JEWEL

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北極星の絆 1

海斗が両性具有設定です、苦手な方はご注意ください。

「鬼だ!」
「鬼が来たぞ、逃げろ!」
バタバタと、子供達が逃げる足音が池の方から聞こえたので、森崎和哉が池へ向かうと、そこには全身ずぶ濡れになった幼馴染であり許婚の姿があった。
美しく桃割れに結われた髪は乱れ、髪と同じ色の振袖は泥だらけになっていた。
「海斗、どうしたの?」
「和哉、俺は鬼なの?」
「そんな事ないよ、海斗は可愛いよ。」
「本当?」
「うん。」
和哉の許婚・海斗はこの世に産まれ落ちた時、炎のような鮮やかな赤毛をしていた。
黒髪の者が多い日本では、海斗の存在は異質なものだった。
それ故に彼は家族や周囲の者達から“鬼”と呼ばれ、海斗はいつも近所の子供達から苛められた。
「恐ろしい、あの子は必ずや東郷家に災いを齎す事でしょう。」
「お義母様、どうすればあの子を守れますか!?」
「あの子を娘として育てるのです。そうすれば、この家に災いは降りかかりません。」
海斗が産まれた時、友恵は姑・洋の助言を受け、海斗を娘として育てた。
「母上、只今戻りました。」
「お帰りなさい、和哉。まぁ、海斗様、どうされたのです!?」
和哉が海斗を連れて帰宅すると、和哉の母・千春は慌てて泥だらけの海斗を風呂場へ連れて行くよう女中に命じた。
「母上・・」
「友恵様に使いを出さなくては・・」
目の前で狼狽えている千春を見て、和哉は嫌な予感がした。
その予感は、的中した。
「奥方様、東郷の大奥様が・・」
「わたくしの孫が、迷惑を掛けましたね。」
「い、いいえ・・」
「海斗は?あの子は何処です?」
「海斗様は、全身泥だらけでしたので、お風呂に・・」
「全身泥だらけですって!?一体あの子に何が起きたのですか!?」
「あいつらが、海斗を苛めたんだ!」
「あいつらとは、誰です?」
「和哉、部屋に行ってなさい!」
「ですが、母上・・」
「洋様、息子のご無礼をどうかお許し下さい。」
「千春さん、顔をお上げなさい。和哉さん、息子を助けて下さってありがとう。」
「僕は当たり前の事をしただけです。」
「これからも、海斗を守ってやって下さいね。」
「はい、わかりました。」
「お祖母様・・」
「海斗、迎えに来ましたよ。」
洋は、清潔な着物に着替えさせられた海斗を見てそう言った後、安堵の笑みを浮かべた。
「お祖母様、どうしてわたしは男なのに女の格好をしているのですか?」
「それはお前の為なのですよ、海斗。お前を守る為なのです。」
まだ子供であった海斗は、その時自分が“普通”ではない事に気づいていなかった。
“その事”に気づいたのは、海斗が洋から薙刀を習い始めた時だった。
稽古用の木刀を手に、洋と突きの練習をしていた時、海斗は額を切ってしまった。
「海斗様、大丈夫ですか?」
「額に血が!」
「誰か、お医者様を呼んで来て!」
海斗は手拭いで額を拭った後、額の傷が塞がっている事に気づいた。
「お義母様、海斗は大丈夫なのですか?」
「大丈夫です。」
洋はそう言うと、布団の中で眠っている海斗を見た。
「友恵、今日の事は誰も話してはなりませんよ。」
「わかりました。」
それから、長い歳月が過ぎた。
17となった海斗は、家を飛び出して試衛館という剣術道場で暮らしていた。
何度も友恵と洋が家に連れ戻そうとしたが、海斗は頑として家に帰ろうとしなかった。
試衛館は江戸市中から離れている多摩に道場を構えており、天然理心流という剣術を門下生達に教えていた。
天然理心流は、剣術の他に柔術など、実戦に近いものだった。
型にはまった道場剣術よりも、実戦で役に立つ剣術を習いたかった海斗にとって、試衛館は最適の場所だった。
今日も海斗は、試衛館で稽古に励んだ。
「東郷君は、最近腕を上げたな。」
「ありがとうございます、若先生。」
近藤勇は、屈託の無い笑みを海斗に浮かべた。
「あれぇ、君今日も朝早くから稽古を受けてるの?熱心なのはいいけれど、無理はしないでね。」
沖田総司はそう言うと、翡翠の瞳で海斗を少し呆れたように見た。
「近藤さん、今日は土方さん来ないんですか?」
「トシは今日、実家で用事があるから来られないそうだ。」
「へぇ、残念だなぁ。東郷君を土方さんに紹介したかったのに。」
「まぁ、トシとはいつでも会えるさ。」
「トシって、誰なんですか?」
「近藤さんの親友で、薬の行商をしているよ。黙っていれば美人なのに、口が悪いしわがままだし・・」
「誰が、口が悪いって?」
「あ、噂をすれば、だ。」
海斗が声のした方を見ると、そこには一人の青年が立っていた。
射干玉のような美しく艶のある黒髪を背中でひとつで纏め、雪のように白い肌を少し赤くして、美しい紫の瞳で総司をその青年は睨んでいた。
「土方さん、この子で最近入門して来た東郷海斗君。」
「はじめまして、東郷海斗です。」
「東郷、確かこの前、八郎の道場で同じ名前の奴を見かけたな。」
