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JEWEL
ガラスの靴なんて、いらない 1
義理の母と姉達から虐げられたシンデレラが、優しい魔女によってお城の舞踏会に行き、王子様と結ばれるストーリーが、子供の頃の自分にとっては憧れそのものだった。
だが、成長するにつれて、あれはただのお伽話だったのだと、火月は気づいてしまった。
現実は、お伽話のように、優しい魔女も、魔法も存在しない。
「火月、元気でな。」
「神父様も、お元気で。」
18歳の誕生日を迎え、火月は長年暮らした孤児院を“卒業”した。
幼い頃、両親を交通事故で亡くし、この日まで孤児院のシスターや神父達、そして自分と同じ境遇の子供達と共に”家族“のように育った。
「辛い事があったら、いつでも来なさい。」
「はい・・」
身寄りがない火月にとって、アパートの部屋を借りる事や、就職活動は困難を極めた。
しかし、火月は諦めずに前を向き、就職活動に励んだ。
その結果、大手アパレル企業に就職が決まった。
「火月、おめでとう!」
「ありがとう、禍蛇。」
「お~し、今夜はとことん飲むぞ~!」
火月の就職が決まり、彼女は孤児院時代の友人が経営するバーで、火月の親友・禍蛇と、その彼氏である琥龍と一晩飲み明かした。
その結果、火月は出勤初日に遅刻した。
「うわ、やばい!」
履き慣れないハイヒールで、全速力で駅まで火月が走っていると、一台のロールスロイスと彼女はぶつかりそうになった。
「何処を見て歩いているんだ!」
「す、すいません!」
ロールスロイスの運転手から怒鳴られ、委縮した火月の前に現れたのは、長身の美男子だった。
「怪我は無いか?」
「は、はい・・」
「そうか。」
刹那、男の切れ長の瞳と、火月は目が合った。
「お前は・・」
「若様、急ぎませんと。」
「あぁ、わかった。」
(何だったんだろう、あの人?)
火月は慣れない仕事に奮闘しながら、今朝会った謎の美男子の事を思い出していた。
「ねぇ、今日副社長がいらっしゃるんですって。」
「まぁ、そうなの!?」
「お珍しいわね。」
周りに居た社員達が少しはしゃいでいるのを見た火月は、近くに居た同僚にこう尋ねた。
「副社長って、どんな方なんですか?」
「あぁ、あなたはまだここに入って間もないから、副社長の事を知らないのね。副社長は、この会社の社長のご子息で、家柄良し、血筋良し、顔良しの三拍子揃ったとても優秀な方なのよ。」
「へぇ、そうなんですか。」
「あら、噂をしていたらいらしたわ。」
キャァァッ!と、まるでアイドルのコンサート会場でしか聞いたことがないような黄色い悲鳴が響く中、“彼”は現れた。
艶やかで美しい黒髪、一流のテーラーによって仕立てられたスーツを包む長身。
そして、何よりも火月の心を深く惹きつけたのは、切れ長の、碧みがかった黒い瞳だった。
―火月・・
最近、夢に現れる“誰か”の姿に、“彼”が重なったような気がした。
「高原さん、どうしたの?」
「いいえ、何でもありません。」
(あ~、疲れたなぁ。)
仕事が定時で終わり、火月が更衣室で制服から私服へと着替え、そのまま退勤しようとした時、一人の社員が彼女の元へと息を切らしながら駆け寄って来た。
「高原さん、秘書課の真田です、大至急社長室に僕と来てください!」
「え、あの・・」
訳が判らず、火月は真田と共に社長室へと向かった。
「社長、高原さんをお連れしました。」
「ご苦労様、君はもう下がっていいよ。」
「は、はい!」
社長室に入った火月は、そこに“彼”と、“彼”と瓜二つの顔をしている男が立っている事に気づいた。
「高原火月さんだね?初めまして、わたしはA&Sの社長を務める、土御門有仁だ。そして、わたしの隣に立っているのが、一人息子の有匡だ。」
「は、はぁ・・」
「急な話で悪いんだが、高原君、明日から君はこの有匡の専属秘書になって貰いたい!」
「え・・」
「父上、何を勝手な事をおっしゃるのですか!?」
“彼”―A&S副社長・土御門有匡はそう叫ぶと、隣に立っている父を睨んだ。
「有匡、お前は仕事は完璧だが、周りに厳し過ぎる。高原さん、息子をよろしく頼むよ。」
「社長、専属秘書って何をすればいいんですか?僕、社会人経験ないので・・」
「あぁ、それなら安心し給え。仕事なら有匡が教えてくれるから。」
