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公園の銀杏の木が陽に輝いて金色、葉が風に舞って綺麗「忙しいっ!!」と言ってると、あっという間に日が過ぎちゃうんですね。みんな平等に24時間なんて思えない。以前は午前、午後、夜とめいっぱい予定をこなしていたのに今は。。。いちにち一つの用事があるだけでバタバタ。日が暮れてからのお出かけなんて、考えられないっとか言いながら、電車に乗って出かけた。夏は球場に行くのに、何度通ったかしらここの景色が好き車でも、電車でも、アストラムでも、自転車でもこの川を渡る。久しぶりに会ったのは、中学校の同期生。8月に同期会を開くそうでそのための準備をするのに、今回はうちの小学校が当番ということでお手伝いに呼ばれた。自分たちの中学校はちょうど広島市と合併して三つの小学校が集まって新設され、当時いきなりマンモス校になった。6年間一クラスしかなかった小学校から7クラスの中学校に進学することになっておまけに、なにもかも新しい学校で設備は一番で、給食室も体育館もプールも通学している間に出来ていった。いろんなところから、学校を見に来られ、外国人のお客さんには英語の教師が対応されて(ちょっと先生を見直した)井の中の蛙の私は驚きの連続だった。一応8月までの計画を話して、あとは飲み会懐かしい仲間と言うより今回は三つの小学校、7つのクラスの代表だから3年間の中で関わらなかった人もいて新鮮でした。焼き鳥屋さんで一杯。それからカラオケなんてこのパターン夏が来る前に、小学校の同期会したいねと話も出てちょっと楽しみができました。来年は良い年にしたいな先日出ていた虹。。。わかるかな??
Dec 15, 2011
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先日新幹線に乗って思い出した。さんぼが小学校の高学年で山陽新幹線は開通した。ちょうどさんぼの住んでいた町が広島市と合併するのと同じ時期くらい。ひとつ上のK子ちゃんが、学校代表で隣町の新幹線のトンネル工事の見学に行って、広報誌の記事になっていた。“新幹線が開通したら、広島から東京まで5時間で行ける!”東京はテレビか日本地図でしか知らないので、あんまりピンと来なかった。さんぼが住んでいた所は、バスが一時間に一本あって、バスセンター行きは最終が18時代だった。…(信じられないけれど、出先から帰る時は、バスが間引かれることがあって、待っても来ないことがあった。逆に、市内(と呼んだ)から最終近くで帰る時は、よく貸し切りみたいで、運転手さんと二人だけになったりした。)…たまに親戚が遊びに来ても、ゆっくりしてもらえなくて、いつも寂しく見送った。小学生のさんぼが町の外に出かけることもなかった。新幹線が通ると聞いてもよそごとだった。でも、新幹線が開通して、さんぼの家の2Fの窓から、新幹線が通るのが見えた。さんぼは、晴れた日に屋根に布団を干して、その上でゴロゴロひなたぼっこをするのが好きで、遠く新幹線が通るのを見るとなんか嬉しかった。実際、新幹線に乗って、家を見ようとしても、トンネルとトンネルの間の一瞬で、とても見れないのだけど。初めて新幹線に乗ったのは、親戚が東京に引っ越して、叔母と妹と三人で遊びに行った。中学校1年の夏休み。上野の動物園に中国からパンダが来て、楽しみに見に行ったのに、パンダだけ休みだった。 その新幹線、今は広島東京が3時間ですって
Dec 14, 2007
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歯の手術の後の状態で思い出した。父は男の子が欲しかった。最初の私はともかく、妹が生まれた時は、病院で「女の子です」と聞いただけで顔も見ずに帰ってしまったらしいでも、妹は活発だったので可愛がられてましたょ。ある日、父が「キャッチボールをしよう」と二人を誘った。私は運痴。本当はとても苦手なのだけれど、父に遊んで貰える気持ちが勝って、初めてグローブを持った。そして、でっかいソフトボールを投げた。父からそのボールが返って来た投げることは知っていても、受けることは知らなかったぐぁあああん 顔面直撃 フラフラになりながら妹と交代した。塀の上で座ってみようと、塀に登った…頭の中でお寺の鐘が鳴っている感じフラフラする。足下もおぼつかなくて、塀から落ちたダブルパンチだった。父が「なんしょうるんやぁ?」と半分心配?それ以上に可笑しかったのか、たまらない顔をして声をかけた。 もう、野球なんか せんっ その時のふらふらな状態だったのよ。一週間
Sep 20, 2007
