カルトの暴走は防げないのか



 おなじように、私たちも不気味な無差別テロに直面したことがあります。「地下鉄サリン事件」です。
 これは、宗教法人「オウム真理教」が批判に曝されて、危機感に駆られてテロリストと化し、引き起こしたものでした。 それまで、「松本サリン事件」も「坂本弁護士一家失踪事件」も謎に包まれていましたが、司直のメスが入って、全容が明らかとなり、残念なことに坂本さんご一家はご遺体で発見されました。
また、警察庁国松孝二長官の狙撃事件は解明できておらず、いまだに不安が拭えません。
 これらのテロ事件に先立って、ほかにも記者・小尻さんが殺された朝日新聞社襲撃事件(自称「赤報隊」によるテロ)などが謎に包まれたままで、今日まで言論・報道・司法・警察のすべてが脅かされてきました。

 オウムの事件では、一人の指導者の下で一般社会とは心理的に隔離された生活を送る結束が堅く、財力もある組織(いわゆるカルト)があり、一般人すなわち地域住民、親類縁者などとの日常的な交流はなく、組織の異常な動きが外部へ漏れることはありませんでした。
 もともと、昔の日本では、丹念な聞き込みに頼っていた、つまり好奇心旺盛な住民同士の噂話を基にした密告があったお蔭で、治安が守られていたようですから、人間関係が希薄な都市生活を基盤としている、いまどきのカルトに対して無力なのは当然なのかも知れません。

 では、これからも、宗教テロリストに限らず、反社会的な、いわゆるカルトから脅かされ続けなければならないのでしょうか。
坂本さんの事件では、真相を知りつつ途中で脱会し、ひっそりと暮らして長い間沈黙を守っていた者がいました。 そのように脱会する人から秘密が漏れるのは期待できます。 なるべく早く心理的に社会復帰して、告白ないし告発してくれることは一つのブレーキになりえます。
 その団体が外部との接触を避ける傾向があるときは、むしろ、外部からなるべく多く接触してゆくことにより、こちら側(一般社会、世間、見える世界)に繋ぎ止め、また、脱会時の心理的ショックを和らげて、復帰を助けることもできる、と期待します。
 もちろん、偽装入信するわけではないので、立場の違いから妥協のない議論が起きますから、「逆恨み」される惧れは多分にあります。それを考えつつ、圧力や強要ではなく、素朴な疑問を呈し、教えを乞うという穏やかな態度で、適当な方法を選んで関与するということはできるのではないか、と思います。

 彼らの(私たちから見て)醜悪な活動は、彼ら独自の見えない真理(教理・説教)によって裏付けられているため、悪とも恥とも感じないように訓練されてしまっています。
 しかし、その根底には私たちと同様の見える世界への認識があり、一面的にしか見ないとはいえ、まったく消えてしまったわけではありません。

 見える世界
 :
 古典的な経典
 :
 独自の教理解説書
 :
 指導者の指示
 :
 組織的な活動

 一般人が彼らの活動を容易に醜悪と判断できるのは、指導者(教祖)の指示に価値を認めず、見える世界をありのままに見ているからです。 上九一色村の施設を見て、なんて殺風景で汚らしい佇まいだと呆れたものです。 庭を造った形跡はなく、廃材が散らかっていたからでした。
 また、特に古典に精通している宗教者の場合、カルトの教理解説書を読むと、すぐに矛盾を指摘できます。
 さらに、教理に精通している脱会者も、教祖の新しい指示が本来の教理から微妙に逸脱していることを指摘します。

 これに対して、信者たちは、他の既存の宗教でも同じだ、既存の教団は新しい集団である我々を迫害している、元信者は落ちこぼれであり教団を逆恨みしている、教祖の指示を下級の信者が間違って実行しただけだ、批判する者は巨大な仮想敵(米国や共産主義やフェミニズムなど)の手先だ、という反駁にとどまりますから、どこまでも平行線ですが、
それらも含めて、「外部では、どのように見られているか」という認識を伝え続け、見える世界を別の視点から見ることができることを思い起こさせ、社会復帰への経路を残しておくことが大事だと思います。

 今日のように信教の自由が保障され、人間関係の希薄化が進み、情報化にともなうバーチャル空間の出現に到った社会では、もはや、お役人任せでは解決できないと感じています。


© Rakuten Group, Inc.
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: