑
2016/01/27
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冬将軍・・・中々どきませんね。 九州から北海道まで占領して・・・ でも、この辺少しだけ取り残しています。 戦国時代にも太平洋戦争中もこの辺だけが誰も取りに来なかったのです。 『神のご加護』? それは無いでしょう・・・ 大夫や津波はちゃんと来ていますからね。 こんな事言うと天罰が下るかも・・・ 今日は5時頃買い物に行きました。 何時もより少し遅めです。 レジの子に、「今日は遅いですね」と言われたのですが、日が長くなって暗くなっていないので遅くなっているのに気が付きませんでした。 冬至から一ヶ月ですからね。 三ヶ月で昼夜同じになるのですから、もう、1/3以上経ったのです。 「光陰矢のごとし」 「少年学なり難し」 少年ほど時間があっても難しいのですから、私など・・・ でも、大隈重信公は、人間の寿命を125歳と言いました。 大隈講堂が125尺なのはその説からだそうです。 と言うことは。まだ半世紀残って居ます。 こんな言葉が大事にされた頃の人生は50年ほどでしょう。 と言うことは、「この時代の青年」位の時間は残されているわけです。 じゃあ、何かしなくっちゃあ! 私が動くとややこしくなる??? それも良いでしょう! ポッチよろしく!!! 人気ブログランキングへ ↑↑↑ 一日一回ポチッと押してください↑↑↑
2016/01/26
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この地方、ことに熊野市では、干物と言えば「丸干し」です。 観光とか物産の方では「サンマの丸干し・サイレの丸干し」ばかり言われますが、この辺では小魚何でも丸のままで干しちゃいます。 サンマ・いわし・うるめ・キス・カマス・・・ 勿論、全部、頭もはらわたもそのまま干します。 好きな人は全部丸ごと食べちゃいます。 開きの作ります。 サンマ・イワシ・うるめ・カマス・うつぼ・鯖子・・・ 塩物と味醂干し・・・ 何でも干しちゃうんですね。 でも、大昔から漁場と言っても、まともな町など無いところです。 生魚を食ってくれる人口が無ければ干すしか無いでしょう。 山間部へ運べば売れると言っても、町じゃ無いから一杯売れはしなかったでしょう。 昭和30年代になっても、下北山くらい山奥になると、日持ちしよい「シビ」でも「塩シビ」が当たり前がったくらいななのです。 「丸干し文化」「干物産地」が形成されたのは、悲しい歴史からなのかも知れません。 でも、長年培われてきた「生活必需品」ですから、食べ飽きない。美味しいものになって居ます。 何しろ、冷蔵庫だとか保冷車などが普及するまでは、消費地の山間部の人は、明けても暮れても「丸干し」を食べていたのですからね。 今でも、この辺の人は「干物」が好きですね。 「安くて旨くて・・・」 ポッチよろしく!!! 人気ブログランキングへ ↑↑↑ 一日一回ポチッと押してください↑↑↑
2016/01/26
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どか雪の ふり残してや 奥熊野 まさに、こんな感じですね。 沖縄から北海道まで、雪だ雪だと騒いでいるし、すぐ裏っかわの吉野も雪らしいのに、ここ「奥熊野・木本」は全く雪は降りません。 でも、寒さだけはやって来ていますね。 今日は午後になっても5℃まで上がるのがやっとでした。 さすがの私でも寒いです。 ホットカーペットの上に寝っ転がると気持ちが良いです。 外を歩き回る気にもなりませんでした。 役所とスーパーは暖かでしたけどね。 あと一日くらい寒めなのかな? もう大寒に入っていますから、次に来るのは「節分」「立春」です。 今更、ファンヒーターに灯油を入れるなんて嫌ですし・・・ 三日もすれば20℃程まで暖かくなるなんて言ってますしね。 それを楽しみに待ちます。 寒い時はこの一番寒い部屋でパソコンに向かうのをためらってしまいます。 座ってしまえばそんなに苦にならないのですけどね。 これの前のパソコンはPen D と言う、史上最高に電気を食うやつだったので、入れっぱなしにしているとほんの少し部屋が暖まったのですが、今のはi7で、速度は上がったけど部屋の温度は上がりません。 真冬に扇風機・・・ 昔はこんなのが付いた建物がありましたね。 映画などでも南洋のシーンではつきものでした。 ここ「Mon Image」のやつは夏用よりは冬のサーキュレーターとして動いているようです。 風を感じない程度に上の空気を下に・・・ この頃、行く回数が少し減っています。 天気の良い日の午後は窓からの光も心地良いのですけどね。 ポッチよろしく!!! 人気ブログランキングへ ↑↑↑ 一日一回ポチッと押してください↑↑↑
2016/01/25
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この地方では「餅ほり文化」と言える物があります。 各地にもあるとは思いますが、熊野市はどこにも負けないでしょう。 祭・初午・七五三・建前・厄払い・落成記念・晋山式・イベント・・・ 人が集まれば「餅撒き・餅ほり」・・・ 人を集める目玉に「餅撒き・餅ほり」・・・ 祭も村祭りから庚申様、地蔵さん、稲荷さん、天神さん、弁天さんなんでも「餅撒き・餅ほり」です。 個人の家の建て前(棟上げ)は少し減ったようですが、校舎などの落成となると大変な量が用意されますね。 七五三や厄払いとなると、『神社やお寺で撒くだけでは無く自宅でも・・・なんて家があります。 そして、こうした餅撒きのニュースに関しては、実に皆さんよく知っています。 「何日・何時・どこどこ」・・・ 町内は勿論、沢山撒かれるような大がかりなものは市内一円のを知っているなんて人も居ますね。 朔日、私は金山の「地蔵さんの餅ほり」に行ってきました。 三時からと言うのを二時半がろ場所を探していると・・・、数台の軽トラが止まっていて丘の上に段ボールが・・・ 「地蔵さんここかえ?」と声を掛けたら・・・ 「そうじゃで!」 「来てくれたんかえ!」 と、歓迎してくれました。 それから、徐々に人が集まってきました。 七五三の家と厄年の家が撒くようです。 撒き手も何軒もあるし、拾い手の方は始める時には120人ほどのなっていました。 金山は新しい家もあるので、集まってくるご婦人が木本より若いですね。 長年続いている行事なので、拾い手も上手に固まっているし、撒き手も上手らしく、皆さん沢山拾っていて、スカの人は居ません。 拾うのは競争で・・・ 「こっちへ放って!」 などと賑やかです。 それでも、立ち上がって人を踏みつける人も居ないし、終われば・・・ 「あんた、ようけ拾うたのう!」 「上手いもんじゃろ!」 などと、和気あいあいです。 他所からお嫁に来た人は最初恥ずかしいようです。 何しろ、「撒いたものを拾う」のですからね。 でも、拾い始めると夢中になっちゃうのです。 そして、そのうちに「餅ほり」と聞くと血が騒ぐようになる様です。 そうなると、「本物の熊野の女」になった証です。 近年では役所の主催するイベントでも「人寄せ」に餅撒きをやることが多いのです。 確かにその時間には人が集まってきます。 それを持って「イベント成功」と言うのもねえ・・・ これほど、熊野では餅ほりが生活に密着してきたのです。 色んな習慣が消えて行きますが、せめてこれは残したいですね。 「無形文化財」ですよね。 地域の和を保ちますからね。 ポッチよろしく!!! 人気ブログランキングへ ↑↑↑ 一日一回ポチッと押してください↑↑↑
2016/01/25
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今日は朝から寒かったです。 それでも、カメラつかんで「サンマまつり」へ・・・ さすがに、何時もの吹くそうでは寒そうなので上にハーフコートを着ました。 シャツも木綿ですがタートルネック・・・ 私としては重装備です。 手袋はしません。 歩く訓練中ですから、家から歩いて会場へ・・・ と、言ってもいちばん近いところまでは300歩です。 二つの会場でやって居たので、うろうろして帰ってくると2500歩くらい歩いていました。 ノルマの半分こなせました。 この「サンマまつり」が午前中・・・ 午後からは金山の「地蔵さん」に出掛けました。 去年は言っても巡り会えなかったのですが、今年は金山の人のブログで大体の場所が解ったのでちゃんと見つけました。 この二つで最低二回のブログ記事になります。 撮った写真は多いのですが、ほんの少ししか使えません。 デジタルになってから撮りまくってしまいますからね。 今はHDDが大容量化して、値段も安いですから良いですが、10年前だったらこんな事したら大変だったでしょうね。 高画質のRAWで撮って保存して・・・ 使いそうなのは現像してjpeg保存・・・ 更に、NETで使う時のは縮小して保存・・・ メガ単位で表示するようなHDDではすぐ満タンです。 さらに、バックアップまでするのですからね。 これも「地方創生」が絡むので少しばかり???になっちょうのです。 ポッチよろしく!!! 人気ブログランキングへ ↑↑↑ 一日一回ポチッと押してください↑↑↑
2016/01/24
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今回もうちょっと大又川について書きます。 大又川の河床は大きな岩盤で出来たところが多いのです。 上にゴロ石があっても、その直ぐ下には岩盤が横たわっています。 飛鳥町内は基本的には紀州御影の硬い岩です。 こいつがこの一帯の山の骨組みで隙間は無いし、押しても崩れないし・・・ 海の側に降った雨はすんなり太平洋に落ちて行くけど裏側は行き場が無かったのです。 かといって火口のようでも無いし、山崩れで堰き止められても居ないし・・・湖はありません。 行き場を探して、海のすぐそばなのに紀伊山地をうろうろと・・・ 最初の大又の写真の辺りでも河床の海抜はせいぜい350m程でしょう。 飛鳥町小阪のところなど、薄い山一つで真っ直ぐ大泊に出られるのに、何万年掛かっても崩せなかったのでしょうね。 諦めたようにUターンして引っ返し、今度は山奥の五郷を目指します。 その先で地質が変わりますが、だからと言って海には向かえず、大台ヶ原南斜面の水を集めた「北山川」に合流して、出口を探して尚更山奥へ・・・ それでも湖にはならないで岩を砕いて下ったのでしょう。 「瀞八丁」なんて渓谷を作って突破していますね。 ここを通り抜けると、ようやく順当に川らしくなって、宮井でもう一本の大川「十津川」を一緒になって新宮に向かいます。 蛇行する川、迷走する川・・・色々ありますが、この熊野川水系の北山川・大又川の道筋はこの川の太古からの苦労が目に見えるようなものです。 一度一般国道42号線大又トンネルから熊野市に入り、飛鳥町大又ー飛鳥町小阪ー国道309号に入り・・・飛鳥町佐渡ー飛鳥町神山ー五郷町平ー五郷町寺谷ー五郷町桃崎ー国道169号線に入りー神川町七色ダムサイトー北山村大沼ー瀞峡ー玉置口ー宮井・・・国道168号線に入り・・・新宮市橋本・・・国道42号に戻り・・・紀宝町鵜殿河口まで川に付き合ってみて下さい。 そうすれば飛鳥に降った雨が出口を探してさまよった苦労が解ります。 大又十ネルを抜けた所で出会った水がそこまで下るのです。 この硬い紀州御影の岩盤部分を「なべら」と、呼んでいます。 「滑らか」から来ているのでしょうね。 流れ下るゴロ石に磨かれてツルツルです。 ゴロ石も角が取れて丸まっているので足は痛くありません。 コケも生えているのでツルツル滑り、小さな頃は「なべら」で滑って遊びました。 そこには溝状にえぐれたところや、丸くへっこんだところがあります。 これは氷河が削ったのでは無く、ゴロ石が洪水の度に転がるのでえぐれたという説を見たことがあります。 臼のようにへっこんだのも、少しへっこんだところに石がはまり込み、洪水の度に押し出されもせず回転したので大きくくぼんだのだとか・・・ この800m程川下でそんなのがありました。 何しろ、時間単位が百年とかでは無いのでそんなことも起きるのでしょうね。 天女の羽衣で岩をなぜて減るのを単位とする「劫」なんてのも仏法にはあるそうですから・・・ 私が子供の頃から60年・・・ 人工的にいじられたとか、堆積したゴロが変わったとかはありますが、「なべら」が変わったなんて無いですね。 こんな岩盤が続いている飛鳥地内の大又川ですが、途中で段差があり、あまり削られていないところもあります。 いつ頃か地震でズレたのかな? 私は地質にはあまり興味も無いし解りませんが、何かがあったには違いないでしょう。 でも、次に動くのは千年先か一万年先か、もう動かないのか・・・ 飛鳥地内、五郷から先、下北方面、神川地内、瀞峡付近・・・ 背中合わせの海側では大泊方面、鬼ヶ城獅子岩、瀬戸方面・・・ 有馬以南の海岸沿いの断層・・・ すぐ沖には東南海の震源地の断層・・・ 狭い範囲で地層、岩石がめまぐるしく変わります。 つまり、あまり安定していない土地なのでしょう。 鬼ヶ城や獅子岩も最近海から上がってきたのだそうですし・・・ アトランティスだって沈んだそうです。 北九州では100年ほど前に島が沈んだとか・・・ 日本列島が浮かんでいるうちに色んな所を見ておいて下さい。 鬼ヶ城と獅子岩は一緒に浮かんできたのだとか・・・ 消える時は一緒に消えちゃいますよ。 ポッチよろしく!!! 人気ブログランキングへ ↑↑↑ 一日一回ポチッと押してください↑↑↑
