今日の気持ちを短歌におよび短歌鑑賞

今日の気持ちを短歌におよび短歌鑑賞

2013.05.23
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今日の聖句:「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より
http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm

原文は文語調、人徳の口語訳および意訳の個所もあり。

5月24日(金)

善事とは


善事とは、神を信じることです。悪事とは、神よりはなれて人と自己に頼ることです。このほか

に、善事も悪事もないのです。ですから、病気は必ずしも悪事でありません。もしわれらを神に導

いてくれるなら、病気もまた善事です。健康は必ずしも善事ではありません。もし人を自分に頼ら

せ、自分を素晴らしいとうぬぼれさせるのであれば、健康はかえって悪事となります。貧困も、そ

の逆の富貴も同様です。キリストは言います。「なんじ、なにゆえに善についてわたしに問うの

か、善は、ひとつのほかにありません、それは神です。」善は、神と離れて他にあるものではあり

ません。神と、神に向かうこと、これが善です。神より遠ざかる、神に逆らうこと、これが悪で

す。善悪の区別はこれだけです、またこれが生死の区別にも当てはまります。


一日一生(内村鑑三)

5月24日(金)


だから人の前でわたしを受けいれる者を、わたしもまた、天にいますわたしの父の前で受けいれる

であろう。しかし、人の前でわたしを拒む者を、わたしも天にいますわたしの父の前で拒むであろ

う。(マタイ伝一〇・三二~三三)


恩恵に富みたもう神は、われらの信仰を確実にせんがために、ときどき信仰表白の機会をわれらに

供したもう。しかしてわれらこの機会を利用し、人の面をおそるることなく、大胆にわれらの信仰

を世の人の前に表白して、われらはわれらの眠らんとする信仰を醒まし、わららの死なんとする霊

魂を生かすのである。されどもこの機会を供せらるるや、大難のわが身に臨みしがごとくに感じ、

おそれおののき、なにかつまらなき理屈に訴え、口をつむいで語らざらんか、その結果はただちに

われらの品性におよび、熱心は冷え、霊魂は萎え、ついに、ありしわずかばかりの信仰までを失う

に至る。じつに信仰の危機とはかかる場合である。この時にあたって「キリストを知る」といの

と、「知らず」というのとによって、われらの永遠の運命は定まるのである。(注八・二一三)



「矢内原忠雄の今日の言葉」

あぶくま無教会ホームページ(現在閉鎖)『日々のかて』よりの転載です。

5月24日(金)

心の清い人たちはさいわいです。その人は神を見るでしょう。平和を作る人たちはさ

いわいです。その人は神の子と呼ばれるでしょう。義のため迫害されている人たち

はさいわいです。天国はその人のものです。

(マタイ 5: 8-10)

さいわいな人

「心の清い人」とは、道徳的に完全な人という意味ではなく、心の純な人のことです。

そして純粋な心とは、悲しみの心です。悲しみには深い湖水のような静けさがあり、

神の御姿(みすがた)を明らかにうつします。これに反し、悲しみのない人生はほこり

っぽいです。それには神を見得る透明さが無いのです。

「平和を作る人」とは、人々の間に平和を作る人です。どのような性格の人が平和を

作るかといえば、それは柔和な人です。殴(なぐ)られて殴り返さない人です。自分の

権利・利益・名誉・体面を主張し、これを害されたと怒る人は平和を作りません。自

己の権利を放棄(ほうき)する人にして、始めて平和を作るのです。 ・・・ 

「義のため迫害されている人」とは、神の義を守り、これを主張し、そのために戦うこ

とによって迫害を被る人です。義に飢えかわく人にして、始めて義のために責められ

る人となります。そうでない人は妥協(だきょう)迎合(げいごう)して、要領(ようりょ

う)よく迫害を回避(かいひ)するでしょう。義のために責められるほど神の国を慕い

求める人に、神の国が属することは事理の当然です。



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内村鑑三







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最終更新日  2013.05.24 02:49:21
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