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奈々子のパパさん(http://plaza.rakuten.co.jp/nanapapa/)の主催されるBBQに参加させてもらうことになり、サラダ担当になりました。私が料理?で、思い出した話デス。高校生頃だったと思います。みんなでナタリー(遊園地)に行くことになり、女子がお弁当を作って行くことになった。あのころは、コンビニもないし、冷凍食品もあまりなかったのに、わりとお弁当持参で遊びに行っていた。おにぎり、サンドイッチ、卵焼き、唐揚げと定番のものを作って行ったような。。。お昼になったので、みんなでお弁当を広げた。「おぃ、このきゅうり誰が持って来たんや」「何?あ、それ私塩あるよ~」「え?これを食うんか」「うん」「おぃ、これは…これもサンボか」「うん」はい。最初のキュウリは洗ってそのまんま。後のはゆで卵の殻付き。丸かじりが美味しいんだって~なんで驚かれたか、わからないサンボです。 BBQには葉っぱをちぎって持っていくね
Jun 30, 2007
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サンボのクラスのガキ大将の話 クラスの中でたぶん一番大きかった。そしてやんちゃだけれどしっかりしていた。クラスの誰もが(先生も)一目おいていた存在。といつも同じ事を書く。ルックスもまあまあだったので、初恋の相手って言う女子も何人かいる。(残念だけどサンボは違った。とにかく怖い存在だった。)その彼曰く、「おれ、結構みんなとよう 喧嘩しょうったんで~」「そしたらのう、そいつの兄ちゃんに呼び出されて、おまえかぁってやられよったんっじゃ」「じゃけん、上級生に目をつけられとったんで」それは知らなかった。そうだ。次男坊もクラスに何人かおった。それを最近まで言わなかった彼のプライド(?)にちょっと感動した。
Mar 9, 2007
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“陣地”といったか“ひまわり”だったか、正式の名前はわからない。運動場に円を書いてそのまわりにくにゃくにゃ外の円を描く(ひまわりの花のよう)。そして内の円から細かったり太かったりぐにゃぐにゃ大きく道をつけて反対側の内の円まで戻ってくる。2つのグループに分かれて内の円の中からスタートして道を通って一周して円に戻る。円の外の人は、道の内側にいて、敵が戻るのを阻止して全滅すれば交代。走る敵を突いたり、引っ張ったり線からはみ出したら負け。そんな遊びが大流行したちょっとの休憩時間でも、外に出て足で運動場に線を書いて始める。ルールもやりながら作っていく。「敵を殺したら自分は生き返ることにしようよ」「生き残っている人が死んだ人に命をあげよう。その人がゴールしたらみんなが生き返るけぇ」「服はひっぱたらいけんことにしよう。あぶないけぇ」男子も女子も混ざって遊んだ。放課後は暗くなるまで遊んだ。遊びもおもしろかったし、大勢で遊べるのでみんなが仲良くなった。弱い子も、強い子のおかげで生き返ったし、動かない子だって一つの命でみんなが期待した。“何度?”と言う遊びも、“ドッヂボール”も命を持った遊び。同じメンバー1クラスしかないから、転校生や親戚の子からいろんな遊びを習って、みんなで試した。 いまは、こんな遊びないのかな?
Mar 8, 2007
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小学校のときのクラス会が何年かぶりにありました。男子の幹事が頑張って(?)男子はほとんど、女子はちょっぴり集まりました。最初が卒業して20年ぶりに集まってから、今回までに何度かしましたが、今回初参加の人が3人とそれも嬉しい会でした。6年間1クラスしかなくて、中学校もみんな一緒に上がって、転入転出の出入りはありましたが、長い付き合いです。人によっては幼稚園保育所から高校まで!トカ大学でまた一緒♪なんて人も…おもしろいことに、どんなに外見が変わっても(てこともないか)、話してるうちに関係が戻ってしまうのです。さんぼのお話を綴っている私は、ちびでくろんぼでいじけていた様なところがあって…周りの人はみんなよく出来てすごい!と思っていたのに、意外なことにみんなもそれぞれさんぼと同じような思いをしていたということを発見★小学生って素なんですよね。ガキ大将の彼の話。わし、みんなにどんな眼で見られていたかと思うと、あんまり小学校のクラス会しとうなかったんよ。彼に限らず、オレあの頃はみんなからあんまりよく思われてないと思う…なんて自虐的な思いを告げられたり。それは、みんなおんなじなんよ。と思わず嬉しくなっちゃったりして1、2年のベテランの担任も、3年の新卒の担任もどちらも女の先生で、悪ガキどもは先生を困らせて泣かしました。授業中に立ち歩きはした、流行ったビーだま遊びを裏庭でしたとか、二宮金次郎の銅像のある池に飛び込んで遊んで教頭先生に追いかけられたとか…4、5、6年は同じ担任で男の先生だったのですが、ゲンコツで殴られたとか、サシ(定規)で叩かれたとか、休憩時間に先生のタバコを買いに行かされたとかそりゃもう今では授業崩壊なんて大問題になっている話続出みんなの口から、自分が忘れていたエピソードをいっぱい聞きました。女子が少なかったのがちょっとさびしかったです。遠くに嫁に行っていたり、子育ての最中だったりもあるけど、年月が出にくくなってしまうこともあるのかも?一度参加するとそんな気持ちもなくなると思うのですが。