2016/01/24
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全国的に寒くて雪になるとか・・・ 天気図ではこの辺だけが大寒かの下には入らない? 確かに気温は8℃ほどありますから、すぐには雪にならないでしょう。 でも、山の方は降れば雪でしょう。 雪化粧ってわざわざ撮りに行く気になりませんね。 通行中に雪に見舞われるとか、スキーに行くとかでないと、ちょこっと写真だけ撮りに行くにはリスクが大きいです。 VW UP!は以前のパジェロのようには雪に強くないです。 一応新品のスタッドレスは履いていますが・・・ 大体、この辺のドライバーは雪道になれていません。 スタッドレスすら履いていないのに定かなどに出てくる輩も居ます。 だから、自分がちゃんと走っていても駄目な時があります。 寒さなんてのは写真を撮って居れば忘れちゃうのですけどね。 明日は「サンマまつり」だそうです。 記念通りと本町両方が通行止めだとか・・・ 私は一向に構わないのですが、実に簡単に通行止めします。 明日の天気は全く当てにならないでしょう。 寒くても、風が無くて降っていなければ食い物のあるイベントの強みは発揮するでしょうけどね。 今年はサンマの虎が悪いので「サイレの丸干し」が品不足だし、出来もあまり良くありません。 皆さん、食べ飽きるほど口にしていないでしょうからこれを機会に食べて下さい。 でも・・・ 地元の人に1000匹振る舞ってどんな効果があるのでしょう? 人集め??? 目黒駅前名物の「目黒のサンマまつり」と同列じゃ無いですよね。 地元の売り上げが少し増えるけど、「波及効果」なんて限りなくゼロに近いでしょう。 「賑わえば良い」??? 人が居ないと淋しいです。 ぜひ、記念通りと三丁目付近に来て下さい。 ただなのは「サイレの丸干しの焼いたの」だけだと思いますけど・・・ ポッチよろしく!!! 人気ブログランキングへ ↑↑↑ 一日一回ポチッと押してください↑↑↑
2016/01/23
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長くなったので途中で切り離しました。 「大又川」には放流された鮎がいます。 河口から何十キロもあるのですが、ダムが出来るまでは鰻も鮎も新宮の河口から遡上していたのですが、昭和30年代のダム建設でズタズタにされ、魚道も作られなかったので、天然物は来なくなったのです。 これは日本中の川で起きたことで、日本中が琵琶湖産の「湖産鮎」ばかりになっちゃったのです。 鮎釣りは漁業組合の「遊漁鑑札」を買って楽しむようになっています。 川沿いのあちこちで「鑑札販売所」があったのですが、少し減ったようです。 比較的、川原に降りよい川ですし、大きな川のように人間が流される危険も少ないです。 今では、中京方面、京阪神方面からも日帰りで楽しめる川になりました。 その割りに、お客さんが多くないですね。 なぜでしょう? 知名度も低そうです。 何しろ、補助金が無いと稚鮎の放流も出来ない状況です。 儲からなくても良いけど、現状は淋しいです。 この写真は飛鳥町小阪、飛鳥神社下です。 大又川はこの様な滑らかな岩盤(なべら)と頃石の河床が交互にあり、無いのは砂地の川底だけです。 つまり、すっと渓流で鮎の好きな環境なのです。 近年は少しコケの質が悪くなって、歩いても滑りにくくなっちゃいました。 それが魚、鮎が育ちにくい理由かも知れません。 恐ろしいほどいた「ガロジ」(ざざむし)が激減したのもおかしな話です。 夏の夕方など橋を渡れないほど「トビケラ」が飛んだのに・・・ 一見きれいになって来たのに・・・ 私は「鮎釣り人」ではありません。 子供の時から相手にしてきたのは「鰻」「ウグイ」「はえ」などです。 今でもこれらは鑑札は要りません。 意外と簡単に捕れる物ですよ。 農家民宿「やまもと」なんかだと教えてくれるのでは無いでしょうか? 私達の世代、ガキの頃には川で魚捕るしか遊びが無かったのですから、名人だらけでした。 ポッチよろしく!!! 人気ブログランキングへ ↑↑↑ 一日一回ポチッと押してください↑↑↑
2016/01/23
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熊野市役所に入るとすぐに目に付く?のが写真のものです。 伊勢志摩サミットの逆算タイマーです。 今日市役所に行った時、駐車場まで引っ返してカメラを持ち出して撮ってきました。 あと、「125日」だそうです。 デジタル時代ですから中学生でも組み立てられるものです。 でも、三重県がうんと力を入れて作ったものですから「お安くは無い」でしょうね。 あっちこっちに大きなものも据えてあるとか・・・ こんなの据えても嬉しいのは知事や担当者だけじゃ無いのでしょうかね? 段々、私が当初に言って叱られたことが現実になりつつあるようです。 島の漁師、近隣の商店、果ては恒例のイベントまで出来なくなったり・・・ どうして、「地元の方にはご迷惑お掛けいたしますが・・・」と、言えないのでしょうね? 強力はするでしょうけど、「波及効果」なんて言われると納得出来ない人も多いでしょう。 私などは熊野市に住んでいるので「迷惑度」は低いです。 大きなイベントでも時間が無いので「便乗箱物」を作る時間はありません。 でも、かつて「天皇陛下舗装」と言われたように、えらい人が来ると見掛けを整えるのに「舗装」に手を付けます。 色んなケースを想定すれば、ルートも一杯出てくるでしょう。 そのルートは公表しないようですが、「舗装工事」を見ればある程度予測出来るでしょう。 今話題の「舗装工事」ですが、東北同様「話し合い」で受注しないと間に合わないでしょう。 舗装工事だけでは無く、高性能防犯カメラが並ぶ道とかもVIPの通行の可能性が高いでしょう。 天皇陛下の行幸の時など沿道は日もまるで埋まりますが、サミットは許してくれるのかな??? フランクシナトラは日本に入国する時にピストルを携帯していたとか・・・ サミットのVIPに付きそう連れてきた警護役・SPは丸腰??? ハガチー事件の頃とは少し違いますけどね。 ご存じない??? ポッチよろしく!!! 人気ブログランキングへ ↑↑↑ 一日一回ポチッと押してください↑↑↑
2016/01/22
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熊野市には何本か川があります。 海の側の川は山に降った雨がすぐに海に出てしまうような短いものばかりです。 裏側に降った雨は、全部、熊野川に集められ新宮で海に出ます。 随分遠回りするのです。 その熊野川の支流の中で比較的長く近づきよいのが、「大又川」です。 源流は尾鷲との境の「矢ノ川峠」、下北山との境の「備後の谷」などです。 「矢ノ川峠」は旧国道42号線が越えていたところですから。こちらの谷のそばには「矢ノ川道」があるのですが、今は通れないはずです。 国道42号線「大又トンネル」の熊野側で、道が分かれていますが、舗装道路で緩やかに右に曲がっているのが42号線で。ほぼ真っ直ぐな舗装道が旧矢ノ川峠越えの国道だったものです。 UPの左手の橋を渡ると備後方面です。 国道改修で、「大又トンネル」「矢ノ川トンネル」が抜けてから、この道で808mの「矢ノ川峠」を越えることは無くなりました。 確か、私が昭和44年(1969)に43年式コロナ1600Sで東京から帰ってきた時、暫定の形でこの新トンネルを通りました。 その後暫くは峠道も通れたのですが、災害などで崩れても直して呉れなくて通れなくなっちゃったのです。 矢ノ川峠でのアマチュア無線運用でこの道をジムニーで登っていたのですが、最後は崩れて道が半分しか無くなったところを無理矢理通って、細かい木をへし折りながら登りきって、頂上付近で仕事していた人に「あんた、どこから来たんじゃ!」とびっくりされました。 ひょっとして、最後の峠越えを敢行したのは私なのかも・・・ その崖下を写真の谷が遡っているのです。 この上流には民家も農地もありません。 まさに「清流」なのです。 この日は魚影はありませんでしたが、アマゴなどが居るはずです。 こちらが下流方向です。 ここからは、飛鳥町小阪佐田までは国道42号線と共に下ります。 そこからは国道309号線沿いに五郷町桃崎東郷までくだり、その先は「七色ダム湖水」になるのです。 この区間は集落の間を流れますが、硬い山を削って進んだ川なので、川はかなり下がった所にあります。 田畑や家は一段上で、ほとんどのところには「堤防」なんてありません。 耕地面積もほんの少しです。 それでも、一時期は農薬や生活排水で川が傷みました。 中性洗剤、DDT、スミチオン、ボルドー液・・・日本中の川や湖を殺し掛けた時代ですね。 その少し前、戦後すぐくらいまでは、この川を汚す人は居ませんでした。 日本の田舎の普通の暮らし、洗い物も風呂水も川で汲んでいました。 支流の谷では飲み水も・・・ また、川は生き返りつつあります。 住民の大きな意識の変革と、言うよりは、「過疎」のおかげの方が大きいように思います。 人口はピーク時の半分も居ませんし、耕作面積も半分以下・・・ 悲しい話ですが、あと10年すれば人口も農地も更に半減??? 何はともあれ、川はきれいになっています。 もともと、雨で増水した時以外は濁らない川なのです。 濁っても雨が止んで少しすれば澄みます。 石がひっくり返るほど水が出た後は、川底が真っ白で、澄み切った水が勢いよく流れ下ります。 素晴らしいですよ。 ポッチよろしく!!! 人気ブログランキングへ ↑↑↑ 一日一回ポチッと押してください↑↑↑
2016/01/22
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他所へ行く時は、その土地らしいものを見なければ面白くないです。 と言うことは・・・ 暑い国へは暑い時に行って暑さを体感しないといけないのでしょう。 寒い国には寒い時に行って寒さを実感しないといけませんね。 若い頃には寒い土地には寒い季節機行くことが多かったです。 上越・信越・信州・木曽・飛騨・北陸・佐伯・東北・・・ これらは冬が多かったです。 スキーでしたからね。 普通の旅行は夏休みでしたけど・・・ でも、暑いところは真夏は避けたようです。 バンコック・サイゴン・ジャワなどは冬でした。 冬でも暑かったですけど・・・ 真夏の南国ってあまり魅力無いですね。 冬でも半袖なのに、真夏は何を脱げば良いのやら??? 今の南洋はゴーギャンの時代とは違うし・・・ 今日は寒いのに大又へ行き、旧矢ノ川道の分岐点のところで川に降りて写真撮ってきました。 残念ながら本流の水しぶきが氷るところまでは行きません。 もっとも、そこまで寒い時には大又まで登って行く気にはならないでしょうね。 今日のようにふらりと・・・じゃあ駄目ですからね。 きちんと三脚も下ろしてセットしないといけません。 スローシャッターで水をぶれさせないと面白くないです。 ??? 減光用NDフィルター・・・ ズーム用は無かったかな? 日食用では駄目だし・・・ ポッチよろしく!!! 人気ブログランキングへ ↑↑↑ 一日一回ポチッと押してください↑↑↑
