今日の気持ちを短歌におよび短歌鑑賞

今日の気持ちを短歌におよび短歌鑑賞

2016.10.19
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編集後記(白浜短歌平成28年10月)下書き


和歌と短歌の違い


大野誠夫の『短歌入門』に、前回と同様、短歌における写生について書かれて



います。正岡子規や斎藤茂吉とともに、今回は島木赤彦の作品が載せれれて



います。三名とも言うまでもなく、写生を基本とした有名な歌人です。


 明治になりまして、和歌が短歌と呼ばれる様になったことは、私も何回か書いて


います。それでは、和歌と短歌とはどう違うのでしょうか。これについては、案外


書かれていないように思います。私自身も今まで書いておりません。


 和歌と短歌の違いを端的に表しているのが、この写生論であると思います。



日本は、明治になって、先進国の西洋文明、科学文明を必死に取り入れたわ


けです。その一環として短歌では絵画における写生論をとり入れたと思われま


す。


 正岡子規が古今集を否定したのは、その観念性にあると思います。和歌がもっ


とも和歌らしいのは、やはり平安時代から鎌倉時代の初め、古今集から新古今


集に至る八代集(古今集・後撰集・拾遺集・後拾遺集・金葉集・詞花集・千載集・


新古今集)の歌の数々であろうと思います。その特徴を一口に言えば、観念性


(歌を頭で作る、想像や空想で作る、掛け言葉や縁語、歌枕、本歌取りといった


技巧で作る)ということではないでしょうか。


 月に兎がいて餅をついている、とか、かぐや姫の話、あるいは鬼の話、あるい


は妖怪であったり、呪いや祟り、もっともっとあげることが出来ますが、そういう想


像の世界、観念の世界がはびこっていた時代でもあったと思います。なぜでしょう


か、そのひとつをあげて言えば、夜の暗さがあります。その時代の夜の暗闇は現


代の文明社会とはまったく違った世界であったことでしょう。そうした暗闇の世


界を色々想像し、恐怖したことが想像されます。あるいは、宮廷社会での、特に


女性の閉鎖的な環境もあったと思います。たぶん、あまり外出も出来ない状態を


想像します。姫君はもちろんですが、仕えていた女性たちの環境です。昔(万葉


集など)の歌を読んだり、屏風絵あるいはそこに書かれていたであろう歌などによ


って、色々想像して歌を作ったりしたことでしょう。そんななかで歌枕(地名が織り


込まれている歌)や、それに影響されて作る本歌取りなどの技術を学んでいった


のではないでしょうか。そういう、想像で作るような、頭で作るような、見たままを


正しく写生するのではない歌、いわゆるこうした和歌を正岡子規はとにかく否定し


て、歌を新しく作り直そうとしたのでした。それが、今日の短歌と呼ばれる歌の出


発点だったと思います。







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最終更新日  2016.10.19 09:30:26
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