Feb 11, 2007
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TVで宣伝していた筆入れを買ってもらった。まだ誰も持っていなくて、ちょっと嬉しかった。目ざとく男子がみつけた。「おおっ!サンボの筆入れは像が踏んでも壊れんぶんじゃあ~」と取り上げて…「大丈夫じゃけぇ。テレビでしょうったけぇ」と床に置いて踏んでしまった「ほんまじゃ~スゴイ」って、ほんとうにやる
Feb 7, 2007
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先のお祭りの話でおもいだした。神社にそのころ飼っていた犬“タロー”を連れて、妹と散歩に行った。誰もいない。山の頂上を切り開いているのだが、裏は山である。細い道が木々の中に続く。どこからか知らないおじさんがやって来て、二人に声をかけた。「かわいい犬じゃね。どこから来たん?二人は兄弟?」タローはしっぽを振って喜んでいる。妹も愛想良く答えているし。。。「散歩しよう。こっちこっち」山の中に誘導されている怖い嫌だ自己防衛本能が働いた私「行きんさんな」妹「だってタローが行くんじゃもん」私「私たち、帰ります」それから神社に遊びに行くのはやめた。ほんとは、いいおじさんだったかもしれないけれど、すごく怖かった。妹が警戒しないのが不思議だった。こんな事は今でも昔でもあることだけど、自分を守るのは自分しかいない。最近は言葉巧みに連れ去るのか、子供に自己防衛本能がないのか???
Dec 13, 2006
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さんぼの住んでいたところは山に囲まれていたのだけれど、町(?)の中にこんもりと山がひとつあった。そこに長い階段があって頂上には神社があった。普段は誰もいなくて、友達とよく遊びに行ったりもした。お社の中には、大きな絵が何枚かかかっていて、その中の一枚は産業会館の絵(今の原爆ドーム)である。いつから、どうしてそこにかかっているのか不思議だったけれど、聞くことも無いままである。いつも閑散としていて、ひとりでいては怖い。毎年10月の祝日がお祭りの日と決まっていた。その前になると学級会でおこづかいをいくらにするか話し合った。毎年学年が上がるから、前の年を参考に少しずつ上がった。友達が巫女になったことがあり、巫女舞いを見に行った。羨ましくて母に「なんでできんの?」と聞いたら、「当番じゃないけぇ」だって。準備は町内会で回っていたようで、その時の町内会の中の6年生が巫女をすると決まっていたようだ。お祭りが近づくと、獅子が毎日全世帯を舞って回る。小さい頃は怖くて怖くて、押入れに隠れて終わるのを待った。終わって隣の家に行くと、大急ぎで飛び出して見に行った。新築の家は家の中に入って舞ってもらう。小さい子がいると、元気で賢くなるよう、頭を噛んでもらっていた。獅子舞は神社から遠い順番に回ってくるので、友達が家に来たと聞くと、いつごろ自分の家に来るかがわかった。どきどき、そわそわ、わくわく…お祭りの前夜は、ヨゴロといっていた。夜中中ドンドン音がしていた。というのは行ったことが無かった。静かな山間なので音は聞こえてくるのだが、親は行くことが無く、夜なので友達と待ち合わせも出来なくて、行くことが出来なかった。でも次の日は、毎年着物を着せてもらって、お小遣いを持って出かけた。お参りをして、いろんなお店を回ってアクセサリーを買って、綿あめを食べて、鬼に追っかけられて楽しく過ごした。夜はその出来事をいっぱい話して、次の日友達に会うのを楽しみに布団に入った。
Dec 9, 2006
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サンボのクラスには親分(?)がいました。背が高くて大きい子です。みんなをいい方にも悪い方にも引っ張っていく、いわゆる悪ガキそれについていく、お調子者もいます。2年生の授業中に、大騒ぎして先生に怒られ、それでも逆らって先生を泣かした事件がありました。サンボは先生が怖かったので、その先生に逆らうなんて、すごいとおもってドキドキしてました。学校には、昔洪水で山から流れてきた大きな石で作られた石碑がありました。それは何段かでとても高く積み上げられていました。その横に池があり鯉がいました。悪ガキ達は石碑に登って遊んだり、池に石を投げたり、先生に見つかって怒られることが重なりました。そして、とうとう悪ガキ二人、校長先生から呼び出されてしまいました。みんなもとうとう来たか!ものすごい怒られるぞーと半分おもしろがっていました。呼び出されても仕方ないとみんなが思うほどひどかったのです。教室に帰ってきた二人は、「どうじゃった?」とみんなから質問攻め。「明日は泊まる用意をして来い」と言われた。と二人とも、ちょっと得意げ、ちょっとドキドキそして翌日。二人は校長先生と校長先生の家に帰って行きました。次の日は、登校早々みんなに取り囲まれて報告です。校長先生の家に行って、ご飯食べて、宿題した。風呂も一緒に入って背中をこすった。ほいで、一緒に学校に来たんじゃ。「怒られたか」いや全然怒られんかった。みんな、校長先生の家に泊まった二人が羨ましくなりました。ちょっと落ち着いたかに見えた悪ガキですが、3年の時、新任の先生をまた泣かしてましたって。
