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2015.03.22
三月号歌評下書き(歌誌「賀茂短歌」3月号より)
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原 明男
ひよんなことなどと思へず五十年ほそくも永き分け合へる福
「ひょんなことなどと思へず」とまず作者は言っています。何が?それは、「五十年ほそくも永き分け合へる福」だと作者は言っているようです。「長き」を「永き」とわざわざしていること、やはり作者にとっては「五十年」は文字通り「永き」時の経過だったことが思われます。「分け合へる福」、福つまり、人生における幸せ、それを大事にだいじにして分け合ってきたのでしょう。誰と、もちろん伴侶、奥さんとだと思います。その奥さんとの五十年を作者は「ひょんなことなどと思へず」と言っています。奥さんと過ごした五十年は、自分にとって大事なだいじな人生であった…。伴侶への思いを歌にすることは男性としてはむずかしいことのように思えます。この歌などは、なかなかしみじみとしたものが伝わってきます。
渡辺つぎ
それぞれにきびしき昭和のり越えし人等集いてショートステイなす
「ショートステイなす」で、ここが養護老人施設であることを想像させます。作者が百四歳と知ればなおさらです。その養護老人施設に百四歳の作者自身も入所しているのでしょう。そして、そこに入所している色々な人を観察しているようです。入所している人は多分すべて作者より若い人たちでしょう。それなのに、認知症になったりいろいろな症状を持っている人たちがいることでしょう。ただ、作者はそれには触れません、ここが作者のすごいところだと私は思うのです。そうです、「きびしき昭和のり越えし人等」と一種の愛情をもって見守っているのです。これは、オーバーにいえばもう人間ばなれした温かい眼差しだとわたしは思うのです。
鈴木菊江
飛ぶ鳥のいづこゆきしやきさらぎの雨はしとしとわが胸にふる
鳥が今飛んでいったのでしょう。そして、ふっと視界から消えてしまったのでしょう。そのちょっとした欠落感、それは亡くなられたご主人のことが頭をよぎったのではなかったでしょうか。時は如月、ご主人が病に臥した思い出が頭をよぎったのではなかったでしょうか。「きさらぎの雨しとしとわが胸にふる」が切なくこころに響きます。決して感情をあらわに表現しない作者です、それゆえになおさらこの言葉がこころに響くのです。
黒田幸子
ひとり身になられし人を見舞うとて明るき話題さがし持ちゆく
「ひとり身になられし人」、いうまでもなく伴侶が、たぶんご主人が亡くなられた人なのではないでしょうか。今日は、そのご主人を最近亡くされた人を訪問するのです。お土産に何がよいだろうか、何を話したらいいのだろうか、色々行く前からこころを悩ましている作者なのでしょう。その悩みの果ての結論が、「明るき話題さがし持ちゆく」ではなかったでしょうか。「明るい話題を探す」というのはさもありなんと頷けることです。この歌のおもしろいのは、「話題を持って行く」あたかも明るい話題をお土産のようにして持って行くという表現に惹かれました。
後藤早苗
おどおどと新幹線の列につくここでいいのか不安持ちつつ
新幹線にも、こだま、ひかり、のぞみなどと色々種類があります。作者はもちろん下田に住んでいますので、帰りはこだまに乗って、熱海で下りる必要があります。それでないと、最悪名古屋まで行ってしまいます。旅なれない作者なのでしょう、帰りの新幹線の列にならびながら、こだまはここでいいのだろうか、ひかりやのぞみではないだろうかと、不安を持っている姿が想像されます。作者はあえてこのような作品、自分は御上りさんですよといった告白めいた作品を作ることに、正直に自分の姿を表現することに、ある短歌の美学のようなものを感じているのかもしれません。啄木などの作品にもこれに似た作品あるいは作風にめぐりあいます。
藤井美智子
勝ち組の晴ればれ育つ晩白柚三個が並びまん中にデブ
この作品は「晩白柚みかん」という題で詠まれた五首のなかの一首です。晩白柚みかんというのは、ザボンのような大きなみかんです。それは、亡きご主人が接木して育てた大事なみかんの木のようです、そして、それは二人で丹精込めて育てたみかんの木でもあるかもしれません。その実はいわば、わが子のようにいとおしいものなのではないでしょうか。
「勝ち組」という言葉に目を止めました。作者は、西風の強い西伊豆に住んでいます、その西風に負けず三個のみかんが枝にしがみついているのです、それを、作者はとっさに「勝ち組」といったのだろうと推察します。そして、そのまん中にひときは大きなみかんがあったのでしょう。それを作者は「デブ」という差別語で呼んだのです、しかしそれはむしろ「デブちゃん」といった愛称なのでしょう。「勝ち組のデブちゃん」といった感じがわたしにはします。
「勝ち組」についてですが、作者の心のなかにも「勝ち組」というような何かがあったのでしょうか。西風のような荒い人間関係にもめげず生きてきたというような思いがあったのかもしれません。そして、あるいは自分自身に「勝ち組のデブちゃん」と心のなかでつぶやいたのかもしれません。
鈴木きみ
富士山はいつ見会いてもうるわしく雲少し乗せ更にうるわし
「いつ見合いても」、「いつ見ても」ではないこの言い方にまず目がとまりました。「いつ見ても」ですと、いつでも富士山が見えるところにいる感じがしますが、「いつ見合いても」ですと、たまにしか見えない、会えないそんな感じがします。
この歌はやはり下の句「雲少し乗せ更にうるわし」に思いがこもっています。青空に聳える富士山、それはそれですばらしい景ですが、なにかものたりないというか、完璧すぎてかえって寂しいような感じがします。それで、構図的にも富士山に雲を配することが考えられます。ただ、この作品の「雲少し乗せ」という具体的な表現は、その時作者が見たままを純粋に表現したように思えます。そこが、大切なことだと思います。まだ歌歴が少ない作者です、この感性、個性を今後も大切にしてもらいたいと思います。
土屋文恵
洋洋と開ける海の心持ち古希なる年を踏み出し行かむ
まず、「洋洋と開ける海の心持ち」と詠んでいます。洋々とした、広々とした海、そのような広い気持のことなのでしょう。そこに「開ける」としたところに作者の特殊な思いが感じられます。
ところで、「開ける」という言葉が「心」と結びつくとわたしは悪い癖で「閉ざされる狭い心」をも連想するのです。
「人生七十古来稀なり」、その七十歳にどうにかたどりついた。これからは、今までのような狭い心ではなく、広々と晴れ渡った海のような心を持って生きてゆこう。そんな決意の歌のようにわたしには思えるのです。
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最終更新日 2015.03.22 18:56:28
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