「あぁ、それは俺の弟です。」
「へぇ、そうか。そういえば、お前の弟から預かって来たぜ。」
「ありがとうございます。」
歳三から文を受け取った海斗は、その文に目を通した後、溜息を吐いた。
「何て書いてあったの?」
「家に帰って来いとさ。祝言の準備があるからって。」
「祝言!?君その年で結婚するのか!?」
「いいえ、俺は“嫁ぐ”身です。」
「え、どういう事?」
「実は・・」
海斗は、近藤達に許婚と、家の事情を話した。
「へぇ、身分が高い人は色々と大変なんだね。」
「えぇ、まぁ・・暫くこちらを留守にするので、色々とご迷惑をお掛け致しますが・・」
「大丈夫だ。祝言が終わったら帰って来なさい。」
「ありがとうございます、若先生。」
こうして、海斗は二週間ぶりに実家へと戻った。
「お帰りなさい、海斗。お風呂をわかしたから、お入りなさい。」
「はい。」
風呂に入った海斗が自室に入ると、美しい白無垢が衣紋掛けに掛けられていた。
「美しいでしょう。この白無垢は、東郷家の女達が代々受け継いで来た物なのですよ。」
「お祖母様・・」
「海斗、お前は男ですが、昔のように女の格好をなさい。」
「俺は・・」
「お前の為なのですよ、海斗。」
そう言った洋の顔からは、表情が読み取れなかった。
「お祖母様、俺は一体、何者なんですか?」
「もう、お前も良い年だし、これ以上隠しても無駄のようね。」
洋は深い溜息を吐いた後、海斗に“ある話”をした。
それは、東郷家の“呪われた血”の話だった。
平安の世、海斗のように赤い髪の“姫”が産まれた。
その“姫”は、かつてこの国を揺るがした鬼の一族の末裔だった。
“姫”はやがて人間と恋に落ちたが、その恋に破れて自害した。
“姫”は死の間際、自分を討ち取ろうとした父親に、こう言い放ったという。
『わたしの呪いは、末代まで続く』と。
「お前が産まれた時、わたしと友恵は血の呪いからお前を守ろうと、お前に女の格好をさせました。けれどもお前は、血の呪いから逃れられなかった。」
「お祖母様・・」
「海斗、わかっておくれ。何もわたし達は、お前が憎くて女の格好をさせている訳ではないの、お前を守る為なのよ!」
洋は、そう叫ぶと泣き崩れた。
海斗はそれ以上洋に何も言えなかった。
祝言を迎えるまで、海斗は洋と友恵の元で花嫁修業に励んだ。
二人は幼少の頃と比べて海斗に松脂のように纏わりついて来なかったが、自由気ままに過ごしていた頃と違い、いつも二人に監視されているような気がして良かった。
そんなある日、海斗は三味線の稽古の帰りに花見をしようと足を伸ばして寛永寺へと向かった。
春の盛りを迎えたそこは、満開の枝垂れ桜が咲き乱れていた。
(うわぁ、綺麗だなぁ・・)
桜の美しさに見惚れていた海斗は、近くを歩いていた男とぶつかってしまった。
「ごめんなさい!」
「前を向いて歩けよ。」
海斗とぶつかった男は、目つきが悪い男だった。
腰に二本の大小を差している男の身なりを見た海斗は、最近上野辺りに西国からやって来た浪士達の溜まり場になっているという噂を、使用人達が話していた事を突然思い出した。
「何じゃぁ、ここいらでは見かけん身なりの娘じゃのう。」
「良く見れば、上玉じゃのう。」
いつの間にか、海斗の周りを男の仲間と思しき数人の浪士達が取り囲んでいた。
海斗は咄嗟に帯に挟んでいた懐剣を抜き、浪士達を睨んだ。
「近寄るな!」
「威勢の良い娘じゃ。」
海斗は懸命に懐剣を手に浪士達と戦ったが、多勢に無勢で、彼はあっという間に浪士達に動きを封じられてしまった。
「離せ!」
「大人しくせぇ!」
「見た所、生娘じゃのう。」
逃げようとしても、振袖の所為で動きが制限され、裾が邪魔で浪士達の股間を蹴る事も出来ない。
「誰か~!」
「助けを呼んでも無駄じゃぁ・・」
海斗に向かって下卑た笑みを浮かべながら、振袖の身八つ口の中に手を入れようとしていた浪士の一人が、突然後頭部を何者かに殴られ気絶した。
「嫌がる娘を無理矢理手籠めにするのが、西国の作法かい?」
「何じゃぁ、貴様!?」
「やれ!」
突然の闖入者に気が立った浪士達は、次々と刀の鯉口を切り、彼に襲い掛かった。
だが男は浪士達の攻撃を次々と躱すと、腰に差した木刀で彼らを倒した。
(凄い・・)
試衛館で幾度となく近藤や総司の稽古を見て、彼らの見事な剣技に驚いた海斗であったが、目の前に居る男も彼らと同様、かなりの剣の遣い手である事は確かだ。
「クソ、覚えちょれよ~!」
「怪我は無いか、娘さん?」
「はい、助けて下さり、ありがとうございました。」
そう男に礼を言った海斗は、目の前に立っている彼の顔を見て、まるで雷に打たれたかのようにその場から動けなくなった。
自分は、“彼”を知っている。
遥か昔、自分がこの世に生を享ける前、“彼”と共に大海原を航海した記憶が、海斗の脳内に津波のように押し寄せて来た。
「どうした?俺の美しい顔に見惚れたか?」
「はい・・」
海斗は咄嗟に嘘を吐いたが、男の顔は稀に見る程の美男子だった。