Nov 30, 2006
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小学校3年生のときとうとう家に電話がつきました。それは玄関の下駄箱の上に置かれ、真っ黒でピカピカしていました。何度も何度もダイヤルを回し、受話器をとって、プーっという音を確認。眺めていても何処からもかかってくる気配はなし。でも、ドキドキしながら待っていました。サンボの家の周りが一斉に電話線を引いたのでしょうか?同級生の家にもみんな電話がつきました。一人の男子が「お前んちの電話番号何番や」「○ー○○○○よ。じゃ、○くんちは?」「うちはひよこよ」「えっ」あ~745かぁ。へぇおもしろ~その子はみんなの番号を聞いて回ってクラスの電話帳を作ってました。簡単なので、今でも友達の番号覚えています。
Nov 27, 2006
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父はよく怒った。私がよく怒られた。本当に要領が悪くて、妹はさっさと逃げて、一人いつもその場から逃げ出せないでいた。ゲンコツが落ちることもあった。何で怒られたかは覚えていない。TVばっかり見るとか、かたずけをしないとか、手伝わないとか…そんなところかな?父親のイライラを八つ当たりされていたのかもしれない。あるとき、たまらなくなって「もう家を出るけぇ!」と言った。「ああ、出て行け!」と言われた。さて、出ることになったが、行くところが無い田舎のこと夜になると真っ暗。野良犬がうろつく事もある。火の玉を見たと友達が言っていた。怖い今更帰れない。日が暮れる何処へ行こう家の周りをウロウロしていたら、父親が出てきた。多分心配して出てきたんだと思う。私を見つけ、「家出したんじゃろ?はようどっか行け!」「わかっとるよ!」とりあえず家の中に忍び込んで、一晩隠れて明日出かけようあさはかな子供の考えすぐ家の中でみつかった。ものすごく怒られた。今度から家出をするときは、お金をためて、黙って出ようそう決心した。結局、短大出て一年働いて、嫁に行ったのだから、家には長く居なかった。(今は家にいたときと同じ年月が過ぎた)今の子供達は、怒られて家を出ると(年齢が低いほど家の近くにいるみたいだが)探し出すまで帰ってこない。昔は「言う事聞かん子は出て行けー!」と家から出された。泣きながら「ごめんなさい~もうしません~」と言う声がよく聞こえてきた。「ああ、○○ちゃん怒られとる、締め出されとる」と身を縮ませて聞いていた。夜が本当に怖かった。今は24時間営業の店もあちこちあって、夜が明るい。野良犬も火の玉もなくて、優しい大人が声をかけてくる。子供は怒っても怖いものがない。それが怖い
Nov 14, 2006
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小学校6年生の時に担任の先生が「今度から土曜日は授業をしないで学活になる」と言われた。みんな?!「先生それなんねぇ~?」先生「それぞれのクラスで考えてなんでもしていいんよ」「えーっ?じゃ、みんなで半日遊んでもいいん?」先生「みんなで決めたらそれでもいいんじゃ」「やったぁーっ」と言うことで、毎週みんなでいろいろ考えて土曜日の半日を過ごした。近くの山に遠足に出かけた。お誕生日会もした。劇を考えて、グループで発表したりもした。すごく楽しみな週末だった。教委もいろいろ試みていたんだなぁ。と今思う。先生「いずれは、週休二日になって、学校も土曜日は休みになるんで」「ほんま?はようそうならんかのう。。。」学校が週休二日になったのはあれから二十数年たってからのことであった。
Nov 2, 2006
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私と、当時大好きだった一つ年上の人とその友人で喫茶店に入り話した。大好きだった人は教育学部で先生を目指していた。その友人は医学部でお医者さんを目指していた。二人で田舎に行って住むんじゃ。わしは学校の先生をする。全学年でも子供はひとクラスもおらんのんじゃそこは無医村で彼は医者をする。お金がなかったら野菜を持ってきてもらって、それで生活すればいいから、お金もとらん。そう決めとるんじゃ。と二人で頷いた。私も行きたい想像したら楽しそう…照れくさくて言えなかった。私は自分に自信が無くて、大好きな人に自分なんて釣り合わないと思っていた。だから姿を消した。その1年後、事故でお医者さんになるはずだった友人が亡くなった。大好きだった人に会ったのも、友人のお葬式が最後だった。はかない夢だった。今、先生になってるかな?
