今日の気持ちを短歌におよび短歌鑑賞

今日の気持ちを短歌におよび短歌鑑賞

2014.11.14
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白浜短歌会十一月歌評no.1下書き(十一月十七日)



                                A子さん



若衆のバチ打つ太鼓の音響は日頃の熱意素晴らし実り



秋祭り孫ひ孫里帰(かえ)り賑わいて御馳走いただき満腹の笑み



1.祭りで太鼓の演奏を見たのでしょうか。それがすばらしかったのでしょう。太鼓の音を「音響」と表現し、何日か練習していることを、「日頃の熱意」と表現していること、ただ素晴らしいというだけでなく、「素晴らし実り」と表現している点が新鮮でした。「音響」とか「熱意」などという観念的な言葉は、短歌では普通は使わない努力をするのですが、それが、妙に新鮮に覚えるのは、結句の「実り」にあるのかもしれません。今秋ですし、「実り」のことばに実感がこもります。



2.「満腹の笑み」に実感がこもるのでしょう。心も満ち足りた感じです。多分作者はお孫さんやひ孫さんたちがにぎやかにしているのを見るだけで満たされるのでしょう。「満腹の笑み」と傍観している感じが出ています。自分がその中に入っていくのではなく、少し離れたところで静かに傍観している感じが出ています。そこが少し寂しい感じがします。



                   B子さん



富士山も観る方向で姿変え八頭身に帽子の白く



大瀬岬不思議神池廻るなり鯉群れなして餓え餌求む



切り通しでかき猪鉢合せ夫の話しに身震いをせし



1. 冠雪の富士を詠っているのでしょう。少し遠くから見ているのでしょう。八頭身に見えるようです。作者はやはり普段より容姿に気をつけているようです。「八頭身」「帽子の白く」にその片鱗が伺える気がします。「姿変え」「帽子の白く」両方とも言い差し(終止形で終っていない。)です。たとえば「姿変ゆ」と終止形にすると落ち着くでしょう。



2.神池は海辺にあり海水が入るにもかかわらず淡水で、鯉、ふな、なまずなどが生息しているようです。その不思議さと鯉が群れなして餌を求める姿と二つのポイントが一首のなかに盛り込まれているように思います。ひとつにポイントをしぼったほうが良いかもしれません。神池と名の付いているのに鯉が餓えているというのは鋭い観察だと思います。

参考: 海水の入る大瀬の神池は不思議に真水となりて鯉棲む

参考: 神という名の付く池に群れなして餓えたる鯉が餌を求むる



    3.「切り通し」は、山道でしょうか。ご主人が山道で大きな猪に出会った話しを帰ってきて話したのでしょう。作者はまるで自分のことのように驚いた感じです。しかし、こういった又聞きの話を歌にするのはむずかしいのです。テレビ映像の津波や噴火などが歌にするのがむずかしいのに似ています。ただ、「でかき」という言葉に、実感が感じられました。

    参考 :「山道でデッカイ猪に出合った」と少し青ざめ夫が話す





                 H子さん(新人)



サソリ座はどれと言いし娘(こ)母となる霜月の夜ほのぼのなりぬ



爪ほどの勇気たよりに歩く道一羽の雀おもえもと問う



せわしげに行き交う蟻に目をこらす愉快半分哀しみ半分



1.「サソリ座はどれと言いし」、「し」は単なる過去ではなく、正しくは過去の回想の助動詞です。たとえば「子供のとき娘が夜空を見上げてわたしにサソリ座はどれと聞いたことがあった」というような解釈です。その子が母親になった、それも十一月、生れた子供は西洋の星占いではさそり座となる、そんなことを思いながら、そんな偶然をおもいながら、孫の誕生にほのぼのとした気持ちになった…といったことでしょうか。



2.「爪ほどの勇気」という喩えが、やはり新鮮な感じがしました。これは「爪のあか(少ないこと)」ということばが下敷きにあるのだろうと思います。「一羽の雀おまえも」など、雀にたよりなさを感じるのは、一茶の「雀の子そこのけそこのけお馬が通る」を思いだしました。「一羽の雀」としたところはよいとおもいます。



3.「せわしげに行き交う蟻」はひとつの嘱目です。この光景を「愉快」と感じる心と「哀しい」と感じる心、作者の複雑な心を反映している言葉なのでしょう。一首のなかに相反する言葉を入れることは悪いことではないでしょう。むしろ深みが出るでしょう。また、一方の言葉たとえば「愉快」を強調することによって、余韻として哀しみを出す方法もあります。いろいろ挑戦してください。



C子さん



ヤブ蚊にも好きときらいがあるらしくいつもポケットにムヒを入れおく



足腰も大分つかれた九十才息子(こ)にすすめられ介護施設(デイサービス)へ



十月の庭にサヤエンドウの種をまき朝なあさなに発芽待ち居り



1. 「ヤブ蚊にも好きときらいがあるらしく」と一般論を述べているかにみえるのですが、下の句で、作者は蚊に好かれているんだというのが分ります。なかなかユーモアがある歌です。作者にとっては笑っていられない深刻なことかもしれませんが。



2.「足腰も大分つかれた」とため息をついているようです。「も」がきいているようです。「息子にすすめられ」に思いが籠っているようです。「介護施設」と「デイサービス」ですが、どちらでもよろしいかと思いますが、「デイサービス」のほうがちょっと軽い感じがしますので、作者の気持ちによってどちらかにしたらよろしいと思います。



3. 「十月の庭」という言い方が新鮮です。ちょっとさびれた感じでしょうか。そんななかにサヤエンドウの種をまき、毎朝芽が出てくるのを確かめています。なにか希望のようなものを感じました。



                                 D子さん



つぎ様の短歌(うた)の至誠にちょっぴりと詠む楽しさのヒントをもらう



初穫りの大根きれば柔らかく刃先につきし水滴ひかる

 1.まず、「至誠」ということばに目を留めました。そういう意味では、成功したといえるかもしれません。しかし、こういう観念的な言葉を使うのは要注意です。ひとつは、ものごとを観念で理解しているということです。これは短歌にとって最大の敵と考えてください。啄木は「新しい明日の来るを信ずといふ自分の言葉に嘘はなけれど」と詠んでいます。「新しい時代」とか「新しい社会」とかでなく「新しい明日」です。この違いを感じてください。多分「時代」とか「社会」の方がこの作者にとっては分りやすいのではないかと思います。それが観念的な頭になっている証拠だと思います。

 参考: まごころを込め作られるつぎさまの百三歳の歌に教わる



2. なかなか細かいところに目が届いていることがたいへんすばらしいと思います。一首目と比べると全然違うと思います。大根、刃先、水滴と具体的で観念的ではないのです。こういう作り方をされるといいと思います。この歌の中心は下の句だと思います。「初穫り」というようなことでなくても、「初もの」くらいでもいいではないでしょうか。三句目で止めると一息つけると思います。

参考: 初ものの大根切ればやわらかく刃先につきし水滴光る

(つづく)





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最終更新日  2014.11.17 11:06:44
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