2016/01/21
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「熊野市の名所・名勝」なんてタイトルを付けたら、「鬼ヶ城」はやっぱり欠かせません。 「吉野熊野国立公園」「天然記念物」さらには「世界文化遺産」?にまで入っているものです。 「名勝」「奇岩」などとも言われます。 そして、「鬼の住み家」だそうです。 観光客が行く「千畳敷」が広間だったのだとか・・・ 大きな台風が来ると千畳敷まで波が上がります。 住むには向かないですが、雄大な熊野灘が目の前に広がるし、昔の和船なら東側、木本・鬼の元浦に置けるし・・・ 鬼の本拠地には向いていたかも知れません。 「坂上田村麻呂」が攻めた「多蛾丸」も木本を根城にしていたようですからね。 全国あちこちに「鬼ヶ城」「鬼ヶ島」なんてあるようです。 高松の女木島にも「鬼ヶ島」がありますね。 そこの洞窟には、「中山間事業・農村公園」の視察に出掛けた「ついでに見て来ました。 住むならそっちかな? でも、瀬戸内は海賊だらけ・・・ こちら木本の方が「鬼の元締め」やるなら面白そうです。 江戸時代とかほどは船の便も発達はしていなかったでしょうが、潮岬を回って大王崎を目指すにしても、今の大型船のような沖合を進んだら、黒潮本流に押されるので東向きは足が速くても下手すればジョン・万次郎になるでしょう。 西向きはまともに遡るのは大変だったでしょう。 それを避ければ、陸に近づかざるを得ないし・・・ 通行料をせしめるには良いところでしょうね。 海賊でも「海賊キッド」とか「バイキング」のようなものでは無かったでしょうからね。 磯崎道311号線の大吹とお下から降りて合流する辺りからの鬼ヶ城はこうなります。 冬だとお昼過ぎには光る海にシルエットが浮かぶようになります。 形も「鬼ヶ城らしい」ものに見えます。 展望台?駐車スペース?もあります。 一昔前なら望遠鏡が据えられていたかも知れません。 あの口の部分が千畳敷で、少し前まではあそこに小さな屋台の売店がありました。 木本隧道の大泊側にお住まいだったおばあさんがやってられましたね。 ??? 私が子供の頃だと「おばあちゃん」では無く「おばやん」やったのかな? 台風が来る時には早く店を片付けて避難しておかないと・・・ 危ない目に合ったとか言う話しも聞きましたね。 でも、昭和40年代くらいまでは「国立公園・天然記念物」の看板も充分役だって、商売にもなったのでしょうね。 汽車が着く度に「鬼ヶ城行き」のバスが出て居ましたし、新宮~鬼ヶ城までの熊野交通のバスなんてのまであったのですからね。 もの凄く宣伝が上手かったのでは無く、旅行に行く先が今みたいに日本中にあったわけでも無いし、まして、海外に行くなんて無かったですからね。 私がハワイに行った昭和46年(1971)にはJALパックなんてのでしか素人は海外に出られなかったのです。 次のヨーロッパをうろついた時にもドルは自由化なっていなくて業務出張をでっち上げたり・・・ 1ドル360円でしたしね。 その時代までは国内観光地が楽だったのですね。 海外からの観光客が激増と言いますが、今の所外人さんはあまり見ません。 外人さんの好きそうなテーマを見つけないと・・・ でも、現状では団体が泊まるところもない・・・ 中国は山東省の出身と言われる「秦の徐福」を使って中国人を引っ張ろうにも。「徐福伝説」は佐賀県、福岡県、熊本県、鹿児島県、和歌山県新宮市、三重県熊野市、名古屋市熱田神宮、清水市、富士山、京都府、丹後、近江など全国に残って居るそうです。 隣の新宮にも押されていますね。 と言うより、新宮と一体になって権威付けしないといけないのでしょう。 でも、何しろ「始皇帝」の時代・・・紀元前3世紀・・・日本では弥生時代でしょう? うんと後世の伝説しかありませんし、それぞれの土地にはそれぞれの謂われが残った居るでしょうしね。 大変ですね。 熊野市も公式訪問するとかしたとか・・・表には出て来ませんね。 使えないのか使う気が無いのか??? ポッチよろしく!!! 人気ブログランキングへ ↑↑↑ 一日一回ポチッと押してください↑↑↑
2016/01/21
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雪もこの辺だけを避けて降ってくれたようです。 それには雪があってもこの海岸線だけは落ちてきませんでした。 他所ほどじゃないけど風もあるし寒かったです。 この10日あまり歩行訓練中ですが、身体が温まるほどの勢いでは歩けないので、歩いても寒いです。 あまり寒いので写真でも撮ればましかなと思ってカメラ握って少し動いてみましたが、「ファインダー除いたら忘れる」と言うような寒さじゃ無かったです。 今のカメラは金属ボディでは無いので冷たくは無いですけどね。 それに、元々、手袋は使わない方なので慣れています。 今、こんなのが来ています。 いつもは居ないけどこの季節に立ち寄るようです。 こんな顔しているけどどう猛なのだそうですね。 大体、鳥の類はほ乳類じゃ無くて恐竜に近いのだそうですから、見掛けより怖いのかも・・・ 浜で「サイレの丸干し作り」を少し撮って、有馬へ行って堤防の建設現場を撮って。ついでに松原のなかの遊歩道も・・・ 望遠ズームを付けたので親地町の街並みを撮って・・・ やっぱりブログネタの写真ばかり撮りたがります。 と言うより・・・ ブログネタになる場所にしか行かないのかも・・・ 私の撮りたい人の写真は撮れないし・・・ デジタルになって一番変わったこと・・・ 何枚撮っても同じなので、フィルム時代には撮らなかったような物を撮るし、カット数も増えるし・・・ フィルムだと白黒自家現像でも36枚でプリントしなくても1000円超えちゃいます。 恐ろしいので対象は絞り込むし、一発で決めようとします。 ポッチよろしく!!! 人気ブログランキングへ ↑↑↑ 一日一回ポチッと押してください↑↑↑
2016/01/20
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かつては日本一に近い海抜を誇った木本堤防ですが、いまでは他所にもっと大きなのが出来ているようです。 近代に入り、土木事業が進歩すると、熊野灘に面し台風銀座のど真ん中にある木本は時代時代で出来るベストを尽くしてきたようです。 浜の高さは随分変動するし・・・ 紀伊半島は浮いたり沈んだりしているようで、それは結構短い周期のようです。 防災面では大きな話のはずですが、学者さんもお役人さんも触れませんね。 今は脇の浜が岩壁になって岩礁が見えないので解りにくいのですが、大泊の浜の石垣突堤がうんと見えたり沈んだり・・・ 日本列島、ひょっこりひょうたん島ですからね。 私の記憶にあるものでも、うんと低かったものから、嵩上げ工事をしていた光景、そして、伊勢湾台風では目の前で高波が越えて、我が家の裏、今は国道になっている所にあった長屋と作業場が潰され流されたのも見ました。 その後で、災害復旧を兼ねて更なる嵩上げ・・・ その改良堤防も大きな被害は無かったとは言え高波に負けました。 堤防が傷んできたので、新堤防が計画、着工されたのに平均海抜は同じ・・・ おまけに位置が11m海の方に出るという無謀な計画でした。 入札直前に発表という無茶なもので、当時は議員でも無かった一市民の私と同じ危惧を持った御仁とで、浜に面した全戸のはんこを貰って、「現存堤防を波が越えているのだから。計画の新堤防は高波に耐えられず、越えることが予測される。計画を強行した時、住民の予想する災害が起きた時、行政は責任取れるのか」という趣旨の陳情書を出しました。 その交渉で取り敢えず位置が5m程下がって既存堤防に半分食い付くという変則的なもので着工しました。 600mの堤防が順次建設中のとき、9月の快晴の日、飛鳥などでは運動会をやって居たのに、台湾坊主のような低気圧が遠く千葉沖にあるのに、三丁目裏と布袋町付近で新堤防を波が越えたのです。 まさに、予想的中! 旧堤防が残されていて、二重堤防だったので民家にも人間にも被害は無かったのですが、取り壊されていたら、その前に越えた時と同じ民家が被害を受けたはずだったのです。 こうなると、行政も「想定外」では済まなく成ったのです。 で・・・ 前に記事の「潜堤」が作られたのです。 新堤防が完成し、旧堤防が壊された代わりに内側の手すり部分をコンクリート壁にして貰いました。 なのに、防災面では全く役立たないアクリル板部分があるのです。 これは、「有識者」?「アイディア団体」?が無責任に提案したものです。 潜堤が無ければ何が何でもやめさせるのですが・・・ とにかく、おかしな、無責任な輩が世の中を動かします。 防災、住民の生命財産より、見場を取りたがるトップも居るのです。 堤防天場は遊歩道になり、夜には埋め込まれたLEDが点灯し、センターが解るようになっています。 横が国道なのでギンギラギンでは無いですが街灯によって薄明かりも確保出来ています。 その遊歩道へ上る階段も急なものが付けられていましたが、最終仕上げで車椅子でも登れる「スロープ」が新出町と二丁目の信号のところに付けられます。 新出町側が先に工事され、型枠はまだ外れませんがコンクリート打ちは終わりました。 型枠を外したら手すり取り付けで完成です。 スロープは写真のように駅からの信号を渡ってすぐから登れます。 反対側の我が家側は緩やかな階段です。 遊歩道は旧消防署のところでは国道と同じレベルです。 二丁目信号のところも同じようにスロープと階段です。 この様に、二箇所の信号からはすぐに堤防天場に上がれますから、車椅子でも熊野灘と七里御浜が見られるようになります。 費用対効果は抜きにして、バリアフリー化も完成です。 普段から市民の皆さんがこの上を散歩しています。 片道500mあまりです。 登っちゃえば平ですし、車に轢かれる心配も無いし・・・ 両端近くには信号と横断歩道はあるし・・・ そのまま獅子岩方向に行けば24時間営業の牛丼屋があります。 されに花の窟神社まで行けばコンビニも・・・ 早い時間なら喫茶店、うどん屋、焼き肉屋、レストランなど揃っています。 熊野の人は優等生、品行方正なので夜になるとコンビニと牛丼屋のように他所の店以外はほとんど無くなります。 もっとも、夜歩く観光客さんも居ませんけどね。 残念なのは、木本側からだと「獅子岩」が「獅子」に見えないんです。 ポッチよろしく!!! 人気ブログランキングへ ↑↑↑ 一日一回ポチッと押してください↑↑↑
2016/01/20
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今日は寒かったです。 気温も昼間で一桁 もうすぐ大寒なのですから当たり前のはずですが、普通より少し寒めになるともの凄く寒いように思います、 ニュースを見れば雪の話題ばかり・・・ 暖かい話は無いし・・・ 外に出れば空には雪の塊が浮かんでいるし・・・ 結構低いところまで落ちてきているようですが、この辺では地上までは届かないで済んでいました。 こんなのが西にあったり北にあったり・・・ そりゃあ寒いよね。 よそでは空全部があれの分厚いのに覆われて落ちてくるんですよね。 ここは降らないだけましです。 きれいに晴れ渡ってきたので今夜は冷えるのでしょう。 飛鳥は昼間でも2℃だったようですから、この時間19時にはマイナスですね。 夜中は-5℃とかには落ちるでしょう。 ほとんどの家がアルミサッシに替えていますが、二重窓なんかじゃ無いです。 肩口が冷えて眠れない人も居るでしょう。 私が子供だった頃には、アルミサッシなんて無かったし、縁側にガラス戸なんて入っていない家がほとんどでしたから、雪が降ると枕元に雪が積もるなんて家があったのです。 もちろん、石油ストーブなんてありませんでした。 40Wとかの定額契約の電気の家が多かったのですから、電気毛布なんて・・・ 法隆寺の火事は和尚さんの電気座布団からだなんて言われたくらいですから、危ない代物だったのでしょうね。 練炭で中毒死する人が一杯居ましたね。 それでも、日本人は生きてきたのです。 暖かいものは湯たんぽと人肌・・・ 子供が増えて当たり前??? ニューヨークでは停電したら子供が増えたし・・・ 以前に山間部が一週間も停電したけど子どが出来たなんて話は無かったです。 Why ? ポッチよろしく!!! 人気ブログランキングへ ↑↑↑ 一日一回ポチッと押してください↑↑↑