Oct 6, 2006
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かぐや姫と吉田拓郎の“つま恋”コンサートがあった。31年ぶりだそう。31年前は私は小学生だった。中学生の時、ギターを買って下手くそながらつま弾いた時期があった。友達に引っ張られて(昔からそうだったのね)、授業前とか休みの日に好きな仲間が集まって、私は教えてもらっていた。文化祭でライブをしようということになり、「さんぼもでるんよ!」と言われた。そして、『かぐや姫LIVE』のLPを渡されて「これを聴いて覚えて来い」と言われた。ようわからんまま、持って帰って聴いてみると、なんて素敵しっかりハマってしまいました。でも、このときはもう解散した後だったのです。吉田拓郎、NSPなどの曲をとりまぜて、男女2人4人のメンバーで文化祭で発表そのため猛練習をしましたって。内気で上がり性の私が、ステージの上でマイクで歌うなんて考えられないマイクなしにしてもらい、伴奏だけということで参加ドジなサンボが無事に済むわけ無い暗い会場、ライトを浴びて、キョーレツにあがってしまい何やってるのかわからない体で覚えた演奏でなんとか…はっと会場の誰かと目があったもうパニックひとり演奏が止まりみんなに追いつかないあらら…どうしましょ「さんぼっちゃ~ん」と声援が来た。にっ泣きたいけど笑うしかないでしょつくづくドジなヤツあとで、「どしたん?」「おまえ、間違えて弾けんようなったろぅ?」「次頑張りんちゃいね。応援するけぇ」「おまえだけマイク無かったのぉ、なんでや」いろいろ友達に言われましたって。ギターは卒業と共に解散それきりです。もう弾けません。でも、今では懐かしい思い出。かぐや姫のコンサートまた行きたい。
Sep 25, 2006
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一年生はいつもよく泣いていた。毎日誰かが泣いていた。そこで先生が「そんなに泣いたら涙がなくなって、大きくなってお父さんやお母さんが亡くなった時に、涙が出てこなくなりますよ」と言われた。それは困る!とさんぼは思った。学校では冬に2年に1回学芸会がある。全学年で演劇の発表をする。一年生はよく覚えていないが、冬で子供達が遊んでいて、雪の精が出てきて踊る、何か歌か話があって、みんなで遊ぶ…そんな劇だった。みんなで配役を決めた。雪の精が人気だった。さんぼが、『どうしよう…』と思っているうちにどんどん決まっていく。最後に子供がひとり“おしくらまんじゅう”で遊んでいて、押されて泣く役が残った。“泣く役”だから誰もなりたがらない。(今の子だったら、目立つ役なのできっと一番に決まるんだろうな)先生が「決まってない人?」と聞かれた。「はい」と小さな声で恐る恐る手を上げた。「さんぼさんが、この役ね。あなたはよく泣くので、ピッタリじゃね★」と言われた。もう泣きたくなった。嫌で嫌で。。。劇の練習で泣く声が小さいとよく注意を受けた。よく泣くくせに、みんなの前で泣く役は嫌なのだ!声なんかでない。予行演習があった。他の学年の劇を見て、また他の学年に見てもらう。見ていると、他の学年の2つの劇で泣く子がいる。とても上手に元気に泣いている。すごく安心した。家に帰って、お母さんにその話をすると、泣く“役”がついたことを喜んでくれて、頑張りんさい。と言ってくれた。そうだ!大勢の子供でも、大勢の雪の精でもない。たったひとりの泣く子の“役”だ。上級生のお姉さんも元気に泣いていた。本番当日は元気に泣いた。劇が終わって先生に褒められた♪嬉しかった。
Apr 1, 2006
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1年生から6年生までで、近所でかくれんぼをした。大きいお兄さん、お姉さんと一緒に遊べて嬉しかった。6年のお兄さんが、小さいから一緒に隠れてあげると言った。さんぼはついてって家の影に隠れた。お兄さんは後ろからさんぼをかくまうように隠れていた。でも…?何か変?!抱きついている。さんぼは、ちょっと嫌な気がした。気のせいかもしれない。同級の男の子が通りかかって、「何ショウルン?」「隠れとるんよ!あっちいけえや!!」男の子が行こうとしたので、さんぼも「うちもあっちで隠れる!」と逃げ出した。鬼が変わって隠れなおす時、お兄さんが「こっち!」と手招きする。なんだか怖い。多分自己防衛本能が何かを感じた★ので、もうそれ以来決して近づかなかった。
Mar 26, 2006
