今日の気持ちを短歌におよび短歌鑑賞

今日の気持ちを短歌におよび短歌鑑賞

2012.08.31
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私論「慶応には何故歌人がいないのか」(五)  後藤人徳

(副題:慶応では何故歌人が育たないのか)

(注)慶応については、五十年近く前の記憶をたよりに書いております。現在はあるいは様変わ

りしているかもしれません。現状を調査して書いているわけではないことを、申し添えておき

ます。

 前回の後半の部分は非常に大切なことなので以下に再録します。

  『私が、何故短歌を作るようになったかを今長々と述べました。ところで、谷川俊太郎氏

は私の「何故詩を作るようになったのですか」という質問に、要約すれば「楽しいから、面白

いから」という、いともシンプルな答えだったのです。そして、この答えを聞いて私は、谷川

俊太郎氏は結局単なるどら息子なんだと思い、私の質問のことは問題にならないと誰にも話さ

なかったのでした。しかし、ここで、私は重大な思い違いをしていたことに気が付いたのでし

た。』


 もし、谷川氏が私のレベルまで降りてきてくださって分かりやすく話されたとしたら、次の

ようだったでしょうか。


 「君、楽しいからだよ、面白いからだよ。食べることも忘れるくらい夢中になれるからだ

よ。だから、大学へ行くのも忘れて詩を作ったのさ。だいたい、詩をつくるのに理由なんか必

要なのかね。」


 私は、全然勘違いをしていたことに気が付いたのでした。それとともに福沢諭吉の言葉を思

い出したのでした。


 私は、いや私たちといった方が良いでしょう。大学の入学式で、多分入学式だったと思うの

ですが、紺色の布張りをした小冊子を大学より頂きました。ただ、その小冊子の内容の解説も

なかったし、ただ色々頂いたなかに入っていたという印象しかありませんでした。


 表題は「福澤諭吉選集」となっていましたが、中味は「学問のすゝめ」が中心だったと思い

ます。

 大学時代福沢諭吉を意識したのは、三田の図書館だったと思うのですが、大きな肖像画を見

たときでした。度々、書きましたような、大学生が幼稚舎と同じ形の帽子を被るだとか、教授

は君で表示されるだとかを福沢諭吉と関連しては、私は思っていなかったのでした。慶応で

は、そんなものかと思っただけでした。それが、福沢諭吉の思想の上になされている、平等主

義のもとになされているなどということは、私自身全然意識していませんでした。


 「学問のすゝめ」の冒頭に、今述べました「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと

云へり。」の平等主義があります。ただ、現実の社会では、いろいろな差異があるというので

す。貧しい者や富んだ者、愚かな者や賢い者、貴人や下人等々の差があるとしています。そし

て、それを、学問の差だと結論づけているのです。だから、「学問のすゝめ」なのです。そし

て話しは、その学問、学問の中味に入っていくわけです。


 「学問とは、唯むづかしき字を知り、解し難き古文を読み、和歌を楽しみ、詩を作るなど、

世上に実のなき文学を云ふにあらず。」と前段部分で、和歌(短歌)についてきつく戒められて

います。学ぶべきものは、「人間普通日用に近き実学なり。」ということなのです。



 福沢諭吉の「学問のすゝめ」に「和歌を楽しむのは学問ではない」と書いてあるから、慶応

では歌人がいない、育たないと私は、結局は言わなければならないのですが、それは、「学問

のすゝめ」に書いてあるからというのではなくて、諭吉からじきじき教えを受けた人々によっ

て基盤が作られ、長い年月のあいだ伝え守られてきた、諭吉の精神、思想が慶応の風土となっ

た結果だとわたしは思うのです。


 慶応に入学して、小冊子「福澤諭吉選集」を渡されるのですが、それを読みなさいとも、い

やその内容すらわれわれに説明がなかったのが事実なのです。私自身も、受け取ったその小冊

子を、ぱらぱらとめくっただけといた感じなのです。当時、本をあまり読んでいませんでした

ので、ああこれが「学問のすゝめ」なんだといったある種の感動に近いものはあリましたが、

思想的に同感したとか、感動したとかいうレベルでは全然なかったのです。ただなんとなく慶

応に四年間お世話になっている間に、ある種の人間性みたいなものが自分にもついた、いわゆ

る慶応カラーにそまったように思えるだけなのです。


 谷川俊太郎氏に「(勉強もしないで、大学に入ることもしないで)何故詩なんかつくるよう

になったのですか」という私の質問は、まさに慶応らしい、素朴な、素直な質問だったとふり

かえり今思うのです。それに対する、谷川氏の「楽しいから、面白いから。詩を作るのに夢中

になって大学をあきらめた。」の答えも、まさに詩人として、これもまことに素朴な素直な答

えだったのだと今は思うのです。そして、この詩人の心こそがまさに福沢諭吉の思想に相容れ

ないもの、いや福沢諭吉が怖れ、戒めたものだと思うのです。


 慶応に入って身についたことに、なにかと早稲田と比較する癖があります。慶応にはほとん

どいないが、早稲田には歌人が多い。北原白秋、若山牧水をはじめ寺山修司、俵万智などまる

でキラ星のようです。歌人ではありませんが、俳人の山頭火も早稲田でした。そして、福沢精

神の対極にあるものとして、私はこの山頭火をいつも思い浮かべるのです。


                                         (つづく)



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最終更新日  2012.09.01 04:51:14
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