白い肌、良く通った鼻筋、形の良い唇、そして金色の美しい髪をなびかせ、海のように美しく蒼い瞳を持った男の顔は、この国では珍しいらしく、先程若い娘達が時折擦れ違いざまに男に対して好色な視線を送っていた。
「あの、あなたのお名前は?」
「俺は、ジェフリー=ロックフォード。そういうあんたの名は、娘さん?見たところ、何処か大店のお嬢さんか、武家のお姫様にしか見えないが・・」
「俺・・わたしは・・」
「海斗!」
突然海斗と男―ジェフリーとの間に割って入って来たのは、海斗の許婚である森崎和哉だった。
「和哉、どうしてここに?」
「君が中々帰って来ないと静さんから聞いて、もしかしたらと思ってここへ来たら・・」
「ごめん和哉、心配かけて。もう帰ろう。」
「あぁ。」
海斗は去り際、ジェフリーに一礼して彼に背を向けて歩いていった。
「ジェフリー、捜したぞ。一人で勝手に行くなと、何度言ったら・・」
ジェフリーが赤毛の武家娘を見送った後、一人の青年が彼の前に現れた。
黒褐色の髪に、右目に黒絹の眼帯をつけたその青年は、灰青色の瞳でジロリとジェフリーを睨んだ。
「ナイジェル、済まない。さっき若い娘が浪士達に絡まれていた所を助けたのさ。」
「どんな娘だ?」
「赤毛で、黒真珠のような瞳をした娘だった。その娘は、俺の顔を見た途端、泣きそうな顔をしていたんだ。」
「どうせ、また嫌がる所を迫ったのだろう?」
「いや、あの娘は俺と“誰か”の顔を重ねているように見ていた。」
「後でお前の与太話を聞いてやるから、宿へ戻ろう。」
「あぁ。」
あの娘とは、また会う事になるだろう―ジェフリーは親友・ナイジェルと共に寛永寺を後にした。
「緊張しているの、海斗?」
「うん、少しね・・」
紋付きの羽織袴姿の和哉は、そっと震える海斗の手を握った。
白無垢の角隠しの隙間から見える彼の顔は、仄かに紅くなっていた。
今日は、自分達の祝言の日だった。
三三九度の盃の儀を終えた二人は、森崎家で披露宴を行った。
それは、深夜まで続いた。
「疲れたね。」
「うん・・」
「海斗、急な話なんだけれど、僕は来月京に行く事になったんだ。」
「京へ?」
「大丈夫、毎日手紙を書くし、半月もすれば戻って来るから。」
「そう・・」
一月後、和哉は海斗を江戸に残し京へと旅立った。
彼は毎日海斗に文を送ってくれたが、それが途絶えたのは、丁度和哉が上洛して半月後の事だった。
不安な気持ちを抱えたまま、海斗が試衛館へ向かうと、近藤達が何やら興奮した様子で何かを話していた。
「皆さん、何を話していらっしゃるんですか?」
「おお東郷君、久し振りだな。あ、今は森崎君だったな。」
「東郷で良いですよ。」
「そうか。実は、浪士組の隊士の募集をしているから、俺達も参加してみようと思ってな。」
「浪士組?」
「身分を問わず、上様の警護をする為京へ向かうそうだ。」
「京・・」
海斗の脳裏に、自分に笑顔を浮かべていた和哉の姿が浮かんだ。
「俺も、行って良いですか?」
「勿論だ!」
試衛館で稽古を終えた海斗は、実家へと向かった。
「お祖母様、母上、お話があります。」
「珍しいわね、お前がそんな風にかしこまって・・」
「俺、京に行きたいんだ。」
「何ですって!?」
友恵はそう言うと、海斗の頬を平手打ちした。
「京に行くなんて、許しません!」
「和哉を捜したいんだ!あいつが帰って来るのをじっと待っているのは嫌なんだ!」
「どうしても行くというのであれば、親子の縁を切りますよ、それでも良いのですか?」
「もう、俺は誰に何を言われても、京へ行く。」
「ならば、勝手にしなさい!」
海斗は友恵と言い争った後、自室で荷物を纏めていた。
そこへ、洋がやって来た。
「どうしても行くのですね?」
「お祖母様、申し訳ありません。」
「これを持っておゆきなさい。何かの足しになるかもしれません。」
「ありがとうございます。」
「京は物騒だと噂では聞いておりますから、気をつけて行くのですよ。」
「はい・・」
こうして海斗は、近藤達と京へと向かった。
「見ろよ、あの赤毛・・」
「本当に日本人か?」
ヒソヒソと、悪意ある囁き声が聞こえ、海斗は拳を握り締めた。
「大丈夫?あいつら、黙らせようか?」
「気にしていませんから・・」
物心ついた頃から、この赤毛の所為で周囲の人々から心無い言葉を投げつけられて来た。
海斗を理解してくれたのは、和哉だけだった。
(会いたいよ、和哉・・)
京に着いた海斗は、そこで一人の男に目をつけられた。
その男は、芹沢鴨。
水戸浪士で、天狗党に属していたという。
芹沢は、京に着いた日の夜に海斗を女だと思い込み彼に酌をさせた。
「お前、幾つだ?」
「17です。」
「その様子だと、まだ生娘のようだが?」
「芹沢さん、こいつにそれ以上絡むのは止めて貰おうか。」
「うるさいぞ、土方。」
「芹沢さん、今夜はもう飲みすぎでしょうから、お休みになられては?」
睨み合う芹沢と歳三の間に割って入ったのは、山南敬助だった。
「ふん、つまらん!」