2016/01/19
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七里御浜が全国に売り出されたのは、昭和11年(1936)にこの一帯が「吉野熊野国立公園」に指定された時でしょう、 私が子供の頃の社会科の地図には鬼ヶ城などにはマークが入り、七里御浜松原にはピンク色の網掛けが入っていました。 国立公園が粗製濫造になる前の物だったのです。 もっともその頃には獅子岩以南は河口部分以外、切れ目無しで松原が鵜殿まで続いていたのです。 その松原は戦後輸入されたパルプ用木材にくっついてきたと言われる「松食い虫」に枯らされて行きました。 「松食い虫」はカミキリムシの小型のような虫とされていますが、実態はそいつが媒体となって広げる、松の根っこに寄生する「線虫」が悪いのだそうです。 だから、一時やられた空中散布とかの殺虫剤もほとんど効かなかったのです。 かくして、「白砂青松」と言われる、日本らしい松の防風林を供えたきれいな海岸線の景観が変わってしまいました。 戻す試みは井田舞子から始まってあちこちでされましたが、昔の人には育てられた松林も「営林署」には育てることは出来ませんでした。 何が近代林業なのでしょうね。 そして、半世紀前から取り組まれたはずの「松食い虫に耐える松」も実用化されず・・・ そして、少なくとも私が学生の頃までは、砂利浜も二段三段に段を成し、浜の入り口からは波打ち際が見えなかったのです。 砂利は波が仕分けするらしく、大きな石、中くらいの石。細かい石と帯状に別れて並んで居たものです。 それが、ダムが出来て以来徐々に砂利は減るし、細かい石ばかりになり、段が無くなり、ずるずると波打ち際に下る浜になって来ていたのです。 ダムとの因果関係は長年国は認めませんでした。 建設省の終わりの頃に認めたわけじゃ無いけど「無縁じゃ無い」程度に認識は示しましたけどね。 でも、ダムを撤去するなんてあり得ない国ですしね。 この砂利浜に関して、木本海岸だけが近年完成した「潜堤」の二次的効果で昔の姿を少し取り戻してきました。 明らかに太って、波打ち際も20メートルほど沖に出ましたし、砂利の量も増えて、いくつかの段が出来て来ています。 この高波対策が丘からは見えない「潜堤」でやって貰えたので、景観も昔の通りです。 よその海岸では毎面から出て居るテトラポッドが無粋な姿をさらしますし、陸の上の堤防際にもテトラの山が築かれて居ます。 あれでは、自然なんて感じられませんね。 こうして、木本海岸の景観が守られたのは、当時この海岸を所轄していた運輸省港湾部の若い技官が学生時代に熊野を訪れ、獅子岩のところで一日遊んで、こんなに良い浜が日本にも残って居るのだと覚えていてくれたからなのです。 そして、私達が東京まで陳情に出掛けた時の大臣が三重県二区の田村元さんだったのも大きかったです。 木本海岸と木本堤防に30年ほど心血を注いできましたが、こうした幸運が後押ししてくれたので、今があるのです。 こうしたことを知る人も居なくなってしまいましたね。 今は大きな石も少し見られるようになって居ます。 でも、戻ったのが最下流の木本海岸なのです。 紀宝町の井田海岸から羽市木まで潜堤を作ると、2000億円程かな? やって貰えそうに無いですね。 阿田和のCCZの人口リーフはさばけちゃったのかな? 浜が痩せ始めましたね。 よそ事とは思えないのですが・・・ この「七里御浜」・・・ 足場は良いのですが、ポイントが無い! 獅子岩ー羽市木ー花の窟神社付近がきれいなのですが・・・ そして、立石から志原尻までの防風林の中には遊歩道もあるし・・・ 歩けば良いところ・・・ かと言って、宣伝文句も中々思いつかないし・・・ ポッチよろしく!!! 人気ブログランキングへ ↑↑↑ 一日一回ポチッと押してください↑↑↑
2016/01/19
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あのバス事故… あの会社だけが悪いような報道してるけど… 前の夜行バス同様他の会社も一杯同じ事してると思います。 「安けりゃ良い!」 これは、デフレ以来日本の社会の「是」になっちゃいましたからね。 ツアーバスなども、座席数×料金×乗車率からツアー会社のマージンなど引けば計算合わないでしょう。 こうした、計算が成り立たないような料金体制はこの業界では当たり前なのでは無いでしょうかね? 無理矢理自由化しちゃった観光バス会社乱立時代ですからね。 私は大型一種までしか取っていませんが、二種があったらアルバイトで乗れそうな程運転手不足でしょう? でも、そんなに不足している運転手がまともに給料貰えない・・・ バスだけでは無く、長距離トラックも同様みたいですね。 大手の荷主は値切り倒すし… どこにしわ寄せする??? 無理して走るしかないですね。 運送・運輸業界は過疎地と良く似たものでしょう。 60歳なんて若い衆でしょう。 大手も路線バスでも本当の若い運転手なんて見掛けないようです。 この先どうするのでしょう? 今は何とか高齢運転手の再雇用などで繋いでいるけど、10年経ったら… マスコミさんもオチャラケ番組ばかりやって居ないで、こうした問題を本格的に取材したらどうなのでしょう? ??? スポンサーに叱られる??? ならば、日本放送協会なら出来るでしょう。 ??? 下手に触ると政府に叱られる??? こんな話題の時には下手な写真使えませんね。 ポッチよろしく!!! 人気ブログランキングへ ↑↑↑ 一日一回ポチッと押してください↑↑↑
2016/01/18
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熊野市内で御利益という面で一般受けしそうなのは、紀和町楊枝の「薬師堂」でしょうね。 故事来歴も文句の無い重みがあります。 歴代天皇、上皇、法皇の中でも知名度ではベストテンに入る「後白河法皇」が絡みます。 後白河法皇の頭痛平癒のため、建立された京都三十三間堂の棟木として、楊枝にあった柳の大木が切り出された京に送られました。 後白河法皇の頭痛も治ったのだそうです。 その切り株の上にお堂を建て、柳の枝で彫った薬師仏を祀ったと言われる由緒正しき、霊験あらたかなる薬師堂です。 「浄楽寺」と言うらしいですが、「頭痛山平癒寺」と言う寺号もあるとか・・・ 御利益信心の多い今の時代に向くお堂ですね。 このお寺も無住のお堂です。 つまり・・・ 御利益の欲しい人は自力でお参りし、お願いして下さいと言うことです。 せいぜい、「お賽銭をはずんで下さい」位しか、観光には寄与しません。 この方面は行政が直接売り出すには問題もありますが、文化財指定をしているのでもう少し売り出しても・・・ しかし、この「楊枝」も過疎高齢化で観光客が来ても地元では何も出来ません。 道筋も国道168号、和歌山側から三和大橋で三重に渡るのが安全になるのです。 隣の小船の梅まつりも同様なのです。 道路も自家用車には問題ないのですが、観光バスは… 目の前を「熊野川」が流れ、もう大河になっているので空も広く、明るくて良い場所です。 昭和30年頃までなら目の前を長い筏が下って行ったはずです。 この川が交通手段だったので、この一帯の集落は三重県側にあっても、生活圏は新宮でした。 いまでも、買い物は新宮に出る方が便利ですからね。 「楊枝」という地名だし、三十三間堂の棟木の柳を切り出したというのに、柳が見当たりません。 ネコヤナギでは無く柳の木で無くてはなりませんからね。 一般で言う柳じゃ無いのかな? 毎年三月十八日にはお祭りがあります。 今年は金曜日です。 この日には近隣どころは遠くからも信者の方も来られるようです。 残念ながらこの祭に、私は今までお参りしたことがありません。 頭痛だけでは無く首から上の病には効くのだとか・・・ 広義に解釈して髪の毛のことまで効くとも聞きます。 ならば、受験も・・・ ちょっと遅いかな??? 恋煩いは胸ですね。 あそこまで行くのですから、何でも頼んでみた方が良いでしょう。 道のそばですから行けば解ります。 ポッチよろしく!!! 人気ブログランキングへ ↑↑↑ 一日一回ポチッと押してください↑↑↑
2016/01/18
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廃棄処分するはずの食品が横流しされて売られていた。 びっくりしませんけどね。 本当にびっくりした人ってどれだけいるのでしょう? そんな人は無菌培養された人、過去の事件などすぐに忘れる人・・・??? 確かに、あくどいやり方ですけどね。 でも、コンビニの廃棄弁当が食い詰めたアルバイト学生などの生活の足しになっているのに、内規違反だからと言って悪いことにした報道もありましたね。 賞味期限とかの違反で騒ぎますが、お刺身のトレイを買えてツマを入れ替えれば調理日は入れ替えた日になるので号砲だし問題にしませんね。 今の日本、一つの国が食べるほどの食料を捨てていますね。 「異物混入の恐れあり・・・」 「期限が迫っている」 「在庫が半端」 何だかんだで、チェーン店などは無条件廃棄するようです。 おかしな話です。 米の産地やブランド偽装なんて捕まった社長の捨て台詞通り「常識」だと思います。 豚肉、牛肉なども表示はどこまで正しいのやら・・・ それに、野菜などの農薬基準もどこまで守られているのやら・・・ 基準がややこしすぎると言うこともあるでしょう。 消費者と言うよりスーパーなどの仕入担当がやたらと「きれいなの」「そろったの」と要求するからもあるのでしょうけどね。 「どこかの国より少しましかな?」 なのに、世の中の主婦は。「中国のものは怖くて日本のは安全」という神話に酔っていますね。 軍艦マーチと共に流されていたニュースと同質の報道で洗脳されているようです。 若い衆の一部はネットに流される変な情報で「日本だけが正しくて美しい国」なんて思い込んでいるし・・・ 日本人って「レミング」のような所があるのかなあ??? どこへ行くのでしょう??? スキーバスでは昔この辺のバス会社も水の中に落っこちて女子大生?が死んだことがありますね。 その直後、同じ会社のバスでスキーツアーを計画したら・・・ 「落ちたばっかりやで!」という声がありました。 私達の見解は・・・ 「落ちたばっかりやさか、気をつけているからおちんやろう!」でした。 大手の会社ですから対応力がありましたからね。 でも、今の業界は自由化でおよそ営業用バスを走らせるような会社じゃ無いのがきれいなバス走らせていますからね。 バスの運転手って高齢化が進んで居ますね。 昔のようにバスの運転手が格好良い職業では無くなって居ますからね。 大型トラック、長距離も高齢化ですね。 徹夜で走っても昔のように稼げませんからね。 規制を強化しても事故は減らないように思います。 それに、見掛けは良いけど今のバスってペラペラですよね。 乗客の安全なんて考慮されていないのでしょう。 重くなったら燃費は悪いし、窓が小さくなったら格好悪いし… おまけに速度が上がっているし… よそに国を笑う前に、「世界に冠たる日本」、「境最先端の技術国」、「マナーの良い日本」というのなら世界の模範になる様にしなくってはねえ・・・ ポッチよろしく!!! 人気ブログランキングへ ↑↑↑ 一日一回ポチッと押してください↑↑↑
2016/01/17