有仁は、そう言ってこめかみに青筋を立てている有匡を見て笑った。
(これから、面白くなりそうだな。)
―先生・・
誰かが、呼んでいる。
有匡が目を開けると、そこには涙を流して自分を見つめている最愛の妻の姿があった。
(泣くな、また・・会えるから。)
意識が遠のく中、有匡の耳に微かに聴こえたのは、妻の、ある言葉だった。
―僕も、すぐに会いに来ますから。
「ん・・」
不思議な夢を見た後、有匡は低く呻くとベッドから起き上がった。
「おはようございます、有匡様。」
「おはよう。」
執事に挨拶を済ませた後、有匡は浴室に入り、冷たいシャワーを頭から浴びた。
「本日のご予定ですが、朝はT物産とのオンライン会議、夜は帝国ホテルにて龍崎財閥創立百周年記念パーティーです。」
「パーティーか・・」
社交家の父とは対照的に、有匡は人嫌いで社交嫌いであるが、副社長という立場故、そういった集まりを無視する事が出来ない。
「そういえば、四条家の高子様から、昨夜ご連絡がありました。」
「そうか・・」
一度見合いしただけの、吐いて捨てる程の女は、どうやら有匡の事を気に入ったようで、しつこく連絡してくる。
いい加減、彼女に直接言わなくては。
お前とは、結婚出来ないと。
「本日の朝食は如何なさいますか?」
「要らない。」
「かしこまりました。」
身支度を済ませ、有匡が運転手付きの車で会社へと向かっている頃、火月は緊張した面持ちで秘書課のフロアがある七階へと向かっていた。
今までして来た仕事と言えば、飲食店やコンビニのアルバイトくらいだ。
(あ~、どうしよう・・)
火月がそんな事を思っている内に、エレベーターは七階に着いてしまった。
「すいません、本日からお世話になります・・」
「火月ちゃん!」
「火月ちゃんじゃない、久し振り~!」
火月が秘書課のドアを開けると、二人の女性達が彼女に駆け寄って来た。
彼女達の顔を見た火月は、思わずこう叫んでしまった。
「式神の、お姉さん達なの!?」
「いやぁ、まさか火月ちゃんが殿の専属秘書になるなんてねぇ~」
「世間って、案外狭いもんよねぇ~!」
元式神シスターズ、種香と小里は、そう言いながらフラペチーノに口をつけた。
彼女達は有匡の専属秘書として社内で辣腕をふるっている。
「ねぇ火月ちゃん、ひとつ質問していいかしら?」
「は、はい・・」
「殿とは、もう寝たのかしら?」
火月は小里の言葉を聞いて、思わず飲んでいたフラペチーノを噴き出しそうになった。
「え、寝、寝たって・・」
「いやぁ~、今も昔も殿のフィンガーテクは健在だからさぁ~、火月ちゃんを専属秘書としてスカウトしたのも、そうなのかなぁ~って。」
「バッカ、火月ちゃんをスカウトしたのは大殿様よ~、あの人思いついたらすぐにやる人だからね。」
「そうね。」
種香と小里がそんな事を話していると、カフェに有匡が入って来た。
「あら、珍しいわね。殿がこんな所に来るなんて。」
「いつも出社なさったら副社長室に籠もりきりなのにね。」
有匡はカウンターでコーヒーとサンドイッチを注文すると、そのまま火月達が居るテラス席へと向かった。
「あら殿、お珍しいですわね。」
「お前達、どうしてここに居る?」
「火月ちゃんと、少しお話していましたの。あ、もうこんな時間だわ、急がないと!」
「火月ちゃん、後はお二人で楽しんでね~!」
「え、お、お姉さん達~!」
急に有匡と二人きりにされ、火月は暫く有匡と目を合わさないようにした。
「おい、そんなに怯える事はないだろう?何も取って食ったりはしないから、こっちへ来い。」
「は、はい・・」
火月が恐る恐る有匡の隣に座ると、彼はサンドイッチを一口かじってそれをゴミ箱に捨てた。
「あの、それで栄養足りてます?」
「余計なお世話だ、秘書だからと言って女房気取りはよせ。」
「す、すいません・・」
「ったく、調子が狂う・・」
有匡はそう言って火月に背を向けて、カフェから出て行った。
「あら殿、お早いお帰りです事。」
「火月ちゃんとのデートは、如何でしたの?」
「うるさい。」
不機嫌な様子の主を見て、元式神シスターズは互いの顔を見合わせながらこんな話をしていた。
「昔の殿も塩対応だったけれど、今の殿はかなり・・」
「なんか、精製前の粗塩っぽいわね~」
「本当に素直じゃないんだから。」
「すいません、土御門有匡様はいらっしゃるかしら?」
「まぁ、四条様・・」