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父は戦時中に生まれました。だから兄弟が多いです。末っ子を除いて男ばかりの7人兄弟です。国に貢献してますねぇ…引越しやサンなんて無い時代です。兄弟がどっかからトラックを借りてきて、みんなで手伝ってくれました。でも、今思えば電話も無い時代、どうやって連絡とったのかしら…。やっぱり、手紙でしょうか??引越しも落ち着き、みんなでお昼を食べている時、庭が広いと言う話になり、それでは池を作ろう!と盛り上がり、それからみんなで掘り始めました。おおきな石がごろごろ出てきましたが、男兄弟の力です。見る間に池が掘れました。池は“心”って形なんだそうですね。引越しも終わり、みんなが帰り、新しい家の生活が始まりました。父が仕事の休みに池にセメントを塗り、排水をつくり、噴水まで買ってきて真ん中にくるくる、掘った時に出た大きな石の上に“しょんべん小僧”を置き、植木を植え…ちょっとした庭園を一人で作りました。そして、とうとう鯉を買って入れました。黄金に錦。。。それはとても素敵でした。その池に、さんぼは落っこちたことがあります。あまり深くは無かったのですが、鯉に取ってきたみみずをやろうとして、座って手を伸ばしたら、ぼっちゃん!!近所の男の子も、鬼ごっこをしていて、ぼちゃん!!
Mar 21, 2006
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さんぼは一年生の時ひっこしをしてます。同じ小学校区内で、家が新しくなって学校が近くになりました。さんぼの住んでいた町は、みっつの村が合併して出来た町です。周りを山で囲まれているうえ、山に沿って出来た集落で、メインの道はずっと長いのぼり坂です。なので今でもどこかのどかです。山の一つにハートの形のハゲたところがあって、それはみんなにハート山と呼ばれていました。春にはうぐいすの鳴く声がいつも聞こえます。さんぼの家から近くだったので、よく登って遊んでいました。川も近くてきれいだったので、誰かが上流でクレソンの種を蒔いて、下流にかけて濃い緑の葉と、白い花が咲いていました。晴れが続くと水嵩も浅く、川に入って鮠やタニシを取って遊びました。初夏には夜、蛍がいっぱい飛んで、家の庭まで飛んできたりもしました。ムーミンや赤毛のアンの世界のようです。
Mar 19, 2006
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近所にお金持ちの男の子がいた。そこの家にカラーテレビがあるという。カラーテレビなんて見た事がない。見に来てもいいと言ってくれたので、妹と二人で遊びに行った。3時からあるNHKの「おかあさんといっしょ」をみた。すごい!カラーってすごい!番組の中で音楽にあわせて、模様が変わるところがあった。いつも白黒の濃淡で、形が変わるだけだったのが(それでも結構おもしろかった)、カラーで見るとそれがすごいこんなに綺麗だったのか?☆★ショックだった。色って…家に帰って、カラーテレビがどんなに綺麗だったか、そこのお家が大きくて、テレビも大きくて、またまたカラーテレビが綺麗!家にもほしい!と、妹と二人で母に力説して…お父さんにうるさい!と怒られたさんぼでした。
Mar 16, 2006
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三角すいの鉄の輪を握りぶらさがってぐるぐる回る人気の遊具があった。一人が柱と鉄の輪を持って回し、みんながぶらさがるシーソーのように足が着いたり離れたりしながら回る単純だが空を飛んでいるようで気持ちがいい。でもちょっと怖い。自分の手だけで体を浮かせるのだ。ある日の放課後だった。同じクラスの男の子が校庭にいた。さんぼは学校が近かったので、よく遊びに行っていた。電話もないし、まだ約束なんてしなかった。そこに誰かがいれば遊んでいた。たいてい誰かがいた。その子が、ぐるぐるまわしをぐるぐる回し始めた。いつもは、みんながぶら下がるのでゆっくり回る。男の子「一人で回してみたかったんじゃ、来たら危ないよ」とぐるぐる回していた。じっとみていたけど、やりたくなった。さんぼ「やる!」男の子「あぶないよ」さんぼ「だいじょうぶ。すぐやめるけん」鉄の棒(?)をしっかり握った。ぐるぐる…ぐるぐる…たった一人である。回るのも速い。地に足も着かない。。。怖い。。手が汗ばんで滑りそう。必死にしがみついていた。が、体力(運動神経)はない。すぐに限界が来た。「とめてっ!!」と同時だった。 ぶ~~~ん と飛んだ。ふわっと体が浮いた。わあ~ど.う.な.ちゃ.う.ん.だ.ろ.う。。。?その瞬間って、コマ送りのようで、スローモーションのようで、とーってもゆっくりなのだ。