芹沢はそう言うと、部屋から出て行った。
「大丈夫だったか、海斗?」
「すいません、ご迷惑をお掛けしてしまって・・」
「気にすんなって!」
藤堂平助はそう言うと、海斗の背中を叩いた。
「芹沢さんは、お酒さえ飲まなければいい人なのですがね・・」
(何だか、嫌な予感がする・・)
京に海斗達がやって来て一年も経たない内に、芹沢は商家に押し借りをするようになった。
「芹沢さん、あんた最近まるで不逞浪士のような真似をしているようじゃねぇか!」
「そこらへんの野良犬と一緒にするな、土方。我らは尽忠報国の志士だ。」
「土方君、芹沢先生に対して何という口の利き方をするんだ!」
「これだから、武家じゃない者は困る・・」
芹沢達はそう言うと、そのまま部屋から出て行った。
「芹沢さんには、困ったものですね・・」
「ええ。山南さん、左腕の調子はどうですか?」
山南は大坂出張の際、不逞浪士達と戦闘中に左腕を負傷した。
「もう私の左腕は動きません。」
「山南さん・・」
山南は負傷して以来、自室に引き籠もるようになった。
「海斗、山南さんどうだった?」
「相変わらず、自室に引き籠もっています。」
「そうか。それよりも、この文を黒谷へ届けてくれ。」
「わかりました。」
海斗は屯所を出て、会津藩本陣がある黒谷へと向かった。
だが、京の道に慣れない海斗は、いつの間にか迷ってしまった。
(日が暮れる前に、何とかしないと・・)
海斗が途方に暮れていると、彼は一人の男とぶつかった。
「すいません・・」
「怪我は無いか?」
「はい・・」
海斗が俯いていた顔を上げると、そこには美しい緑の瞳をした男が立っていた。
「何かあったのか?」
「あの、道に迷っちゃって・・」
「何処へ行きたいんだ?」
「黒谷です。」
「奇遇だな、わたしも黒谷に用事があるんだ。良ければ一緒に行かないか?」
「え、でも、ご迷惑なんじゃ・・」
「構わない。」
男は、ビセンテ=デ=サンティリャーナと名乗った。
「その髪は、地毛なのか?」
「はい。」
「江戸から来たのだろう?」
「どうしてわかるのですか?」
「訛りがないから。それに、一年前江戸から上洛した浪士組の事を噂で聞いたことがある。」
「そうですか・・」
ビセンテと暫く話しながら歩いていた海斗は、彼に道案内してくれた礼を言うと、そのまま彼に背を向けて去っていった。
「ビセンテ様、こんな所にいらしたのですか?出掛けるのなら一言言って下さらないと困ります!」
海斗の背中を見送ったビセンテの前に、一人の少年が現れた。
総髪にした糖蜜色の美しい髪をなびかせた少年は、蒼い瞳でビセンテを睨みつけた。
「済まなかった、レオ。困っている人を見つけると、放っておけなくてな。詫びに、美味い菓子でも奢ってやろう。」
「もう、わたしは子供じゃありませんよ!」
そう言いながらも、レオの口元は微かにゆるんでいた。
ビセンテはレオと共に最近贔屓にしている鍵善吉房へと向かった。
「おこしやす。」
「ビセンテ様は、この葛切りがお好きですね。」
「あぁ。食べやすいから好きだ。」
「それにしても、最近の京は物騒でかないませんね。西国の浪士達のみならず、江戸からもならず者が来るなんて・・」
「レオ、声が大きい。」
「すいません。」
「さてと、腹を満たしたところだし、宿へ戻るとするか。」
「はい。」
二人が店から出て洛中を歩いていると、男達の怒号と女達の悲鳴が聞こえて来た。
「どうか、堪忍しておくれやす!」
「最初からそう頭を下げていれば、我々も手荒な真似をせずに済んだものを。」
額を地面に擦りつけるようにして店の前で土下座している店主夫妻を見た芹沢は、そう言うと笑った。
その奥で、彼らの娘と思しき若い娘が泣き叫んでいた。
「壬生狼や・・」
「押し借りをするやなんて、不逞浪士達と同じやないの・・」
「はよ、出て行って貰いたいわ。」
「行くぞ。」
芹沢達が去って行った後、ビセンテとレオは荒れ果てた店内を見て呆然としている店主一家に手を貸そうとしたが、断られた。
「あいつらのような連中が居るから、京が物騒になるんです。」
「まったくだ。」
ビセンテはそう言いながらも、黒谷へと道案内した赤毛の少年に想いを馳せていた。
「あ~、疲れた。」
黒谷から壬生の屯所へと戻った海斗は、そう叫ぶと畳の上で大の字になって寝転がった。
「海斗君、少しよろしいですか?」
「あ、はい!」
山南に連れられて、海斗は彼と共に大広間に入った。
そこには、険しい表情を浮かべている勇、歳三ら試衛館一派の姿があった。
「あの、俺に話って・・」
「実は、島原や祇園の茶屋に不逞浪士達が出入りしているという噂があってな。そこで、隊士を一人潜入させようと考えているんだが・・」
「俺が、祇園に潜入する事になったんですね?」
「話がわかって助かるぜ。そこでだ、これからお前には祇園の置屋で暮らして貰う。」
「わかりました。でも、赤毛の俺だと目立つのでは?」
「祇園に潜入する為には、ある程度芸事に通じてねぇと、敵に簡単に見破られてしまう。だがお前は芸事に通じているようだから、大丈夫だろう。」
