1. 鈴 木藤 三郎 の 醤油 醸造業 の 失敗 と 留岡 幸 助 の 励 まし
留岡 幸 助 の 回想 私 は 鈴木 氏 が 醤油 事業 で 大失敗 したという 噂 を 耳 にしたので、すぐに 慰問 しようと、たそがれどきに 自転車 を 飛 ばして、 鈴木 氏 の 小名 木川 の 家 を 訪問 しました。 時 は 明治 四二 年 、 西暦 一九〇九 年 一二 月 二三 日 の 晩 の 事 でした。その 時 、 番頭 が 出 て 来 て「 実 は 非常 な 場合 で 誰 にも 会 われないのですが、あなたがいらっしゃったことを 伝 えますと、 非常 に 喜 ばれてお 会 いするとのことでした」といいます。
それから 部屋 に 通 りますと、すぐに 鈴木 氏 が 出 て 来 られ、お 母 様 のやす 様 や、 養子 の 富士弥 さんまで 出 て 来 て、いろいろと 話 をしました。
藤三郎 昨日 一三〇 万円 の 責任 を 引 き 受 けて 会社 を 出 ました。 自分 はこれまで十 年 ごとに 大失敗 をして、 今回 で三 回目 です。これを 航海 に 譬 えると 前 の二 回 は 難破 したが、まだ 船 に 乗 っていたので 立 ち 直 れたが、 今回 は 船 まで 取 られたので、 大 いに 弱 りました。( 嘆息 )
留岡 それは 君 にも 似合 わない 弱音 を 聞 くものだ。 一体 これまでいろいろ 専売権 を 得 た 発明 は 誰 がしたのか、 君 のあたまがしたのではないか、そうであれば、あたまが 残 っている 間 は 大丈夫 でないか。
藤三郎 小名 木川 での 醤油 醸造 事業 では三 百万円 の 資本 で 世間 に 好評 を 博 した。ところが 岩下 清周 氏 がやって 来 て、 君 一 個 の 事業 として 小資本 でやるよりは、 他 の 資本 をも 集 めて、一 千万円 の 資 本としてやったらよかろうと 勧誘 したのに、つい 乗 ってしまったのが、そもそも 失敗 の 原因 であった。三 百万円 にするのには、 小 を 積 んで 大 をなすで、 多 くの 年月 を 要 して 少 しずつ 基礎 を 固 めながら 進 んで 来 たのだが、一 躍 して七 百万円 を 増資 して、にわかに 成長 したのが 自分 の 失敗 であった。 今度 は 実 に 地雷 の 火 の 海 にかかったようなもので、 木 っ 端 みじんにされてしまった。 私 の 失敗 は 青年 実業家 のよい 見本 である。ただ 残念 に 思 うのは、 鈴木 は 始 めから 山師 であるという 世評 である。もし 自分 が 本当 に 山師 であるならば、 自分 が 醤油 会社 の 最大 の 株主 になるような 事 はしないはずである。
留岡 それは 君 の 普段 にも 似合 わない 繰 りごとだ。 天下 の 人 が 皆 、 君 を 山師 だ、 奸物 だといっても、それはみな 利害 の 関係 から 君 を 評 するのである。
しかし 私 は、 君 と 共 に 公益 のために 尽 そうと 交 わっている。だから 私 は、 自分 の 経営 する 家庭 学校 の 事業 のために 君 をわずらわすことをしないのだ。これは 公 益 をもって 交 わろうとの 考 えがあるからである。 私 が 聞 くに、 英国 のクロムウエルは、 多年 奸雄 ときまっていた。ところがカーライルが 出 て、その 雄勁 な 筆 をふるって、いな、クロムウエルは 千 古 の 大忠臣 で、 真 に 国家 ・ 社会 のためにその 身 の 毀誉 を 顧 みなかったのだとそのぬれぎぬを 洗 い 浄 めたのである。 君 もこの 際 、かるがるしい 毀誉 褒貶 を 眼中 に 置 かないで、 前途 の 事 を 考 えた 方 がよいだろう。 君 にもきっと、百 年後 カーライルがクロムウェルの 至誠 をあきらかにしたように、 君 のぬれぎぬを 洗 い 浄 めてくれる 人 が 出 てこよう。ちょうど 手元 にクロムウエル 伝 の 翻訳 があるから、 明日 その 本 を 贈 ってあげよう。
そういう 会話 を 鈴木 氏 としたものです。その 際 に 自分 が、ちょっと 横 を 見 ますと、 鈴木 君 の お 母 さまが 私 を 拝 んでいるのが 眼 に 入 りました。その 夜 の 光景 は 真 に 厳粛 な 光景 で、 今 もなお 眼前 に 見 るような 心地 がするのであります。
鈴木藤三郎が今市の報徳二宮神社に報徳全… 2022年08月03日
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「日本醤油醸造会社の出現と解散に思う」 2022年07月23日