でも、どうすることもできないんだわそして、さんぼはなんと顔からズルッと落ちたのである。ばんざいしたまんま飛ばされたのだからそうなったんだろうか?起き上がったときは、顔がヒリヒリしていた。男の子はちゃんと危ないよと言ってくれたのに、やる!と自分が言ったのだ。情けなくて、かっこ悪くて、痛くて泣けた。わぁ~ん!と泣きながら家に走って帰った。のんきな母である。「どしたん?落ちたん?あーあ」と赤チンを顔中塗りたくってくれた。哀れなさんぼは、ものすごく落ち込んで、次の日学校を休んだ。顔以外どこも悪くないから、行きんさい!と母が言う。いっぱい考えたけど、やっぱり行きたくない。一日だけという約束で休ませてもらった。学校に行った男の子が、みんなに言いふらして、ずる休みがバレバレだった。でも、その男の子が、お母さんと誤りに来てくれた。ぜんぜん悪くないのに…。その子に悪いな。母が「自分で怪我したのだから、気にしなくていいですよ。」といっているのが聞こえると、こんなに大怪我なのに!と思うさんぼだった。それから低学年は使用禁止となった。今は小学校から消えている。もっと面白い遊具も消えている。
Mar 15, 2006
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今は、入園前にしっかり理解しているけれど、昔は学校に上がってから習うことだった。おっとり育った(こればっかりでごめんなさい)さんぼは何も教わってなかった。さんぼで学習した母は妹にはしっかり教えてましたけど…先生「こっちが右。こちらが左です。解りましたか?」は~い先生「じゃ、○○クン!こっちは?」「ひだりです!」先生「よくできました。じゃあ…さんぼさん。こっちは??」さんぼ ひぇ~!!あ、当たった。ドキドキ「…みぎです」先生「ほんとにそうですか?」えっ?だって、こっちでおはし持つし…でも××くんは逆で持つって…どうしよう、違うんだろうか。何で聞き返すの?もじもじ。。。先生「△△さん?」「みぎです」先生「そうです。あたってました。こっちでおはしを持ちますよね」当たってたんだ!よかったんだ♪××「ボクはちがうよ~」先生「ぎっちょの人は反対ですね。」あれぇ~どっちだったんだ?はしはどっちで持つんだっけ?わかんない!もうパニック★それ以来、いまだに右手をぎゅっとしてはしを持つ方を確認する癖がついてしまったのでした。
Mar 14, 2006
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友達が怒られていても、いつも自分が怒られてると思っているさんぼでしたが、あまった時間に「自由帳に好きな絵を描いてていいよ。」と先生が言われ色鉛筆で水仙の花を描きました。校庭に咲いていたのを覚えていて、ちょっと描いてみたのでした。たまたま通りかかった先生が、「自分が描いたの?へぇ、上手じゃない!」と言ってくれたのです。始めて褒められました。自分でも気に入った出来だったので、すごく嬉しかった。それから絵だけは自信がありました。さんぼの母も絵が好きで、よく新聞紙や広告の裏にクレヨンで絵を描かせていました。まだ読んでいない新聞紙に落書きして、よくしかられましたっけ。
Mar 13, 2006
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一年生の一学期は先生は大変!今の子はしっかりしているようだけど、あの頃は幼かったのかなぁ?「せんせい!しょんべん行きたいっ」「きゅうけい時間にちゃんと行きなさい!そのためのきゅうけい時間です。」授業中に言える子はいい。授業中にじょわ~「あっ!○○もらしとる」「なんでさっきのきゅうけい時間に行かんかったんですか!?」女の先生だったけど、厳しい先生だった。たまに男の子でも女の子でもそんなことがあって、おもらししただけで恥ずかしいのに、みんなの前で怒られてしくしく泣いている子を見て、可哀想で辛かった。それがひとごとでなくなった。授業が始まってしばらくして、おしっこがしたくなった。がまんできないかな?先生に言おうかなあ?また怒られたらいやだなぁさっき、行っとけばよかったなぁでも、さっきのきゅうけい時間は行きたくなかったもんなあはやくきゅうけいにならないかなあ・・・あ、言わなくちゃ、もうがまんできない。いつ言おう。先生はずっと話してるし。怖いなぁ。もう ダメだ じゅわぁ~~でたあれ、誰も気がつかない。。。突然後ろの子が「おっ、さんぼがしっこしとらぁ~!!」先生「えっ?!どうしたん?何で言わんかったん?」「ちゃんとできん子は、おしりに注射をするよ!」「さっさとお便所に行きなさい!!!」教室を出されて、お便所の前で泣いた。