今日の気持ちを短歌におよび短歌鑑賞

今日の気持ちを短歌におよび短歌鑑賞

2013.02.20
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「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より
http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm

原文は文語調、後藤人徳の口語訳および意訳の個所もあり。

キリストそのものであれ  

わたしたちは、キリスト信者であることで満足してはいけません。キリストそのものでなくて

はならないのです。それは、自分自身が神になろうとすることではなく、キリストと同化する

ことによって成し遂げられるのです。英語のクリスチャンもドイツ語のクリストもキリスト信

者と訳するのは誤りです。クリスチャンはキリストの意味です。「われはかれの身の枝なり、

かれの肉より出で、かれの骨より出でしなり」(エペソ書五章30節)クリスチャンはキリス

ト以外の者ではないのです。二者が同体であることを理解できないのであれば、キリスト教の

ほんとうの教えをさとる事は出来ないでしょう。




2月21日(木)


というのは、たとい神々といわれるものが、あるいは天に、あるいは地にあるとしても、そし

て、多くの神、多くの主があるようではあるが、わたしたちには、父なる唯一の神のみがいま

すのである。万物はこの神から出て、わたしたちもこの神に帰する。(コリント第一書八・五

~六)

天地は広し、人は多し、されどもそのなかにただ二人あるのみ。神とわれとこれなり。彼、わ

れを愛し、われまた彼を愛し、われは彼の命に聴いてすべてのことをなす。われは彼に誉

(ほ)められて喜び、責められて泣く。彼に善とせられんことは、わが終生の目的なり、わ

れ、彼と共に働き、彼と栄光と恥辱とをわかつ。彼、崇(あが)めらるればわれ歓(よろこ)

び、彼、?(けが)さるればわれ怒る。われ、彼にわが手をひかれて彼の造りたまいし宇宙を

逍遥し、その中のすべての獣と空のすべての鳥とを示され、わが生物に名づけるところはみな

その名となる。われはまことに今の世にありて、始(はじめ)のアダムなり。われのほかに人

あるなし。ただ神、われとともにあるのみ。神とわれとのみ。ゆえにわれは彼にありて、万人

と万物とを愛す。われは神によらずして、何物にもつながらず。また神によりてすべての者に

つながるなり。


「矢内原忠雄の今日の言葉」

あぶくま無教会ホームページ(現在閉鎖)『日々のかて』よりの転載です。


2 月 21 日(木)

パリサイ人、律法学者に気をつけなさい。彼らは長い衣を着て歩く事を好み、街中で

敬礼されることを愛し、教会の上席を占め、宴会(えんかい)の上座を好みます。そ

してやもめの家をくいものにし、人に見られるため長い祈りをします。彼らは厳しい

審判を受けなければなりません。

(マルコ 12:38-40)

宗教家の偽善

 純粋な真理と、真理に似て非なるものとの間には、特に鋭利な峻別(しゅんべつ)

を立てなければなりません。表面的には、パリサイ人もイエスと同じく宗教改革者で

あり、道徳を守る者でありますが、彼らは人間主義であり、神より出たイエスの思想

とは根本的に立場が異なるのです。思想的立場の差異は、現実の生活態度上に差

異となって現れます。イエスに私はありませんが、パリサイ人の学者には私がありま

す。イエスは自分を捨てて人に仕えますが、パリサイ人の学者は自分を立てて人を

支配します。イエスは貧しいですが、パリサイ人は富みます。イエスは弟子にも十字

架の道を歩ませますが、パリサイ人の学者は弟子のために栄達をはかります。木

はその果によって知られ、思想の真偽はその人の生活によって知られます。真理の

純粋性を重んじられるイエスが、パリサイ人の偽善をはげしく詰責したのは、当然の

ことです。


私のおすすめの本


内村鑑三











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最終更新日  2013.02.21 01:25:31
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