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記事の前に・・・ 今年の「紀和町小船の梅まつり」・・・ 2月27日土曜日だそうです。 28日日曜は予備日です。 小船に行く順路は和歌山県側168号線を走り、三和大橋から三重県に戻るのが良いでしょう。 駐車場が用意されているし、今くらいの来場者なら楽に停められます。 9時頃から始まり色んな出し物や売店などが出ます。 ここの梅林は農業用の梅です。 そのうちに公式のHPでも出てくると思います。 さて、熊野市は近代になるまでは地の果てでした。 都から近いのに、戦の度に「落人」が南下してきて隠れられるほど僻地でしたからね。 近代になっても紀伊半島を鉄道が一周したのは昭和35年(1760)ですからね。 日本の真ん中にあっても「陸の孤島」なんて呼び名が当てられていたのです。 昭和44年頃から国道42号線の改良が進みました。 熊野市内で佐田坂などが工事されたのは昭和44年(1969)ごろで、私が東京から持って帰った43年式コロナ1600Sのサスペンションが半年で駄目になったものです。 叔母峰越えの169号が改良されたのは更にあとです。 高速(本当は高規格道路)が来たのは2013年(平成25年)9月29日です。 これによって熊野が良くなったかどうかは別問題ですが、素人さんでも熊野へたどり着けるようになったのは確かです。 昨年には169号線の一部改良供用開始もあり、幹線部分の改良は進んでいます。 しかし、市内の個別部分はかなり厳しいです。 例えば、「熊野市の三山」とも言える「大馬神社」は大型バスを入れるのは事実上無理です。 台風12号水害では、井戸川上流になる大馬地区、大馬神社も大きな被害を受けました。 先日、参道の橋は架けられてお参りは出来る様になりましたが、「古代人があがめたであろう・・・」と言う雰囲気の社叢は入り口付近では見られなくなりました。 災害復旧のついでに、駐車場などはきれいになりましたが・・・ すぐ下流の以前にブログに載せた廃屋などのムードある流域も消えました。 途中の谷沿いの道も、大馬地区の人が民間の山を買い取ってまで協力したので復旧されましたが、改良復旧までは行かず、バスの客を連れては来られません。 自家用車でも町の人にはおっかない道かも・・・ おまけに、分岐点の工事の標識が「来るな!」という感じなので、私が帰るときに考え込んでいるよその人が居ました。 鬼ヶ城と言いここと言い・・・観光客など眼中に無いみたいです。 林業振興課、建設課、観光スポーツ交流課、教育委員会など、所轄が違うのでしょう。 官僚主義が染み渡ったのかな??? 破戒された社叢が元に戻ることは無さそうです。 例え植林された杉が100年経っても、神社の社叢らしくはまだまだなりません。 人工的なきれいに作られた谷は傷むことはあっても趣が出ることはありません。 今からは、一段奥に入らないと「大馬神社」は見えません。 神域が崩れて「鬼」が蘇ったような様子はありませんけどね。 この「鬼」・・・ 多蛾丸などは私達の先祖のはずですが・・・ ポッチよろしく!!! 人気ブログランキングへ ↑↑↑ 一日一回ポチッと押してください↑↑↑
2016/01/17
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梅は咲いたか 桜はまだかいな. 柳ゃなよなよ 風しだい 山吹ゃ浮気で 色ばっかり しょんがいな~ なんてのは、今時流行らないでしょうね。 私だって、お座敷で遊ぶ時代の人間でもないし、お座敷に芸者を呼んだり・・・なんて身分でも無し。 端唄だ都々逸だなんてうなるような「若段さん」でも無いし・・・ でも、梅の花を見るとこんなのが浮かんできます。 前世はご大人だったのかも? これは今日1月16日、大馬の梅です。 どこでも今年は早いのだそうです。 早いのは放送しますが・・・ 梅は花のためのものでは無いものが多いのです。 「農産物」なのです。 あまり早く開花して、その後に強い寒波が来ると実が付かないことがあるようです。 今年は寒波が遅れてくるとか・・・ 梅の作柄はどうなのでしょうね? お隣の和歌山県、南部、南部川では梅農家が沢山あります。 役場に「梅課」なんて作っていたくらいです。 「梅御殿」なんて言われる家があったり・・・ でも、不作や裏年には大変なのでしょうね。 ところで・・・ 紀和町小船の梅まつり・・・ 2月末のはずなのですが・・・ 観光協会とか観光公社とか熊野市公式HPには出てませんね。 28日なら日曜日ですが・・・ 何時もながらこうした面では手抜きのし放題??? 「観光立市」!!!を市長も歌っています。 紀和町は熊野市です。 過疎の集落がボランティアの人と一緒に頑張って居ます。 確かに新宮からの客は多いですが、それも観光でしょう? 大事に出来ないのでしょうかね。 私の所にはこうしたニュースは配信されません。 そこそこ発進力はあると思うのですが、「反主流派」だからでしょうか? 勝手にレッテル貼られると困りますね。 ポッチよろしく!!! 人気ブログランキングへ ↑↑↑ 一日一回ポチッと押してください↑↑↑
2016/01/16
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熊野市は戦前の国立公園指定の時に「吉野熊野国立公園」として鬼ヶ城・獅子岩・七里御浜などが指定されるくらい、自然が残され美しいところでしたし、列島改造とかバブルの時にも取り残されて開発の嵐に見舞われませんでした。 だから、今でも自然が残されている方です。 地元では田舎の町ならではの「開発指向」はありました。 「第一次熊野市総合開発」だったかな? 駅から要害山、獅子岩から鬼ヶ城、鬼ヶ城から猪ノ鼻・・・ 十本あまりのケーブルカーの夢を描いていました。 高校生とか中学生の「夢の熊野市」ではなく、「有識者」が集まって作った素案にあったのですから、ばかばかしい話です。 まあ、田中角栄の「日本列島改造論」とか「レジャーブーム」なんてのがあった頃ですけどね。 その次は・・・ 例の「リゾート法」です。 刻任所特の伸びの恩恵を地方にも及ぼそうという趣旨で作られた法律で、最初に三県が指定されました。 宮崎・三重・宮城かな? そして、その三重では尾鷲・熊野が区域指定に入りました。 熊野市では金山に「フルーツフラワーパーク」を作ると言ったり、「スポーツ交流センター」にすると言ったり・・・ 「フルーツフラワーパーク」の時には「日比谷ガーデン」なんてのが来て、コンサル料を何千万か持って帰ったようです。 「スポーツ交流センター」とやらの時には「ミズノ」などがコンサル料をむしり取って行きました。 ゴルフ場など総合的なものには「雨竜企画」なんてのが金だけ持って帰ったし・・・ 最初は三県だけだったのですが、こんな美味い汁が出る法律を他の県が見過ごすはず無く、すぐに29県とやらが指定され・・・ こんなに金もあるはずも無し、コンサル業以外の実施企業が居るはずもなし・・・ そしてバブルもはじけるし・・・ おかげで熊野にはゴルフ場も出来ず変なレジャー施設も出来なかったのです。 でも、それから十数年かな? ゾンビのようによみがえったのが「里創人・熊野倶楽部」なんです。 三重県がよみがえらせたのかな? あれは税金で造成し、設備を作り、事実上ただで実施会社に運営してもらって居るものです。 当初は一杯人もやっとっていたのですが、今では・・・ 最初は雇用促進で人件費の半分ほど補助があったのかな? 一時期は紀勢線を近鉄に売ってしまえと言う論もありました。 近鉄なら「客を乗せる」という感覚がありそうですからね。 国鉄の最後の頃でした。 これも、実現せず・・・ おかげで、大きな開発からは逃れられたのですが。「秘境」というイメージとは少し離れてしまいましたね。 そして、世界遺産指定以降は、「きれいな施設指向」「よその負けない見掛けの施設作り指向」が強くなりました。 「鬼ヶ城センター改築」「湯ノ口温泉全面改築」「瀞流荘大改装」・・・ それぞれ立派なのですが、田舎流に立派なだけで、都会の人が「熊野」に求めているものからは少しずれているような・・・ あのレベルなら全国にごろごろあるんです。 田舎の人が一生懸命、「変な標準語」を喋っているようなものです。 それなら方言丸出しの方が受けるんです。 でも、作っちゃった、出来ちゃったのですから、何とかしなくっては・・・ ポッチよろしく!!! 人気ブログランキングへ ↑↑↑ 一日一回ポチッと押してください↑↑↑
2016/01/16
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この辺は波の荒い海岸線にあるので、春先や雨無し台風になると塩が風に乗って上がってきます。 何もかも塩が巻く・・・ 「塩害」があるのです。 下の写真・・・ 鬼ヶ城センターです。 ここの磯にあるので「塩害」は当たり前です。 建物などはそれに対応した作りのはずです。 公衆便所のドア・・・ 凄い事書いてあります。 「猿」って、ろくな物ではありません。 頭が良い分ずるがしこくなるし・・・ 相手との地位関係を測って行動が変わりますしね。 婆ちゃんや子供だとなめて掛かって威嚇します。 まあ、猿じゃ無くても猫や犬もそうですし、カラスもそうですけどね。 日光では随分昔から猿が観光客を襲ったりするので問題になってきました。 熊野市は数十年前から波田須道とかに野生の猿が姿を見せ、二木島や波田須などに群れが住みつき・・・ 全国の例に漏れず増える一方です。 こいつ等も、集団で居るときは気が大きくなるみたいです。 波田須神社辺りだと宮さんに登って行くと「何か供えるのかな?」と周りの木の上から眺めています。 二つや三つなら良いのですが十も十五にもなると、私でも嫌ですね。 香港のスラムなども怖くなかったですが、猿は嫌です。 猿には可愛いのは居ません。 鬼ヶ城の猿は檻を掛けたら一頭掛かったとか・・・ 奴らは学習しますからそれ以降は姿を見せていないのだとか・・・ 「猿が入ります」で済まないのが「猿」です。 取り敢えずは排除出来ているようで良かったです。 冬になって集まってきた300羽ほどのカラス・・・ 夕方固まると不気味ですが、今の所害の話は聞きません。 「気味が悪い・気色悪い」は聞きますけどね。 今の人は、ヒッチコックの「鳥」を知らないから良いです。 今再放送したら、夕方、木本の浜には出られないし、暮れ時の空は見上げられませんよ。 各地の猿、熊・・・ 神戸のイノシシ・・・ どこか狂っていますね。 ポッチよろしく!!! 人気ブログランキングへ ↑↑↑ 一日一回ポチッと押してください↑↑↑
2016/01/15
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旧紀和町の方は良く解らないのですが・・・ 旧熊野市内では大きなお寺はありません。 「名刹」と言うほどの物が無いですね。 由来、伝承から言えば、飛鳥町神山の「光福寺」は南朝の末裔が落ち延び、終焉の地になったという説があり、菊の紋が残る遺物が残されているような、由緒ある寺のようです。 同様に飛鳥町大又「大義院」なその兄弟が住み、終焉の地であったとか・・・ 何しろ「南朝」のこと故、大正時代に一部破戒されたり、その前には江戸期に火災で貴重品が焼けたとか・・・ その方面の郷土史家なら興味もあるでしょうが、一般人には、「そうなんですか・・・」で終わる話題ですね。 後醍醐天皇の流れ後亀山天皇の孫・・・ 南北朝の争いは知っていても・・・ 飛鳥町神山 光福寺 ここには「じゃじゃっく」と言われる盆踊りがあります。 ほとんど消えかけていたのを復活させています。 この踊りは江戸時代からのもので昔は曹洞宗のお寺でよく踊られていたようですが、今ではここだけ見たいです。 これも、しっかり保存しないと消えるでしょう。 日本中の田舎から伝統芸能などがどんどん消えて居ますからね。 何しろ、この先では『自治体』が消えることになっているのですからね。 お寺は沢山ありますが、貧乏な田舎ですから七塔伽藍なんてあるはずも無し・・・ さらに、今の田舎の現状は無住の寺が増えてきます。 木本町の「極楽寺」は戦後かな?火事で焼失し、今では近代的な本堂になっていますが、「熊野大花火」はこのお寺のお盆行事、「灯籠焼き」が元祖です。 太平洋戦争末期には中断したようですが、戦後早くから復帰させたのは木本人の気概だったのでしょう。 木本には「奥熊野代官所」が置かれ、この地方統治の拠点だったのですが、所詮は代官所だったので、大きな菩提寺なんかも出来ていません。 同じ田舎でも曲がりなりにでもお殿様が居た所などは結構立派なお寺がありますね。 奥吉野なんて何も無いけど、奈良の都の貴族とやらが絡むのでしょうけど立派なのが点在します。 悔しいですが、この方面では観光名所とかにするには勝ち目は無いです。 寺としては古くないのですが、行事で近年有名になって来たのが、井戸町の「一乗寺・日蓮宗」でしょう。 9月下旬、満月の日に行われる「へちまふうじ」 1月8/9日の「だるま市」 にはお参りする人が段々増えているとか・・・ ポッチよろしく!!! 人気ブログランキングへ ↑↑↑ 一日一回ポチッと押してください↑↑↑