ええん、えーん先生、大きい注射持ってきて、おしりに注射するんだろうか?他の人がしたときは注射なんて言わなかったのに。もう出た後だから、何にも出ないのに、いつまでここにいればいいんだろうか?しくしく。怖くても言えばよかった。でも、よう言わんし今度からは出なくても、きゅうけいにはぜったいお便所に行こう。授業中なので学校はとても静か。きゅうけい時間になったら他の学年の人が出て来るよぉしばらくして先生が「もういいよ。今度からはちゃんときゅうけい時間に行こうね。」と優しく言ってくれた。「うんうん。ヒック」まったく出来ない子の典型。忘れ物は多い。発表なんてとんでもない。先生の前では緊張して声が出なくなる。先生も困っていたと思う。教室で大きい子は、はきはきして先生にもよく褒められていた。いつも注意ばかり受けていたが、おっとり育ったせいで、先生がどんなにあきれようと、深く気にせず、学校が嫌になって休んだことはなかった。もっとも気にしていたら、もっとよくできていた。
Mar 12, 2006
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給食が始まった。一年生には給食当番はない。六年生のお兄さんお姉さんが準備をしてくれる。その後の掃除も当番で六年生がやって来る。おっとり育ったさんぼは、食べるのもとても遅い。好き嫌いは無いほうだが、アルミの容器に入った脱脂粉乳は、どうにも嫌いだった。熱いので、膜が張ってある。それが気持ち悪い。全体的に量も多い。今では、給食の強制はしないらしい。(うちの子はおかわりしていたんだと)毎日給食が時間内に食べられないので、先生が残さず食べましょう!と食べ終わるまで席から立ってはいけないと言われた。さんぼは、みんなが外に遊びに行っても、掃除の六年生が来て机を全部後ろに下げられて、掃除が始まっても給食を食べきれずに椅子に座っていた。何人かいたはずが、気がつけば最後の一人になっていた。涙が出てきた。六年生のお姉さんが見かねて、「もういいね」と先生に隠れて給食を下げてくれた。そのお姉さんは、次の日も下げてくれた。優しいお姉さんが大好きだった。
Mar 11, 2006
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といっても、全学年一クラスしかありません。さんぼは3月31日生まれで、クラスの中で一番最後に誕生日が来ます。入学式は6歳になってすぐでした。家では二人姉妹のお姉さんでしたが、体は小さくおっとりした両親におっとり育てられたので、いつもみんなのサンポ後(苦笑)をついていってました。だからよく解ってないまま小学校に入学しました。 入学式の後で教室に入り、名前の書いてある机の席につきました。隣を見ると、さんぼより色の黒い意地の悪そうな男の子でした。ギョロっと睨まれて、怖くて心細くて泣きそうでした。次の日からは、近所の2年生に同級生と連れられて3人で行きました。幼稚園から一緒のお友達でしたので、幼稚園の続きと思っていました。毎日迎えにきてくれるのですが、そのうち朝、家を出る時にいつも頭が痛くなりました。お友達に先に行ってもらい、お母さんが仕事に行くのと一緒に家を出ていました。覚えていませんが、毎日遅刻していたと思います。あるとき、お母さんが「そんなに頭が痛くなるのなら、どこかが悪いから病院に行って検査してもらわんといけんねぇ」と言いました。病院と聞いて、注射がだいっ嫌いなさんぼは、頭が痛くても我慢することにしました。次の日からは、迎えに来てくれた友達と学校に行きました。むかし幼稚園の時予防注射に、お母さんに騙されて連れて行かれた事のあるさんぼは、また黙って病院に連れて行かれたらほんとうに嫌だったから。
Mar 9, 2006
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さんぼが行った小学校は、山の中腹にある木造の古い学校です。校庭の塀沿いに桜の木があり、大きな銀杏の木が一本ありました。秋には銀杏の実がいっぱい落ちてきて、各自割り箸を持って登校して朝礼の後に全校児童と先生と銀杏拾いの日がありました。むかし大きな水害があって、山から転がってきた大きな石で造られた記念碑もありました。池には鯉が泳いでいて、二ノ宮金次郎さんのしばを背負った石像もあります。やっぱり木造で広くてちょっと暗い講堂では、学校行事で映画の上映会や、能、観劇もありました。2年に一回劇の発表会もありました。そんな学校でのお話を書いていきます。本当はこれが書きたくて始めたブログです。
Mar 8, 2006
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