JE2LUZ・熊野

JE2LUZ・熊野

2020/03/17
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カテゴリ: 混在
江戸時代は置くにして、明治以降でこの辺の食生活ってどんな風に動いたのでしょう。
 基本的には「地主」「小作人」の身分があり、商業でも「主人」「奉公人」の寛解、職人の世界でも「親方」「職人」の制度がずっと生きてきました。
 戦争が終わって「農地開放」「労働基準法」などの法整備までとその後では社会構造が違いますから、その影響が日常生活に大きく作用したでしょう。
 都会では[会社」「月給取り」が増えてもこの辺では少なかったでしょうからね。
 家と言って、大地主が居るでもなし、大店もあるではなし…
 それでも木本にも新宮にも料亭があり置屋もあり…
 階層社会がありました。

 明治になると「四足」を食べ始めましたが、祖父の若い頃には家の中では「すき焼き」などしなかったし、本当に鉄の鋤の刃の上で肉を焼いたこともあったそうです。
 でも、鍋の肉は牛ではなく「かしわ」が主だったそうです。
 鶏は放し飼いで夜は家の中の梁などに留まって寝ていたそうです。
 地主の家では牛が飼われ財産だったのです。
 地主でも麦飯が普通で、その比率が家の置かれた状況で違ったそうです。
 アワやヒエも食べられていたい里芋なども主食級だったようです。
 畑でも自由にならない時代もあったのですから庶民の食生活って今では想像できないでしょう。
 「油屋おこん」の話ではないですが「身売り」も当たり前だった貧乏な田舎だったのです。

 そんな時代、山間部のおかずは???
 やっぱり、「漬物」「味噌汁」たまに「干物」だったのでしょうね。
 山働きでも、朝のお粥の実の部分を絞って「わっぱ」に詰め、漬物と味噌を乗せて持っていったそうです。 
 戦後になってくると、ご飯が麦飯になり、「サイレのカンピンタン」の1/3くらいがおかずだったそうです。
 こうした時代の漬物は各家で腕をふるってつけていたはずです。
 高菜でも、今は新漬けですが、発酵して黄色くなった「古漬け」が主ですから、腕の差が出ますからね、
 今では家庭でつけない「こんこ・大根漬け」も着けられていました。
 「真菜」も漬けるし、里芋の茎は「芋がら」として干すし…
 ゼンマイは保存食でできるだけ春にとって蓄えていました。
 それの採取は入会権のように認められていたようです。
 春の筍やわらび・ゴンパチも大事な食料でした。
 今では嗜好品になってしまったものが昔は必需品で生活を支えていたんです。



 私が物心つく頃は戦後で少しずつものが出てきた時代ですが、近所のおばやんや嫁は春になると大きな袋を持って、雑木山や草刈場、道路脇の日の当たる斜面などで「わらびやゼンマイ・ゴンパチを競って採っていました。
 ことにゼンマイは茹でて揉んで乾燥させれば一年中食べられるので、田んぼの石垣や溝の石垣に生えるのまで積んでいました。
 私なども遊びを通り越すほど一生懸命に摘んで回りました。
 だから、今でもどこに生えるかを見分けられます。
 その名残で、毎年一回は権八ぃや蕨を摘んできます。





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最終更新日  2020/03/17 06:00:06 AM
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