2016/01/15
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七里御浜は砂利浜です。 ほぼ全域に堤防が築かれ、陸地側の土地とは縁が切れています。 堤防の無いのは熊野市内では有馬釜の平辺りの300m程だけです。 しっかり深く根の入った堤防が出来ると陸地側の水分もその下を抜けた分しか入りません。 だから、植物には厳しくなります。 少し掘れば砂利も濡れては居ますが日でればうんと深くまで乾きます。 そして、海が荒れて波が来ちゃえばまともに塩水です。 そんな環境でも植物は生き延びます。 堤防が無かった時代よりはうんと減っては居ますが、種が流れ着くと生き延びるのに頑張ります。 写真のは「浜大根」とか言われるようですが、とても潮気に勝てそうに無いのに、木本の堤防の外に生えています。 このところ、潜堤の完成で大きな波が来なくなったので少しこんなのが生えます。 不思議なもので、堤防の外に植物が生えるようになるとゴミまで周りに増えちゃう感じです。 私は流木などは浜のゴミだと思いません。 波の高さに応じて帯状に大小の流木が打ち上げられるのが自然の海岸です。 プラスチックなどの人工物が混じるのが困るのです。 海だって、山から流れ出る流木などがあって始めて豊かになるのです。 流木に虫が付き、それに小魚も付き、カツオなんかも付くのです。 沖縄辺りからわざと竹や木の塊を流した時代もあるそうです。 なんでもどけちゃえば良いというものじゃ無いでしょう。 周りをきれいに清潔になんて言うから、人間も弱くなっちゃったでしょう? 汚せとは言いませんが自然の作用にまで介入するのはいかがなものでしょう? 川や谷を三面張りにして殺しちゃったのと同じです。 毎日シャンプーしてハゲを増やしたのも・・・ ポッチよろしく!!! 人気ブログランキングへ ↑↑↑ 一日一回ポチッと押してください↑↑↑
2016/01/14
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日本の津々浦々に鎮守様・氏神様があり、集落ある所には民衆のあがめた色んな神様が祀られました。 さらに、おおらかな多神教の国は仏教も抱き込んで、氏神様より多いお寺さんを作りました。 仏教の方が平和に国を治めるのに良いだろうという判断が聖徳太子などにあったと言う説もありますね。 八百万の神を生み出した日本はその多神教ゆえにすんなりと仏教も受け入れたのでしょう。 一神教、絶対神のある国だとこうはゆかなかったでしょう。 読み替えがお得意の日本人は、日本の神々と仏教の仏・菩薩・如来さん達とを上手く結びつけちゃったようです。 「本地垂迹」なんてのが出て来て、奈良時代とかからあったと言われる「神仏習合」の考えを積極的に肯定しちゃったのだとか・・・ まあ、民衆からすれば解りよくて御利益があれば良いわけですけどね。 天照大神 = 大日如来、十一面観世音菩薩 八幡神 = 阿弥陀如来 = 応神天皇 熊野権現 = 阿弥陀如来 伊弉諾尊=釈迦如来.阿弥陀如来 伊弉美尊=千手観音 山幸彦=文殊菩薩 ずらりと結びつけちゃったようです。 まあ、神も仏もそれぞれ役割があるのでそれに応じて似たものをイコールで結んだのでしょう。 私などにはこの担当部署がよく解らないので、言われてみればそんなものかと思うだけです。 と言うことで、この辺では那智山が神仏混合時代の形を残していますね。 元々ごっちゃだったのを、明治政府の神仏分離で分けられ、「青岸渡寺」と「那智大社」になっています。 誰が見たってあれは一つのものですよね。 この調子で、ちょっと前と今では神社やお寺は随分変わったのでしょう。 100年ほど前なんてちょっと前なんですからね。 私でも70年超えて生きていますから・・・ 世界遺産登録から10年・・・ この先何が起きるやら・・・ 熊野の地は「信仰の地」として生き残るのか、「観光地」として生き残るのか? この末法の時代、御利益信心が一般受けしそうですが、これは、宣伝力がものを言いそう・・・ 「産田神社の安産の宮さん」 名前は良いのですが少し言い伝えを隠さないと・・・ 御利益が消えそう 「花の窟神社は最古の神社」 そこまでは良いけど。墓所とそれにまつわる部分を隠さないと・・・ 黄泉の国へに入り口で何か御利益を考えないと 「大馬神社」の神域は良いですが、鬼の首伝説は・・・ 列島改造論の頃・・・ 花の窟の山にもケーブルを架けるなんて青写真を引いたこともあるようです。 あの上はもの凄く雄大な景色なんですが、今時それも無いでしょう。 それに神域の上に観光客を上げるなんてのもいけないでしょう。 今に寛大な神様でも・・・ それに、伊弉諾ってすごい怒りん坊だそうですし・・・ もう少し穏やかで優しげな神話を見つけるか、ねつ造するか・・・ 怒る人が居るでしょうけど、神話とか歴史の多くの部分は、創作とねつ造でしょう。 上手く伝えれば100年も経たないうちに本当らしくなるかもです。 マスコミ、アニメ、ネット・・・ 地方創生の金・・・ そっと流せば・・・ ポッチよろしく!!! 人気ブログランキングへ ↑↑↑ 一日一回ポチッと押してください↑↑↑
2016/01/14
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国道の脇には始点からの距離が表示されています。 100mごとに小さな標識、500mでちょっと大きなの。1000mで色付きのやつ・・・ 長距離を走っていると時々見て参考にします。 高速道路のは速度が速いので大きめですね。 この距離はお江戸日本橋の道路元標からの距離では無く、その道路の始点からです。 我が家の前の国道42号線・・・ 以前は松阪だったはずですが、伊勢湾口道路の誘致の頃にがらっと変わり。鳥羽に向かい、海を越えて浜松に行っちゃいました。 だから、この辺で240Km台の表示になります。 この表示が木本町内だけ消えてしまいました。 新堤防が出来てからもあったように思うのですが・・・ 近々国道事務所に行って確かめてみます。 地図を見ながら行動するのでもこの表示は参考になるものです。 鞍馬からは勿論、ここは世界遺産熊野古道の浜街道の一部です。 いまは、堤防最後の工事、「スロープ」が作られていますが、工事に関係ない部分にも無いのです。 なぜ気がついたか・・・ 脚力復活を目指して、歩き始めて、距離を知りたくて道の向かい側を見たら消えて居たのです。 ここ以外の区間にはきちんとありますからね。 ここの歩道には「点字ブロック」が埋め込まれています。 こいつを数えれば距離は出るのですが、何百枚も数えながら歩くと、歩調は狂うし、数は解らなくなるし・・・ 歩いていて気がついたこと・・・ 国道の歩道に「消火栓」三箇所あります。 この下の水道管は「泊水源・幹線」です。 といっても、そんなに径は大きくないはずです。 本格的取水にどれだけ耐えられるやら・・・ 以前に我が家の二軒となりが火事になったとき・・・ 海の水をくみ上げましたね。 本家に設置されていた木本上水道開設時に付けた、『自家用消火栓』では火元の隣の軒先、垂木に細々と水を掛け、延焼を防ぐしか出来ませんでした。 それでも、あの水を掛け続けなかったら、移っていたのかも・・・ 本町側にもありますが、水道管はそっちの方が細いのかな? ポッチよろしく!!! 人気ブログランキングへ ↑↑↑ 一日一回ポチッと押してください↑↑↑
2016/01/13
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昨日の続きみたいな話ですが・・・ 日本は地形が複雑な分、昔は「村」が多かったのです。 今の熊野市になる前、町村は8つ半。でも、明治になる前となると、飛鳥でも大又・小阪・神山などは別の村だったようです。 そして、そうして村々には少なくとも一社の「鎮守様」があったようです。 それに、多神教、八百万も神のおわしまします日本ですから、稲荷さん、庚申様、水神様、天神様、弁天様、山の神、道祖神・・・何でもありてす。 北海道を除けば、神社だらけ祠だらけだったでしょう。 それぞれに謂われが有り、伝説が有り、土着の行事があったと思います。 北海道だって開拓団が元も村の神社を連れて行ったし・・・ 果ては、台湾、朝鮮半島、満州、南方の島々まで・・・ 古事記、日本書紀から風土記類・・・ 紙に書かれた故事来歴のある物でも随分在るようですね。 そして、同じ伝説や謂われがあちこちに・・・ 「邪馬台国」やヤマト王朝の祖が天下った「高天原」でも確定出来ていませんしね。 「歴史は施政者が都合の良いように作るもの」と言われますが、叱られるかも知れませんが、その筋の方がおっしゃる、「歴史」「神話」なんて滑稽無体なのもありますね。 なぜこんな事言うかと言えば、そうした話はその地方では大事な事なのです。 でも、よそから見れば・・・まして、ライバルから見れば・・・ 明治時代に入り、新政府は日本国を「神国」にする方が都合が良かったらしく、「廃仏毀釈」と言われる運動を起こしお寺を破壊し、神社もあまりにも雑多で多すぎたからでしょう、「一村一社」などと言う方針の「神社統合令」まで出したようです。 「神々の郷」、熊野の地・牟呂の地・熊野の地の田辺からこの辺に掛けては2000社もあったものを随分統合させたようです。 内緒で統合しないで祀ったところもあるようですけど・・・ 数百年も千年も続いていた神社もぶっつぶせる程度の物だったのでしょう。 いや、ぶっつぶしたのでは無く「お移り頂いた」「お集まり頂いた」のですよね。 歴史を覚めた目で見るとこうなるのです。 普通の人は思ってもあまり表には出しませんけどね。 政府が大事だと認めたものが「官幣大社」なんて大層なお墨付きを貰ったのです。 古くは「律令時代」かららしいです。 ややこしい制度らしいですが全国に散らばっているようです。 明治以降は国からお金も出るし、金看板で参拝者は多いし大層なところが多かったようです。 戦後はそのご威光も色あせていますけど、社は概ね立派です。 それに引き替え、熊野市の「産田神社」「花の窟神社」「大馬神社」は原始宗教の色が濃く、今流に言えば「パワースポット」なのでしょうが、「観光客が見るもの」は少ないですね。 新宮の「神倉さん」も同様ですね。 霊感が少しでもある人なら、どこが良いか感じるでしょうけどね。 でも、そんな人は何パーセント居るやら・・・長くなるので・・・ 「今日の続きはまた明日・・・」 前武・巨泉 なんて、解る人はもう居ないかな? ポッチよろしく!!! 人気ブログランキングへ ↑↑↑ 一日一回ポチッと押してください↑↑↑
2016/01/13
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昨日今日と寒いです。 でも、昼間の気温は12度も13度もあります。 お正月からぽかぽか陽気が多かったので、これでも寒く感じます。 すっかり温室育ちみたいになっているようです。 夜が寒そうなので、歩行訓練は広間行うようにしました。 予定数を暮れる前に・・・ 今日も11000を越えていますから、夜中に歩かなくて良いです。 階段も市役所5階までを2回、オークワの二階までを1回上り下りしたのでまあまあでしょう。 でも、まだ、足が出来上がらないのですぐに足がしびれます。 町を見ていると車に乗らないおばあちゃん達が家から随分と奥まで歩いてきています。 歩かないと買い物も出来ませんからね。 「歩くのは健康に良い」 なんて言いますが・・・ 若い時からずっと歩いてきた今のおばあちゃん方・・・ 「足が痛い」「腰が痛い」と言う人が多いですね。 そして。テレビでは「グルコサミン」「スクワラン」・・・ で・・・ あのおばあちゃん達のように歩いてきた人でああなのですから・・・ 今からのおばあちゃんは車に乗って歩いてないほどが増えるんですけどねえ・・・ どうなっちゃうのでしょう??? それなら、老齢化が始まるころから強制的に軟骨や鶏の鶏冠を食わせるってえのはどうでしょう? 深夜の宣伝のように効くのでしたらね。 「骨粗鬆症」って、女の人に多いんですよね。 お産に関係あるのかも知れませんが・・・ 丸干しをむしったりするのを禁止して、サイレの寿司も古来のように骨付きにして・・・ ちっとは効果あるでしょうかね? 皆さんの健康を考えて・・・ なんて言っても、叱られそうですね。 でも・・・ 男の人に比べ女の人の方が「丸い囓り」なんてしないことが多かったような・・・ 私は硬い丸干しの時には骨ごと食べるときがあります。 今流の柔らかい丸干しだと、骨が存在を主張するので丸干しが美味しくなくなります。 「カンピンタン」になると、尻尾よりの方は骨より身の方が硬いですね。 昔はお茶でふやかして食べた物ですが・・・ そう言えば・・・ 黴びた餅は削って食べましたね。 青カビが一杯生えると、削っても酸っぱくてカビ臭かった・・・ 「青カビはペニシリンだ!」なんて言いましたけど・・・ ポッチよろしく!!! 人気ブログランキングへ ↑↑↑ 一日一回ポチッと押してください↑↑↑