「そうですか・・」
「向こうにも話はつけてある。」
こうして、海斗は祇園に潜入する事になった。
「まぁ、可愛らしい舞妓ちゃんにならはったねぇ。」
「ありがとうございます。」
江戸を出て一年振りに女装した海斗だったが、余り違和感がなかったので安心した。
ただ、髪を久しぶりに結ったので、少し首が痛かった。
「あとは源氏名を考えなあきまへんなぁ。」
「“鈴菜”というのはどうでしょう。呼びやすくて、響きが可愛いし。」
「ええ名前やね。それにしまひょ。」
こうして海斗は、性別を偽り“鈴菜”として祇園で暮らす事になった。
「へぇ、ここが祇園か。右を見ても左を見ても、良い女ばかりだなぁ。」
「ジェフリー、余りはしゃぐなよ。」
「あぁ、わかっているよ。」
ジェフリーとナイジェルはその日、祇園の茶屋で酒を酌み交わしていた。
「なぁナイジェル、ここには芸妓や舞妓を呼んでお座敷遊びが出来るんだろう?俺達も・・」
「駄目だ。」
「そんなケチ臭い事を言うなよ。」
「あんたは羽目を外し過ぎる事がある。あんたの尻拭いをしているのは誰だと思っている?」
「悪かった。」
「わかればいい。」
親友であるナイジェルとは長い付き合いだが、彼の堅物さには時々うんざりする事があった。
だが財布の紐を握っているナイジェルを怒らせると面倒な事になるので、ジェフリーはそれ以上何も言わなかった。
彼らが居る隣の座敷では、西国の志士達が宴を開いていた。
「今晩わぁ。」
「可愛い舞妓やないかえ!おんし、名は?」
「鈴菜と申します。」
「鈴菜、こっちへ来て酌ばせんね。」
「へぇ・・」
海斗は愛想笑いを浮かべながら志士達に酌をしたが、その中の一人が泥酔して彼に抱き着いて来た。
「やめて下さい!」
「嫌がらんでもええやないか。」
海斗は志士を押し退け、座敷から出て行った。
「待て!」
「誰か、助けて!」
欲望に滾る志士から逃げた海斗は、とっさに隣の座敷へと逃げ込んだ。
「お前、あの時の・・」
「助けてくれ、追われているんだ!」
海斗はそう叫んだ後、ジェフリーに抱き着いた。
「ここか!」
直後に襖が開き、志士が座敷に入って来た。
「おやおや、人の女に手を出すなんて感心しないねぇ。」
「貴様は黙っとれ!」
「そんなに騒ぐなよ、酒が不味くなる!」
ジェフリーはそう叫ぶと、志士を蹴飛ばした。
志士は悲鳴を上げ、無様に尻もちをついた。
「今の内に逃げろ!」
「助けてくれて、ありがとう。」
海斗はジェフリーに礼を言うと、そのまま座敷から出て行った。
「・・変若水が・・」
「・・これを飲めば不死身に・・」
 廊下から漏れ聞こえた声に、海斗は耳をそば立てた。
そっと少しだけ開いた襖から部屋の中を垣間見た彼は、何者かが真紅の液体を入った硝子壜を渡している事に気づいた。
(あの硝子壜、何処かで・・)
部屋の中の者に気づかれぬよう、海斗がその場から離れようとした時、彼は一人の芸妓とぶつかった。
「すいまへん、おねえさん。」
「気ぃつけて歩きや。」
彼女は海斗を睨みつけると、そのまま去っていった。
「そうか、そないな事があったんか。」
「迷惑を掛けてしもうて、すいまへん。」
「謝るんは、こっちや。土方はんにはこっちの方から事情を説明しておくさかい、お部屋でお休み。」
「はい・・」
置屋に戻った海斗は、与えられた部屋で化粧を落とした後溜息を吐いた。
(こんな調子で、潜入捜査とかやっていけるのかな、俺?)
翌日、海斗は舞の稽古を受けたが、師匠さんからことごとく駄目出しをされて落ち込んでしまった。
(ここで落ち込んでいる場合じゃないな。)
海斗は置屋に戻って舞の練習を寝る間も惜しんで続けた。
一方、海斗が茶屋でぶつかった芸妓は、連れ込み茶屋の部屋で男としけ込んでいた。
「こんな所へ俺を呼び出すかと思えば、そういう事か。」
「ヤン、お前の“ご主人様”はどうしている?」
「最近江戸からやって来た浪士組の奴らの存在が気に喰わないらしく、こちらに八つ当たりされて困っているよ。」
「それは可哀想に。」
「心にもないことを。」
「それにても、最近の祇園の客の格は落ちたね。西国の浪士達が耳元で喚くからうるさくて嫌になるよ。」
「客相手にあんたはそんな態度なのか?」
「まさか。」
芸妓は、そう言って声を上げて笑った。
「こんな所で油を売っていないで、とっとと置屋へ戻ったらどうだ?」
「つれないね。まぁ、そんな所も好きだけど。」
芸妓は名残惜しそうな様子で男―ヤンの唇を塞いだ。
「浮気は許さないよ。」
芸妓―ラウルは連れ込み茶屋から出て、置屋・桔梗へと戻った。
階段を上がって自室に入ると、そこは嵐が過ぎ去ったかのように荒れ果てていた。
「これは一体、どないしたん?」
「あ、あの・・」
「うちは暇やないから、早く部屋を片付けてや。」
「は、はい・・」
ラウルを見た仕込みの娘は、怯えた顔をしながら部屋を片付け始めた。
彼は舌打ちして昼餉を取ろうと階下へ降りると、廊下で一人の舞妓と擦れ違った。
