今日の気持ちを短歌におよび短歌鑑賞

今日の気持ちを短歌におよび短歌鑑賞

2013.05.22
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今日の聖句:「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より
http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm

原文は文語調、人徳の口語訳および意訳の個所もあり。

5月23日(木)

死の歓迎


死は信者にも来ますし、不信者にも来ます。義者にも臨み、悪者にも臨みます。しかしなが

ら、義者に臨んで死は彼を完成させ、悪者に臨んで彼を破滅させます。呪うべきは、死ではな

く罪です。罪を除かれた者には、死はなにもなすことが出来ません。かえって、その人を清

め、磨き、そして神の前に完全(まった)き人として立たせるのです。神を信じ罪を赦され

て、わたしたちは死さえ歓迎することが出来るようになるのです。

一日一生(内村鑑三)

5月23日(木)


 エノクは六十五歳になって、メトセラを生んだ。エノクはメトセラを生んだ後、三百年、神

とともに歩み、男子と女子を生んだ。エノクの年は合わせて三百六十五歳であった。エノクは

神とともに歩み、神が彼を取られたので、いなくなった。(創世記五・二一~二四)


人生は短くある。しかも完全である。そのもの自体としては完全でない。されども完全なる生

涯に達する準備としては最も完全である。大学校としては完全でない。されどもこれに入るた

めの予備校としては完全である。その歓喜と悲哀、成功と失敗、会合と離別、和親と敵対、熱

き涙と耐えがたい苦痛、これみなわれらを完成するために必要である。現世のための現世にあ

らず、来世のための現世なることを示されて、われらは現世に生れ来たりしことを悔いず、ま

た生涯の短きことを悲しまない。われらは詩人ゲーテにならいて、「この歓喜と悲哀とは何の

ためなるか」と言いて歎かない。われらに臨みし歓喜と悲哀とはことごとくその目的を達し

た。われらはこれによりて幾分なりとも神を知り得た。幾分なりともキリストの満ち足れる程

度にまで達した(エペソ書・一三)。われらは過去を顧みて悔恨はない。ただ感謝あるのみで

ある。すべての事は働きて益をなした。この短き人生は、限りなきキリストの国にわれらを導

き入れるためになくてならぬものである。(信二〇・二五九)


「矢内原忠雄の今日の言葉」

あぶくま無教会ホームページ(現在閉鎖)『日々のかて』よりの転載です。

5月23日(木)

思うべき限度を越えて思い上がることなく、神が各自に分け与えられた信仰の賜物

に従ってつつしみ深く思うべきです。

(ローマ 12: 3)

たまものの差異

 神が私たち各自に分かち与えた賜物の量と種類とがさまざまなのは、決して神の

国における各自の地位に優劣高低の差をつけるためではないでしょう。それは神の

国の道徳美を成さんがためであります。各自に分け与えられた賜物に量的及び質

的差違があればこそ、エクレシアは美しく建てられるのであり、肢(えだ)として信者

お互いの間に謙そんという美しき徳も実り、愛という美しい花も咲くのです。賜物の

大きな人も小さな人も、またその種類のいかんを問わず、信者は皆それぞれ百パー

セント神の子であり、エクレシアの完き肢です。全体のハーモニーの中にあって、信

者各自にそれぞれ適当な、他の人を以てしては代わることの出来ない絶対的な地

位と役割とを与えられています。私たちは各自に分かち与えられた賜物の量を越え

て、不当に思い上がったり、また反対に思い下ってはいけません。全体の均整の中

で私たちに分かち与えられた分を、誠実に、単純に、熱心に、喜んで、心一杯に思

い、力一杯につくすべきです。


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内村鑑三とともに

内村鑑三







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最終更新日  2013.05.23 03:40:43
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