2016/01/12
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熊野三山は、本宮・速玉・那智になります。 日本書紀によると、その三山よりは遙かに古く、神世の時代からと伝えられるのが、「花の窟神社」であり、その元となる「産田神社」です。 あちこちの有名神社には、それぞれ謂われ、伝説、神話があるものです。 伊勢神宮では、丹後の国「籠神社・このじんじゃ」に始まり、「天照大神」のやすらぐ場所を探して、「ヤマト姫」が畿内を通り南下を続け、「滝原宮」の次にやって来たのが「伊勢の地」だったという、壮大な物語があるようです。 その「元伊勢」籠神社」から「伊勢神宮」までのヤマト姫の旅は、大和朝廷が国を平定して行く家庭に符合するとか・・・ 丹後国・元伊勢・籠神社 私はこの元伊勢はお参りしたことがあります。 天橋立の付け根に位置する、大きな神社でした。 立派な鳥居に立派な社殿・・・ でも、元来神が居られたのはどう見ても右上の小高い山の辺りのようです。 今は祠も何も無いのですが、何かがありそうな場所があります。 この神宮の移動に関してはネットでも色々書かれています。 日本中に神社が有り、古いものは沢山あるようです。 私などからすると、神社の祭神は古い大和言葉のものが多く読むことも出来ません。 産田神社・花の窟神社の伊弉諾・伊弉冉でも普通には読めないでしょう。 こんな日本の神話と神々なので、立派な社殿とかのある所は、参る?見物する?人には解りよいです。 平安神宮・熱田神社・出雲大社・住吉神社なんて格好付いていますね。 新しい明治神宮、靖国神社でさえ、厳かな雰囲気に出来ています。 だから、お賽銭あげてかしわ手打って・・・ 神様側が格好付いていると、参る側も格好付くのでしょう。 奥熊野・有馬・産田神社 こんな観点からすると、熊野市にある由緒ある?『産田神社』『花の窟神社』は古代信仰に近いので、格好付いていません。 「花の窟神社」は国道のそばに位置しているし、駐車場・看板・トイレもあるので、観光バスや一般観光客が立ち寄ります。 「産田神社」は国道から離れているし。道も少し狭いし、駐車場も少ないし、案内掲示もほとんど無いし・・・ ポッチよろしく!!! 人気ブログランキングへ ↑↑↑ 一日一回ポチッと押してください↑↑↑
2016/01/12
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思い立って少し歩き始めたのが、8日・・・ 今日は11日・・・ 4日頑張りました。 それに、誕生日を挟んだので「二歳に渡って」続いています。 どこから見ても「三日坊主」ではありません。 8日 12.023 9日 10.806 誕生日 10日 12.243 携帯電話不携帯で1000歩ほど損 11日 12.555 17時現在 何年も持っていた携帯なのですが、「歩数計」なんてのが入って居ました。 腰のポーチに入っていれば歩数が時間ごとに集計され、概算の距離も出ます。 消費カロリーも出るのですが、この部分は歩幅とか体重とかをセットしないと正確にはならないのでしょうね。 この携帯の元の持ち主は女の子ですから、同じ歩数ならほんの少し距離が増えるかな? 消費カロリーも私の方が重いですから、燃費を言わなければ力学的には多く消耗するはずです。 でも、ダイエットには関係ない歩行訓練ですから歩数だけ出れば上等です。 これだけ意識して歩いてもようやく12000です。 それまでの記録を見てみると、3000とか4000位しか歩いていません。 それも、家の中とか、だらだら歩きとか・・・ これじゃあ、足は弱りますよね。 少し筋肉に疲労が溜まり掛けて居るようです。 このまま続ければ、休まないで歩けるようになるでしょうね。 せめて、30分、2.5Kmはノンストップで歩けないと・・・ 休憩を挟んで2時間10Km、飯食って更に2時間10Km歩けば写真撮りに回れますね。 今の状態では、歩き中風の人の方が健脚です。 この堤防の遊歩道・・・端から端まで1000歩弱です。 昼間は海が見え、夜は漁り火と星が・・・ でも、風が吹くといくら木本でも寒いですね。 それに、同じ道では飽きちゃうし・・・ ポッチよろしく!!! 人気ブログランキングへ ↑↑↑ 一日一回ポチッと押してください↑↑↑
2016/01/11
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1月10日日曜日は、2016年熊野市駅伝でした。 中断されていた時期もあるようですが、新春恒例の行事になっています。 本格的駅伝のようには区間も長く無いし、色んな部門が用意されているので、小学生のチーム、女の子のチーム・・・一般のチームとそれぞれの力に会わせてノミネートしているようです。 消防士など職場の服装したチームから仮装したチームも走ります。 197チームがノミネートしたようです。 遠くは名張に引っ越していった近大高専や串本の子供とかなども居ますし、紀南、紀北の色んな学校やスポーツ団体が来ていました。 チームの集結や準備は市役所前の駐車場です。 広くは無いのですがこれだけのスペースでこなせちゃうんですね。 ここに集結し、中継ポイントまではマイクロバスで送り迎えされます。 マラソンと違い、この送迎が大変です。 参加チームも多いので、各チーム自体での管理が出来ていないと大変でしょう。 回数を重ねて参加チームも慣れてきているのでそこそこ機能しているようです。 市職員さんや体育協会、社協?など色んな人が協力しています。 参加者は市外のチームも多いですが、「よその子」という雰囲気はないですね。 近大高専も出ていっては居ますが、ここではまだ「熊野高専」のイメージが残って居るようです。 このイベントは完全な「参加型」です。 それも地元中心のものですから、スタート・ゴール地点の熊野市駅前だけではなく、沿線あちこちで声援する人が出ています。 売店があるで無し、瞬間に通り過ぎる子供や若い衆に声援を送るために・・・、 これだけの人出とチームが居ても、路線バスはきちんと通しています。 滅多に来ないバスとは言え、極力迷惑掛けない配慮がされていますね。 イベントでもレジャーでも「参加型」は結構強いです。 今年は暖かでしたが、寒い年でも人は出てくれます。 「子供が・・・」、「孫が・・・」、「隣の子が・・・」 声援に固有名詞が一杯飛び出します。 とたんにスピードが上がっちゃうのもほほえましいですね。 やっぱり、地元の子を大切にしないといけません。 この大会はゼッケンにはスポンサーが付いて印刷されていますが、大きな会社もないので資金が集まらないのでしょうね。 参加賞とかが少し侘びしいのだとか・・・ 300チームにもなると・・・ もう少し大事にしてやっても良いのかなとも思いますね。 市の言う、「経済的波及効果」は宿泊を伴わないから少ないのかも知れませんけどね。 「精神的は波及効果」と言うものもあると思います。 ??? 電光掲示板・・・ 「ソフトボール」のはずっと出てたけど、「駅伝」は見なかったような・・・ 「世界遺産花の窟神社1.7Km」も見たけど・・・ 私が気がつかなかっただけかな? 「産田神社奉飯」も無かったけど、これは宗教??? 今の熊野市の判断基準が解りません。 ポッチよろしく!!! 人気ブログランキングへ ↑↑↑ 一日一回ポチッと押してください↑↑↑
2016/01/11
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イベントとかお祭りではほとんど何も買わない私ですが、今日は二品も買って帰りました。 一つは「サイレの寿司・サンマ寿司」です。 この「産田神社」には「サンマの寿司発祥の地」という看板が揚がっています。 そして、この一月の大祭では発祥の地らしく「骨付き」のが出されます。 いくら酢をしてあっても「骨」は邪魔でしょう。 開きや丸干しの骨は食べられますけどね。 「骨付き」は真珠付随の「奉飯」という、子供の成長を祈願するお膳に付いています。 私も、「今から大きくならんし、食べようかいね?」と、言ったら笑われちゃいました。 高齢者も二度目の子供だし、骨を食べないと「骨粗鬆症」なんてのに掛かるんですよね。 今の時代だと、子供より爺さん婆さんの方が見込み客は多いでしょう。 そっち向きの御利益も加えたら・・・ 賛同や境内では「サンマ寿司」が売られていますが、これには骨は入っていません。 そして、商工会議所が数軒のサンマ寿司を預かって、アジに違いを体感する市職を出しています。 でも・・・ それらを普段回に回るのが大変なんですよね。 参拝客も多くないからか、その場で変えるのは遊木の業者さんと、参道のお店だけです。 そして、ここのも「サンマ寿司」になってしまっています。 もう一つ、このお祭りの日だけ売られるのが「粟おこし」です。 婦人会だとかお店だとか何軒も売っていますが、多分同じものでしょう。 何しろ、普段はお目に掛からない名物です。 この二つを買って帰りました。 「粟おこし」って、大阪名物のイメージがあります。 昔は大阪の土産はこれだったのです。 551の肉まん、広田のシュークリームなんて、ずっと後の話です。 この、産田さんの粟おこしもスタンダードで懐かしい味がします。 今の時代流行らないのでしょうけどね。 ポッチよろしく!!! 人気ブログランキングへ ↑↑↑ 一日一回ポチッと押してください↑↑↑
2016/01/10
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新聞や行政の広報誌やブログ・フェイスブックなどの記事で多いのが、「ありました」というやつですね。 新聞社とか行政とかは行事の予定をあらかじめ掴まえていることが多いのです。 それが証拠に当日の現場には記者や職員が来ていますからね。 私はそれならば「予告」を載せてやって下さいと言っています。 ことに、「広報誌」市内全戸に配るのですし、市民のためのものですから、祭りや寄り合いなど出来るだけ申し出て貰って載せて欲しいといくら言っても変わりません。 自分たちの主催のものは一般に余り関係ないのまで載っているのに・・・ 「ありました」の方では色んなのが載るのにねえ・・・ 特定の宣伝は駄目でしょう。 宗教の宣伝は駄目でしょう。 でも、祭りのお知らせとか町内のイベントのお知らせは構わないでしょう。 細かいのを載せるのは面倒でしょうけどね。 この項に関してはトップが替わらないと駄目みたいです。 市民の利便はそっちのけ???とは思いたくないのですが、紙面は時々イメチェンするけど中身は変わりませんね。 電光掲示板だって、ソフトや野球には熱心だけど・・・ これも変わりませんね。 こんな所もトップを変えないとと変わらないのでしょうかね? 私の所にはイベントや祭りの通知とかニュースは来ません。 あくまでも個人のブログですからね。 だから、「あります」記事を多くしようと思っても出来ませんね。 こっちの記事の方が役立つことが多いはずなんですけどね。 話は変わりますが・・・ 月夜は終わったし、風も無いけど「サイレの丸干し干し場」が空っぽです。 沖にも漁り部がぎっしり並ぶ光景は見られません。 居ないのか漁場が遠いのか・・・ 困りましたね。 24日の丸干し1000匹振る舞い・・・ その日は満月・・・ 満月って集魚灯が効きにくいほど明るいのでしょうか? サンマの好きは光りの周波数は? 好きな音は? でも、あんまり研究が進むと本当に根絶やしになっちゃうかも知れませんね。 日本だけじゃなく、台湾・中国」ロシアが狙ってますからね。 この辺の「さいれ」は脂が無いから狙わないでしょうけど、その手前で「サンマ」を根絶やしされたら駄目ですからね。 今の時期・・・ 冬の星座、「オリオン」などがきれいですよ。 オリオン座がもうすぐ星が一つ消えると言われています。 見ておいて下さいね。 「いまなら、オリオン座はあります。」 ポッチよろしく!!! 人気ブログランキングへ ↑↑↑ 一日一回ポチッと押してください↑↑↑