彼女の鮮やかな赤い髪に、ラウルは見覚えがあった。
「桃世、帰って来たんか。」
「おかあさん、この子誰やの?見ない顔やね。」
「ここは鈴菜ちゃんや。訳あってうちで引き取ったんや。」
「へぇ、そうなんや。」
ラウルは興味が無さそうな振りをすると、女将と舞妓と共に昼餉を取った。
「おかあさん、うち三味線の稽古に行って来ます。」
「気ぃつけて行きや。」
昼餉の後、ラウルが自室へ戻ると、そこは綺麗になっていた。
「暫く一人になりたいから、出て行ってくれへん?」
「へ、へぇ・・」
ラウルは鏡に映る顔を見ながら、口元に紅をひいた。
(あの赤毛、わたしと同じ“におい”がする。)
今までラウルの周りには、同族が居なかった。
 だが、今は違う。
(あの子は、己の事をまだわかっていない。これから、面白くなりそうだね。)
三味線の稽古の後、ラウルはご贔屓筋のお座敷へと向かった。
「桃世、久しいなぁ。」
「西崎様、お元気そうで何よりどす。」
ラウルはそう言うと、客にしなだれかかった。
「最近、ここら辺で化物が夜な夜な人を襲っているそうや。」
「へぇ、それは恐ろしい事。」
海斗は提灯を手にお座敷がある料亭へと向かった。
その途中、海斗の前に白髪赤眼の化物が現れた。
「ひっ・・」
「血ヲ寄越セ~!」
血飛沫が上がり、海斗がつぶっていた目を開けると、そこには茶屋で自分を助けてくれた男が立っていた。
「大丈夫か?」
「助かった・・」
「おいっ、しっかりしろ!」

海斗は男の腕の中で安堵の余り気絶した。

目を開けると、海斗は紅蓮の炎の中に居た。
周囲には悲鳴や怒号などに包まれながら、多くの人々が逃げ惑っていた。

―父上、母上?

海斗が炎から逃げていると、上空から轟音が鳴り響き、火の玉が海斗に向かって落ちて来た。
「カイト、おい、しっかりしろ!」
「う・・」
海斗が悪夢から目を覚ますと、自分を心配そうに見つめているナイジェルとジェフリーの姿があった。
「俺、一体・・」
「覚えていないのか?お前、謎の化物に襲われたんだ。」
「化物・・」
ジェフリーの言葉を聞いた海斗の脳裏に、あの化物の姿が浮かんだ。
「あの化物について、何か知っている事はあるのか?」
ジェフリーの問いに、海斗は静かに首を横に振った。
「あの・・」
「大丈夫だ、置屋の方へは俺が文を出しておいた。」
「ありがとうございます。」
「おかあさん、鈴菜はどないしたん?」
「あの子なら、事情があって暫く外泊するそうや。」
「へぇ、そうなん・・」
ラウルは、そう言うと笑った。
(世間知らずの生娘だと思っていたけれど、中々やるじゃないか。)
「おかあさん、このごろ化物がこの界隈に出ているらしいって聞いたわ。」
「物騒な世の中になったなぁ。」
「ほんまどすなぁ。」
ラウルは、自室に戻るとヤン宛の文をしたためた。
「桃世、あんたにお客様え。」
「へぇ、只今。」
ラウルが一階へ降りると、そこには紫の瞳をした美男子の姿があった。
「おかあさん、こちらの方は?」
「こちらは新選組副長の土方様や。」
「土方様どすか。お噂は色々と聞いていますえ。」
「そうか。ならば話が早い。ここに居る鈴菜という舞妓が行方知れずになっているが・・」
「その事やったら、今知り合いに捜させて貰うてます。」
「そうか。」
「わざわざ鈴菜の事で来て下さっておおきに。ぶぶ漬け、どうどす?」
「いや、結構。」
「そうどすか。」
歳三が置屋から去ると、ラウルは自室へと戻った。
「おかあさん、仕込みの子はどないしたん?」
「あの子なら、里に帰したわ。桃世、仕込みいじめるのも大概にしぃや。」
「嫌やわ、おかあさん。うちがあの子をいじめたやなんて・・」
「あんた・・」
「この世界で根性据わってへんと、生き抜かれへん。そないな事、おかあさんかてわかっていますやろ?」
「ひぃっ」
ラウルに睨まれ、置屋の女将は恐怖の余り動けなくなった。
「三味線の稽古に行って来ます。」
ラウルは、置屋から出てある場所へと向かった。
「遅かったのぅ。」
「すいまへん、三味線の稽古が長引いてしもうて。」
部屋に入ったラウルを待っていたのは、西国の過激派浪士の一人だった。
「これをどうぞ。」
「これは何ぜよ?」
「最近、幕府が開発しているものやそうどす。飲めば、不老不死になるとか。」
ラウルがそう言って浪士に差し出したのは、変若水が入った硝子壜だった。
「ほぉ・・」
「タダではお譲りできまへんぇ。」
「いくらなら譲ってくれる?」
「ふふ・・」
ラウルは浪士の耳元で何かを囁くと、浪士を残して部屋から出て行った。
「ナイジェル、あの子の様子はどうだ?」
「カイトなら、部屋で文を書いている。」
「文?」
「色々と事情がありそうだな。」
「あの娘とは一度、江戸で会った事がある。その時は武家娘のようだったが、どうして舞妓になったのかが、気になるな。」
「他人にも色々と事情があるんだ。」
ナイジェルがそう言って茶を一口飲んでいると、部屋に海斗が入って来た。
「すいません、お邪魔でしたか?」
