今日の気持ちを短歌におよび短歌鑑賞

今日の気持ちを短歌におよび短歌鑑賞

2015.10.27
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鑑賞:歌集「悲しき玩具」(三十七)(下書き)           後藤瑞義

(注)歌の順序は歌集の順序によります。

何となく、

今年は良い事あるごとし。

元日の朝、晴れて風無し。



短歌を習い始めた時まず注意されたことは、短歌は一行書きにするようにということでした。

原稿用紙の最初のます目から一字もあけないで、一行書きにするように教えられました。また、

句読点などをつけないようにというものでした。そういう意味から、啄木の三行書きは異例であり、

例外的なことなのです。

「なんとなく今年は良い事あるごとし元日の朝晴れて風無し」句読点も付けずに、このように書く

ことが通常の書きかたになります。そして、この一行書きにした歌を読んでわたしが思うのは、

これは倒置した歌、つまり下の句が先で、それに上の句がつく、そういう歌だと考えるわけです。


まず、「今日は元日、今は朝、空は(よく)晴れていて、それに風が(少しも)無い。何となく

(だけど)、今年は(きっと)良い事があるような(感じがする)。」そんな解釈をするわけです。

「これは朝から縁起がよいわい」的な発想をするわけです。


確かに、「晴れて風無し」、とくに「風がない」という把握はさすがに啄木だと思うのですが、

天才啄木としては、それだけですとわたしなど物足りないのです。


わたしは、啄木の発想は、この歌のままだと思ったのです。つまり、「何となく、読点の、(てん)、」

で一呼吸して、行を変えて「今年は良い事あるごとし。句点の。(まる)」で休止します。ここで

文章を完了させています。そして、また行を変えて新しい文章「元日の朝、読点、(てん)」をつけ

て一呼吸して、「晴れて風無し。句点。(まる)」でこの文章も終えています。ですから、一行目二行

目の文章と三行目の文章は、直接的にはつながっていない、それぞれ独立した文章だということなのです。


わたしが、この歌を倒置の歌、つまり三行目の「元日の朝、晴れて風無し。」が先にあって、現象

(「元日の朝から晴れて、風が無い」)が先にあって、その上に立って、だから「何となく、今年は

良い事があるんじゃないだろうか」と推察するのです。


ただ、天才啄木はそうじゃないだろうとおもうのです。たとえば、朝目がさめて、布団のなかで、

「何となく感じる」、「今年は良い事があるように感じる」、この予感といいますか、予言といいま

すか、予知といいますか、そういうものが先にあったのではないでしょうか。そして、しばらくして、

外へ出たところ「晴れて風無し」だった。そうれみろ、思ったとおりだ。そんな感じではなかったの

でしょうか。それでこそ、天才啄木だとわたしは思うのです。


何となく、

今年は良い事あるごとし。

元日の朝、晴れて風無し。








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最終更新日  2015.10.28 00:50:43
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