有匡の見合い相手・四条高子が秘書課に現れ、周囲は暫し騒然となった。
「お姉さん達、どうしたの?」
「あ、丁度良いわ、コーヒー、殿に持って行って。」
「え?」
「よろしくね~」
火月が渋々副社長室へと向かうと、中から男女が言い争うような声が聞こえて来た。
「どうして、わたくしと結婚出来ないのです!」
「先程から申し上げているように、わたしはまだ結婚などを考えておりません。」
「嘘です、心に決めた方がいらっしゃるのでしょう!」
高子が粘着質な女である事は以前からわかっていたが、いくら有匡が彼女に結婚出来ない事を話しても、中々理解して貰えない。
一体、どうしたものか―有匡がそう思っていると、控え目なノックの音が聞こえて来た。
「失礼致します、コーヒーをお持ち致しました。」
火月が副社長室に入ると、そこには一人の美女と対峙している有匡の姿があった。
「そこへ置いておけ。」
「は、はい・・」
「もしかして、そちらの方が・・」
「ええ、彼女がわたしの・・婚約者です。」
揉め事に巻き込まれたくなかった火月が副社長室から出ようとした時、突然彼女は有匡に抱き寄せられた上に唇を塞がれた。
(えっ、これは・・)
ファーストキスを奪われてしまったのだろうか。
「キエエ~!」
高子は怒りの猿叫を上げ、早口の薩摩弁で有匡に向かって何かを捲し立てた後、副社長室から出て行った。
「あの、追い掛けなくてもいいんですか?」
「いい。」
「え、僕が今夜のパーティーに?」
「そうよぉ~、何たって火月ちゃんは、殿の婚約者だもの~」
「そ、それは成り行きで・・」
「成り行きでも、いいじゃな~い!さぁ、おめかししましょ、おめかし!」
種香と小里によって火月は銀座の高級ブティックへと連行され、更に高級エステへと連れて行かれた。
「そんなにしなくてもいいのに・・」
「だぁめ、殿の為に綺麗にならなくちゃ!」
「そうそう!」
帝国ホテルで行われた、龍崎財閥創立百周年記念パーティーは、政財界の名士などが出席している、華やかなものだった。
「火月ちゃん、素敵~!」
「わたしのヘアメイク術はダテじゃないわ。」
真紅のAラインの膝丈ドレスの火月は、慣れないハイヒールを履いて覚束ない足取りで歩いていた。
「ホラ、背中丸めないの!」
「でも・・」
「あら、殿だわ!」
火月達が有匡の方を見ると、彼の隣にはマーメイドラインのドレスを着た黒髪の美女が立っていた。
(わかっているよ、副社長には、あぁいう人が似合うって。)
有匡とあの美女が並んでいる姿は、まるで一幅の絵画のように美しかった。
(場違いなんだろうな・・)
火月はそんな事を思いながらシャンパンを飲んでいると、そこへ一人の男がやって来た。
「ねぇ君、可愛いね。」
「あの、えっと・・」
「この後、二人きりで飲まない?」
「わたしの婚約者に何か用か?」
火月が男からの誘いをどう断ろうかと思っていると、そこへ有匡がやって来た。
「す、すいません・・」
「謝るな。ったく、お前は昔から放っておけないな。」
「え?」
(先生、今何て・・)
「あの、先・・」
火月が有匡の手を握ろうとした時、突然視界が霞んだ。
「おい、どうした?」
「急に、躰が・・」
「歩けるか?」
有匡の問いに、火月は静かに頷いた。
「あら殿、どちらへ?」
「厄介な事が起きた。」
そう言った有匡の息が、少し荒い事に種香は気づいた。
「わかりました、後はわたし達にお任せ下さいな。」
「頼んだ。」
有匡は火月の身体を支えながら、予約していたスイートルームへと入った。
「先生・・どうしたんですか?」
「どうやら、わたし達はいつの間にか媚薬入りの酒を飲まされていたらしい。」
「あの、大丈夫なんですか?」
「大丈夫じゃない。今、お前を抱き潰して、壊したい衝動に駆られている。だから、お前はさっさと・・」
火月は、有匡に抱きつくとこう言った。
「お願い、抱いて下さい。」
「お前は・・」
有匡の中で、理性を保っていた“何か”が切れる音がした。
「本当に、いいんだな?」
「はい。」
「途中でやめろと言われても、やめないからな。」
「はい・・」
有匡は、ネクタイを緩めた後、それを乱暴に外して火月の目を覆い隠した。
欲望に負けた、醜い己の顔を火月に見せたくなかったから。
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