「いや、大丈夫だ。何か用か?」
「実は、ある場所へ連れて行って欲しいんだ。」
「わかった。」
海斗をナイジェルとジェフリーが連れて行った場所は、壬生村にある新選組屯所だった。
「お前、何者だ?」
「東郷君、無事でしたか。」
ジェフリー達の前に、新選組副長・山南敬助が現れた。
「山南さん、ご心配かかけてしまい、申し訳ありませんでした。」
「ここでは人目があるので、奥へどうぞ。」
山南と共に奥の広間へと向かった海斗達は、そこで渋面を浮かべている歳三の姿に気づいた。
「副長・・」
「お前が姿を消した事情は、文を読んで知った。羅刹に襲われたというのは本当か?」
「はい。その羅刹は・・」
海斗はそう言うと、ジェフリーとナイジェルを見た。
「ジェフリー、どうやら俺達は邪魔者なようだ。」
「そうか。」
「二人共、ここに居て下さい。副長、構いませんよね?」
「あぁ、構わねぇよ。」
「俺を襲った羅刹は、新選組のものではありませんでした。」
「そうか・・」
「そういえば最近、この界隈で辻斬りが横行していると、町方から情報がありました。もしかしたら、我々以外にも変若水の研究をしている者が居るのかもしれませんね。」
「そうかもしれません。」
山南がそう言った後、外が急に騒がしくなった。
「副長、大変です!」
「どうした?」
「また、羅刹が・・」
羅刹が出没したのは、三条大橋の近くだった。
「どうして、こんな所に・・」
羅刹は、橋のたもとで息絶えていた。
その近くに、夜鷹の死体が転がっていた。
彼女は、全身の血を抜かれて死んでいた。
「もしかして、辻斬りもこいつの仕業じゃ・・」
「そうかもしれませんね。」
海斗達がその場を後にしようとした時、海斗は背後に鋭い視線を感じて振り向いたが、そこには誰も居なかった。
「どうした、カイト?」
「いいえ、何でもありません・・」
(気の所為か。)
海斗達が去って行く姿を、和哉が静かに見送っていた。
「あの子には会えたかい?」
「いいえ・・」
「そう。君はこれからどうしたいの?」
「それはまだ、わかりません。」
「わたしの事を知ったら、君の奥さんはどう思うだろうねぇ?」
ラウルはそう言うと、和哉に抱き着いた。
「やめて下さい。」
「つれないねぇ。あの時、わたしが助けなければ、君は死んでいたんだよ。」
ラウルの言葉を聞いた和哉は、“あの日”を思い出していた。
それは、海斗と祝言を挙げ、京へと赴任してから一月が経った頃だった。
雨が降る中、和哉は過激派浪士の襲撃を受けた。
(海斗・・)
冷たい雨に打たれ、薄れゆく意識の中で和哉が想ったのは、江戸に残して来た海斗だった。
海斗を残して死ぬ訳にはいかない―そんな事を和哉が思っていると、誰かが自分に傘をさした気配がした。
「大丈夫かい?」
そう言って自分を見つめた黄金色の瞳に、和哉は己の魂を奪い取られたような気がした。
気が付くと、和哉は見知らぬ部屋に寝かせられていた。
「ここは?」
「わたしの隠れ家さ。君には、わたしの為に働いて貰うよ。」
それが、和哉とラウルとの出会いだった。
ラウルに命を救われてから、和哉の身に奇妙な事が起きるようになった。
彼は絶えず、謎の喉の渇きに悩まされ、水を飲んでもそれが消える事は無かった。
それに加えて、傷の治りが異常に早かった。
(僕の身体は、一体どうなっているんだ?)
「これをお飲み、疲れに効く薬湯だよ。」
 ラウルに渡された薬湯を飲むと、あの喉の渇きが一瞬で消えた。
「これは・・」
「君が知らなくてもいい事だよ。」
ラウルは、和哉が謎の渇きに苦しんでいる度に、謎の薬湯を飲ませた。
その頃から、辻斬りが相次いだ。
「おい、あいつをどうするつもりだ?」
「どうするつもりって?」
「あいつに血を与えて、鬼にしただろう?昔、俺にしたのと同じようにな。」
「一体、何の事?」
「とぼけるな!」
ヤンがそう叫んでラウルの胸倉を掴むと、ラウルは大声で笑った。
「それがどうしたっていうの?わたしは、“人助け”をしただけさ。」
「お前という奴は・・」
「あの事は、誰にも言うんじゃないよ。」
「わかっているさ。」
ヤンとラウルの会話を、和哉は盗み聞きしていた。
「どうしたの、浮かない顔をして?」
「いいえ・・」
「言いたい事があるなら、はっきりとお言い。」
「あなたが、僕を鬼にしたのですか?」
「そうだよ。」
「どうして、そんな事を・・」
「先に死んでしまうよりも、共に生きる時間が長い方がいいだろうと思ってね。」
「どういう意味ですか?」
「おや、君は知らなかったの、奥さんが鬼だという事を。」
「海斗が、鬼・・」
和哉は、海斗が鬼であるという事をラウルから聞かされ、衝撃を受けた。
和哉の中で、海斗への不信感が高まりつつあった。
そんな中、ラウルに誘われ和哉は過激派浪士が集まる会合に出席した。
「風の強い日に、御所に火を放ち、帝を長州へお連れする・・」
「二階のお客様、お逃げ下さい、新選組が!」
宿の主の言葉を聞いた浪士達は、一斉に鯉口を切った。