2016/01/10
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冬場の紀州時は穏やかです。 大陸から低気圧が降りてきても、琵琶湖の北と南、鈴鹿から紀伊山地へ続く山に阻まれて勢いがそがれます。 雪も風も押さえられるので、海もべた凪です。 色も日本海と違い真っ青です。 ほんの少ししか離れていないのに随分様子が違いますね。 こちら側に住んでいると、冬場は静かだし、凍えることもないし・・・ 南洋までは行かなくても、南国気質でかなりのんびり屋になる様です。 良く言えば「おおらか」「のんびり」なのですが、北国や日本海側の人に比べると「根性無し」なのかも知れません。 でも、これは「気候のせい!」としちゃえば気が楽です。 こんな風に、季候を免罪符にしちゃうのも「南国気質」なんでしょうね。 まだ、「気候のせい」にする意識があれば良い方かな? 何も考えずにノンビリと・・・ そして、気温が10度を越えていても。「寒いのし!」 今日もべた凪、無風・・・ さすがに「寒いのし!」の挨拶は聞かれませんでした。 少し歩いて浜に出ると暑かったです。 こんなに天気が良いのに、お昼頃、カルバートから脇の浜まで一人も居ません。 まあ、私も写真撮るとき以外にはわざわざ浜には出ませんけどね。 地元の景色とかってそんなものなんです。 熊野の人で「鬼ヶ城」へ行って、千畳敷まで行く人は何人居るでしょう? 鬼ヶ城の周遊道を一周する人は??? 木本や有馬の人で七里御浜に出る人はどれほど居るでしょう? あまりにも身近にあるとこうなっちゃうのですね。 昔はもう少し、浜と町の人が近かったのですけどね。 敷布を洗うと浜に広げて干したり・・・ 布団も浜に干したし・・・ 子供が野球したり喧嘩したり・・・ アベックが波打ち際で・・・ 国道が海の方を通ってから、そんなのしにくくなりましたね。 通行量はそんなに多くないけど、死亡事故もあったし・・・ 良い浜なんですけどねえ・・・ ポッチよろしく!!! 人気ブログランキングへ ↑↑↑ 一日一回ポチッと押してください↑↑↑
2016/01/09
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もう、誕生日は嬉しくないですね。 一休禅師は・・・ 「門松や 冥土の旅の 一里塚」と読みましたが・・・ 誕生日のロウソクも冥土への道を照らす松明かな? 「めでたくも有り めでたくもなし」 さて、先ほどテレビを見ていたら・・・ 1月24日は「さんままつり」だそうです。 やっぱり、「さんま」なんです。 これは「いこらい市」です。 「サンマの丸干し1000本ふるまい」とか燻製の「神さんま」とやらの振る舞いがあるようです。 昨年の振る舞いはそこそこ人が寄っていました。 「白いご飯が欲しい」なんて声が出るのは想定内でしょう。 白いご飯と熱い番茶があれば最高ですからね。 さらに「いこらい市限定特別割引商品券」も宣伝して居ました。 まだまだ売れ残っているので売らないと・・・ 原資は「地方創生交付金」ですからね。 企画が「いこらい市」なので簡単には動かせないのでしょう。 こちらは「スーパーレインボー」と同じ資金源からなのですが、使用期限が年末だったなんて無いようです。 もう、向こうは無効のはずなんですけどね。 延ばして延ばせない話じゃあ無いようにも思いますが・・・、 で・・・ すごいです! テレビコマーシャル?が流れるなんて・・・ あれ、ニュース???CM??? 来場者が増えるかな?????? どの分の予算からかな? 「地方創生」が絡んだら何でもありの可能性があります。 なにせ、国の施策が思いつきみたいなものですからね。 あまり悪口は言いますまい。 24日は丸干し食べに来て下さい。 月夜も終わったのできっと遊木の船も沢山獲ってくれるでしょう。 「神さんま」はサンマの燻製を真空パックしてあるようです。 残念ながら、以前にやったときは普及しないで終わったと思います。 「酒のつまみに良い」・・・なんて言われたのですけどね。 今は、全国あちこちで作られて売られているようです。 見たことも聞いたことも無い食品よりは少しでも聞いたことがある方が手にとって貰いよいのですが・・・ 「おかず」ではなく「珍味・つまみ」的なものに入るでしょうね。 私は晩酌しないし、外では飲んでもつまみは食べないし・・・ まだ、口にしたことないのですが、見掛けたら食べてみて下さい。 「神さんま」ですよ。 生節の「川口商店」さんが作って居ます。 ここは「燻す」プロです。 熊野のイオンでも見たように思いますが・・・ ポッチよろしく!!! 人気ブログランキングへ ↑↑↑ 一日一回ポチッと押してください↑↑↑
2016/01/09
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「清流32号」の新聞折り込みと、ポスティングが終わりました。 家で増刷したのを入れると、大体、7200部です。 熊野市が9200戸弱になっていますから、計算上は78%のカバー率ですが、ポスティングの方は半分ほど新聞折り込みとダブります。 それを補正すると、6400戸ほどに届く勘定でしょう。 つまり、ほぼ70%のカバー率ですね。 カバー率を上げるには折り込み地区を減らし、その地区に手配りすると、ダブリの印刷分安くなります。 でも、その分歩かなくては・・・ と言うことで、三日ほど前から思い立って始めた「脚力復旧」を頑張らないといけませんね。 今やめたら「三日坊主」です。 筋肉が疲労するまでも歩けないのですから、時間が掛かりそうです。 今までは「チャッカブーツ」とか言うやつを履いて居ましたが、今は居ているやつは少し中で足が泳ぎます。 そして、そんなに軽くないです。 何しろ、通販で安いのを買うので買う度に、足に合ったり合わなかったりです。 昔のバッシューの癖から、くるぶしまである靴が好きなんです。 あったところで安全靴や登山靴のようにねんざが防げるでも無いのですけどね。 でも、500m程で足がしびれるのを防がないと、歩行訓練も出来ないし。思い切って「運動靴」買いました。 「スニーカー」なんて呼ぶのは嫌ですね。 でも、ズックのではないし・・・ 今回は靴屋で履いてみてからにしました。 25.5と今の人より明日は小さめですし、上にもないし、脱ぐと何だかちっぽけです。 でも、軽いですね。 片足で、今までのが490g・・・今度のが270g 半分までは行きませんが45%も軽いんです。 高校物理的に言うと220gも思いものを1cm移動させるとエネルギーが・・・ 私は痩せたいのではありません。 このカロリーを賄えるだけの筋肉がないのと、動かした筋肉を元に戻す血流が足りないのです。 取り敢えず、負荷を減らし、普通の距離を歩ける持久力を付けなくては始まりません。 不思議ですね。 キチンと蛋白質も摂って、野菜も食べて・・・ 動かないと、消えちゃうんですね。 脂肪なら貯まるようですが、蛋白質は駄目なんてねえ・・・ 今まで意識して食べた肉はどこへ行ったのでしょう? 随分無駄な事しましたね。 昨日辺りから食べた肉は今までより有効利用されるのでしょうか? 大敵は「寒さ」ですね。 暖冬でも、そろそろ寒波が来そうです。 もう、「寒」に入ったと思いますからね。 ポッチよろしく!!! 人気ブログランキングへ ↑↑↑ 一日一回ポチッと押してください↑↑↑
2016/01/08
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1月10日は連休の中日になりますが、大きめの行事が二つあります。 一つ目は「産田神社の大祭」です。 時 間:10:00~ 神事 随時「奉飯」の受付 12:00頃 弓引き 場 所:産田神社(有馬町) 昨年は取材に行って載せました。 古くから伝わる行事で、「奉飯」はここが発祥と言われる「骨付きサンマ寿司」が出されるもので、子どもが丈夫に成長するのを願って、汁かけ飯・骨付きさんま寿司・赤和えなどが出されます。 結構遠くに行っている子供もお参りするようです。 「弓引き神事」は大馬神社や金山神社でも行われているものです。 不思議なことに見物人があまり居ないんです。 見ちゃあいけないとも言われませんでしたけどねえ・・・ ここも世界遺産なんですが、国道から1Km程離れているし、花の窟神社のように「日本最古」というキャッチフレーズもカブされていないし、地味な社叢だし・・・古道客は少ないです。 ここ産田神社が「お産の場所」そして、花の窟神社は「墓所」で、セットなんですけどね。 観光客にはそんなのって余り関係ないらしいです。 偉いさんの顔が見られるでも無いし、会場を見られるでも無いのに伊勢に行く人が増えるくらいですから・・・ 写真は去年のものです。 二つ目の「新春駅伝」です。 『午前11時10分熊野市駅前スタート 197チームが参加』 と、熊野市観光協会のHPにありますが、1月7日に更新されたばかりです。 検索では以前の私のブログが引っかかってくるくらいしか宣伝されていないようです。 途中で開催されない時期があったりしたのですが、復活したのが1995年とかですから、それからでも20年になる「恒例の・・・」に入る行事です。 ただ、正規の駅伝では無く、色んなコースがあり、仮装して走るチームとかが参加出来る市民駅伝です。 今年も名張へ引っ越していった近大高専(旧熊野高専)のチームが来てくれるのかな? 駅伝コースと産田さんは少しずれていますから、大きな影響はないでしょう。 国道から産田さんへはコースを横切るので少し時間の余裕を持って行かれる方が良いかも知れません。 ポッチよろしく!!! 人気ブログランキングへ ↑↑↑ 一日一回ポチッと押してください↑↑↑
2016/01/08
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株の話ではありません。 「サンマ・さいれ」の話です。 今日のオークワで、地場物の無塩サイレが一匹60円ほどで出て居ました。 そのそばでは、『サイレの丸干し』が4匹で498とか・・・ 正月明けの出漁で揚がったのでしょうね。 「痩せたサンマ」とか言いますが、ちょっと痩せすぎで、いささか惨めなものです。 これを干してもいくら何でも小さいし、すぐに塩がききすぎるでしょう。 安いのですが、これを干して4匹にすると、ようやく298で売れるかな?と言うことです。 干物屋さんはこれをどう扱うでしょうね? 昔ほど、「カンピンタン指向」は無いですしね。 もう少し・・・心持ち大きければ自分で干しても良いのですけどね。 寒くなるそうですし、天気も何とか大丈夫そうなのですが、やめました。 勿論、あれをあのまま焼いても美味しくないし・・・ 今年の年頭の各団体の新年会でのトップの予想・・・ 建前が先に立つとしても・・・ 株は上がるし、企業業績は史上最高を更新するし・・・ 土地まで値上がりするなんて・・・ どうしてもバブルを作りたいようですね。 国の基本の人口が一気に減ると言うことをどこへ置き忘れているのでしょう? 当然、総生産も総消費も減るはずです。 あの、空き家群は? 空きビル群は??? 自分が社長の間は何とか高値に保ちたい? その先は野となれ山となれ・・・ 政治家も財界人もお役人もどこまで無責任で居られるのでしょう? 福島の事故でも誰も責任取らなくて済んじゃったのですから、たかがバブルを煽るくらいは褒められこそすれ叱られることはないでしょう。 なにしろ、総理が煽りまくっているのですからね。 迎合しておいた方が得??? この辺りも、戦前の流れに似ているように思えます。 ポッチよろしく!!! 人気ブログランキングへ ↑↑↑ 一日一回ポチッと押してください↑↑↑
2016/01/07
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