「さてと、わたしはこれで失礼するよ。」
ラウルはそう言うと、闇の中へと姿を消した。
「御用改めである、神妙に致せ!」
浪士達は一斉に揃いの羽織を着た男達に斬りかかったが、彼らは瞬く間に羽織の男達に斬り伏せられた。
「逃げる者はその場で斬り伏せよ!」
和哉は愛刀を握り締め、鯉口を切った。
「え、それは本当ですか!?」
「あぁ。」
同じ頃、和哉が池田屋に居る事はを知った海斗は、屯所を飛び出し、池田屋へと向かった。
池田屋に海斗が着くと、そこは既に激戦の只中にあった。
「和哉、何処に居るの!?」
海斗が二階へと駆け上がると、奥の部屋から人の気配がした。
襖を開けると、中には金髪紅眼の男が居た。
「あなたは・・」
「奇遇だな、このような場所で同族と会うとは。」
男は口端を歪めて笑うと、闇の中へと消えていった。
結局、海斗は和哉を見つけられなかった。
(和哉、何処へ行っちゃったんだよ・・)
新選組の名を全国に轟かせた池田屋事件は、倒幕派の怒りの炎を燃え上がらせた。
池田屋事件から一月後、長州軍が御所へ向けて発砲した。
「あいつら、御所に・・」
「本気か!?」
会津・桑名と共に長州を戦っていた新選組は、長州軍を京へと追い出した。
「海斗君、屯所へ戻りましょう。」
「はい。」
海斗が井上源三郎と共に戦場を後にしようとした時、彼は背後に鋭い殺気を感じて振り向くと、そこには敵の姿があった。
「死ねぇ!」
海斗は自分に斬りかかろうとした敵の頭を潰した。
その返り血を全身に浴びても、海斗は全く動じなかった。
「東郷君、大丈夫かい?」
「はい。」
京の街は、炎に包まれた。
「あ~あ、こんなに派手に燃やしてくれちゃって、本当に迷惑だねぇ。」
ラウルはそう言うと、櫛で髪を梳いた。
幸いな事に、ラウルが居た置屋や定宿にしていた宿屋は燃えずに済んだが、ラウルを贔屓にしていた料亭や茶屋は燃えてしまった。
その所為で、ラウルは仕事がなくなり、毎日暇を持て余していた。
「桃世、あんたにお客様や。」
「はぁい。」
ラウルが身支度を済ませて一階の客間へと向かうと、そこには海斗の姿があった。
「今更、わたしに何の用?」
「あなた、和哉の居場所を知っているんでしょう?」
「知っていたとしても、それを君に教える義務はわたしにはないと思うけど?」
「ただ、和哉が無事で居るのかどうか知りたいだけなんだ!」
「そう・・じゃぁ、ここへおいで。」
ラウルは海斗に和哉が泊まっている宿屋の住所が書かれた懐紙を手渡すと、客間から出て行った。
その日の夜、海斗は和哉が泊まっている宿屋へと向かった。
だが―
「すいまへん、このお客はんはいてはりまへんなぁ。何や、数日前に急用が出来た言うて・・」
「そう、ですか・・」
意気消沈した海斗は宿屋から出ると、提灯を手に静まり返った洛中を歩き始めた。
(和哉は一体、何処に行っちゃったんだろう?)
会えなくても良いから、彼が無事だと言う事だけ、海斗は知りたかった。
海斗が夜道を歩いていると、何者かが自分を尾行している事に気づいた。
「見ろ、赤毛だ!」
「間違いねぇ、こいつだ!」
突然目の前に、数人の男達が現れた。
「俺に何か用?」
「死ねぇ!」
海斗は急に男に斬りつけられ、その場に蹲った。
男は興奮したのか、笑いながら更に海斗を斬りつけようとした。
(こんな所で、殺されて堪るか!)
海斗は腰に帯びていた刀の鯉口を切ると、男の首を刎ねた。
「ひぃぃ~!」
連れの男達は、首を刎ねられた仲間を見て一目散に逃げだした。
(あいつら一体、何だったんだろう?)
海斗が男に斬りつけられた腕の傷口を見ると、そこは完全に塞がっていた。
海斗が屯所に戻った頃、和哉はある場所に居た。
そこは、禁門の変で起きた火災で親を亡くした孤児達が居る寺だった。
「みんな、居るかい?」
いつものように和哉が寺の本堂に向かって声を掛けると、その中から転がるようにして出て来る子供達の姿が、今夜に限って見当たらなかった。
(どうしたんだ?)
和哉が本堂の中に入ると、そこには血の海が広がっていた。
子供達は、皆息絶えていた。
(どうして・・どうして・・)
この子達が一体、何をしたというのか。
和哉が子供達の遺体を抱きながら泣いていると、そこへ一人の男がやって来た。
「死ね!」
男の刃が和哉に届く前に、男は頭を潰され絶命していた。
男の返り血を浴びた海斗は、自分に怯える和哉に向かって笑顔を浮かべた。
「やっと会えた、和哉。」
「海斗・・」
自分の前に立っている海斗は、銀髪をなびかせ、金色の瞳で和哉を見つめていた。
(誰なの・・)
「助けに来たよ。」
海斗が和哉に差し出した手は、血で汚れていた。
「どうして・・」
「和哉?」
「僕に近寄るな、人殺し!」
海斗は和哉に拒絶され、傷ついた。
「俺は、お前を助けようと・・」
「来ないでくれ・・」

和哉との再会は、悲しいものとなった。


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